かすみが丘通信 No.243 - 霞ヶ丘楽走会

No.243
発 行:平成19年12月25日
発行人:永吉芳典
編 集:霞ヶ丘楽走会編集委員会
http://rakusoukai.hp.infoseek.co.jp/
2007 年も、あと僅か。以下は、編集委員会が選んだ 6 大ニュースです。
第1位「楽走会25周年を迎える」
氷雨から
出たお日様の
暖かさ
遂に、楽走会は 25 周年を迎えました。本年は主要行事に、25 周年という冠を添えて、創立 25
周年記念総会を皮切りに、多くの行事を遂行しました。25 周年ビックリ大企画(8 月 25 日)で
は、東京タワー第1展望台への階段 590 段を往復制覇、会員の健脚ぶりを披露し
ました。
走り来た
二十五年の
長き道
楽走会2007年6大ニュース
第2位「東京マラソン 2007 に多数の会員が参加」
第3位「10 月走りこみ走行距離記録更新」
本年は第 7 回となった 10 月走りこみは、参加者こそ昨年をやや下回る 67 名でしたが、走行
距離の合計は 13,815km と昨年の 12,420km を9%も上回りました。地球の直径の約 12,756km
を越えたことになります。昨年同様、個人の第 1 位は小嵐正治さん、第 2 位は小川岩さんで、
第 3 位には菊田輝雄さんが初入賞。個人の平均値も 206.2km で昨年の 181km より 25km 増え、
中身の濃い走り込みとなりました。
積み上げて
みれば壱万
四千粁
首都東京にも、市民が参加できるマラソン大会が遂に実現。フルマラソンは2万5千人の定員
に、7万7千人が応募。当選、落選の報に悲喜こもごもでした。楽走会も年初にコースの試走会
を開催、レースに 24 名が参加。審判やボランティアの参加も多数にのぼりました。
レース当日 2 月 18 日のスタート時 9 時 10 分頃は、あいにくの冷たい雨。しかし、午後には雨
は上がり、太陽が顔を出しました。
砧公園練習会(5 月 20 日、9 月 9 日、10 月 21 日、12 月 16 日)をはじめ、木曽路マラニック(7
月 28 日)、タイムトライアル(10 月 30 日、11 月 6 日、12 月4日)と、本年は会員からの提案
行事が活発に行われました。
砧公園練習会とタイムトライアルは定例化し、砧公園練習会は、東京マラソ
ン 2008 を目指して意気込みも盛んです。
第5位「ウルトラマラソンの話題沸く」
引き継いだ
タスキに残る
友の汗
会報では、鎌田さんの宮古島マラソン 100km 完走記(No.233)、小嵐さん日
本縦断「川の道」525km フットレース完走(No.236)、誌上座談会「ウルトラ
マラソンの魅力」(No.237)、No.238 の投稿「カモシカマラソン(100km)」
(青木さん)および「私の初ウルトラ(サロマ 100km)」(宇治川)など、ウ
ルトラマラソンに関する多くの記事が掲載されました。
ウルトラを
何度も走れば
ウルトラマン
砧から
木曽路を越えて
トライアル
第4位「会員提案行事が活発」
第6位「各種駅伝大会に参加」
昨年に引き続き、楽走会は、本年も多くの駅伝大会に参加しました。全国 OB・OG 同好者駅伝(5
月 27 日)、24 時間東京チャレンジ夢の島公園(6 月 9・10 日)、25 周年記念御所駅伝(7 月 21
日)、東日本国際駅伝(相模原補給廠)(10 月 7 日)、EKIDEN カーニバル 2007 西東京大会(11
月 10 日)など。なお、左の句は 2004 年9月号の「ランナーズ」に掲載された永吉昭子さんの作品です。
12月の幹事会を4日に開催
楽走会の定例幹事会が、12 月 4 日の午後8時から、森のレストランで開催された。出席は 14 名。行事報告で
は、10 月走り込み打ち上げの宴(ARCO:11 月8日)に 21 名が参加したこと、EKIDEN カーニバル(立川昭和
