Title 『一つの花』(今西祐行・作)小学校四年 授業実践考 Author(s) 清野, 隆 Citation 札幌国語研究, 15: 11-24 Issue Date 2010 URL http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2558 Rights Hokkaido University of Education ﹃一つの花﹄ はじめに ︵今西祐行・作︶ 小学校四年 授業実践考 隆 社のうち五社の国語科の四年生の教科吉に教材として載せられ では多くの支持を得てきたことが理解される。また、これまで ている。極めて息の長い教材のlつであり、小学校の教育現場 ていた。現行は五社のうち教育出版と光村図書の二社が掲載し して作品 ︵教材︶ を読むことは重要なことである。多くの学生 られてきた作品 ︵教材︶ である。 も国語科教育に関わる人々によってさまざまに評価され、論じ 教員養成課程の学生が実際に児童に教えるときのことを想定 は自分が受けてきた小・中学校の国語の授業を基に、授業に関 字程度弄いてもらった。記述にあたって、児童の発達段階、作 たときに国語の授業で ﹃一つの花﹄を扱うがどうか、千二〇〇 全員が学習経験を有していた。その上で、小学校の教師になっ を印刷して渡し、小学校の時に学習したか、どうかを尋ねると 小学校国語科教育法Cの受講生五三名に r一つの花﹄ の作品 一作品 ︵教材︶ 読後の反応 するイメージを抱いている傾向が強いと考えられる。授業実践 を構想しながら作品 ︵教材︶ を読むことにより、実際の授業で は何が求められ、どのように考えなければならないのか、少し ずつ明らかになっていく。今回、取りあげるのは小学校で ︵平 和教材︶と呼ばれることが多い今西祐行作﹁一つの花﹄である。 ﹃一つの花bは、一九五三年︵昭和二八年︶十一月発刊の﹃教 践は民間教育団体が先行するなかで、一九七四年︵昭和四九年︶ る。記述した学生は講義の後半に概略を口頭発表した後、提出 品 ︵教材︶ 価値、授業展開などの視点を盛り込むことを支持す 育技術二﹄ ︵小学館︶ の十一月号に掲載されたものである。実 それ以来、現在に至るまで各社の教科苔に載せられる。特に一 する。 版日本書籍﹃小学国語四年下﹄取りあげられたのが最初である。 九八九年から山九九四年 ︵平成元年から平成六年︶ までは、六 11 いのに驚きを感じた。教科書に掲載されている作品 ︵教材︶ は り上げない学生十一名である。予想外に取り上げない学生が多 ないなかでは、教材そのものに無理がある。﹂﹁戦争そのものが 識を掘り起こすことが推しい。﹂﹁教える教師自身が戦争を知ら 感に乏しい。﹂﹁戦争に対する認識がないなかでは児童の問題意 争に対する認識も乏しく、作品の表現も生活から離れていて実 ら、深く読むためにはそれからのほうがよい。﹂﹁四年生では戦 無条件で取り上げる傾向にあると思い込んでいたからである。 非日常の出来事であり、教師や児童にとって他人事であり、現 その結果、﹃一つの花﹄を授業で取り上げる学生四二名、取 るという意識は公立の小学校教師にはあまりないと思われる。 教科書の掲載作品 ︵教材︶ であっても有力な学習材の一つであ 代では教材そのものの価値がない。﹂などとある。社会科との 肯定的な記述のなかで、児童の発達段階に関わっているのを 気になることは四年生が戦争を理解できるか、どうかを教材 は難しすぎる。﹂など表現を踏まえて否定している学生もいる。 父さんが、一つだけの花をゆみ子にあげた思いを考えさせるの また、﹁四年生にお父さんの死を考えさせるのは早過ぎる。﹂﹁お 関連や現実の生活実感などを基に否定的な理由を挙げている。 教師自身が自分の目で読み、考えてから取り上げることが教材 ︵作品︶ 研究の原点であることを考えるとき、学生はどのよう みると、﹁四年生は相手の感情を察知し、共感できると同時に ︵作品︶ の適否の基準の核に置いて考えることが適切か、どう な根拠でこの作品︵教材︶ の適否を判断したのだろうか。 出来事を客観的に捉える段階にあるので、登場人物や戦争に対 かである。 しても理解される。﹂﹁四年生になると想像力がついてくるので、 戦争についてわかる。﹂﹁四年生は思考力がついてくるので、戦 んできて、ばくだんを落としていきました。町は、次々に焼か することができるかを考えたとき、﹁毎日、てきの飛行機が飛 四年生が作品 ︵教材︶ の表現を通して、どこまで戦争を想像 らから四年生は低学年や高学年とは異なる中学年特有の発達的 争に対する意見や感想など話し合う場がつくりやすい。﹂ これ な側面があり、そこに学生は情緒や思考や想像力をみようとし 学生の一部には社会的な状況に比重を置きながら﹁平和な世 かに本文中には直接戦争による悲惨な死傷者の描写などはな され、町が焼かれ、灰になるとは、どのような光景なのか。