楽しい家づくり通信

平成16年 2月号
楽しい家づくり通信
今月のハイライト
・人の経験は自分のものだよ!
・人生がリフレッシュされたぞ!
・ちょっとコーヒーブレイク!
・原因がつきつめられても問題は
あちこち赤や白の、梅の花を見か
けます。もう春がそこにやってきまし
た。生まれて初めて母に、誕生日プレ
ゼントをしたがわからないようす。帰る
迄ずーっと手を握っていたら、だんだ
ん力が入ってきて握り返してくれた。
VOL.19
ひなまつり
解決しないぞ?
人の体験は自分のものだよ!
(お客様の声に囲まれて)
興味がある分野で活躍している人や、自分の
今月もビューンと飛ばして波に乗って ビジネスに何かのヒントがあったりすると、
私にも教えて下さい、とお客様に電話するの
ゆきましょう!
です。すると自分が抱えている問題の解決が
昨年も色々な方と家造りを通してお話が出
できたりします。ですから、お客様になって
来ました。
いただいた方には、仕事が終ったのにも関わ
建築屋は働く時間の1/4が車の運転、そして らず、私からお願い事やお客様の知っている
お客様とお話しをすることが1/4、後の半分 知識、知恵を貸していただくということがよ
がデスクワークと、現場訪問の時間に大体分 くあるわけです。
けられます。
パソコン・車・もめごと・体の健康・教育
仕事そのものが変化に富
に関すること・食べ物・役所の申請書類・ゴ
んでいて、日々同じことの
ルフ・学校・お茶・メディア・旅行・まだあ
繰り返しということは全く
ります。イベント・福祉・祭事・ぜ~んぶ私
ないので、仕事がマンネリ
はOB客に頼って生きていることがわかりま
化するとか、惰性で働いて
す。
いるということはほとんどない。
これはもう感謝しかない。私があまり世渡
りで苦労せずに生きていけるのは、この人達
住まいを考える人は全員(100%) のお陰だったりするのです。お客様のフンド
前向きの思考と、夢を叶えたいという シで世の中を渡っているようなものです。で
人達なので、こちらも話していて陽性のエ 私も少しはご恩返しをしなければといつも
思っています。
ネルギーをいつももらえる。
そこでいろいろ考えたので
すが、やっぱり私には住まい
建築屋になってよかった、と感じる瞬間で
と健康に関することでしか、
ある。本当ですよ。それに人の10倍も私は生
皆様に恩返しが出来ません。
きられるんですよ。あっ、時間が人よりも10
“ 住まいと健康 ”に関する
倍長く生きられる、という意味ではないです
ことでしたら私はプロですの
よ。
でぜひ連絡を下さいませ。
いくらなんでも10倍の人生を生きるには、ー
よろしくお願いいたします。
人ではとても持ち時間が足りません。
その意味はですね、お客様の生き方を、私達 ( お前がワシ等にお世話になる構図は変らな
が間接体験することで長く生きるように感じ いのではないのか ? )そっ、そうかもしれま
せん。
るのです。
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これは楽しいもんですよ!ですから自分の
1ヶ月のご無沙汰です。
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前置きが非常に長くなりました。本題に入
らせていただきます。
それで本題は、お客様とお話しは出来たも
のの、私と縁がなかった人達のことにふれて
みたいと思います。
何故、私と関係が始まらなかったのか ?
う~ん考えてみてもよく分りません。私とお
話した人が、みんなうちで家を建てるとした
ら、鹿児島の住宅会社は今の1/20の数で足り
ます。ですがそのように世の中は甘く出来て
いません。
私がお客様と、お付き合いが始まる喜びの
陰で、選ばれなかった人達が当然いる訳で
す。これが資本主義社会の実態で、厳しい現
実を誰もが味わっています。ですからよい品
物が、よいサービスが、よい営業マンが、よ
い会社が出来上がるのです。
されることですのでいいのです。ところがこ
の会社の選定の前に、他のチョイスをして家
を建てている人が、数は少ないのですがいる
のです。昨年2名の方が、そのようなやり方で
家造りを始めたのです。
このやり方は、もっともらしい理屈のよう
に見えますが、私の目から見れば、理屈が立
派すぎて、真実が覆い隠されてしまっていま
す。そんなことはありません? 権威のある人
が話す言葉はすべて正しいと無条件で思い込
むことが。
何かもって回った言い方をしてすみませ
ん。ここで一気に話を進めたいのですが、モ
タモタしていたら紙面が足りなくなりまし
た。続きは3月号でしっかりと分り易くお伝え
したいと思います。。
楽しみにしていて下さい。
それはそれで創意工夫し、お客様から支持
人生がリフレッシュされたぞ!