記念公園)に男子2チーム、女子1チームが出したことが報告された。
これからの行事予定では、大忘年会(12 月7日)の準備および当日の役割分担、などを検討した。また、1 月 5
日に新春走り初めとして、
「新宿七福神巡り」の案を川前幹事が提案することになった。
次回幹事会は 1 月 15 日(火)18 時半から六本木「久高」
1
行事報告
タイムトライアル 12 月の報告
第一火曜日の 12 月 4 日に、すでに恒例となったタイ
ムトライアルを行いました。当日は寒気による冷え込
みにもめげず、な、なんと 7 名のタイムコンシャスな
ランナーが集まりました。また、寒気の中、中川幹事
長に計測をやって頂き、本当に助かりました。有難う
ございました。呼び掛け人としては嬉しい限りです。
当日はトレセンのトラックが使用出来ないため、絵画
館周回コースで行いました。1 周は約 1.322km(地図計
測)。約 5kmと言うことで、4 周、5.288km を計測し
ました。集合が少しバラツいて、ウォーミングアップ
にもバラツキがあったことが今後の反省かと思います。
また 1 月も走り、タイムがどのように変化している
かを確認すると、きっと今後の糧になると思います。
あのエアロビクストレーニング理論のリディアード氏
やマフェトン氏も、タイムトライアルでトレーニング
2007 年霞ヶ丘楽走会 25 周年・大忘年会
12 月最初の「ハナ金」
(古語?)7日、笑顔の 33 人
が信濃町「森のレストラン」
(月例句会の会場)に集い
ました。追っかけて2次会の「築地・日本海」に 押し
かけたのは5人の方々。この日はあい にく、FIFA
クラブカップのため競技場もオリンピアも休業。記憶
にないくらい久しぶりに会場を変えての忘年会でした。
宇治川さんと鈴木美枝さんの進行で、宴はスタート。
永吉会長の楽走会 10(重)大ニュース発表(別記事を
参照ください)のあと乾杯。今年活躍された会員や新
入会員の中畑さんのスピーチ、森のレストランの趣向
を凝らしたイタリアンと飲み放題のお酒の数々、元幹
事長高嶋さん差し入れの美酒に酔いました。続くビン
ゴ大会。岸さん欠場のため服部さんが代役。服部さん
の岸さんに負けぬ名調子に合わせ1等豪華賞品を獲得
したのは松島さん。○○歳台最後の夜を飾りました。
なお、ビンゴの景品を、特に肝臓保護のためウコンの
桧原村数馬合宿
矢地宏一
の成果チェックを行うように推奨していたような気が
します。いや、推奨していたはずです。これは、何も
100%のペースばかりを測るものではありませんし、当
然他人との競争でもありません。其々自己のトレーニ
ング、あるいはコンディション確認の場としてお使い
ください。次回はさらに多くの参加をお待ちします。
■12 月参加者のコメント
森林「みんなと同じ 20 分台でよかった」
鈴木(美)「若い男の子には負けたくないわ」
矢地「暗い夜道と濡れ落ち葉には気をつけましょう」
木島「女帝に抜かれなくてほっとした」
平内「鼻水いっぱい」
塩田「久々の息切れ」
佐東「ビリじゃなくて良かった」
中川 進
錠剤を佐東さん、その他鈴木(美枝)さん、鎌田さ
ん、矢地さん、宇治川さん、亀屋さん、坪居さんのみ
なさんからから提供いただきました。紙上をお借りし
てお礼申し上げます。
片山久人
から定番のカラオケ大会。夕方車で駆けつけた服部さ
んの名司会に乗せられ全員が歌った。久野さん持参の
ワインも無くなり服部さん差し入れの日本酒、宿の日
本酒やビールも底を尽きかけた午後10時寝床に着き爆
睡、重い布団と湯たんぽが懐かしかった。
翌朝も日本晴れ、寒さに震えながら午前6時半庭先で
餅つき大会。皆でついて丸めた草もちが美味しかった。
リュックに入らないほどの草もちをお土産にもらった。
因みに草もちは蓬ではなく山牛蒡の葉でこの民宿だけ
の名物。
上原さんと服部さんは所要のため早めに帰ったが残
り7人は朝食後8時半浅間尾根から払沢の滝まで5時間
