48号 - Ne

日本カレドニア学会
No.48
Japan Caledonia Society
OCTOBER 2013
カレドニア(CAL E DONIA)はスコットランドの雅名
その国花は薊(あざみ)
『ヘブリディーズ諸島旅日記』にみるボズウェルの葛藤
江藤
ジェイムズ・ボズウェルは 19 歳のとき、在学中のグ
ラスゴー大学から衝動的にロンドンへ飛び出していく。
自分と同じ法曹界の道を歩ませたいと願っていた父に強
引に呼び戻されたものの、ボズウェルはすっかりロンド
ンの華やかさの虜になってしまう。その後、父の望みど
おりにエディンバラで弁護士活動を行うが、職務に没頭
できず、やがて閉廷期にはロンドンに出かけて行き、ジョ
ンソンらとの交友を楽しむことになる。ボズウェルはロ
ンドンの魅力からどうにも逃れられず、長年にわたって
ロンドン定住を検討し、ジョンソンにも相談していた。
ボズウェルは『ジョンソン伝』の 1777 年 9 月 20 日の
項で、スコットランドは「狭すぎる世界」で、ロンドン
はそれに比すと「この世の楽園」だと述べている。そし
て、その積年の思いは 1786 年に叶うことになる。だか
らといって、ボズウェルにスコットランドへの愛着がな
かったわけではなさそうだ。それどころか、ボズウェル
のスコットランドへの思いはロンドンへのあこがれとは
裏腹にかなり根強いものがあったようにも思われる。そ
の思いは『ジョンソン伝』ではあまり述べられていない
が、ジョンソンとスコットランドを旅した際の日誌を基
に し た The Journal of a Tour to the Hebrides w ith
Samuel Johnson, L L . D.(邦訳『ヘブリディーズ諸島旅
日記』中央大学出版部、以下引用は本書)にはボズウェ
ルのスコットランドやスコットランド人に対する熱い思
いが語られているのである。
この旅日記の始まりのところで、ボズウェルは「スコッ
トランドに対するひどい軽蔑を露にされると、私はその
イングランド人に調子を合わせながらも、はっきり言っ
て、彼らを子ども扱いにするのである。したがって、ジョ
ンソン博士でさえも同じように扱わざるをえないことが
ときにはあるのだ」(p.12)と述べている。この表明はジョ
ンソンとボズウェルの関係を考えると、いかにボズウェ
ルが祖国のスコットランドを大切に思っているかがうか
がわれる。ところが、そのジョンソンは、ことあるごと
にスコットランドの風物やスコットランド人をからかっ
てボズウェルに挑みかかる。エディンバラ大学学長のロ
バートソンとかつてのスコットランド議会場を案内した
とき、ボズウェルは「古来のスコットランド気分に耽り
始め、イングランドとの合同によって我々はもはや存在
しないということ、我々の独立王国は失われたという心
からの後悔を表明し始めた」(p.28)のであった。ところ
が、ジョンソンは「君たちの独立のことは口にしなさん
秀一
な。正義の見せかけすらせず、女王を救い出そうと試み
もせずに 20 年間も女王を幽閉させておいて、ついには
死に追いやってしまうのを許してしまう輩がいるという
のに」(p.28 )と皮肉たっぷりにやりかえす。ボズウェル
はこのようなジョンソンの発言を他のスコットランド人
には聞かせたくないと思い、何度か話題をそらしたこと
もあった。そんなボズウェルの配慮も気にしないジョン
ソンは、スコットランド国王ゆかりのダンドナルド城を
訪れた際にもボズウェルに挑みかかる。ジョンソンは屋
根が崩れ落ちて廃墟と化した城跡を見て「これがボブ王
のお城か」と大笑いしたのであるが、これはボズウェル
には「古きスコットランドへの熱い思いを苛立たせよう
とした」(p.430)と思われたのであった。
この旅行中にボズウェルらは多くのジャコバイトの関
係者と会って、当時の話を聞いている。その人たちに対
するボズウェルの記述にも、ボズウェルのスコットラン
ドへの強い愛着が感じられる。グレンモリスンの寒村の
一軒宿の主人が 45 年の乱について詳細に語ったとき、
様々な思いが次々に浮かんできて、ボズウェルは感涙し
