公平な意思決定の動機付け:視線計測に基づく実験分析

公平な意思決定の動機付け:視線計測に基づく実験分析
Fairness in Decision Making : An Eye Tracking Experimental Analysis
制度設計理論(経済学)プログラム
13M43029 荒井 嶺織 指導教員 大和 毅彦
Economics Program
Neo Arai, Adviser Takehiko Yamato
ABSTRACT
There are two different models which try to explain unselfish behaviors in laboratory
experiments. In the first model due to Fehr and Schmidt (1999), each participant is
interested in the consequence of the game which consists of his own payoff and the
other participant’s payoff, but do not care about the other participant’s intention. The
second model due to Rabin (1993) assumes that each participant pay his attention to the
other participant’s intention as well as his own payoffs. To test which model is more
valid for participants’ behaviors such as the responder’s rejection in the ultimatum game,
we investigate which information participants use in sequential move games by tracing
their eye movements. We observe that most participants who move second were not
interested in what would happen if the first movers had made the other choice, so that
they did not care about the first movers’ intentions.
1.
イントロダクション
従来の経済学やゲーム理論では、自分の利得のみを気にす
る利己的なプレイヤーが仮定されてきた。しかし、経済学の
どがある。二つ目は、自分の利得に加えて、他者の意図を考
慮するプレイヤーを仮定する理論である。代表的な理論とし
て、Rabin (1993) の公平均衡の理論などがある。
実験では、利己的なプレイヤーの仮定の下では説明できない
ような結果が多く観察されている。
では経済学実験で、利己的なプレイヤーを仮定する理論で
は導かれない意思決定が行われた場合、この二種類のモデル
例えば、1,000 円を提案者 A、決定者 B の二人で分け合う
のどちらが妥当であるか。この点を明らかにするためには、
状況を考える。提案者 A は 1,000 円の配分案を決定者 B に提
被験者の意思決定の結果だけではなく、その意思決定に至る
示する。この配分案を決定者 B が受け入れれば A の配分案が
までの過程を分析することが重要である。
実現し、逆に B がこの配分案を拒否すれば二人とも 0 円、つ
本研究では、視線計測が可能な「アイトラッカー」という
まり何も得られない。このようなゲームを一般に最後通牒ゲ
装置を用いて、被験者に逐次手番ゲームの配当表を見て意思
ームという。
決定をしてもらう実験を行う。その上で、帰結のみに着目す
ゲーム理論に基づく理論予測では、提案者 A が配分案「A:
るプレイヤーの理論(Fehr-Schmidt の理論)
、他者の意図に
999 円、B:1 円」を提示し、決定者 B が受け入れると考え
着目するプレイヤーの理論(Rabin の理論)のどちらが妥当
られる。しかし、実験では、提案者 A が不公平な配分案、例
であるかを、被験者の視線の運動の分析を通じて考察、検討
えば「A:999 円、B:1 円」を提示すると、決定者 B が高い
する。
確率で拒否するということが知られている。さらに、A は B
に 400 円から 500 円を分ける配分案を提示することが多いこ
とも分かっている。
2.
アイトラッキング実験の先行研究
Devetag , Di Guida and Polonio (2013) は、被験者が二人同時
以上の結果を説明する行動ゲーム理論は、主に二種類存在
手番戦略形ゲームに直面した時に、限定合理的なヒューリス
する。一つ目は、自分の利得だけではなく、自分と他者の利
ティクスに基づいて意思決定するのか、あるいは相手の選択
得の差を意識するプレイヤーを仮定する理論である。この理
に関する自分の確信に基づいて意思決定するのかを、被験者
論では、プレイヤーは帰結(配分)のみに着目する。代表的
の情報の利用の仕方から分析している。3×3 行列の利得表が
な理論として、Fehr and Schmidt (1999) の不平等回避の理論な
被験者に提示され、その表に対する視線が分析された。利得
表の数値が複雑になると平均利得の高くなる戦略が選ばれる
4.
