書評>吉田裕司 著『実証国際経済学』

吉田裕司著
『実証国際経済学』
書評
大川良文
Yoshifumi Okawa
滋賀大学経済学部 / 准教授
日本経済評論社
2014 年、187pp.
本書は、著者のこれまでの国際貿易に関する実
第 4章
国際貿易と輸出マージン−輸出 バラ
証研究を取りまとめた論文集である。実証研究と
エティの 実 証 分析:国内 の 地 域 異
は、貿易や生産活動、マクロ経済変数などの各種
質性
統計データを用いて、経済活動に関する仮説を検
第5章
産業内貿易と垂直的特化−産業内貿
証し命題を得るための研究である。近年、計量経
易、フラグメンテーション、輸出マージ
済学 における分析手法 の 進歩と統計 データの整
ン:国内地域の国際貿易の実証分析
備 が 進 んできていることから、経済学 の様々な分
第 6 章
国際貿易と環境汚染−貿易に内在化
野で、計量経済学 を用いた実証分析 が盛んに行
された汚染収支の実証分析:産業構
われている。国際経済学もその 例外でなく、各国
造と排出削減
における貿易データや企業データなどの整備と共
第 7章
国際貿易と為替レート−為替レートパ
に、多くの実証研究の論文 が 発表され、これまで
ススルーの 新しい証拠:国内港別の
わからなかった経済活動の実態が明らかにされて
細分化貿易データの分析
いる。
各章の内容 は、次のようになっている。まず第1
本書では、国際貿易に関する実証研究について、 章では、本書全体 の実証分析で用いられている貿
著者独自のアプローチによって従来 の 研究 の 拡
易データの紹介と、分析の基礎となる計量経済学
張を行っている。本書の章立ては次のようになって
の手法、および国際経済学の概念について述べら
いる。
れている。
第1章
国際経済学の実証研究
第2 章 では、三カ国間貿易アプローチという独
第2 章
国際貿易と海外直接投資−米国市場
自の概念を用いて、アジア諸国への日本からの輸
におけるアジア諸国と日本 の競争、中
出 や直接投資 がこれらの国 の対米輸出に与える
国 は例外 なのか?三 カ国間貿易アプ
影響、そして対米輸出における日本とアジア諸国
ローチ
との競合性について分析を行っている。従来、貿
国際貿易と国内地域 の立地−国際貿
易量の変化をもたらす要因分析については、二国
易における国内異質性:外国経済成
間の枠組みで分析されることが多かった。例えば、
長 が自国内地域 の 生産と輸出に与え
日本 から米国 への直接投資 が日米 の 貿易にどの
る影響
ような影響をもたらすのかといったものだ。しかし、
第3章
日本やアジアNIEsで生産された部品 が、中国 や
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彦根論叢
2015 spring / No.403
ASEAN諸国で製品として組み立てられ、欧米諸
と呼 ばれている。両者を比較した 多くの先行研究
国へと輸出されるという三角貿易が近年拡大して
では、集中マージンより拡張マージンの 拡大の方
いるように、国際貿易の流れは多国間をまたがっ
が貿易成長の主要な役割を担っていることが指摘
て繰り広げられることが多くなっている。本章で示
されている。本章では、従来国単位で行われてい
された三カ国間貿易アプローチは、このような国
た分析を、都道府県別の分析へと細分化させるこ
際貿易 の 変化に対応する非常に有益 な試 みであ
とによって、いくつかの興味深い結果を得ている。
り、今後このようなアプローチを用いた研究は増え
まず一つは、拡張マージンは都道府県ごとに大き
ていくものと思われる。
く異なっている一方で、多くの地域で拡張マージン
第3∼5章および第 7章に共通する特徴は、財務
が 拡大傾向にあることだ。このことは、多くの地域
省税関局が 提供 する国際港別の貿易データベー
でますます多様な製品が 輸出されるようになって
スを用いて、これまで国単位の貿易について行 わ
おり、輸出に関する生産が国内で拡散傾向にある
れてきた貿易利益、産業内貿易、為替レートパス
ことを示している。もう一つは、国内各地域の拡張
スルーの分析を地域単位に細分化することによっ
マージンが時がたって収斂するにつれて過小評価
て拡張させていることである。
されるようになっていることを示すことが 拡張マー
まず第3章では、外国経済 の成長といった外部
ジンの重要性を示 す手段としては優れていること
要因の 変化 が生産 や輸出にもたらす影響 は 地域
を示したことである。
間で非対称的であることを示す理論モデルを構築
続く第5章では、韓国との産業内貿易の進展に
した上で、日本 の港別データを用いた実証分析に
関 する分析を行っている。韓国 は日本 にとって産
より、それが一般的な事実として存在していること
業内貿易が 最も盛 んに行 われている国 の 一 つだ
を示している。貿易自由化によって国境地域 が貿
が、本章ではこれが地域単位でも当てはまるかど
易促進によって栄える一方で、貿易に不便な地域
うかを検証している。従来の国単位の産業内貿易
では経済活動の停滞・縮小が起こることを想像す
の 分析 では、大阪 から韓国 への輸出量 の 増加と
ることは容易く、そのような事実を示す個別ケース
東京の韓国からの輸入量 の増加が同時に起これ
に関する研究も存在する。にもかかわらず、このよ
ば、国単位での産業内貿易の指数は増加すること
うな事実を一般化 するための理論モデルや 実証
になる。しかし、大阪と東京を分割して考えた場合、
研究は未だ少なく、その意味で本章の研究は重大
この 変化は大阪と東京の対韓国の産業内貿易指
な貢献を果たしている。
数を減少させることになる。このように、国単位で
