北陸証券界の歴史を語る

北陸証券界の歴史を語る
一つは資本とシステムの独立性が挙げられる。す
今号では、今村証券の独自の経営が形作られて
いった要因についてお聞きしている。まず、その
からお話いただいた。
インの構築、そして、商品の多角化といった観点
では、今村証券の創業からの歴史、第一次オンラ
今号の証券史談は、前号に引き続き、今村証券
の今村九治氏のオーラルヒストリーである。前号
もある。今村証券のネット取引への参入は、平成
ば、別会社で開始したものの本体に吸収した会社
も、別会社でサービスを提供している会社もあれ
崩すことにもつながっていくため、どの対面証券
をどのように扱っていくかは、従来の営業基盤を
ト取引への参入においても見られた。ネット取引
ることを挙げられた。今村証券の独自性は、ネッ
―今村九治氏証券史談(中)―
なわち、銀行や同業他社からの資本を受け入れて
一一年と対面証券の中では早い方である。このと
いることにより、新たな経営戦略を早く展開でき
いないため、独自の経営哲学に従った経営が可能
き、今村氏は、ネット取引を自社の営業組織の中
も 試 行 錯 誤 し て い る。 事 実、 大 手 証 券 で あ っ て
となったこと。そして、システムを自社開発して
― ―
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危機で三洋証券と山一証券が破綻した。母店の破
また、今村証券は三洋証券、山一証券、藍澤証
券を母店としていた。ところが、平成七年の金融
もあることをお話になっている。
一方でこうしたサービスを提供するがゆえの苦悩
に、どのように位置づけようとしたのか。また、
のニーズが発生したことを強調されている。
銘柄の価格が掲載されているために、売りや買い
であり、昔からの慣習で、北陸では地方紙に青空
れにより、売買が行われていたことを指摘されて
家によって株式を保有されていることが多く、そ
地方に本社を置く非上場の地場企業は、個人投資
―― ち ょ っ と 時 期 は 戻 り ま す が、 平 成 九 年 に グ
全国初のグリーンシートでの
気配公表
いる。ここでポイントとなるのが価格情報の公表
綻に伴う苦悩は、昨年八月号に掲載した沖縄証券
合も二つの母店の破綻によって大きな影響を受け
た。しかし、それを解消したのも同社のシステム
発にこだわっておられるのかも含めてお話をお伺
リーンシート制度が開始されて、気配公表をされ
構築力であった。今村氏がなぜシステムの自社開
いした。
に積極的でしたね。
今村 グリーンシートね。これは話すと本当に長
い話になるんですが、グリーンシートというのは
ますよね。北陸の証券界は非常にグリーンシート
そして、北陸証券界の一つの特徴として、未公
開株取引が盛んだったこともよく指摘される。今
回のヒアリングに対する筆者らの関心の一つもそ
こにあったわけだが、これに対し、今村氏は北陸
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の富山積氏のお話でも語られたが、今村証券の場
証券レビュー 第55巻第5号
を 持 っ て い る ん で す け れ ど も、 子 ど も が 大 学 に
前の青空銘柄のころから取引が盛んでしたよね。
――また、北陸というのはグリーンシートよりも
その前にさかのぼると、結局、戦争が終わった
後、日本を復興しなきゃいけないということで、
たニーズから売買が結構あったんです。
いというニーズが生まれてくるわけです。そうし
…。
今村 そうです。北陸の場合、青空銘柄としてバ
スとか電車、例えば北陸鉄道とか、富山ですと富
いろんな産業が起きました。電鉄会社もそうです
行ってしまうと要らなくなるから、今度は売りた
山 地 鉄〔 富 山 地 方 鉄 道 〕 と か を 取 引 し て い ま し
し、それからテレビ会社とかですね。その他いろ
を貸したがらないので、盛んに富山出身の代議士
その流れの中で、いろんな会社ができて、水面
下で株券も流通していたわけです。当然、青空市
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た。
――YKKもありますね。
を後押ししていたこともあって、北陸というのは
んな企業が起きるんですが、なかなか銀行がカネ
今 村 Y K K も あ り ま す。 Y K K も あ り ま す け
ど、主として、どちらかというとバス会社、電鉄
わりと株式を発行して、資金を調達するのが盛ん
る間は、遠いところまでバスで行かなきゃいけな
場ですから、売ったり買ったりすることを勧めて
が、株式発行による資金調達が必要だということ
会社が発行する株式の流通が盛んでしたね。これ
だったんですね。
い。だから、株主優待目的で地元のバス、鉄道株
んですよ。例えば、子どもや孫が高校に行ってい
は、優待券がもらえますので、結構流通していた
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
はいけないので、お客様からの希望に応じる「受
んなことに手をつけなければいけなかったので、
ましたように当時、商品の多角化も含めて、いろ
うど手数料自由化と同時期でした。先ほども言い
りました。そういうふうになってきたのが、ちょ
ると、登録すればある程度推奨もできるようにな
ら、業者が協会に連絡して、協会から各新聞社に
値段を載せていたんです。それで値段が変わった
を新聞社に伝えて、北國新聞とかいろんな新聞に
今村 グリーンシートが始まる以前から、北陸地
区協会が新聞社との仲介に立って、協会から値段
――北國新聞に載っていますね。
す。
グリーンシートにも力を入れた方がいいんじゃな
連絡が行くという仕組みがあったんです〔現在は
今村 はい。しかし以前から、北陸では幾つかの
銘柄の取引を青空市場でやっていまして、その値
――それに他の北陸の証券会社もつらなって…。
になると、結局値段を動かすこともできるように
それで、グリーンシートになると、お客様に勧
められるようになりましたから、勧められるよう
ていたんですよ。
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け」の営業だったんですが、グリーンシートにな
いか、ということを考えたわけなんです。
各新聞社に通知する仕組みではない〕。本当はそ
日本証券業協会北陸地区協会を通じて、気配値を
――気配の公表は、御社が初めてですよね。
ういうことはしてはいけなかったのかもしれない
段を新聞に載せるという慣習が既にあったんで
ですけれども、なんかそういうものができ上がっ
今村 そうです。
証券レビュー 第55巻第5号
の会社の株価が下がると、ちょっと体裁が悪いと
ところが、値段を下げると、今度は発行会社が
困るという場合が出てくるんですよ。つまり、そ
るわけです。
れでもいい」と言ってくれれば、値段を下げて売
ら、仮に大幅に値段が下がっても、売り手が「そ
みるんです。買い手が「これぐらいで」と言った
ど、いくらぐらいで買ってくれますか」と聞いて
たいというお客様に、「これはいいと思いますけ
ら、いくらでもいい」と言ってくだされば、買い
けです。それでお客様が「とにかく売れるものな
の値段で売ってもいいですか」と売り手に聞くわ
客様がいたとします。そうすると、私どもは「こ
いる値段よりも安かったら買ってもいいというお
来たとします。もう一方に、その株が公表されて
なるんですよ。例えば、お客様がある株を売りに
のか微妙なんですけれど、グリーンシート制度が
でもみんながやり始めたんです。何といえばいい
でしょうね。これじゃいけないというので、富山
の意味とか、会社に対する影響力とか、いろんな
村証券がそういうふうにして激しく動くと、値段
ただ、今まで富山の人たちは富山の人たちで、
富山の会社といろいろやっていたのが、石川の今
よ。
で、発行会社との付き合いも深まっていくんです
買 い 手 を 見 つ け て く る ん で す ね。 そ う い う こ と
待ってくれ」と言ってきたりするんです。それで
が「 私 が 買 い 手 を 探 し て あ げ る か ら、 ち ょ っ と
会社が株価が下がるのは困ると思えば、発行会社
だけれど、値段が下がりますよ」と言うと、その
いう売り物があって、買いたいという人がいるん
そういうときは、発行会社へ直接行って、「こう
