参加者のツアー全体を通した感想① - ひろしま国際センター

6 参加者のツアー全体を通した感想
一面に広がる蓮の花群
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カンボジア・スタディツアーに参加して
釘宮
健次
私は海外に行った経験が少なく、今回のツアーも参加
する際にはかなり戸惑う面もあるのではないかと思っ
ていたのですが、一週間参加してとても考えさせられる
ものとなりました。第一に勉強になったことはカンボジ
アの長い仏教の歴史、そして 30 数年前の共産主義にお
ける弾圧の歴史を知ることができたことです。
にゅう かい かく はん
アンコールワットに行き「天国と地獄」や「乳海攪拌」
の話を聞いて、科学が発達する前に、人間はどうして死
ぬのか、どのようにしてこの世界は始まったのか、その
ような問いに答えるものとしての宗教の役割を改めて実感させられました。
ポル・ポト政権下における知識人階級の弾圧と虐殺は完全な共産主義思想を
矛盾に満ちた現実に持ち込もうとしたときに生じた軋轢だと思いました。これ
あつ
れき
はカンボジアだけではなく、他の国の歴史にも見られたことでありこれから先
にもまた起こりうることだと思います。このようなことを起こさないためにも
歴史を反省し、われわれはどうすべきかということを再考する必要があると思
います。
第二に勉強になったことは、カンボジアの国際協力の最前線で活躍する人々
と出会い、現状を知ることができたことです。カンボジアひろしまハウスでは、
3 階の効率的な使い方や、管理者をなかなか固定できないなどの問題があり、そ
れらをこれからどう改善していかなければならないか、ということについて考
えさせられました。また、タケオ州の教員養成学校や一緒に食事をした青年海
外協力隊、シニア海外ボランティアの方々とお話をして感じたことは、ボラン
ティアの人たちと現地の人たちとのモチベーションの違いです。改善の余地が
あると思う先進国の人たちと、現状維持で良いと考えるカンボジアの人たちと
いう両者の考え方の違いは国際協力全体のあり方を考えさせられるものだと思
います。文化を尊重し、それにあった発展を目的として国際協力分野で活動す
る現場の人たちがサポートしていく、そのような形が理想だと思います。それ
を実行していくためには援助国と被援助国が対話を重ね、より効率的な援助を
していくべきだと思いました。
今回学んだこと、得たことをこれからにどう還元し、どう将来に生かしてい
くかはまだわかりませんが、これからも学習と経験を重ね、国際社会に貢献で
きる人間になりたいです。
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参加前の私の抱負を漢字 1 字で表すと
です。
自己紹介,所属,ツアー参加の動機,将来の夢
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万国共通のコミュニケーション
西尾
舞子
私が今回スタディツアーに応募したのは、カンボジア
の教育現場を実際に見たり、カンボジアの子どもたちと
ふれあうことで、広い視野で多角的に教育や普段の生活
を見ることができるのではないか、
と思ったからである。
このツアーの日程の中で、子どもと接する機会が多く
あった。子どもたちとふれあった後、メンバーの何人か
が口をそろえて「カンボジアの子どもは純粋だ」
「カンボ
ジアの子どもは笑顔が可愛い」
「日本の子どもはませてい
るから…」と言っていた。しかし私はそれを聞いて、その表現に違和感を覚え
た。大学で児童教育学科に所属している私は、幼稚園や小学校の教育現場で実
習を行ったりと、普段から子どもと接することが多くある。私自身の経験で比
べてみても、日本の子どもも十分に純粋だし、笑顔も可愛い。カンボジアの子
どもも日本の子どもも変わらないのに、ただ私たち大人の接し方が違うだけな
のではないだろうか。子どもたちが心を開くか否かは、心を開いてもらえるよ
うに、私たちが行動を起こすかどうかで決まると思う。確かにカンボジアの子
どもたちは、私たちツアーのメンバーが挨拶をしたり、手を振ったりすると人
懐っこく返事を返してくれた。小学校や孤児院では、一緒に遊ぼうと誘うこと
で思いっきり体を動かして縄跳びやボール遊びをしたり、折り紙やお絵かきな
どで一緒に遊んでくれた。これは、私たちが積極的に子どもたちに近づきたい
と笑顔で接し、正面からぶつかっていったからこそ返してくれたのだと思う。
一方、日本では通りすがりの子どもに笑顔で微笑んだり、挨拶をしたりでき
る人はとても少ないのではないだろうか。相手が気付いてくれないかもしれな
い、相手に変に思われるかもしれない、面倒だから、など理由は色々あるかも
しれないが、これらは全て大人が作り出した社会環境であり、日本の子どもた
