3月15日、焼尻小学校でも卒業式が行われ、 卒業生の前田美奈実さんは

3月から4月へ、ひとつの区切りを迎える季節がやってきました。
29日には、焼尻小学校の神下先生、
30日には同じく小学校の調理師・佐
怒賀さん、発電所の河合さんが退職、
転職に伴い離島。多くの島民に見送
られながら、新たな生活へ向けて出
発しました。
故郷を離れての島暮らしはなかなか
にゆるくなかったと思います。同じ移
住者としても、勉強させられることが
多々ありました。月並みですが、離島
された3名におかれても、この小さな
島だからこそ学べたことがたくさん
あったのではないでしょうか。本当に
お疲れ様でした!
卒業式に
卒業式に臨む前田美奈実さん
前田美奈実さん
(広報用の
広報用の写真をいただきました
写真をいただきました)
をいただきました)
程なくして、新しく島に着任される方々
がやってきます。新しい日々が始まり
ます。
3月15日、焼尻小学校でも卒業式が行われ、
卒業生の前田美奈実さんは、4月から通う焼
尻中学校の制服姿で式に臨みました。
昨年3月に中学生2名が卒業し、島内の学校
へ通学する唯一の児童となった美奈実さん。
焼尻小学校の顔であり、1人となったことで
の気苦労もあったろうものと思います。そん
ななか、島民大運動会や文化祭といった学
校行事、夏休みの島っ子食堂のお手伝いな
ど、公私ともに精力的な姿はとても印象的で
した。
中学に進学しても、今までどおり「めんこがら
れる」美奈実さんでいてほしいなと、陰なが
ら応援しております。
今年はなんだかあったかい!
日中はストーブを消しても平気なことが多
いし、去年に比べても明らかに薄着な日々。
(それでもジャケットは羽織っていますよ~
笑)
それもそのはず、全国的にも雪不足だそう
で、北海道日本海側の降雪量は例年の
75%にとどまったそうです。暖かいのは
新芽がちらほら
新芽がちらほら見
がちらほら見えてきました!
えてきました!
うれしいですが、こういう数字を見るとちょっぴりさみしいですね。
ともあれ、春は近付いてきております。雪解けした土を見ているといろいろな植
物の新芽を見かけました。花の季節はすぐそこです!
海が穏やかな日は海苔採り日和。3月に入り、海苔採りで浜がにぎやかです。
焼尻島に
焼尻島に住むまでに、
むまでに、日本全国色々な
日本全国色々な島を旅してきました。
してきました。思い出話を
出話を綴ります。
ります。
海苔に限らず、焼尻島で採れる海藻
はすべて天然もの。海苔も同様で、手
でむしりとる地道な仕事が3~4時間
続けられます。
①唯一無二、
唯一無二、世襲制の
世襲制の島
新参者の僕も今年から海苔採りに参
加。海苔採りの先輩方からアドバイス
を頂きながら、海苔採りから乾燥まで
の作業に挑んでいます。
房総半島南東部から、面積0.03㎢の小さな島を見るこ
とができます。(焼尻島は5.21㎢)
「仁右衛門島(にえもんじま)」は千葉県唯一の有人離
島にして、古くより一世帯のみが暮らし続ける島です。
きれいに海苔
きれいに海苔に
海苔に覆われた岩々
われた岩々。
岩々。
見事なものです
見事なものです。
なものです。
焼尻の
焼尻の海苔
焼尻の冬の味覚といえば岩海苔。
炙って良し、佃煮にして良し、
風味豊かな磯の香りについつい
食が止まらなくなってしまいます。
焼尻島で多く見られるのは、
・「アサクサノリ」(
アサクサノリ」(写真左
」(写真左)
写真左)
・「ウップルイノリ」(
ウップルイノリ」(写真右
」(写真右)
写真右)
の2種類。しかし、海苔は地域や環境によって細かな違いが生じるとされており、
一般に、海苔の種別を明確に判別することはきわめて難しいそうです。もしか
すると、さらに違う種類の海苔もあるかもしれません。
上記の海苔は、東京・浅草、島根出雲市の十六島(ウップルイ)と、それぞれ地
名が由来。海苔そのものは北は北海道、南は太平洋沿岸北部まで生育可能
なようですが、種付けに適した海水温は22~23度と言われており、利尻、礼文、
天売、焼尻で採れるものが海苔の北限ではないかと考える見方もあります。
13日にはわかめも浜に流れ着き、拾
いわかめもにぎわいました。13日のう
ちにわかめを食べた人も多いのでは
ないでしょうか。
海苔もわかめも、市販では味わえな
い焼尻ならではの味覚。養殖ほど効
率的ではありませんが、昔ながらの
手間暇かけた作業が、味の良さを増
長させている気がしてなりません。
島の“観覧料金”が大人1,350円。フェリーでなく、
手漕ぎの渡し舟に乗りこんでの移動に驚かされました。訪れたその日は夏真っ盛りの
2012年7月。それでいて船は15人くらいが乗ったのではないでしょうか。その船を手漕ぎで
すから、乗り子さんも並大抵の運動ではありません。乗船自体は5分程度でしたが、見て
いるだけで汗が噴き出ます。仁右衛門島は外周徒歩20分も要さない程度の島。バーベ
キューを楽しむ観光客で賑わっていました。
仁右衛門島を語るにあたって欠かせないのが、源頼朝のお話です。1180年、平家との石
橋山の戦いに敗れた源頼朝は、伊豆半島から房総半島南東部・安房地方に逃げ込みま
した。そんなとき、この頼朝をかくまったのが平野仁右衛門をはじめとする関東武士たち
だったそうです。このおかげで態勢を整えることができた頼朝は、後に巻き返しを果たす
のでした。(……という伝説です)
観光客を相手に島を案内する女性に
お話を伺いました。聞けば、平野仁右
衛門さんの奥さんだそうで、その仁右
衛門さんは第38代目だとのことです。
つまり、この島の“仁右衛門さん”は
世襲制。島の島主として、長年にわ
たって住み続けていると言います。
全国のほかの島々とはまた異なる性
質を持つ仁右衛門島。僕は色々とお
話を聞いてみたくなったのでした。
(次回につづく)
太海漁港から
太海漁港から目
から目と鼻の先の仁右衛門島
手漕ぎの
手漕ぎの渡
ぎの渡し舟で島へわたります
インターネットでも焼尻島
インターネットでも焼尻島の
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