たのであった。ボズウェルはその折の理由を「ハイラン
ド各地の名前やバグパイプの音色が私の血を沸かし、私
の心を憂鬱さと勇気に対する尊敬の念の入り混じったも
ので満たすのだ」(p.139)と感傷的に述べる。
ホリールード宮殿を訪れたとき、その礼拝堂の荒廃ぶ
りに恥ずかしい思いをしたことをジョンソンに述べ、
「友人ダグラスのご母堂の埋葬されている神聖な場所を
屋根が落ちたままにし、苛酷なままにしているのを特に
嘆いた」(p .417)と述べる。ボズウェルのもどかしさが
感じられるこの一節にも、彼の郷土愛が感じられる。
この旅は 1773 年のことであり、ボズウェルが実際に
ロンドンに移ったのは 1786 年のことで、その 13 年の
間にはボズウェルの父の死があり、ジョンソンの死があっ
た。ボズウェルは父の死によってオーヒンレックの土地
を相続し、80 人の借地人を抱える領主となった。それ
でもボズウェルはロンドンへ移り住んだ。ボズウェルは
なぜ故郷を去ってイングランドに移住することにこだわっ
たのだろうか。スコットランド自体がアイデンティティ
を求めていた啓蒙の時代に、ボズウェルも自己のあるべ
き姿を求めていたことは間違いない。その決定までには
当時の社会状況も絡み、単なるあこがれではない、血の
にじむような苦悩と葛藤がボズウェルの心の中にあった
に違いない。(筑波大学)
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日本カレドニア学会 New sletter
第 48 号(2013 年 10 月)
スコットランドの国勢調査
松下
年齢別で見ると、2001 年に 14 歳以下人口が 90 万人、
65 歳以上の人口が 80 万人だった。2011 年では 14 歳
以下が 85 万人で 65 歳以上が 89 万人となった。65 歳
以上の人口が 10.6%増加し、14 歳以下の人口が減少し
たためもあり、14 歳以下の人口を追い越した。高齢化
が進んでいることがわかる。
2001 年 の 人 口 が 506 万 で あ っ た の が 、 2011 年 に
529 万となり、4.6%増加している。統計を分析する一
つの方法に、先に見たように、2001 年の 14 歳以下と
2011 年の 14 歳以下を比較する方法があるが、ここで
はどの年齢が増加したのかを見るために、例えば、
2001 年の 14 歳と 2011 年の 24 歳を比較するというよ
うに、2001 年から 10 歳年をとった年齢で比較をして
みた。
2001 年以降に出生した 2011 年時点の 0 歳から 9 歳
の人口は 562,438、2001 年の 45 歳以上の人口と 2011
年の 55 歳以上の人口を比較すると 485,461 減少なので、
スコットランドへ流入した人口がなくても人口は増加し
ているものと考えられる。2001 年の 0 歳から 44 歳ま
での人口と 2011 年の 10 歳から 54 歳までの人口を比較
し、人口が増加している分は何らかの理由でスコットラ
ンド外から流入したことになる。
晴彦
スコットランドを含めイギリスの連合王国は、日本と
同じく、西暦の下一桁が 1 となる年に国勢調査を行って
い る 。 1801 年 か ら 行 わ れ て い て 、 最 新 の 国 勢 調 査 は
2011 年のものとなる。2011 年の話をなぜ 2013 年にす
るのかと疑問に思われる方もおいでになると思うが、実
は 2 年も経っているのにもかかわらず、2011 年国勢調
査結果は一部が公表されているだけで、全貌はまだ明ら
かになっていない。
2011 年国勢調査は、2011 年 3 月 27 日時点のもので、
名前、性別、生年月日から、どこの国民と感じるか(国
籍とはいっておらず、スコットランド人かブリテン人か、
あるいは他の国か、例えば日本人などということ)、人
種、婚姻の状態、健康状態、宗教、職業など、調査項目
は 38 ある。
ウェブサイト"Scotland' s Census 2011"(http: / / www.