ことで自分たちの立場が崩れてしまうと思ったん
いうか、そういう場合もあるわけです。それで、
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
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導入されたことによって、簡単に言えば株券の移
今村 そうなんです。石川はそうでもなかったん
ですが、特に富山は、お互いに「あそこの会社は
あったんじゃないかなと思うんですね。そこにう
動が激しくなったんですよね。
――勧誘ができるようになったことによって…。
と し て も、 こ れ は ち ょ っ と ま ず い ぞ と い う 話 に
あんたがやれ」とか、そんな類いの暗黙の何かが
今村 勧誘ができるようになって…。それによっ
て、 従 来、 こ の 会 社 と は 自 分 だ け が つ な が り を
なって、みんながやり始めたということなのかな
――青空市場やグリーンシートでは、鉄道を中心
ちが殴り込んだ形になるんです。そうすると彼ら
持っていたという関係が、解体されてしまったわ
というふうに思っています。
りをもっていた会社を登録しようということに
に取り扱っておられたことと、その理由として全
富 山 第 一 銀 行 や 日 本 海 ガ ス、 ホ ク コ ン、 福 邦 銀
― ―
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けです。それで幹事関係みたいな形になったので
なって、競ってやらざるを得なくなってきたんで
線切符などが優待でもらえるので、流動性がある
――それは北陸だけみたいですね。
今村 うちは、要するに青空市場でそこそこ流通
ますが、これはどういう理由から…。
行、北陸窯業といった会社の取り扱いもされてい
――他の地域ではあんまり聞きません。
今村 どうも北陸だけですね。
からとおっしゃっていましたね。一方、御社では
す。
みんな慌てて、それじゃあ自分たちも従来つなが
証券レビュー 第55巻第5号
と、コソコソとやって値段も自分で管理したいわ
と し て ほ し く な い ん で す よ。 本 当 の こ と を 言 う
す。実は発行会社にしてみれば、あまりそんなこ
早くお金にしてあげたいですからね。ですから、
としては、売りたいという人がいれば、とにかく
たいなことはあったと思うんですよ。他方、うち
今村 勝手上場ができましたから。だから、発行
会社にしてみれば、ちょっと今村が来て困るなみ
し て い た 銘 柄 を 全 部、 取 り 扱 う よ う に し た ん で
けですよ。
入 っ て い っ て、 値 段 を 上 げ 下 げ す る こ と に 対 し
ずっととめておきたいんですよ。だから、うちが
今村 管理相場にしたいんですよ。基本的には下
げたくもないし、上げたくもない。一定の値段で
――管理相場にしたいんですか。
聞の株価もどんどん下がりますから、発行会社と
い、売り買いで値段を下げていく。そうすると新
値段を下げて買い手を見つける。つまり、売り買
が「勝手にしてくれ」と言ってくれれば、うちは
行って、「売りたいという人がいるんですよ。ど
買い手がなかなか見つからなければ、その会社に
て、彼らは非常に苦々しい思いをしていたんです
しては非常に困るわけです。だから仕方がないの
しかなくなるんです。したがって、発行会社とし
ては、何で変なことをしたのかというふうに思っ
ていたかとは思うんですが、うちは売りたいと言
― ―
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うしますか」と言うわけです。それで、発行会社
よね、逆に言うと。グリーンシートは、発行会社
で、自分で買い手を探してきて、うちに紹介する
――いわゆる勝手上場ですね
えましたから。
がウンと言わなくても、うちが登録すれば取り扱
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
につながりもできてくるんですよ。昔、石川銀行
うでもないと言っているうちに、当社とその会社
とと、そういう交渉の過程で、ああでもない、こ
うお客様に、早くお金にしてあげようと思ったこ
けていますから、株価を下げられると大変なこと
下げますよ」と言うと、石川銀行としては潰れか
は、「一カ月経っても買い手が現れなかったら、
て く だ さ い 」 と 言 っ て く る わ け で す よ。 私 ど も
や、買い手を今、探しますからもうちょっと待っ
を探してきて、それで、そこに買ってもらうわけ
になるわけです。ですから、必死になって買い手
という会社があったんですよ。
――昔の相互銀行ですね。
言って、石川銀行に行くんですよ。
ちは「分かりました。じゃあ折衝してきます」と
す。それでうちに来るわけです。そうすると、う
いと思っても、買い手がなくて売れなかったんで
そうだという噂があって、払い込んだ人が売りた
込んで増資をしていたんですね。そのときも危な
だから僕としては、そういうことがありますか
ら、〔リージョナル銘柄の〕グリーンシートとい
売れた人からは本当に感謝されたんです。
たから、後回しになった人は損をされましたが、
り玉がすべて売れないうちに石川銀行が潰れまし
ちょっと待ってくれ、待ってくれ」と言って、売
ら は 本 当 に 喜 ば れ た ん で す よ。 だ け ど、「 も う
売りたいという人の買い手探しを、私どもがお
手伝いしていたわけですので、うまく売れた人か
― ―
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です。
それで「こんな売り物があるんだけど、どうし
ま す か 」 と 言 う わ け で す。 そ う す る と「 い や い
今村 相互銀行があったんですね。これが潰れた
わけですが、潰れる前にこっそりと取引客を巻き
証券レビュー 第55巻第5号
銘 柄 」、「 フ ェ ニ ッ ク ス 銘 柄 」、「 リ ー ジ ョ ナ ル 銘
二年七月には銘柄の属性によって「エマージング
場は、平成九年七月から取引が開始され、平成一
トはできなくなってしまった〔グリーンシート市
れで結局、〔リージョナル銘柄の〕グリーンシー
ので、当然、適時開示なんかしないんですよ。そ
先ほど言ったように、会社としては登録しても
らいたくない、取扱いしてもらいたくないわけな
社しか取り扱いできなくなったわけです。
時開示され、それをお客様が見ることができる会
にはインサイダー取引との関係で、会社情報が適
でも言い続けているんですけれど、勧誘するため
うのは意味があるし、続けるべきだとずっと協会
のは復活する可能性が強くなってきているんで
ジョナル銘柄に相当する〕グリーンシートという
う ん で す よ。 そ の 人 た ち の 話 も あ っ て、〔 リ ー
団体代表の人たちは「そうです、そうです」と言
にしないといけないでしょう」と言うと、消費者
うこうだった。やっぱり売り手にとっていい市場
出ているので、「これはおかしい。過去はこうこ
ング・グループ〕が協会内にあって、私も会議に
ているんですが、グリーンシートの改善を検討す
リーンシートから独立した〕。こうして今に至っ
らに、平成二〇年には「フェニックス銘柄」がグ
一方で、「リージョナル銘柄」が廃止された。さ
した「オーディナリー銘柄」が新たに設けられた
れ、平成一七年四月には「エマージング銘柄」の
の後「投信・SPC銘柄」のカテゴリーが追加さ
たら金融庁はインサイダー取引の問題もあるの
を認めてほしい」と言っているんですよ。そうし
す。その際、 私としては、「その場合は 勝手上場
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る会議〔非上場株式の取引制度等に関するワーキ
柄」の三つのカテゴリーに区分された。また、そ
中から、事業の成長性要件が欠ける銘柄を対象と
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
なんです〔平成二六年五月二三日に金融商品取引
きるようにするという、こういう制度になりそう
作って、その投資グループの中だけで売り買いで
グ ル ー プ〔 株 主 コ ミ ュ ニ テ ィ 制 度 〕 と い う の を
