国内航空産業のはじまり、世界レベルへの挑戦

1920年に三菱内燃機製造が名古屋に設置され、翌年の1921年には大江地区に名古屋製作所が発足した。時を同じくして、愛知時計電機
が航空機事業に進出。さらには1922年に川崎造船所の各務ヶ原分工場が設置されるなど、中部地域で航空機関連の事業所が次々と操
業を開始し、航空機製造業が開花しはじめた。これを期に中部地区は日本最大の航空機工業地帯として急速に発展したが、その背景に
は戦争による戦闘機の注文が増加したことがあげられる。
1939年に初飛行をした三菱零式艦上戦闘機を設計した堀越二郎(三菱重工業)、1941年に初飛行した川崎3式戦闘機「飛燕」を設計し
た土井武夫(川崎航空機工業)など、現代に語り継がれる若き設計者が活躍した。彼らは、当時技術で日本の一歩先を進んでいた外国
企業の協力や外国人技師たちから指導を受け、そのノウハウを活かして高性能の飛行機を生みだした。