実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と

実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による
Cr と Fe 化合物の化学状態分析
林 久史
Chemical State Analysis of Cr and Fe Compounds
by a Laboratory-use High-Resolution X-Ray Spectrometer with
Spherically-bent Crystal Analyzers
Hisashi HAYASHI
Department of Chemical and Biological Sciences, Faculty of Science, Japan Women's University
2-8-1, Mejirodai, Bunkyo, Tokyo 112-8681, Japan
E-mail: [email protected]
(Received 6 November 2014, Revised 26 December 2014, Accepted 27 December 2014)
A laboratory-use high-resolution X-ray spectrometer, where spherically-bent crystal
analyzers are employed around 80°of Bragg angles, was constructed to measure Kβ1,3 emission
spectra of Cr and Fe compounds. Spectral changes, including chemical shifts of ~1 eV, were
clearly observed on several standard materials. These results show that the developed
spectrometer is usable to preliminary measurements for chemical analyses at synchrotron radiation
facilities, and even can be partially alternative to them for samples with Cr/Fe concentration as
low as a few mol%. As examples, chemical states of Cr in Cr (OH)3 gels dried and calcined and
the states of Fe in Fe compounds formed in water glass were examined by using the laboratoryuse spectrometer.
[Key words] Laboratory-use high-resolution X-ray spectrometer, Spherically-bent crystal
analyzer, Chemical effects of Kβ1,3 emissions, Chemical state analysis of Cr and Fe compounds.
球面湾曲結晶を 80°近いブラッグ角で用いる,実験室用の 1 結晶型・高分解能 X 線分光器を製作し,Cr と
Fe の化合物について Kβ1,3 スペクトルを測定した.約 1 eV の化学シフトを伴うプロファイル変化が明瞭に観
測された.ここから,製作した分光器が放射光実験の予備測定に十分な性能をもっており,濃度が数 % 程度
の試料なら,放射光実験を一部代替できる可能性があることがわかった.試験的な応用として,乾燥・焼成
した Cr (OH)3 ゲルと水ガラス中の Fe 化合物の化学状態を検討した.
[キーワード]実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器,球面湾曲結晶,Kβ1,3 発光の化学効果,Cr と Fe
化合物の化学状態分析
日本女子大学理学部物質生物科学科 東京都文京区目白台 2-8-1 〒 112-8681
X線分析の進歩 46
Adv. X-ray. Chem. Anal., Japan 46, pp.187-201 (2015)
187
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
しなくても,この分析で十分なこともしばしば
1. はじめに
ある.
X 線吸収微細構造(XAFS)法を中心とする,
予備的分析に使う方法には,滴定法から生物
シンクロトロン放射光を利用した化学状態分析
学的分析法まで様々なものがありうるが ,本
は,近年,高度化が進んでいる.たとえば,挿
誌の性格上,ここでは特に,
「放射光 XAFS を
入光源と組み合わせた高輝度 XAFS ビームライ
念頭においた,実験室での X 線分析」に話を
ンが世界中で建設されているし,既存のビーム
限りたい.放射光 XAFS の主な測定対象が,触
ラインでは,KB ミラーなどの最新光学素子や,
媒など,溶液を含むバルクの非晶質であるこ
高速時間分解法などの高度な計測技術の導入が
とを考慮すると,具体的な手法としては,実験
1)
4)
さかんである .こうした高度化と並行して,
室 XAFS 分光法と実験室高分解能蛍光 X 線分
その汎用化も着実に進んできたが,一方で,特
光法が考えられる.本稿では,このうち,実験
に日本では,従来設備の老朽化や,大学の研究
室高分解能蛍光 X 線分光法に着目する.実験室
2)
環境の変化による放射光実験の難化 ,若手研
究者の放射光離れ
3)
などが懸念されるように
もなった.そうした危機感は,最近の XAFS 分
光の将来展望に関する提言
1)
にも表われてい
XAFS 分光法については,東北大学・宇田川康
5)
夫名誉教授の本 がなお有用である.このほか,
光電子分光法
6,7)
も X 線を用いた状態分析法と
して実験室で広く使われているが,表面に敏感
る. な上,試料を高真空中に置くという制限がある
放射光を利用した状態分析(ひいては放射光
ため,液体やバルクの測定をにらんでいる本稿
科学全般)におけるこうした懸念や不安を払拭
では扱わない.
し,優れた成果を産み出し続けるには,将来展
元素の酸化数や配位子の違いによる蛍光 X 線
望に関する議論の活発化
実
2,3)
1)
や若手教育の充
はもちろん,放射光を利用した分析と実
スペクトルの変化―蛍光 X 線の化学効果―は,
昔からよく知られている
8,9)
.しかしながら,
(放
験室における試料の合成・調製の間にある,実
射光利用の)XAFS 法に比べると,蛍光 X 線の
験室での予備的な分析に目を向け,これを強化
化学状態分析への応用例は少ない.その大きな
することも重要である.こうした予備的な分析
理由は,XAFS スペクトルと比べると,蛍光
は,地味ではあるが,放射光実験の目的を明確
X線スペクトルの化学効果が一般に小さい
にし,放射光実験前に試料の化学状態を大まか
ことにある.たとえば,蛍光 X 線の化学シフト
に理解させる効能がある.これは,特に放射光
は XAFS より,およそ 1 桁小さい.こうした事
科学を専門としないユーザーにとっては,本実
実に鑑み,河合は「電子状態の計測に蛍光 X 線
験の成否を左右する重要性があると思う.また,
スペクトルを用いるのは,不得意な方法を無理
予備的・中間的な分析の強化は,オンサイト
に使っている感が否めない」とコメントしてい
分析への要求にも応えるものであるし,エネル
る
ギー問題や装置の故障などで,一定期間,放射
ただし,実験室での利用においては,蛍光 X
光が利用できなくなった場合のリスク軽減にも
線分析法が XAFS 法に勝 る点がある.それは,
役立つ.実際,試料によっては,放射光を利用
連続スペクトルを与える強い X 線源が不要とい
188
8,9)
かんが
10)
.