「起立っ」「礼」「お願いします」! して過ごしたいという。
30年前にタイムスリップして先生の授業が始
まった。
先生の定年のお祝いと、我々の卒業30年の集
まりが母校であった。
クラスの36名のうち20名が
集まった。
黒板も教壇も本棚も窓も教室
の入口も、当時のままだった。
変ったのは年とった先生と生
若かった頃の先生
徒の顔だけだった。
この日の朝、電話が 入り「 君野、先生はお
前達に教えることは何も無いから、10分もあ
れば足りるから 」ということだった。
そのつもりで時間配分をしたがやはり教職
の性か、45分はゆうに話された。
元気盛りの27歳から30歳迄担任だったか
ら、よーく生徒は叩かれた。
そして男子だけで自転車をこぎ千貫平迄遠出
もした、授業中だというのにレクレーション
をする。鹿児島まで遊びに出張るなど、まあ
愉快に遊んで過ごした。
校長先生から今の学校の様子を聞いた
教室や実験室・体育館・職員室を見学し、
当時が懐かしく思い出される。やがて生徒が
一人ずつ、教壇で30年を語る
時間になる。
働きながら大学に通った
者、厳しい社会を反映してリ
ストラに会い、収入は大幅に
減ったが家族や子供の為に頑張っている者。
先生の30年が語られた。知覧・栗野・岩
年相応に仕事の責任が肩にのしかかり、会社
川・鹿児島と転任し、そして再び知覧に帰っ での重要な地位についた者。海外勤務が長く
てこれたこと。新任の地で、定年を迎えられ なり、日本に久し振りに帰った者など。様々
る喜びを語り、途中で大病をして、限りある な「 それぞれの人生 」を語りだした。
「 生命 」を大切に、平川で農業のマネごとを
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後、「 松本先生 」が教壇に立った。
よく声の響く先生の声は、少しも変っていな
い。
でも顔が紅潮して、目がうるんで赤くしてい
た。手にハンカチをもちながら、幾度となく
目の当りを押さえながら話し始めた。
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みんな自分の言葉で語る姿に、30年の重
みと歴史を感じた。どこにあったのか黄ばん
だワラバン紙を手に、当時の生徒の学習評価
を、「 もう時効だからいいよな 」と言いな
がらコメントを1人ずつくれる先生。( 参っ
た。こんなことをやられるとは思ってもいな
かった !)
夜は指宿ロイヤルホテ
ルで宿泊だ。宴会では学校で
誌もまもなく出来上がる。「 大変だったね。
ご苦労さん 」と言われて嬉しいが大変だった
とは感じてない。PTAやボランティア、この
ようなまとめ役には、ある「 真実 」がいつ
もついて回る。それはやっているあなたが、
「 一番楽しくて充実した時を持てた 」とい
うことである。
だから踊るアホウになることを選んだ方が
勝ちなのである。心配もする、気をもむ、お
金も使う、人間関係を見てしまう、そして大
変緊張する。
話足りなかった大隣君が、
延々長引く話で盛り上がり、
しかしやった後には、この幾倍もの達成感
「 今だから話せる宇戸君の暴
と満足感が得られるのである。「 あなたどう
露話 」は昨日のことのように
ですか引き受けてくれませんか ? 」という
当時が語られ、それにまた輪をかけてネタが
問いかけがあったら、とりあえず「 YES 」
飛び出し延々止まらない。
という言葉を返しましょう。きっと違った自
分を見つけることができますよ!!
