リーベ・びわこ成蹊スポーツ大学・協同研究報告書

第1章
緒言
子どもたちのライフスタイルの乱れにより、身体に様々な問題が生じている。特に、
1980 年代と比較し、運動能力の低下が指摘されている1,2)。文部科学省が行っている「体
力・運動能力調査」4)によると、1998 年以降からゆるやかな回復傾向が続いてきたが、
スポーツを“する子ども”と“しない子ども”の体力・運動能力調査における “二極化”
が報告されている。また、幼児期における運動能力調査によれば、1997 年以降は低下し
た状態のまま安定し、その結果から 3~6 歳にかけて、基本的動作が定着するということ
を結論付けている 13)。つまり、子どもの体力低下問題は児童期や青年期だけの問題では
なく、幼児期からすでに始まっていると考えられる。
2008 年に改定された幼稚園教育要領 5)には、運動能力の低水準化など、近年における
子どもの健康問題への指摘を踏まえ、領域「健康」の内容の取扱いにおいて、
「十分に体
を動かす気持ちよさを体験し、自ら身体を動かそうとする意欲が育つようにする」が追
記された。それにより、幼児教育、保育現場において子どもの運動能力の低水準化が教
育上の問題として認知されているであろう。
幼児期はスキャモンの発育曲線にも示されているように、神経系の発達が著しい時期
である。小林 6)は、この時期に調整力を伸ばすことが、幼児期において好ましいと述べ
ている。また、神経系の発達が著しい幼児期には、完成された特定の運動よりも多種多
様な運動遊びを体験する事が運動能力の向上に繋がると示唆されている
12)
。桑田ら 7)は、
幼児の遊びにおいて、遊具は重要な位置を占め、身体及び情緒の発達に大きな役割を果
たすと述べている。しかし、遊具には事故の問題があり、これを幼児の行動が自己中心
的・衝動的であることによるとしている。
そこで筆者は、
「ドイツ製遊具」について着目をした。松野 8)は、世界で最も早く遊具
の安全規準を整備したのはドイツであり、日本では 2002 年に㈳日本公園施設業協会
(JBFA)による数値規準が発表されたのに対して、ドイツでは 1978 年に「DIN7926」と
して遊具の安全規格が誕生していると述べている。DIN 規格とは、ドイツ規格協会
1
(Deutsches Institut fur Normung)が制定するドイツ国内のみならず、国際的に広く
参照される、権威ある規格である。また、跳び箱や、平均台など本学にもドイツ製器具
が多くあり、それらの有効性が明確になることは大変意義深い。
そこで本研究では、L 社の協力のもと、ドイツ製遊具を用いた運動遊びを継続的に行
い、運動遊びプログラムの実施前後で、幼児の運動能力に及ぼす影響について検証する
ことを目的とした。
第2章
研究方法
1.対象
被験者は大津市のK保育園に所属する 5 歳児(男 16 名、女 12 名)合計 28 名である。
2.方法
測定項目は MKS 幼児運動能力検査に掲載されている
6 種目のうち「25m走」「両足連続跳び越し」「捕球」
の 3 種目とした。具体的な測定方法は以下の通りであ
る。
図 1
測定の様子
・スタートラインを踏まないようにして、「用意」の
姿勢をとらせる。
25m
・「ヨーイ、ドン」の合図でスタートさせる。
・コーンを 30m のゴールラインのところに置き、そこ
30m
図 2-1
25m走
まで全力で走らせる。
・1 人ずつ走らせ、記録は 1 回だけ行う。
2
ゴールライン
20cm
・「ヨーイ、ドン」の合図で、両足を揃えてつけ、
10 個の積木(幅 5cm、高さ 5cm、長さ 10cm)を
連続して跳び越す。
450cm
・2 回計測を行い、良い方の値を代表値とし、1/100
秒単位は切り捨てる。
50cm
20cm
スタートライン
図 2-2
両足連続跳び越し
・一方のラインの外側に子どもを立たせ、測定者
は反対側のラインに立つ。
170cm
・ひもの上を越してボール(直径 12~15 ㎝、重
さ約 150g)を下手投げで山なりに投げる。
300cm
150cm
・10 球中、捕球できた数を記録する。
図 2-3 捕球
3.運動遊びプログラム
運動遊びプログラムは、40 分/回、1 回/週程度、合計 3 回行われた(表 1)。事前に
体操などはされず、すぐにプログラムが行われていた。子どもたちの活動を観察、撮影
した。プログラム終了後は、積極的にコミュニケーションをとり、活動の意図やねらい