のハイキングに出発。急坂を登り尾根伝いに枯葉を踏
む音を楽しみながら午前11時浅間嶺展望台着。右に富
士山、左に御前山、大岳を見ながら草もちの昼食をと
った。この浅間尾根は桧原村の中央部を通り、古くは
中甲州街道と呼ばれ重要な交通路だったとの事。
12月15日∼16日 楽走会仲間9人で桧原村の数馬に
出かけた。もう20年近く続いている合宿で今年は日本
晴れの2日間だった。健脚の4人(久野、佐東、松原、
鈴木美枝)は武蔵五日市駅から桧原村数馬までの26km
を走ったが、残りはそれぞれ好きな時間に民宿に向か
った。
私は上原さんと二人で民宿にバスで向かい午後1時
半民宿着、経営者の老夫婦と再会を喜んだ。親父さん
は87歳、16歳で戦争に行きすぐ捕虜になって30歳過ぎ
まで中国で抑留生活。昨年転んで怪我し、少し弱って
いたが、まだまだ元気で長生きしてもらいたい。お母
さんは73歳、腰は曲がっているが元気に民宿を取り仕
切っている。二人との歓談後走っている人達を迎えに
民宿を出た。途中歩いている永吉夫妻とも会い、全員
で途中にある数馬の湯で汗を流した。今年も柚子湯は
なし、やはり不作なのだろうか。11月3日の奥多摩トレ
イルでは柚子湯が楽しめたのに。
午後5時民宿に戻り夕食。山菜料理とお酒と歓談それ
2
落ち葉と霜柱を踏みしめながら午後1時半払沢の滝
入り口着。元気3人組は走って払沢の滝を見に行ったが
我々4人は走る元気もなくバス停に残った。午後2時前
バスで武蔵五日市駅に向かい、電車で帰宅の途につい
たが途中我が家に立ち寄りささやかな懇親会を行い、
午後5時解散した。
今回は天候に恵まれた上、人のよい老夫婦に再会で
き田舎料理や餅つきを堪能したり、温泉や枯葉舞う浅
間尾根を味わうなど、今までの数馬行の中で最高に楽
しかった2日間だった。
第4回砧公園練習会
木島邦夫
この外回りで、東名高速道の下に世田谷美術館駐車
場(60 台)があり、アクセスのあまり良くない砧公園
では非常に利用価値があります。都立公園で自然豊か
な環境で走りたい方、車でなら便利です。是非、砧練
習会に参加してみて下さい。車での参加はもちろん禁
酒です。美術館駐車場利用方法の情報は、練習会の幹
事長 中村(隆)さんまでお問い合わせ下さい。楽走
会メンバー限定で情報開示されると思います。(お得
な情報ですよ、きっと。)
第5回砧公園練習会は東京マラソンあとの梅の花咲
く頃と中村(隆)幹事長が話していました。
今回は東京マラソンを意識して、3周で 5km、アッ
プダウンのあるサイクリングロードをレースペースで
2時間走る予定でしたが、あまりスピードを考えずに
7∼8割のペース、キロ6分前後 12 周 20km に変えて
スタートしました。
寒さで、ロードを走る自転車やウオーキングする人
が少なく比較的走り易かったが、あまり無理せず温水
シャワーで体温めることにし、9周 15km で終わった。
スタート前に、砧公園外回り1周約 3.3km のジョグを
加えると 18km 位でした。
参加者:
2007 年走り納め
平内・坪居夫妻・中村(隆)・木島
行事予定
深大寺年越し蕎麦コース (会員からの提案行事) 12月30日(日)
昨年は 12 月 30 日に、西国分寺駅から野川に沿って深大寺まで行き、年越し蕎麦を味
わって、走り納めとしました。蕎麦を食べたのは「多聞」というお店、「中盛り」は2
人前、
「大盛り」(写真右)は 3 人前の凄いボリュームでした(吉村さん完食!)。
本年も同じ 12 月 30 日に走り納めと年越し蕎麦のコースを走ります。本年のスタート
は吉祥寺駅。井の頭公園から、小金井公園、野川公園、深大寺を予定しています。途中
からの参加も可能かもしれません。希望者は幹事までご連絡ください。雨天中止です。
日時:12 月 30 日(日)
集合場所:吉祥寺駅の井の頭線の出口
集合時刻:午前 10 時