ちは何も悪くない。実際、私が近所の子どもたちに挨拶をしたり、笑いかける
としっかりと返してくれる。たとえ相手が気付いてくれなくても、自分は悪い
ことをしたわけではないので、恥ずかしがることもないし堂々としていたら良
いと思う。国立小児病院でお会いした楠川富子さんは、
「全ては教育だ」とおっ
しゃっていたが、こんな小さな挨拶一つにしても、一緒にいる大人がいつも挨
拶をする姿を見ていたら、子どもたちに自然に身に付く「教育」になると思う。
カンボジアに支援をしている立場の日本にも、まだまだ教育していかなけれ
ばならないことはたくさんある。また、情報化社会の影響で人と人との関わり
が希薄になり、万国共通で一番のコミュニケーションの手段である笑顔と挨拶
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がおざなりになってしまっているのではないだろうか、とも感じた。
これから、生きていく上で、自分自身も笑顔と挨拶を大切にしていきたいし、
教育に携わっていく人間として、それを伝えていきたいと心から思った。
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参加前の私の抱負を漢字 1 字で表すと
です。
自己紹介,所属,ツアー参加の動機,将来の夢
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「私が見たもの、感じたこと」
門阪
阿佑香
私がこのツアーに参加することを決めたのは、
就職活動中の 12 月に出会った、ある企業の人事
の方の言葉からでした。「自分に自信を持つため
にはアクションを起こせばいい。今からでも遅く
ない。」私は、中学生の頃から途上国で国際協力
に携わりたいと考えていました。しかし、自分に
自信が持てず、いつからかその夢から逃げてしま
っていました。大学 3 年生になり、
「働く」ことについて考えていくうち、どう
しても途上国の発展に関わる仕事に結びついていることに気付きました。
「じゃ
あ、現地に行って自分に何ができるのか、何がしたいのか考えよう。
」それが私
の参加動機です。
今回カンボジアを訪れて思ったことは、
「豊かさ」とは何かということでした。
カンボジアは、まだまだインフラが十分整備されていないし、道路もゴミだら
けで日本の生活環境とは全く違いました。しかし、私はこの国で 1 週間過ごし
ただけでも、数え切れないくらいの笑顔に出会いました。特に子どもたちの笑
顔が強く印象に残っています。物質的な豊かさで言えば日本が圧倒しています
が、精神的な豊かさはカンボジアの方が上ではないかと感じました。もちろん、
この国が発展し、1 人でも多くの人が貧困から抜け出すことが重要であり、その
ために先進国に住む私たちが支援することも必要です。今、カンボジアで特に
必要とされている支援は、教育や医療など形のないものに対する支援です。知
識がない、知らないということは命にも関わることだと知りました。例えば、
性教育ですが、教育が十分ではないために、HIV/AIDS に感染した子どももたく
さんいました。現状では、井戸や建物など目に見える支援が多くされています。
しかし、私たちが出会った子どもたちの、あのきれいな笑顔が消えてしまわな
いような援助の方法を考えていかなければならないと思います。
私自身、このツアーの経験を今後どのように活かせるのかはまだわかってい
ません。しかし、この国で見たこと、感じたことを日本にいる人に少しでも伝
えていければ良いなぁと考えています。そして、私ももっといろんな国を自分
の足で訪れ、自分の目で見たいと思いました。
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参加前の私の抱負を漢字 1 字で表すと
です。
自己紹介,所属,ツアー参加の動機,将来の夢
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自分の目で見て
体験して
植田
彩子
2 月 13 日(日)20:30 頃、プノンペンの空港
に到着して私たちを待っていたのは、たくさんの
人々と車、バイクが行き交うにぎやかな夜の街で
した。街には高い建物も多く、プノンペンはかな
り発展しているではないかと思いましたが、ふと
道路を見ると、バイクに 2、3 人が乗るのは当た
り前で、自由に走るバイクや車。法整備はまだま
だでした。
今回スタディツアーに参加したのは、そんな開発途上国の援助に興味があり、
自分に何ができるのかを実際に現場を見て考えたい、そして様々な人と出会い、
物事を考えていく中で自分を成長させたい、と思ったからです。このツアーで、
国際協力についていろいろな視点で考えることが出来ました。