まさ
X線分析の進歩 46
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
うことである.蛍光 X 線スペクトル測定には,
ち上げられ,制御も比較的簡単である.これな
白色 X 線を分光せずにそのまま照射してもいい
ら,X 線分析を行っている中規模の研究室なら
し,特異的に強い波長の X 線(特性 X 線)を
ニーズはあろうと思い,本稿の執筆に至った.
励起に利用することもできる.このため,実験
測定する蛍光 X 線としては,Cr と Fe の Kβ1,3
室 XAFS 法よりは,高分解能測定を行いやすい.
線を選んだ.3d 金属の Kβ1,3 線の化学効果は,
こうして,XAFS スペクトルがもともともって
Kα 線の化学効果よりかなり大きいため,以前
いる化学効果の大きさは,実験室レベルでの光
から関心をもたれてきた .本誌でも,Kβ 線
源強度の不十分さによって効力が減ぜられ,化
研究の草分けのひとりである 塘 等によるレ
学効果の小さな蛍光 X 線スペクトルの高分解能
ビュー
測定が,これと競合できるという関係になって
線の化学効果に関する論文やレビューがごく最
いる.
近まで掲載されている
伝統的な実験室用の高分解能蛍光 X 線分光器
は,2 枚の平板結晶を使った 2 結晶分光器
8,10,11)
である.2 結晶分光器は,高分解能で測定でき
8)
つつみ
14,15)
をはじめとして,3d 金属の Kβ1,3
16-24)
.3d 金属の Kβ1,3 線
(ならびに,その低エネルギーサテライトであ
る Kβ’線)は金属元素の酸化状態だけでなく,
14,15,25,26)
スピン状態にも敏感なことから
25-30)
,
「スピ
るエネルギー範囲が広いため,同じセットアッ
ンやサイトに敏感な XAFS」
プで様々な元素の状態分析ができるという,大
めのプローブとしても注目されている.なお,
きな利点がある.その反面,2 枚の非集光型の
Kβ 1,3 線 の 高 エ ネ ル ギ ー 側 に は, 化 学 状 態 に
分光結晶を使うため,信号強度は弱い.また,
より敏感な Kβ”サテライトと Kβ 2,5 線がある
2 結晶を厳密に角度制御する必要があるため,
が
光学系にかなりの精密性が必要である.ギヤな
しかないので
しの機構にするなどの改良
12)
は続いているが,
なお費用面も含めて,ユーザーが簡単に製作で
きるものではない
13)
を測定するた
8,25,26)
,ともに Kβ1,3 線の 1 /1000 程度の強度
31)
,実験室での高分解能分光は
難しいと判断し,今回は使わなかった.
本稿ではまず,我々が製作した実験室用の 2
系列・1 結晶・高分解能 X 線分光器について,
.
本稿で紹介するのは,実験室仕様の,1 結晶
詳細を述べる.続いて,この分光器を用いて測
の高分解能分光器である.この分光器では,集
定した,いくつかの Cr と Fe の標準物質の Kβ1,3
光型の分光結晶を 1 枚だけ使うので,2 結晶分
スペクトルを示す.さらに,応用例として,乾
光器より信号強度をかせげる.その結果,より
燥・焼成した Cr (OH)3 ゲルと,水ガラス中に生
低濃度の試料を状態分析できる.一方,弱点は,
成した Fe 化合物に関する,試験的な化学状態
カバーできるエネルギー範囲がせまく,汎用性
分析についても報告する.最後に,装置自作の
にやや欠けることである.このタイプの分光器
意義について触れながら,全体をまとめる.
8)
は,主に放射光実験施設で発達し ,著者の知
るかぎり,汎用的な市販品はない.実験室で利
2. 実 験
用するには自作する必要があるが,後述のよう
2.1 2 系列・1 結晶・高分解能 X 線発光分光器
に,あまり大がかりな加工は必要とせず,既製
実験に用いた 1 結晶・高分解能分光器は,放
品とうまく組み合わせれば 1000 万円以下で立
射光施設での X 線発光分光実験で標準的に使わ
X線分析の進歩 46
189
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
Fig.1 Schematic layout of the laboratory-use high-resolution X-ray spectrometer.
れている
8, 32)
33)
を採用した.測定
トの寿命の妥協点として見いだしたもので,こ
対象の元素を変える時の,分光器調整の手間を
の条件下なら,フィラメントは 1∼1.5 年もつ.
軽減するため,2 系列の 1 結晶分光器をタンデ
RU-300 の銅ターゲットから発生した Cu Kα
ムに配置している.分光器全体のレイアウトを
線を,非対称カットしたヨハンソン型の湾曲
Fig.1 に示す.
Si (400) 結晶(2d = 2.715 Å)で単色化し,励起
X 線源として,銅回転対陰極を組み込んだ
に用いた.このモノクロメーター結晶の曲率半
X 線発生装置(リガク RU-300)を用い,200
径は 450 mm(ローランド半径 225 mm)で非対
mA,40 kV で 運 転 し た.RU-300 は, 外 付 け
称角は 10°
,サイズは 25 mm × 75 mm × 厚さ 0.2
モーターでターゲットを回すタイプの,伝統的
mm であった.Cu Kα1 線(波長 1.5406 Å)に対
な回転対陰極型 X 線発生装置であるが,長い
する,このモノクロメーターの集光位置に,X
技術的蓄積
集光光学系
34)
がある分,頑強である(1987 年
線源と試料を置いた.その結果,X 線源から
の購入以来,27 年間現役)
.RU-300 は最大 18
モノクロメーター間の距離は 187 mm,試料か
kW = 300 mA × 60 kV で運転できるが,現有装
らモノクロメーター間の距離は 316 mm となっ
置のフルパワー時のフィラメントの寿命は 3 ヶ
た.このモノクロメーター結晶や,後述のアナ
月程度とやや短い.上記の 200 mA,40 kV とい
ライザー結晶はサンゴバン社(https://www.saint-
う運転条件は,入射ビームの強度とフィラメン
gobain.co.jp)から購入した.価格は結晶の種類
190
X線分析の進歩 46
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
やサイズ,結晶面,加工条件に依存するが,Si
X 線の場所依存性も測定できるようにしたい.
