金属材料の熱電能 - 発行機関について

日本金属学会誌 第 69 巻 第 5 号(2005)403412
解説論文
金属材料の熱電能
―電子構造による理解―
竹内恒博
名古屋大学エコトピア科学研究機構
J. Japan Inst. Metals, Vol. 69, No. 5 (2005), pp. 403
412
 2005 The Japan Institute of Metals
OVERVIEW
Thermoelectric Power in Metals
―Quantitative Evaluation from the Electronic Structure―
Tsunehiro Takeuchi
EcoTopia Science Institure, Nagoya University, Nagoya 4648603
Recently thermoelectric materials have attracted a great deal of interests because of their ability in the practical use as one of
the most effective energysaving technologies. Unfortunately, however, the guiding principle to produce a highperformance
thermoelectric material has not been established yet, and the most of the efforts to improve their performance have been conducted based on the empirical ideas. This unfavorable situation is not caused by a delay in the theoretical works but by the approximations employed in the theories. In order to clarify the problems in the frequently employed approximations and the resulting formulas, new ideas to calculate the thermoelectric power in the metallic samples and the obtained rigorous formula are explained in
detail on the basis of the Mott's consideration. It is stressed with a help of the resulting rigorous formula that the accurate determination of the electronic structure near the Fermi level is of great importance to quantitatively evaluate the thermoelectric power, because thermoelectric power is directly calculated from the spectral conductivity s(e ) in which the electronic structure plays
a key role as the most important parameter. A simple method using the rigorous formula with the numerical data of the electronic
structure is introduced to quantitatively evaluate the magnitude and the temperature dependence of the thermoelectric power.
For the electronic structure determination, two different methods are introduced; the highresolution photoemission spectroscopy and the LMTOASA band calculation with reliable structure parameters determined by the Rietveld analysis. In this
review paper, it is clearly demonstrated by use of some practical examples that the thermoelectric power in metallic systems can
be quantitatively estimated from the electronic structure near the Fermi level, and that the method newly introduced in this paper
should be employed in the materialdesign of the highperformance thermoelectric devices.
(Received November 29, 2004; Accepted February 15, 2005)
Keywords: thermoelectric power, photoemission spectroscopy, band calculation, electrical conductivity
て熱電能を考察した.後に詳しく示すが,モットの式には電
1.
は じ
め に
気伝導度のエネルギー依存性 s(e )が使われている.s(e )を
実験的に決定することは非常に困難であるので,様々な近似
金属の両端に温度差を与えることにより電圧が生じるゼー
を用いて s( e )を簡単に取り扱える系でのみ議論が進められ
ベック効果と電流により熱流が引き起こされるペルティエ効
た.その結果,単純金属元素のみからなる金属材料などで観
果は,熱電効果として古くから知られ利用されている.これ
測される熱電能の挙動が見事に説明されるに至った.しかし
らを用いた熱電発電や熱電冷凍技術は長年研究されている
ながら,従来行われてきた材料開発では,多数の近似を取り
が,熱電効果を利用した熱電材料の基礎物性を定量的に評価
入れた上述の評価式を,近似が適当ではない系に対して適用
する方法や,物性を制御する方法が確立していないと認識さ
することが行われてきた.このことが,熱電材料の評価方法
れており,現在でも多くの研究が経験則に従い進められてい
が確立していないと誤解された最大の理由であると推察する.
る.熱電効果が発見されて以来現在に至るまで,熱電効果に
モットの考察が正しければ, s ( e )を正確に知ることで,
対する理論的な研究は数多く行われてきており,優れた研究
様々な物質が示す熱電能を理解できるはずである. s ( e )を
により詳細な考察がなされている1,2) .幾つかの優れた理論
決定する最も重要な因子は電子構造である.熱電能に対する
を考慮すると,熱電効果の評価方法が確立されていないと認
理論が確立した 20 世紀中頃から近年に至るまで,電子構造
識されている原因は,理論の構築が遅れていることにある訳
を決定する手法は精度が悪く,それらを用いて電子物性や熱
ではなく,むしろ,理論が十分に理解されていないことや,
電効果が定量的に評価されることはほとんど無かった.しか
理論を検証する良い方法がなかったことにあると判断される.
し,電子構造を決定する技術は過去 10 年程の間に著しく進
熱電 能に関 する 特筆す べき 考察は モット によ りな され
歩し,物性評価を定量的に行えるレベルにまで達している.
