文化を映し出すことば: 日英比較から文化を言語学する

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http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/
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文化を映し出すことば : 日英比較から文化を言語学する
大村, 光弘
人文論集. 66(2), p. 81-95
2016-01-29
http://doi.org/10.14945/00009308
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文化 を映 し出す ことば
一 日英比較 か ら文化 を言語学す る-1
大
1
村
弘
光
はじめに
私たちが普段 なにげなしに用いている日本語 だが、他文化・ 他言語 と比較 し
てみると、それ まで意識することがなかった日本語 らしさに気づ くことがある。
以下の議論では、主 に語法 の観点か ら英語 。英語圏の文化 と日本語・ 日本文化
を比較 し、 そこから見 えて くる英語 らしさや日本語 らしさが、両文化圏のもの
の考 え方や国民性 の違 いを反映 したものであることを明らかにする。
まず初めに、日本語 の 「溺れる」 と英語 のdrownを 取 り上げてみよう。 日本
「溺れた」 と言 った直後に「が、近所 の漁
語では、(la)に 対 して(lb)の ように、
師 によって無事助けられた」 と言 っても、意味的矛盾 は生 じない。
′
0)a チュンサンは湖で溺れた。
b
チュンサ ンは湖 で溺れたが、近所 の漁師 によって無事助けられた。
「溺れ た `drOwned'」 と
ところが英語 の場合 は、(2a)に 対 して(2b)の ように、
「
言 った直後 に 近所 の漁師 によって無事助 けられた `he was saved by a 10cal
6sherman'」 とい う表現を付け加 えると、忽ち意味的矛盾 を生 じてしまう
2。
9)a」 oon_sang dro― ed
b ・ Joon
h the lake
sang drOwned in the lake,but he w¨ saved by a local■ sherlnan.
1近
年、静岡大学主催の公開講座や高大連携講座 (高 等学校 への出張授業)力 =始 まり、そういった
場で講師を務 ゆる際 に、高度 に専門的な理論言語学ではな く、一般向 │ナ の内容であるが言語学的
な視点 も盛 り込んだ話 をす る機会力増 えて きた。本稿 は、そのような公開講座や出張授業 で話 し
た内容 を論文形式でまとめたものである。
2(2b)の
・」(ア スタ リスク)は 、その文 が非文法的であることを
文中に使用 されてい る星形記号 「
意味 してい る。
- 81 -
この違 いは どのよ うな理 由か ら生 じるのだろうか。
結論 を先取 りす ると、 この違 いは、 ある出来事 をどこまで単語の意 味 の中 に
含 めるのか とい う点 において、両言語間で事情 が異 なってい ることに由来する。
つ まり、英語 は出来事 の結果 まで語義の中に含 める傾向が強 いが、 日本語 は出
来 事の結果を語義の中に合 めない傾向が強 いので ある。F語 義 の中に含めない」
と言 った場合、母語話者が(la)の ような発話を行った場合、問題 となっている
結果意味を全 く意図 しないと言 っているのではない。実際、問題 となっている
結果意味は合意 (implicature)と して存在す るのである。 したがって、(lb)に
示 したように条件 さえ整えば、合意であるが故に無効化 (cancel)さ れるので
ある 語彙化 におけるこの違いは、両文化の対照的性質から生 じた帰結である
3。
と主張することになる。
2
4
日本文化と欧米文化の特徴づけ
文化 はコ ミュニケーシ ョンにおいて直接言語化されない力ヽ 強い影響力を及
ぼしている。 このことを示すために、まず日本文化 の特徴 である「(民 族的)同
「相互依存性 〈=甘 え)」 、
「垂直性 (=タ テ型社会)」 、
「点的思考」等の概
質性」
、
念 を考察 してみたい。 日本人 は民族的同質性 が高いため、構成メンパーの意識