で、大変困ってしまって、しようがないから投資
…。
ている人が自由に売れるべきだと思っているので
そういうことで発行会社は本当はしてほしくな
いと思っているんですが、僕は本来、株式を持っ
された制度が予定されている〕。
るため、適時開示義務などの発行者の負担が軽減
らない仕組みになるんだろうな、と思っているん
ジョナル銘柄の〕グリーンシートとほとんど変わ
結 局、 単 な る 形 式 だ け の 問 題 で、 ど う も〔 リ ー
いますよ。だから名義書き換えしてくれなかった
今村 つけていても売り買いしていたんです。そ
れで買い手の人には、「これは譲渡制限がついて
――〔譲渡制限を〕つけていても。
今 村 そ う そ う。 だ け ど 譲 渡 制 限 の つ い た 株 式
も、うちはやっていたんですよ。
かをつければいいんですから。
――そうですね。嫌だったら、定款に譲渡制限と
法が一部改正され、平成二七年五月からの制度開
最 初、 投 資 グ ル ー プ っ て ど ん な の か 分 か ら な
かったんですけど、会員バーみたいなものなんで
す。初めて 来たときに、「私、会員にな る」と言
うと、住所や名前を書いてもらえば、すぐに会員
ですよ〔新たに設けられる非上場株式の取引制度
ら、配当がもらえませんけれども、それでもいい
になれるという仕組みなんですよ。そうすると、
では、インサイダー取引規制の適用対象外とされ
― ―
96
始が目指されている〕。
証券レビュー 第55巻第5号
――買う人がいるんですか。
ですか」と言って、買ってもらうんですね。
段になるということがあったんです。ですから、
今 村 Y K K は 仕 手 化 す る と い い ま す か ね、
ちょっと得体のしれないグループが買い煽るとい
――未公開株ではYKKが人気でしたね。
うことがあったんですよ。とにかくすさまじい値
今 村 い ま す よ。 発 行 会 社 が き っ と「 ウ ン 」 と
言ってくれると思っているんですね。
するときに、「譲渡制限つきでも流通できる。う
よ。だから、グリーンシートの問題について協議
今村 発行会社が「ウン」と言ってくれるはずだ
と 思 っ て、 そ う い う 株 を 買 う 人 も 中 に は い ま す
――会社がですか。
〔富証券は平成二四年に島大証券と経営統合し
う わ け で は あ り ま せ ん。 む し ろ 廃 業 し た 富 証 券
YKKについては、そんなに深く入り込んだとい
き合わせるということはしました。ただ、うちは
かったんですけれども、それでもいいから買いた
私どもは危ないなということで、あまり近づかな
ちなんか流通させていましたよ」と言うと、「あ
た〕が、YKKには結構深く関与していたと聞い
買い手がそれで「ウン」と言えばいいわけですか
山第一銀行といったところを…。
――ということは、富山地方鉄道や北陸鉄道、富
― ―
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い、売りたいという人もいましたので、それを突
あ、 そ う な ん だ 」 と み ん な 言 う ん で す よ。 だ か
ていますけれどね。
ら。そういう形で決着するはずです。
渡制限つきでもやるというふうになるはずです。
ら、今度の新しい投資グループでも、おそらく譲
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
んか」と、まず銀行に持っていくんです。
売り物がありますけれども、誰か買い手はいませ
売り物が出たりします。そうすると、「こういう
ら富山第一銀行については、今でも、結構大口の
と、我々がその間に入って動くわけです。ですか
ても買い手がいない。じゃあ、どうするかとなる
売りたいと思うんです。ところが、売ろうと思っ
ね。そういう人が代替わりすると、相続した人が
の 人 た ち に 頼 ん で、 持 っ て も ら っ て い る ん で す
よ。それは、株式民主化運動のときに、お金持ち
一 銀 行 に つ い て は、 結 構 個 人 株 主 が 多 い ん で す
今村 ただ、銀行は上場するときに、値段が上が
るんじゃないかという期待がありますし、富山第
ませんでしょう。
――しかし銀行株を買っても、定期券とかもらえ
今村 そうですね。これが主ですね。
富山第一銀行も値段をあんまり上げるわけにもい
く分かりませんけれど。こういうこともあって、
らしいです。最近は違うとか聞いたので、今はよ
すけれども、富山第一銀行はその中の一つだった
全国で一〇ぐらいあったとか聞いたことがありま
グリーンシートの値段を公示価格にする銘柄が、
りすると、どうもなったみたいですよ。税務署が
今村 ないんです。だからダメなんですよ。だけ
どある程度、流通があったり売買高が大きかった
んですか。
――グリーンシートの相場は、公示価格じゃない
もなったんです。
税計算のときに売買している値段が税務の値段に
というんですが、富山第一銀行に関しては、相続
本来はグリーンシートの値段というのは税務の
値段にならないんですけれど、今はそうではない
証券レビュー 第55巻第5号
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けですよ。
取引業者がありますから、結局そこにはめ込むわ
でうちが持っていくと、富山第一銀行はたくさん
かないし、下げるわけにもいかないんです。それ
です。北國新聞、北陸中日新聞、それから北日本
今 村 出 し て い た の が。 今 で も 出 し て い る ん で
す。今でも地方紙には、ちゃんとその欄があるん
――地区協会が出されていたというのが…。
ちゃんと地方株の青空の値段が載っているんで
新聞とか、そういう地方紙の主だったところに、
――しようがないから必死になって自分で探すわ
す。
―― し か し、 こ の 発 端 と な る 青 空 市 場 と い う の
じゃないですか。ああいうのは載ってないんです
は、他にも例えば、島根の一畑電鉄とかもあるん
――新聞に青空市場の値段が載っているという話
は、他の地域でもあってもおかしくない話じゃな
か。
今村 必死になってはめ込むんです。
いですか。
――北陸だけですか。
今村 それは載っていません。
に値段を出しているというのが大きいと思います
今村 ところがなぜかないんです。北陸だけなん
ですよね。それはなぜかというと、やっぱり新聞
よ。
今村 北陸だけだと思いますよ。新聞社の理解が
あるというか、歴史があるから載せてくれている
― ―
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けですね。
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
いんですよ。また、そういうふうにして、みんな
んです。やっぱり値段を載せなかったら意味がな
がいるということです。だから新聞社も消せない
んでしょうけれどね。また、それだけ見ている人
くれています。
価格を知らせるのは当たり前でしょう」と言って
も、「そらそうだ。価格が一番大事 なんだから、
ているんです。その会議に出席されていたある方
ぐらいで買えるんなら買いたいというニーズも生
んだなと思いますし、買いたいという人も、これ
せんが、値段が出ていれば、これぐらいで売れる
値段が分からないと、売ろうという気にはなりま
じゃあ売ろうかというニーズも生まれるんです。
で す よ。 こ れ ぐ ら い で 売 れ る と 思 う か ら、 そ れ
今村 うーん、というわけです。グリーンシート
のときは、登録しないと自由に動けないみたいな
けてくれるわけですか。
会社であっても、株を持っていけば、相手を見つ
けた証券会社でなくても、売りたい人はどの証券
配値を公表しますよね。そうすると、気配値をつ
――これは業者が気配値をつけて、地元新聞に気
やっぱり勧誘するという行為というのは、勧誘
しなくても、勧誘と見られかねないじゃないです
― ―
100
新聞を見たら大体値段が分かるから、流通するん
まれてくるんですよ。
トに登録していましたけどね。
「どうかな」と言っているんですよ。だけど「こ
か。例えば、お客様が店頭へ「これを買いたい」
ところがあったので、みんな慌ててグリーンシー
先ほどお話した今度できそうな投資グループ