幹事:中村(隆)090-3512-3502、宇治川 090-3084-9596
新春走り初め「新宿七福神巡り」
1月5日(土)
1 月 5 日はトレセン初日。そして楽走会は新春走り初めです! それは、やはり、新宿七福神でしょう。
日時:1 月 5 日(土)
集合:トレセンロビー 12 時 45 分
出発:1 時
コース:トレセン→太宗寺(布袋尊)→(花園神社)→鬼王神社(恵比寿神)→永福寺(福禄寿)→
厳島神社(弁財天)→法善寺(寿老人)→経王寺(大黒天)→ 善国寺(毘沙門天)→(靖国神社)
→(市ヶ谷? 皇居?経由)→トレセン
(距離 14∼17km)
お賽銭の準備をお願いします。
1 月下旬から2月に、東京マラソンのコースをトレセンを起点として、2∼3回に分けて走りたいと思ってい
ます。東京マラソンを走る人、はずれた人、走りましょう。
幹事:川前
3
新宿七福神
太宗寺
布袋尊
幸福をもたらす神様
鬼王神社
恵比寿神
魚、農、商業の神様
永福寺
福禄寿
幸福、高給、長寿の神様
厳島神社
弁財天
芸術・学業の神様
法善寺
寿老神
長寿の神様
経王寺
大黒天
五穀豊穰の神様
善国寺
毘沙門天
厄除け、難除け、財産をもたらす
タイムトライアル
1月29日(火)
日 時:2008 年 1 月 29 日(火)
集 合:18:30 にフィールド北西の織田ポール下
備 考: ウォーミングアップやストレッチは集合前に各自行うが、集合後スタート前に全員で 1 周 400mのみト
ラックを走る。
距 離:5km、3km、2km、1km(自由選択)
呼び掛け人:鈴木(美)、木島、矢地
東京マラソン反省・打ち上げ会
2 月 17 日の東京マラソン 2008 に向け、出場予定の会員諸氏は日々精進されていることと推察しております。抽
選漏れで,足がうずいてる会員もいらっしゃるでしょう。陸連の審判やボランティアで大会の成功を影で支える
会員もいらっしゃるでしょう。はじめから、自宅TV観戦を決め影ながら応援する予定の方もいらっしゃると思
います。そこで、この大会を支えた会員全員対象とする表記の反省・打ち上げ会を開催します。2009 年は、3月
に開催時期が変更となります。その作戦も練る必要があります。今から、予定を組んでください。
日時:2月 19 日(火)午後7時から
会場:オリンピア(予定)
会費:2500 円くらい(予定)
参加申し込みを、中川またはお近くの幹事へ。ただし、ドタ出席十分可です。
投稿
ネパール、ヒマラヤトレッキング
服部繁好
タガタ道を 8 時間掛けてキャンプ地へ、この道にもバ
スが通っていて屋根まで人が乗っているのです。我々
専用バスに座っていても車が跳ねたバウンドで飛び上
がってしまうのによく乗っているなーと感心します。
このバス移動はトレッキングより疲れました。キャン
プの食事はご飯が中心(日本人用にお米を用意、シェ
ルパは現地米でパサパサのを手で食べる)で、高度が
上がるとお粥、うどん等をキッチンスタッフが作って
くれます。米、醤油、味噌、調味量少々は日本から手
分けをして持ち込みました。味噌汁は美味しいのを飲
めました。
11 月 2 日∼3 日シャブルベシ―ラマホテル(2470m)
―ランタンビレッジ(3430m)
朝 5 時半起床、お茶がテントに配られ、その後洗面
用のお湯で顔を洗い食事用テントにて朝食、7 時 30 分
には出発、いよいよここからは 1 日 6 時間の徒歩、平
均標高差約 1000m登る。本当にゆっくりで普段の 2/3
10 月 30 日から 11 月 11 日までヒマラヤランタン、
トラッキングに行って来ました。前後 5 日間は飛行機
による移動とバス観光で 11/1∼11/7(7 日間)までが
テント生活を経験しました。参加者はリーダーを含め
21 名、シェルパ 7 名、ポーター15 名以上は居たと思い
ます。彼らは私たちが朝食を始める前から荷作り(テ
ント、マット、寝具、我々の荷物)が出来次第次のベ
