-1- 日本語の小説における人称の表現と文体 野村 眞木

日本語の小説における人称の表現と文体
野村
眞木夫
「 人 称 」 と い う 語 は , 田 中 義 廉 ( 1874 ) 『 小 学 日 本 文 典 』 や 中 根 淑 ( 1876 ) 『 日 本
文 典 』 な ど で 導 入 さ れ た 。そ れ ぞ れ オ ラ ン ダ と イ ギ リ ス の 文 典 に 基 づ き , 教 科
書として用いられた。言文一致運動の中でも人称の範疇が運用され,物集高
見 ( 1902 )「 言 文 一 致 の 不 可 能 」 は , 人 称 と 敬 語 の 使 用 が 「 会 話 文 」 と 「 記 録 文 」
の差異と相関することを主張する。田山花袋,中村武羅夫,宇野浩二らは,
私 小 説 に 関 す る 議 論 の な か で 「 一 人 称 小 説 ・ 三 人 称 小 説 」「 心 境 小 説 ・ 本 格 小
説 」「 主 観 的 描 写 ・ 客 観 的 描 写 」 の 関 係 に 言 及 し た 。
そ の 田 山 花 袋 の 『 蒲 団 』 の 語 り に つ い て , 鈴 木 登 美 ( 2000 ) 『 語 ら れ た 自 己 』
は,自由間接話法で英訳するしかない文も,日本語の原文では内的独白に似
ていると指摘し,人称の範疇が話法と関連することを明記している。
このことは人称制限の問題と密接な関係がある。人称制限とは,感情・感
覚形容詞や思考動詞を述語とする文が,日常談話でどの人称を感情や思考の
主 体 と す る か に 応 じ て 用 法 に 制 限 の あ る 現 象 で あ る 。 Kuroda ( 1973 ) “ Where
Epistemology, Style and Grammar Meet. ” は , こ の 現 象 を 「 報 告 文 体 」 と 「 非 報 告 文 体 」 と
を 識 別 す る 根 拠 と し た 。 Kuroda の 非 報 告 文 体 で は 人 称 制 限 が 解 除 さ れ , こ の 文
体は体験話法のより一般的な性質をになうとされている。
さらに鈴木孝夫,亀井秀雄らの研究も参照しながら,日本語の小説の文体
に関する問題を,人称の観点から検討する。まず,日本語の小説の地の文に
使用される人称表現は,次のように整理することができる。
人称
1人称
2人称
人称名詞
人称名詞
3人称
固有名詞
人称名詞
固有名詞
親族名称
(呼びかけ)
普通名詞
(人間名詞)
ま た ,日 本 語 の 小 説 の 地 の 文 に お け る 人 称 の 組 み 合 わ せ は 表 1の よ う に な る 。
表1
類 型 の 名 称 を ACEG と し た の は , 他 の 組 み 合 わ せ
A
C
E
G
の 可 能 性 を 予 測 し て で あ り ,1 は そ の 人 称 が 作 品 の
1人称
1
1
0
0
地の文に現れ,0 は現れないことを意味する。
2人称
1
0
1
0
3人称
1
1
1
1
こ れ ま で 1 人 称 小 説 と 呼 ば れ て き た 類 型 は C,
3人称小説は G に該当する。
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A は書簡体小説と同じ人称の組み合わせであり,E は 2 人称小説の類型であ
る。一編の小説の内部で,これらの類型が変換される例も認められる。
E と G の類型で,人称制限の解除された例を願望の表現について示すと,そ
れ ぞ れ ( 1 ) ( 2 ) の よ う で あ り , Kuroda の 非 報 告 文 体 の 規 定 に か な っ て い る 。 親 族
名 称 は , 中 心 的 な 人 物 で あ る 「 お 前 」「 彼 」 と の 関 係 で 選 択 さ れ て い る 。
(1)お 前 は , 娘 が 帰 っ て き た と い う 安 堵 よ り , こ れ ま で ど う 過 ご し て き た
かを,まず知りたかった。
( 大 城 『 カ ク テ ル ・ パ ー テ ィ ー 』)
( 2 ) 本 当 は 彼 は 弟 と 胸 襟 を ひ ら い て 語 り た か っ た 。( 北 『 楡 家 の 人 び と 』)
このようにとらえてくると,問題は次のように理解されよう。
日本語における人称表現の選択,作中人物の関係性,人称制限とその解除,
人称の組み合わせの類型が,小説の文体を構築する要因として,どのように機
能し効果をもたらすか,語り,語り手の範疇とどのように関係するか。
本 報 告 で は , ACEG 四 つ の 類 型 の 近 現 代 小 説 を 取 り 上 げ て , 上 記 の 問 題 を 検
討した。要点は,次のとおりである。
地の文における人称表現の選択について,今回の資料では,1 人称の指示に
は人称名詞が選択されている。2 人称の指示には,人称名詞のほか,呼びかけ
の表現に固有名詞が使用される。3 人称の指示には,中心的な人物に人称名詞
が使用されやすく,固有名詞がこれにつぐ。親族名称は,中心的なあるいは焦
点化された人物からの関係として使用されやすい。普通名詞は共感度の低い人
物に使用されやすい,などが観察できる。対人関係と作中人物の相互関係に応
じてこれらの階層化が仮定されるが,さらに検討を要する。
小説に 2 人称を導入すると,語り手が前景化され,作中人物,読み手などを
巻 き 込 む コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 枠 組 み を 構 築 す る 効 果 が 生 ま れ る 。 (3)は 語 り
手 か ら の 呼 び か け の 表 現 を 含 む 。 (4)は 列 車 が 京 都 に 到 着 す る 直 前 の 描 写 で あ
り,唯一の 2 人称者に限定されない総称的に共有される情報を表現する。
(3)原 口 統 三 。
きみは二十五日の夕方,渋谷に出てどこに行ったのか?
( 清 岡 『 海 の 瞳 』)
(4)立 ち あ が つ て あ な た は 棚 の 旅 行 鞄 を お ろ し 時 刻 表 と 手 帖 を い れ る , 窓
の外に灰色の民家がみえはじめる………
( 倉 橋 『 暗 い 旅 』)
この効果は読み手による共感度にも左右されることが予測され,人称制限,
自 由 間 接 話 法 ( 描 出 表 現 ), ダ イ ク シ ス や 自 己 観 察 ・ 他 者 観 察 , 総 称 指 示 の 問
題とも関連性が高く,小説の文体にかかわる新たな課題として位置づけること
ができる。
―のむら
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まきお・上越教育大学―