には多 くの共通項が存在する。さらに、家庭、地域社会、会社 といったそれぞ
れの場 ごとに集団が構成 されてお り、その場の中でタテ型の序列関係が形成 さ
●ている。 このような階層度の強い 日本社会ではヽ相互依存の人間関係が発達
してお り、そこでは個人 よ りも集団が強調され、個万U的 人間関係が絶対的人間
関係に優先 されることもしばしばある。言語コ ミュニケーションにおいては、
コンテクス トの多 くが共有されているJこ とから、言語コー ドを必要最低限に抑
えた、きめの粗いコミュニケーションが特徴的である。さらに共有された言外
の情報 に依存 しながら会話が進むため、言葉 によって表現される部分 (=文 )
の間の連続性 が失われ、総合的・ 点的・ 間的な思考パタジを取る傾向にある
島国国家ゆえの「同質性」を育んできた日本 と対照的なのが、他民族 。他文
5。
ヒされ る性質 を持つ ことに関 しては、Crlce(1975:57)を 参照 されたい。
'合 意力憮 効イ
4こ の の文化比 に
節
較 関 しては、石井敏・ 岡部朗―・ 久米昭元 (2004:第 2章 )及 φ橋本義明
(編
著)(1997:第 12章 )を 参考 に している。
6「
「点的」
総合的Jと は、細部は抜きにして全体的・蓋然的に物事を捉える様を意味する。また、
・
「間的」 とは、言葉によって表された部分 (一 文)間 で連続性や結束性が失われている様を意味
する。
- 82 -
化 との接触 を繰 り返 してきた欧米の国 々である1欧 米 の人 々は、異文化間接触
を通 して「異質性」を意識 してきたにちがいない。一国の文化的特徴 として「異
質性」 を持つ国は、言 うまで もな くアメ リカである。そこでは人種、言語、慣
習のどれをとっても「異質性」 が際立 っている。 また、欧米社会,般 :=当 て は
まることであるが、キリス ト教 の影響 から 「人間 は神 の下 に平等 である」 とい
う信念 が根差 している。言い換えれば、欧米社会 は「水平性 (=平 等原理)」 に
6。
よって特徴づけられる「ヨコ型社会」 とい うことになる また、欧米社会 では、
人 が他人 に対 して愛情 を求めた り、依存 した りする ことを強 く抑圧する傾向が
「自立性」が存在す
見 られる。これは、対人関係を規定するファクターとして、
「異質性」
、
るからである。これも相互依存的な日本社会 と対照的な特徴である。
「自立性」 といった概念 に根差 した社会では、個人 は別個人 に対 して
「水平性」
、
率直に意見を述べ、意見 が異なった場合 は相手を説得 しようとする傾向が強 く
なる。 したがって、自ずと言語 コー ドを駆使 したコ ミュニケーションスタイル
が発達するのである。 このような社会 では、 日本的 ゴ ミュニケーションスタイ
「線的」思考パタンをとる傾向が強 くなる。そこで
「分析的」
ル とは対照的 に、
、
は物事を蓋然的・ 総合的 に把握するのではな く、要素 ごとに細か く切 り刻み、
分類・ 類型 しながら分析する。 さらに、相手をうまく説得するために、論理的
且つ首尾一貫 した論の展開が要求される。
ここで、日本文化 と欧米文ィ
ヒについて比較 してきた内容を、表 1と してまと
1で
は
めてお くことにする。表
、 コミュニケーションスタイルに影響を及 ぼす
「社会・文化の本質 についての価値前提」
、
と思われる価値前提のなかでも特 に、
「対人関係 についての価値前提」、
「思考パタンについての価値前提」の三点につ
いて、欧米文化 と日本文化のもつ特徴 をキーフー ドとして示 している。
。ここでの 「
水平性」は現実 に平等社会 が成立 してい るとい うことを意味 しているのではな く、平
等が建て前 になっているとい うことを意味 している。
-83-
表1
欧米 と日本の価値前提の違い
欧
米
日
本
◇社会・ 文化の本質 についての価値前提
水平性、異質性 (特 にアメ リカ)
垂 直性、同質性
◇対人関係 についての価値前提
自立/独 立性、個人主義
相互依存性 、画 一 主義
◇思考 パタ ンについての価値前提
分析的、線的
総合的、点的
欧米文化 と日本文化における価値前提の違 いを概観 したところで、文化 と言