その中で私が特に大事だと思ったのは、援助は先進国の自己満足で行うもの
ではない、そして現場を自分の目で見ないと分からない、ということです。例
えば、日本はこれだけの金額を援助に充てていて世界で○位です、という表現
や、学校を建てました、これだけの金額を寄付しました、などということが私
が今まで耳にしてきたことで、日本はこんなにも援助をしているんだなぁと感
心していたものでした。しかしこの度、教員養成校や国立小児病院、小学校等
を訪れ、現地で働く協力隊員の方々のお話を聞いたり現場を見たりして、それ
は先進国に住む私の自己満足なのだということを痛感しました。日本を含む先
進諸国からの援助がどっと入ってきていろいろと支援してくれるために、自分
たちから動いて何かをやろう、という姿勢があまり見られず、それは教員養成
校や病院でも同じのようです。病院や学校には使い方も良く分からず送られて
きたままの機械や、修理する人もいないのに外国から送られてきた装置なども
ありました。経済支援や建物を建ててあげることも必要かもしれませんが、そ
ういった目に見えて、援助した実感がすぐ湧くものよりも、援助の効果的な方
法をカンボジアの人たちと一緒に考えたり、人材育成のために必要な環境を整
えてあげたりと自分たちで何かをできるようになるための手助けの方が本当に
大事だということを学びました。
私がカンボジアで見た問題はたくさんあります。衛生面、交通状態、なかな
か改善されない教師の質と安価な賃金、進まない地雷除去活動、そして学校に
行けない子どもたちや物乞いをする子どもたち・・・。ポル・ポト政権下で教師や
医師などの知識人が大量に虐殺されてしまったことでポル・ポト政権が崩壊し
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たあとも、知識人の不足のため子どもたちの教育ができないということが、結
果的にその子どもたちが大きくなっても教育が不十分なために国の発展のさせ
方が分からない、HIV/AIDS やその他の感染症などの病気の知識もない、という
悪循環になっていました。
そのような国をもう一度教育から始めて、発展させるのは本当に大変だろう
し年月も長くかかります。けれどもここで先進諸国に頼ってばかりでは 100 年、
200 年先を見たとき、結局は何もカンボジアの力にはならないと思います。その
国にあった発展の仕方で、カンボジアでいえば近代的な技術を使ってもっと効
率的に農業を行うなど、豊かな自然を活かしながら発展していけたらいいなと
願っています。高層ビルが立ち並ぶ国ばかりが「豊かな国」とは限らないので
はないでしょうか。
カンボジア現地ボランティアの方々、日本語やお互いが共通して何とか話せ
る英語でコミュニケーションをとった学生さんたち、きらきらした笑顔で一緒
に遊んだ子どもたち、そしてこのツアーの参加者の皆さんに出会えたことで、
様々な視点から物事を考えることが出来て本当によかったです。この出会いを
大切にしてこれからもいろいろなことに挑戦し、考え、成長していきたいと思
います。本当に貴重で充実した 1 週間をありがとうございました。
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自己紹介,所属,ツアー参加の動機,将来の夢
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私が見たカンボジア
石坪
真紀
私がこのツアーへの参加を決意した理由は、発
展途上国の現状や日本からの支援活動をテレビ
や本などで見るだけではなく、実際に自分の目
で見てみたいと思ったからだ。暗い街のイメー
ジを持ってカンボジアに着いた私は、衝撃を受
けた。首都プノンペンは、人や物に溢れ活気に
満ちていた。内戦の終結から復興、さらに発展
を目指しカンボジアは大きく変わろうとしていた。しかし、大通りから少し外
れると、地面に広がるごみ、環境の悪さ、貧困があらゆるところから伝わって
きた。日本に住む私には考えられない環境で生活している人々が多くいた。
カンボジアでは、さまざまな場所を訪問し、現地の方や青年海外協力隊、シ
ニア海外ボランティアなど多くの方からお話を聞くことができた。その中で、
発展途上国が現在必要としている支援は何か、本当の国際協力とは何なのかと
いうことを考えさせられた。日本が行っている支援の多くは、物を送る物資支
援や建物を建てるなどで、目に見える支援が多く行われている。しかし、実際
に現地の状況を見ると、日本から送られた物は使い方が分からなかったり、壊
れて直すことができなかったりするものや、倉庫に眠っている物が多くあった。
カンボジアが国として自立していくためには、物資支援だけでなく、皆さんが
共通して口にされていた「教育」
「人を育てること」が 1 番大切であると感じた。