確 れ、はいになっていきました。﹂ の二つの文から、爆弾が落と の中だからこそ、戦争は語り継ぐべき大事なことだ。﹂1日本が い。本文だけでは形象化することができないのか。教師になっ ている。 間違いを犯した歴史的事実を忘れないためにも、教える必要が たときの課題の一つと言える。 もや豆やかぼちゃしかありませんでした。﹂という表現は直接 また、﹁食べ物といえば、お米の代わりに配給される、おい ある。﹂などと作品︵教材︶から発展し、観念化して作品︵教材︶ を読んでいる側面を記述している。 l方、否定的な記述では ﹁戦争について学ぶのは六年生だか 12 活と比べながら、他に食べ物がないという大変な状況であった 的な戦争の惨劇は描かれていないが、今の食べ物に困らない生 世界に引き入れる効果的な役割をしている。﹂﹁戦争に対する過 ﹁﹁一つ﹂と﹁だけ﹂という二重に限定している表現が作品の と述べているが、これは否定的に述べたのではなく、表現の特 に捉えている。唯一﹁直接的な気持ちを現す表現が少ない。﹂ 寧に読みやすい。﹂など、表現に関しては多くの学生が肯定的 ﹁戦中、戦後と場面構成も分かりやすい。﹂﹁句読点も多く、丁 激な表現がないのでよい。﹂﹁戦争を知る表現があるのでよい。﹂ 本文中に四年生には学習抵抗のある語句として戦争に関する ことを形象化できるのか、できないのか。 ﹁防空頭巾、軍歌、配給きっぷ﹂などがある。これら語句を文 明が必要と予想される。そのときに戦争についての理解がなさ 脈に即して理解する上で簡単な補助資料や語句調べや教師の説 徴を捉えた意見である。 り、想像したりすると同時に、表現と表現との行間の関係のな 作品 ︵教材︶ の表現に善かれていることを手掛かりに考えた れていくのか、いかないのか。視点を変えるとこの作品︵教材︶ で戦争の悲惨さや残酷さを核に読み取ることは安当なことなの であろうか。 会科の授業での歴史の授業とは異なることを念頭に置くことは のものを検討することが読むことの国語科教育の中核の一つに のか、鋭い視線で検討する必要がある。作品 ︵教材︶ の表現そ ものが無理なく作用しているのか、リアリティーを伴っている かから思考し、想像することである。そのためには、表現その 当然のことである。したがって、いくつかの戟争状況を知る手 なる。これが安易になると、作品 ︵教材︶ の表現から離れ、観 国語の授業は作品 ︵教材︶ の表現を基に考えるのであり、社 ができるなら、作品 ︵教材︶ の戦争の理解できるどうかの問題 掛かりを本文中の文脈との関係のなかで児童の理解を拓くこと 念的な授業を生み出していく。 育てること。﹂である。次に﹁ゆみ子、お父さん、お母さんを 最初は、﹁戦争の残酷さから、平和への意識の大切に気づかせ、 の三点に集約することができる。 えが最も多くみられた。その内容の主なものを整理すると、次 学生の記述のなかでは、作品 ︵教材︶ の内容価値に関する考 は解消されると考えられる。しかし、同時に戦争の悲惨さを理 とずれていくことになるのではないか。 解することが目的化してしまったら、この作品 ︵教材︶ の意図 次に、本文中の表現に関する記述を取り上げる。﹁﹁00でしょ でしょうか。﹂という表現は読み手に想像して読むことを求め に生きる家族の姿を通して、間接的に反戦への思いまで視野を 通して家族愛、親子愛を教えること。﹂である。最後に﹁懸命 うか。﹂という問いかけの表現が読み手を考えさせる。﹂﹁﹁00 ている。﹂﹁﹁00でしょうか。﹂という表現は過去を語っている 広げて敢えていくこと。﹂ である。なかには﹁児童は読みが一 感じがする。﹂﹁00−。﹂ の表現が余韻を持たせる表現になっ ている。﹂﹁﹁一つだけ﹂という繰り返しの表現が効果的である。﹂ 13 人一人違うので、そのことを大切にすれば読みは自由でよい。﹂ と同時に表現価値が軽くなっていき、国語科教育が何かの手段 さらに﹁一つの花﹂は戦争に関する直接的な表現が少なく、 のために置き換わっていくことになる。 単に反戦を主題に焦点化していくことは表現の上からも無理が 用の関係を十分に踏まえて﹁自由でよい﹂と述べているのかさ というのもある。作品 ︵教材︶ と読者である学習者との相互作 だかでない。逆に、学生の一人は ∃一つの花﹄を小学校で学 あると考える。 そもそも児童の発達から考えて、四年生で主題追求に重点を 習したとき、戦争の悲惨な様子を教師から聞いて、今も記憶に 残り忘れられない。﹂と記述している。また、﹁戦争に対する補 置く必要があるのか。国語科教育の文学的な文章では主題をさ ぐることが中心なのか。それもともすると学生 ︵教師︶ の考え てしまっていないのか。一冒い換えると、主題を追求することが た主題に向かうために学習活動そのものが奉仕することになっ 学生は ﹃一つの花﹄ のどこに内容価値を見出しているのか、 助資料としてビデオや写真を見せる﹂という学生もいる。 