語 コ ミュニケーションの関係を論 じたHa■ (1976)に 言及 してお くことは、 こ
れからの議論にとって有意義であると思われる。Hauは 、ぁる文化のメンパー
がメッセージの記号化と記号解釈の過程で、どの程度コンテクスト (物 理的環
境、社会的環境、心理的環境、時間的環境、非言語 コー ド、対人関係など)を
考慮するかに着 日し、文化を「高 コンテクス ト文化 (hgh context culture)」 │
「低 コンテクス ト文化 (Iow‐ ∞ntext culture)」 の二つに分類 した。
(極 端な)高 コンテクス ト文化では、話 し手の意図 (話 し手が聞き手に伝えよ
うとする意味のことで、図 1で は「意味」 と表示 した)の 大部分が言外 の情報
コンテクス ト)と して背景化されてお り、言葉によって表現 される部分 (=
(〒
情報)が 極めて少ない。 このような文化では「同質性」 に基 づ くメンパー間の
結東が強く、集国主義的傾向が観察される。また、伝統的に特定の行動規範が
確 立 して い ることが多 い。高 コ ンテクス ト文化 では共有 されている背景知識 が
豊富なので、言語 コー ドに依 存 しないコ ミュニケー シ ョンの遂行 が容易 で ある。
日本的 コ ミュニ ケー シ ョンス タイル は、 まさに高 コンテクス ト文化 を代表す る
ものである。
一方、(極 端な)低 コンテクス ト文化では、話 し手 と聞き手 の間で共有 してい
る前提 が極めて少ないので、話 し手 は自分の意図を言葉 によって伝 えなくては
ならない。 このタイプの文化ではメンバ
の結 びつ きが弱いため、当然、変
=間
化に対する抵抗力も弱い。自ずと個人主義的傾向が観察 される。言葉 によるコ
ミュニケーションにおいても、言語 コー ドを駆使 して意志を伝える傾向が強 く
なる。欧米
(と
りわけ、アメ リカ)的 コ ミュニケーシ ヨンスタイルは、 まさに
- 34 -
高 コンテクス ト文化 を代表す るものである。
図 1 文化 コンテクス トと情報の相互作用
意 味
コンテ ク スト
コ ンテ ク ス ト
物 理 的環 境 、社 会 的 環境 、 心 理 的 環 境 、 時 間的 環 境 、
非 言 語 ヨー ド、対 人 関係 な ど
情
報
Hc(高 コ ンテ ク ス ト)文 化
・ 集 団主 義 的傾 向 が見 られ る。
変 化 に 対 す る抵 抗 力 が強 い 。
・ 伝 統 的 に特 定 の 行 動 規 範 が確 立 して い る。
・ 言 語 コー ドの 使 用 が抑 制 され る。
O LC(低 コ ンテ ク ス ト)文 化
・ 個 人 主義 的傾 向が 見 られ る。
・ 変 化 に 対す る抵 抗 力 が 弱 い 。
メ ンバ ー 間 で共 有す る前提 が 限定 され て い る。
・ 言 語 コー ドを駆使 して意 志 を伝 え る。
7
3『 キッパ リ型J対 「グラグラ型J∼ 爾法の問題 として∼
この節では、日本語 と英語の動詞を幾つか取 りあげ、そ4ぞ れ高 コンテクス
ト文化 ならではの特徴 と低 コンテクス ト文化ならではの特徴 が観察 されること
を例証する。具体的には、出来事の結果部分まできっち りと語彙化する傾向が
強いのが、低 コンテクス ト文化を代表する英語であり、出来事の結果部分 を含
意 (=文 脈から推論 される意味)と して間き手の解釈 に委ねる傾向が強いのが、
高コンテクス ト文化を代表する日本語であると主張する。説明の便宜上、英語
のような言語 を 「キッパ リ型」言語、 日本語 のような言語 を 「ダラグラ型」言
語 と呼んで区別することにする。
3.1
出来事をどこまで動詞の意味の中に含めるのか
まず初めに、冒頭で取 りあげた(1)(=(3))と (2)(=(4))を もう一度考察 して
ヽるにも拘わ らず、日本語 では
みよう。(3b)と (4b)は 全 く同 じ事態を表現 してし
文法的であるのに対 して、英語では非文法的である。
73節 の議論 は、影山
(2003)を 参考 にしている。
- 85 -
(3)a.チ ュンサ ンは湖 で溺れた。
b.チ ュンサ ンは湖 で溺 れたが、近所 の漁師 によって無事助 けられた。
141a」 ∞ n‐ sang drowned h the lake
b
