第36回全国中学生人権作文コンテスト福岡県大会 最優秀賞 スタートラインに立つまでに 大野城市立大野中学校1年 大塚 雄兵 大きく息を吸い,走り出す。最初は少しゆっくり,だんだん速くなる。跳んだ。 前にまっすぐ伸びた両腕と左足,そしてアーチ型の右足。テレビ画面に映る走り幅跳びの様子を,僕 はとてもかっこいいと思った。 小学6年生だった去年の12月,僕は入院していた。3年生のころから病院に通い,何度もお医者さ んと話をした。そして,足の手術をすることになった。 いろんな人から「すっごく痛い。 」とおどされていた麻酔注射も耐えた。手術後のジンジンも我慢した。 足を動かせない4日間が過ぎ,看護師さんが笑いながら言った。 「そろそろ起き上がってみようか。 」 最初は二メートル離れたトイレにも車椅子で行った。その次に片足を上げてなら立ってもよくなった。 そして,やっと手術した場所を三重にビニール袋に包んで,シャワーを浴びていいと言われた。一週間 ぶりだった。僕はとっても嬉しかった。 ところが,10秒間も立っていられなかった。 「右足は地面に着いたらだめ」と言われていた。傷口が 開いてしまうからだ。でも僕は,「左足で立っとったらいいやん。シャワーの間ぐらい,何とかなるし」 と思っていた。 片足で歯みがきをしてみたらよく分かる。ずっと片足で立っているつもりでも,知らないうちに洗面 台に寄りかかってしまう。シャワー室のような,もたれかかる場所のない空間で,髪や体を洗うことは, とても難しい。初日は,赤ちゃんのように母に支えてもらいながらシャワーを浴びた。次の日からは濡 れても良いという介護用の椅子を借りた。 手術から10日目,松葉杖を使って歩くことになった。これがまた,難しい。腕は痛いし,前に倒れ そうになるし,寒い冬なのに汗がたらたら流れた。 そして,待ちに待った一時帰宅の日がやってきた。 自宅マンションのロビーに入るとき,僕はそこが掃除したばかりということに気付いていた。しかし, いつものように何も考えずに一歩を踏み出した。 「ツルッ,バターン。 」 あっという間の出来事だった。杖は滑り,僕は床の上に転がった。生まれてから経験した中で一番痛 かった麻酔注射のときにも泣かなかった僕が,手術後,初めて泣いた。痛かったからじゃない。悔しか ったからだ。 僕がテレビで観た走り幅跳びの選手は, 「骨肉腫」という病気のため,右足の膝から下を切断したそう だ。彼女は,右足切断後のことを,このようにふり返っている。 「泣く」ということができたのは,まだ少しはましな状態だったのかもしれない。辛いのに,涙さえ 流れてこない時期もあった。極限までいくと涙は出てこなくなる。 と。 手術から1か月後,僕は両足で歩くことができた。手術後の検査も無事に終わり,春になるころ,主 治医の先生から, 「病院に来るのは今日で最後だよ。」 と言ってもらった。 今,僕は毎日,野球ボールを追いかけている。打って,守って,走る。僕の右足はとても元気だ。自 由に走れることが本当に嬉しい。 走り幅跳びのスタート位置から踏み切り板までは,32メートル。でも,あの走り幅跳びの選手がス タートラインに立つまでに,どれだけ長い道のりがあったことだろう。どれくらい涙を流し,どれくら い心の中で泣いたことだろう。ほんの少し,僕は彼女が見てきた風景が見えるような気がする。 気付いたら,見事に着地を決めたテレビ画面の中の彼女に向かってガッツポーズしていた。
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