訪問先の 1 つであった、クメール伝統織物研究所は、内戦の中で途絶えかけて
いた伝統の織物の復興を課題に活動を始め、労働者を農村部の貧困層から優先
的に採用し、女性の自立を支援しながら、働くことのできなかった人々に仕事
を提供している。ここのように、技術を身につけながら働ける場所があれば、
海外からの支援がなくなっても働き続けることができる。このような場所を増
やすことが必要になってくるのではないかと感じた。私はこのツアーに参加し
て多くのことを見て、感じることができた。そして、これからは私にできる支
援活動について考え、答えを出したいと思っている。
このツアーで 1 番印象的だったのがカンボジアの人の笑顔である。カンボジ
アには、本当の人間らしさがある気がした。人の優しさ、温かさ、昔からの人
間の生き方、日本から発展と共に失われたものがカンボジアにはある気がした。
カンボジアで本当に多くのことを学び、考えさせられた。このツアーで出会
った皆さんに感謝しながら今後この経験を生かしていきたい。
本当に、このツアーに参加して良かった。
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自己紹介,所属,ツアー参加の動機,将来の夢
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初めての海外経験を終えて
田中
彩映子
今回のスタディツアーは私にとって、初めて
の海外体験となりました。私の参加動機は単純
に「海外に行きたい、知りたい!!」が強かった。
しかし参加が決定し、事前研修などカンボジア
で起こった数々の出来事に触れていくうちに私
はツアーへの取組み姿勢を変え、今回のツアー
参加に臨んだ。
到着後、見るモノすべてが新鮮でした。とくに、カンボジアの人々の人柄が
良く「笑顔で接すると、笑顔で返ってくる。
」当たり前なことかもしれませんが
日本にはない、カンボジアの温かみをツアー全体を通して感じさせられました。
そんなカンボジアですが、暗い一面について学ぶと今度は複雑な心境にもさ
せられました。ポル・ポト政権によって多数の知識人が虐殺されたその過去の
背景などをさらに深く学ぶことによって、それによる現在のカンボジアの問題
…教育と医療技術の低下、HIV/AIDS の蔓延、貧困、残された地雷など、これら
はすべて別々の事柄ではなく、繋がっているということを肌で感じ、自分には
理解し難い現実に言葉では表せないほどきつく心が締めつけられると同時に、
日本の平和がどれほど有り難いものなのかを知りました。またホテルに滞在し
たり、食事をしたりする間も、水や食事の有り難みを知ることができました。
私は大学で「食」について学び、深く考えなければならない立場にある。無駄
な消費について考えることも私の 1 つの役目なのではないかと思いました。
もちろん、得られたことも数え切れないほどありました。その中で最も印象
に残った視察先は国立小児病院で、そこで出会ったシニア海外ボランティアの
楠川富子さんからはたくさんの勇気とやる気をいただきました。楠川さんの笑
顔を見るだけで涙が出てきたほどその笑顔は輝いており、「こんな人になりた
い!!」と心からそう思った。またそこでは、管理栄養士が海外で活躍しているこ
とを知るきっかけともなり、私の将来が広がる一歩となったのです。帰国後い
ただいた楠川さんからのメールも私の宝物です。
私は今回のツアーを通して、もっと世界を知りたいと思いました。世界のキ
レイなところばかりではなく、暗い過去も全部ひっくるめて知りたいと思いま
した。やりたいことは「人の役に立ちたい」と漠然としているので、今後いろ
いろな活動にチャレンジをしていき、知識も蓄え、その目標に向かって「今で
きることを」をモットーに頑張っていきたいと思います。
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自己紹介,所属,ツアー参加の動機,将来の夢
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日本の外に出るということ
水戸
亜祐美
カンボジアに行って一番強く感じたことは、子供た
ちだけではなく大人たちもみんなよく笑うということ
でした。どこへ行っても子どもたちは外で走り回り笑
っています。そんな今の日本では見ることができない
ような光景を見ることができました。特にカンボジア
ひろしまハウスの周りで遊んでいた子どもたちはルー
ル無用のサッカーをしたり、車に登ったりビー玉のよ
うなもので遊んだりして、こっちまで笑顔になるくら
い楽しんでいました。どの場所を訪問しても子供たちは思い切り笑い遊んでい
ました。ほかにも、車で町の中を走っていると屋台では必ず多くの人が食事や
