Ⅱ 国際シンポジウム 「多文化共生」の現在を問う

Ⅱ 国際シンポジウム 「多文化共生」の現在を問う
─誰にとっての、何のための「シティズンシップ」なのか─
飯笹 佐代子
青山学院大学国際交流共同研究センターでは昨年10月12日、同大学内にて標記シンポジウム
を開催した。
「多文化共生」という語は、今では自治体や国政レベルの政策概念として、また
広く日本社会の方向性を示すキーワードとして定着しつつある。その一方で、「多文化共生」
の目的や意味が必ずしも一般に共有されているわけではなく、論者によってその捉え方にも異
なりがある。さらには、
「多文化共生」は根本的な制度変革を回避するための、見せかけのス
ローガンに過ぎないとの批判も少なくない。果たして、「多文化共生」がどこまで包摂的であ
り得るのか、という根本的な問題もある。そもそも、誰にとっての、何のための「多文化共生」
なのか。
本シンポジウムでは、これらの課題について、多文化社会のあり方を考える上で鍵概念とな
る「シティズンシップ」という概念に着目しながら検討した。「シティズンシップ(citizenship)
」とは、政治共同体(国家や地域など)の構成員であることの「意味」や、その構成員
に誰がどのようにしてなるのか、といったことに関わる諸事を指し、次のような相互に密接に
関連する内容を含む。
1)国籍などの法的地位
2)上記に伴う一連の諸権利・義務
3)アイデンティティ(帰属意識)
・社会的結束
4)社会参加・政治参加、そのための知識・行動力(capabilities)、など
多くの国家において、こうしたシティズンシップの諸側面は外国人 / 移民の存在によって問
い直され、変化してきている。日本でも1980年代以降、外国籍の市民 / 住民の権利に関しては
ある程度の進展をみた。しかし一方で、未だ一元的な帰属に基づく国籍概念や、それを反映す
る集合的アイデンティティの変化には至っていなのが現状である。そのことがもっとも象徴的
に示されたのが、外国人参政権をめぐる論争であったといえよう。さらに近年では、かつてよ
りも排外主義的な傾向が強まり、ヘイトスピーチが深刻化するなかで、一部の外国籍住民の権
利が不当に攻撃されている状況にある。しかも、それが放置されたまま、政府や財界から外国
人労働力をより求める声が高まっている。
こうした状況を踏まえ、本シンポジウムでは労働力の補填といった目先の政策論を越え、シ
ティズンシップが含意する多様な側面から、それらの相互関連性に留意しつつ、多文化社会と
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しての日本のあり方を総合的に議論することを目指した。これまで争点化されることの多かっ
た「権利」に加えて(日本で citizenship が一般に「市民権」と訳されてきたことと符合する)、
ナショナルなアイデンティティや「参加」といった側面も視野に入れつつ、多文化共生をめぐ
る現状と課題について根本から考察することに留意した。
セッション1は「誰にとっての、何のための「シティズンシップ」なのか」というテーマの
もとで、テッサ・モーリス=スズキ・オーストラリア国立大学教授、韓栄恵・ソウル大学教授、
伊豫谷登士翁・一橋大学名誉教授に登壇いただいた。続いてセッション2「今、何が問題なの
か─日本社会への問題提起」では、毛受敏浩・公益法人 日本国際交流センター執行理事(外
国人受け入れ拡大をめぐる課題)
、
暎惠・大妻女子大学教授(ヘイト・スピーチ法規制問題
と多文化共生)
、森絵里咲・難民を助ける会理事(「ジャパニーズ・ドリーム」を持てる社会)
より報告していただいた。最後に二つのセッションを踏まえて、小倉和夫・青山学院大学特別
招聘教授のコーディネートのもと「総合討論」を行った。
本誌にはセッション1および総合討論を掲載している。セッション2を含む全ての内容につ
いては、別刷りのシンポジウム報告書を参照されたい。
なお、シティズンシップについて考えるということは、つまるところ個人と国家の関係性に
あらためて光を当てることでもある。たとえ個人がその国の国籍を持っていたとしても、シ
ティズンシップは完全に保証され得るのか。グローバルな移動が常態化するなか、個人が複数
の国家と関わる機会が増えるとき、シティズンシップはどうなるのか。
実は、シティズンシップの問題は、今日本で暮らす外国籍の人たちだけではなく、全ての人
たちに関わっているといえる。
「誰にとっての、何のためのシティズンシップか」、それは他人
事ではなく、常に「私」の問題でもあることを付言しておきたい。
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(参考)
「シティズンシップ(citizenship)
」の意味については、論者によって様々な整理が試みられ
ている。以下はその一例である。
権利に焦点を当てた、T. H. マーシャルによるもの
1)公民(市民)的権利(人身の自由、言論・思想・信仰の自由、財産権、裁判権、働く権
利、居住の自由など)
2)政治的権利(参政権など)
3)社会的権利(社会福祉や教育を受ける権利など)
(T. H. マーシャル・トム・ボットモア(岩崎信彦・中村健吾訳)『シティズンシップと社会
的階級─近現代を総括するマニフェスト』法律文化社、1993年)
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クリスチャン・ヨプケによるもの
1)地位としてのシティズンシップ(公的な国家の成員資格)
2)権利としてのシティズンシップ(地位に付随する権利)
3)アイデンティティとしてのシティズンシップ(集合的アイデンティティ)
(クリスチャン・ヨプケ(遠藤乾他訳)
『軽いシティズンシップ──市民、外国人、リベラ
リズムのゆくえ』岩波書店、2013年)
ウィル・キムリッカらによるもの
1)政治共同体における一連の権利と義務に規定される法的な地位
2)政治共同体のメンバーとしてのアイデンティティ
3)活動、もしくはシヴィックな徳(civic virtue)
4)社会の凝集力(social cohesion)の理念
(, Will Kymlicka and Wayne Norman
, Oxford: Oxford
University Press, 2000)
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