■インド用語集(豆知識) ・左は用語、右はその解説で切り離して使う ・参加者の背中に左の用語を貼る ・自分が何が貼られていたかを聞いてはいけない ・用語の属性別に集まる(周りの人に協力してもらう) ・右の解説を属性ごとに配布 インドの挨拶 ナマステ 「ナマステ」はサンスクリット語で、ヒンドゥー教徒や仏教徒・ ジャイナ教徒の間で交わされる挨拶でした。合掌しお辞儀 をしながら言います。正式には「ナマスカール」と言い、ホテ ルやレストランではお客様に向かってこちらの挨拶を使い ます。 ナマステ 2つの単語からできている言葉で、「ナマス」は敬意や尊敬 をあらわす感嘆詞、「テ」には代名詞の「あなた」という意味 があります。「ナマス」という言 葉の音を漢字で表記したもの が、念仏の「南無阿弥陀仏」の 「南無」の語源となっており、宗 教的な意味合いが強い神聖な 言葉として使われていたという 背景があります。 「ナマスカール」は自分より目 上の人や年配の人に使うこと が多く、ごく親しい人同士では 英語圏と同じように「ハイ」や 「ハロー」などの言葉が使われ ることもあります。 ダンニャバード 「ダンニャバード(ダンニャワード)」は,ありがとうという意味。 ものすごく改まった言い方なのでめったに言わないそう。英 語の「Thank you」を無理やりヒンディー語に直訳した表現ら しい。親しい間柄で日常でちょっとお礼をしたい場合は,「タ ンキュー」と言えばよい。英語のThank youをインドなまりで 発音するとこうなる。 ダンニャバード インドではあまりお礼を言いません。身分の低い者に対し ての労いの言葉であったためです。近年お礼を言うように なったのは、ヨーロッパの習慣が広まった結果だそうです。 ダンニャバード 「アッチャー」は、「Good」という意味。日本語では「いいね」 です。日本語の『あっちゃ~』とは真逆ですね。 この言葉はかなり汎用性が高く、例えば・・・ 「これは、こう使うんだよね」 「違うよ。それじゃ、電気流れないでしょ。」 アッチャー 「アッチャー。ここのボタンを押すんだね」 ここの「アッチャー」は、どう考えても「いいね」ではないです ね。どうもヒンズー語の「アッチャー」は、「あ、そう」とか、「O K」とか、「わかった」とかの意味でも、話の流れでは使われ るようです。言葉自体の意味も考えると、ここでは「OK」が ピッタリ合います。 ヒンズー語の「アッチャー」 は、「いいね」や「OK」の 訳があいますね。 フィルメレンゲ 「またね」「また来ます」の意味。「カール ミレンゲー(また会 いましょう)」と言ってもいいです。これを言ったらインド人は 大喜び、ニコニコ顔でお別れできます。 もっとカジュアルな間柄であれば、「ターター」と言います。 日本語や英語の「バイバイ」と同じ意味ですね。逆に「ごき げんよう、いざさらば」「farewell」のような意味で使われる のは「アルヴィダー」という言葉です。 フィルメレンゲ スワディシュト 「美味しい!」という意味。「スースワードゥ」という言い方も 同じ意味です。おいしいという言葉は、会話を盛り上げる重 要な言葉ですので旅行の際は必ず覚えて行きましょう! もっとくだけた言い方で「これはとてもいいね!」と言いたい 時は「アッチャー ラギー」と言います。アッチャーがどういう 意味かは、そのカードを持っている人に聞いてみてね! スワディシュト サチュムチュ 「本当に」という意味。「本当に?」と確認したいとき に「サチュムチュ?」と使う。「サチュムチュ?」と聞か れたら、「サチュムチュ」と答えればよい。 また、「サチュ?」と聞かれて「ムチュ」と答える、「山」 と「川」みたいな定番の受け答えもある。日本の「マ ジ?」「マジ」と同じようで面白い。 サチュムチュ エークミナト 直訳すると「1分」という意味は「1分」だが、インドでは 「ちょっと待て」という意味になる。インド人に言われた場合 はそこからさらに、概して5分くらい待たされることが多い。 ちなみに「ドーミナト」は「2分」という意味だが、これを言わ れたときは10分以上待たされることになる。そして「エーク セカンド」は「1秒」という意味なのでほんの一瞬のはずでは あるが、それでもやはり待たされる。 エークミナト そう、インド人は時間にルーズ。その理由は、輪廻転生を 信じており、人は輪廻するから時間がたくさんあると考える からだという説があります。今回の人生でやることを全部や り終えなくても良い。 長い輪廻の旅の中で、 数時間、数日のことを、 気にする必要がないと 考えているのです。 トラトラ ヒンズー語で「トラ」は「少し」と言う意味です。「トラトラ」は 日本語なら、「少し! 少し!」と言っている感じです。 「ヒンズー語が話せるの」と聞かれたら、「トラトラ」。なぜか、 この「トラトラ」はインド人に受けがよく、日本人が言うとだい たい喜んでくれます。 トラトラ お酒の席で、誰かに酒を注がれたときに、「もうこれ以上は 飲めませんよ」と断る時にも、「トラトラトラトラトラトラトラト ラ・・・・・・」と連呼すると、みんな笑ってくれます。「トラトラ」 をおちゃらけて言いたい時には、「トーーラトラ」と言うと、日 本語で「すこーーし、少し」と言っている感じになり、感情の こもったいい感じの言い方になります。 