scotlandscensus.gov.uk/ en/ )において国勢調査の結果が
閲覧できる。調査結果公表の予定は以下の通りである。
Release 1 (2012 年 12 月より順次)人口に関して
Release 2 (2013 年 9 月より)重要な統計に関して
Release 3 & 4 (2014 年初旬より)地域的な特性に関して
2013 年 8 月末の時点で入手できる主な統計には、次
のものがある。
Release 1A (2012 年 12 月 17 日)
人口の千単位の概算(五年齢)
Release 1B (2013 年 3 月 21 日)
人口、世帯数の百単位の概算
Release 1C (part one) (2013 年 7 月 23 日)
人口の実数(単年齢)
Release 1C (part two) (2013 年 8 月 15 日)
郵便番号別人口など
顕著なのは 2011 年時点での 19 歳から 23 歳の人口増
加で、とりわけ女性が 5,000 人以上の増加となっている。
EU 域内は仕事を求めて移動することが容易であるため、
他の地域から比較的賃金の高いイギリスに労働力が流入
している。イングランド・ウェールズ全体では人口が
7.1%増加しており、同じ事がスコットランドにも予想
される。
目立つのが増減の谷で、30 歳から 33 歳にかけて男女
とも停滞していて、男性では減少さえしている。年齢別
人口でも男女とも 33 歳と 34 歳が 3 万人前後で、他の
年齢と比較しても人口は少ないといえる。この年齢層で
も人口の流入はあったと予想されるのだが、流出の方が
勝っていたと想像される。どのような原因があるのか解
明するのは今後の課題である。 (拓殖大学)
2011 年の国勢調査によると、スコットランドの人口
が過去最多となった。1707 年のイングランドとの連合
当時、104 万人、1755 年のウエブスター博士による人
口調査で 125 万人と見積もられている。1801 年の国勢
調査で 160 万人となっていて、1971 年の 522 万人まで、
多くの移民を出しながらも、着実に人口は増加していっ
た(1941 年は戦争のため国勢調査は行われていない)。
1981 年に初めて減少傾向に入り、1991 年には 499 万
人と、500 万人を割り込んでいる。2001 年に僅かに持
ち直し、今回、2011 年は 529 万人となり、過去最多と
なった。
会費納入のお知らせ
学会費(5.000 円、学生会員は 3.000 円)を未納の方は、
郵便振替にて下記までお振り込み下さい。
郵便振替口座 00230-5-8328 日本カレドニア学会
(8328 は右詰めでご記入下さい)
事務局よりお送りした振替用紙をお使いになれば、振
り込み料を支払う必要はございません。
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日本カレドニア学会 New sletter
第 48 号(2013 年 10 月)
◆2013 年公開講座報告
◆2013 年第 2 回研究会報告
8 年目となった本年は「スコットランド文化への招待」
と題して、スコットランドの魅力を様々な角度から紹介
する講座を以下のように開講した。
日時:7 月 27 日(土)14:30 ~ 16:30
会場:筑紫女学園大学(福岡県太宰府市)
発表:三原穂氏(琉球大学)
「 オ シ ア ン 作 詞 メ ン デ ル ス ゾ ー ン 作 曲 の ア リ ア ‘ On
Lena’ s Gloomy Heath’ ― 大 英図 書 館所 蔵 RP S MS 119
から」
第 1 回 6 月 1 日(土)
1. 谷岡健彦氏(東京工業大学)
「スコットランド国立劇場(NTS)の開設とその後」
2. 鈴木真紀氏(元神戸海星女子学院大学)
「世界遺産を通して知るスコットランドの魅力」
第 2 回 6 月 8 日(土)