た2) .モットはボルツマンにより提案された手法3) を利用し
例えば,計算機の進歩は,複雑な系におけるバンド計算を可
404
第
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巻
能にした.また,光電子分光法の高分解能化や,トンネル分
電能に限らず,用いられている近似の内容を正確に把握して
光技術の進歩により,理論計算の助けを借りずに電子構造を
おくことは重要であるので,以下に金属材料や半導体材料に
精密に決定できるようになった.近年発達したこれらの手法
対して通常用いられる評価式とその導出の際に仮定される近
を用いることで,電子構造から直接 s(e )を評価し,構築さ
似について詳しく説明する.
れた理論の正当性を s (e )の評価結果を用いて確かめること
金属材料の s(e )は,一般的に,化学ポテンシャル m 近傍
が可能である.実験で検証した理論を最大限に利用して材料
で連続的に変化しているので, s ( e )を m まわりテーラー展
設計指針を構築し,効率良く材料開発を行う時期に達してい
開することが可能である.式( 3 )の被積分関数には,フェ
ると考える.
ルミ・ディラック分布関数のエネルギー微分が含まれてい
本稿では,ゼーベック効果とペルティエ効果を決定する主
る.ゾンマーフェルト展開4) に用いられる手法を利用する
要因子である熱電能(ゼーベック係数)について,一般的に用
と,(e-m)に関する偶数次の項は自動的に消滅する.さらに,
いられている評価式の導出方法とその過程において用いられ
s ( e )における( e - m )の 2 次以上の項が無視できると仮定す
る近似を詳細に説明することで,それらを用いる際の問題点
ると,式( 3 )は,
を明らかにする.さらに,熱電能を正確に評価する為に,電
Q=-
子構造の正確な評価が重要であることを示し,電子構造を用
p2 k 2BT
3 e
{d lndse(e )}
(4)
e=m
いた熱電能評価方法を具体的な解析例を用いながら詳細に解
に変形される.式( 4 )中には T 以外に温度に依存する因子
説する.
が存在しないので,金属の熱電能は絶対温度 T に比例して
大きくなることが理解されている.式( 4 )から結論される
2.
金属と半導体の熱電能
この性質から,『金属材料であれば熱電能が絶対温度 T に比
例する』と誤解されることがある.しかし,金属材料であっ
金属や半導体中を電子が移動して電流が生じれば,その電
式( 4 )では観測される熱電能をうまく評価できないはずで
流によって運ばれるエネルギーは
f
( e- m )
s( e )
e
j Qx=Ex
(
d fFD(e, T )
de
ても式( 4 )の導出に用いた近似が適当ではない場合には,
) de
(1)
で記述することができる. s ( e )はエネルギー e を有した伝
ある.特に,熱電材料として利用される大きな熱電能を示す
金属材料は,温度に比例しない熱電能を示す場合が多く,そ
のような熱電能を式( 4 )は表現することができないことは
導電子による伝導率への寄与であり,以下記述の簡素化の為
自明 である.式( 4 )で熱 電能を説明で きない理由は, 式
に単純に電気伝導度として表現する. fFD ( e, T )はフェル
( 4 )の導出に用いた『電気伝導度 s(e )を m まわりテーラー
ミ・ディラック分布関数であり,m は化学ポテンシャルであ
展開し,( e - m )の 2 次以降の項を無視する近似』が良い近
る.金属材料において化学ポテンシャル m は絶対零度でフ
似でなくなる為である.後に,具体的例と共に上記の近似が
ェルミレベル eF に一致する.有限温度では状態密度の形状
破綻する場合を説明するので,この近似を覚えておくと良い.
を反映して, eF から僅かにずれることが知られている.ち
式( 4 )中には,化学ポテンシャルでの値に限定されては
なみに,半導体では化学ポテンシャル m はギャップ中に存
いるものの電気伝導度 s(e )が依然として重要な因子として
在する.
含まれている. s ( e )を直感的に理解できるように変形する
ここで,ペルティエ係数を P ,電流を jx とすると,式
為には,さらに幾つかの近似を用いる必要がある.例えば,
( 1 )で与えられる熱流 j Qx は jxP に等しいはずである.電流
等方的な電子構造であるという近似を用いた場合, s ( e )
jx は,電気伝導度 s(e )を用いて,
は,電子の状態密度 D (e ),群速度 vG( e ),および緩和時間
f
jx=-Ex
s(e )(d fFD(e, T )/de )de
(2)
t (e )を用いて,
s(e )=
で計算されるので,熱電能とペルティエ係数の関係式 Q =
P/T と式( 1 )および式( 2 )を用いて次式が得られる2).