■oon― sang drowned m th9 1akё ,but he was saved by a local ishe.11lan
日本語 の 「溺れ る」 は、溺れた結果 どうなったのか とい う部分が コ ンテクス
ト 依存 して推論 される。 したがって、(3a)に おいて溺れて死んだ とい う合意
│こ
が生 じることがあるが、(3b)の 文脈 ではこの合意 が締 め出され る。英語 の 「溺
「溺れて死ぬ」 とい
4る `dpゃ v■ は出来事の結果 まで含 めた意味 (す なわ ち、
'」
う意 い で ある。 したがって、(4b)の よ うに「溺れて死んだ `drowned'」 と言 っ
「で も命 が助 かった」 と言 って しま うと、意 味的矛盾 を引 き起 こ こ
た直後 に、
す
とになる。参考 まで に、(4b)に 副詞 almOstを 付 け加 えて (5)の ように表現 すれ
溺れて死 にそうになった (す なわち、溺れて死ぬとい う出来事が完結 しな
かつた)こ とになり、意味的矛盾が解消される。
!ま
6)」ooll ung aunost a¨ 祠 h hebに
but he v as緻ミ け a10Cal thennalL
つ ぎに、日本語の 「説得するJと 英語のpesuadeを 比較 してみよう。(6)は 産
経 ニュースWeb版 から引用 した記事である
8。
(0 2,日 午後 1時 50分 ごろ、埼玉県飯能市岩渕のみ どり橋 で、「男性 が橋の
上から飛び降 りようとしている」 と通行人から110番 があった。飯能署
員 7人 が駆 けつけたところ、男性が橋の欄干 (高 さ約11メ ー トル)を
乗 り越えて立ってぃた。署員 は「話をしよう」などと声をかけて説得 し
たが、約 1時 間後、男性は橋 から約20メ
ル下の成本川 の河 ‖敷 に飛
=ト
び降 り死亡 した」
(産 経 ニュースWeb版 、2009.6.29)
この記事の最後 の一文 に「…説得 したが・
・死亡 した」 とぃ う記述があるが(そ
こに意味的矛盾は感 じられない。
8参
照 しやすいように、記事の中の 「説得 した」 の部分に下線を施 した。
- 86 -
「警官 はその男性 が橋 から飛 び降 り
英語での状況 は一変す る。(7b)の ように、
「
ない ように説得 した」の後 に が、その男性 は橋 から飛 び降 りて死んだ」 と付
け加えると、忽ち意味的矛盾を引き起 こしてしまう。
(71a The porce omcers persuaded the man mttojump of the b五 砲,
b The polce omcers persuadcd the man nottojШ tt of tte bidge,but he
did and died
persuadeの 意味 は「人を説得 して考えを変えさせる」である。すなわち、説得
行為の結果部分 も語彙化 されているのである。したがつて(7a)の 正確な意味は、
「警官 はその男性を説得 して橋 から飛び降 りることを思い止まらせた」 となる。
当然の ことながら、(7b)の ように「説得 して橋 から飛 び降 りることを思い止 ま
「が、その男性 は橋 から飛び降 りて死んだJと 言って
らせたJと 言 った直後 に、
しまうと、意味的矛盾が生 じてしまうのである。
日本語の 「説得す る」 とい う動詞 には行為の意味のみが語彙化されてお り、
説得行為の結果部分 は、文脈 に依存 して理解 されると考 えられる。 したがって、
「警官が男性 を説得 したにも拘わ らず、男性 は橋 から河川敷 に飛び降 りて死ん
だ」と言 つて も、意味的矛盾 は生 じないのである。
因みに、英語の場合、(7b)の 文 を(8)に 示 したように修正すると、(5)の 場合
同様意味的矛盾が解消す る。
(8) The police omcers tried to persuade the man not tojump or the bridge,
but he did and died
「説得 しようと試 みた 'ded to perSuade'」 として
今や この理 由 は明 自である。
出来事 が未完結 となって い るので、後半部分 で 「が、男性 は橋 か ら飛 び降 りて
死 んだ `but he dd and died'」
として も意 味的矛盾 が生 じないのである。