1. 稲永丈夫氏(NP O 日本スコットランド協会)
「“スコティッシュ・ゴルフ”ホッチ・ポッチ」
2. 木戸敦子氏(関西外国語大学)
「スコットランドの魔女狩りを探る」
第 3 回 6 月 15 日(土)
1. 横山正子氏(桜美林大学)
「メンデルスゾーンの音楽に息づくスコットランド文化」
2. 三鍋昌春氏(サントリービジネスエキスパート(株))
「スコッチウイスキーの秘密」
30 度を超える暑さの中、筑紫女学園大学の学生を含
めて 9 名ほど参加者があった。丘の上にあるキャンパ
スまで西鉄太宰府駅から徒歩で汗だくになって来場した
参加者もいた。汗を消し去る冷えた大教室でメンデルス
ゾーンとスコットランドとの関係をテーマにした研究発
表が行われた。発表者が言うには、できる限りやわらか
い内容の発表になるように努めたということで、発表は
画像や音楽を盛り込んだものになった。質疑応答のセッ
ションでは 2 人から質問があり、一次資料の扱い方や
音楽研究の動機などについて問われた。1 人のみの発表
ということもあり、時間の余裕があり、発表後参加者で
1 時間ほど座談をした後、30 分ほど時間をかけて歩い
たり電車に乗ったりしながら西鉄二日市駅近くの懇親会
会場「かごんま」に向かった。懇親会では、木村俊幸先
生のお話に参加者が耳を傾け、楽しい時間を過ごすこと
になった。最後に会場準備をしてくださった宮原牧子先
生に感謝申し上げたい。(三原 穂記)
各講座には約 15 ~ 40 名の聴講者が参加した。講師陣
は視聴覚機材を駆使し、一般聴衆にもわかりやすい丁寧
な講義を行った。それぞれのテーマを通して、聴講者が
スコットランドの特徴を理解する一助となったと思われ
る。本講座をきっかけにして、スコットランド文化への
関心が更に深まれば幸いである。講師をはじめ、開催校
の拓殖大学と会員の皆様のご協力に心より感謝申し上げ
ます。
(米山優子記)
しかし、ついにバローの史料集の範囲を越えて、13
世紀前半の証書集未刊の時代に足を踏み入れる時が来
た。そうした折、サー・アーチボルドが生前に、実は
13 世紀半ばまでの証書集の刊行を計画しており、今
でも多くの証書の原文の転写と膨大な注釈のメモと
がスコットランド国立図書館に残されていることを
知った。
2013 年夏、私は院生時代以来はじめて、サー・アー
チボルドとじっくり向かい合う機会をもった。全 15
巻にまとめられた彼のノート(Adv.Ms.37.3.1-15)は、
十分に期待に応えてくれるものであった。手書きで記
されたノートを前にすると、あらためて彼の情熱と努
力に、ただただ頭が下がる。彼の死後、歴史研究の貴
重な資料としてノートを出版しようという声があがっ
たことも頷ける。残念ながら実現はしなかったが、個
人的には今でも出版してほしい思いである。しかし、
はたして当の本人はそれを望むだろうか。実は、サー・
アーチボルドは、Early Scottish Charters でさえも公刊
後にいくつかの誤りを発見して、出版し直したいと漏
らしていたらしく、少しでも公の場での過ちをよしと
しなかった。したがって、私的なメモの段階のものを
公刊することには、恐らく眉を顰めるだろう。ただ、
彼は歴史研究に資する材料を提供することに情熱を注
いだ人物であり、また、社交の場では気さくに話に応
じてくれる人柄であったようだ。したがって、プライ
ベートに教えを乞う気持ちでノートを拝見しに行くの
であれば、喜んで迎えてくれるのではないかと勝手に
期待している。
この夏は膨大なノートの 3 分の 1 程度にしか目を通
すことができなかった。また次回、彼に会いにエディ
ンバラに行くのが楽しみである。
(大手前大学)
研究ファイル
Sir Archibald Campbell Lawrie (1837-1914)
との新たな出会い
西岡
健司
私がサー・アーチボルドに最初に出会ったのは、か