そのことにより授業の力点の置き方が替わり、授業構成や方 されてこないと国語科教育とはいえない。作品 ︵教材︶ 中心の 学習主体としての個々の児童の生き方が相対化され、顕在化 正解を求めることになっていないか。 になのか、どうかということでもある。あまり戦争に目を牢わ 主題を考えた論理から授業で学ぶ児童の論理、つまり教育の論 再度、問題は 二つの花﹄は戦争に対する認識が主たる目的 法・展開に個々の違いが生じてくる。 れて ﹃一つの花﹄をとらえると、戟争という悲劇を伝え、再び らかになってこない。少なくとも ﹃一つ花﹄ で戦争に関する知 戦争を担こさないことを児童に決意させることが重要だと取り 識を学ぶことではないはずである。学生の記述を読む限り、文 理から作品︵教材︶ を問い直すことが求められる。そうでない 花﹄も﹃川とノリオ﹄も﹃ちいちヤんのかげおくり﹄も平和教 学的な作品 ︵教材︶ は主題を追求するものだという意識からの と﹃一つの花﹄ でどのような国語科の学力を培いたいのかが明 材の名のもとに同じような方向で扱われる恐れがある。そのよ 教師の使命だと思っている状況も生じる。そうなると ﹃一つの うになると、例えば、﹁ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つ 脱却は皆無と言っていいし、主題中心の作品︵教材︶ の理解に 違えた方向に学習を展開していくことになる。そうすることが だけのお花、大事にするんだようー。﹂ の会話文をどのように なっている。 て考えてよいのか。同じではない。言い換えると、作品︵教材︶ そのことを学生 ︵教師︶ が児童に教えることとは同じこととし また、学生︵教師︶が教材︵作品︶研究し、理解したことと、 読むのかを問うなかから児童の読みを拓いていくような読みは いる個々の生き方やものの見方を問いつづけながら、一人ひと 大事にされなくなる。言い換えると、作品 ︵教材︶ に措かれて りの児童が自己を拓く契機となっていくことがないと言語表現 14 研究の目的が児童の考えを大切にして授業に生かすことと学生 ︵教師︶ の教材︵作品︶ 研究することとは矛盾するのか。矛盾 しない。なぜなら、教材︵作品︶ 研究することほ児童の考えを えてくれる。例えば、お父さんが一輪のコスモスの花を見つけ、 ﹁ゆみ。一つだけあげよう。一つだけの花、大事にするんだよ の児童の考え方を授業のなかに位置づけていくことは可能であ さらに﹁一つだけのいも、一つだけのにぎり飯、一つだけのか 子がお母さんの口ぐせで最初に覚えた﹁一つだけちょうだい。﹂ 次に作品の題名にもなっている﹁一つの花﹂を含めて、ゆみ う−。﹂は作品︵教材︶全体の核になっている表現部分である。 り、そのための適切な助一﹁Hや発間を生み出すことにつながるか ぼちゃのにつけ−︵略︶ −一つだってもらえないかもしれない 幅広く生かすことに結びついていくと考えるからである。個々 らである。児童の多様な読みを生かすこととどのように読んで ﹁⋮おにぎり、一つだけちょうだい。﹂といい、別れる直前に﹁一 つだけ。一つだけ。﹂といって泣き出したゆみ子。お父さんは ⋮﹂、お母さんおぶわれてお父さんを駅に見送りに行く背中で コスモスの花を見つけ、﹁一つだけのお花、大事にするんだよ 関係のなかで試みの内容を判断する必要がある。 主題追求を目的とするのではなく、登場者の思いや措かれて う−。﹂ この一輪のコスモスが戦後の場面で﹁コスモスのトン もよいこととは同じではない。常にテクストと児童の理解との いる表現を考えるなかで、間接的にあるいは結果的にいくつく の花﹂である一輪の花、コスモスを渡すことはこの作品︵教材︶ つの花Lから﹁いっぱいの花﹂ への転換を考えると﹁一つだけ ﹁一つだけ﹂という言葉が食べ物から花への転換、さらに﹁一 ネル﹂と結びつく。 かの考え方に至るのである。 次に授業をすすめるときにどのように考えているのかをみる ﹁表現に即して読み、登場人物の気持ちを理解する。﹂﹁﹁一 の鍵になっている。 と、次のように整理できる。 つだけ﹂という繰り返しの表現に注目しながら読んでいく。﹂﹁戦 現在の生活と作品の世界の対比した読みをあげた学生が五人 生活﹂などが挙げられる。 コスモスの花﹂、﹁おやつなどない生活﹂と﹁お肉やお魚のある 人だけになった生活﹂、﹁一つだけの花﹂と﹁いっぱいになった 父さんとお母さんと一緒のゆみ子﹂と﹁お母さんとゆみ子の二 と﹁十二歳頃に成長したゆみ子﹂、﹁ゆみ子の将来を心配するお 次に、戦争中と戦後を対比した読みとしては﹁幼いゆみ子﹂ 争中の場面と戦後の場面とを対比しながら読む。﹂﹁平和な現在 の生活と対比しながら、作品の表現を読む。﹂などである。 確かに物語は人物を中心に展開し、その行為や行動が心情を 伴ってすすめられていく。