つづいて 「閉めるJと cloSeに ついても考察 してみよう。(9a〉 は日本語 として
不自然 な文であるが、非文法的 と判断す るほどではない。因みに、(9a)に 「一
生懸命Jや 「力いつぱいJと いつた努力を表す副詞 をつ けてみ ぅ と、(9b)の よ
うに不自然さがかなり解消 してしまう。
(9)a ,チ ュンサ ンは ドアを閉めたが、完全 に閉 まらなかった。
- 87 -
b
チュンサ ンは一生懸命/力 いっぱぃ ドァを閉めたが、完全 に問 まらな
かった。
「一生懸命」や 「力いっぱい」 とい う表現は動作に精出していることを表すの
で、 ドアを開ける行為の方に注意が向けられ、結果状態 (=ド アが閉 まったこ
と)が 潜在化するためだと考 えられる。行為の結果を語彙化 していると想定さ
れる日本語の 「閉める」のような動詞であっても、(9b)の ような文脈において
は、結果意味の部分が希薄化 してしまう。それが 日本語 とい う言語なのである。
(9a)に 対する英語の文 は(10)で あるが、but以 下の文脈 を付け加えると、当然
の結果 として意味的矛盾を引き起 こす。
COl ttoon‐ sang dosed the doo■ butit was pardy open.
さらに日本語 とは異な り、(11)の ように「一生懸命」 にあたる副詞hardを 付加
することもできない。
01 ・」oon‐ sang
c10sed the door httd.
副詞hardは 行為を修飾するのであって、行為 の結果状態 は修飾できない。英語
の動詞closeの ように、結果状態が堅固に語彙化 している 0り の言い方をすれば、
結果状態が強調されている)動 詞 は、hardを 用 いて修飾 で きないのである。
3.2
移動概念に関わる語法の違い
この節では、日本語の「歩 く」
「泳 ぐ」と英語のwalk、 s‖ mと い う移動 (の
、
様態を表す)動 詞の語法を考察す る。そうすることで、出来事の結果意味の明
確化 とい う点 にお ける両言語 の違いを明 らかにする。さらに、その違 いが 「ダ
ラダラ型」対 「キッパ リ型」の類型から導かれることを論証する。
まず初めに、walkと swhを 用いた英語の例文から始めよう。(12)と (13)で は、
これらの動詞 と共に、移動 の到着点を表す表現 (す なわち、to Chuncheonと to
the lake shore)力 S用 い られている。
lA
Joon-sang and Yujin walked to Chuncheon.
- 88 -
431 Joon‐ sang swam to the hke sllore
14)と (15)で あるが、 これらの日本語はぎこち
(12)と (13)を 直訳 した日本語がく
なく、不自然である
9。
① ?チ ュンサンとユジンは春川に歩いた。
Pチ ュンサ ンは湖岸 に泳 い だ。
因みに、(14)と (15)を それぞれ(16)と (17)の ように言い換 えれば、 日本語 とし
て 自然 な表現 となる。
4
⑮
チュンサ ンは湖岸に泳 ぎ着いた。
⑫
チュンサ ンとユジンは春川 に歩 いて行 った。
to Chuncheon/tO the
何故、英語 では 1つ の動詞 に到着点 を表す前置詞句 〈
lake shore)を 付カ
ロ
するだけで文ができあがるのに、日本語では同 じ状況を表現
「歩いて、春川 に行 く」 と言わなくてはなら
「
いで
するのに 泳
、湖岸 に着 く」
、
ないのであろうか。男」
の言い方をすれば、なぜ英語では、swimや walkに 到着点
疏
[言 1鸞 1:暮
「
η
F
慇
:警 了
』
:涯 」
警
17:][み 昴
撃
彗
罫
量8曇境
傑
易
ので あ ろ うか。
'「 に」 の代 わ りに
で」 を用 いると自然 な日本語 になる。
ジンは割 ‖まで歩 いた。
(0チ ュンサンとユ'ま
10チ ュンサ ンは湖岸 まで泳 いだ。
「∼ まで」 は到着点 を表す と言 うよ り、移動 した範囲
ここで注意 しな くてはならないのは、
「∼ まで」 が移動 した距離 を表す表現 と共起 しているmと
(長 さ)を 表す とい うことである。
0は 、 この ことを支持 してい る。
mチ ュンサ ンとユ ジンは割 ‖まで飾
