檜皮採取がヒノキの成長および材質におよぼす影響 - 生物圏情報学講座

檜皮採取がヒノキの成長および材質におよぼす影響
古賀信也・内海泰弘
1.はじめに
檜皮材は樹齢 70∼80 年生以上のヒノキ(Chamaecyparis obtusa)生立木から採取される樹
皮であり,伝統的建築物の屋根を葺くために欠くことのできない材料として長年にわたって
使用されてきた.日本での植物を利用した屋根の葺材としては檜皮のほかに,サワラ
(Chamaecyparis pisifera)またはスギ(Cryptomeria japonica)の割り板を用いたこけら葺,杉皮
葺,茅葺,藁葺があるが,檜皮葺がもっとも耐久性があり,その耐用年数は 50 年以上とさ
れている(安藤,2004).檜皮は通常 7 月頃から翌年 4 月頃までに採取され,その採取間隔
は 8∼10 年とされている(後藤,1999).剥皮作業では,まずヒノキの樹皮の内側にカナメ
モチ(Photinia grabra)製のヘラを差し込み,樹皮を幹から浮かせる.ついで「甘皮」と呼
ばれる部分を残して樹幹の基部から上部に向けて剥皮する.1 回目の剥皮により得られる樹
皮は「荒皮」と呼ばれ,檜皮としての歩留まりは悪い.一方,2 回目以降に剥皮される樹皮
は「黒皮」と呼ばれ,良質で製品歩留まりのよい檜皮が得られるとされている(吉備古建築
修復資材調査検討委員会,2001;財団法人文化財建造物保存技術協会,2003).
この檜皮材は,7 世紀以降,神社建築や貴族の住居である寝殿造などの屋根葺材として用
いられてきた.現在,わが国において国宝および重要文化財に指定されている檜皮葺の建造
物は約 700 棟あり,これを維持するためには年間約 3500m 2 の葺き替えが必要となるとされ
ている(後藤,1999).しかし近年,樹齢 70∼80 年以上のヒノキ立木が減少していることに
加えて,檜皮の採取が樹木の成長阻害や材質悪化をもたらすのではないかという見方が広が
り,檜皮採取に協力する森林所有者が減少していることから,わが国の伝統建築物の維持に
必要な檜皮材の安定供給体制の維持が危ぶまれている(八木ら,2000).
以上のことを背景に,1997 年度から3年間,文部省科学研究費補助金基盤研究(A)「大
径材及び高品位材の供給に関する研究(代表八木久義,研究課題番号 09300003)」のもとで,
檜皮材の確保に関する研究が実施された.その研究の一環として,実際のヒノキ生立木から
の檜皮採取が成長や材質にあたえる影響に関する科学的検証試験が開始され(八木ら,2000),
現在も試験は継続されている.ここでは,その試験で得られた成果の一部について報告する.
2.材料と方法
2.1
対象林分
本研究では,国内4大学の演習林[九州大学農学部附
属演習林福岡演習林(福岡県糟屋郡篠栗町),京都大学
フィールド科学教育研究センター里域ステーション徳
山試験地(山口県周南市),北海道大学北方生物圏フィ
ールド科学センター森林圏ステーション和歌山研究林
(和歌山県東牟婁郡古座川町), 東京大学大学院農学
生命科学研究科附属科学の森教育研究センター千葉演
習林(千葉県安房郡天津小湊町)]内に設定された檜皮
剥皮試験地を対象にした.図1に各試験地の位置を示
す.また九州大学福岡演習林および東京大学千葉演習
図1
試験地の位置
林の檜皮試験地の林況をそれぞれ写真1と写真2に示す.檜皮剥皮試験地は 69∼88 年生の
ヒノキ人工林で林内には最高 8.2m部位まで剥皮された個体 10 本とその比較対照木 10 本の
合計 20 本が設定されている(試験地に関する詳細は八木ら(2000)を参照).設定時からす
べての試験木の胸高直径を毎年同時期に測定している.なお,すべての剥皮木の剥皮処理は,
社団法人全国社寺等屋根工事技術保存会の協力により,熟達した原皮師によって 1998 年 2
月に実施された(写真3,4).