しかし、表現に即して登場人物を読 むだけでは、物語の筋を読んでいるだけである。 ある場面ヤ状況が全体とのつながりのなかでとらえたとき、 登場人物の心情や行動が読み手の心をゆさぶり、深い感動を与 大事な役割を担っている。その部分を焦点化することによって、 15 いのか。終戦が昭和二十年八月十五日である。ゆみ子のお父 なってきた昭和二十年に入ってきてから招集されたのではな さんの出征はそれ以前と考えると時期は春が予想され、コス いるが、具体的にどう読むのかは苦いていない。確かに、﹃一 まえながら読み取らせようとすることも生ずるが、どこまで表 モスは季節的に咲いてはいないのではないか。 つの花﹄ のような作品 ︵教材︶ のような場合、現在の生活を踏 現との関係を密接に用いて考えようとするのかが重要である。 の方で⋮⋮﹂とあるが、当時、出征兵士の見送りは町内会、 んのほかに見送りのないお父さんは、プラットホームのはし ・同様に出征するお父さんを駅で送る場面で﹁ゆみ子とお母さ 隣組など地域単位であった。現に本文中でもほかに戦争に行 1つ0 そうでないと、観念的な作品 ︵教材︶ の理解にとどまってしま 以上が一回目講義で学生が記述し、口頭発表したことを回収 ﹁母さん、お肉とお魚と、どっちがいいの。﹂と、ゆみ子の ・戦後の場面で、ゆみ子が昼食の材料を買い求めにいくとき、 のはおかしくないのか。 み子の家族だけがゆみ子とお母さんで父を見送りに来ている し、二回目の講義で学生との意見交換もしながら、教師の方か ︵そのこ く人のようすは、そのような状況を伺い知る表現である。ゆ 教師からの講義と学生の反応 ら考えを示したことである。 二 三回目の講義は、﹃一つの花﹄ の作品 ︵教材︶ を批判的に問 戦後すぐの経済状況を考えるとお肉やお魚が簡単に手に入る 高い声が、コスモスの中から聞こえてきました。﹂とある。 題にしたプリントを作成して配布する。︵プリント作成すると きに参考にしたのは、﹃宇佐美寛﹁意味生成﹂批判1∼4 教 ※文学作品とは、たとえファンタジーやSFであっても、現実 状況ではなかったのではないか。 である。学生の読み方は表現を丁寧に読んでいないのではと危 の低いものである。まして ﹃一つの花﹄ は太平洋戟争という 的なリアリティを抱かせることないならば作品として完成度 つの花﹂試論﹄文学の力×教材の力 教育出版 二〇〇一年﹄ 育科学国語教育一九九二年三月∼五月号﹄︶・妄⋮古一夫﹁一 ような反応が生ずるのか。批判的な情報として説明したことを 慣する面があるのと、批判的な情報を与えることにより、どの て残るのではないか。 ・﹁ひとつだけちょうだい。﹂ これが、ゆみ子のはつきりおぼ 現実にあった歴史的事実を背景にしている以上は問題点とし 漢字で記述するように秋に咲く。本文中に ﹁あまりじょうぶ に覚えるだろうか。幼児の言語発達の事実に反している。 えた、さいしょの言葉です。﹂とあるが、連語を子供は最初 簡潔に箇条書きに示すと次の内容である。 でないゆみ子のお父さんも、戦争に行かなければならない日 ・﹃一つの花﹄ の﹁花﹂はコスモスである。コスモスは秋桜と がやってきました。﹂ の表現から推測すると本土爆撃が多く 16 ・﹁それから、十年の年月がすぎました。ゆみ子、お父さんの るいは知らないかもしれません。﹂とある。ゆみ子は中学生 頗をおぼえていません。自分にお父さんがあったことも、あ いていた幼児はそのように変化するものなのか。 らうと﹁足をばたつかせて喜びました。﹂とある。空腹で泣 ※これらの表現を吟味すると﹃一つの花﹄は適切な作品︵教材︶ ると適切な作品 ︵教材︶ といえないのではないのか。 と評価できるのか。表現と内容は表真二体であることを考え このような主旨の説明を聞いた後で学生はどのような反応を ぐらいに成長している。自分に父があったことも知らないと たことがないということか。お父さんの写真等一枚も残って は提出してもらう。類似の内容をまとめ、そのうえで簡潔に整 示したのか。一〇〇〇字程度書いてもらう。なお、書いたもの はどういうことか。お母さんからお父さんの話を一度も聞い いないということか。あるいはゆみ子はお父さんについてお 作品 ︵教材︶ として不適切である⋮⋮二七名 作品 ︵教材︶ として適切である⋮⋮二四名 理して示すと次のような反応があった。 母さんに尋ねたことが一度もないということだろうか。現実 的には考えられないといえる。 ではありませんでした。﹂とありながら、一文前では﹁その どちらかわからない⋮⋮二名 そのように表現したものであるから、その方向を大事にして ・あくまでも物語であり、虚構であり、作者の意図があって、 最初に①の考えのいくつかをとり上げると、 ある。それにもかかわらず、﹁ゆみ子は⋮⋮ごはんの時でも、 読むことこそ必要である。 17 ・次に不適切な表現についてとり上げてみる。