Q=-
f
f
1
eT
e2
D (e )v 2G(e )t (e )
3
(5)
と書き下すことが可能である.式( 5 )を式( 4 )に代入し熱
電能の評価式として
s(e )(e-m)(d fFD(e, T)/de )de
(3)
s(e )(d fFD(e, T )/de )de
フェルミ・ディラック分布関数の特徴をよほど良く理解し
ていない限り,式( 3 )から直感的に熱電能を議論すること
Q=-
p2 k 2BT
3 e
2
G
{d lndDe(e )+d ln dve (e )+d lndte(e )}
(6)
e= m
が得られる.また,平均自由行程 l=vG・t を用いて
Q=-
p2 k 2BT
3 e
{d lndDe(e )+d lndve (e )+d lndle(e )}
G
(6 ′
)
e=m
は難しい.式( 3 )を簡単に取り扱う為に,従来は, s ( e )に
と表現することもある.( 6 )および(6′
)も金属材料の熱電能
対して幾つかの近似を導入することで直感的に理解し易い評
の評価に良く用いられる式である.
価式が導出され,その評価式により金属や半導体の熱電能が
さらに,自由電子近似が良く成り立つ場合に限定すると,
議論されてきた.式( 3 )は厳密な式であると考えられるの
群速度 vG のエネルギー依存性は近似的に無視できる.ま
で,用いられる近似の適用条件が正しければ,熱電能も正し
た,平均自由行程 l のエネルギー依存性を無視する近似は,
く評価されるはずである.逆に言えば,熱電能が評価できな
不純物散乱やフォノン散乱が平均自由行程を決定している場
いとすれば,用いられた近似に問題があると判断される.熱
合には比較的良い近似であり一般的に用いられている.これ
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金属材料の熱電能―電子構造による理解―
405
らの近似を用いると(6′
)の括弧内の第 2 項と第 3 項は消失し,
Q=-
p2 k 2BT
3 e
{d lndDe(e )}
(7)
e=m
が得られる.
式( 7 )は金属材料の熱電能を議論する際に最も頻繁に用
いられる.式( 7 )から『金属材料の熱電能はフェルミ準位
における状態密度 D (e )のエネルギー微分に比例し,フェル
ミ準位の状態密度に反比例する』と表現される.また,自由
電子近似では,状態密度はエネルギーに対して正の傾きを有
することから,式( 7 )を用いれば,負の熱電能が観測され
ると容易に予想される.実際に,多くの単純金属合金で温度
に正比例する負の熱電能が観測されている.逆にホールがキ
ャリアの場合には,自由電子近似の類推から,状態密度のエ
ネルギー微分が負になるので,熱電能は正の値を有すること
が示唆される.
式( 7 )を用いることで,伝導電子の状態密度から直感的
に金属材料の熱電能を議論することができる.しかし,式
( 7 )を用いる場合には,その導出過程に於いて数多くの大
胆な近似が用いられていることも忘れてはいけない.これら
の近似が適当ではない系では,式( 7 )では観測される熱電
能をうまく表現できない.そのような系において熱電能を評
Fig. 1 Two window functions in Eq. (3). Solid line, dashed
line, and dotted line indicate those at 50 K, 150 K, and 300 K,
respectively.
価・制御する為には,近似を用いていない式( 3 )に立ち戻
る必要がある.
( fFD (∞ , T )= 0 および fFD(-∞ , T )= 1)を考慮すれば自明
3.
熱電能評価方法
である.上記の関係式を考慮すると,式( 3 )の分母に現れ
∞
前節において,式( 7 )の導出に用いた幾つかの近似が良
f
- s ( e )( d fFD ( e, T )/ de ) d e は s ( e )に対して化学
る積分
-∞
く成り立たない系では式( 3 )から熱電能を評価することが
ポテンシャル m まわりの数 kBT のエネルギー領域で正規分
重要であることを強調した. s ( e )を電子構造から正確に決
布的な重みを付けて平均化した値を意味していることが容易
定する方法は後に記すとして,本節では,まず s(e )が既知
に理解される.温度上昇に伴いエネルギー幅 kBT は増大す
であると仮定し,式( 3 )と既知の s(e )から近似を用いずに
るので,平均化に用いるエネルギー幅が温度に比例して広が
熱電能を計算する簡便な手法を紹介する.
