小論文 慶應義塾大学 問題1 世間一般の人々の間で、「異端妄説」を進ん 看護医療学部 1/1 問題2 幕末から明治の時代を生きた福沢諭吉には、 で唱道することをよしとするような心構えが 文明の進歩とそのための各種事業への取り組 共有された状態を「自由の気風」と呼び、そ みは喫緊の課題であった。そうであれば、幕 のなかで、様々な「異端妄説」が出現し、互 藩体制下の身分制度から解放された人々が、 いに競い合う有様が「多事争論」である。た ただ一身の衣食住を得ることに満足せず、独 だし、個々人の「智恵」は「微弱」であり、 一個人の気象と自由の気風をもって、遠高を 間違いが生じることもある。だが、知識相互 志すことが必要であると考えた。 の「交換」から生じる「多事争論」の過程の そのためには個人が多数者の意見に束縛さ なかで、試行錯誤的に社会全体の知識のあり れずに、異端妄説を表明し、実行していくこ 方の改善に寄与していくのである。 とが重要である。それが後年の通論常談の世 論になっても、再び異端妄説が発せされると いった連続の過程が進歩をおこしていく。 こうした福沢の立場からすれば、一定の見 方や考え方のみに依存して、それに拘束され、 精神の独立を失っている状態は、すべて惑溺 ということになる。旧来の日本の遅れた迷信 や価値観に拘束されている有様は、まさに惑 溺である。さらに、文明化のためには西洋文 明が模範ではあるけれども、これを盲信する ことになれば、それもまた惑溺である。大多 数の人が雷同する世論も同じことである。 福沢にとって、文明の進歩は独立した自由 の精神の活動によって推進されるのである。 これを妨げるものが惑溺である。よって、惑 溺は厳しく批判されるべきものとなる。 © 河合塾 2017 年
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