を明確にするようにした。また運動能力の優劣に関わらず、どの幼児も楽しみながら身
体を動かせるような工夫がされていた(図 3、4)
。
3
4.分析
各種目について、運動遊びプログラムの実施前と実施後における幼児全体、男女別の
運動能力の平均の比較、また、運動遊びプログラム実施後に行った測定結果を運動能力
判定基準表(表 2)を用い、2008 年の全国規模調査の対象となった幼児(以下、全国調
査群とする)との評定点の平均の比較をそれぞれ行った。
運動遊びプログラムの実施前と実施後の結果についての統計には、解析ソフト SPSS
Statistics 19 を使用し、対応のあるサンプルの t 検定を用いた。
表 1
L 社の運動遊びプログラム
図 3 運動遊びプログラムの様子
図 4 運動遊びプログラムの様子
4
表 2
種目
25m走
評定
5 歳後半(男)
運動能力判定基準表
5 歳後半(女)
6 歳前半(男)
6 歳前半(女)
6 歳後半(男)
6 歳後半(女)
~5.5
~5.0
~5.5
5
~5.6
~5.8
~5.3
4
5.7~6.1
5.9~6.2
5.4~5.8
5.6~6.0
5.1~5.5
5.6~5.9
3
6.2~6.7
6.3~6.9
5.9~6.4
6.1~6.5
5.6~6.0
6.0~6.4
2
6.8~7.5
7.0~7.7
6.5~7.0
6.6~7.3
6.1~6.7
6.5~7.1
1
7.6~
7.8~
7.1~
7.4~
6.8~
7.2~
~4.1
~3.7
~4.0
5
~4.1
~4.2
~4.0
4
4.2~4.9
4.3~5.0
4.1~4.6
4.2~4.7
3.8~4.5
4.1~4.6
3
5.0~5.8
5.1~5.8
4.7~5.4
4.8~5.6
4.6~5.3
4.7~5.3
2
5.9~8.0
5.9~7.5
5.5~6.7
5.7~6.6
5.4~6.6
5.4~6.3
1
8.1~
7.6~
6.8~
6.7~
6.7~
6.4~
5
-
10
-
-
-
-
4
9~10
8~9
10
9~10
10
10
3
6~8
5~7
7~9
7~8
8~9
8~9
2
2~5
2~4
4~6
3~6
4~7
4~7
1
0~1
0~1
0~3
0~2
0~3
0~3
両足連続
跳び越し
捕球
第3章
結果と考察
R 社による運動遊びを定期的に行うことが、幼児の運動能力の発達に寄与するのであ
れば、実施前の結果よりも実施後の結果の方が優れていると推測できる。また、運動指
導のある全国調査群と比較しても優れているのであれば、ドイツ製遊具を用いた R 社の
運動遊びプログラムの効果が高かったと考えられる。
5
(
「25m走」については、運動遊
)
7
秒
びプログラムの実施前の全体にお
6.8
ける平均は 6.51±0.8 秒、実施後
6.6
実施前
6.4
実施後
は 6.67±0.6 秒となり、有意な差
6.2
は認められなかった。また、男児
6
全体
男児
における実施前の平均は 6.55±
N.S
女児
1.0 秒、実施後の平均は 6.75±0.7
図 5
25m 走
全体および男女別の平均
秒、女児における実施前の平均は
6.45±0.4 秒、実施後は 6.56±0.3 秒であり、いずれも有意な差が認められなかった。
この要因として、実施前と実施後でのグラウンド状態の変化があげられる。実施前は平
坦な地面だったのに対し、実施後の測定場所は、凹凸や前日の悪天候になど、地面のコ
ンディションも悪い状態であ
(
)
6秒
**
*
*
った。そのため、記録が下が
5.5
ってしまったと考えられる。
実施前
5
「両足連続跳び越し」では、
実施後
運動遊びプログラムの実施前
4.5
*p<0.05
4
**p<0.01
全体
男児
図 6 両足連続跳び越し
女児
の全体における平均は 5.29±
1.0 秒、実施後は 4.62±0.9 秒
全体および男女別の平均
となり、1%水準の有意な差が
認められた。また、男児にお
ける実施前の平均は 5.36±1.2 秒、実施後の平均は 4.68±1.1 秒、女児における実施前
の平均は 5.21±0.6 秒、実施後の平均は 4.54±0.6 秒であり、男女ともに 5%水準の有
意な差が認められた。
「両足連続跳び越し」は敏捷性が必要な種目である 77)。また、敏捷
性を助長する運動の種類として、走る、身をかわす、はう等が挙げられる。R 社の運動
遊びプログラムを見ると、敏捷性を助長する運動が多く含まれていた。田中