写真1
九州大学福岡演習林の檜皮剥皮試験
地(88 年生)
写真3
写真2
東京大学千葉演習林の檜皮剥皮試験
地(83 年生)
剥皮処理(その1)
写真4
剥皮処理(その2)
2.3
実験材料
剥皮処理後4生育期間経過した 2002 年3月に,各試験地から処理木1本とその対照木1
本,合計8本を伐採した.各伐採木の地上高 1.0.∼1.2m,5.0.∼5.2m,9.0∼9.2mの 3 箇所
から 20cm 厚円板を採取した後,九州大学に送付し,以後の実験に供した.さらに,翌年(2003
年)2月∼3月にかけて,各試験地から処理木3本とその対照木3本の合計 24 本を伐採し,
各伐採木の地上高 1.0.∼1.2m, 9.0∼9.2mの2箇所から 20cm 厚円板を採取した後,九州
大学に送付し,以後の実験に供した.
また,各伐採木の地際から梢端にかけて所定の部位から円板を採取し,樹幹解析を行った.
2.4
材色
2002 年に伐倒した供試木8本の地上高 1.2m 部位(剥皮部位)と 9.2m 部位(非剥皮部位)
の4方向(東西南北)から処理数年輪前から最外年輪までを含む試料(接線方向:50mm,軸
方向:200mm)を切り出した.試料は気乾状態に達するまで室内に放置した後,自動カンナ
盤(日立,P100)で片側の柾目面を削り,ただちに色彩色差計(ミノルタ,CR-300,測定径
8mm)を用い,処理前後の柾目面の材色をそれぞれ4箇所について測色した.また,同試料
の板目面を自動カンナ盤(日立,P100)で樹皮側から削り,処理前後の板目面における早材
部の材色をそれぞれ4箇所について測色した.材色はL*a*b*表色系で測定し,4箇所の平
均値を試料の代表値とした.なお,測定時の試料の平均含水率は 11%であった.
2.5
剥離部位の特定および師部・木部組織の観察
2002 年に伐倒した供試木8本から得られた地上高 1.2m 部位(剥皮部位)円板および 9.2m
部位(非剥皮部位)円板の南北2箇所から木部,形成層帯,師部を含む小ブロックを採取し
た.採取した小ブロックは FAA 液で固定した後エタノールで脱水し,エポキシ樹脂を用い
て包埋した.包埋試料はスライディングミクロトーム(大和光機, LS-113)により 15μm 厚
に薄切し,0.2%サフ ラニン水溶液で染色後,ビオライトで封入して光学顕微鏡(Nikon,
ECLIPSE E600)により木部の年輪幅,師部の年輪幅,外樹皮形成年輪数を測定し,木部お
よび師部での傷害組織の有無を組織学的に検討した.さらに,外樹皮に認められたヘラを挿
入した痕跡と樹脂が滲出している部分の木部組織も併せて観察した.木部においては形成層
より 8 年輪を,師部においては内樹皮のすべての年輪と外樹皮数年輪を観察した.なお,南
北両方向の各年輪幅の平均値を供試木の年輪幅とした.
3.結果と考察
3.1
目視による剥皮後の樹幹の評価
2000 年2月(処理から4成長期間経過)に剥皮処理木の樹幹を目視により観察した.写真
5に示すように,剥皮部位の樹皮の色は剥皮直後とさほど変わらない紅褐色を呈し,非剥皮
部位や対照木のそれとは明らかに異なった.また,胸高部位を中心に傷跡らしきもの(写真
6)や所々に樹脂の滲出跡(写真7)が観察された.傷跡らしきものは,その形状と樹幹内
の発生位置から剥皮の際に最初にヘラを挿入した部位であると判断された.