第 4章では、近年盛んに行われている
「拡張マー
考える場合と地域単位で考える場合、産業内貿易
ジン」、
「集中マージン」による貿易利益 の実証分
指数の動きは全く異なるようになる可能性がある。
析を行っている。
「新貿易理論」の発展に伴い、国
本章 では、都道府県別 の対韓国との産業内貿易
際貿易の成長には「 すでに貿易されている製品の
指数を計測し、国単位の日韓 の産業内貿易指数
貿易量の拡大」と
「これまで貿易されてこなかった
の高まりと同様、多くの地域においても韓国との産
製品の貿易開始」の二つの要素があることが指摘
業内貿易指数 が高まっていることを明らかにして
されている。前者の程度を示したものが
「集中マー
いる。さらに、本章では、前章で用いた拡張マージ
ジン」、後者の程度を示したものが
「拡張マージン」
ンと集中マージンによる貿易成長の分析手法を産
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大川良文
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業内貿易指数 の 分析に導入し、貿易成長と同様
輸出収益 を引き上げようとする場合、パススルー
な議論 が産業内貿易の分析でも可能であることを
は低く評価される。このような 為替レートパスス
示している。
ルーは企業 の製品に対 する価格設定行動に依存
第 6 章は、これまでの章とは違い、貿易と環境の
するため、近年 の 研究では、貿易データを企業ご
問題 に関する分析 が 行 われている。その内容 は、
とや製品ごとに細分化してパススルーを計測しよ
国連や世銀などの公的機関のデータベースを用い
うとする試 みが行われている。このような動きに対
て 貿易 に 内在 するBEET(汚染収支)の 世界的
して、本章では、日本国内の主要港別のデータを
データベースを独自に構築することによる、国際貿
用いることによって従来とは異 なる形での 細分化
易が環境にもたらす影響とその決定要因について
を行っている。その 結果、為替レートパススルー
の 分析 である。BEETとは、輸出財の国内での生
の程度は製品の出荷地域によって大きく異なって
産に伴う汚染排出 の 規模 から国外 における輸入
いることを明らかにしている。この結果 は、日本国
財の 生産に伴う汚染排出 の 規模を差し引いたも
内 で異 なる品質の 製品 の 生産 が 地域別に広く分
のであり、貿易が環境にもたらす影響を評価した
散していることを示唆している。
ものである。環境保護主義者の多くは、貿易や国
このように、本書では国際貿易に関する実証分
際的な企業活動の自由化は、先進国の汚染産業
析について、著者独自の手法によって様々な拡張
の環境規制の 緩 やかな途上国への移管を引き起
が 行 われている。特に、地域別のデータを用いた
こすという
「汚染逃避仮説」を懸念 する。この意見
分析 では、従来 の国単位 で行 われていた国際貿
に従うと、先進国における汚染収支の改善 は、汚
易 の 実証分析 ではわからない様々な知見を明ら
染産業 の国際移管に伴う途上国の汚染産業と先
かにしており、その点で著者 の貢献 は大変大きな
進国におけるクリーン産業の拡大という産業構造
ものだと思われる。また、貿易量に関する分析だけ
の転換によって引き起こされることになる。これに
でなく、環境問題や為替レートの問題に関する分
対し、本章の研究では、世界的なBEETデータセッ
析も行 われており、著者 の 研究範囲 の 広さも伺
トを作成して分析することによって、先進国の汚染
える。
収支の 改善 は、汚染産業 の国際移管による産業
本書 のような統計 データを用いた 実証分析 で
構造 の転換 からもたらされたのではなく、汚染排
は、複数のデータベースの結合 や、独自のデータ
出抑制技術 の 進歩によってもたらされており、汚
ベースの 構築 など 様々な 苦労 がある。取り扱う
染逃避仮説は当てはまらないことが示されている。
データの数も近年ますます大きくなり、データ管理
第 7章 では、為替レートパススルーに関する分
もさぞかし大変だと思われる。その点で、著者の労
析を行っている。為替レートパススルーとは、為替
力には頭の下がる思いである。
レートの変化が貿易財価格にどれだけ反映してい
最近の著者は、第 7章で行った為替レートパス
るかを説明する指標である。例えば、1%の円安が
スルーに力を入れているようで、RIETI
(経済産業
生じた場合に、それに応じて輸出品のドル建て輸
研究所)で新しいディスカッション・ペーパーも公
出価格 を引き下げ 輸出量を増 やそうとする場合、
表している(“Market Share and Exchange Rate
パススルーは高く評価される一方、ドル建て輸出
Pass-through: Competition among exporters
価格を維持し円建て輸出価格を引き上げることで
of the same nationality”
(邦題:マーケットシェ
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彦根論叢
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アと為替レートパススルー:同一国の輸出企業の
競争),Rieti Discussion Paper Series -E-)。
本書は著者の研究活動のあくまでも通過点であり、
今後もさらなる 研究 の 発展 が 期待 できると思 わ
れる。
吉田裕司著
『実証国際経済学』
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