﹁おやつどころ ころは、おまんじゅうだの、キャラメルだの、チョコレート おやつの時でも、﹂もっと、もっと。﹂と言って、いくらでも ・表現の矛盾や欠点を考えるのではなく、作者の意図を考えて 読むことによって国語の学力は形成される。 ・二つの花﹄をゆみ子に渡したとき、父の思いが詰まってい この父の願いがあるからすぐれた教材として使用されてきた る。だから、ゆみ子は泣き止み、父はにつこり笑ったのだ。 租探しに結びつくのであれば必要がない。 ・時代背景まで考えて読むことは必要だが、そのことが作品の と思、つ。 食べちやつたんですもの⋮⋮。﹂とある。幼児のゆみ子がい たゆみ子がお父さんのもってきた一輪の花 ︵コスモス︶ をも も表現として適切なのか。さらに、お腹をすかして泣いてい るのはおかしくないのか。何個おにぎりを食べたのか。これ くつおにぎりを食べたのか。みんな食べたうえでまだほしが なおやりよ、母さん。おにぎりを⋮⋮。﹂ ︵略︶ ﹁ええ、もう ゆみ子の﹁一つだけちょうだい。﹂が始まったのです。﹁みん えている。また、お父さんを駅に見送りにいく場面で﹁また、 ほしがるのでした。﹂とある。極端な例示と表現の矛盾を抱 だの、そんな物は、どこへ行ってもありませんでした。﹂と ③②① 何らかの意図でそのように表現したのであれば、矛盾ではな ・これは歴史の教科蕃ではない。フィクションである。作者が は危険であると言える。 そ十分に知識のない子供たちが学習するのだから、この教材 子供だからそこまで考えが至らなかったのだろ、つ。だからこ ・F一つの花﹄は作品のなかで大切な役割をしている。その花 いわざるを得ない。 が気になり、言葉を大切にする国語の授業では問題があると ・非現実的な表現が何カ所かある。気がついてみるとそのこと く想像する余地や解釈の多様性を生み出すとことになる。 ・作品のもつテーマ・メッセジーを大事に学習するなら教材と して十分扱える。 ・事実と矛盾する部分は教師が補足することによって、深く物 語を読むことが出来る。 いうのではなく、時代背景を含めて大切である。 ティが失ってしまう。小学生だから気がつかないからいいと がこの時期に咲かないのであれば、作品そのもののリアリ ③の学生の指摘は、 心も暖まり、素直によかったという気持ちをもつことができ ・リアリティに欠ける面があるが、小学校四年生で学習した時、 た。 のだろう。しかし、問題点の多いこともわかった。教師になっ ・長い間、教材として使用されてきたことはすぐれた両がある 次に、②の不適切である理由のいくつかをとり上げると、 たとき、この教材を扱うかどうか、扱わないで済むのかわか ・国語の授業は言葉を入念に読むことを大切にしたい。そのう えでテーマや作者の意図を読み取っていくことになる。その らない。 とき文章そのものに矛盾や表現上の問題があるのはよくな \ ○ ないが、教科書にある以上はどうしてよいかわからない。 ・戦争を知らない私が教えること自体に無理があるのかもしれ し のは不適切である。それは、平和への願いや親子の愛情など ﹃一つの花﹄を作品 ︵教材︶ として肯定的にとらえている学 ・事実を隠し、歪めて都合の良いことだけで作品が成立しいる テーマだけが先行して善かれているからではないか。 生は多少の表現上の問題があっても、作者の意図やテーマを理 否定的にとらえる学生は表現を丁寧に読むことを基本に国語の 解することが国語の学習であるという立場にたっている。一方、 た歴史認識を植え付けることになる。 ・虚構度の高くないこの作品では、事実関係が重要である。誤っ 二言菓を誠実に読み取っていくことが国語の学習だと考える。 ば適切な教材でないということになる。 学習を考えている。したがって、表現そのものに問題点があれ 作者のいいたいことだけ先回りして考えるのは劣悪な道徳の 授業だ。ことばを正確に読むことにふさわしい教材でない。 ■小学校で学習したとき、このような指摘は思いつかなかった。 18 三 教師からの講義と学生の反応 ︵その二︶ 時間の順序ではなく、話の前後を入れ替える工夫がなされて いるのである。 ・︵お母さんは、戦争に行くお父さんに、ゆみ子のなき顔を見 る。﹁︽外の目︾で語る﹂方法をとっているから、人物の内面 せたくなかったのでしょうか。︶ と問いかけの文になってい 前時に記述してもらったことについて、右記の内容を学生に 説明する。そのうえで、今度は ﹃一つの花﹄ を肯定的に読んで に入らず、推測する文になっている。当然、読者は自分に問 いる ﹃西郷竹彦文真数育著作集 2 文芸学入門 二 今西祐 行﹁ひとつの花L﹄︵明治回書一九七五年︶の意見を紹介する。 いかけられた感じがし、答えることになる。そこに強調効果 ちになって読む同化体験ではなく、﹁目撃者体験・異化体験﹂ 万歳や軍歌を歌ったりするのは、ゆみ子をあやすためだとい のように⋮⋮︶ と書いてある。