同様に 2003 年3月(処理から7成長期間が経過)に樹幹を目視により調査した結果では,
剥皮部位の樹皮の色は,通常材とかわらない明るい褐色を呈し,所々縦に裂け目が入りはが
れていた(写真8).剥皮部位の樹皮は,遠目では比較対照木のそれと区別がつかないほど回
復していた. 2000 年に観察されたヘラを入れた痕跡はすでに消えていたが,樹脂の滲出跡
は若干残っていた.通常,檜皮は 8∼10 年周期で採取されるが,本実験林の結果からもその
程度の期間が経てば,樹皮は再度剥皮できるような状態まで回復することがわかった.
写真5
処理から4成長期間経過後の処理木(a)と対照木(b)の樹幹
写真7
写真 6
写真8
樹脂滲出跡(矢印)
ヘラをいれた痕跡(矢印)
処理から7成長期間経過後の処理木(a)および対照木(b)の樹幹(矢印は樹脂滲出跡)
3.2
成長への影響
剥皮処理木と対照木の樹幹断面図の1例として東京大学の剥皮処理木とその対照木の結果
を図1に示す.各線は基本的には5年ごとの状況を示すが,外側の2本の太線については,
処理年(処理木 84 年生時,対照木 83 年生時)および伐倒時(処理木 89 年生時,対照木 88
年生時)の状況を示す.この例で示すように,樹幹内のどの部位においても処理後に著しく
成長が悪くなるという現象は認められなかった.処理の成長への影響をより詳しくみるため
に,剥皮処理後5年間の処理木と対照木における胸高直径の平均値の変化を図2に,胸高部
位における処理後の連年成長量の頻度分布を図3に示す.両図から明らかなように剥皮処理
木と対照木との間には処理後の肥大成長量に大きな違いは認められなかった.統計的にも処
25
25
20
20
15
15
樹高(m)
樹高(m)
理後各年の肥大成長量には,両者間で有意な差は認められなかった.
10
5
5
0
0
0
10
20
30
直径(cm)
40
0
50
40
60
直径(cm)
40
50
剥皮木
38
対照木
対照木
40
剥皮木
度数
36
34
30
20
10
32
0
30
0
1
2
3
4
5
6
-0.8
図2
剥皮処理後の胸高直径の変化
-0.4
0
0.4
0.8
1.2
1.6
連年成長量(cm/yr.)
剥皮処理後経過年数(年)
3.3
20
剥皮処理木と対照木の樹幹断面図(剥皮処理木:東大 No.5,対照木:東大 No.15)
図1
胸高直径(cm)
10
図3
剥皮処理後の連年成長量の分布
材色への影響
材色を測定する前に,材色測定用に得られた試験片を対象に,目視による剥皮後の材の3
断面(木口面,柾目面,板目面)の観察を行ったが,すべての試験片において,やにすじ等
の傷害組織の形成や変色等は認められなかった(写真9).また,ヘラを入れた痕跡や樹脂滲
出跡が観察された部位の周辺材の観察も行ったが,特に異常な点はみとめられなかった.
剥皮部位(地上高 1.2m)と非剥皮部位(地上高 9.2m)の柾目面と板目面における処理前
後の L*値(明度),a*値(赤み成分),b*値(黄色み成分)およびΔE*ab(色差)の測定結
果を,それぞれ表1,表2に示した.各指数の平均値は,試験地,樹幹内の部位,断面,処
理前後でばらつき,一定の傾向をみだすことはできなかった.また剥皮部位の処理前後の平
均色差は,柾目面では 0.2,板目面では 0.6 の値を示した.CIE(国際照明委員会)の基準で
は,色差値 0∼0.5 は「きわめてわずかに異なる」,0.5∼1.5 は「わずかに異なる」,1.5∼3.0
は「感知し得るほどに異なる」とされている.したがって,本実験の結果をその基準に適用
すれば,処理前後の材色は感知し得るほどに異ならないということになる.実際に測色の際,
肉眼で処理前後の材色の違いを観察したが,明らかな違いは認められなかった(写真9).さ
らに,ヘラを入れた痕跡や樹脂滲出跡がみられる箇所の周辺の材色について調べたが,他部
位との材色の違いは認められなかった(写真 10).