単結晶でおよそ 60∼150 万円,Ge 単結晶で 230
なお,Fig.1 では,
「Cr も Fe も同じように測定
万円であった.
できる」ことを強調するため,透過型の配置で
モノクロメーターやモノクロメーターを入れ
描いたが,実際の測定は,試料表面近傍で発生
たチェンバーからの寄生的な発光や散乱を軽減
した蛍光 X 線を検出する反射型の配置で行っ
するため,Huber 社の可変 X-Y スリット(3013)
た.
をガードスリットとして用いた.このスリット
試料から∼40°方向に放出された蛍光 X 線の
を試料手前,約 100 mm の位置に設置し,水平
スペクトルを,ヨハン型の球面湾曲結晶アナラ
方向に 5 mm,垂直方向に 7 mm 開口した.モ
イザーで分光かつ集光させた.試料の下流側に
ノクロメーター結晶の角度は,試料チェンバー
スリットは設置していない.Cr Kβ1,3 スペクト
の後方に設置したイオンチェンバー(ガスには
ルの測定には Ge (333) 結晶を,Fe Kβ1,3 スペク
空気を利用)の出力が最大になるようにして決
トルの測定には Ge (620) 結晶をそれぞれ用いた.
めた.上記の条件で最適化したときの試料上で
今回の実験では用いていないが,他に,Si (333)
の光子数は,同じイオンチェンバーを放射光施
と Si (440) の 球 面 湾 曲 結 晶 も 利 用 で き る. こ
9
設で用いたときの測定から,∼5 × 10 カウント
れらのアナライザー結晶の曲率半径は 820 mm
/ 秒(cps)と推測される.リナグラフで撮影し
(ローランド半径 410 mm)で,サイズは直径
た,最適化時の試料上でのビームサイズは,0.5
75 mm × 厚さ 0.2 mm である.これらのアナラ
mm(水平方向 = ビームの集光方向)× 8 mm(垂
イザー結晶を神津精機の自動スイベルステージ
直方向 = ビームの発散方向)であった.
(SA07-RB)上に設置し,その下に自動回転ス
こうして調整した(水平方向の)集光位置に
テージ(RA07A-W)を置いて回転制御できる
試料表面がくるように,手製の試料ホルダーに
ようにした.
試料をセットし,そのホルダーをサンプルチェ
アナライザー結晶で集光・分光された蛍光 X
ンバー内の「とりつけ溝( = 試料ホルダーの
線を,自動 X ステージ(神津精機 XA05A-L2)
下面サイズにあわせて彫った溝穴)
」にはめ込
上 に 設 置 し た シ リ コ ン PIN 型 半 導 体 検 出 器
んだ.試料ホルダーには,直径 25 mm,厚さ 5
(AMPTEC XR-100CR)で検出した.後述のよ
mm までのペレットや金属円板を組み込めるよ
うに,本分光器では,高いブラッグ角で反射さ
うにした.また,3.3 に示したような,高さ 10
れた X 線を検出するので,アナライザーから検
mm,幅 75 mm までの棒状(筒状)試料を測定
出器までの距離(焦点距離)は,アナライザー
するためのオプションも準備した.これは,ホ
の曲率半径と大差ない.たとえば,ブラッグ角
ルダーの基盤部分は通常のホルダーと共通にし
75°と 80°で反射された X 線に対する焦点距離
て,その上部を平らにし,棒状試料を両面テー
はそれぞれ,792 mm と 808 mm である.アナ
プで貼り付けるものである.どちらの試料ホル
ライザー結晶の曲率半径が大きいため,狭い範
ダーを使っても,今のところは試料上の照射位
囲ならローランド円の円弧を直線で近似できる
置を再現性よく変えることはできない.将来的
ことに着目し,
検出器を直線駆動のステージ(X
には,適当な 2 軸ステージをとりつけて,蛍光
ステージ)上に置いた.この方式を採用したこ
X線分析の進歩 46
191
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
Table 1 Experimental parameters of available analyzer crystals.
Analyzer crystal
2d[Å]
Measurable energy range[keV] Covered X-ray emission lines
Ge (333)
2.18
5.74-6.05
Si (333)
2.09
5.99-6.31
Sm Lβ
Si (440)
1.92
6.52-6.87
Ho Lα,
Gd Lβ
Ge (620)
1.79
6.99-7.37
Fe Kβ,
Tm Lα
Mn Kα,
Cr Kβ
とによって,分光器製作の手間とコストが大幅
大気による散乱や吸収を防ぐために,モノ
に軽減され,アナライザー結晶ぬきの製作費を
クロメーター部と,試料−アナライザー−検出
約 500 万円まで圧縮できた.結晶の購入費を含
器間のビームパスをロータリーポンプで排気し
めても,総製作費を 1000 万円以下に抑制でき
た.アナライザー部と検出部は,
パルスモーター
た.
つきの自動ステージが付随しているため,大気
検出器からの信号は,シングルチャンネル
中に置いた.試料はチェンバーの中に入れ,必
ア ナ ラ イ ザ ー( セ イ コ ー EG&G ORTEC SCA
要に応じて真空排気や He 置換ができるように
550A)を通してノイズカットした後,4 連カウ
した.こうした措置により,蛍光 X 線スペクト
ンター(セイコー EG&G ORTEC 974)で計数
ルにおけるバックグラウンドを,1 測定点あた
した.インターロックシステムをとりつけな
り 0.01 cps 以下に抑えられた.