れこれ 10 数年前のことである。大学院で本格的に中
世スコットランド史を研究することに決めたとき、最
初 に 手 に し た 史 料 が 、 彼 の 編 集 し た 証 書 集 Early
Scottish Charters Prior to A .D. 1153 ( Glasgow, 1905)
であった。おもに 12 世紀前半の証書のラテン語原文
を収録した同書には、本文をはるかに上回る量の圧倒
的な注釈が添えられており、多彩な史料の織り成す世
界の広大さと深遠さ、ならびに、その中を史実を求め
て渉猟する面白さと難しさを私に教えてくれた。
サー・アーチボルドは、30 代半ばから 60 代半ばま
での壮年期をセイロン島で裁判官として過ごした人物
であるが、その前後、とくに 1901 年に故郷のスコッ
トランドに引退して以降は、中世スコットランドの史
料編纂に情熱を注いで余生を送った。そのひとつの成
果である上書には、事実を厳格に追及する裁判官らし
く、ひたむきに史実を追い求める並々ならぬ意欲と努
力が感じられる。もっとも、歴史学的な成果としては、
その後 1999 年に碩学 G.W.S.バローによって同時期に
関する新たな証書集が出版され、また一方で、バロー
は 12 世紀後半から 13 世紀初頭にかけても 2 編の証書
集を既に公刊していたことから、私のその後の研究に
おいては、バローを参照することが多くなっていった。
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日本カレドニア学会 New sletter
第 48 号(2013 年 10 月)
◇研究発表要旨
日時:11 月 2 日(土)~ 3 日(日)
費用:両日参加(宿泊なし)19,400 円、2 日のみ参加
(宿泊 なし)9 ,0 0 0 円、3 日のみ参加(宿泊なし)
12,000 円、神戸港クルーズのみ参加 8,500 円
神戸までの交通費は含まれません。費用は参加人数に
より多少増減する可能性があります。
申し込み・問い合わせ:JSS
TEL/ FAX 03-6380-5256
Email
オシアン作詞メンデルスゾーン作曲のアリア
‘ On Lena’ s Gloomy Heath’ ―大英図書館所蔵 RP S MS
119 から
三原 穂
発表の前半では、メンデルスゾーンがなぜスコットラ
ンドを訪れたのかその理由を推理した後、メンデルスゾー
ンのスコットランド紀行の旅程を画像と音源を使用して
説明した。後半では、スコットランドと関わるメンデル
ス ゾ ー ン の 作 品 の 1 つ と し て 、 ‘ On Lena’ s Gloomy
Heath’ を紹介した。この曲はバスの歌手がオーケストラ
の伴奏で歌う曲で、メンデルスゾーンが死ぬ前の年
1846 年に完成している。この曲のメンデルスゾーン自
筆の楽譜は残っていないが、その写しは 3 点残っており、
そのうち 2 点が大英図書館に所蔵されている。
Additional Manuscript 48597 と Royal P hilharmonic
Society Manuscript 119 である。本発表では後者に焦点
を当て、そこに書かれた歌詞を 18 世紀にジェイムズ・
マクファーソンがゲール語から英語に翻訳したオシアン
詩と比較照合した。(琉球大学)
◇NPO 日本スコットランド協会主催コンサート
スコットランドによせて Vol. 6
朗読と歌曲を織り交ぜながらスコットランドの雰囲気
をお伝えする、日本ではめったにない企画の演奏会です。
日時:2013 年 12 月 15 日(日)14:00 開演(13:30 開場)
会場:仙川アヴェニュー・ホール “ ヴェ・クヮント・
オ.....”(調布市仙川町)
出演:ティモシー・ハリス(朗読)、村井香子(ソプラ
ノ)、春日保人(バリトン)、又丸奈緒子(ピアノ)
料金:一般 5,000 円、JSS 会員 4 ,000 円、学生 2,000 円