表1 柾目面における剥皮処理前後の材色
部位
L*
試験地
a*
前
後
東京大学
82.6
北海道大学
1.2m
(剥皮部位)
前
b*
後
ΔE*ab
前
後
82.4 4.4 4.3
21.8
21.4
0.4
81.3
81.5 4.5 4.4
20.5
20.7
0.3
京都大学
80.6
79.6 5.2 5.5
22.1
22.3
1.1
九州大学
81.5
82.1 4.9 4.6
21.8
21.6
0.7
平均
81.1
80.9 5.0 5.1
22.0
21.9
0.2
東京大学
79.5
79.3 4.6 5.2
22.2
22.2
0.6
北海道大学
84.7
84.0 3.5 3.8
20.4
20.3
0.8
9.2m
京都大学
83.7
83.5 3.9 3.9
20.5
20.3
0.3
(非剥皮部位)
九州大学
80.9
80.8 5.0 4.8
20.9
21.3
0.5
平均
83.1
82.7 4.1 4.2
20.6
20.6
0.3
表2 板目面における剥皮処理前後の材色
部位
L*
試験地
a*
前
後
東京大学
82.0
北海道大学
1.2m
(剥皮部位)
前
b*
後
ΔE*ab
前
後
81.5 4.0 4.1
22.8
22.8
0.5
82.2
81.4 4.1 4.5
21.8
20.9
1.3
京都大学
81.7
80.9 4.2 4.4
20.9
20.9
0.8
九州大学
81.6
81.5 4.2 4.4
20.5
20.9
0.5
平均
81.9
81.3 4.1 4.4
21.5
21.4
0.6
東京大学
79.8
79.8 4.6 4.9
22.6
22.8
0.3
北海道大学
84.2
84.8 3.1 3.1
21.6
21.3
0.7
9.2m
京都大学
82.4
82.6 4.0 3.8
20.4
20.3
0.3
(非剥皮部位)
九州大学
81.1
81.8 4.3 4.5
20.2
20.7
0.9
平均
81.9
82.3 4.0 4.1
21.2
21.0
0.5
写真9
剥皮処理木の地上高 1.2m 部位
写真 10 ヘラを入れた痕跡が残された部位の内部
の材の状態(a:削る前,b:削った後,処理後形成され
た年輪)
(剥皮部位)の柾目面(九大 No.241)
3.4 剥離部位の特定および木部・師部組織の観察
(1)木部組織の観察
処理後 4 生育期間経過した供試木のみを対
象としたため,形成層より数えて 1∼4 年輪
目を剥皮処理後の木部,5∼8 年目を剥皮処理
前の木部とした.すべての供試木の形成層か
ら1∼8年輪における全年輪幅の平均値は
1.62mm であった.処理前後の平均年輪幅を
試験地別に表3に示す.あわせて図4に剥処
理前後の年輪幅の変動を年輪別に示す.剥皮
処理木では,樹幹内の両部位とも処理を行っ
た年の翌年(樹皮側から 4 年輪目)にわずか
図4
処理前後の木部の年輪幅の変動
な年輪幅の減少傾向が認められるが,各年輪
における年輪幅の変動の大きさからみれば,
表3
処理前後の木部の年輪幅
剥皮処理の年輪形成への影響は大きくないこと
が示された.また平均年輪幅で処理前後を比較
した場合,剥皮処理木と対照木の多くの個体で
処理前に比べ処理後が大きな値を示したことか
ら,年輪形成に対する長期的な影響も少ないこ
とも示唆された.いずれにしても,これらの結
果や3.2で述べた結果から,檜皮採取が肥大
成長を著しく抑制することはないといえる.