かったので,この分光器は,鉛(厚さ 0.5 mm)
蛍光 X 線スペクトルの測定は,10∼15 eV の
入りの壁で囲んだ管理区域内に設置した.
エネルギー範囲を 0.2 eV 刻みで掃引して行っ
1 結晶で高分解能を達成するには,できるだ
た.ひとつの測定点あたりの積算時間は 100 秒
け高いブラッグ角で蛍光 X 線を分光する必要が
を基本とした.その結果,1 スペクトルの取得
ある.また,球面湾曲結晶を点集光の光学素子
時間は 1.5∼2 時間となった.X 線源の強度変化
33)
ができるだけスペクトルに影響しないよう,1
この分光器では,アナライザー結晶のブラッ
点 1 点で長時間積算するのを避け,これらの「1
グ角にして 70°から 82°の範囲をカバーできる
点・100 秒スペクトル」を繰り返し測定し,そ
ようにした.それぞれのアナライザー結晶がカ
れらをたしあわせて積算した.これまでの測
バーできるエネルギー範囲と,測定可能な蛍光
定で得られた個々の「1 点・100 秒スペクトル」
X 線を Table 1 にまとめた.放射光施設(SPring-8
を見るかぎり,X 線源の変動の効果は,より大
BL39XU)において行った,この分光器と同
きな統計誤差に埋もれたためか,有意な量とし
じ光学系での弾性散乱測定より,装置分解能
ては観測されなかった.
として使う最適条件も高ブラッグ角である
.
(ΔE / E)は約 1 / 18000 と見積もった:8 keV の
32)
X 線に対して約 0.4 eV
.これは,我々が以前
以上の設定における標準物質のスペクトルの
積算時間は,
4∼10 万秒
(測定反復回数 7∼18 回)
用いていた
21,24,35)
であった.スペクトルのエネルギー(横軸)は,
型の分光器
8,36)
蛍光 X 線のピークエネルギーに関する文献値
ある.
192
Pattison-Bleif-Schneider(PBS)
より,およそ 1 桁高い分解能で
37)
(Cr Kβ 1,3: 5.9467 keV; Fe Kβ 1,3: 7.0580 keV)
X線分析の進歩 46
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
を用いて更正した.
ではりつけて試料セルとした.次に,50 mL の
ビーカーを用いて,2.0 g の水ガラスを水 10 mL
2.2 試料調製
で希釈した.この希釈液に,0.60 M 酢酸溶液
2.2.1 標準試料
16 mL と 0.025 M の K4 [Fe (CN)6] 水溶液 5 mL の
金 属 Cr の 測 定 に は, ニ ラ コ か ら 購 入 し た
混合溶液を加えて,マグネチックスターラ―で
円 板( 直 径 10.0 mm × 厚 さ 5 mm,99.9%) を
数十秒攪拌し,水ガラスゾルを作成した.
用 い た. 金 属 Fe と α-Fe2O3,Cr2O3,な ら び に
このゾルを試料ホルダーの 2/3∼3/4 程度まで
Cr (NO3)3 · 9H2O の測定には,高純度化学研究所
流し込み,室温下でゾルが固まるのを待った.
か ら 粉 末 試 料(Fe:99.9%,α-Fe2O3: 99.9%,
固化には 5∼10 分かかった.この間に FeCl3 を
Cr2O3:99.9%,Cr (NO3) 3 · 9H2O:99%)
を購入し,
含んだアガロースゾルを以下のように調製し
精製せずにペレットにしたものを用いた.そ
た.0.25 M の FeCl3 溶液 20 mL をホットプレー
の他の標準試料― Cr Cl3,K2Cr O4,FeCl3 · 6H2O,
トで加熱し沸騰させた後,0.40 g のアガロース
K4 [Fe (CN)6] · 3H2O,K3 [Fe (CN)6] ― の 測 定
を加えて数分間攪拌し,アガロースゾルを作製
に は, 和 光 純 薬 工 業 か ら 粉 末 試 料(Cr Cl3:
した.このアガロースゾルを,固化した水ガラ
99.9%,K 2 Cr O 4 :99%,FeCl 3 · 6H 2 O:99%,
スゲルの上にパスツールピペットで加え,280
K4 [Fe (CN)6] · 3H2O:99.5%,K3 [Fe (CN)6]:99%)
K の保冷庫中で約 10 分冷やし,アガロースゾ
を購入し,精製せずにペレットにしたものを用
ルも固化させた.最後に,アガロースゾルの上
いた.
側に油粘土をつめてふたをし,これを棒状試料
用ホルダーに両面テープで貼り付けて,測定に
2.2.2 Cr (OH)3 ゲル試料
用いた.
Cr (OH)3 ゲルの調製には,Cr (NO3)3 · 9H2O 粉
比 較 の た め,0.025 M の K4 [Fe (CN)6] 水 溶
末と NaOH 水溶液を用いた.Cr (NO3)3 · 9H2O の
液 5 mL と 0.25 M の FeCl3 溶 液 20 mL と を 直
125 mM 水溶液に,
1 mol / L NaOH 標準溶液(ファ
接 混 合 し て, 群 青 色 の 沈 殿 = プ ル シ ア ン 青
クター 1.002,和光純薬工業)を滴下して,pH
(Fe4 [Fe (CN)6]3)も調製した.このプルシアン
を約 8 とすると,Cr (OH)3 ゲルが沈殿した.沈
青は 383 K で乾燥させた後,ペレットにして測
殿したゲルを 383 K で 24 時間乾燥した後,電
定に用いた.
気炉で約 2 時間焼成した.焼成は 230 K と 600
K で行った.乾燥した試料や焼成した試料は,
すべてペレットにしてから測定に用いた.