〔株主コミュニティ制度〕という新しい仕組み
れは、載せなかったら意味ないよ」と、僕は言っ
も、 協 会 は 新 聞 に 値 段 を 載 せ る こ と に 対 し て、
証券レビュー 第55巻第5号
といらっしゃっても、それに対して何か言うと勧
――御社はやっていないんですか。
いう古本屋の銘柄だけをやっています。
ときにグリーンシートの銘柄なら、少し踏み込ん
誘だと捉えられる可能性もありますからね。その
でも、まあいいだろうみたいな感じだったと思い
今村 うちはもうやっていません。ただ、北陸鉄
道とかを青空市場としては取り扱っていますよ。
ルが消えて、益茂証券以外の北陸地場証券は、グ
――平成一七年にグリーンシートからリージョナ
を探してあげます。通常の場合は、とにかく売り
ちょっと待っていてください」と言って、買い手
い、 分 か り ま し た。 買 い 手 を 探 し ま す か ら、
そ う い う の を お 客 様 が 売 り に 来 ら れ た ら、「 は
リーンシートの取り扱いを止めていきますよね。
の方が断然多いんですよ。売りの方は山のように
今村 そうそう、そういうのが多くて、とにかく
売りたいという人の方が多いんです。だから、僕
ズが多いんですか。
――相続したけれども、もう要らないというニー
パッと渡せるようには、一応なっているんです。
あ っ て、 順 番 待 ち な ん で す。 買 い 手 が あ っ た ら
今村 そうです、そうです。
――このときに、インサイダー規制が入って、発
行会社が困ったわけですね。
今村 そうです。
――益茂証券は今もやっているわけですか。
今村 益茂さんは、今は「春うららかな書房」と
― ―
101
ますね。
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
社がそういうのを担保にしてカネを借りたりして
です。その理由はよく知りませんけれど、発行会
と、発行会社は「下げないでください」と言うん
い う 人 が 出 て く る と 思 う の で、 下 げ よ う と す る
は値段を下げれば他にもっとたくさん買いたいと
にお客様は来てくださいます。
今村 来てくれとは言っていませんけれど、今村
証券が値段をつけているように見えるので、当社
こに持っていけばと…。
――なるほど。今村証券調べと出ているから、こ
いるんじゃないですか。だから、あまり下げたく
――それでお客さんが集まってくるというわけで
――じゃあ、青空市場として売買を受けられるの
は、第二次全店オンラインと関係あるんですか。
す ね。 グ リ ー ン シ ー ト で の 気 配 の 公 表 と い う の
は、どこの会社であっても一応は。
今村 それも少しはあったんですけど、必ずしも
直接的なことはなかったと思いますね。
を流すとありますが…。
――いただいた資料に、第二次オンラインで情報
今村 これは別に関係ないですね。特に関係はな
いです。
今村 今のところは、それはいいんです。
――今のところは一応引き受けると…。
今村 受けています。また、新聞に出ている〔青
空の〕値段には、今村証券調べと書いてあるんで
す。
― ―
102
ないんじゃないですかね。
証券レビュー 第55巻第5号
――じゃあ、この第二次全店オンライン構築とい
うのは何ですか。
ンを配っているんです。これをするためには、そ
をやったのと、うちは同じ時期に一人一台パソコ
ほど第一次オンラインの話もありましたが、シス
――今村証券の経営のもう一つの特徴として、先
⑴システムの外販
差別化の基礎となった システム構築力
れ用のオンラインの構築も必要だったので、一人
テム化が非常に早いんですよね。システムを自社
――ということはLANを引いて、全社員のパソ
たシステム構築力というのが、取扱商品の幅を広
引システムを作られたりもしています。こういっ
― ―
103
今村 簡単に言うと、一人一台パソコンを配った
ということですね。野村証券が一人一台パソコン
一台パソコンに対応するためのオンライン整備
開発されているということもありますし、株価を
コンをネットワークにつないだという話ですか。
御社の情報化の変遷というのは、先ほど少しお
聞かせいただいたんですけれども、ネット証券の
ないかと思います。
げる基礎になって、そして大和証券と売買システ
ム間の接続ソフトの共同開発も可能にしたんじゃ
今村 そうです。そうです。
――それで支店間もLANを引いて。
今村 そうです、そうです。専用のLANを全部
引いたわけです。
予測するようなシステムを作られたり、ネット取
だったと思います。
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
が、譲るのはいいんですけれども、譲ると後でメ
い、 と い う 話 が 方 々 か ら 来 る ん で す よ。 と こ ろ
もあって、現在でもうちのシステムを譲ってほし
れたシステムだと評価されました。そういうこと
用できるというので、うちのシステムは非常に優
さな会社にとってはコンパクトに使えて、安く運
トに作られたシステムを持っていたわけです。小
し、その後も徐々に性能を高めながら、コンパク
今村 そうです、そうです。私どもはIBMのシ
ス テ ム を 入 れ て、 第 一 次 全 店 オ ン ラ イ ン を 構 築
か。
あたりをぜひお聞かせいただけませんでしょう
るということも聞いたことがありますので、その
にしながら、それを派生させたものが使われてい
は、最初売ったときに、二、三、〇〇〇万円をも
ら い に 売 っ た と 思 う ん で す。 I B M と の 契 約 で
は知らないんです。こういう仕組みで七、八社ぐ
ですから買った方は、IBMが作ってくれたシ
ステムだと思っていて、今村証券のシステムだと
販売する、という仕組みができ上がったんです。
取って、それぞれの業者向けにカスタマイズして
のシステムの権利を売って、IBMはそれを買い
な」という会社もあるだろうから、IBMに当社
方の証券会社だということで、「ちょっとどうか
りたい」と言ってきたんです。ところが、今村証
り易くなるので、今村証券のシステムを一緒に売
ムもついています」とセールストークができて売
ところが、IBMが「自分のところの商品を今
村証券のシステムとともに売った方が、「システ
システムも、今村さんが作られたシステムを基盤
ン テ ナ ン ス も や ら な き ゃ い け な く な る の で、
らうことになっていて、次に売ったときは、そこ
― ―
104
券のシステムといった場合、今村証券というと地
ちょっと二の足を踏んでいたわけですよ。
証券レビュー 第55巻第5号
契約にしてIBMにシステムの権利を売ったわけ
約だったかちょっと忘れましたけれど、そういう
に五〇〇万円ずつ上乗せだったかな。どういう契
すると二〇社ぐらいが使っていると思います。
システムを母体としたシステムが、今もひょっと
売っていました。ですから、いろんな形でうちの
です。IBMはそれをネット証券の要望に合わせ
――しかし御社は、どんどんシステムをアップグ
で売っているんですよ。三洋証券もそれを利用し
それから、当社は三洋証券を母店としていまし
たけれども、三洋証券にも五、〇〇〇万円くらい
で、メンテナンスの人員は割けませんから。
で も あ っ た の で、 シ ス テ ム の 権 利 を 売 っ た わ け
けません。当時、ちょっと商売が苦しかったとき
た。そういうふうにしないと、うちではやってい
今 村 メ ン テ ナ ン ス は 全 部 I B M に し て も ら っ
て、 う ち と は 一 切 関 係 な い と い う ふ う に し ま し
――メンテナンスはどういうふうに…。
せんからね。
――システム部隊を大量に抱えるわけにはいきま
ことやっていられませんから。
で売っているから。そうしないと、うちはそんな
今村 あとはIBMがカスタマイズして、直すも
のは直していく。あとは知りませんよということ
――じゃあ、あとはIBMが…。
今村 いや、それは最初に売った一回だけです。
の都度、その都度、IBMに売られるんですか。
レードされていきますでしょう。そうすると、そ
て、 自 分 の と こ ろ の 友 好 店 に カ ス タ マ イ ズ し て
― ―
105
て、カスタマイズして売っていたわけです。
