国道 17 号を長岡方面から走ると、信濃川を渡って最初にぶつかるのが堂

遺 跡 名 堂付 どうづけ
№14
事 業 名 国道 17 号小千谷市バイパス
所 在 地 小千谷市
調 査 年 平成 6 年(1994)
調査面積 12,000 ㎡
概
要 時代 縄文時代中期・後期
文
献 『新潟県埋蔵文化財調査報告書第 78 集』「国道 17 号線小千谷バイパス関係発掘調査報告書Ⅱ
堂付遺跡」1996 年 新潟県教育委員会・財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団
国道 17 号を長岡方面から走ると、信濃川を渡って最初にぶつかるのが堂付遺跡である。遺跡は信濃川が造
った小千谷面と呼ぶ河岸段丘に立地するが、ルート上のほかの遺跡より一段、数メートル低い面にある。
発掘調査で土坑 9 基、配石遺構 1 基、集石遺構 1 基、土器集中区 6 か所、溝 3 条、ピットなどを検出した。土
器集中区は焼土を伴い、柱穴の配置から竪穴住居跡の可能性が高いが、遺構確認面が黒色土層中にあり、
壁や床は検出できなかった。
河岸段丘の縁辺の東側に遺構が集中していることから、信濃川に沿った部分に集落の中心があったものとみ
られる。
遺跡近景
調査風景
縄文時代の土坑と遺物出土状態
土坑が使われなくなってかなり時間が経過してから石器や礫が投げ込まれていることがわかる
集石土坑検出状態 集石より一回り大きい土坑は縦 335 ㎝、横 265 ㎝の不整円形で深さ 24 ㎝。
1348 個の礫があり 91%に火を受けた痕がある。土器の出土がなく時期は不明である。
配石遺構 長径 110 ㎝の馬蹄形を呈す。下部に土坑はない。近くから後期の注口土器出土。
縄文時代中期・後期の土器
右から中期前葉、中期前~中葉、土瓶形の注口(ちゅうこう)土器/後期中葉
中期中葉、左は越後独特の文様を持つ三十稲場式土器(後期初頭)
縄文時代の石器
右前 磨製石斧
左前 礫石錘
すり いし
右奥 石皿と磨石
奥左 打製石斧と未成品
石鏃 この時期は矢柄に着装する基部に茎(なかご)のないものが主体である
石材は黒曜石・緑色凝灰岩・頁岩・チャート・無斑晶質安山岩・凝灰岩など多様である
土偶 胴部下半 中央にヘソ
土器片円板 後期前葉の深鉢片を円く欠く