っていく.この積分は式( 3 )の分母にあるので,m 周りの数
式( 3 )を解析的に解く為には大変複雑な式の展開を必要
とする.しかし,式( 3 )における被積分関数を電気伝導度
kBT の幅を持つエネルギー領域で平均化された s (e )の値が
小さいほど熱電能が大きくなると解釈される.
s ( e )と 2 つの窓関数(( e - m )( d fFD ( e, T )/ de )と-( d fFD ( e,
一方,(e-m)(d fFD/de )は(e-m)に関して奇関数であり,
T )/ d e ))に分解し,それぞれを個別に取り扱うことで,複
化学ポテンシャル m よりも低エネルギー側では正の値を,
雑な式の展開なしに熱電能を計算することが可能になる5).
高エネルギー側では負の値を呈する.それぞれ,( e - m )
(e-m)(d fFD(e, T )/d e )と-(d fFD(e, T )/d e )は温度とエネル
-1.3kBT および(e-m) 1.3kBT において,極大と極小を示
ギーの関数である.幾つかの温度に固定した場合のそれぞれ
す.また,極大値と極小値の大きさは温度に因らず一定であ
の関数を,Fig. 1 にエネルギーの関数として示す.いずれも
る.(e-m)(d fFD/d e )の形状を考慮すると,(e-m)-1.3kB
化学ポテンシャル周りの数 kBT 程度のエネルギー領域での
T 付近での s (e )と(e- m) 1.3kBT 付近における s (e )の差
み有意な値を有し,それ以外では無視できるほど小さな値し
が大きいほど大きな熱電能が得られる.
か示さない.式( 3 )では,これらの関数と電気伝導度 s (e )
温度が決定すれば,上記の 2 つの窓関数をエネルギーの
の積をエネルギーに関して積分することから,2 つの関数が
関数としてグラフ上にプロットすることが可能である.
積分の領域を制限する『窓』の役割を果たしていることが容
s ( e )が既知であれば,それぞれの関数との積を同様にグラ
易に理解される.
フ上にプロットし,得られた関数とエネルギー軸により囲ま
-(d fFD(e, T )/d e )は(e-m)に対して偶関数であり,正規
れる面積を数値積分するだけで熱電能を評価できる.この方
分布的な形状をしている.その半値幅は数 kBT である.ま
法は,問題となるような近似を用いていないので,正確に
た,いかなる温度においても,この関数とエネルギー軸に囲
s ( e )を求めることが可能ならば,いかなる金属材料に対し
∞
f
-( d fFD ( e, T )/ d e ) d e = 1 を満たしてい
まれる面積は
-∞
る.この関係式はフェルミ・ディラック分布関数の性質
ても適用可能である.さらに, s ( e )が既知であり化学ポテ
ンシャル m を正確に評価できれば,金属材料だけでなく半
導体材料にも利用することが可能である.
406
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上記に説明した手法を利用して熱電能の温度依存性を定性
おいて緩和時間 t のエネルギー依存性は無視できるほど小さ
的に考察し,式( 3 )から導出した式( 4 )の妥当性を検証す
い.t のエネルギー依存性が無視できれば,電気伝導度
る.式( 3 )から式( 4 )への変形の際に用いた近似は,積分
s ( e )のエネルギー依存性は電子構造のエネルギー依存性の
に用いる狭いエネルギー領域において s (e )がエネルギーに
みを反映していると解釈される.すなわち,電子構造を正確
対して直線的に変化する近似であると言い換えることができ
に知ることができれば,式( 8 )を用いて電気伝導度を正確
る.この条件を満たすように電気伝導度を s(e )=a (e-m)+
に評価でき,同時に,式( 3 )から熱電能が評価できると判
s ( m )とおくと,式( 3 )の分母に存在する-( d fFD / d e ) s ( e )
断される.
の積分は s(e )の平均値として s( m)を与え,温度依存性を全
ここでは,金属材料の化学ポテンシャル近傍における電子
く示さない.また,(e-m) 1.3kBT と-1.3kBT 付近におけ
構造を詳細に決定する 2 つの異なる方法を紹介する.1 つ目
る s (e )の差である約 2.6akBT が温度に比例して増大し,積
の方法は,バンド計算(例えば, LMTO ASA 法)を用いる
分の範囲もまた温度に比例して大きくなるので,式( 3 )の
手法である.構造が未知の物質に関しては構造解析を併用す
分子は T 2 の温度依存性を有するはずである.式( 3 )中に存
ることが有効である.2 つ目の方法は,高分解能光電子分光
在する 1/T を考慮すると,熱電能は T に比例することが理
を用いる手法であり,この方法により理論計算の助けを借り
解される.この結果は,式( 4 )から予想される熱電能の温
ることなしに,実験的に電子構造を決定できる.前者を用い
度依存性に一致する.この事実により一定の条件下で式
た解析例として,単純金属元素である銅,および,格子定数
( 4 )を用いる妥当性と,窓関数と数値積分を用いる手法の
が a  1.2 nm の複雑構造化合物である Al基合金(準結晶の
簡便性が確かめられる.