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
今村 そうそうそう。バブルが崩壊してからの二
十何年間の間、株価はずっと下がっているわけで
――システムを売ってですか。
は、三洋が全部カスタマイズとメンテナンスをす
すよ。この間、苦しかったわけですが、この苦し
今 村 い な い か ら。 だ か ら 全 部 I B M に し て も
らっています。それから三洋は三洋が潰れるまで
るというふうにして、当社は最初にカネをもらっ
いときにシステムの権利を売った収入がポッポッ
すね。
今 村 RICOM-8
と か は、 本 当 に よ ち よ ち 歩 き で
すから、売れるようなシステムではありません。
――しかし、会計を
ます。
と入ってきて、苦しさが和らいだことを覚えてい
てお終いにしたわけです。
――それでネット証券のシステムが、今村証券の
今村 そうそう。そういうことです。どこのシス
テムだかは忘れましたが、最初動かなくて大問題
だから売るというのは。
でやられて…。
RICOM-8
になりましたね。それも、うちのシステムがベー
――
スになっているんですよ。ただ、うちのシステム
が悪かったんじゃなくて、それをカスタマイズし
あたりから。
AS/400
たIBMの失敗なんです。そんなやり方で、苦し
今 村 〔 I B M 〕 シ ス テ ム か、 AS/38
あたりの
ときぐらいから、少しずつ売れるぐらいのシステ
いときに糊口をしのいでいたんです。
ムになってきたと思いますね。
34
― ―
106
システムの派生形だという話になっているわけで
証券レビュー 第55巻第5号
――このころ名古屋の中小証券会社では、JIP
今村 名古屋の人たちはね。
―― こ う し た 事 務 処 理 面 で の シ ス テ ム だ け で な
たく完全な自社開発です。
今村 そうです。全部。自社開発で、まったく他
からのシステムは入っていません。すべてがまっ
―― あ あ い う の を 買 っ て と か い う こ と は 考 え な
く、株価予測システムも作られたんでしょう。
システムを共同で作っていましたでしょう。
かったんですか。
今村 株価予測システムは一遍やりましたけど、
これはあまり当たらないね。ダメだった。株価が
ました。あれは、石川高専の先生がそんなことを
― ―
107
今村 まったく考えなかった。自分で作るんだと
いう…。
――それが差別化につながっていく、ということ
やりたいと言ってきたから、「少し援助するので
予測できたら誰も苦労しません。途中ですぐ止め
まで考えていらっしゃった。
今村 そうそう。
しませんね。
――株価は分かりませんわね。予測できたら苦労
二〇〇万円を援助したんですが、ダメだった。
やってください」と言って、年間で一〇〇万円か
――御社のシステムは、ずっと自社開発ですね。
今村 当時から。
――その当時から。
今村 そうそうそう。もちろん考えていました。
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
たいなというふうに思ったんです。そして、次に
担当の営業員にいつでも相談できますよ。ですか
⑵世界初、営業員のアシストするネット取引
今村 i√というのが、当社のネット取引のシス
テムなんですよ。平成一一年にこれもすべて自社
ら当社のネットは、たしかにネットで取引するん
それにはどうしたらいいかなと考えたんです。
で作ったんです。このシステムはその当時、ネッ
ですけれど、担当者がついているのと一緒なんで
――そして、i√というネット取引のシステムを
ト証券がだんだん力をつけてきたので、このまま
すよということで始めたんです。その代わり手数
作られた。
では危ないなということで当社もやり始めたんで
料は正規の手数料の二割引き程度ですがと…。
シ ョ ッ プ 的 な 感 じ で や る し か な い だ ろ う。 つ ま
そ れ な ら 主 た る 商 い と し て で は な い、 ア ン テ ナ
おかないとダメだなという結論になったんです。
かを考えて、ネットも一つのツールとして残して
やらなきゃいけないし、その位置づけをどうする
れるわけですよ。そうは言っても、ネットは今後
してください。その分手数料を二割割り引きます
い、お答えします。ただ、注文の発注はあなたが
今村 というより、お客様は何か聞きたいことが
あったら、担当の営業員にいつでも聞いてくださ
…。
載 せ て、 お 客 さ ん が 相 談 す る 営 業 員 を 選 べ る と
――ホームページに営業員の略歴や相場観などを
― ―
108
そのときに、営業員付きのネット取引というこ
とを思いついて、何か分からないことがあったら
す。 た だ、 こ れ は 深 入 り す る と、 お 客 様 が 全 部
り、世の中の動向を知るという程度で進めていき
そっちに行ってしまうので、対面営業の基盤が崩
証券レビュー 第55巻第5号
挙両得だということで、営業員付きのネット証券
に電話していただければカバーできますから、一
れども、営業員がついていますので、その営業員
の場合にどうしたらいいかが問題になるんですけ
が切れて注文を出せなくなる場合もあります。そ
の場合は、ネットワークがおかしくなって、通信
よという仕組みなんです。それから、ネット証券
岡三オンライン証券を設立した〕。結局、野村さ
よ〔岡三証券は平成一八年一月に、別会社として
ども、どこもなかなかうまくいっていないんです
している〕。岡三さんもやっていらっしゃるけれ
現在は野村ネット&コールとしてサービスを提供
が、平成二一年一一月に野村証券に吸収合併し、
に、別会社としてジョインベスト証券を開業した
く 作 ら れ ま し た〔 野 村 証 券 は、 平 成 一 八 年 五 月
――吸収しましたね。
の証券会社もネット取引には試行錯誤しているわ
ださいというのでやっています。だから、野村さ
営業員がついて、何かあったら営業員に聞いてく
― ―
109
を始めたわけです。
初めての営業員がアシストするネット証券と書い
んは本体でネットをやり始めているんです。
てありますね。
けですよ。ネットを持たなきゃいけないというの
んなどが別会社でやって、結果的に本体に戻した
業員付きとは言っていませんけれども、実際には
で、仕方なく野村さんなんかもネット証券を新し
今村 そうなんです。これはお調べになると分か
りますけれども、大手の証券会社も含めて、どこ
今村 野村さんの手数料のテーブルを見ますと、
私どもと一緒でだいたい対面の二割引きです。営
――そうですね。ホームページを見たら、世界で
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
かったというふうに思っています。
ネット取引では先を読んで、考えたやり方が正し
同 じ や り 方 に な っ て い ま す。 で す か ら、 う ち は
――人件費だけですか。
んどかかっていません。
パッパッパッパッと作った。それにコストもほと
今村 もともとの力があるから、あっという間に
作 り ま し た よ。 一 カ 月 も か か ら な か っ た か な。
のと、うちがずっとやってきたのと、最終的には
たしかに、お客様は、「今村のi√は高い」と
言いますけれど、でもそれはそれで仕方ない。う
今村 人件費だけです。
らと…。
やりたいけれども、システムにコストがかかるか
――地場の証券会社の人に聞くと、ネット取引を
言われたとおっしゃっていました。
す。 そ う し た ら、「 い や、 止 め な さ い。 コ ス ト が
ネット取引をした方がいいかを聞いたんだそうで
先 行 し て ネ ッ ト 取 引 を さ れ て い た 業 者 さ ん に、
ら。
今村 そうでしょう。ただ、うちのシステムは一
カ月ぐらいで作り上げましたよ。
今村 今だったら一億円かかるとかと言う人がい
ま す け ど、「 う ち は ほ と ん ど コ ス ト を か け ず に
――ある会社でお聞きしたら、その会社は大阪で
――それはもともとシステムを構築できる基盤が
サ ッ サ ッ サ ッ と す ぐ 作 れ ま し た よ 」 と 言 う と、
かかって、あなたの会社じゃ絶対無理ですよ」と
あるからですよね。
― ―
110