lllチ ュンサ ンは湖岸 まで500m泳 い た。
歩 いた。
r
「にJと 共起 で きない
また、活動 を表す動詞 「読む」が 「∼ まで」 と共起 することはあるが、
「∼ まで」は (活 動の及ぶ)範 囲 を表 し、(到 着点を表す)「 に」 とは異なっ
とい う事実か らも、
た機能 を果 たしてい ると言える。
・)チ ュンサ ンは本 を 1頁 か ら50頁 まで読 んだ。
0・ チュンサ ンは本 を 1頁 か ら50員 に読んだ。
l■
-89-
「キッパ
前節で見たように、
」の英語 は出来事の結果 まできっち りと表現
しようとする傾向が強い。 したがって
'型
、移動 と到達 はお互いに親和的概念であ
「ダラダラ型」の日
り、意味的結合が容易であると考 えられる。 これに対 して、
本語 は、出来事の結果 まできっち りと表現 し、メリハ リをつ けることを拒む傾
「泳 ぐ」や 「歩 く」 は継続的動 きを表現す るのみに止ま
向が強い。 したがって、
り、移動 と到達 とい う2つ の概念 が意味的に結合 しづ らい状況 になっている。
結果 として、(1の や(15)の ように、移動動詞に到着点を表す表現を付加 しただ
けでは、意味的な安定感を損なってしまうのである。
4『 キッパ リ型」対 『グラグラ型J∼ 場に適 した表現方法の問題 として Ю
∼
4.1
視点
これまで、高 コンテクス ト文化 である日本文化において、そこで用い られる
日本語 に「グラグラ型」の性質が観察されるのに対 して、低 コンテクス ト文化
の反映である英語 には「キッパ リ型」の性質が観察 されることを見 てきた。本
「あなた」 に視座を据
「視点」(「 わたし」 に視座 を据えて表現す るのか、
節では、
えて表現するのか)と い う観点から、 日本語 と英語の違 いを論 じる。
「わたし」
に視座を据 えた表現方法では、物/情 報の出発点に視点が置かれているのに対
「あなた」に視座を据えた表現方法では、物/情 報の到着点 に視点が置か
して、
い
れて る。 これは、 日本語 。日本文化 が結果を重視 しないのに対 してヽ英語 。
英語圏の文化が結果を重視することの一例 として考 えることができる。
まず初めに、(18)と (19)に 示 した日本語の表現 から議論を始めよう。
CO
はしいなら、(わ たしは)そ の本をあなたにあげましょう。
l191(わ たしは)お つ りはい りません。
(18)に おいて(本 をあげる行為の主体 は話 し手である「わた し」である。同様
に、(19)に おいて、おつ りを受け取る権利を放棄 している主体も、話 し手であ
る「わたし」である。同 じ内容 を英語で表現 しようとす ると、それぞれ(20)と
21)の ようになる。すなわち、自然な英語 の表現 としては、聞き手である 「あ
〈
1。
4 1節 の議論 は、影 山 (2003)を 参考 にしてい る。 また、 42節 と 43節 の議論 は、松岡
(2001)を 参考 に してい る。
-90-
なた
`you'」
を行為の主体 として表現す るのである。
④ You can keep the book ryou want
lD
You can keep the dhange
「わたし」 を行為
因みに、(18)と (19)を それぞれ(22)と (23)の ように表現 して、
の主体 として表現することもできるが、恩着せがましいニ ュアンスが加わ り、
場 に適 した自然 な表現で はな くなって しまう。
20
1'1l give you the book if you ttvant
031 1'1l give you the change
)
このように、 日本文化 。日本語では、発言や動作をする話 し手 (=「 わたし」
の立場 から目標 (す なわち聞き手 (=「 あなた」
)を 捉えているのに対 して、英
語圏・ 英語では、話 し手から聞 き手に一方通行 なのではな く、心理的に聞 き手
なわち、 日標 =到 着点)の 立場 に立って自分自身を見ていることがわかる。
この文化差 は、(24)や (25)の ような表現 の違いにも表れている:
(す
②
"
おかけになって ください。医師がす ぐに参 ります。
Please be seated The doctor will be wvith you in a moment.