1/1立方近似結晶)を評価した結果を紹介する.また,後者
s ( e )がエネルギーに対して直線的に変化すると近似でき
を用いた解析例として,層状 Co 酸化物および Bi 系銅酸化
るのは,極低温か,あるいは,1 価の単純金属元素などの限
物高温超伝導体の熱電能について紹介する.ここで用いた,
られた場合のみである.多くの合金では,電気伝導度は m
Al 基 1 / 1 立方近似結晶,層状 Co 酸化物,および Bi 系銅
近傍の kBT 程度の狭いエネルギー領域内でも直線的でない
酸化物高温超伝導体は,いずれも大きな熱電能と金属伝導を
エネルギー依存性を有している.このような特徴を有する材
示すことから,次世代熱電材料に利用されることが期待され
料群に対して式( 4 )を適用することは明らかに間違いであ
ている材料である.
る.特に高温では.kBT に相当するエネルギー幅が広がるこ
とから,単純な系においても式( 4 )の妥当性が失われるこ
とが多い.
4.1
4.1.1
バンド計算による評価
銅
一方,上記に説明した窓関数を利用した手法を用いれば,
銅の電子構造はぼぼ等方的であるため,運動量空間を考慮
電気伝導度 s (e )が複雑なエネルギー依存性を示したとして
するよりもスカラー量である状態密度 D (e )を用いた式( 5 )
も,比較的単純な数値積分から熱電能の絶対値と温度依存性
を利用した方が簡便に電気伝導度を計算できる.銅のフェル
を評価することが可能である.次節で,様々な金属材料の
ミ面上には,4s, 4p 電子と 3d 電子の混成効果とゾーン境界
s ( e )を電子構造の詳細解析により決定する手法を,得られ
(ブラッグ面)の影響により,(111)方向にくびれが生じるこ
た s(e )を用いて熱電能を評価した例とともに紹介する.
とが知られている. Fig. 2(a)に示された LMTOASA 法に
より計算した状態密度 D (e )を観察すると,自由電子近似か
4.
金属材料の電子構造と熱電能
ら予想される D (e )と異なり,化学ポテンシャル近傍におい
てエネルギーに対して負の傾きを有していることがわかる.
金属材料の電気伝導度は,一般的に,ボルツマン輸送方程
式3)により良く説明できる.
s(e )=
f
e2
t vG cos2 u d S
4 p3 
観測された D (e )の負の傾きはフェルミ面におけるくびれの
存在に関係している.銅の場合, e - •k 分散関係の傾きで定
(8)
義される群速度は化学ポテンシャル周りの数 kBT 程度の狭
いエネルギー領域では大きく変化していないので,一定であ
ここで, t, vG はそれぞれ緩和時間と群速度を表している.
ると仮定することができる.また,フォノン散乱と不純物散
また,d S は波数空間における等エネルギー面上の微小面要
乱が緩和時間 t を決定していると考えられるので,平均自由
素である.式( 5 )で等方的な金属材料の電気伝導度を示し
行程 l = vGt のエネルギー依存性を無視する仮定を用いるこ
たが,式( 5 )は等方的であるという条件で式( 8 )を変形す
とが可能である.
ることにより得られる.式( 8 )の右辺でエネルギー依存性
式( 5 )を式( 3 )に代入し, l と vG のエネルギー依存性が
 緩和時間 t,
 群速度 vG,および
 等エネ
を有するのは,
無いと仮定すると,l と vG は分子と分母に存在する積分から
f
 ~
 のエネルギー依
ルギー面の表面積 S = d S である.
存性を有する因子のうち,緩和時間 t は不純物散乱,電子
格子散乱,電子電子散乱などの散乱過程により決定されて
いる.一方,群速度 vG および等エネルギー面の表面積 S
は,電子構造により決定されている.
