vol.84「新・常滑市民病院竣工」 平成 27 年 4 月 9 日

vol.84「
vol.84「新・常滑市民病院竣工」
常滑市民病院竣工」
平成 27 年 4 月 9 日
新市民病院の
新市民病院の誕生を
誕生を祝う
4 月 4 日(4 合わせ…幸せの日)、常滑市民の皆さんが待ち望んだ「新・常滑市民
病院」の竣工式を大村愛知県知事、石黒名古屋大学附属病院長、湯澤藤田保健衛生
大学病院長など多くの来賓をお迎えし挙行しました。
竣工式は、病院職員有志で構成した合唱団による新病院誕生を祝う♪Happy
birthday NEW HOSPITAL♪の歌声で幕が開きました。多くの来賓の祝辞、感謝状贈
呈、エントランスホールのモザイク壁画の説明の後、式次第には掲載されていない
サプライズの合唱がありました。
合唱曲は、ロンドンオリンピック・パラリンピックの NHK の放送テーマソングで
「いきものがかり」の♪風が吹いている♪という曲でした。歌が進むにつれ、歌っ
ている職員や会場の職員は涙ぐみ、ご列席の皆さまに常滑市民病院職員の竣工の喜
びと新病院に向けての決意が一致団結した結束力から伝わったと思います。
竣工式
竣工式での合唱
での合唱
テープカット後の来賓内覧会、4 日午後と 5 日の一般内覧会には多くの人に訪れ
ていただきました。一時は、周辺道路が大渋滞となり周辺の店舗などに多大なご迷
惑をお掛けしました。誠に申し訳ありませんでした。これも市民の皆さんが新・市
民病院を首を長くして待ち望んでいたことの表れであると思いました。病院職員に
よる駐車場整理からお出迎え、各フロアー説明、場内整理、見送りとおもてなしの
心が訪れた市民の方々に通じ、病院施設に対してのみではなく職員に対しても「良
い病院だ」との嬉しいお言葉を多くの人からいただきました。ありがとうございま
す。
内覧会の
内覧会の様子 外来
エントランスホール
市民病院の
市民病院の再生に
再生に向けたこれまでの取組
けたこれまでの取組
この日を迎えるまでには、幾多の困難な壁がありました。2007 年 12 月市長に就
任して以来、病院の老朽化と経営悪化、医師不足問題は深刻でした。毎年、単年度
で 7~8 億円の赤字を出していた市民病院の存続は、市の財政を圧迫する要因でも
ありました。
しかし、市民病院以外には、市内に入院施設を持つ病院がありません。市内唯一
の入院施設を持つ市民病院は、安全・安心な地域社会を支える最も重要な社会イン
フラであり、常滑市民病院の「再生」にはどうしても「新病院建設」が必要でした。
その後、2010 年に総務省から現山田朝夫副市長を常滑市参事として迎え入れ、行
財政改革と新病院建設という特命を担っていただきました。ここから常滑市民病院
再生物語は、動き出します。
2011 年には、「みんなで創ろう!新・常滑市民病院 100 人会議」を立ち上げ、91
人の市民の皆さんと病院職員、市職員が膝を突き合わせ市の財政状況や病院の経営
状況を示しながら「市民病院は、必要か」という問題から腹を割って話し合っても
らいました。約半年間にわたる白熱した議論の積み重ねが、新病院を作る強固な土
台となりました。
2015 年 5 月開院と決めてからは、病院職員の士気も上がり、経営状況は飛躍的に
改善し、2013 年度には県下 500 床以下の公立病院の中で医業収益比率がトップとな
り、基準内繰入の範囲内で病院運営ができるようになりました。
株式会社日建設計による基本設計後の実施設計の段階から施工業者である鹿島
建設株式会社中部支店にも参加して頂き、事業費の目標金額を定め、施主、設計者、
施工者の 3 者が知恵を結集して、より安くより良い建築をつくろうという ECI
(Early Contractor Involvement)という手法を採用し大きな成果を上げることが
できました。
新病院には、全国 4 番目の指定を受けるべく「特定感染症病床」があります。中
部国際空港直近の病院として、未知の感染症を水際で防ぐ重要な役割を果たしてい
かなければなりません。また、この他にも市の保健センターを移設し、病院に併設
しました。保健、予防、医療の機能を一か所に集中することで、市民の健康増進と
病気の早期発見、早期治療がねらいです。
計画の段階から建設までの間、携わっていただいた多くの皆さんに感謝申し上げ
ます。
5 月 1 日には、新病院での業務がスタートします。
『コミュニケ―ション日本一の
病院』が掛け声倒れにならぬよう、名実ともに市民の皆さんから認めてもらえるよ
う職員一同粉骨砕身して努めていきます。
これからも常滑市民病院にあたたかいご支援・ご協力をよろしくお願いいたしま
す。