処理後に形成された数年輪を観察した結果,
いずれの剥皮処理木において処理による木部の
傷害は認められなかった(写真 11a).北大和歌
山研究林から得られたすべての供試木には偽年
輪が認められなかった.それ以外の試験地の剥
皮処理木と対照木には偽年輪が存在するものが
あった.また,ヘラを入れた痕跡や樹脂滲出跡
がみられた箇所(写真 12a,c)の剥皮後の年輪
を観察したが,傷害組織や通常とは異なる組織
構造は認められなかった(写真 12b,d).
(2)師部組織の観察
いくつかの樹種では内樹皮に年輪構造が存在
するこ とが 報告さ れて おり( Abbe and Crafts,
1939, Huber, 1958, Evert, 1963),ヒノキにおいて
もその存在が確認されている(南光,1982).
写真 11 木部および師部の横断面
(a:剥皮後の年輪,b:師部,c:師部(矢
印は傷害樹脂道,d:外樹皮(矢印は周皮))
ヒノキの師部には正常樹脂道は存在せず,傷害
樹脂道のみが存在する(山中,1984).また,冬
季に障害を受けた場合,傷害樹脂道は前年および
前々年に形成された師部で形成される(Kuroda,
1998).そのため本研究では,剥皮処理が組織形成
に影響を与える可能性がある形成層から 1-6 年輪
目を剥皮処理後の師部,より外側の 7-10 年目を剥
皮処理前の師部とした.
すべての試料の師部には内樹皮と外樹皮が存在
し,年輪構造も認められた(写真 11b).内樹皮の
年輪数は最大で 15 年輪,最小で 10 年輪,平均で
13.25 年であった.外樹皮が存在し,くわえて内
樹皮の年輪が少なくとも 10 年輪以上存在したこ
とから,檜皮採取による剥皮処理では外樹皮は完
全には除去されず,内樹皮がすべて残存している
ことが示された.檜皮採取の際に甘皮を残して剥
皮するという表現が用いられるが,これは 10 年
輪以上の内樹皮と数年輪以上の外樹皮が残存する
写真 12 木部および師部の顕微鏡写真
(a:ヘラをいれた痕跡と観察用試料採取位
置,b:処理前後の年輪,c:樹脂滲出跡と
観察用試料採取位置,d:処理前後の年輪)
状態を表していると考えられる.
内樹皮の全年輪幅の平均は 0.23mm であった.各供試木の処理前後の年輪幅を表4に示す.
剥皮処理の直接的な影響が考えられる 5,6 年輪において年輪幅の顕著な変動は認められな
かった(図5).また,剥皮処理前後での年輪幅は,剥皮処理木,対照木いずれにおいても明
確な変化は認められなかった(表4).コルクガシの師部では年輪構造が存在し,その年輪幅
は気候条件に依存することが報告されている(Caritat et al., 1996, 2000).しかし,本研究の
結果では師部の年輪幅の顕著な変動は認められず,木部と比較しても年輪幅はきわめて安定
していたことから,師部形成においても檜皮採取による剥皮処理は大きな影響を及ぼさない
と考えられる.
一般に荒皮の厚さは 8∼10mm であると報告されている(八木ら 2000,吉備古建築修復資
材調査検討委員会 2001).本研究での内樹皮の平均年輪幅は 0.23mm である.檜皮の採取間
隔を 10 年としても,新たに形成される外樹皮幅は最大 2.3mm 程度となるため,荒皮には形
成後 10 年以上を経過した部位が多く含まれると考えられる.樹皮は菌や昆虫による傷害の
危険に常にさらされており(Biggs et al., 1984, Francesch, 2000),外樹皮が長年剥離しない状
態では,何らかの原因により外樹皮の材質の劣化がおきる確率が大きくなり,そのために荒
皮からの檜皮材の生産歩留まりが低下するのではないかと考えられる.