つまり、出征するお父さんに ・見送りの場面では ︵まるで、戦争になんか行く人ではないか が働いている。 ・この作品は、話者の︽外の目︾ で一貫して語っている作品で が中心になっている。つまり、話者はどの人物の内面にも入 ある。﹁話者の︽外の目﹀で語る﹂とは、作品の人物の気持 らず、どの人物の気持ちも直接語らず、ただ言っていること、 、つことがわかる。万歳や軍歌は、そうせざるをえない条件が ・ゆみ子が泣いていると ︵お父さんが、ぷいといなくなってし 時代的、社会的状況下におかれていたことを意味している。 していることを客観的に語っているだけである。 さいしょの吉葉でした。﹂ という書き出しの二行によって、 ・﹁一つだけちょうだい﹂/これが、ゆみ子のはっきりおぼえた、 に、どこに行くのか。﹂と思っていると ︵あわてて帰ってき の様子のそばで読者は見ているのである。そして﹁こんな時 たお父さんの手には、一輪のコスモスがありました。︶とある。 まいました。︶ というのは、目撃者体験・異化体験としてそ 二行は読者を、この後の話の中に引き入れる表現の工夫とし ここは読者が、お父さんは何を持ってくるのか、関心のある 読者は﹁妙な言葉を覚えたなあ﹂という感じをもつ。なんで てある。つまり、仕掛けである。どうしてこんな言葉を覚え ところである。そして何で花なのだろうと思う。 こんな言菜を覚えたのかという疑問を抱くことになる。この る。さらに、読んでいくと食糧難の時代の中で、︵しらず、 いる。その上で ︵一つの花︶ のコスモスと結びつく。 てくる。︵一つだけ︶ が強調され、重みのある言葉となって 母さんの言葉の中にも ︵一つだけ︶ という言葉が繰り返し出 ・この作品は題名の ﹃一つの花﹄から始まって、お父さん、お たかは作品を読んでいくと異常な時代であったことがわか しらずのうちに、お母さんの、この口ぐせをおぼえてしまっ ようになっている。このように仕掛けを設定することにより、 たのです。︶ 説明されて、最初の二行がはじめて納得できる 次々と読者を引っ張っていく役割を最初の二行はしている。 19 ・コスモスの花は、比喩であり、象徴なのである。戦争中は食 その愛の真実が美として表現されている。︵一つの花︶ とい けなげな子に育て上げた。そういう愛の真実が語られている。 ・お父さん、お母さんのゆみ子に注がれる愛情、それが明るく、 う題名は象徴的な題名で、戦争と平和の中を貫いている実の 程中心で花どころではなかった。美しいものである花は真っ のは、文化が忘れ去られた時代であったことを意味している。 である。 典型である。換言すると、平和の象徴であり、愛の象徴なの 先に切り捨てられた。コスモスの花に象徴される美というも ももっている。つまり、︵一つの花︶は二重、三重の意味をもっ 以上のような、教師の説明を聞いた後、再度﹃一つの花﹄ は さらに、ゆみ子は親にとって﹁大事な一つの花﹂という意味 て受け止めることができる。 その主な内容をとり上げると、 教材として適切か、どうかを一〇〇〇字程度に記述し捷出する。 ① 作品 ︵教材︶ として適切である⋮⋮三五名 べものにガツガツして﹂ ︵一つだけ、一つだけ︶ といってい 二輪のコスモスを見て︵足をばたつかせて喜ぶ︶ゆみ子は、﹁食 ② 作品︵教材︶として不適切である⋮⋮一人名 ら答えたり、考えたりすることができるようになっている。 いるか納得がいった。この作品は読者に問いかけ、読者が自 ・講義を聴いて、現実と矛盾した表現もどのような役割をして くことのほうが大事である。 い。リアリティの問題よりもゆみ子の十年彼の幸せに結びつ 仮にコスモスを投げ捨てたりしたら作品そのものが成立しな もらい喜ぶことによって、読者はホッとして胸を撫で下ろす。 ・お腹をすかせて泣いていたゆみ子がお父さんからコスモスを ①に関する主な意見をとり上げると、 た場面やお父さんの嘆きであった ﹁心の貧しい子に育つだろ ぶ人間的な心が残っていた。﹂とわかったことがお父さんの う。﹂という場面と比較して読むとき、﹁美しいものを見て喜 慰めになっている。だから ︵お父さんは、それを見て、にっ た。︶ とある。 こりわらうと、何もいわずに汽車に乗って行ってしまいまし が浮かんでくる。︵お肉とお魚︶ は戦後の食糧事情が厳しい ・戦後、コスモスの花にいっぱい包まれた、ゆみ子の幸せな姿 中でも選べる時代が来たことを表している。 ゆみ子、そこにはかわいそうで哀れな話というイメージがあ ・日曜日だけど内職するお母さん、お母さんの代わりを務める ことなく、登場人物の気持ちを読むことができる。目撃者体 ・︿外の目︾による技法により、読者は直接的に感情移入する 験・異化体験を通して理解と結びついている。ゆみ子の﹁一 る一方で、けなげで、明るく、健やかで、そしてお母さんの いイメージと明るいイメージという異質なものが一つになっ つだけちょうだい﹂は戦争中の独特のものであることを表し、 代わりもする子に育ったという明るいイメージがある。