3. 結果と考察
3.1 Cr と Fe の標準物質の Kβ1,3 スペクトル
2.1 で詳述した 1 結晶分光器を用い,0.5∼2
2.2.3 水ガラス中の Fe 化合物
日の積算で得られた,いくつかの Cr 標準試料
FeCl3 と K4 [Fe (CN)6] を含んだゲルの調製は,
の Kβ1,3 スペクトルを Fig.2 に示す.Fig.2 の横
以下のように行った.まず,幅 10 mm × 長さ
軸は発光エネルギー,縦軸はカウントレート
70 mm × 奥行 7 mm の「コの字」型アクリルパ
(cps)である.他より弱い K2Cr O4 を含めて,
イプに,厚さ 25 µm のカプトンをアラルダイト
ピークシフトやスペクトル形状の違いが議論
X線分析の進歩 46
193
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
できるレベルのデータが得られたのがわかる.
ムージング等により,より明確な物理的な意味
Fig.2 に示した試料の元素濃度とスペクトルの
を「線」にもたせるべきであるが,装置の開発
カウントレートから推定すると,Cr 濃度がお
報告が主である本稿においては,統計的ばらつ
よそ数 mol% 以上あれば,1 週間程度の積算で,
きのある生データをあえて掲示した方がよいと
状態分析可能なスペクトルが得られると期待
考えて,こうした変則的な表示をした.これ以
される.なお,Fig.2 では複数のスペクトルを
降の図でも同様の処理をしているので,注意さ
表示する都合上,どの点がどのスペクトルに属
れたい.
するかを明示するために,点と点とを線で結ん
スペクトルの化学効果が見やすいように,
だ.本来は,理論曲線などと比較するため,ス
ピーク強度で規格化したスペクトルを Fig.3 に
Fig.2 Cr Kβ1,3 spectra of Cr metal,
Cr 2 O 3 , Cr Cl 3 , Cr (NO 3 ) 3 · 9H 2 O,
and K2CrO4, which were measured
by the spectrometer shown in Fig.1.
Fig.3 The normalized Cr Kβ 1,3
spectra of several Cr compounds.
The broken lines serve as a guide to
the eye.
194
X線分析の進歩 46
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
Table 2 The chemical shifts of Cr Kβ1,3 and Fe Kβ1,3 lines.
Compounds
Measured chemical shifts[eV]
Literature data (ref.8)[eV]
Cr
Cr2O3
0.8 ± 0.1
0.8
− 0.85 ± 0.25
K2Cr O4
− 1.0
Fe
0.9 ± 0.25
0.7
K4[Fe (CN)6] · 3H2O
Fe2O3
− 1.2 ± 0.25
− 1.4
K3[Fe (CN)6]
− 0.7 ± 0.3
− 1.0
示す.Fig.3 のスペクトルには,Cr の酸化数に
Fig.4 に,Cr 化合物と同様にして測定した,
応じた,Cr Kβ1,3 線の化学シフトが明確に見られ
いくつかの Fe 標準試料の Kβ1,3 スペクトルを示
る:金属 Cr に対して,Cr の 3 価化合物は全て高
す.カウントレートは Cr Kβ スペクトルと同程
エネルギー側に,
Cr の 6 価化合物は低エネルギー
度であり,Fe 試料についても,Fe 濃度がおよ
側にピークがシフトした.Cr の酸化数が 3 価で,
そ数 mol% 以上あれば,1 週間程度の積算で状
配位子が異なる Cr2O3,Cr Cl3,Cr (NO3)3 ·9H2O の
態分析可能と推定できる.分解能が向上したお
スペクトルを比べてみると,スペクトル形状は
かげで,PBS 型の分光器を用いた以前の測定
完全に一致していないものの,ピーク位置はほ
では識別しにくかった Fe Kβ1,3 線の化学シフト
ぼ同じであった.このことは,Cr Kβ1,3 線の化
が,はっきりと観測されている.
学シフトが,今回測定した試料の配位子には比
FeCl3 · 6H2O と K3[Fe (CN)6] の ス ペ ク ト ル で
較的鈍感なことを示唆している.
顕著なように,今回測定した Fe 標準試料では,
一方,酸化数の変化に対する化学シフトはか
Fe の酸化数だけでなく,配位子の違いによる
なり大きい.Table 2 に,Cr2O3 と K2Cr O4 の化
化学シフトが明白であった.Table 2 に,Fe2O3
8)
学シフトの値を文献値 とともに示す.両者は,
と K3[Fe (CN)6],K4[Fe (CN)6] · 3H2O の化学シフ
測定誤差の範囲内で一致した.Cr2O3 と K2Cr O4
トの値を文献値
の Cr Kβ1,3 スペクトルは,最近 Espinoza-Quiñones
測定値と文献値の一致は良い.これは,観測さ
等が放射光で測定している
38)
.Fig.3 の結果は,
8)
24)
とともに示す.全体として,
れた化学シフトへの配位子の効果が,実験誤差
ピークシフトだけでなく,全体的なプロファイ
によるものではないことを裏付けている.こう
ルについても,彼らの放射光測定の結果(ここ
した化学シフトの配位子敏感性は以前から報告
には示していない)とよく一致した.Cr の酸化
されており
状態は,近年,水生植物の Cr の吸収・蓄積の
ら酸化数を機械的に求めることの危険性をあら
点からも注目されている
38,39)
.Fig.3 の結果は,
8,17,20,22)
,Fe Kβ1,3 線の化学シフトか
ためて警告している.Kβ1,3 線を使った状態分
今回製作した分光器が,そのような環境生物学
析(特に Fe 化合物)では,化学シフトだけに
を指向した放射光実験の予備測定(標準物質の
頼るより,スペクトル全体を標準試料と比較す
スペクトルチェックなど)にも有用なことを示
る方が信頼できそうである.
唆している.