6
77)
は、
「運動
遊具の操作技能の獲得は、運動能力を基盤としている」と述べている。つまり、運動遊
具を操作することで、運動能力が向上するということである。L 社の運動遊びプログラ
ムの中では、「ペダロ乗り」がそれにあたる。「ペダロ乗り」は、L 社の運動遊びプログ
ラムの中で、唯一の運動遊具を用いた遊びであり、他の遊びと比べて活動意欲が高くな
ったと考えられる。また、
「ペダロ乗り」は運動遊びプログラム全体の 3 割以上に相当す
るものであったため、記録が伸びたと推察される。
(
回
10 )
「捕球」では、運動遊びプロ
**
**
**
グラムの実施前の全体における
9
平均は 5.3±2.5 回、実施後は
8
8.1±2.0 回となり、1%水準の有
7
6
実施前
5
実施後
4
3
全体
図 7 捕球
男児
女児
**p<0.01
意な差が認められた。また、男
児における実施前の平均は 5.6
±2.5 回、実施後の平均は 8.1±
2.4 回、女児における実施前の平
全体および男女別の平均
均は 4.8±2.5 回、実施後の平均は
8.2 回±1.5 であり、男女ともに 1%水準の有意な差が認められた。特に、実施前では女
児の平均は男児の平均よりも下回っていたが、実施後には男児を上回り、大きく伸びて
いた。しかし、合計 3 回の運動遊びプログラムの中で、ボール遊びが組まれていたのは、
最後の 10 分程度である。このことから、ボール遊び以外の遊びについても捕球動作の向
上に有効だということが示唆される。「捕球」は協応性が必要とされる種目である 77)。R
社の運動遊びプログラムにおいて、姿勢変化や身体の移動にともなう全身運動を通して
協応性が高まり、捕球動作の向上につながったと考えられる。
7
「25m 走」では、全国調査群の平均
5
4
点
3
は男児が 3.01 点、女児が 2.99 点に
3.01
2.25
2.99
2.75
2
対し、K 保育園の平均は男児が 2.25
全国
K保育園
1
点、女児が 2.75 点となり、男女とも
に全国調査群よりも下回った。
0
男児
図 8
25m 走
女児
評定点の平均との比較
「両足連続跳び越し」では、全
5
4
3
3.75
2.96
3.92
国調査群の平均は男児が 2.96 点、
2.99
女児が 2.99 点に対し、K 保育園の
全国
点
2
K保育園
1
平均は男児が 3.75 点、女児が 3.92
点となり、男女ともに全国調査群
0
男児
図 9 両足連続跳び越し
よりも上回った。本研究で測定を
女児
行った 3 種目の中で、最も全国調
評定点の平均との比較
査群と大きな差が開いた。
8
「捕球」では、全国調査群の平均
5
4
3
点
3.19
2.97
は男児が 2.97 点、女児が 3.06 点に
3.5
3.06
対し、K 保育園の平均は男児が 3.19
全国
2
K保育園
点、女児が 3.50 点となり、男女とも
1
に全国調査群よりも上回った。全国
0
調査では、年齢が上がるごとにより
男児
女児
多くの数を捕球できる割合が高くな
図 10
捕球
っている。
評定点の平均との比較
以上のことにより、男女とも「両足連続跳び越し」、「捕球」の 2 種目に R 社の運動遊
びプログラムの有無に有意な効果が見られた。
しかし、幼児の運動能力の発達を助長するためには、30~40 分/日、5~6 回/週、動
きに変化のある走運動や動きの多いボール運動を継続する必要がある
9,10)
。本研究にお
ける運動遊びプログラムは、実施時間と頻度がそれぞれ 40 分/回、1 回/週程度で合計
わずか 3 回であった。このことから、運動遊びプログラムが幼児の運動能力の発達を助
長する時間的条件を満たしているとは、考え難い。
一般的な運動指導は、
「マット」や「跳び箱」などの遊びが挙げられる。そのような遊
びには、できない幼児がいたら、その幼児は退屈な時間になってしまうという欠点が見
られる 11)。しかし L 社の運動遊びは、できる、できないだけを評価するのではなく、友
達と協力し合うことや、思いやる気持ちを評価する場面がたくさんあった。そのため幼
児全体が楽しみながら体を動かすことができ、運動能力向上につながったと考えられる。
第5章
まとめ
9
本研究では、ドイツ製遊具を用いた運動遊びプログラムが 5 歳児の運動能力に及ぼす
影響について検証し、以下の結果が得られた。
1.男女ともに「両足連続跳び越し」、
