1.5 表面張力を測る

1.5 表面張力
1.5
執筆者
担当
矢野陽子
表面張力を測る
学習院大理
矢野陽子
原稿枚数:推定 7 枚
図表原稿枚数:11 枚
1.5.1
はじめに
表面張力というと,コップの縁に盛り上がった液体を想像するだろう.水やお酒で
その盛り上がり方の違いを比較したことがあるだろうか?実際,お酒は水ほど盛り上
がらないのだ.つまりアルコールは水より表面張力が小さい.それは何故だろうか?
今,分子レベルで液体を眺めてみると図 1.5. 1 のようになる.液体の内部と表面で
不安定
安定
図 1.5. 1
液体の表面と内部
は,内部にある分子は周囲を他の分子で囲まれているのに対し,表面にある分子はそ
うではない.すなわち表面の分子の方がエネルギー的に不安定な状態にあると言える.
表面の面積を増やすには液体内部にある分子を表面に押し出さなければならないが,
その際,単位面積あたりに増加するエネルギーが表面張力の正体である.言い換えれ
ば,表面張力とは表面 1cm2 に存在するギブスの自由エネルギーのことである.このよ
うに表面張力は分子間相互作用と配位数に依存するから,水素結合ネットワークを持
つ水は,他の分子性液体に比べて非常に大きくなる.
a.
リング法
さて,表面張力を測るには様々な方法があるが,ここでは比較的簡単で精度の良い
リング法について取り上げる.図 1.5. 2 のようにリングを液体に浸した後,液体をゆ
1
1.5 表面張力
担当
矢野陽子
っくりと引き下げる.リングは表面張力のためにすぐには離れようとしない.その時
のリングにかかる力 P を測定することで表面張力 γ を求めることができる.

P
4R
5- 1
R はリングの半径である.液膜はリングの内外
に生じるから,その長さはリングの周囲×2 で
(4πR)になっている.図 1.5. 3 は 27℃の水とエ
タノールについて,液面の高さを変えた時のリ
ングが液体を引っ張る力の変化の様子を示した
図 1.5. 2
リング法
ものである.これは電子天秤の台下から線径
2r=0.3 mm, 環径 2R=13.5 mm の白金リングを吊るし,試料液体を自動ステージの上に
載せて一定速度で下げながら,電子天秤の値をコンピュータに取り込んで得た曲線で
ある.リングが液面を引っ張る力は液面高さを下げるにつれて大きくなり,最大値を
とった後いったん減少してから 0g 重,すなわちリングから液体が離れる.この時リン
リングが引く力 / g重
グが引っ張る液体の形状は挿入図のように変化する.
0.6
PW
水
エタノール
0.4
0.2
0
PE
-4.0
図 1.5. 3
-3.0
-2.0
-1.0
液面の高さ z / mm
リングが液面を引く力の変化
2
0
1.5 表面張力
担当
図 1.5.3 キャプション続き
矢野陽子
液面をリングから引き離そうとした(液面の高さを 0 から
マイナス方向に変化させた)時の力の変化を測定したもの
Harkins & Jordan は,引き上げられた液膜の形状が一定ではなく,リングの半径 R
と針金の線径 r,液体の密度および表面張力に依存するとし,毛管法で得られた表面
張力とリング法で得られる引張りの力の最大値 P を比較することで補正因子 f (R3/V,
R/r)(表 1)を得た1.ここで V は最大値 P をとる時に引き上げている液体の体積であ
る.よって実際に表面張力は,

P
4R
 R3 R 
f  , 
V r
5- 2
で求められる.この場合,R/r=45 であるが,表 1 に R/r=45 の列はないから,44 と 46
の値を平均して用いる.また引き上げた液体の体積は液体の密度 ρ を用いて V=P/ρg
で 計 算 す る こ と が で き る か ら , 水 の 場 合 VW=0.6345cm3 , エ タ ノ ー ル の 場 合
VE=0.2639cm3 となる.よって表 1 から,水の場合(R3/VW=0.485)は補正値 f=0.984,
エタノールの場合(R3/VE=1.165)は f=0.905 を読み取る.表から補正値を読み取る際
には,R3/V の関数として多項式近似すると便利である(Excel を使った近似曲線の求
め方は「3.6
コンピュータを実験に使う」を参照のこと).これより γW=72.1 mN/m,
γE=21.8 mN/m を得る.
b.
溶液の表面張力
水とエタノールでは,水のほうが表面張力が大きいことは前に述べた.では,両者
を混合したら,表面張力はどうなるだろうか?純水に少しずつエタノールを混合して
いくと,表面張力は急激に減少する.なぜなら,表面張力の小さなエタノールが選択
的に表面を覆ったほうが表面エネルギーが小さくなるからだ.このような現象を表面
吸着または表面過剰と呼び,混合すると表面張力が下がるエタノールのような分子を
界面活性剤と言う.逆に NaCl を純水に混合すると表面張力は高くなる.このような
物質は界面不活性物質という.
ギブスの吸着等温式
3
1.5 表面張力
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21  
1
RT
  