試 み に,Fig.5 で 2 価 Fe と 3 価 Fe の 混 合 原
X線分析の進歩 46
195
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
Fig.4 Fe Kβ 1,3 spectra of Fe
m e t a l , F e 2O 3, F e C l 3 ·6 H 2O ,
K 4[ F e ( C N ) 6] ·3 H 2O , a n d
K3[Fe (CN)6], which were measured
by the spectrometer shown in Fig.1.
The broken lines serve as a guide to
the eye.
Fig.5 Fe Kβ1,3 spectra of Prussian
blue (Fe4 [Fe (CN)6]3), Fe2O3, and
K4 [Fe (CN)6] · 3H2O, which were
measured by the spectrometer
shown in Fig.1. The averaged
Fe 2O 3 and K 4 [Fe (CN) 6] spectra
(dashed line) were also shown for
comparison.
子価化合物であるプルシアン青(Fe (III)4 [Fe (II)
30)
(CN)6]3)
の Kβ1,3 ス ペ ク ト ル を,2 価 Fe か
ペクトル」と比較して,混合原子価化合物の価
数を求めるやり方は,最近ランタノイドの Lγ4
40,41)
ら な る K4[Fe (CN)6] · 3H2O と 3 価 Fe か ら な る
線にも適用され,かなり成功している
Fe2O3 のスペクトルを平均したスペクトルと比
の線に沿った「3d 金属の混合原子価化合物の価
較してみた.Glatzel と Bergmann が放射光で得
数決定」は,まだ本分光器では実施していない
26,30)
が,特異な物性を示す混合原子化化合物の元素
たスペクトルの結果
同様,プルシアン青
.こ
のスペクトルは,平均スペクトルで全体によく
濃度はかなり高いので(多くは 10 mol% 以上)
,
再現された.このように,
「標準物質の平均ス
今後の研究課題として考えたい.
196
X線分析の進歩 46
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
以下,3.2 と 3.3 のケーススタディでは,ゲル
RoHS 規制をにらんで光電子分光法で Cr 化合物
に関連したいくつかの系について,試料ピーク
中の 6 価 Cr の状態を調べた報告例がある
値で規格化した Kβ1,3 スペクトルの形状を比べ
そこで,高分解能 1 結晶分光器での Cr Kβ1,3 測
ることで,試験的な状態分析を試みた.
定によって,Cr (OH)3 の加熱に伴う酸化状態の
44)
)
.
変化を追えるかどうかを検討してみた.
3.2 乾燥・焼成した Cr (OH)3 ゲルへの応用
Fig.6 に, 様 々 に 処 理 し た Cr (OH)3 ゲ ル か
3 価の Cr イオンを含む水溶液は,塩基性にす
らの Cr Kβ1,3 スペクトルを示す.1 スペクトル
ると,ゲル状の Cr (OH)3 が沈殿する
42,43)
.この
の測定時間は 2∼5 日であった.Fig.6 には,3
沈殿反応は,Cr イオンを含む廃液の処理で用い
価 Cr の 標 準 試 料 Cr2O3 と 6 価 Cr の 標 準 試 料
られており,反応で生成した汚泥(スラッジ)
K2Cr O4 のスペクトルもあわせて載 せた.得ら
は,水分を飛ばして廃棄物を減量するため,し
れた Cr Kβ1,3 スペクトルは,処理条件に応じた
ばしば加熱処理される
43)
の
.こうした加熱処理
顕著な変化を見せ,本分光器を用いて,この系
の問題点は,Cr (OH)3 が加熱温度や pH によっ
の化学状態(酸化状態)の変化を追跡できるこ
て様々に変化し,場合によっては有害な 6 価 Cr
とを示している.
が発生することである.たとえば,柏原等
42)
+
Fig.6 の■は,383 K で 24 時間乾燥したゲル
は,一定量の Na を含む Cr (OH)3 を焼成する
試料の規格化した Cr Kβ1,3 スペクトルである.
と,必ず 6 価 Cr が生成することや,6 価 Cr の
乾燥ゲルのスペクトルは Cr2O3 のスペクトルと
生成量は pH とともに増加し,処理温度 573 K
良く似ており,乾燥したゲルでは,Cr の酸化数
で最大になると報告している.こうしたことか
は 3 価からあまり変化していないことがわかる.
ら,熱処理した Cr (OH)3 の酸化状態を「その
この乾燥ゲルを 503 K で 2 時間焼成した試料か
場」で知ることは廃棄物処理,ひいては環境科
らのスペクトル(十字入りの□)は,3 価と 6
学における重要なテーマとなりうる(本誌にも,
価の中間のような形状を示した.これは,503
Fig.6 The normalized Cr Kβ 1,3
spectra of the Cr (OH)3 gels dried
and calcined. For comparison, the
spectra of K2Cr O4 and Cr2O3 are
also shown. The broken lines serve
as a guide to the eye.
X線分析の進歩 46
197
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
K の焼成により一部の 3 価
Cr が 6 価 Cr に酸化されたこ
とを示唆している.
Fig.6 の●は,乾燥ゲルを
873 K で 2 時 間 焼 成 し た 試
料からのスペクトルである.
503 K で 焼 成 し た 試 料 の ス
ペクトルより,K2Cr O4 のス
ペクトルに近くなり,酸化
が進んだことを示している.
今回の測定では,柏原等
42)
が示した,高温での 6 価 Cr
の減少は確認できなかった.
Cr (OH)3 の高温でのふるまい
は,処理条件にかなり依存
するようである.
3.3 水ガラス中に生成した
Fe 化合物への応用
ゲル中に難溶性の電解質
を分散させると,電解質の種
類や濃度,ゲルの種類,さら
には容器の形状に応じて,ゲ
ル中で不均一に分布しなが
ら,微結晶が析出する
45,46)
.