ちはそういうコンセプトでやっているんですか
証券レビュー 第55巻第5号
に難しくなくても、今までのシステムとどうくっ
場合は、ネット取引のシステムそのものはそんな
ら、わりと簡単にできたわけです。ただ、他社の
引の仕組みをくっつけるだけでいいわけですか
ムを自分たちで作っているので、それにネット取
に電話してくれれば、いくらでもご相談にのれる
手数料が二割ほど安くなります。何かあれば、私
ちでもやってますよ。i√というのがあります。
すよ。こういうお客様には、うちの営業員は「う
なんだけどねえ」と言うお客様が最近多いわけで
今村 それももちろんあります。対面のお客様の
中で、「ネット取引って、なかなかおもしろそう
「エーッ」と言われます。うちはすべてのシステ
つけるかが大変で、お金もかかるんですよ。
ると、お年寄りの人なんかはネット取引をやって
よ」とお教えしますので、だんだん上手くなって
― ―
111
仕組みがありますよ」と言うわけですよ。そうす
――今、現物の売買は全部それで。
みたいけれど、どうしていいか分からない、なん
か う さ ん 臭 い な と い う 人 で も、「 そ れ じ ゃ あ、
やってみようか」というふうにして、やってくれ
るんですよ。
――要望があればということは、営業員が注文を
いくわけです。それで、ネット取引ってこうなの
そして、その人が操作方法が分からない場合、
そ の 営 業 員 に 聞 く と、「 こ う こ う こ う な ん で す
受けてきてというのもまだ…。
今村 お客様の要望があれば、すべてi√を経由
して取引できます。
――全部i√経由で…。
今村 現物も信用もやっていますよ。
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
かと慣れてしまうと、今度は今村証券の手数料は
高いなと感じるようになって、安いところに代わ
られてしまうのが今の課題です。ですから、悔し
――山一を母店にしていたというお話ですが、山
金融危機による 母店の破綻とその苦悩
るまでの橋渡しを、うちがやっているみたいなと
一証券が破綻しますと当然、つなぎ先を変えない
いですけれど、本格的に手数料の安いネットに移
ころがあるんです。
――ネット専業業者に移っていくお客さんがいる
一証券の破綻に伴い、かなり苦労されたという話
ビュー』に掲載した沖縄証券さんのお話では、山
― ―
112
といけないわけですね。今年の八月号の『証券レ
ということでしたが、結構な数なんですか。
――今、名古屋にいらっしゃいますよね。
今村 そう。彼のことは本当によく知っている。
――山一から沖縄証券に行かれた方ですね。
今村 あれは面白かった。伊藤〔健之〕さんの話
が出ていたでしょう。
をされています。
今村 それはいますね。
――やっぱりね。
今村 たくさんいます、それは。
証券レビュー 第55巻第5号
今村 そうそう、今、名古屋にいます。先ほど山
一の友好店会の話をしましたが、彼は友好店の世
す。そういうふうに三社とつき合っていたんです
の端末で打ち込まなければならなかったわけで
が向こうにポンと飛ぶわけですが、藍澤とは藍澤
話役をしていたんですよ。
縄証券のときの苦労もよく聞かされて、知ってい
今村 そうそう、業務部長だった。そんなことも
あって、私と彼は本当に親しくしていたので、沖
ね。
的に三洋か山一で発注できましたけれど、藍澤の
文を出す場合は、営業員が打ち込んだ注文が自動
というのはすごい大変なんです。山一と三洋に注
ところが、三洋がまず潰れて、続いて山一が潰
れ、藍澤だけになったんです。ところが藍澤は、
よ。
るんですよ。だからあれはウンウンと思いながら
場合は、一旦営業員が受けた注文が本社に来て、
――伊藤さんは山一の業務部長をされていました
読んでいました。
打ち込むわけですから、とてもじゃないけど大変
そ こ で こ れ は い か ん と い う こ と で、 ま ず〔 日
本 〕 協 栄 証 券〔 現 在 の 証 券 ジ ャ パ ン 〕 に 母 店 に
本社がその注文を確認して、藍澤の端末でそれを
う仕組みだったんです。ですから、三洋、山一に
なってもらえないか頼んだんです。それで、うち
― ―
113
先ほど言いましたように別端末なんですよ。これ
もともと当社の母店は、三洋と山一と藍澤だっ
たんですね。ただ、三洋と山一とはシステムが直
だったんです。
は今村証券の端末で打ち込んだら、自動的にそれ
の会社に置いて、藍澤の端末から注文を出すとい
結していたんですが、藍澤とは藍澤の端末をうち
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
は、藍澤の端末を使って発注するのと、あと協栄
と シ ス テ ム を 直 結 さ せ た ん で す。 そ れ ま で の 間
て、協栄とは山一が潰れた後、四カ月ぐらいする
たわけです。一方、藍澤の方は、同業者取引を止
うして協栄、岡三、大和とオンラインを直結でき
りましょう」と言って、やってくれたんです。こ
今村 FIXプロトコル。これは日本で初めてな
んです。大和は「FIXだったらやり易いからや
の社員が三、四カ月必死になってシステムを作っ
との間で電話で注文を発注していたんです。
んです。何とかという電送方法を使って…。
結できました。それから、大和証券とも直結した
〇年三月のことで、岡三とは平成一〇年五月に直
直結できたんです。協栄と直結できたのが平成一
です。それから二カ月後に、岡三ともシステムが
今村 はい。その間はひどかった。でもシステム
部が必死に頑張ってくれて、四か月でつなげたん
ですか。
――たったの四カ月間でシステムを直結させたん
今村 そう。三洋が潰れたときは、その一年ほど
前から、危ないぞというのが何となく分かってい
月もしないうちに潰れたわけですよね。
を決定、大蔵省に申請した〕。二つの母店が一か
の三週間後の一一月二四日に山一証券が自主廃業
社更生法の適用を申請して事実上経営破綻し、そ
間ですよね〔平成九年一一月三日、三洋証券が会
――しかし三洋が潰れて、山一が潰れるまで三週
大和を母店にしていたわけです。
そこで止めて、会員権を取るまでは協栄、岡三、
― ―
114
めたかったみたいなんですよ。それで、藍澤とは
――FIXプロトコルですね。
証券レビュー 第55巻第5号
いたり、MMFとか中国ファンドなんかも売って
した。また、今村証券は山一証券の投信を売って
て信用の建玉もありましたし、ものすごく困りま
ところが山一は、まさか潰れると思ってもいな
かったので、最後の最後まで信用取引もやってい
で、三洋破綻の影響は全然なかったんです。
す。 で す か ら、 現 物 だ け 細 々 と 発 注 し て い た の
潰れる時点では建玉はほとんどゼロだったんで
用取引の新規建てを止めていましたので、三洋が
かっていたので、三洋が潰れる一年ほど前から信
り し て い る 中 で、 こ れ は 危 な い ぞ と い う の が 分
たんです。僕も三洋の〔土屋陽一〕社長に会った
て、預かり資産が一割ぐらい減りました。
いうほどでもないんですが、解約が大量に出まし
いましたので、山一が潰れたときに、取りつけと
の人は、山一と今村はすごい関係があると思って
なったために大きな損害は出しましたけれども、
証 券 の 株 を 持 っ て い た の で、 山 一 の 株 が ゼ ロ に
持っていたから苦労したんですけど、うちは山一
証券は当社とは逆に、山一証券が沖縄証券の株を
世の中の人はそう思わないじゃないですか。沖縄
は今村証券の株を持っていないんです。しかし、
ちが山一証券の株を持っているだけで、山一証券
が引き出しに来たんですよ。本当にガクッときま
― ―
115
それ以上の損害はなかったんです。ただ、世の中
いましたから、山一とはものすごくつながりがあ
そのときに人間というのはひどいなと思ったこ
とがあるんですよ。というのは、私の親戚までも
すよ。
うのも本当で、僕のことを信頼してくれている人
したよ。だけど、捨てる神あれば拾う神ありとい
たしかあのとき、今村証券は山一証券の株を二
〇万株ぐらい持っていたと思います。だけど、う
るということは、お客様も全員知っているわけで
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
困りましたね。ただ、当社はたまたま自社システ