主に分析対象とするゲーム:ギフトゲーム
頻度が高くなることや、被験者自身の利得を比べる視線の高
本研究においては、主に<図 2>に示されているような「ギ
速移動が最も頻繁に見られることなどを実験によって明らか
フトゲーム」に着目する。配当表の右側の数値が役割 A の配
にした。その結果、多くの被験者は相手の利得を無視したり、
当で、左側の数値が役割 B の配当である。このゲームでは、
起こり得る帰結の一部しか考えなかったりすることで問題を
各プレイヤーの戦略が相手に対して配当を多く与えるか、少
単純化させるという、限定合理的なヒューリスティクスを用
なく与えるかである。つまり、自分の配当が自分の戦略に影
いていると結論付けた。
響されず、相手の選択のみに依存する。従って全ての選択の
Arieli, Ben-Ami and Rubinstein (2009) では、被験者と仮想的
組が部分ゲーム完全均衡である。
<図 2>では、
役割 A の
「左」
な相手への報酬の組の表を被験者に提示する視線計測実験が
の選択が、B により大きな配当 900 を与えるため、この選択
行われた。自分の報酬が高い方の選択をした人は、相手の報
は A の B に対する親切心を表す。一方 A の「右」の選択は A
酬も見る視線運動が見られることから、必ずしも利己的な動
の B に対する悪意を表す。役割 B が A の意図を気にする
機のみによって選択しているわけではないとした。
Rabin の理論に従うならば、A の親切心を感じれば A にも親
本研究のように視線計測実験を用いて逐次手番ゲームを考
察した研究は、未だ行われてこなかった。
切心を示し、逆に A の悪意を感じれば A にも悪意を示す。よ
って役割 A が親切な「左」を選択した状況では、より大きな
配当 400 を役割 A に与える「上」を選び、親切心を示す。ま
3.
実験デザイン
た、役割 A が悪意のある「右」を選択した状況では、A によ
本研究では、被験者に 2×2 行列の配当(利得)表を提示し、
り小さい配当 200 を与える「下」を選び、悪意を示すだろう。
被験者の視線を計測、分析する。アイトラッカーは Tobii X120
つまり、このゲームでの役割 B の選択を分析することを通
を用いる。実験は二人ずつで実施し、役割 A と役割 B をラン
じて、B が A の意図を気にしているかどうかを考察する手が
ダムに割り当てる。役割は実験を通じて変えない。配当表の
かりになる。
列プレイヤーが役割 A、行プレイヤーが役割 B である。各ラ
一方、Fehr-Schmidt の理論では役割 B は A との配当の差
ウンドにおいて、役割 A は「左」か「右」を選択し、役割 B
が小さい選択をするので、A が「左」を選ぶ状況では「上」
、
は「上」か「下」を選択する。役割 B には、それぞれの配当
「右」を選ぶ状況でも「上」を選択する。
表において、役割 A が「左」
・
「右」の両方の選択をした状況
で選択してもらう。役割 A の選択が常に先で、役割 A の各選
択のもとで役割 B が選択するので、このゲームは<図 1>の
ように、逐次手番の展開形ゲームとして表現できる。
実験では 12 種類の配当表、5 種類のゲーム(ギフトゲーム、
最後通牒ゲーム、男女のジレンマ、囚人のジレンマ、タカハ
ト・ゲーム)を用い、役割 A は 12 ラウンド、役割 B は 24
ラウンド行う。配当表の提示順は固定してある。
被験者には報酬として固定額 2,000 円を支払った。被験者
には役割 A、役割 B の選択に応じて一つの配当表における帰
結が決まるということも実験前に伝えたが、帰結を報酬に反
映させなかった。本実験では被験者として、東京工業大学の
<図 2>:ギフトゲーム(G2)
学生 64 人に参加してもらった。
5.
行動ゲーム理論と視線の関係
役割 A の選択に対して、役割 B が Rabin の理論に従い A
の意図を意識するならば、配当表の A が選ばなかった列(特
に B の配当)も見るはずである。なぜなら、A の選ばなかっ
た列を見なければ、A が別の選択をした時に B の配当がより
大きかったのかどうか分からないからである。一方、役割 B
が A の選んだ選択の列しか見ていないならば、役割 B は実現
し得る帰結しか気にしておらず、Fehr-Schmidt の理論を支持
<図 1>:本研究の展開形ゲーム表現
後手のプレイヤーの選択動機に着目するため、本研究では
役割 B(32 人)の視線について分析を行う。ただし、各ラウ
ンドにおける視線の捕捉率が低いデータは除く。
するといえる。
6.
分析手法
役割 B の被験者全体の傾向として Fehr-Schmidt の理論、
Rabin の理論のどちらが支持されるのかを調べるために集計
的な分析を行う。次にギフトゲームの各配当表において、被
験者を選択の違いによってグループ分けし、グループ間で配
析しても、配当表の見方に有意な差が出るのは配当表の違い、
当表の見方に違いがあるか分析する。さらに、最後通牒ゲー
役割 A の選択の違いの影響のみによる可能性があり、役割 B
ムの一つの配当表における見方の違いから、被験者をグルー
の被験者の選択の違いから配当表の見方に違いが生じていた
プ分けし、ギフトゲームの各配当表において選択に違いが見
ということはいい難い。
られるか分析する。配当表の見方の比較においては、ここで
は Wilcoxon の順位和検定を用いて行うことにする。
9.