悲し て独特の味わいをもっている。それがこの作品の美である。 20 またコスモスの花は戦争中に失われていく﹁美﹂をというも に克服するのかが課題となる。 の部分がダラグラしているのも事実である。それをどのよう 張っていっている。ただ、二回目の講義であったように土台 ・この作品は悲しいイメージと明るいイメージという異質なも のを表し、ゆみ子はその﹁芙﹂ に反応したことは、まだ感性 るうえで大事である。 が失われていない証拠ではないのか。そのことが作品を考え る。そこに﹃一つの花﹄ の美があり、親子の深い絆と愛が感 のが一つにとけあって独特の味わいのあるものになってい るのではなく、﹁一輪のコスモスの花に喜ぶゆみ子﹂という ︰しの教材は戦争の悲惨さを子供に理解させることに中心があ る。 じられる。単に戦争と平和について学ぶ作品ではないのであ ・事実と作品内容のギャップがあるが、それを児童は誰も意識 存在に尊さ、素晴らしさがあり、その姿自体の美しさに児童 ・目撃者体験・異化体験を通して、児童が登場人物の気持ちを そが大事である。 しないであろう。講義で聞いた読み方を生かしていく工夫こ が気がつくことが大切である。 推測することができる。さらに、問いかけの文や倒置法を用 ある。しかし、ゆみ子の発達から考えた時、最初に覚えた言 ・コスモスを美の象徴としてとらえるところに文学の面白さが ②に関する主な意見をとり上げると、 いることなどで表現効果を高めている。子供の想像力を豊か にし、考える力を養う教材である。 ・前の講義では事実に重点が置かれていたが、今回は表現の意 葉が﹁一つだけちょうだいL であり、それが仕掛けだと言わ 図を通して、読者が感じ得ることを想定し、文学の本質に迫っ ・文学作品は作者から自立したものであり、読者の自由な解釈 れても不自然さは残る。他に表現に無理があるところもある。 ・この作品を学ぶことを通して、出来事の流れである時間の順 の上に成立する。そのとき、あくまでも表現そのもので考え ている。講義を聴いて﹃一つの花﹄ の一つということばに象 序を入れ替える構成の効果、倒置法、比喩的表現わ工夫など い解釈である。 ることを基本とする。説明を聞いて、四年生には難易度の高 徴されることや、作品作りの工夫などもわかった。 を理解することができる。読みの学習だけでなく、作文の学 て大きな矛盾や逸脱が多数あり、児童に教材として提示する に立てば、優れた教材である。しかし、それ以前に文章とし ・文章を読み取るカヤ効果的な表現方法を学習するという視点 習にも応用がきく教材である。 ・話者の︿外の目﹀で語られ、読み手に目撃者体験t異化体験 他にはないのではないか。その意味でも重要な教材だと考え には問題がある。 をさせる効果がある。このような文学作品は稀な教材であり、 る。また、仕掛けが上手に働いて、読者を物語の世界に引っ 21 ・作品の虚構性は、物語を工夫し、読者を引き込み、想像させ まとめのレポート これまでの講義、他者の意見などを参考にして二〇〇〇〇字 四 い。しかし、現実にあった戦争を題材にしている以上は、学 のレポートの中から抜粋してとり上げる。 程度のレポートを書いて、各自の考えを整理し、まとめる。そ るために計算された意図のもとに考えられたのかもしれな 習する児童に誤解や間違った知識を与える怖れがある点で慎 は、その読み取りが妥当であるのかを検討することである。 ・読み取りに絶対的な方法がないことがわかった。大事なこと 構成を考える。 のうえで学習者の視点に立ち、自分なりの考えをもち、授業 的に考察し、肯定的、否定的な考え方をあわせて検討し、そ ・教材研究するときは、一面的に物事を見るのではなく、多面 重に取扱いは検討しなければならない。 ・作品にはいくつかの矛盾点がある。作品の訴えたいことが ﹁愛﹂であっても、矛盾の上に成り立つ ﹁愛﹂は真実味に欠 けてくる。また、コスモスに喜ぶ姿をから美を愛する心が残っ ているということが果たしていえるのか。講義での説明は理 想的な読み方のような気がする。 教えるには、教材分析が鍵であり、児童理解を含めて教師の ・児童はこの作品を自分と結びつけて考えるのか、あるいは架 視野の広さが求められる。 ・文学作品は事実のみが重要ではなく、そこに措かれている真 ようではだめである。 ・︿外の目︾で読んで考えていくことは四年生段階では難しい がら、﹁なぜだろうか。﹂と考え、想像する余地が残されてい 実を読み取ることである。そのために、学習者は読み進めな 空の話として考えるのか。前者なら真実味、現実味に欠ける のではないか。直接的な気持ちを考える表現が乏しいことは のために、どのような学習過程が可能などを検討したうえで、 ・児童の発達段階に関わって思考や感受性が育てられるか。そ ることが大切な要素となる。 