自由応募分科会4 東アジアの中の日本と中国――通商、開発援助、規範理論からのアプローチ 東アジア地域統合をめぐる日中のアイディアと規範 ―日本経済界の視点から― 李彦銘(慶應義塾大学) 本報告では 2000 年以降、東アジアの地域統合に対する日本経済界の要求とアイディア (「東アジア共同体」の推進)の形成、変化を取り上げる。 最近では東アジア地域統合に関する日米中の競争が統合の遅れる要因としてたびたび論 じられ、また地域制度のスパゲッティボール現象も阻害要因として認識されるようになっ た。それに対し、本報告は分析の対象を、東アジア共同体の実現を最も積極的に要望した 日本の経済界に絞り、よりミクロな視点からアプローチしてみたい。さらに経済界と中国 政府や日本政府の関係をも分析の視野に入れ、第一に、日中におけるアイディアの一致と 規範の相違、第二に「東アジア共同体」という地域統合のアイディアを推進する日本の国 内要因とその変化を明らかにする。このような努力を通じて日中間競争と協力のメカニズ ム、地域統合の将来性に接近してみたい。 2002 年から 2009 年までの間、経済界は東アジア経済圏ひいては東アジア共同体の早期 実現を積極的に要望した。その要望は、2006 年まで ASEAN10 カ国および日中韓のいわゆ る 10+3 が基本的範囲であった。これは、同時期に日本政府、外務省が提起した 10+6 とは やや違い、むしろ中国政府の提案により近いアイディアであった。ただし、東アジア共同 体の主な実現手段として、経済界が提起したのは二国間 FTA の締結であり、とくに貿易係 争問題の解決の「透明化」や知的財産の保護など貿易/通商における「公平性」の実現が その主眼であった。これは中国政府の提案とは、規範レベルにおいてそもそも大きくかけ 離れていた。 ただし、2006 年以降は日中政治関係の改善に伴い、東アジア共同体を推進する機運が一 時的に高まり、日中のスタンスが歩み寄る場面もあった。その中、経済界も積極的に動き 出した。アメリカのけん制を受けて、経済界は日米間 EPA/FTA の推進や日米 EPA を通じ た TPP とアジア太平洋の経済統合を実現する考えを打ち出したが、ここまではやはり東ア ジア共同体の実現がより優先された。 2010 年の日中関係の悪化、尖閣諸島での中国漁船衝突事件の直後、中国からレアアース の対日輸出が事実上一時停止された。これを機に、経済界と中国政府が求める貿易/通商 秩序における規範の対立が顕在化された。結局レアアース問題は、日中の二国間での解決 ではなく、WTO 提訴による解決が求められた。これは 1978 年日中長期貿易取決めが発効 して以来、二国間レジームが機能しなくなった象徴的な事件であるともいえよう。それ以 降、経済界は日本政府とともに、より現実性が高いと見られた TPP の参加を積極的に推進 してきた。日中韓三カ国 FTA の早期実現も、経済界によって並行して要望されたが、政治 関係の悪化で前進がなかなか難しかった。
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