インドの神様 シヴァ 神様って英語だと「GOD」。Generate(創造)、Operate(維 持)、Destroy(破壊)の頭文字と言われています。この破壊 の神がシヴァ神。実は、破壊の神だからって暴れまわるだ けじゃなくて、病気を治してくれたり、愛妻家だったりもする んだって。ちなみに日本(仏教)の神様の何人かも、もとは インドの神様から来ています。大黒天はシヴァ神! シヴァ シヴァは踊りの神様です。 彼の踊りは宇宙のリズムであり、 彼の踊りは世界を滅ぼし、また再生へと導いていく。 印度 では、古代から歌と踊りが神聖なものとして重要視されてき ました。 神々の前で108の踊りを演じたらしいく、その踊り のポーズは、南インドにある有名なシヴァ寺院にレリーフと してその姿をとどめています。 インド映画に歌と踊りがあん だけ入ってるのもこの辺がルーツなんですよ。 ガネーシャ シヴァの息子とされる。頭がぞうさんで、乗り物はネズミ。 富を司る現世利益の神様として、または学問の神様として 祀られているのだ。 特にお仕事やお金に関してはありがた い神様。日本では歓喜天、聖天っていって、ちょっとエッチ な意味を含む神様になる。 ガネーシャ様が2体、抱き合っ ている姿で表現されるんだけどね。 男女合一とかってかん じらしいです。 ガネーシャ ガネーシャ様はこう見えて も、学問の神様だったりし ます。頭の良さはピカイチ。 インドには、「マハーバー ラタ」というとても壮大な叙 事詩があるのですがその 叙事詩を書き上げたのは 実はこのガネーシャ様だ そうです。 ヴィシュヌ 神様って英語だと「GOD」。Generate(創造)、Operate(維 持)、Destroy(破壊)の頭文字と言われています。この維持 神がヴィシュヌ。立場上はシヴァと並んで最高神です。 もともとはアーリア系の太陽の神様。蛇王の上で眠る姿で 描かれるのは、「この世はヴィシュヌの目が覚めるまでの 夢に過ぎない」という話でヴィシュヌの偉大さ、壮大さがわ かります。 ヴィシュヌ ヴィシュヌは、ほかの神様とち がって「化身(アヴァターラ)」を もっています。映画「アバター」と か、WEBのキャラの「アバター」。 あの言葉の語源はコレです。 神様であるヴィシュヌが、人々を 救済するために 人間世界に生ま れ変わって登場してくるって考え 方。なんと仏教の創立者、仏陀も アバターの一人です。 ラクシュミ 天地創造時の海の泡から生まれた彼女はまさにインド版 のヴィーナス。 絶世の美女です。蓮の花の上にいます。赤 い蓮の花を両手に持っていて、水辺で、背後に象さん2匹 いることが多いです。 ラクシュミ インドのお祭り「ディワーリー」では、ラクシュミーは盛大に まつられます。この おまつりは、光を一晩中ともしてラク シュミーを家に招きいれ、幸運と富と家族円満を願うもの。 10月から11月の間の新月の夜。月のかわりに家の光が輝 く。冬をむかえる最大のお祭り、というより、インドのお正月 というべき。家でプージャー(儀式)した後、外で爆竹をバン バン鳴らしてお祝いします。インドの太陰暦では、このお祭 りで新年がはじまるのであります。 ブラフマー 神様って英語だと「GOD」。Generate(創造)、Operate(維 持)、Destroy(破壊)の頭文字と言われています。この創造 神がブラフマーです。ブラフマーは「brahman」って書くんで すけど、これは、バラモン教の「バラモン」っていうのと一緒 のことなんです。 ヒンドゥー教の基盤をつくったバラモン教 の根本はこのブラフマー様なんですよ! ブラフマー だけど、ブラフマーのお姿を描いたポスターとかは極端に 少ないんですよ。 なんでかというと、シヴァやヴィシュヌは 土着の神様たちを取り込んで人気度があがったんですが、 ブラフマーはもともと「宇宙の根本原理となるお方」というこ とで、お姿にしづらい神様だったんですよね。 あと、バラモン教の時代、神様 の像を造ったりする風習はな かったので バラモン教の神様と いうことで、いまいち下々の者に は理解しにくかったのかもしれま せん。 ちうわけで、シヴァやヴィ シュヌに押されていまいち庶民 にとっては人気のない神様でご ざいます。(写真は左上の人で す…掲載枠も小さい。) ナーガ ヒンドゥー教が始まる前からずっと印度の神様として信仰さ れてきた重要な存在なのです。ナーガとは、 インドの蛇神 様のこと。 インド神話の中ではかなり重要な存在。男は ナーガ。女はナーギーと呼ばれます。ナーガという神様が 一人いるわけではなく、ナーガ一族という感じ。 ナーガ インドの神様が蛇の力を取り入れるためにナーガと対に なっていることが多いです。蛇となにかしら関係しているの は以下の通り。 ヴィシュヌ→ヴィシュヌの寝床 クリシュナ→クリシュナが退治。 インドラ→インドラが退治。 シヴァ→ 蛇の毒を中和。 耳輪、首輪、帯他、体は蛇だらけ ハヌマーン インドの叙事詩「ラーマーヤナ」では大活躍。このお話は、 日本の「桃太郎」の原型とも言われてる面白さで、ハヌマー ンは、 ラーマ王子様と一緒にランカー島の悪魔を退治。 ハヌマーンは、 西遊記の孫悟空のモデルとしても有名。