「自らの頼れる場所」 塾生登録番号 7700160003 東洋大学経営学部

「自らの頼れる場所」
塾生登録番号 7700160003
東洋大学経営学部マーケティング学科
馬島 渓
私たちのまわりには、なかなか意見を言うことができない人がいないだろうか。彼らは
一部の人が発言し終わった後においても発言をしない。このような人物は日本中いたると
ころにいる。日本には「沈黙は金」ということわざがあるように、自ら発言や行動をせず
にひたすら他人の指示が出るまで何もしないことが得であるという暗黙の了解があるよう
だ。また、ある人は時に他人を支配したいという葛藤に駆られることがある。知識がない
人に勝手な行動をさせたり発言をされたりすると、後で被害を受けるのは私たちであると
いう考えがはびこっているのだろうか。しかしながら、それで物事はスムーズに進まない。
問題はあらゆるところで発生し、いつ起こるともわからない。そこで試されるのはグルー
プ内の団結力だろう。団結力を身につけるためにはグループメンバー全員が安心している
ことのできる環境を作り上げることが重要である。そのためには、なかなか自分の意見を
発言することのできない人が自分の意見を発することが重要になってくる。自分の意見を
しっかりと他人にわかりやすく伝えつつ、他人の意見をしっかりと聞き取ること、そして
他人の感情を感じ取ることが団結力のあるグループには大切なのではないだろうか。この
ような力はすぐには身につかない。そこでこの力を身につけるために井上円了哲学塾を志
望することにした。
しかしながら入塾当初、哲学塾は私にとって居心地がよい空間であるということはでき
なかった。なぜなら他人に説明できるほどの説明能力が身についていなかったからである。
いつも私の考えが他人よりも劣っているように感じてしまう。他人の考えがいつも力強く
私の心に入ってくるのである。そうなると自らの考えを表現することはできなくなる。そ
こでいつも私の意見を適切に述べることを避けるために周囲の塾生に頼ることしかできな
かった。私の持つ「世界」とは他人に説明することができないほど狭い空間であったので
ある。ひたすらに他人の考えを聞くだけで終わってしまう時間だった。不安で仕方のない
時間がただただ過ぎていたのである。
話を切り替えよう。私は今年の秋セメスターから井上円了哲学塾と SCAT を受講すること
になった。それと引き換えに東洋大学に入学以降、大学生活の基軸として大切にしてきた
経営学部のゼミナールを退会することになった。ゼミ生時代の私はグループ研究やゼミ内
における各ゼミ生の発表に対して、自らの意見を言うことを大切にしてきた。自らの経験
や知識を他人に共有することで確実に自分の世界を表現してきたのである。そうすること
によって自分 1 人で学ぶには限界のある部分を他人の前で表現してみることで知識を深め
てきた。ところが秋セメスターから自分にとって新たな取り組みへ時間と力を投資するた
めにゼミナールを退会することにした。退会した先に待っていた哲学塾では自分の意見を
言うことができなくなっているのである。
ゼミと哲学塾の大きな違いは発言の仕方にあるのではないだろうか。ゼミにおいては他
人の考えと独立して自らの考えを言うことができる。ところが哲学塾においては議論をす
ることが大切にされているために、他人の意見に合わせながら自分の意見を出していかな
くてはならない。突然、他人の意見とまったく関係のないことを出していくことが許容さ
れていない。論点が同じであるとしても、まったく関係のない方向から自分の意見を出し
ていくことは不可能である。もちろん他人の意見を無視することや非難することはできな
い。まさに一人ではなく全員で 1 つの本を描いていくことが議論の場では求められている
のではないだろうか。ゼミ生から塾生へと環境が変化する中でただただ戸惑うばかりであ
った。このような環境の中で授業は進んでいった。
そのときに自分の戸惑いを払拭させるような授業が行われた。それはミラー和空先生の
授業である。先生は塾生 1 人 1 人と対話をすること大切にしながら授業を進めていった。
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だからこそ先生の話を理解することができたり、自らの考えを教室全体で共有したりする
ことができる。そして先生は授業の終盤に、
「夢や目標を持つことは大切なことである。夢
を叶えるために師匠と呼べる先生のもとで学ぶ。もし夢を実現させたのならばそこにはす
でに師匠の存在意義はない。だから師匠のもとを離れなさい。人が一番、頑張るのは自分
が今まで基軸を置いていた場所から離れる時だ。
」とおっしゃった。
言われてみると私は今まで一つのものに熱中して取り組んだことがない。小学生のころ
に始めた水泳も、テスト勉強も、高校時代の部活動も最後はいい加減な気持ちになって、
やめていった。でも大学に入ってからは違った。自分の意見をしっかりと伝えるとともに
他人の意見や感情をしっかりと引き出すための能力を身につけるために 1 年生のころから
井上円了哲学塾への入塾を志願していた。途中で経営学部のゼミに入るものの哲学塾への
想いは捨てきれず、今年になってようやくたどりついたのである。哲学塾への入塾は私に
とってゴールでありスタート地点である。やりたかったことができる場所に立っている。
だから、新たな自分の世界を築いていこうと思うことができた。
自らがやりたいことを行うことは難しいことである。もちろん自分がやりたいことを探
し出すことは簡単なことである。直感で自分がやりたいことを行うことができればそれで
いい。私は今、東洋大学に在学している。そこでは総合大学の下で国際化が推進されてい
る。その言葉通りに大学内においては国内外を問わず、さまざまな人と交流することがで
きる。それぞれの立場からお互いに自らの経験を語り合い、これからの自分がやりたいこ
とをお互いに言い合うことができる。すると自らのこれからの目指すべき理想像を深める
ことができる。また時には自分があまりにも小さな人間であり、今までの人生を悔やむこ
ともあるだろう。人生を悔やむからこそ自らのやりたいことを考え直すきっかけにもなる。
やりたいことを見つけることが時には自らの存在意義につながる。しかしながら人は時に
は相手の考えが優れていると考え、その人についていきたいという感情を抱くことはない
だろうか。自分はただただ弱い人間であり、他人についていくことに適している。しかし、
これで自分らしさを発揮することはできるのだろうか。本当に自分がやりたいと思えるこ
とができるのだろうか。最初はできていても次第にできなくなっていくという話がよくあ
ることである。そこで大切なことが本当に自分のやりたいことを基軸に定めていくことだ
ろう。
私は東洋大学で学び始めてから優秀であり有名な学生であると思われたかった。そこで
卒業後、いつかは海外で働いてみたいという考えを抱いていたのである。ところが自分の
基軸を定めることができた今、それは違うと思い始めている。日本の魅力を世界に発信し
ていくことができる人になりたいと考えている。
現在、世界において日本の持つ存在感が弱まっている。それは、日本人には独創力や想
像力があっても発信する能力が足りないからであろう。人はいつも目の前にある仕事に追
われ、他人とかかわっている時間がないことも要因になっている。時間の制約や想像力の
限界があるために 1 人で学ぶことのできる分量には限界がある。それを補うことができる
のが他人と議論をすることではないだろうか。議論を重ねることで他人の考えを自らの世
界に取り入れることを大切にしていきたい。
以上、
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