おしゃべりをしていました。日本では友達と食事をしたり、おしゃべりをした
りするのは休み時間や休日くらいのものですが、あちらでは朝昼晩の食事を屋
台で済ませることができるのでそのぶん友達や家族といる時間が増えるのです。
食事は友達とおしゃべりする大切な時間なのだとも思いました。カンボジアで
はお店は夜遅くまで営業するのではなく日本からすれば少し早めに店を閉めて
路上に並んでいる屋台へ食事に出かけるそうです。なによりも自分たちの楽し
いと思うことをそのままやっていることがうらやましく感じられました。住ん
でいる場所が違うというだけであんなに楽しそうな場所に行くことが出来ない
ということが少し悔しかったです。
カンボジアの人たちを見ているとあの人たちは自分を生きている人たちだと
感じました。自分が楽しいと思うこと、やりたいと思うことをやってその日を
楽しんでいるのではないかと思いました。きっとカンボジアの人たちは日本の
人たちよりも 1 年というものがとても長く感じられることでしょう。そういっ
た点でもまたうらやましいと思ってしまいました。
日本等の先進国といわれる国に住んでいると家族や友達といる時間がどのく
らい大切で、生きているということがどういうことなのか、自分が何をしたい
のかということを忘れてしまいそうになるのですが、カンボジアの人たちはそ
れらがどういうことなのかを知っていると思いました。
カンボジアに行ったことによって世界がテレビで見るよりも何十倍も厳しく
て面白いところだということを身をもって実感できました。また、私は途中で
病気にかかってしまいアンコールワットやいくつかのマーケットには行くこと
ができませんでしたが、その時に私のためにお土産を買ってくれたり心配をし
てくれたみなさんの暖かさにとても感謝しています。病気になったことで返っ
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て日本の良さや人の優しさを感じることができました。
みなさんありがとうございます!!
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カンボジアで得たこと
淀澤
真帆
私は今回のスタディツアーに参加して、本当に
多くのものを得ました。初めて行く国、知らない
文化、異なる言語など、すべてが初めてづくしで
した。ゴミだらけの街並み、3 人乗りは当たり前
のバイクなど、自分の抱いていたカンボジアのイ
メージとの違いに日々驚きました。そんな中でも
特に印象深かったのは、教育と国際協力の現場で
した。
タケオ州の教員養成校や、ササースダム村の中核小学校では、カンボジアに
おける教育の現状を目の当たりにしました。ポル・ポト政権時代に知識人が大
量虐殺されたことによって、当時の教師が一気にいなくなってしまい、現在も
その影響を少なからず受けています。その結果、教師の質や知識、意欲は決し
て高いものとは言えないのではないかと感じました。私はカンボジアでは 2 年
間の教員養成校を卒業しただけで教師になれるということに驚きました。日本
は 4 年制であるのに、まだまだ教師の質の向上が謳われています。私は 2 年間
で本当に子どもに分かりやすく教えられるようになるのか?と思いました。ほ
かにも授業がカリキュラム通りに進まない、教育を受けられる子どもが少ない、
情操教育の不足などなど問題点が多くありました。
しかし、ササースダム村の小学校で、子どもたちと駆け回って遊んだことは、
とても楽しく、忘れられない思い出です。子どもたちのキラキラした笑顔は万
国共通なのだなあとしみじみ感じました。言葉が通じなくても、笑顔でいれば
なんとかなる!と思いました。
国際協力の現場については、いろいろな箇所で学びました。タケオ州の教員
養成校で青年海外協力隊として活動されている方によると、カンボジアの人た
ちの中には、援助されることに慣れてしまい、受身の姿勢でなかなか自立しよ
うとしない人もいるとおっしゃっていました。私は、それを聞くまで「発展途
上国の人は先進国の援助を受けて、国の自立のために一生懸命頑張っている」
と考えていましたが、みんながみんなそうではないということに気付きました。
「援助に感謝して、自分たちも頑張るぞ!」と思っている人だけでなく、
「援助
に依存してしまおう」と考えている人もいるという現状にショックを受けまし
た。そして、先進国は「発展途上国への援助」を自己満足や、国際的な自国の
イメージ UP のために使っているのではないかと考えるようになりました。国
立小児病院でも、いくつかの国からの援助が入っていて、日本にはないほどハ
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イテクな医療機器が置いてありました。しかし、それを使うことができても、
故障したら修理をすることができず、その機器は倉庫行きになってしまうのだ