も しもハヌマーン様がいなかったら、 「ドラゴンボール」もスー パーサイヤ人も生まれなかったとも言えます。 ハヌマーン 奥様であるシータ妃を悪魔 王ラーヴァナにさらわれた ラーマ様は、強い軍隊をもっ ていた猿王スグリーヴァに 協力を求めます。彼は快く 承諾し、彼の部下であるハ ヌマーンが捜し出しました。 妃が捕らわれていたのは遙 か遠い島、ランカー島、今の スリランカです。 ドゥルガー 近寄りがたい者の意味。戦いと勝利の女神。シヴァの奥さ んであり、パワーの源。 ドゥルガー 悪魔達の王、マヒシャ(水牛の悪魔)が、神様達との戦いで 勝って、天界を制服する。悪魔とはいえ頭も良く、力も持っ ていた彼は、神様たちを圧倒的なパワーで制圧。神様たち も、彼にはかなわなかった。負けた神様達は、どうにかして 覇権を取り戻したい。けど、あの悪魔にはかなわない。シ ヴァ様を中心として神様たちは自分たちの持っているパ ワーを一点に凝縮!そこから ドゥルガー様が誕生したとい うわけ。 彼女はそれぞれの神様から武 器をもらいマヒシャと戦って勝 利したのでした。 その後もいろいろな戦いで勝 利を続ける彼女は、自分のこ とを「近づきがたいもの=ドゥ ルガー」と名乗るようになった とかならないとか。 インドの地域 ムンバイ インドの西海岸に面する都市。インド最大の都市であり、ム ンバイ市域人口は1,248万と世界でも有数。都市圏人口は 世界第6位の巨大な大都市圏を形成している。世界都市ラ ンキングにおいて、世界44位と評価されており、インドでは 首都ニューデリーを上回り首位である。 ムンバイ 天然の良港に恵まれていることもあり、国全体の海上貨物 の半数以上を担う港湾都市でもある。サンガムツアーでは 行きの飛行機はここ、ムンバイに着陸。その人の多さに驚 きました。 ヒンディー語による娯楽映画はこの街にある巨大な撮影所 (通称フィルム・シ ティー)で多く制作さ れているため、街の 旧名「ボンベイ」とハ リウッドをもじった「ボ リウッド」という映画 の街としても知られ ている。 ニューデリー アジア有数の大都市である。世界都市ランキングにおいて は世界第57位の都市と評価され、インドではムンバイに次 ぐ第2位。街の東西の軸がラージパト・王の道と呼ばれる大 通りである。これはインド門から大統領官邸まで続いてい る。両者を焦点として放射状に街路が延びている。 ニューデリー イギリス領インド帝国で1911 年まではコルカタに首都がお かれたが、コルカタの位置が 東にありすぎ・経済や商業全 てが集中しすぎていることか ら首都を移動することとなった。 デリーはそれまでムガル帝国 をはじめ各王朝で都となった り経済的・政治的な中心都市 の1つであったため選ばれた。 インド独立後はインドの首都 となり、国会議事堂や中央官 庁、大使館街もニューデリー に集中している。 プネー 我らがサンガムのある街、プネー!ここはインドでは西側 にありますが、世界では「東のオックスフォード」として知ら れる学術都市。インド国内のみならず、世界中から学生が 集まってきます。1000年以上の歴史のある古い街ですが、 IT産業を中心にインドでもっとも目覚しい発展を遂げており、 近年は「東のシリコンバレー」といわれています。 プネー 海抜600メートルの高原にあるため、大都市の富裕層の避 暑地として発達したように、1年を通して大変過ごしやすい 気候です。また、町の40% が緑に覆われ、インドでもっとも 緑の多い街の一つであり、治安も良く、インドで最も安全な 都市。 チェンナイ チェンナイは、ベンガル湾に面した南インドにある海沿いの 街です。緑の街路樹が並び、その上に青空が広がるこの 街は、イギリスの統治時代にはマドラスと呼ばれていました。 ここに住む人々には敬虔で温厚な人が多く、街には多くの 人と活気があふれています。 チェンナイ 市民の憩いの場になっているマリーナビーチは最高!です が、とにかくゴミが多い(インドはどこでもそうですが)。そし てそのゴミ目当てに異常な量のカラスがビーチに集まって きます。世界第2位の長さを誇るマリーナビーチですが、汚 さも世界最高クラス。でもなんだかんだ屋台が多くって複数 人で行けば楽しい! コルカタ 西ベンガル州の州都。イギリス統治時代は「カルカッタ」の 名称で知られていました。ムンバイに次ぐインド第二の人 口を誇る大都会で、インドで最初に地下鉄が通った町でも あります。 コルカタ また、アジアで初めてノーベル賞を受賞した詩人タゴール (1861‐1941)の生まれた町としても知られています。道には 人、車、牛などが溢れ、今では少なくなった人力車やトラム などの交通機関が今でも活躍しています。この町を訪れる と混沌とした熱気、町の雑踏を肌で感じることができるで しょう。 見所の1つには、11979年ノーベル平和賞を受賞したマ ザー・テレサが晩年を過ごした家があります。マザー・テレ サが生活していた部屋も 実際見ることが出来、彼女 の遺体もここに葬られて います。 また施設内は小さ な博物館になっており、 貧しい人々、病人、瀕死の 人々への献身的な彼女の 活動の記録も見ることが 出来ます。 ハイデラバード インド中南部の都市。ハイデラバードはインド中部に位置 する、インドの中でも第4位人口を誇る大都市です。