配当表の見方の違いによる分析
役割 B の被験者の配当表の見方の違いに基づいて、被験者
7.
集計的分析
役割 B の被験者全員の、役割 A が選んだ列、選ばなかった
列における注視時間の平均は次の<図 3>のようになる。
をグループに分け、選択に違いがあるかどうかを調べる。こ
こでは、最後通牒ゲーム G9(<図 4>参照)で、役割 A の選
択が「左」である時を基準として被験者をグループに分ける。
まず初めに、A の選んだ「左」の列しか見なかった役割 B
の被験者、少しでも「右」の列を見た被験者に分ける。
G9 において A の選択が「左」の時に、視線データの分析
対象となる被験者は 28 人おり、全 AOI への注視時間のうち、
A が選ばなかった「右」の列の AOI への注視時間の割合は
<図 5>のようになる。
<図 3>:役割 B の注視時間の平均(単位は秒)
グラフの横軸は、配当表の種類及び役割 A の選択である。
どのラウンドにおいても、役割 B の被験者は全体的に、A の
選んだ列を選ばなかった列よりも圧倒的に長く見ていたこと
が分かる。
また A の選んだ列、選ばなかった列への注視時間・注視回
<図 4>:最後通牒ゲーム G9
数を Wilcoxon の順位和検定で比較した結果、全ラウンドで p
値が極端に小さく(p < 0.001)、有意な差が見られた。全体
的な傾向として、役割 B の被験者は A の意図を気にするとい
うよりも、実現し得る帰結を重視し、役割 A の選んだ選択の
列しか見なかったということが分かる。従って、この結果は
Fehr-Schmidt の理論を支持している。
8.
選択の違いによる分析
ギフトゲームにおいて役割 B の被験者を選択の違いに基づ
いて分け、配当表の見方に違いがあるかどうか調べる。役割
A の選ばなかった列への注視時間、配当表全体のうち、A の
選ばなかった列への注視時間割合の比較をグループ間で行う。
<図 5>:G9 で A の選ばなかった列への注視時間の割合
役割 A の選択「左」
・
「右」それぞれの場合で、B の被験者
は、Fehr-Schmidt 理論に従う選択の組み合わせを選んでいれ
このグラフから A の選ばなかった列への注視時間割合が
ば F グループ、Rabin 理論に従う選択の組み合わせを選んで
0%、つまり A の選んだ列しか見なかった被験者(20 人)と
いれば R グループ、その他の選択の組み合わせを選んでいれ
少しでも A の選ばなかった列を見た被験者(8 人)に分けら
ば O グループに属する。
れる。
Fehr-Schmidt 理論に従う選択の組み合わせ、Rabin 理論に
次に、A の選んだ列しか見なかった役割 B の被験者の中で、
従う選択の組み合わせが異なるギフトゲーム 4 種類を対象に、
B の配当しか見なかった(自分の配当のみを気にした)被験
役割 A の選ばなかった列への注視時間及び注視時間割合の比
者、A の配当を少しだけでも見た被験者に分ける。
較を Wilcoxon 順位和検定で行った結果、ほとんどのグルー
プ間で有意な差は見られなかった。
従って、F グループ、R グループ、O グループに分けて分
A の選んだ列しか見なかった 20 人について、A の選んだ列
への注視時間に対する A の配当への注視時間の割合のグラフ
は次の<図 6>のようになる。
気にしなかったことが分かった。また、選択の違いから見方
に違いが生じている、ないしは見方の違いから選択に違いが
生じているということはいい難い。Rabin 理論に従った選択
をしている被験者でも役割 A の選んだ列しか見ていない場合
があることや、配当表の全体を見ていた被験者の方が、役割
A の選んだ列しか見なかった被験者よりも Rabin 理論に従う
選択をする割合が低かったことは特に注目すべき結果であり、
ほとんどの被験者は、相手(先手)の意図をあまり気にして
いなかったのだと結論付けることができる。
<図 6>:A の選んだ列での A の配当への注視時間の割合
11.