一般的な金属材料では,数 kBT の狭いエネルギー領域に
括り出され相殺される.結果として次式が得られる.
Q=-
f
f
1
eT
D (e )(e-m)(d fFD(e, T )/d e )d e
(9)
D (e )(d fFD(e, T )/d e )de
式( 9 )は式( 3 )における電気伝導度 s (e )を単純に状態密度
D (e )に置き変えた式として理解される.
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5
号
金属材料の熱電能―電子構造による理解―
407
Fig. 2 (a) Electronic density of states (DOS) of fcc Cu calculated by the LMTOASA method. DOS in the vicinity of the
Fermi level is enlarged in the inset. (b) Thermoelectric power
calculated from the LMTOASA DOS. The calculated thermoelectric power shows a good agreement with the measured
one at temperatures above 150 K.
LMTO 法により得た D (e )と式( 9 )を用いて,3 節にて説
明した方法で計算した熱電能 Qcalc(T )を Fig. 2(b)に示す.
測定値 Qmeas(T )も同図に示した.低温では計算値 Qcalc( T )
と測定値 Qmeas( T )の一致はそれ程良くないが, 150 K 以上
の高温では Qcalc( T )と Qmeas(T )は良く一致している.低温
における Qmeas ( T )の増大は,フォノンドラッグの効果とし
て知られており,フォノン系のエネルギーが電子に移る効果
として理解されている.今回の解析手法ではフォノンドラッ
グを取り扱っていない為に,低温における Qmeas( T )の増大
を再現することはできなかった.しかし,フォノンドラッグ
Fig. 3 (a) Powder xray diffraction spectrum of the Al73.6
Re17.4Si9 1/1cubic approximant measured at BL02B2 in SPring8. The calculated spectrum by the Rietveld method is superimposed on the measured one. (b) DOS calculated on the basis of the refined structure parameters. DOS deduced from the
electronic specific heat coefficient (solid) is also plotted in the
inset. (c) Thermoelectric power calculated from the DOS with
eq. (9) (solid line). Measured thermoelectric power for the
Al92.6-xRe17.4Six (x=7, 8, 10, 11) 1/1cubic approximants is
shown with markers. Obviously, the calculated thermoelectric
power quantitatively reproduced the measured ones not only
in their absolute value but also the temperature dependence
(Ref. 6)‚
の効果を除けば,温度上昇に伴い直線的に上昇する熱電能を
極 め て 定 量 的 に 再 現 し て い る と 判 断 さ れ る . Qcalc ( T ) と
Qmeas(T )の違いを生み出したフォノンドラッグについては 5
の熱電能が観測されている6,9,10) .観測される熱電能は顕著
節で詳しく述べる.
な組成依存性と温度依存性を示し,符号は正と負の双方が観
4.1.2
Al基
1/1立方近似結晶6)
2 つ目の例として紹介する近似結晶は,準結晶の類似構造
測される.また,特定の組成で得られる準結晶や近似結晶で
は,温度上昇に伴い熱電能の符号が反転するものも存在す
を有した結晶相である.準結晶は結晶(周期構造)にはない回
る.温度に比例する熱電能しか説明できない式( 4 )~( 7 )
転対称性とそれにより生み出される準周期性という長距離秩
では,上記の熱電能を解析することは明らかに不可能である.
序により特徴付けられる固体である.近似結晶は準結晶の局
バンド計算により固体の電子構造を計算する為には,その
所構造が周期的に配列した固体であり,大きな単位胞と単位
構造を正確に知る必要がある.熱電能の評価例として本稿に
胞中に存在する準結晶の対称性を持った巨大な原子クラス
て紹介する AlReSi 近似結晶は単位胞内に 138 個もの原子
ターにより,その構造が特徴付けられている.準結晶と近似
を内包する6) .このように複雑な構造を有する化合物(複雑
結晶の構造と物性に関しては,既存の良い参考書があるの
構造化合物)では構造解析が十分に行われていないことが良
で,それらを参照して頂きたい7,8).