ハイデ ラバードはムーシー川によって大まかに、オールドシティー と呼ばれる南部と比較的モダンな北部に分けることができ る。 ハイデラバード 南部は総じてムスリムの住民が多く、定時にはコーランも 聞こえてくるムスリム文化が色濃く残る地域。17世紀に建 てられたメッカマスジットは、1万人規模を収容することがで きる巨大モスクで、ハイデラバードのイスラム教徒にとって 大切な存在。モスクはイスラム信者ではなくても入ることが できますが、男女共に長ズボン、肩などを露出しない服を 着用し、女性は頭を布で覆うことがマナーとされています。 アフマダーバード インド西部の都市。イスラーム教徒が比較的多く(住民の2 割程度)、多くのモスクが建てられている。ジャイナ教の寺 院も多い。都市の名称は、「アフマドの都市(アーバード)」 を意味する。近代的な都市で郊外に工場が多く、経済的に は恵まれている。 アフマダー バード マハトマ・ガンディーはこの地にサーバルマティー・アーシュ ラムと称される修道場を設けた。1930年に行われた「塩の 行進」もこの街が出発点であり、ガンディーの様々な活動と 結びついている。現在、街にはガンディー博物館が建てら れている。 バンガロール バンガロールはインドカルナータカ州の州都であり、インド のシリコンバレーとも呼ばれ、アメリカ・イスラエルと並ぶ起 業のメッカとして世界中から注目を集めています。 バンガロール バンガロールは標高800メートルの山地の上にある街であ り、一年中気候が安定していることで有名な地域です。平 均温度は25度程で、Tシャツ短パンでも十分に過ごすことが できます。また乾季になると雨も少なく、カラッとした陽気を 楽しむことができます。バンガロールの名前はここ数年でブ ランド力を持つようになりました。今ではGoogle、Intel、 SAMSUNG、Facebook、Amazonと世界の名だたる大企業が、 ここバンガロールにオフィスを構えています。 インドの食べ物 マサラドーサ 南インドは粉ものの文化です(大阪みたい!)。ドーサは見 た目はクレープのようですが、米粉を使っているためクレー プよりももっと軽く、ちょっとパリパリした食感です。白い ペースト状のココナツチャツネ(チャトニー)が必ずと言って いいほど添えられていて、ココナツの歯ざわりがドーサの 香ばしさと一緒になるとたまりません。他にも、サンバルと いう酸っぱい野菜のスープ、スパイスで煮込んだチキンな どが添えられると、立派な食事のプレートになります。 マサラドーサ 「マサラ・ドーサ」と頼むと、生地の中にスパイス味のマッ シュポテトが挟まれて出てきます。プレーンなのが良い方 は、「プレーン・ドーサ」を頼みましょう。 チャパティ 粉と水を混ぜて捏ね平たく伸ばして焼いたパン。直径12cm 程の円形で、薄いクレープのような形状をしている。全粒粉 と水を捏ねて生地を作り、発酵させずに薄い円形にのばし て焼いたものである。円形の鉄板などで焼いてから、直火 で焼くと膨らむ。フライパンで代用できるし、直火焼きも一 般的なガスコンロでも可能である。 チャパティ 欧米や日本ではカレーなどのインド料理に付くパンとしては ナンが良く知られている。ナンは生地をタンドールの内側に 張り付けて焼くが、大きなタンドールを持つ家庭は少ないう え、精製した小麦粉を用いるナンは高級とされている。少し の燃料と直火があればすぐに焼けるチャパティの方が一般 的である。屋外に器具と粉、水を携行し、出先で燃料を集 めればどこでも焼きたてのチャパティを食べられるので遊 牧民の生活にも適している。 サモサ 軽食のひとつ。インド式ポテトパイ。 具材には、ジャガイモ、タマネギ、エンドウ豆、レンズ豆や、 羊の挽き肉が加えられ、ゆでてつぶした具をクミンやコリア ンダーシード、ターメリックなど各種の香辛料で味付けし、 小麦粉と食塩と水で作った薄い皮で三角形(三角錐が多 い)に包み、食用油でさっくりと揚げたもの。 サモサ 肉や野菜が詰まった揚げたてホッカホカのサモサはおかず としても、ビールのお供にもピッタリ! チャイ 本来、チャイとは茶のことであって、ミルクティーのことでは ないのですが、インドの街中で売られるチャイが煮出し式ミ ルクティーなので、チャイと言えば煮出し式のミルクティーと して広く認知されています。チャイに使う葉っぱはアッサム がいいと言われています。「ラッシーもチャイも1日1杯は必 ず飲んでいる」というほど愛されている飲み物。 チャイ 「スパイスを入れて煮出したミルクティー」と思っている人が 多いのですが、スパイスとチャイには直接関係がありませ ん。スパイスを入れた煮出し式ミルクティーをチャイと呼ぶ のは間違いではありませんが、スパイスは必須ではないの です。スパイスを入れて煮出し式ミルクティーは、「スパイス チャイ」や「マサラチャイ」 「ジンジャーチャイ」など と呼ばれています。 スパイスはジンジャー・ シナモン・カルダモンなど を入れるのが一般的。 ラッシー インド料理の飲物でヨーグルトをベースに作られる。まず鉄 製のツボに砂糖と自家製ヨーグルトを入れ、ミキサーで数 十秒間かき混ぜて泡立てる。それをコップに入れ、上に固 形のヨーグルトを盛り付けて完成だ。