女将が「 今日はゆっくりとくつろぎ、昔話
に花を咲かせて下さい ね」との言葉に甘え
そして実はもうひとつの
ていると「 まだ終らないんですか? 」の
「 真実 」があるからその
催促。別室の二次会へ場所を移すも盛り上
ことで、まじめな心配は要
がった勢いのまま深夜深く迄語り会った。
らないのです。それは自分
がどう頑張ってもやれそう
翌朝はホテルロビーに8時半に集
にないことに人は「 私には
合。「 この思い出が明日からのエネルギー 出来ませんので他を当って下さい 」と答える
になりました。また10年後に会いましょ
のです。ですから迷いや不安を覚えたらそれ
う。その時迄先生元気でいらして下さい。
は引き受けることの出来る「 信号 」みたい
みんなもまだまだ家族や会社の為に頑張り、 なものです。
この暗い社会を俺達で吹き飛ばしていこう 」
何だか訳知り顔で、ず~っと話して申し訳
このようにしてクラス会が終った。5月か ありません。
ら準備して、とても長かったが充実し、腹の
私のひとつの意見として参考程度に聞いて
ふくれる思いだった。旅は「 計画する 」そ いただければありがたいです。参考のついで
のことが一番楽しい、と言われるが今回も気 に私の「 文集 」も入れましたのでこれも興
持はそのようなものでした。
味がありましたら読んで下さい
1人1ページずつの文集も発行され、記念
ちょっとコーヒーブレイク!
マッチ棒で「イタリー」と書いてあるが、マッチを一本だけ移動させ
て、別の言葉をつくるとすれば、例えばどんな言葉がでますか?
漢字・カタカナ
それぞれありますよ!
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原因がつきとめられても問題は解決しないよ!
もぐら叩きは、ゲームセンターの、どこに 望んでいるの ? 」という問いかけであり、親
も置いてあるので、たまに子供と行くと遊ん
で夢中になれる。ピョコンと頭を出してはハ
ンマーで叩いて引っ込ます。こっちを叩いた
ら今度はこっちが出てく
る。これは遊びだからスト
レス解消にもなり体にもよ
い。
このモグラ、どこか現実の私達の日々のな
かにもありそうな気がする。
例えば仕事をしていてミスが起きたり、お
客様よりクレームがあったりする。また子供
だと、学校で友達とうまくゆかない。宿題を
しなければならないのだが、いつも後回しに
して先に進まない。
うまくゆかない事、望まない事、が起きる
状態をモグラが頭を出すことにしましょう。
(問題が出てきた)
であれば子供に「 どういうふうにしたいと
思っているの ? 」という質問です。
これをやると劣等感や恐れ、心の傷に触れ
ることなく、ポジティブに取組めるというわ
けです。誰でも失敗した時は「 失敗し
たー 」「 ああやってしまった 」となるが、
発想の切り替えをして「 この失敗が教えてい
ることは何だろうか ? 」「 失敗したんだか
ら、だんだん成功に近づいている 」というメ
ンタリティーを持てるようになれば、次の発
想や行動が湧いてくる。
そして誰かが言った言葉を思いだした。「 人
間の目は前に付いているでしょ。それは前を
向いて生きるためそうなっているんですよ 」
と。
今月号も終わりが近づきました。3月は
花見や春休みでいよいよ春本番。陽気に誘わ
一般的にはこの状態は理想の姿ではないの
で、これを潰して叩いてから前へ進もうとし
ます。悪い状況になったら「 原因をつきと
め 」これを排除し、対策を練るのが一般的で
すよね。ですがこれをやると犯人探しが始ま
り、当事者は追及され、批判されることに
なってしまいます。
れてあちこち出かける季節です。
最近皆様の所にお
じゃますることが少な
くなって、申し訳あり
ません。
決して忘れている訳で
はありません。「 たま
には顔を出せ 」「 書類
機械や物であればそうする事で進歩できま
じゃなくてたまにはお
すが、人間には「 感情 」がありますので、こ
前が出て来て点検し
れをやればやる程、解決の道からはずれる。 ろ 」「お茶飲みによらないと、あなたの顔を
という理論が、臨床心理の世界で主張され始 忘れてしまうよ 」たくさんいただきます。
めています。
それではどうしたらよいと言っているので
しょうか。起こってしまった事、過去の事は
問題にせず、「 実現したい結果 」「 得たい
結果 」に焦点を合わせて取組むことです。
そのようにしたいと思っておりますので、
いま暫く時間を下さいませ。さっ、早く机の
上の仕事を片付けなくちゃ!ということで今
月はこれでお開きといたします。次は桜の満
開の頃にお会いいたしましょう。
グッドバイ!!