表4
処理前後の師部の年輪幅
すべての供試木の師部のいずれか年輪に傷害
樹脂道の形成が認められた(写真 11c,矢印).上
述したように剥皮処理から数年たった樹幹には
樹脂滲出跡が観察されたが,この樹皮に形成さ
れた傷害樹脂道からの樹脂成分の滲出であると
思われる.ただし,この傷害樹脂道は,剥皮処
理の有無にかかわらずすべての供試木に形成さ
れていること,処理後 1 年輪目の師部には傷害
樹脂道が観察されなかったことから,樹脂道形
成が檜皮採取による影響ではない可能性もあり,
今後検討を要する.
形成層帯までヒノキの樹皮を剥皮した場合,
図5
処理前後の師部の年輪幅の変動
形成層や内樹皮にカルスを生じ,傷害組織が形成される(Kusumoto and Suzuki, 2003).また
異常肥大したヒノキでも木部での傷害組織の形成が報告されている(Yamanaka, 1985).しか
し,本研究では,上述したように剥皮処理木の木部に傷害組織の形成は認められず,また偽
年輪の出現頻度も処理木と対照木とで違いが認められなかった.さらに,Kuroda and Shimaji
(1983)によると,ツガ(Tsuga sieboldii)の形成層帯に物理的に傷害を与えた場合,傷害組織
が形成されることが報告されていが,本研究ではヘラを挿入した位置である剥皮開始部位や
樹脂滲出部位においても組織構造の変化が認められなかった.以上のことから,檜皮採取に
よる剥皮処理は形成層に大きな障害を与えず,異常組織の形成を引き起こさないことが示唆
された.
内樹皮に傷害処理を施した場合,傷害組織の形成(Stoobe et al., 1992, Kusumoto and Suzuki,
2003)やエチレンの生成(Yamanaka, 1983, 1984)が報告されている.剥皮処理試料の周皮に
おける傷害や外樹皮の細胞形態の変化も認められず(写真 11d),対照木の試料のそれと比較
して形態的に大きな違いはなかった.これらのことから,外樹皮のみ採取する檜皮採取では,
その後形成される外樹皮にも傷害を与えない可能性が示唆された.
4.おわりに
世界の各地でこれまで樹皮が様々な用途で資源として利用されてきたが,その利用は主に
内樹皮の繊維を用いて敷布や衣服を作ることであった(Kozlowski and Pallardy, 1997, 福岡
1995).樹木を伐採せず生きたまま定期的に外樹皮を剥皮して利用している例はコルクガシ
(Quercus suber)によるコルクの生産(Kramer and Kozlowski, 1979)を除くと檜皮の利用だ
けである.伝統文化の継承という意義だけでなく,森林資源の循環利用という観点からも檜
皮採取が継続されることが望まれる.
1000 年以上の長期にわたって「檜皮葺き」という伝統技術が継承されてきた理由として,
檜皮材が耐久性等で非常に優れた材料であることに加え,採取によって有用建築材を産出す
るヒノキの木部形成へは影響をあたえずに繰り返し採取できる点が挙げられる.本研究では,
檜皮採取は多くの生きた細胞からなる形成層帯および内樹皮へはほとんど傷害を与えず,や
にすじ等の傷害組織は木部には形成されないこと,日焼け等の材色の変化は認めらないこと,
肥大成長は抑制されないことなどが示唆され,檜皮採取技術はすぐれた技術であることを支
持する結果を得た.ただし,今回の剥皮処理は熟達した原皮師によるものであり,採取作業
従事者の技能によってはその後形成される材に影響をあたえる可能性もある.原皮師の一層
の技術の向上が求められるのはいうまでもないが,今後は様々な技術水準にある原皮師によ
る剥皮が材におよぼす影響についても評価する必要があろう.
引用文献
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