くあることから,電子構造解明の為に構造解析を併用するこ
近似結晶と準結晶では,最大で 100 mV / K 程度の大きさ
とが重要になる.Fig. 3(a)と(b)に Rietveld 解析の結果と,
408
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精密化された構造パラメータを基に LMTO ASA 法により
無数のバンドで特徴づけられるが,それらの間隔が固有値の
計算された状態密度と,電子比熱係数から計算された状態密
不確定性に対応するエネルギー幅よりも小さければ,群速度
度(挿入図,黒丸)を示す.電子比熱係数から計算された状態
を定義すること自体に意味をなくすであろう.恐らく,この
密度は, LMTO ASA 法により計算した状態密度が良く一
効果により速度のエネルギー依存性を取り入れることなく計
致している.また,電子比熱から求められる状態密度と一致
算により熱電能を再現できたと考えられる.一方,後に取り
することは,精密化された構造パラメータを用いたバンド計
扱う Bi 系酸化物超伝導体や層状 Co 酸化物では,群速度が
算が正確な電子構造を得る有力な手法であることを示してい
顕著なエネルギー依存性を有しており,速度のエネルギー依
る.この結果から,電子構造と結晶構造が表裏一体の関係に
存性を取り入れなければ熱電能を正確に評価することはでき
あることや,構造解析を併用することでバンド計算で得られ
ない.
る電子構造の精度が著しく向上することが理解される.
バンド計算から明らかになった近似結晶の電子構造はスパ
4.2
高分解能光電子分光
イク状の状態密度で特徴づけられる1113) .近似結晶の電子
実用的な熱電材料では,しばしば元素置換による物性制御
構造を特徴づけるこのスパイク状の状態密度は,大きな格子
が行われる.バンド計算による熱電能評価方法は大変有効的
定数に関連した小さなブリルアンゾーン中で e- •k 分散関係
な手法であるが,残念ながら不規則性を取り入れることを得
が幾重にも折り返されたことにより生じている.それぞれの
意としていない.バンド計算を用いずに直接的に電子構造に
スパイクの幅は数百 meV 程度であり,数百~千 K における
関する情報を得る手法として,著者らのグループは高分解能
kBT に相当する.数 kBT 程度のエネルギー領域で顕著なエ
光電子分光の利用を提案している6,16,17).10 年ほど前までは
ネルギー依存性がある場合には,式( 3 )から式( 4 )への変
光電子分光のエネルギー分解能は物性評価に使える程良くな
形は不可能であり,このことが,式( 4 )を用いて近似結晶
かった.しかし,近年におけるその分解能の向上は目覚まし
の熱電能を表現できない理由である.
く,エネルギー分解能で 1 meV 以下の分解能の装置の開発
ここで用いた 1/ 1立方近似結晶の電気伝導度は不規則系
も報告されている18) .このような高いエネルギー分解能の
で用いられる弱局在理論により良く説明される.ただし,近
光電子分光装置を用いれば,測定されたスペクトルにより物
似結晶における量子干渉効果はそれほど大きくないの
性評価を行うことが可能である.我々は. Bi 系銅酸化物高
で14) ,熱電能の評価にはヨッフェ・リーゲル極限15) におけ
温超伝導体,層状 Co 酸化物,その他の遷移金属酸化物に対
るボルツマン伝導から得られる sIR のみを用いれば十分であ
して様々な電子物性の評価方法として高分解能光電子分光を
ることが予想される.用いた近似結晶の結晶構造は立方晶で
利用している.ここでは,熱電能に関して得られた結果を紹
あり,基本構造となる原子クラスターは正 20 面体対称性を
介し,高分解能光電子分光法の電子物性評価に対する有用性
有している為,等方的な電子構造を仮定する近似は良い近似
を示す.
であると判断される.ヨッフェ・リーゲル極限では,平均自
式( 3 )の積分中に存在する窓関数の性質から明らかであ
由行程 l = vGt は原子間距離程度まで短くなっているので,
るが,熱電能を評価する為には価電子帯だけでなく,少なく
平均自由行程にエネルギー異存性がないと考えられる.エネ
とも化学ポテンシャルから数 kBT 程度のエネルギー範囲で
ルギー依存性のない群速度 vG を仮定すると,熱電能は銅の
伝導帯の情報を正確に把握する必要がある.一般的に,光電
場合と同様に式( 9 )で評価すれば良いことになる.
子分光法では伝導帯の情報を得ることができないと考えられ
実際に Fig. 3(b)に示した状態密度と式( 9 )を用いて 3 節
ている.なぜならば,光電子分光が検出するのは占有された
にて説明した方法で熱電能を計算すると,近似結晶の熱電能
準位のみであるからである.このような常識からは,光電子
の組成依存性および温度依存性が極めて正確に再現される
分光スペクトルは式( 3 )を用いた熱電能の評価に利用でき
( Fig. 3 ( c )参照).式( 9 )と状態密度を用いることで,上記
ないと判断されるかもしれない.しかしながら,フェルミ・
の定性的理解を定量的に確かめられることは,式( 3 )の有
ディラック分布関数 fFD ( e, T )の性質を利用することによ
効性と,解析方法の妥当性を強く支持している.また,解析
り,電子物性評価に必要なエネルギー領域での伝導帯の情報
結果は,近似結晶の熱電能に関する特徴((a)温度に比例しな
を引き出すことが可能である19).