て、母店をどうしたらいいかということが、一番
だから、金融危機のときは、預かり資産が大量
に 減 っ た こ と と 母 店 で あ っ た 三 洋、 山 一 が 潰 れ
うことが、そのときによく分かりました。
と本当にうれしいものですね、人間って。そうい
りました。やっぱり苦しいときに、助けてもらう
中国ファンドを買ってくれたり、そんなことがあ
は、その日に当社へ来て、二、〇〇〇万円ぐらい
んですよ。
証券会社と基本的に仲よくするというのがあった
ただ、協栄は何で協栄を母店にしたのかはよく
分からないんですけれど、協栄というのは地方の
ということです。
ね。そういうことで、うまく発注先を確保できた
岡三もうちと取引をしたかったと思うんですよ
「やってやれや」と言ってくれたんです。まぁ、
証 券 と 仲 間 で、 香 川 証 券 の 中 條 社 長 が 岡 三 に
今村 岡三は、先ほど言ったように、当社は香川
縁があったんですか。
――岡三や協栄を母店にしたというのは、何かご
かったわけですが…。
の証券会社とシステムを直結できたので、まぁよ
をもっていたため、三、四カ月でパタパタと三つ
母店になってくれたので、三、四カ月は協栄と藍
本当に協栄にはお世話になったんですよ。協栄が
えず電話で注文を受けたりしてくれましたから、
今村 そうです。そういうこともあったりして、
また、人手があまっていたこともあって、とりあ
会社ですからね。
――もともと日本協栄というのは、つなぎ専門の
ムを持っていたことと、システムを構築できる力
証券レビュー 第55巻第5号
― ―
116
テムが直結できて、急場を乗り越えられたわけで
それから、半年もしないうちに協栄や岡三とシス
澤へ何とか注文をつなぐことができたわけです。
す。
店をとらなくなって、これを止めてしまったんで
たんですね。だけど、大和も四年ほど経つと友好
す。
――同業者取引を…。
和もウエルカムとまではいかなかったし、最初は
持ちたいというのがあったんです。ですから、大
いました。この当時はまだ、支配下の証券会社を
勢力を広げて、業界内の発言力を強めようとして
いましたように、母店というのはそれぞれ自分の
に二、三回行ったこともあるんですよ。先ほど言
投信を売ったこともあったので、大和の友好店会
と思ったわけですよ。そのときに、かつて大和の
今村 それまで山一とつき合っていたでしょう。
だから、やっぱり大きいところとつき合いたいな
いまして、そこで取引を止めたわけです〔今村証
三には「いろいろありがとうございました」と言
それから後は、協栄と岡三でいくことになった
んですが、会員権をとることになって、協栄と岡
結したのに無駄になってしまったんですね。
うことになってしまって、せっかくシステムを直
今村 そのころに意味がないということになった
んです。ですから、友好店とも全部縁を切るとい
もたなくなったんでしょうね。
――大和も野村も、系列政策がもうあまり意味を
今村 同業者取引を止めました。
ウーンと言っていたけれども、何とかやってくれ
― ―
117
――大和とはどうですか。
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
の総合取引資格を取得した〕。
券は、平成一五年一二月一日付で東京証券取引所
文を出すように言っておくわけです。当然、この
この店は全部母店のコード番号九番を打って、注
店 に 出 す ル ー ル は あ っ た の で し ょ う か。 た と え
――母店が複数あったときというのは、注文を母
している店では、岡三のコードが仮に三番だった
が協栄に発注するわけです。一方、岡三を母店と
ますよね。そうすると、自動的にうちのシステム
支店の営業員が注文を出すときには九番と入力し
ば、支店ごとにつなぎ先を変えていたとか…。
とすれば、三番と入れたら、自動的に注文が岡三
に行くようになっているんです。
― ―
118
今村 そうそうそう。だいたいそうです。だから
協栄、岡三、大和のときも、大和が大体五、六割
――ということは、発注端末自身は一緒だけれど
も、母店のコードでどっちへ飛ばすかを決めてい
――ですから支店ごととか、そういうことが簡単
たということですか。
今村 そうではなくて、営業員が注文を出すとき
に、 母 店 が ど こ か と コ ー ド を ま ず 打 た せ る ん で
にできるわけですか。
――ということは、支店ごとにシステムの直結先
す。例えば、ある支店の母店が協栄だったとしま
今村 そうです、そうです。
今村 そうそうそう。自動的に決まるわけです。
すと、仮に協栄のコードが九番だったならば、こ
が違うわけですか。
思いますけどね。
で、あと協栄と岡三で半分半分ずつ出していたと
証券レビュー 第55巻第5号
ということをずっと考えていました。
今もどうしたら銀行に追いつけるか、というこ
とを常に考えています。すなわち、これまで証券
今村 私は、学生時代、証券研究学生連盟の一六
代目の委員長をやっていて、どちらかというと純
されるようになってきたのでしょうか。
ですが、どういうところで他の方とは違う発想を
学が少し違うなと思ってお話をお聞きしていたの
までお話をお聞きしてきた経営者の方と、経営哲
――今日のお話をお聞きしていて、社長様はこれ
券業の使命を達成できるのかという、そういう原
ていけないんですけれども、でも、どうしたら証
的にそこからの発想なんですよ。私は、もちろん
ありますが、どうしたら金儲けができるか。基本
ないかなと思います。僕も他社の話を聞くことが
他の証券会社と違う発想を生む根底にあるんじゃ
をずっと考えながら仕事をしてきました。そこが
資本とシステムの独立性が 可能にさせた独自の経営哲学
理論的に証券市場について考えていました。当時
理原則のところから考えてきました。そのあたり
その前になぜ証券というのはこんなに力が弱いん
ていかないんだって考えていたんです。そして、
やっぱり自分でキチッとやらないといけない。そ
るのも、ロボットになってしまうんじゃなくて、
と思います。例えば、システムを自社開発してい
― ―
119
会社の使命というのは何かという、根本的なこと
は、 銀 行 と 証 券 と は 車 の 両 輪 と な っ て や ら な い
が他社と違っているところになるんじゃないかな
だ、これをもっと強くしていかなきゃいけない、
金儲けもしないといけないし、そうしないとやっ
と、日本の資本主義あるいは日本経済は成り立っ
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
と思いました。それから資本でも絶対に銀行資本
うしないと、銀行とは太刀打ちできないだろうな
もできなくなるんです。
び自分のところでやろうと思っても、どうしよう
たく入っていません。
今村 できなくなるんですよ。だから、一旦入れ
てしまったら、もうお終いなんですよ。そこら辺
――できなくなってしまいますね。
を入れない。うちには銀行とか他社の資本はまっ
――独立系でいらっしゃいますね。
のところが分かっているので、あえてそういうふ
やっぱり銀行の資本がちょっとでも入ると、銀行
せ ん し、 す べ て の 面 で 独 立 し て や っ て い ま す。
今村 入っていません。完全な独立です。それか
ら人材面でも、銀行から人を採ることもしていま
――証券会社からの資本も入っていませんね。
トが高くつくことはありませんか。
――システムは自社開発する方が、結果的にコス
考え方がそこから来ています。
え方で経営しているのが当社の特色で、すべての
うにしているわけです。だからかなりピュアな考
の 色 と い う の が 出 て し ま う だ ろ う し、 シ ス テ ム
――開発する人の人件費を考えると…。
今村 そうかも分かりません。ひょっとすると高
いのかもしれません。
だって他社のものを少しでも入れてしまうと、後
戻りできなくなります。あれは一遍入れると、そ
の部分がブラックボックスになってしまって、再
― ―
120
今村 完全なる独立。
証券レビュー 第55巻第5号
いと…。ロボットでは困りますしね。
今村 そうかも知れません。だけど、特色を持っ
た経営をするためには、やっぱり自社で開発しな
――バブルのころに、多くの中小の証券会社に銀
から来ていると思うんです。
映できますしね。
――自社開発ですと、自社の経営方針がすぐに反
