【優秀賞】旭川人権擁護委員連合会長賞 二つの立場 遠藤 乙夏 私は昔、 「いじめ」をしていました。小学3年生くらいのときです。その時はまだ、いじ めがどれだけ人を傷つけることなのか、よく理解していなかったのだと思います。でも今 考えると、それはとても有り得ないことだと思います。誰にもいじめていい権利なんてな いからです。その時の自分はとても愚かだと思います。相手のことをよく考えていれば、 絶対にそんなことにはならないはずです。いじめは、おおむねクラスの全体の人が加害者 になっていると思います。見て見ぬふりをして止めないのも、いじめている内に入ると思 うからです。私たちのクラスでは、全員で話し合って、意見を言い合い、いじめはなくな りました。そしていじめていた子とも今では仲良くしています。しかし、その時いじめら れていた子がとても傷ついたことには変わりありません。たとえ時間が経つにつれて心の 傷が緩和されたとしても、とても許せることではありません。そんな風に人の心を傷つけ るのがいじめです。私は中学生になってからいじめZERO委員会というものに、二年生 から入っています。私が過去にしたいじめという許されないことを次世代に引き継がせな いようにしていきたいです。たとえどんな理由があったとしても、それは決していじめて いい理由にはなりません。いじめられる側に問題があったとしても、一度いじめてしまえ ば悪いのは絶対にいじめた側です。いじめられる側に欠点があったからといっていじめて 良いことになるなら、欠点が無い人間などいないので、全員いじめても良いということに なるからです。そんなことがあっていいわけがありません。そして、私はいじめられたこ ともありました。そろばんを習っていた私が、そろばん教室から家に帰ろうとすると、私 の靴が片方なくなっていて、外に探しに行くと、そろばん教室でもらえる飴のゴミと石が 靴に詰められて落ちていました。その靴は友達とおそろいの大切なものだったので、すご く悲しい気持ちになりました。そして、私はこんなにつらい思いを昔、他の人にさせてい たのだと思い、とても反省しました。私はあまり引きずるタイプではなく、友達がその時 一緒に靴を探してくれたこともあり、それほど気にしていませんでした。でも、そろばん 教室へはあまり行かなくなりました。今でも誰がやったのかはわかりませんが、あまり気 にしていません。しかし、私がやっていたいじめは、確実にその人を傷つけていました。 私が受けたものとは比べものにならないと思います。しかし、二つの立場からいじめを経 験して実感したことがあります。それはいじめは不幸しか生まないということです。いじ められる側はもちろんのこと、いじめる側にもいいことは一つもありません。後になって 絶対に後悔します。誰だってタイプが合わずあまり好きになれない苦手なタイプの人がい ると思います。だからといって、無視してしまうのは悲しみしか生みません。お互いに一 歩譲り合い、相手のいい所に目を向けることが大切だと思います。悪い所を探すより、い い所を探す方が生きてて楽しいと思います。それにいじめは、やはり不幸しか生まないと 思います。お互い不幸に生きるより、お互い幸せに生きる方がいいに決まっています。不 幸になりたい人なんていないと思います。親からもらった大切な命を不幸に生きたら、そ れこそ親不孝になります。人生は一度きりです。だから、そんな大切な人生の中でいじめ なんてあってはいけない。二つの立場に立って、ようやくそんな当たり前な事に気づきま した。もう二度といじめられたくないし、もちろん逆の立場にもなりたくないです。他の 人にも、いじめられるつらさは味わってほしくないです。だから、いじめは無くなればい いと思います。みんなが幸せに生きられるように、いじめは決して許してはいけない。絶 対に。
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