この調理法により、液 状ヨーグルトと固形ヨーグルト、そして泡状のヨーグルトの 食感を同時に楽しむことができるのだ。 ラッシー 砂糖が完全に溶けずに残ってザラザラしているので、非常 にジャンク感があってイイ! これはインドじゃないと堪能 できない味と食感かもしれない。 タンドリーチキン パンジャーブ地方に伝わる定番インド料理のひとつ。インド の中でも、特に北インドの料理では、「タンドール」という円 筒形の土窯がよく使われます。このタンドールで焼くチキン が「タンドリーチキン」。ヨーグルトやスパイスなどで漬け込 んだ鶏肉を、金串にさしてつりさげて焼きます。タンドール の中はとても高温なので、それほど時間をかけずに焼きあ がるのがメリット。余分な脂が落ちて、外はパリッと中は ジューシーに仕上がるのが特徴です。 タンドリーチキン ちなみに、「ナン」は、タンドールの内側に貼り付けるように して焼きます。ひょうたんや洋梨のような形になっているの は、貼り付けたときに生地の重みで下に伸びるため。ただ、 弾力のある生地なので、ちぎれてしまうことはありません。 プラオ インド料理のピラフ。炊いた米をチャーハンのように、味付 けして炒める場合もあるようだが、この調理法は少数派。 発祥は、メソポタミアだと考えられ、ヨーロッパに伝わりピラ フとなり、インドではプラオになったと考えられている。イン ドでも、紀元前から食べられている。 プラオ 玉ネギ、ターメリック、コリアンダーパウダー、唐辛子、クミ ンパウダー、シナモン、クローブ、ベイ・リーフ、生姜、ニン ニクを油で炒め香りを出し、米を入れて炒め、水を加えて炊 いて、塩で味を調える。ここに、トマトやミントペーストを加え たり、胡椒を使う事もある。ごはんを味付けしただけのもの や、ここに豆類、野菜類、肉類、ナッツやスライスアーモンド を入れて作ったりする。ヨーグルトサラダ、ライタが添えられ る。 ビリヤニ インド料理の一種でスパイスと米、肉、魚、卵や野菜などか ら作る米料理である。ビリヤニとプラオの違いは、プラオは 生の米から炊き込むのに対して、ビリヤニは米とカレー(肉 か野菜のカレー)を別々に作る点にある。特にビリヤニの 製法において米とカレーを層状に重ねることは、カレーと米 が融合した香り高い一品を生み出すために非常に重要で ある。 ビリヤニ ビリヤニを作る際には、ダムと呼ばれる加熱法がとられる。 これは、ハンディの一種である、特殊なビリヤニ鍋に材料を 入れ密封した後、長時間弱火にかけて調理する方法であ る。なお通常ビリヤニにはこの製法が用いられるのではあ るが、一部のレシピにはこの加熱法の名が明記される(チ キンダムビリヤニなど)。 歴史上の偉人 ガンディー マハトマ・ガンディーとして知られるインド独立の父。「マ ハートマー」とは「偉大なる魂」という意味。ガンディーは、 非暴力運動にて二つの州の問題を解決に導いたことで、イ ンド民族運動の最高指導者と認められます。この運動を通 して、ガンディーは「スワデーシー(国産品愛用)」を要求す る活動します。イギリスの高額な英国製品(特に綿製品)を ボイコットして、「自分たちのインドで生産をやっていこう!」 というものです。 ガンディー また、「塩の行進」でも有名です。これは「国内での製造が 禁止され、重い税がかけられていた塩を、自分達の手で 作ってやる!」というものです。弟子たちと塩の行進を始め、 最終的には数千人の規模にも膨れ上がります。この活動 はヒンドゥーとムスリムによって行われ、全インドで同様の 不服従運動へと発展していきます。 ネルー インドの初代首相。インド国民会議議長。インド独立運動の 指導者。マハトマ・ガンディーとともにインド独立運動の最も 著名な指導者となり、1947年に独立を達成したインドの初 代首相に就任した。国際政治では「第三世界」の中心的人 物として注目された。死後に娘のインディラ・ガンディーは 第5代・第8代首相、孫息子のラジーヴ・ガンディーは第9代 首相となり、一族は「ネルー・ガンディー王朝」と揶揄される ようになった。 ネルー ネルーは「日本の子供たちにゾウを見せてあげたい」と1頭 のゾウを上野動物園に寄贈することを申し出る。このゾウ には「インディラ」(ネルーの愛娘と同じ名前であり、彼が愛 したインドの国の名そのもの)と名付けられ、1949年9月に 上野動物園に到着、1983年に死亡するまで上野動物園の シンボルとして子供達に愛された。 アショーカ王 「インドが統一国家であったのは2度しかない。アショーカ 王のときとイギリスのヴィクトリア女王のときである」。インド の多様さを物語るとき、皮肉めいていわれる言葉である。 ヴィクトリアはさておき、マウルヤ朝第3代国王アショーカ王 (位前268頃~前232)は確かに強大な支配者として君臨し たようである。インドの多くの王と同じように、彼の生まれや 即位までのことはあまりよくわかっていない。流血の王位継 承争いののち、99人の異母兄弟を殺して即位した、とも伝 えられており、恐れられていた。 アショーカ王 王はまた、仏教への信仰が深く、ブッダ入滅のときに8ヶ所 に分けられた舎利を再発掘して、これを分骨し、8万4000の ストゥーパ(塔)をつくった。仏教が全インドに広まったのは、 彼の功績である。 