そうです。この事実を知った時にも、先進国の援助の在り方について考えさせ
られました。何のために、誰のために援助をするのか、国際協力に携わる人す
べてがこれを常に考えなければならないと思います。一時的なものではなく、
継続しなければ意味がありません。どんなに素晴らしい機器を与えても、その
使い方が分からなければ、それはゴミでしかありません。どんなにお金を使っ
ても、現地の人の需要に合わなければ、それは先進国の自己満足でしかありま
せん。援助する側は、もっと援助される側のことを考えるべきではないでしょ
うか。クメール伝統織物研究所で、カンボジアの伝統織物を復興させようと活
動されている元友禅職人の森本さんは、
「仕事をつくることが仕事」だとおっし
ゃっていました。現地の人々が自立して生きていけるようにするには、仕事を
与えることだということです。この活動を始めて、多くの人々が手に職をつけ、
自立するようになった。私は、クメール伝統織物研究所を訪れたことで、国際
協力の在り方は、このように「人を育てる」ことだと思いました。
今回、スタディツアーに参加したことで、カンボジアの教育の現場に行った
り、国際協力の現状を知ることができたり、カンボジアの「今」を感じたりす
ることができました。今までの考えを覆されたこと、終わらない自問自答によ
って、新しい自分になれた気もします。多くの人に出会い、触れ、考えを聞い
たことで、たくさんのことを得ました。このツアーで得たことを今後の学生生
活に活かしていきたいです。
最後になりましたが、同行して下さった當麻さん、植松さん、サポートして
くださった五十嵐さん、視察先の方々、参加者の皆さん、このツアーに関わっ
たいただいた全ての方々に感謝します。ありがとうございました!!
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です。
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カンボジアの人々の自立
井出
三郎
カンボジアに着いたのは午後 8 時ごろ。首都で
あるプノンペンの空港を出てホテルへ向かうバ
スの中で見た風景は衝撃的だった。バイクはノー
ヘル、2、3 人乗りが当たり前、中には 5 人乗り
をする猛者も。交通マナーは良くなく、比較的広
い道路であるにも関わらずクラクションが鳴り
響き混雑していた。道路の脇はゴミだらけで、少
人数の集団が街のいたるところで屯し何やら怪しい雰囲気…。これからのカン
ボジア滞在に不安を感じていた。
しかし翌朝、同じはずの風景は全く違った。道路には屋台が立ち並び人々は
たむろ
活気であふれ街はにぎやか。そして晴れたきれいな空にどことなく南国を思わ
せる明るい雰囲気に心が躍った。よく見るとバイクは SUZUKI や HONDA、YAMAHA、
そして車は TOYOTA のものが大多数で、さらには LEXUS のような高級車も少なく
なかった。ほとんどの人が携帯電話を所有しており、おしゃれで、
「これが本当
に支援が必要な国なのか?」と疑問に思った。
だがそれらの考えもツアーの中で払拭された。都市部と地方の格差、医療、
そして教育などこの国は様々な支援を必要としていた。特に教育支援について
は過去のポル・ポト政権時代に知識人が大量虐殺されたためにゼロからの復興
ということもあってその難しさを痛感した。一方で分野によっては支援の供給
過剰がカンボジアの自立を阻害しているという現状もあり、支援の在り方につ
いても考えさせられた。
重要なのはカンボジアの人々の自立。いつしかこれが自分のキーワードとな
っていた。個人がしっかりとした収入を得て、それを消費にあてるといった自
立した経済行動を行うために、雇用の機会を与えるクメール伝統織物研究所や
アーティザン・アンコールには大変興味を持った。不動産のように目に見えて
も現地の人々にはメリットの少ない支援だけではなく、目に見えなくとも着実
に現地の人の力になる支援が重要なのだと実感し、またその達成に全力を注い
でいる JICA 事務所の方の姿勢にも感動した。このように滞在中は常に自分なり
にカンボジアで問題を発見し、気付いたことや解決法を考えていた。
ともに参加したメンバーの存在も大きかった。他のメンバーとその日感じた
意見を共有することで、より理解が進み、観光やショッピングなどを楽しむ場
面では一緒に盛り上がった。それぞれ意思があってこのツアーに参加していた
のでメリハリがあって、とても充実した日々を送れた。
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最後に、滞在中常に僕たちメンバーを気遣ってくださった當麻さんと植松さ
ん、そして五十嵐さん、さらにメンバーには本当に感謝している。ありがとう!