日本語では(医 師が患者 (=聞 き手)の 所 にやって来るとい う過程 として表現
されているが、英語では、医師が患者 の所 にやって来た結果状態が表現 されて
いる。仮 に、 日本語で(26)の ように表現 したとしたら、非常 に不自然な言い方
になってしまう。
"
おかけになって ください。医師 はす ぐにあなたと一緒 にい ます。
これらの事実 は、日本語 。日本文化が結果 を重視 しないダラダラ型なのに対 し
て、英語・ 英語圏の文化が結果を重視するキッパ リ型である所以である。
-91-
4.2
帰属 (所有)意 識のちがい
つ ぎに、帰厨 (所 有)意 識 の違 いに焦点を当て、 日本語 と英語の表現方法の
違 いを扱 う。 これまでは、出来事の過程 と結果 とい う観点か ら両言語の様 々な
振 る舞いを観察 してきたが、 これ以降の議論では、どれだけ直接的に、率直に、
客観的に、具体的に表現す るのかとい う観点か ら、 日本語 と英語の表現方法 を
比較・ 分析する。帰結 として、高 コンテクス ト文化 らしく、主観的に、曖味に
表現 しようとする日本文化・ 日本語 と、低 ョンテクス ト文イ
ヒらしく客観的に、
しよ
具体的に表現
うとす
・
英語圏の
い
文化 英語 と うものが見えて くる。
′
ぅ
英語では、言葉によって厳密な所有関係を表現する傾向が強い。たとえば、
妻が同席 した席0私 が息子を人に紹介するとき、(27)の ように言うのが普通で、
(28)の ように言った としたら、同席 しているのは再婚 した妻だと解釈されかね
ない。
20
1his ls our son
④ This is my SOn
日本語であれば、 どちらの所有格代名詞を用いても、通常そのような合意が伝
わることはない。 さらに、所有格部分を省略することさえ出来 る。高 コンテク
ス ト文化を反映する日本語ならではの振る舞いである11。
1 '
の
これは
(家 の/わ たしの/わ たしたちの)息 子です。
日本だと、肉親でも義理でも親である限 り、
「おかあさん」、
「おとうさん」 と
呼びかける。このことは英語圏っ文化に当てはまらない。MOther/Mom、 Pather/
Dadと い う呼びかけは実母や実父 に限られるも義理の親はい くら親 しくても他
人であるとい う意識が強いからであろう。仮 に、私が妻の両親を英語で紹介す
るとしたら、(30)の ように「義理の父 (father_h law)で す」 とか 「義理の母
(mothe■ 卜 law)で す」 といったような表現を使 うことになるが、英語圏では
11日
本語 には謙譲語、尊敬語 があるので、 自分の息子 を言及す るときは謙譲語の「息子Jを 使 い、
他家の息子 に言及 するときは「お坊 ちゃんJ、 laJ子 息」、
「息子 さん」 な どを用 い る。所有格 の形
で所有者を明示しなくても、人や物が誰に属しているのかを示すことができるからである。タテ
型社会の中で発達した敬語システムの存在が大きい。
-92-
Lに 当たらない。
そのような表現 は義母・義父に対 して失ネ
00 This tt my father‐ in‐ Lw/mother h‐ law
両親 が離婚 して、 どちらかが再婚 し継父あるいは継母 ができると、英語圏の子
どもは彼 らをフアース トネームで呼ぶのが普通であるが、人 に紹介す る場面 で
「私 の継父 (step father)で す」とか「私の継母 (step‐ mOther)
は、(31)の ように、
です」 と言 うかもしれない。 そのように紹介 したとしても何 ら不 自然、不適切
な表現ではない。
00 This is my step‐ father/step mothe■
「継母です」のような言
「継父です」
「義理 の母 です」
、
、
、
日本で 「義理 の父です」
いて
い方をしたら、非血縁関係 に重点 を置 くように響
、非常 によそよそしく聞
こえてしまうし、紹介 された人達 も日本 の習慣 に馴染 まない表現 に驚 いて しま
うかもしれない。
以上 のように、日本文化 は高 コンテクス ト文化 であるが故 に、個別的 な人間
関係やその他 の文脈 に依存 して、主観的 に、曖味 に表現す る傾向が強いが、英
語圏は低 コンテクス ト文化であるが故 に、絶対的な人間関係や個人主義 に基づ
いて、言語 を用いて率直に、客観的 に、具体的 に表現す る傾向が強い ことが分
かる。
4.3
羮 を心 で感 じる 日本 籠 と、具 体性 を好 む英洒
筆者が大学の授業で、(32〉 を英語で何と言うのか受講生に質問することがあ
る。
ω
静大のことどう思う?