ラクシュミ・バーイー インド中部にあったマラーター同盟の小王国ジャーンシー 藩王国の王妃。インド大反乱の指導者の一人で、イギリス 軍相手に勇戦し、『インドのジャンヌ・ダルク』とも称される。 ラクシュミ・ バーイー ラクシュミー・バーイーはその際立った美貌だけでなく、民 衆を惹き付けてやまないカリスマ性と優秀な戦術能力を備 えており、ジャーンシー藩王国を維持すべくインド総督に 送った書簡は、彼女がインドだけでなくヨーロッパの法律や 外交、歴史にも通じていた事を示している。敵手であったイ ギリスの士官が残した言葉を借りれば、「もっともすぐれた、 もっとも勇敢なるもの」であった。 1947年8月、インドが独立した のち、ラクシュミー・バーイーは 大反乱の英雄として再評価さ れ、各地に銅像が建てられる ようになった。なお、インド各地 にある銅像では大抵彼女はサ リーを着ていることになってい るが、実際は絹のブラウスと西 洋風の乗馬ズボンといういで たちだったらしい。 ナレンドラ・モディ インドの第18代首相になったナレンドラ・モディ。現首相で す。1800回を超える選挙演説で、モディは知識階級、中間 層、日雇い労働者などあらゆる層の国民を一つにまとめ上 げるのに成功しました。「ナレンドラ・モディをまともな演説 ができる当世インドで唯一の政治家だ」とまで言われてい ます。 ナレンドラ・ モディ モディは「ソーシャルメディアは社会の情報を集めるもので あって、プロモーションの手段ではない」と言ったことがあり ます。モディはソーシャルメディアからその地域の情報を集 めて、演説をする際の参考にしており、長けています。 安倍首相が61歳の誕生日、安倍首相に誕生日のお祝い メッセージをツイートしたとか。 アクバル アラビア語で「偉大」を意味するアクバルの名にふさわしく、 中央アジアからの流入者であった祖父バーブルの立てた ムガル朝を真に帝国と呼ばれるにふさわしい国家に発展さ せた。そのため、マウリヤ朝のアショーカ王に並び称される こともあり、大帝の称号を与えられている。 アクバル大帝 アクバルは、先述のアショーカ王やスール朝のシェール・ シャーとともに最も成功した君主であり、インドの最も偉大 な王であり融和の象徴として、現在のインドでも人気が高 い。 アクバル帝は、ヒン ドゥー教徒勢力との融 和を図ったことと、軍 事制度・官僚制度整備 し、その基盤となる土 地制度や税制、貨幣 制度などを統一してム ガル帝国の繁栄の基 礎を作ったことが重要 である。 ムムターズ・マハル ムムターズ・マハルは、北インド、ムガル帝国第5代皇帝 シャー・ジャハーンの皇妃で、第6代皇帝アウラングゼーブ の母。かの有名なタージ・マハルは、ムムターズ・マハルの 名前からきており、彼女のお墓です。14人目の子どもを身 ごもっているときに亡くなったため、インドでは男性の戦士 と同等に敬われました。 ムムターズ・ マハル 皇帝は妃を溺愛し、片時も離れたくなかったようで戦場まで 妃を伴ったとされており、死後にタージ・マハルを建設しま した。その悲しみはあまり にもあまりにも深いもので あったために帝国全土の 国民に2年もの歳月を喪に 服させたといいます。 妃のためにと最高の職人 を招集、遠くフランスやイ ギリスからも職人を集めた 程でした。 ゴータマ・シッダールタ 紀元前5世紀頃に活躍した仏教の開祖。ネパールにいた釈 迦族の王子として生まれたが、29歳で出家して35歳で悟り を開いた。ゴータマは姓で「最良の牛」、シッダールタは名 で「目的を達成した者」をそれぞれ意味する。 ゴータマ・ シッダールタ 生まれてすぐに7歩歩き、右手で天を指し左手で地を指して 「天上天下唯我独尊」と宣言したという伝説がある。釈迦族 の王子の身分を捨て、真理を徹底的に追究し、人類最高 の悟りを得て仏陀となりました。身分・性別を問わず、数多 くの弟子を養成。また、生涯にわたって全インドを巡錫し、 国王をはじめ多くの在家信者を教化した。後代、仏教は世 界宗教となり、東洋文明の源流となった。 民族衣装 サリー みんなご存知、サリー!インドの民族衣装です。ヒンドゥー 教の教えには、サリーを着る事が奨励されており、身にまと う事が浄とされるという観念から、インド人の多くが今なお サリーを身につけています。一枚の細長い布からなってお り、様々なスタイルで体を包み込むようにまとう。最も一般 的なスタイルは、5m程度の長さの布を、ペチコートにはさ みながら腰に巻き、残りを肩の上にまわす方法。 サリー サリーの柄や色に大きな決まりごとはほとんどありません が、黒いサリーは近年西洋的な考え方から喪の色とみなさ れるようになってきています。ファースト・サリーは、初潮を 迎えた娘に初めて着せるもので、母親から贈られこのとき 初めて着付けを習うそうです。 パンジャーブスーツ サリーと並んで有名な、パンジャーブスーツ・ドレス。トップ スとボトムスの2ピース、それに加え専用のストールも併せ て着用されることが多いです。 パンジャーブ スーツ 「パンジャーブスーツ」という言葉は「パンジャーブ(インド・ パキスタンに跨る一州)の衣装」という意味で、確かにパン ジャーブ州に行くとこの衣装を着ている女性を沢山見かけ ますが、今やインド全域で広まっています。