大人であれば上司が「 君はどういう状況を
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何でも相談・何でも言いたい!
※このお便りは
□ 実名入りで掲載してもいいです。
□ 匿名なら掲載してもいいです。
□ 掲載しないで下さい。
Fax 099-275-2484
Eメール rokuto@crux.ocn.ne.jp
TEL
葉書
携帯
099-275-1710
890-0074
“楽しい家の”(有)鹿都建設
鹿児島市宇宿町2174番地
担当
090-9075-4499
君野俊男
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早くも 30 年、生涯現役で
君野俊男
「赴任地は高松です」 一週間の研修を終えて初めて辞令をもらった。大阪よりジェット
ホイル便で高松港に着き、高松空港の目の前にある、東京製鉄社宅新築現場が私のデビュ
ーの現場だった。この現場ではとても可愛がってもらった。
大西所長、田村主任、中瀬工事担当、そして私の 4 人で家族
的雰囲気の職場だった。この頃まだ現場に寝泊りしていて、
7時には起きて事務所の掃除を終わらせ、先輩の人たちが出
社したらお茶も出した。
1年目の冬だったが、堀之内明先生から「今高松駅に着い
た。現場訪問したいのだが、と急に電話があった」
突然だ
ったが深夜迄事務所のストーブを囲み、いろんなことを話し
( 事務所にて社員と一緒に )
た。
「君野、お前達はいい時に就職した。昔は就職をさせるの
が大変で、あちこちの会社にお願いして回った」と。
ひとしきり話して先生が、「ここで
いいから一緒に泊まらしてくれ」と言われたが、いくらなんでもそれは出来ないと思い、
エアーポートホテルまで送り、明朝また見送った。主任さんの奥さんは鹿児島の出身で、
ここでいつも夕飯はお世話になった。
「貝がら節」は鳥取の民謡で、晩酌を 2 人でするときまって歌が始まり、
「お前も鹿児島
のをやれ」と回ってきた。おはら節、南国情話、民謡ばっかり唄った。その「貝がら節」
を私はいまでも唄える。クラブ「黒い真珠」は18歳の兄ちゃんには不似合いだったが、
よく連れて行ってもらい、仕上は「金泉」の讃岐うどんを酔い覚ましに食べて、帰るのが
おきまりだった。思えばこの主任から沢山のことを教えてもらった。
酒の飲み方、そして女?
仕事の気構え、お
やめて鹿児島に帰ると言い出したときには、「九州支店ではだめ
なのか?」と今一度考え直すように世話を焼いてくれた。それ以来いまでも年賀状をいた
だいている。
24歳まで勤務して、尼崎、京都、大阪中ノ島、水口(滋賀県)、藤井寺、
と現場を回った。
私の関西びいきは、ここでの濃厚な体験がもとになっている。今思い
出しても「関西はほんまいいとこでっせ」。なかでも食いもんは安いしおいしい、おまけに
ボリュームがある。カツ丼とうどんセットが550円ぐらいで今でも食べられると思う。
ある日突然、現場にお袋から電話が入る。「父ちゃんがねえ、あと半年しか生きられんち
医者から言われた」。そして悩んだが会社を辞めて鹿児島に帰る道を選んだ。(父は運良く
元気になり、3年前まで生きることが出来た)帰郷すると龍栄建設に入った。池田パンの
子会社で、パン工場やパチンコ店、ビル、住宅を造り、この頃が一番元気があったように
思う。
38 歳の時、惰性で生きている自分を変えたくて独立した。早10年が経つが、最
近少し会社経営のコツが分かりかけ仕事が大変面白い。歩合100パーセントの実力世界
に身を置いているが、だからこそやりがいがあると最近になって思う。(少々強がっていま
す)同級生の皆さん、都会から鹿児島に帰るのも一つの選択ですよ。なによりストレスが
ありませんし、可能性が広がります。
今回恩師の松本先生がめでたく定年を迎えられ、心よりお祝い申しあげます。私たち生
徒を今後も引き続き指導していただき、また健康に気をつけてお過ごしくださいますよう
お祈りいたします。
再びまた一同と会えますようにと願っています。