ースキャンプまで運ぶ、食事用の荷物全部(食事テン
ト、椅子を含む)は我々が出発後、別のポーターが運
び我々を追い越して昼、夜の食事を作って待っている。
そのため人数は、はっきり掴めませんでした。
11 月 1 日『第一日目』 シャブルベンシ標高 1450m
カトマンズのホテルから専用バスに乗ってシャブル
ベンシのベースキャンプへ
街中は人、自転車、バイク、車で溢れていて、よく
この狭く混雑の中事故が無く走っているなーとヒヤヒ
ヤものです。街を過ぎると道は細くなり、砂利道のガ
4
とのこと。この時は苦しさもピークで口をきくのも嫌
に成りました。もう 4300mは過ぎていたと思います。
ここでまた2名が下山(ポーター1名を伴って)。気を
取り直して「10 分歩いて 5 分休もう」と私がハッパを
掛けて進みましたが、2歩すると苦しくなってしまい
何とか我慢して5分稼ぐ。この繰り返しで頂上あと少
しで(ガスに霞んでピーク…山裾…が見えなかった)
我がリーダーも怪しくなり(私がハッパ掛けた頃から)
「下山するから頼む」と言われたが思案にくれて暫く
休む。…一時ガスが晴れピークがくっきり。
「ピークが見えたよ。頂上はもうすぐだよ。ガンバロ
ウ!」不思議なものでピークを見るとまた勇気とチカ
ラが沸いてきて元気でリーダー共々皆で声掛け合って
20 分後にアッタク成功。午後4時少し前。7名(男 2、
女 5)お互い抱き合って、感涙!!よくやった!!と
何事にも変えがたい喜びを感じ取りました。
その後下山途中で目的のタルナピークを終わらせキ
ャンプ地に到着。17 時 30 分、もう薄暗くヘッドラン
プは用意していましたが。無事下山。
5 日はフリー。私達8名は川裾の道を 4160mまで上
り、対岸上の六千から七千メートル級の山(レンポギ
ャング 7082m、ガンチェンポ 6387m、ランシサリー
6370m、モリモトパーク 6750m等)を眺めに、帰りは
リーダーの許しを得てジョグをしました。やはり、富
士山より上は(4160∼3850m)下りは何とか走れるが
平坦から上りは走れたものではありませんでした。で
も歩きが中心でしたが2時間やりました。
11 月 6 日∼7 日キャンジンゴンバ―ゴラタベタ(3020
m)―シャブルベンシ
ここからは下り、昨日何とは走ったので 6 日午前昼
まで、7日は午後から走りをしました。体も少しずつ
慣れて6日は昼食地の手前で待っているところを通り
過ぎて危うく昼の地も過ぎる所をポーターに見つけら
れてセーフでした。そこから引き返し皆を迎え走り、
トータル3時間 30 分。7日午後からもまたまた道を間
違えてしまい(今度は地図で確認)皆と別れて1時間
30 分ロス。トータルこの日も3時間 30 分。
最後のベースキャンプ地シャブルベンシで地元民
(子供含む)
、ポーター、シェルパ等 80 名以上にて打
ち上げパーテイー(ビール)を歌って踊り楽しみまし
た。
今思えば 4600m登った時の苦しさは登ってしまえば
良い経験となって残っています。後3年で古希を迎え
るが、まだまだ出来ると実感しました。
程度の速度で高山病対処にあたります。当地は乾季と
あって天候には恵まれ日頃の行いが良かったせいか雨
には一度も遭いませんでした。今回のトレッキングは
ヒマラヤランタンリル峰(7245m)からのランタン川
伝いに上り最後は 4300mタルナピーク(山)にてラン
タンリルを眺めるのです。シェルパ 7 人が先頭、中間、
最後にと配置され歩く。川沿いに登って行くので吊橋
も何回か渡ります。ここを馬も(荷物、人を乗せて)
牛も通ります。周囲にはハルスン樹林(日本語を話せ
るシェルパによる:葉はドングリの葉に似ていて落葉
はせず、高い幹にはコケの種類なのか?薄緑、白と細
長く樹生しています)が日を遮り、こぼれ日の中を進
みます。川幅はあまり無いが急流で巨岩がその間をゴ
ウゴウと音を立てて流れています。2 日目を過ぎると