しかし、パン ジャーブ州以外の地方では「若い未婚女性の衣装」という 性質が強く、成人して結婚するとサリーに移行するようです。 逆手に取れば、パンジャビを着ていると若く見られるかもし れませんね。 レヘンガ・チョリ サリーは普段着からフォーマルなものまで、いろんなランク のものがあり、結婚式やパーティーで着るような豪華なドレ ス的なサリーもあります。そういった場で着る豪華なドレス のひとつとして、サリー以外に、レヘンガ・チョリというものも あります。レヘンガ・チョリは、ブラウス(チョリ)とスカート(レ ヘンガ)、ショール(ドゥパタ、チュン二ー)の3点セットの民 族衣装。スカートをはくだけなので、サリーと違って着方を 覚える必要はありません。 レヘンガ・チョリ ガーグラー・チョリと呼ばれ ている場合もあります。 元々は普段着のことを ガーグラー、結婚式や パーティー用の豪華なもの をレヘンガと言っていたよう ですが、最近ではあまり気 にせず、レヘンガもガーグ ラーもひとくくりにされる事 も多いです。 クルター・パジャマ クルタはインドの代表的な男性用のフォーマルな民族衣装 のことです(漫画ハンターハンターでも出てきますよ、探し てみてください)。上衣とパンツの上下セットでクルタ・パ ジャマ(クルタがシャツ、パジャマがパンツのこと)と呼ばれ ています。実は、日本語の「パジャマ」の語源はここから来 ているんですよ! クルター・ パジャマ クルタには、一般のシャツに見られるような衿はなく、細い 幅の立ち衿がついています。着丈が長く、全ゆったりと快 適に着れるという特徴があります! ターバン インドと言えばターバン!ですが、実際はインドに来るとあ まり見かけません。インドでターバンを巻いている人はシク 教徒です。正式なシク教徒は髪や髭を「神から与えられた もの」として決して切らないのです。 ターバン シク教徒がインド人全体に占める割合はわずか2%。です が、そんな彼らがターバンを巻き「インド人の代名詞」のよう に扱われるのは、シク教徒が海外志向、つまりインドを出 て行き外国に出る強い意志を持っているからかもしれませ ん。一説によれば、海外に定住しているインド人の3分の1 がシク教徒で占められているという話も…。 ドウティ インドのヒンドゥー教徒男性が着用する腰布。縦に約120セ ンチ、横に約420センチほどの幅がある、縫い目のない長 方形の白い木綿の布。 ドウティ ヒンドゥー教徒にとっては縫い目や断ち落としのない布が 清浄とされるため、布を継いで使わない。 これはヒンドゥー 教の行者にとっても同じで、修行衣としてランゴーティと呼 ばれる一枚布の褌を用いる。 この場合、股下に布を通すこ とで禁欲を表現している。 ヒンドゥー教徒にとって裸体は神聖なもので、裸体を晒すこ とは恥とはしなかった。 上衣を着用するようになったのはイ スラム教の影響である。 17世紀以降、上衣が用いられるよ うになり、現在では クルタという丸首の シャツや西洋風の シャツと併用される。 ガーグラ 北インドの女性が身に付ける、ギャザーやフレアーがたっ ぷりのスカートを「ガーグラ」と呼びます。ボリュームのある ロングスカートです。 ガーグラのスソにはビッシリと愛らしい刺繍。単純なモチー フを組み合わせたチャーミングなモチーフ。鮮やかな色使 い、ワクワクするほど魅力的な布です。このガーグラと、 チョリ、サリーは3点セットで着用します。 ガーグラ ドゥパッタ インドに旅行に来たら、まず目に付くのがインド人女子のス テキな装い。クルタと呼ばれるトップスにレギンス、そして ドゥパッタと呼ばれるショールを首にまとい、とってもおしゃ れ。ドゥパッタは胸の膨らみを隠すために昔は用いられて いました。今はその名残と、ファッションアイテムの意味合 いがあります。 ドゥパッタ ドゥパッタは頭からかぶってしまえば帽子の役割、布越しで 見れば逆パンダの日焼けにならずに遮光効果と目に砂が 入るのを防ぐサングラスの 役割、マスク、顔、首、腕 までも日焼け防止ができる。 砂漠もあるインドでは砂が ブラウスの中に入るのを 防ぎ、時にはハンカチや タオルの役割も果たす超 便利アイテムなのです。 インドの調味料 ターメリック インドが原産であり、紀元前からインドで栽培されており、 伝統医学のアーユルヴェーダやインド料理に使われ、また、 根茎に含まれるクルクミンは黄色い染料の原料としても広 く用いられてきた。日本ではウコンと呼ばれています。 ターメリック インド人は、癌になりにくいというデータがあります。マウス を使った実験で、カレーの中のクルクミンという物質が大腸 癌と胃癌に対して抑制効果があることを発見しました。ター メリックの中にクルクミンという色素成分があり、これが癌を 抑制する働きをしています。カレーを黄色くしているのは、 まさにそのクルクミンなのです。クルクミンは腸から吸収さ れる時にものすごく強力な抗酸化物質に変換されることを 同研究で見つけました。強力な抗酸化作用で、活性酸素が 起こす細胞の癌化を防いでいる可能性があるということで す。 ガラムマサラ ミックススパイスで、 シナモン(肉桂、桂皮)・クローブ(丁 字)・ナツメグ(肉荳蒄)の3つで主に構成される。