条件によっては,リーゼガ
ングバンド
45)
と呼ばれる,
微結晶の離散的なバンドが
観測されることもある.ゲ
ル中での難溶性塩の析出につ
いては,リーゼガングバンド
を中心に 1 世紀以上研究され
てきたが
45)
,その詳細,特
に結晶化していないゲル中
の化学種については,なお
198
Fig.7 (a) The measured areas on the sample holder, A and B. (b)
A comparison of Fe Kβ1,3 spectra between the gel at the area A
and FeCl3 ·6H2O. (c) A comparison of Fe Kβ1,3 spectra between
the gel at the area B and the Prussian blue.
X線分析の進歩 46
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
不明な点が多い.そこで,本分光器による Kβ1,3
と Fe の化合物について,Kβ1,3 スペクトルを測
分光が,ゲル中に生成する化学種の状態分析に
定した.Cr と Fe,どちらの化合物のスペクト
応用できるかどうか,Fe 系について検討してみ
ルにおいても,金属イオンの化学状態の違いに
た.
応じたピークシフトやプロファイル変化が観測
2.2.3 で説明した試料ホルダー中に調製したゲ
された.こうした変化は,放射光で得られた結
ル(Fig.7
(a)
)について,A と B と記した 2 つ
果と概してよく一致した.このことは,今回製
の領域で測定した Fe Kβ1,3 スペクトルをそれぞ
作した分光器の性能が,放射光での発光分光実
れ,Fig.7
(b)と (
7 c)に示す.1 スペクトルの測
験の予備測定に十分なだけでなく,高濃度の試
定時間は 4∼7 日であった.領域 A はアガロー
料なら,放射光実験を一部代替できるレベルに
スと水ガラスの接触面に近い部分であり,領域
あることを示している.まだ確言はできないが,
B は濃い青色が目立つ部分である.統計精度は
ターゲットを Mo に変えれば,Ta や W
まだ十分ではないが,領域 A と領域 B で得ら
るいは Pb や Bi の標準試料の高分解能 L スペク
れたスペクトル(Gel A と Gel B)の違いは明ら
トル
かであり,これらの領域に生成した Fe 化合物
検討したい.
の化学状態が異なっていることがわかる.
分光器の応用を検討するケーススタディとし
Fig.7
(b)
と(
7 c)
で,ゲルからのスペクトルを,
て,対象とする元素濃度が 10 mol% 程度の系―
それぞれ標準物質と比較してみた.領域 A と B
加熱温度を変えた Cr (OH)3 ゲルと,水ガラスゲ
での Fe の化学状態は,完全に同一ではないも
ル中に分散させた Fe 化合物―の測定も行った.
のの,それぞれ FeCl3 ·6H2O とプルシアン青に
どちらのスペクトルでも,実験条件(加熱温度
近いことが伺える.まだ予備的ではあるが,こ
やゲル上の測定点)に応じたプロファイル変化
うした結果は,リーゼガング現象を含む,ゲル
が観測でき,実験室での高分解能蛍光 X 線分
中に存在する無機イオンの局所的な化学状態の
光がこうした系の研究に有用なことを立証でき
分析に,実験室での高分解能 Kβ1,3 線分光法が
た.
有用であることを示唆している.
最後に,装置自作の効用についてひとこと述
4. おわりに
47)
,あ
48)
等も実験室で測れるかもしれない.今後,
べたい.
「実験装置といえば,使用者のアイデ
ね づよ
アに基づいて作られるもの」という考えが根 強
49)
放射光 XAFS 実験を視野に入れて,実験室で
かった半世紀余り前
高分解能蛍光 X 線スペクトルを測定するための
ベルで,分光器を自作することはあまり行われ
2 系列の 1 結晶・高分解能 X 線発光分光器を組
なくなった(X 線分析の分野では,必ずしもそ
み立てた.光学系として,放射光での X 線発光
うではないが)
.しかしながら,波岡が呟 いて
分光実験で標準利用されている集中光学系を採
いるように
用した結果,制御が簡単で,放射光実験の予備
ば,それに相応しい独自の装置の開発が不可欠
測定に十分使える分光器を 1000 万円以下のコ
なことは自明」である.本稿で述べたような比
ストで製作できた.
較的シンプルな装置を自作することは,装置―
分光器の性能を確認するため,標準的な Cr
ひいては方法論―の本質的な理解に直結してい
X線分析の進歩 46
と比べると,実験室レ
つぶや
49)
,
「新しい成果をあげようとすれ
199
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
るだけでなく,装置開発の基礎訓練にもなり,
50)
「独創的な装置による独創的な研究」
を育む
教育的な意義もあると思う.装置の自作に興味
をもつ若い研究者が増えることを望みたい.
11)合志陽一,堀 光平,深尾良郎:X 線分析の進歩,
2, 57 (1971).
12)T. Konishi, K. Nishihagi, K. Taniguchi: Rev. Sci.
Instrum., 62, 2588 (1991).
13)石塚貴司,V. Aurel-Mihai,杤尾達紀,伊藤嘉昭,
向山 毅,早川慎二郎,合志陽一,河合 進,元山
謝 辞
宗之,庄司 孝:X 線分析の進歩,30, 21 (1999).
本研究の一部は,科学研究費補助金基盤研究
(B)
23350036,基盤研究
(C)
26410163 による支
援を受けました.実験に協力してくれた,日本
女子大学大学院理学研究科の金井典子さん,日
本女子大学理学部物質生物科学科の神戸理沙さ
14)塘賢二郎,富田彰宏,中井俊一,中森広雄:X
線分析の進歩,3, 1 (1972).
15)塘賢二郎:X 線分析の進歩,5, 1 (1973).
16)作花済夫:X 線分析の進歩,4, 37 (1972).
17)金沢純悦,前川 尚,横川敏雄:X 線分析の進歩,
13, 9 (1981).
ん,佐々木優理恵さん,安富友梨亜さん,関美
18)河合 潤:X 線分析の進歩,19, 1 (1989).
涼さん,栖原有里さんに感謝します.
19)秋山弘行,前川 尚,横川敏雄:X 線分析の進歩,
19, 45 (1989).