ln
a

2 

矢野陽子
5- 3
を用いると,水溶液中のエタノールの表面過剰量Γ21 が求まる.この場合,式中1は
水,2はエタノールを表している.a2 は水溶液中のエタノールの活量である.表面過
剰量Γ21 の意味は図 1.5. 4 を使って説明することができる.図はエタノール水溶液の
深さ方向 z に対する数密度分布 n(z)を表している.実線は水溶液中の水,破線はエタ
ノールの数密度分布である.水の密度分布は z=0 でのみ急激に変化する減少関数だが,
エタノールは z>0 でピークを持つ.これはエタノール分子が気-液界面に過剰に集ま
っていることを意味する.エタノールの水に対する表面過剰量Γ21 は,ちょうど図の
色を塗った部分の面積に相当する.
z
気体
数密度 n(z)
0
液体
nE
図 1.5. 4
nW
エタノール水溶液の数密度分布
この実験ではエタノール水溶液の表面張力を測定し,エタノール分子の表面過剰量
の濃度変化を求める.
1.5.2
用意するもの
試薬: 純水(蒸留水),エタノール
器具: 白金リング(中村理科機器,線径 2r=0.3 mm, 環径 2R=13.5 mm),電子天秤(ザ
4
1.5 表面張力
担当
矢野陽子
ルトリウス,CP124S, 最少表示 0.1mg,台下秤量可能),シャーレ(直径 8cm 程度),
z ステージまたはラボジャッキ
1.5.3
装置
実験装置概念図は図 1.5. 5 のよう
である.ザルトリウス社の秤量 12kg
以下の天秤には,台下秤量フックが
標準装備されている.天秤の底にあ
るカバープレートを開けてフックに
白金リングを吊るすための針金また
は糸を取り付ける.天秤は中心に白
金リングを吊るすための穴を開けた
安定した台の上に設置する.適当な
台がない場合は,アングルを使うと,
図 1.5. 5
表面張力測定装置
好みのサイズの台を安価で製作する
ことができる(「3.5 いろいろな工作」参照のこと).天秤の背面についている水準器
を見ながら,天秤の足の高さを調整して水平にする.白金製のリングを天秤の台下に
水平に釣り下げる.リングが白金製である理由は,液体との接触角を 0 に近づけたい
からである.リングを自作する場合は,白金線を円筒形のものに巻き付けて,できる
だけ平らな円形にすること,継ぎ目はスポット溶接または半田(「3.5 いろいろな工作」
参照のこと)で接続するのが良いが,紙やすりを使って突起部分を無くすことが重要
である.また R/r~50 程度にすると補正値 f が 1 前後になって良い.液体はシャーレ
に入れて高さ調節可能なステージ(例えばラボジャッキ)の上に載せる.液面がカー
ブしないようにシャーレは直径 8cm 程度の大きめのもの,また表面の波立ちを押さえ
るためには,液体をあまり深く注ぎいれないほうが良い.白金リングを静かに液面に
浸し,ラボジャッキをリングが離れるまでゆっくり下げて,リングが液体を引っ張る
力の最大値 P を天秤により測定する.この際,リングが液面に対して 1 度傾くと約 0.5%,
2 度で約 1.5%の誤差が表面張力の値に出るので注意する.
5
1.5 表面張力
1.5.4
担当
矢野陽子
実験
表面張力の測定の際には,試料液体が接触する器具の洗浄にもっとも気を遣わねば
ならない.なぜなら,1.5.1b.
で見たように,わずかな汚れが界面活性剤あるいは界
面不活性剤として働いてしまうからである.白金リングは使用する前に火であぶる.
ガラス器具は洗剤で洗浄後,蒸留水で洗い,その後乾燥する.もちろん洗浄後,素手
で触れることは禁物である.
表面張力の大きな水は,ほんのちょっとの不純物に対して敏感に値が変化するため,
試料にはイオン交換水ではなく蒸留水を用いる.モル分率 xE の異なるエタノール水溶
液を作る.特に xE<0.2 で表面張力が大きく変化することを考慮して濃度配分を考える
と良い.溶液の作製には,水およびエタノールの密度を考えて,ある体積比で混合し
たものを後でモル分率に換算すれば簡単だが,混合後の体積は,各々の体積の和にな
らないことに十分注意するa.
電子天秤に白金リングをつるした状態でテア(風袋除去)ボタンを押す.試料液体
をシャーレに入れ,ラボジャッキに載せて白金リングの下に置く.液体が波立たない
ように,ラボジャッキを静かに上げて白金リングを液体に浸す.その後ゆっくりとラ
ボジャッキを下げ,リングが液面を引っ張る力の最大値を読み取る.リングは液面に
対して始終水平になっていることが重要である.測定は少なくとも 3 回ずつ行う.な
お,試料にホコリなどが入ると値が変化するので,測定しない間は試料容器に蓋など
をかぶせておいた方がよい.
1.5.5
結果
エタノール水溶液の表面張力2は図 1.5. 6 のようになった.エタノールのモル分率
xE の増加につれて 0.2 までは急激に,それ以降はゆるやかに減少している.
a
エタノール水溶液中のエタノールの部分モル体積は,xE=0.08 で最低値をとる.つま
り,例えばエタノール 30ml と水 70ml を混ぜた溶液は 100ml にはならず,97.3ml とな
る.これは,溶液中のエタノール分子と水分子の混合状態(溶液構造)が,濃度によ
って変化するためである.
6
1.5 表面張力
担当
矢野陽子
100
表面張力  / mN・m
-2
80
60
40
20
0
0
0.2
0.4
0.6
0.8
1
エタノールのモル分率
xE
図 1.5. 6
1.5.6
考察
a.
エタノールの活量
エタノール水溶液の表面張力
活量とは溶液の非理想性を表す尺度である.エタノール水溶液のエタノールの活量
aE は,蒸気圧の値を使って求めることができる.(Raoult の法則)
aE 
pE
pE*
5- 4
PE*は純粋なエタノールの蒸気圧,PE はエタノール水溶液中のエタノールの蒸気圧(表
22)である.エタノールのモル分率 xE に対する水およびエタノールの蒸気圧をプロッ
トすると図 1.5. 7 のようになる.もし理想溶液ならば,蒸気圧は各成分のモル分率に
比例し,aE=xE となる.ところがエタノール水溶液の場合は直線から大きくはずれてい
るので理想溶液とは言えない.それでも各成分が純粋状態に近づくと直線に近づく(実
線).これを Raoult の法則と呼ぶ.一方,各成分が希薄なときは,蒸気圧はやはりモ
ル分率に比例するが,比例定数は1ではない(破線).これを Henry の法則という.し
たがって,エタノールのモル分率が小さい時には活量は式(5-4)では表せないが,表
面過剰量を求めるには,式(5-3)のように自然対数をとった活量の微分量(変化量)
が必要なので,比例定数は関係ない.
7
1.5 表面張力
担当
矢野陽子
60
表面張力  / mN・m-2
50
pExE
40
30
20
pWxW
10
0
0
0.2
0.4
0.6
0.8
1
エタノールのモル分率
xE
図 1.5. 7
エタノール水溶液中の各成分の分圧
実線: Raoult の法則,破線: Henry の法
則
b.
a.
エタノールの表面過剰量
の議論より,式(5-3)は
21  
1  