高い木は無くなり、午後になると風が出て寒さを感じ
るようになりました。この頃から雪を被ったランタン
リル峰が見え隠れ、やがては見えるようになりました。
何と言ってもスケールが大きいなーと思いました。
11 月 4 日∼5 日ランタンビレッジ―キャンジンゴンバ
(3850m)
4 日は標高約 400m を予定では徒歩 3 時間で最終ベー
スキャンプへ。昼食後 4200m のタルナ山をめざすので
したが、昨日のキャンプ地 3430∼3500m 以上になると
ちょっとした上りでも息苦しくなり行動が伴わず。時
間ばかりが過ぎてしまったので急遽予定を変更、キャ
ンプ地に到着後有志により非常食にて(パン、チョコ、
チーズ、クッキー等)タルナピークを目指した。12 時
出発 18 名参加、今までの緩やかな登りから本格的な急
坂、30 分もするとキャンジンゴンバのキャンプ地は元
よりラタン川岸、対岸の 6000m級の雪山がくっきりと
眺められました。その後道が二手に分かれシェルパが
相談の結果右の道を…。後で分かったのですが左がタ
ルナピ−クでこれはザンブ山へ(4600m)向かってい
ました。
この頃からガス立ち込めだし 4000mで休憩後9名が
体力の限界と息苦しさで無理と判断、2名のポーター
を連れて下山。ますます険しく砂と石の山、ガスも深
く 10 分も歩くと苦しんでもがく。標高を測る時計を持
っていた人が、
「もう 4200mなのだが頂上が見えない。
おかしいなー。時計が狂ったか?」とぼやきました。
…実際高さはクリヤーしていたのでした。何回かの徒
歩、休憩後休んでいる日本人5人パーティに会い「何
してる」と尋ねると「ガスの晴れ間をねらっている」
5
奥多摩むかし道(多摩川道草トレイル)
ジャック天野
羽田から二子玉川まで走ったのは、10 月の上旬だった。
翌週は二子玉川から府中練習会でおなじみの府中体育館
まで、その翌週は拝島睦橋(
『多摩自慢』の石川酒造の近
く)まで、4 回目は睦橋から羽村取水堰を経て青梅釜の
淵公園、そして 5 回目は青梅から奥多摩駅まで走った。
で、6 回目は奥多摩駅から奥多摩湖を経て、丹波山村
をゴールと考えた。現在の青梅街道は、小河内ダム建設
用の際に作った元の工事用道路で、奥多摩駅から奥多摩
湖までは、旧街道を整備した「奥多摩むかし道」がある
ことを知り、そのコースを通ることにした。
当日は奥多摩駅を 8:15 に出発。間もなく、
「奥多摩
むかし道」の入り口があ
る。落葉で覆われた山道
を昇っていくと、トロッ
コの線路とトンネルがあ
った。ダム建設の資材を
運搬するために使われた
ものだそうだ。道草トレ
イルのコースの下調べを
していて、多摩川周辺の鉄道には、砂利や石灰石を運ぶ
貨物線から始まったものが多いことを知った。府中の多
摩川競艇場は、
砂利採掘でできた大きな池だったそうだ。
あたりの草木には、霜
が降りている。赤い布を
まとった地蔵尊があった。
白い霜を背景に良く目立
つ。平日の朝のせいか、
人と出会わない。川のせ
せらぎと、鳥のさえずり
だけが聞こえる。数年前
にフィンランドで、
トナカイのそりに乗ったことがある。
薄明の百夜の中を、百万本はありそうな樅の林の中をゆ
っくりと進むのだが、昼食は円錐形のテントのような小
屋に用意されていた。暗い小屋の中央には、薪をくべる
炉があり、ガイドの青年が、薪をくべながら、天井に空
いた排気用の穴を指差し、
「ラップランドには、二つのテ
レビ局がある。それは、空のテレビジョンと炎のテレビ
ジョンだ。
」と静かに語ったのを想い出した。それに倣え
ば、
「むかし道には、川のせせらぎと、鳥のさえずりの二
つのラジオ局がある。
」と言えるのかもしれない。
しばらく進むと、白鬚
神社という立札が立って
いた。
その解説を読むと、
昔は、山や巨岩を神とあ
がめたそうで、ここには
大きな岩を祀ってあると
いう。脇の道を昇ると、