全席自由
*未就学児のご入場はご遠慮ください。
チケット予約・問い合わせ:JSS
TEL/ FAX 03-6380-5256
Email
◆2013 年度全国大会
日時:10 月 5 日(土)10:30 ~ 16:40
会場:同志社大学室町キャンパス寒梅館 6 階会議室
(京都市上京区)
講演:圓月勝博氏(同志社大学文学部長)
「ミルトンとカレドニア―ステュアート朝イングランド
の内なる他者スコットランド―」
研究発表:平野真理子氏(神戸海星女子学院大学)「ハワ
イにおける日系移民と女性性」、岩瀬ひさみ氏(日本
ケルト学会)「昔話 Kate Crackernuts をめぐって」、
木村俊幸氏(帝京大学)「バーンズの詩における
honesty について」
◆日本ケルト学会
◇第 33 回日本ケルト学会研究大会
日時:2013 年 10 月 5 日(土)13:00 ~ 18:00
10 月 6 日(日)9:30 ~ 16:30
会場:女子美術大学杉並校舎 7 号館 7201 教室
参加費:一般 1,000 円、学生無料
問い合わせ:原 聖氏
Email
10 月 5 日(土)
講演:エルヴェ・アルビーアン氏「ケルト学の新傾向」
フォーラム・オン「歴史言語学からみたケルト諸語研究
の新傾向」司会 田邉丈人氏
パネリスト 吉田育馬氏、下宮忠雄氏
◆2014 年第 1 回研究会
日時:2014 年 1 月 25 日(土)15:00 ~ 16:30(予定)
会場:拓殖大学茗荷谷校舎(東京メトロ・丸の内線
茗荷谷駅下車 徒歩 5 分)
発表者:木原 翠氏(東京大学大学院人文社会系研究科
博士課程)
論題:「ジョージ・マクドナルドの The Portent におけ
る伝承とロマンス」
10 月 6 日(日)
個別報告:廣瀬恵理奈氏「ブレイス語の代名詞目的語に
ついて」、林邦彦氏「フェロー語バラッドÍ v in t
Herintsson 試論」、鈴木章子氏「アイルランドの妖
精伝承と日本の妖怪伝承」、渡邉浩司氏「アーサー王
によるローザンヌ湖の怪猫退治(『マーリン続編』)
とその神話的背景」、米山優子氏「ゴルセッズ・ケル
ノウ:コーンウォール語文化の「創られた」伝統」
特別報告:エルヴェ・アルビーアン氏「ブリトニック諸
語初期文法書について」
◆NPO 日本スコットランド協会(JSS)
◇ スコティッシュ・ハイランド・ゲームズ
日時:10 月 6 日(日)10:30 ~ 16:30(雨天決行)
会場:神田外語大学グラウンド(千葉市美浜区)
入場料:大人 1,500 円、学生 600 円、小学生以下無料
問い合わせ:TEL 045-663-1462
日本カレドニア学会 News letter 第 48 号
2013 年 10 月 1 日発行
◇ 京阪神にスコットランドを訪ねる会
これまで東京と横浜でスコットランド人にゆかりのあ
る場所を訪問する企画を重ねてきましたが、今回京阪神
で活躍したスコットランド人やスコットランドにゆかり
のある人々の足跡をたどる 1 泊 2 日の旅行を企画しまし
た。神戸でスポーツの振興に尽くし、また、初めて炭酸
飲料水を作ったアレキサンダー・シム、布引のダムの設
計に協力したウィリアム・バートン、財界で活躍した北
アイルランド出身のエドワード・ハンターらのゆかりの
土地を巡ります。
編集発行人
日本カレドニア学会代表幹事 櫻井雅人
http://www.ne.jp/asahi/caledonia/jcs/
事務局 拓殖大学八王子キャンパス先川暢郎研究室
〒 193-0985 東京都八王子市館町 815-1 (A517)
Newsletter 編集担当 櫻井雅人、野口英嗣、米山優子
(連絡先・櫻井)〒 195-0071 東京都町田市金井町 2012-5
TEL/FAX 042-734-5451
E-mail:
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