RT   ln PE



5- 5
と置き換えることができる.この式を用いて,エタノールの表面過剰量を求めると図
1.5. 8 のようになる.エタノールのモル分率 xE=0.2 あたりで最大値をとっている.図
の右軸に,この値の逆数から求めた 1 分子あたりの占有面積を示した.一般にアルキ
ル鎖の断面積は 22Å2 程度(図中の一点鎖線)であるから,エタノールモル分率 xE=0.2
あたりでは,図 1.5. 9 のように,エタノール分子が表面に直立して単分子膜を形成し
ていることがうかがわれる.
8
1.5 表面張力
担当
20
0.8
2
アルキル鎖の断面積
22Å 0.6
30
0.4
40
0.2
60
80
100
0
0
0.2
0.4
0.6
0.8
1分子あたりの占有面積 / Å2
表面過剰量  / mol ・m
-2
-5
[10 ]1.0
1
エタノールのモル分率
xE
図 1.5. 8
エタノールの表面過剰量
x E~0.2
エタノール
z=0
水
図 1.5. 9
xE~0.2 におけるエタノール水溶液表面のモデル
9
矢野陽子
1.5 表面張力
1
W. D. Harkins and H. F. Jordan, J. Am. Chem. Soc. 52, 1751 (1930).
会編, 化学便覧
2
担当
矢野陽子
; 日本化学
基礎編Ⅱ, 丸善 (1993).
E. A. Guggenheim and N. K. Adam, Proc. R. Soc. London, Ser.A139, 218 (1933).
10
1.5 表面張力
担当
表 1
R 3/ V
Harkins & Jordan の補正表 1
R/r =34
44
46
0.4
0.98
1.004
1.008
0.6
0.933
0.959
0.963
0.8
0.906
0.933
0.932
1
0.886
0.916
0.92
1.2
0.871
0.902
0.907
1.4
0.858
0.891
0.896
1.6
0.848
0.881
0.886
1.8
0.838
0.873
0.878
2
0.83
0.865
0.87
2.2
0.822
0.858
0.864
2.4
0.814
0.852
0.857
2.6
0.807
0.846
0.851
2.8
0.8
0.84
0.846
3
0.793
0.834
0.841
11
矢野陽子
1.5 表面張力
担当
表 2
エタノール水溶液の蒸気圧 2
エタノールの分圧 /
エタノールのモル分率
水の分圧 / Torr
0
23.75
0
0.1
21.7
17.8
0.2
20.4
26.8
0.3
19.4
31.2
0.4
18.35
34.2
0.5
17.3
36.9
0.6
15.8
40.1
0.7
13.3
43.9
0.8
10.0
48.3
0.9
5.5
53.3
1
0.0
59
12
Torr
矢野陽子