20)玉木洋一:X 線分析の進歩,25, 9 (1994).
21)林 久史,小野寺修,宇田川康夫,大北博宣,角
参考文献
1)日本 XAFS 研究会:
“X 線吸収微細構造(XAFS)
分光の将来展望”
,(2014), http://pfwww.kek.jp/jxs/
File/XAFS_proposal.pdf.
2)岩崎 博:放射光,24, 231 (2011).
3)水木純一郎:放射光,25, 1 (2012).
4)蟻川芳子,小熊幸一,角田欣一 編:
“ベーシック
マスター 分析化学”
,
(2013)
(
,オーム社)
.
5)宇田川康夫 編:
“X 線吸収微細構造 XAFS の測
定と解析”
,
(1982)
(
,学会出版センター)
.
6)染野 壇,安盛岩雄 編:
“表面分析”
,
(1990)
(
,講
談社サイエンティフィク)
.
7)桑原裕司:
“固体・表面の X 線分光”
,in“分光測
定入門シリーズ第 7 巻 X 線・放射線の分光”
,日
本分光学会 編,p.59 (2009),(講談社)
.
8)H. Hayashi:“Chemical Effects in Hard X-ray
Photon-In Photon-Out Spectra”in“Encyclopedia of
Analytical Chemistry”
, R. A. Meyers 編 , (2013) (Wiley,
Chichester), DOI: 10.1002/9780470027318.a9389.
9)R. Jenkins:“An introduction to X-ray spectrometry”
,
(1976), (Heyden, London).
10)河合 潤:
“X 線分光概論”
,in“分光測定入門シ
田範義:X 線分析の進歩,30, 11 (1999).
22)菅原健久,玉木洋一:X 線分析の進歩,33, 261
(2002).
23)江場宏美,桜井健次:X 線分析の進歩,38, 109
(2007).
24)林 久史,青木敏美,小川敦子,小村紗世,金井
典子,片桐美奈子:X 線分析の進歩,42, 197 (2011).
25)F. de Groot: Chem. Rev., 101, 1779 (2001).
26)P. Glatzel, U. Bergmann: Coord. Chem. Rev., 249, 65
(2005).
27)H. Hayashi: Anal. Sci., 24, 15 (2008).
28)G. Peng, X. Wang, C. R. Randall, J. A. Moore, S. P.
Cramer: Appl. Phys. Lett., 65, 2527 (1994).
29)M. M. Grush, G. Christou, K. Hämäläinen, S. P.
Cramer: J. Am. Chem. Soc., 117, 5895 (1995).
30)P. Glatzel, L. Jacquamet, U. Bergmann, F. M. F. de
Groot, S. P. Cramer: Inorg. Chem., 41, 3121 (2002).
31)G. Zschornack:“Handbook of X-Ray Data”
, (2007),
(Springer-Verlag, Berlin).
32)林 久史:X 線分析の進歩,45, 11 (2014).
33)林 久史:
“単色器・分光器・質量分析器(1)波
長による分散”
,in“マイクロビームアナリシス・
リーズ第 7 巻 X 線・放射線の分光”
,日本分光学
ハンドブック”
,日本学術振興会 マイクロビー
会 編,p.17 (2009),(講談社)
.
ムアナリシス第 141 委員会 編,p.92 (2014),(オー
200
X線分析の進歩 46
実験室用・1 結晶型・高分解能 X 線分光器による Cr と Fe 化合物の化学状態分析
ム社)
.
34)志村義博,吉松 満,水沼 守,上松英明:X 線
分析の進歩,2, 1 (1971).
35)林 久史,金井典子,竹原由貴,大平香奈,山下
結里:X 線分析の進歩,43, 249 (2012).
36)P. Pattison, H.-J. Bleif, J. R. Schneider: J. Phys. E:
Sci. Instrum., 14, 95 (1981).
K. Kuga, S. Nakatsuji, T. Yamashita, S. Ohara: X-Ray
Spectrom., 42, 450 (2013).
42)柏原太郎,加藤敏春,有馬純治:金属表面技術,
24, 3 (1973).
43)眞保良吉,星野重夫:表面技術,57, 57 (2006).
44)飯島善時,岡部 康,大濱敏之,高橋秀之:X 線
分析の進歩,39, 137 (2008).
37)J. A. Bearden: in“INTERNATIONAL TABLES
45)H. K. Henisch:“Crystal in Gels and Liesegang
FOR X-RAY CRYSTALLOGRAPHY Vol. Ⅳ”
, (1989),
Rings”
,(1988), (Cambridge University Press, Cambridge).
(Kluwer Academic Publishers, London).
38)F. R. Espinoza-Quiñones, N. Martin, G. Stutz, G.
46)H. K. Henisch:“結晶成長とゲル法”
,
(中田一郎,
中田公子 訳)
,
(1972)
,
(コロナ社)
.
Tirao, S. M. Palácio, M. A. Rizzutto, A. N. Módenes, F.
47)上原 康,
河瀨和雅:X 線分析の進歩,
38, 99 (2007).
G. Silva Jr., N. Szymanski, A. D. Kroumov: Wat. Res.,
48)上原 康,河瀨和雅:X 線分析の進歩,40, 163
43, 4159 (2009).
(2009).
39)H. Hayashi: X-ray Spectrom., 43, 292 (2014).
49)波岡 武:放射光,25, 267 (2012).
40)H. Hayashi, N. Kanai, N. Kawamura, M. Mizumaki,
50)
『化学』編集部 編:
“別冊化学 化学のブレーク
K. Imura, N. K. Sato, H. S. Suzuki, F. Iga: J. Anal. At.
スルー【機器分析編】―革新論文から見たこの 10
Spectrom., 28, 373 (2013).
年の進歩と未来”
,
(2011)
,
(化学同人)
.
41)H. Hayashi, N. Kanai, N. Kawamura, Y. H. Matsuda,
X線分析の進歩 46
201