受講生の所属学部 にもよるのだが、あるクラスでは 8割 近 くの学生が(33)の よ
うに解答 したことがあつた。
0$
How do you think about Shizuoka University?
-93-
34)の ように答えるのが正解 である。
本来ならは 〈
∽ Wllat do you thtt abOut Sttuoka総 、ドity?
学生達 が(33)の ように答 えた原因は、 日本語の 「どう `hOプ 」 に影響されたか
らに他 ならなぃ。同 じ事を尋ねるのに、 日本語 ではho"に 当たる「どう」を用
いて、英語では「何」に当たるwhatを 用ぃ るのは何故 だろうか。 ここでも、言
語 を用いて客観的・ 具体的内容を引き出そうとする英語 と、そのような性質の
情報ではな く、聞 き手の感情的・ 感覚的反応を求める日本語 との文化差を垣間
見 ることが出来る。
日本人 にとっては、理論的な長 い説明や抽象概念 よ りも、物事を心で感 じる
事 の方が古来から重要視 されてきた。文学では感情を短 い字句 で表す短歌や俳
句 が発達 した し、美術 では心の日で一瞬を描 く禅画、写楽などの俳優の見得を
写す浮世絵版画などが発達 した。また、人間の感情を細やかに描写 した日記文
学や、情緒豊かな物語文学(感 想などを多 く含む随筆も発達 した。 さらに、
「わ
「
び」
いっ
、 さび」 と
た物悲 しさを言いあらわす概念が、日本文化の申に脈絡 と
生 き続けている。
英語圏の人 々に とっては、情緒的反応 よりもむしろ何 か具体的な情報を得 る
ことが重要だと思われる。その証拠に英語圏では、小説、有名人の伝記、特殊
な経験 を積 んだ人の回顧録、ある事件の詳細 な記録 など具体的、客観的に表現
されているジャンルが発達 している。
以上のように、 日本文化 は高 コンテクス ト文化であるが故 に、主観的、感覚
的、総合的に物事を捉える傾向が強い。一方、英語圏は低 コンテクス ト文化で
あるが故 に、客観的、具体的、分析的に物事を捉 える傾向が強い といえる。
5
まとめ
本稿では、 日本文化 と英語圏の文化がそれぞれ、高コンテクス ト文化 (文 脈
依存度 が高 く、言語 コー ドの使用を極力避ける文化)と 低 コンテクス ト文イ
ヒ(文
脈依存度が低 く、言語 コー ドを駆使する文化)に 属すると考 え、それぞれの文
化類型 を反映するものとしての 日本語 と英語の違いを扱ってきた。日本文化 は、
「(民 族的)同 質倒 、
「垂直性 (=タ テ型社会)」 、
「相互依存性 (=甘 え)」 、
「点的
思考」といらたキーヮー ドによって特徴づ けられる文化であり、曖昧性を好み、
- 94 -
「(民 族的)
ケジメを拒む 「グラダラ型」言語であると論 じた。一方、英語圏は、
「自立性」
「水平性 〈=ヨ コ型社会)」 、
「分析的」
・「線的」思考 といっ
、
異質性」
、
たキーフー ドによって特徴づ けられる文化であ り、具体性・ 客観性 を好み、ケ
ジメを好む「キッパ リ型」言語 であると論 じた。
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