作品を深く読むことに結びつかないのでないか。 ・講義で説明のあった象徴に対する考えは、作品の深読みでは ないか。そのような解釈は飛躍しすぎているのではないか。 ・説明を聞いて︽外の目︾ についてわかったので、多くの教師 ・表現・語彙が豊かであれば、読者はそれに応じて豊かに読ん 点から考えることが大切である。 でゆく。その時、児童が豊かに読めるようにする役目を果た 初めて優れた教材であるかが決まってくる。特に、児垂の視 ・﹃一つの花﹄ は戦争時を背景にしながら、どこかそのことを すが教師である。そのために教材研究は十分しておかなけれ は気がつかないし、まして児童はそのような視点で読むのだ ないがしろにしている。平和や愛についてのみ書きたいので ろうか。 あれば、別の題材でもよいのではないか。 22 ・一度や二度読んだ程度では作品をきちんと読めないことがわ のうえで対象とする児童の実態を考宿し、何が教えられるか かった。教師がまずしっかりと教材を読むことが基本だ。そ ばいけない。 ・言葉を学習することを基本とする同語では、その言葉の意味、 意見交換も重要である。 のではなく、他の研究者の読み方に目を通し、他の教師との くる。よい教材研究を行うためには自分の主観にとらわれる ・一人一人の読みが違うように、教材研究も人により異なって を分析し、授業を作り上げて行くことが大事だ。 その言葉が何を指しているのか、さらに言葉と言葉との関係 がどのようになっているのかなどを考えることが第一であ である。 る。作品の全体的なテーマはそれを踏まえた上で学習すべき ・教材を扱うとき発達段階が最も重要である。特に、文学的文 ・児童にとって多様な読み取りができる教材。指導の発達段階 に通した教材。国語の学力形成につながる教材。これら三つ るのかを教師は熟知してから扱うべきである。 章を扱うとき、この作品の難解さは児童にとって、どこにあ が優れた教材の条件である。 ・教科書に載っているから優れた教材なのではなく、教師が自 いろいろな人の考え方を読んだり、聞いたりすることは大事 ・教材の適否は、児童にとってわかりやす︿親しみがもてるか 分の力景で教材を検討するところから心掛けなければならな であるが、結局は自分の目でしっかり読むことである。 どうかだと思う。作品の世界に児童が引き込まれるようであ ・学習指導要領が主題を教えることをあまり重視していないこ 1 0 、∨ ・文学作品の取扱いは、他の人の見解を読むと、異なることが てる必要がある。 とも考え、表現の優れているところに注目して学習を組み立 れば、積極的に読み、考え、国語の力もついてくる。 のかは、指導過程により異なってくる。教師はどのような学 わかった。国語の授業を通して、どのような学力を形成する ・他の人がどのような考え方をしているのかを聞くことがで スを知ることにより、自分の考えに幅が出てきた。言い換え き、さらに、どうしてそのような意見に至ったのかのプロセ 力をつけたいのか、見通しをもつことが必要である。 に応じて学習過程も変わる。どのような学習過程だと児童に 取ることの影響が大きい。国語の授業の中で戦争を経験し、 ・私たちの日常でない戦争の話であるからこそ、文章から受け とができるようになった。 れば、自分の考え方に柔軟性が生まれ、多様な視点か見るこ ・同じ文章でも見方を変えれば、様々な解釈が生まれる。それ プラスになることになるのかを十分検討することである。 する。子供の反応と教材の観点とを平行させながら、授業過 ・教材は、教師の教材研究や授業構成により生きるし、死にも 程をどのようにすすめていくのかが課題である。 23 生きて行くことの大切を学ぶことも勉強である。四年生には 難しい部分もあるが、教師の腕次第である。 ︰Jの教材で教師は何を教えたいと考えるのか。何を目標とす るのか。それらによって学習のポイントが変わってくる。基 る。 本は先行研究を含めて教材研究をしっかりしておくことであ いる。教師はどこまでが現実であり、どこからが非現実化を 現実に碁打ちされたノンフィクションはリアリティをもって に潜む非現実が﹃一つの花﹄ の重要な役割だ。 考え、作品を読み解く手掛かりとするべきである。現実の中 ・作品を楽しく読むことたが大事だ。教師の着眼点や働きかけ のような可能性の生まれる授業を考えることだ。 で子供の想像力は思いもよらぬふくらみや広がりをもつ。そ 五 おわりに 毎回、報告は部分的な抜粋にとどまってしまった。さらに、 るに伴い、学生の教材、学習構成、指導法、児童に対する考え 重複するような意見はどれか一つに絞った。講義の回数を重ね 方に変化が生まれてきた。研究というより、講義報告であるが、 このような積み重ねが生きた授業記録・研究になるのではない かと考える。 24
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