なるほど大岩の下にお社
があった。立札は奥多摩町教育委員会が立てたもので、
それ以後も多くの立札があった。例えば、耳神様:昔は
耳だれや耳が痛いときは、穴のあいた小石を見つけて、
耳神様に供えて御利益を一心に祈りました。縁結びの地
蔵尊:人に知られずにこっそりと二股大根を供えて一心
に祈れば「結縁成就」といわれています。むし歯地蔵尊:
6
…煎った大豆をお地蔵様に供えて、ひたすら一心に祈る
のでした、すると奇態に痛みが治まったといわれていま
す。等々。
やがて、
惣岳渓谷という場所に来た。
谷は深くえぐれ、
流れは、はるか下方に見える。しだくら橋という吊橋が
架かっていたので、向こう岸に渡ってみる。路面は木材
で、霜が付いており、滑りそうだ。そろそろと進み、そ
ろそろと引き返す。
馬頭観音ではなく、牛頭観音という小さな石像があっ
た。例の教育委員会の立札によれば、昔は、輸送に牛が
使われ、その息災を祈ったそうだ。すると、そのあたり
でかすかに牛の鳴き声のような音が聞こえた。いや、ウ
シガエルだろうか?でも、今は冬眠の時期だ。音は止む
ことなく聞こえている。少し先に人家があり、軽トラッ
クに荷物を積み込んでいる青年を見つけたので聞いてみ
ると、近くに牛を飼っている人は居ないという。それな
ら、木を切るチェーンソーだろうか?そのまま走り続け
ると、次第に音源に近づいたようで、やがて紛れもなく
チェーンソーだとわかった。
次には、道所橋という
吊橋があった。また向こ
う岸まで、そろそろと往
復してみる。眼下の多摩
川は、羽田の河口では
530mもあったのに、
もう
10m くらいになっていた。
そこから間もなく、
木々の間からダムの堰堤が見えた。小河内ダムだ。多摩
川という名称はこのダムまで、奥多摩湖から先は丹波川
となるので、多摩川の先端までは到達したことになる。
しかし、ダムの姿が見えてから、むかし道は結構続き、
ダムの脇の駐車場に着いたのは 10 時半、
スタートしてか
ら 2 時間かかってしまった(全長 10km、徒歩で 3∼4 時
間と案内図には表示)
。
もっと早く到達できると思ってい
たのだが、だいぶ時間を要してしまった。
ダムの駐車場の脇には、奥多摩水と緑のふれあい館と
いう立派な建物(資料館)があり、休憩を兼ねて、中の
展示をゆっくり見物。11 時に再出発し、奥多摩湖の北岸
の青梅街道を西に進む。快晴で対岸の山々の稜線もくっ
きり見える。気温も上がり、少々汗をかきながら、30 分
走って、バス停の近くにある「のんきや」という食堂を
今日のゴールとした。
ここは手打ち中華そば
の店として紹介されてい
た店だ。食堂の座席は2
階で、奥多摩湖が眼前に
広がる窓際に席をとった。
手打ち蕎麦もあったので
食べてみると出来栄えが
良かったので、後で、中華そばも頼んでしまった。
まだ、丹波山村まで 10km 以上あり、予定をだいぶ下回
った。もう 1 回、水源のある笠取山の麓まで走らねばな
らなくなった。それは道草の楽しみを味わう機会を神様
が授けて下さったのだと思うことにしよう。
(終)
雑誌・新聞のスクラップ・コーナー
自分のホームページが雑誌で紹介されました
個人的 Topic ですが、小生のランニングに関するホ
ームページが Yahoo! Internet Guide Japan1 月号で紹
介されました。なんと、名称も恥ずかしい BEST WEB
GUIDE というコーナーです。
別に売り込んだ訳ではないのですが。一度、本屋で
立ち読みでもして見てください。ちなみに、サイトの
URL は http://www7a.biglobe.ne.jp/~krlab/index.htm
で、サイト名はくにたちランニング研究所です。
(矢地宏一)
これなんですが
←これは、朝日新聞 12/16 日曜 Be
朝日新聞 12/16 日曜 Be には、こんな記事もありま
↓ した。大人用はあるでしょうかね?