オークン!
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わたしのみたカンボジア
冨山
玲
「貧困な国」といえば「カンボジア」とい
うイメージがあって、一体どんな暮らしをし
ているのだろうと昔から気になっていた。今
回カンボジアを訪れてこれまでのイメージ
が覆された。もちろん日本と比べて不便では
あるし、衛生面も良くない。このツアー全体
を通して、私がこの国から得たものはたくさ
んある。カンボジアの現状とともに、独自の良さや魅力も知ることができた。
カンボジアの現状や過去に触れて、言葉では表しきれないほど胸が締め付けら
れるような思いもした。ポル・ポト時代の虐殺や 1doller、1doller と言って私
たちにお金を乞う子どもたちの姿。でも、子どもたちのキラキラした沢山の笑
顔にも出会えた。夕日を浴びたアンコールワットもこの国の魅力の一つだ。
特に印象に残ったことの一つとして、キリングフィールド、ツールスレーン
収容所跡の視察がある。たった 4 年の間に、そこで 1 万 7 千人もの人が、
『知識
人』というだけの理由で虐殺された。そのせいで今、カンボジアの人々の教育
や考え方に影響している。しかし実際に殺された場所や骸骨を見て、意外にも
現実味は湧かなかった。あまりにも悲惨すぎて信じ難かった。ただ、犠牲者の
ひとりひとりの写真を見たときは胸が痛くて苦しかった。まっすぐこちらを見
ている殺される前の彼らの表情は、不安そうであり、何かを訴えかけているよ
うでもある。殺される側、殺す側、それぞれどんなことを考えていたのだろう。
7 人の生存者のうちのチュム・メイ氏に当時のお話を伺った。彼は世界中を回
り過去のつらい経験を思い出しながらこの事実を伝える活動をされている。し
かし、カンボジアの子どもたちはその事実を知らないそうだ。国は過去の惨劇
を隠ぺいしている。過去の過ちを国民が知った上で世界にアピールし、新しい
国をまた作り出すべきだとも私は考えたが、新たな知識人がまだ少ないカンボ
ジアで、その歴史を国民が知ったところでどうやって国を立て直すことができ
るのだろうかとも思う。しかし少なくとも、知られていないこの事実をまず伝
えていくことがその第一歩になるのではないか。
過去の影とは裏腹に、カンボジアの子どもたちは、どの子もとても素直な笑
顔で私たちに笑いかけてくれる。屈託のない綺麗な笑顔をたくさんもらった。
孤児院や小学校、子どもの家を訪問し、カンボジアの遊びやお絵かき、折り紙
などをして遊んだ。本当に元気だ。孤児院に、あまり話さないし笑わない子が
いた。体調が悪かったそうで、それにもかかわらず、私たちと遊びたくて無理
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して出てきてくれていた。お別れのときは私のネームケースに自分が折ったハ
ートの折り紙をそっと入れてくれて微笑む。何も言わなかったけれど、
「楽しか
った、忘れないで」そう言ってくれたような気がした。
多くの国から援助を受けているカンボジア。今必要としているのは「モノ」
ではなく「人材」である。いくら多機能の機械が送られても、それを使い、メ
ンテナンスし、壊れたら直す、という技術がないと全く意味をなさない。現地
JICA のどの隊員さんも同じことをおっしゃっていた。また、援助を受けること
が当たり前になってしまうと、彼らの創造力は低下してしまう気がする。もし
そうなると、それこそ教育の破綻である。カンボジアが自立して、援助なしに
独自の良さを生かした国を作るためには過去を知り、未来へ向けての「人材育
成」の手助けをこれからも続けていかなければならない。
あの子どもたちの澄んだ瞳と綺麗な笑顔を壊したくない。壊してはならない。
そのために私ができることがあれば、微力ながらこの身を投じたいと思う。
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自己紹介,所属,ツアー参加の動機,将来の夢
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カンボジア見聞録
小林
勇
「人のために何かしたい」、
「人に元気をあげ