今村 いろいろとかかりましたけれども、私はそ
れを全部断りました。むしろ、ビッグバン後に銀
声がかかったんですか。
ということが流行りましたでしょう。やっぱりお
ズして持ってくることと、その結果、システムの
――自分のところで作っているものをカスタマイ
うにしようという動きがあったんです〔銀行の証
たんですよね。つまり、銀行も証券業ができるよ
証券業もできるようにしようというのが、まず出
― ―
121
行が資本を出して、法人営業のお手伝いをさせる
今村 そうです、そうです。システム会社にカス
タマイズを頼むと、ものすごい時間とコストがか
行代理店もやっています。銀行代理店の話という
その部分は完全なブラックボックスになりますか
の議論を始め、平成三年六月に「新しい金融制度
券業務参入までの経緯は次のようであった。昭和
今村 そうなんですよ。当社はそこのところにこ
だわってやっているんです。今村は変わったこと
について」という答申が出された。一方、証券取
六〇年九月、金融制度調査会が金融制度の見直し
をするなということのすべての根本は、全部そこ
らね。
のは、元々は証券取引法六五条の関係で、銀行に
かると思うんですよ。
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
を主張して「向こうができるなら、こちらも向こ
始された〕。私は、それはおかしいよということ
て、平成一六年四月一日から証券仲介業制度が開
券代理店制度が提案され、証券取引法が改正され
じて、個人の資金を証券市場に取り込むため、証
場の改革促進」で、証券の販売チャネル拡大を通
一四年一二月、金融審議会第一部会報告「証券市
ウォール規制は緩和されていった。そして、平成
一 一 年 一 〇 月 に 解 禁 さ れ、 そ の 後 も フ ァ イ ア
る株式ブローカー業務は当面禁止されたが、平成
ただし、弊害防止措置として、銀行の子会社によ
革法で、業態別子会社による参入が認められた。
で行われ、平成四年六月に公布された金融制度改
間報告を具体化するための議論が証券取引審議会
り方について」が出された。その後、これらの中
中間報告「金融の証券化に対応した資本市場の在
引審議会でも、平成元年五月、基本問題研究会の
です。それで次に北陸銀行に行ったんです。北陸
必要ですからね。アハハ」って軽くいなされたん
に「いやぁ、新しいことをやるのはエネルギーが
行ったんです。北國銀行の頭取に会ったら、頭取
へ 行 っ た ん で す よ。 近 い の で、 ま ず 北 國 銀 行 に
これはぜひやりたいなと思って、いろいろな銀行
ばっかりだということになりますよね。それで、
僕はずっとそれを主張していただけに、銀行代
理 店 の 規 定 が で き た ら、 や っ ぱ り や ら な い と 口
一一月に銀行法が改正された〕。
範囲で銀行代理店を活用できるよう、平成一七年
銀行代理店参入が解禁された。その後、より広い
月の内閣府令改正により、証券会社、保険会社の
きるような規定が作られたんです〔平成一六年四
ことになって、それで証券会社も銀行代理店をで
だ」と言ったら、金融庁もそれもそうだなという
うと同じことができるようにするのが当たり前
証券レビュー 第55巻第5号
― ―
122
していた福井銀行しかないなと思って、市橋七郎
た。それで次は、僕の高校時代の同級生が頭取を
会 社 を 作 り ま す 」 と 言 わ れ て、 こ れ も ダ メ だ っ
ば、あなたに頼まないで、自分のところで証券子
りましたから、「もしそういうことをするとすれ
い仕組みで運用されてはいるんだけれども、コン
言うわけです。そして、「確かに経費がかからな
村、悪い。私のところでやれなくなってきた」と
い」と言うので、何だろうと思っていたら、「今
市 橋 頭 取 が 突 然「 今 村 の と こ ろ に 会 い に 行 き た
始めたんですが、今度は銀行の業績が落ちてき
たんですよ。それで、一年半ほど経ったある日、
銀行に行ったら、あの当時、まだ銀行は元気があ
君に会いに行ったんです。
今 村 そ う で す、 そ う で す。 友 達 だ っ た の で、
ち ょ っ と ど う だ ろ う か と 言 っ た ら「 お お、 い い
――福井銀行は市橋一族ですね。
う こ と で、 仕 方 な く 銀 行 代 理 店 を 止 め た ん で す
んだったら、こっちも頼むわけにいかない」とい
よ。それで「悪いけれども勘弁してくれ」と言っ
――三億円。それはもっぱら預金代理で。
― ―
123
プライアンス費用がかかるんだ」と言うんです
よ。やろうや」となったんです。この提携はハッ
ね。ただ、そのときは銀行預金を三億ぐらい集め
で、いいからやろうということで、福井銀行と手
今村 預金です。預金の代理店で。
てきたんです。こちらも「あなたがダメだと言う
キリ言うと、北國銀行と北陸銀行を敵に回すこと
ていたんですよ。
を結んで銀行代理店を始めたんですよ。
ら、別に誰かにどうこう言われる筋合いもないの
に な る ん で す よ。 た だ、 う ち は 独 立 資 本 で す か
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―
――融資の代理はしなかった。
あまあ損にはならなかったというふうには僕は
プライアンスの調査をしに来なきゃいけないとい
ていますから一年に何回か、銀行は代理店にコン
す。けれども、銀行は代理店に対する責任を持っ
仕組みそのものには全然コストはかからないんで
うまい仕組みを作ったんですよ。ですから、その
れていることに起因しているんですよ。だから厳
作られているのに対し、証券行政は性悪説で作ら
いうのは、銀行行政というのは基本的に性善説で
きている」と言って、感心していました。これと
い。証券会社のコンプライアンス体制は、よくで
銀行と別れるときに、彼らは「コンプライアン
スについては、証券界の方が銀行よりよほど厳し
思っていますけどね。
うわけです。そうすると、コンプライアンス要員
しくなるんです。どうもそういうことらしいとい
今村 そういうことで向こうから断られて、仕方
なく止めたんです。でも、一年半の代理店業務と
いですね。
――預金三億円では、人件費が出ないかもしれな
――これだけ資格試験の多い業種というのはない
言っていましたから。
とできているのか、勉強になりました」と銀行が
のコンプライアンスというのは、こんなにキチッ
― ―
124
今村 それはまったくしなかった。預金だけだっ
た。お互いに経費がほとんどかからないように、
の費用が…。
準備期間の間に、ずいぶん銀行のノウハウは教え
んじゃないですか。証券界だけですよね。
うことが分かりました。というのも、「証券会社
てもらいました。だから、そういう意味では、ま
証券レビュー 第55巻第5号
今村 おそらくそうでしょうね。それで、またコ
ロコロ変わって、どんどん厳しくなるでしょう。
――まあ営業も外に行きますからね。
めました。
――今でも、福井銀行は市橋同族でしょう。
今村 そうです。市橋というか松田というか、ま
あ市橋同族なんです。ですから、彼は辞めて、今
――銀行みたいにお客さんが来てくれる商売じゃ
るんじゃないですかね。
もが二人いますので、いずれどちらかが頭取にな
は悠々自適になっていますけど、福井銀行に子ど
ないですからね。
が起きる業界ですからね。ですから厳しくなるの
言った、言わないとか、いろんなややこしい問題
の内容をまとめたものである。文責は当研究所
平成二六年一一月五日に実施されたヒアリング
※ 本稿は、滋賀大学経済学部教授二上季代司氏
と当研究所から佐賀卓雄、深見泰孝が参加し、
今村 来てくれるわけじゃないですからね。しか
も、 扱 っ て い る の が リ ス ク 性 商 品 で す か ら ね。
は分からんわけではないんですけれどもね。とに
にある。
※ なお、括弧内は日本証券史資料編纂室が補足
した内容である。
かく、銀行としては「コンプライアンス費用が高
くなる。だから、うちもいろいろと広げていた仕
事を全部切るんだ、申し訳ない」と言っていまし
た。現実に彼は全部切り終わってから、頭取を辞
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今村 そうです、そうです。
北陸証券界の歴史を語る―今村九治氏証券史談(中)―