このグラフから、A の配当への注視時間割合が 0%、すなわ
ち役割 B 自らの配当しか見なかった被験者 7 人、A の配当を
今後の課題
今後の課題は、以下の 4 項目に分けられる。
①
選択のみを行う被験者の設定
少しでも見た被験者 13 人に分けることができる。
Rabin 理論に従う選択を一貫して行った被験者は今回の実
続いて、
「A の選ばなかった列も見たグループ」
(8 人)、
「A
験では一人もいなかった。アイトラッキングが行われる特殊
の選んだ列のみを見て A の配当も見たグループ」
(13 人)、
「A
な環境下だったためこのような極端な結果が出た可能性は否
の選んだ列のみを見て B の配当しか見なかったグループ」
(7
定できない。従って、アイトラッキングはせず選択のみを行
人)
、さらに後の二グループを併せた「A の選んだ列のみを見
う実験を実施し、アイトラッキングも行う実験の被験者と選
たグループ」
(20 人)それぞれにおいて、Fehr-Schmidt 理論、
択のみを行う実験の被験者で選択の違いが生じているか確認
Rabin 理論に従う選択が行われた割合を見ていく。
する必要がある。
ギフトゲームにおいては、<図 3>の配当表 G2 で役割 A
②
視線の高速移動の分析
が「右」を選択した場合のように、役割 B の Fehr-Schmidt
視線の高速移動を細かく分析することで被験者がどの情報
理論に従う選択、Rabin 理論に従う選択が分かれる場合があ
を求めて目を動かしたのか、より深い分析ができるだろう。
り、この時のみに着目する。本分析では、選択の違いによる
③
成果に応じた報酬
グループ間分析のように、同じ配当表で役割 A が「左」
・
「右」
今回の実験では、被験者には固定額の報酬を与えていた。
を選択した場合の B の選択の「組み合わせ」では考えない。
この報酬額を、例えばランダムに選択されたラウンドにおい
Fehr-Schmidt 理論に従う選択、Rabin 理論に従う選択で分け
て、
役割 A と B の選択による帰結によって決定する状況では、
られる 4 種類のギフトゲームの配当表が分析対象となる。
役割 B がより Rabin 理論に従い A の意図を気にするように
Rabin 理論に従う選択がされた割合は、
「A の選ばなかった
列も見たグループ」: 37.5%、
「A の選んだ列のみを見て A の
なるかもしれない。
④
配当表の数値の設定
配当も見たグループ」: 50%、
「A の選んだ列のみを見て B の
今回の実験では、用いた配当表の数値は 100 の倍数にする
配当しか見なかったグループ」: 32.14%、
「A の選んだ列のみ
など、計算しやすいような数値を用いてしまった。一の位が
を見たグループ」: 43.75%であった。
0 ではない三桁の数値などを用いると、被験者は配当表をじ
この結果から、役割 A の選ばなかった列(配当表の全体)
も見たからといって決して Rabin の理論に従う選択をした割
っくりと見るようになり、視線の分析がより正確にできるよ
うになると考えられる。
合が高かったわけではなく、むしろ A の選んだ列のみを見た
被験者の方が Rabin 理論に従う選択をした割合が高かったこ
主要参考文献
とが分かる。
[1]
役割 A の選んだ列のみを見た役割 B の被験者の中で、B の
Amos Arieli , Yaniv Ben-Ami and Ariel Rubinstein (2009)
“Fairness Motivations and Procedures of Choice between Lotteries
配当しか見なかった人は、自分の配当にしか関心がないと考
as Revealed through Eye Movements”, Revine’s Working Paper
えられるので、Rabin 理論に従う選択をした割合の低さに結
Archive, No.814577000000000219.
びついていると考えられる。
[2]
役割 A の選んだ列のみを見た B の被験者の中で、A の配当
Ernst Fehr and Klaus M.Schmidt (1999) “A Theory of
Fairness Competition and Cooperation”, Quarterly Journal of
も見た人は、Rabin 理論に従う選択が半分を占めている。B
Economics, Vol.114, pp.817-868.
と A の帰結に着目し、A にどれだけ配当を与えるかを考えた
[3]
結果、Rabin 理論に従う選択と被った可能性が高い。
“An eye-tracking study of feature-based choice in one-shot games”,
Giovanna Devetag , Sibilla Di Guida and Luca Polonio (2013)
LEM WORKING PAPER SERIES.
10.
本研究の結論
本研究で行った集計的な分析によって、被験者全体の傾向
として、ゲームの帰結のみに着目して相手(先手)の意図は
[4]
Matthew Rabin (1993) “Incorporating Fairness into Game
Theory and Economics”, The American Economic Review,
Vol.83, No.5 , pp.1281-1302.