たい」じゃ自分は何ができるんだろう?このよ
うな思いがシニア海外ボランティアに興味を
抱いたきっかけでした。これまでに JICA の説
明会やホ―ムページを見てはイメージを膨ら
ませていましたが、プラスの面ばかりが見えて
いて、マイナスの面や生の支援現場を五感で感
じたいと思い、今回のスタディツアーに参加しました。
空港に降り立った途端、ムワッとした生温かい空気に包まれながらも、行き
交う人々の活気、おしゃれなレストラン、高層ビル、きれいに整備された道路、
公園などの出迎えに、今まで抱いていた発展途上国のイメージとの大きなギャ
ップを感じました。
カンボジアはこれまで日本の支援により民事法が整備・施行されて以来、人々
の財産や身分など生活の基盤が整備されたほか、道路交通法が施行され、免許
制度やヘルメット装着義務が課せられるようになり、交通の安全が確保されま
した。しかし、あれだけ無鉄砲に我が物顔で爆走するバイクなのに、ツアーの
期間中、一度も接触事故や人身事故を目撃していないということは、彼らには
彼らなりのルールが存在しており、そのルールによって交通モラルや社会の治
安が維持されていて、更なる支援は必要ないのではないか。私たち日本人が作
った社会のルールを自分たち目線から正しいと判断して彼らに押しつけること
が支援なのか。本当に彼らが必要としていることなのか、考えるほど分からな
くなってしまいました。
視察先で訪れた小学校では、歯科検診用の医療器具が埃をかぶったまま山積
みにされていました。検査道具を使える人が育っていないから使用方法が分か
らない。検査結果を正しく判断するだけの知識をもった人がいないと説明を受
けました。また、生徒の親から賄賂を受け取ってテストの点数を売る教師や交
通違反で支払った罰金を自らの懐にいれる警察官がいることなどを聞き、ただ
物資を与えるのが支援ではなく、長期的展望に立って人材を育て続けていくこ
と、また、教師や警察官、政府役人に対する意識改革が今後の課題であると感
じました。
このように見ると現在のカンボジアは、表面的には各国の支援によって近代
的発展を遂げ、今後の支援の必要性も希薄化しているように見えるものの、実
際には様々な分野において人を導くだけの人材が育成されておらず、また、経
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済や生活のための基盤となる法整備や行政システムも不十分であり、今後も今
まで以上に継続した支援の必要性を感じました。
過剰な支援はやがて支援に頼ることとなり、自ら努力することを放棄し、自
立心が失われ、自立できなくなる…とある協力隊員から聞きました。人は支え
合って生きて行くもの。どちらかの力が大きくても小さくてもダメ。ちょうど
良いつり合いが大切である。支援も求めるものと与えるものとのつり合いが何
よりも大切であると考えました。
先進国と言われる日本ですが、それは私たちが作り上げた日本ではなく、先
人が戦後の焼け野原から、ゼロから作り上げた日本であって、私たちは出来上
がった日本にちょこんと乗っかかっているだけであり、何も自負できるものは
ありません。それに比べ彼らはポル・ポト政権崩壊後、今まさにゼロから立ち
あがろうとしているのであり、彼らの懸命に力強く生きようとしている姿を見
て、何らかの形でその手助けをしていきたいと思います。
私もまだまだ発展途上です。感じたこと、学んだことを 1 人でも多くの人に
伝え、異文化の理解、支援の輪を広げて行くとともに、自分に何ができるか、
何をしなければならないかをより一層探求し、近い将来、自分のできることを
必要としてくれる場所で活かしていこうと思います。
最後になりましたが、このような素晴らしい機会を与えてくださった関係機
関の皆さま、また、ともに笑って泣いた當麻さん、植松さんをはじめツアーに
参加した仲間に感謝いたします。ありがとうございました。
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参加前の私の抱負を漢字 1 字で表すと
です。
自己紹介,所属,ツアー参加の動機,将来の夢
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