「捕球」について運動遊びプログラムの有無に有意
な差が認められた。また、全国調査群の「運動指導あり」と比較しても平均は高かった。
2.男女ともに「25m 走」について運動遊びプログラムの有無に有意な効果が認められな
かった。また、全国調査群の「運動指導あり」と比較しても平均は低かった。
3.走る、跳ぶ、転がる、回るなど、さまざまな運動が組み込まれた運動遊びプログラム
を定期的に行うことが、幼児の運動能力の発達に寄与する可能性が示唆された。
第6章
今後の課題
本研究は幼児期に形成される運動能力と運動遊びプログラムの関連を直接的に検証し
たものではない。そのため、運動能力の測定結果から分析を行うのではなく、幼児の実
態を知るために園へのアンケート調査を行う必要が考えられる。例えば、園庭等施設の
広さ、運動施設・用具・遊具の種類、運動実施状況など、さまざまな観点から全国の子
どもたちと比較する必要がある。また、担任へのアンケートではクラス園児の普段の様
子や、保護者へのアンケートでは、兄弟の人数、運動経験、習い事、生活習慣等の調査
を行うことで、他の観点から運動能力に関する分析ができると考える。今後は運動遊び
プログラムだけでなく、保育所または幼稚園における幼児の日常生活にも目を向け、そ
れらを通して獲得する運動技能を質的または量的に検証し、幼児の運動能力との関係性
について明らかにしていく必要がある。また、遊具を用いた運動指導と幼児の運動能力
10
の関係性について、質的あるいは量的に検討していく必要がある。
以上のことを本研究における今後の検討課題として、分析、解明する必要があると考
えられる。
引用・参考文献
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発達
1
子どもと発育
pp.128-132
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http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/021001.htm
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10)石河利寛
科学、15
高田典衛
第 2 版 pp.155-159
小野三嗣ほか(1987)調整力に関する研究成果のまとめ
体育
pp.75-87
6)小林寛道(1990):幼児の発達運動学,ミネルヴァ書房,pp.100-138
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山田満
矢田努(1997):幼児施設の園庭遊具における事故とその安全性
ランドスケープ研究
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8)松野敬子:日本の遊び場の安全対策の変遷と課題、関西大学大学院
社会安全学科
http://www.kansai-u.ac.jp/Fc_ss/common/pdf/bulletin001_07.pdf
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に関する研究
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中九州短期大学論
11)杉田隆
吉田伊津美
30
pp.77-86
森司朗ほか(2010):幼児の運動能力と運動指導ならびに性格
11
との関係
体育の科学
60
5)幼稚園教育要領(2006)
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文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/you/you.pdf
9)秦泉寺尚
中間千恵子
リキュラムの効果
古宮美智子(1984):保育園児の調整力向上に及ぼす体育カ
宮崎大学教育学部紀要
芸術・保健体育・家政・技術、55
pp.73-89
謝辞
本研究の実施にあたり、測定に協力していただいた保育園年長児、また園長先生をは
じめ、諸先生方、そして L 社に心より感謝いたします。また、日常の議論を通じて多く
の知識や示唆を頂いた谷川研究室の 4 回生の皆様に感謝します。
最後に谷川直己準教授には、懇切丁寧なご指導を賜り、ここに心から感謝の意を表し
ます。
12