句会報告
第54回楽走会句会
世話人 吉村一宇
平成 19 年 12 月 12 日(水曜日)夜7時 00 分から、
「森のレストラン」にて開催。参集した会員は、伊藤昭三、片
山久人、小嵐正治、鈴木美枝、野口希代志、野口朝世、吉村一宇の7名。
7
発表(作者は 50 音順) 作者の前は俳号
顔見世や岩さん俺は待ってるぜ
昭坊(伊藤昭三)
玄関に手作り聖樹鎮座かな
柚子湯してなほ柚子の香の柚子料理
寿人(片山久人)
菊百輪雲拭い去り天高し
店出ればふところ寒し師走風
走嵐(小嵐正治)
来ぬ人を待てばゴールは初時雨
小夜時雨闇をにらんで本閉じる
虞美人草(鈴木美枝)
柚子の香や埋めつくされて風呂の桶
落葉掃く老僧侘し日の暮れる
芳天(永吉芳典)
石蕗(つわぶき)の黄色眩しく陽や昇る
干し柿は古き母屋の暖簾かな
山好人(野口希代志)
誇らしや富士より高き甲斐の峯
炉辺寄り膝突合せ四畳半
楽居庵(野口朝世)
裸木や舞って散っての我が身かな
椎の実もをりをり落ちて玉砂利に
かずや(吉村一宇)
雪吊りの降らぬ都に不要かな
楽走会句会は毎月第二水曜日に開催しています。次回は 1 月 9 日、時間は夜7時より、
「森のレストラン」の予
定。当日欠席の場合は世話人の携帯電話(xykazunx@docomo.ne.jp)にメールして下さい。
句会は 4 年半になります。食べながら、飲みながら和気あいあいの自由な社交場です。どうぞお気軽にお越し
下さい。1 月の句会から兼題を採用する事になりました。1 月は薄氷(うすらい、うすらひ)
、春になってからう
っすらと張る氷。
編集後記
習のスピードを上げているせいか、筋肉の張りが強く
なっています。そこで、練習後、エミューオイルでマ
ッサージをしています。抗炎症の効果が高く、ラドク
リフも故障のときに使っていたそうです。筋疲労には
即効性があり、また普通のオイルなのでメントールの
ような刺激もありません。エミューというのは駝鳥に
似たオーストラリアの鳥で原住民のアボリジニは昔か
ら薬として使用していたそうです。効き目には個人差
もあるとは思いますが、かなりお勧めです。(松島)
22 日からの 3 連休で、本号の編集作業も無事に仕上
げられました。ほっと一息。一方、多摩川道草トレイ
ルは、本年中に源流にたどりつくことはできませんで
した。当初、初日に奥多摩駅から奥多摩湖を経て丹波
山村で 1 泊し、翌朝、源流である笠取山の水干まで往
復するプランを考えていました。しかし、予約のため
に電話した宿のおかみさんから、山中の日陰は氷結し
ている所があり、軽アイゼンが必要だと聞き、丹波山
村からの往復は、来春に延期することにしました。コ
ースを調べているうちに、丹波山村の先の一の瀬高原
には、老婦人が一人で切り盛りしているしゃくなげと
いう民宿があり、手打ちの蕎麦を出してくれること、
また、ブナなどを含む水源林なら、新緑の季節がより
素晴らしいだろうなと思ったせいもあります。どんな
展開になるでしょうかね。年男といえば、猪の私の年
男も間もなく終了。お正月は、テレビで駅伝観戦です。
(宇治川)
「克 勝 滑 喝 活」・・・5つの「カツ」に思い
を馳せる。野口みずきが、故障を「克」服して見事に
東京国際女子マラソンを制し、野球は、星野ジャパン
がアジア選手権に「勝」って、共に北京オリンピック
へ名乗りをあげた。安藤美姫らの女子フィギュアスケ
ートの華麗な「滑」走も見応えがあった。Jリーグは、
残念ながら、熱烈な女性ファンのいる浦和レッズが、
鹿島アントラーズに負けたことは何とも悔やまれる。
これには「喝」を入れないと・・・。炬燵に入って、
寒ブリの刺身で、焼酎をチビリちびり やりながら、
また、来年のそれぞれの「活」躍を祈念したい。そん
な 年の暮れである。(永吉)
11 月のTVで百歳以上の人の健康法ベスト5が出て
いました。1.散歩 2.園芸 3.裁縫 4.読書 5.運動 でし
た。体を動かすことや指先を使うことが健康の秘訣で
しょうか。我々よりはるかな先輩たちの言ですが参考
になります。因みに飲食のベスト5は 1.緑茶 2.季節
の果物 3.野菜たっぷりの味噌汁 4.焼酎 5.牛乳 だと
か。日本食が中心ですが、焼酎が入っているのがうれ
しいですね。もちろん適切な量です。飲みすぎはいけ
ませんよ。(片山)
干支を「子・丑・寅∼」と呼びますよね。来年は子
歳です。12 歳になった歳は嬉しかった。次の歳は楽し
かった。次の歳は家族も増え喜んだ。次の歳は次の歳
のコトが気になってきた。あの歳になったらどうなっ
ているのかと。再来年は寅歳、あの歳、私の歳です。
お世話になりました。それではみなさん良いお年を。
新年は、私のことを「プレ」年男と呼んでください。
(中川)
東京女子マラソンが終わってから、勝田に向けて練
楽走会編集委員会 宇治川正人
中川進 川前宣夫 坪居ゆかり
吉村一宇 亀屋鶴江
8
永吉芳典
松島直子
片山久人
矢地宏一