他にカル ダモン、胡椒、クミン、ベイリーフなどを加えたり、ナツメグを メースに替えることがある。厳密なレシピは無く、同じ人が 作る場合でもつねに配合が同じとは限らない。 ガラムマサラ 「辛いスパイス」と訳されることがあるが、辛味よりも香りを つけることを目的に使われます。ヒンディー語の "garam" には「暑い」「熱い」という意味はあるが「辛い」という意味は ない。『ガラム』は、“触れてあたたかい”というニュアンス。 インドでは、それぞれの家庭で独自の配合で作られている ことから、日本でいうところの『おふくろの味』といったイメー ジ。 コリアンダー コリアンダー(パクチー)といえば、タイ・ベトナム料理が思 いつく方が多いのではないでしょうか。 実はインド料理にも、 コリアンダーの種はスパイス、茎や葉の部分はフレッシュ ハーブとして、多く使われます。日本でも近年はパクチー ブーム。パクチニストという言葉があるくらいです。 コリアンダー コリアンダーチャツネという調味料が食卓に並ぶことも多く あります。コリアンダーをふんだんに使用したチャツネは さっぱり系!サモサなどの揚げ物によく会います。サモサっ て?チャツネって?という人は、そのカードの人を探してみ てね! アチャ―ル アチャールとは、野菜や果物の漬物のことです。 ピクルス とも言います。 もともとは、農作物が不作のときのための保 存食(非常食)として作られたもの。 マスタードオイルを ベースにスパイスを加えた漬物です。アチャールに加工さ れる代表的な食材は、 にんじん、 しょうが、 かぶ、 ししとう、 唐辛子、 レモン、 ライム、 たけのこ、 カリフラワー、 マン ゴー、 れんこん、 梅の実、 たまねぎ、 ひよこ豆など。 また 何種類かをミックスした、ミックスピクルスもあります。 アチャ―ル 日本で「○○定食」を注文すると、必ず小皿か小鉢に漬物 がついてくると思います。 また、家庭の食卓においても日 本の伝統的なメニューでは漬物は欠かせないものだと思い ます。 インドでも日本の漬物と同様に、アチャールは食卓 にか欠かせないものとなっています。 食べ方も日本の漬物 と一緒です。 チャツネ インドやパキスタン、その周辺国では、スパイスやニンニク などのハーズをソースやペースト状のドレッシング状態にし たものをチャツネといいます。 サモサにはミントソース(ミン トチャツネ)がつきものですが、これはチャツネの一種です。 また、ラニのサモサには、ミティチャツネ(イムリチャツネ)が 添えられています。 ミティはヒンディ語で甘いという意味、 つまり甘いソースです。スパイス、砂糖、塩、などを混ぜ合 わせて作られるソースです。辛味の強いチャツネもあります。 チャツネ インドのチャツネは日本で言う「薬味」のようなものだと思い ます。 冷奴のおろししょうが、焼きそばの紅しょうが、お刺 身のわさびという感じでしょうか。 ピックル インドカレーの付け合わせとして一般的なものの中にピック ルがあります。この可愛いネーミングとは対照的に味のほ うは、かなり刺激的です。インドを訪れた日本人は現地の 人たちがピックル片手に美味しそうにカレーを食べている 姿に驚くといいます。ピックルは日本からインドへ向かう飛 行機の機内食にもよく登場します。なので、インドへ頻繁に 旅行する人にとってはお馴染みのものかもしれませんね。 主食がカレーのインドでは付け合わせに不可欠なものです。 ピックル ピックルとピクルスは呼び名も似ているので同じもののよう に思いますが、西洋のピクルスに比べ、野菜や酢を使う割 合が少なく、インド独自のスパイスを使っているのが特徴と 言えるでしょう。これらのことを考えると、ピクルスとはまた 少し違ったものなのだと思います。 カルダモン カルダモンは、世界でもっとも古いスパイスの1つです。別 名「香りの王様」と呼ばれ、サフラン、バニラに次ぐ、高価な スパイスとしても知られています。 アラブ諸国では、暑い日に体の熱をとるスパイスとして人 気があります。一方、正反対に寒い北欧諸国でも、カルダ モンの人気が高いのはおもしろいところです。 カルダモン カルダモンには健胃、整腸、駆風(くふう)(腸管内にたまっ たガスの排除)といった作用があることから、胃弱、消化不 良、腹部膨満などに効果的です。また、高い消臭作用があ るので、種子を口に含むだけで口臭防止、とくにニンニク臭 やアルコール臭を抑える高い効果があります。 フェンネル フェンネルは地中海沿岸の原産で、古代のエジプト、ギリ シャ、ローマでも栽培され、食用・薬用として活用されてい ました。様々な料理に利用されています。なかでも魚料理 と相性がよく、フェンネルは魚料理に合う「魚のハーブ」とい われています。料理には種子や葉、茎が使用されます。 フェンネル このハーブは最古の作物の一つといわれ、アングロサクソ ンの9つの神聖なハーブの一つにも数えられています。中 世ヨーロッパでは呪術にも用いられていたといいます。フェ ンネルの名は、ラテン語で「小さな干し草」を意味する Foeniculumに由来しています。また古代ギリシャでは、ギリ シャ語で「細くなる」を意味する言葉で呼ばれていました。
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