い温度依存性,( b )顕著な組成依存性,および( c )電子濃度
通常,角度積分光電子分光で観測されるスペクトルは,化
の上昇に伴う正から負への符号の変化)が全て m 付近に存在
学ポテンシャル近傍の狭いエネルギー範囲で, I (e )∝ D (e )
する状態密度の窪み(擬ギャップ)により生み出されているこ
fFD(e, T )と表現することができる.絶対零度では fFD(e, T )
とを示している. AlReSi 近似結晶における熱電能の挙動
は化学ポテンシャル以上に値を持たないので,スペクトルは
と擬ギャップの形状に関する関係は,文献(6)に詳しく記述
化学ポテンシャル以上のエネルギーでの状態密度の情報は全
したので,そちらを参照して頂きたい.
く持たない.しかし,有限温度では fFD ( e, T )の性質によ
解析に用いたエネルギー依存性のない群速度 vG の近似が
り,化学ポテンシャルよりも数 kBT 程度高いエネルギーま
妥当であるか判断することは極めて難しい問題である.近似
で電子は励起されており,観測されるスペクトルには伝導帯
結晶は強散乱極限にある為に,ブロッホ波の寿命が著しく短
の情報がわずかながらも含まれている.この性質を利用する
くなっている.不確定性原理によれば,寿命が短いことはエ
と,測定により得られた光電子スペクトル I ( e )をフェル
ネルギー固有値に大きな不確定性が存在することを意味して
ミ・ディラック分布関数 fFD ( e, T )で割ることで, D ( e )∝
いる.近似結晶の電子構造はエネルギー軸上に密に存在する
I ( e )/ fFD ( e, T )の関係式により,化学ポテンシャルから数
5
第
号
金属材料の熱電能―電子構造による理解―
409
kBT 程度高いエネルギーまでの状態密度 D (e )の情報を得る
積分光電子分光スペクトルを示す.測定温度は室温であり,
ことができる.
室温のフェルミ・ディラック分布関数で割ったスペクトルも
上記の考察に従い,光電子スペクトルをフェルミ・ディラ
ック分布関数で割ることにより得られたスペクトルを
同図に記載した.化学ポテンシャルから数百 meV 高いエネ
ルギーまでスペクトルが得られている.
a D ( e )として表現する.係数 a が存在するために, a D ( e )
Fig. 4(a1)~(a3)に示したような一般的に用いられる角度
は厳密な意味での状態密度ではない.大変都合の良いこと
積分光電子スペクトルからは,群速度に関する情報を得るこ
に,係数 a は数 kBT 程度の狭いエネルギー領域ではエネル
とができない.Al基近似結晶と同様に,速度および緩和時
ギー依存性を示さないと近似できる.式( 9 )において状態
間のエネルギー依存性を無視して式( 9 )を用いて熱電能を
密度として a D ( e )を用いた場合,係数 a は分子と分母で相
計算することも可能であるが,温度依存性については定性的
殺され,厳密な D (e )を用いた場合と同じ結果が得られる.
に再現することができるが絶対値は測定値の半分程度にしか
以上の考察に基づき,化学ポテンシャル近傍の光電子分光ス
ならない( Fig. 4( b 1)点線).計算値が測定値を再現できな
ペクトルを状態密度と見なすことで熱電能を解析した例を示
いのは,群速度に強いエネルギー依存性があるにも関わらず
す.
それを取りいれていない為である.層状 Co 酸化物の場合,
4.2.1
層状 Co 酸化物16)
化学ポテンシャル近傍にバンド端が存在し,バンド端近傍で
層状 Co 酸化物は,金属的な電気伝導と大きな熱電能を示
は群速度は強いエネルギー依存性を呈するはずである.この
すことから,次世代熱電材料として期待されている.その構
ような場合には,群速度のエネルギー依存性を解析に取り入
造は CoO6 八面体が辺を共有しながら 2 次元的に形成する三
れなければ電気伝導度を正確に評価し熱電能を再現すること
角格子( CoO2 層)により特徴づけられる. CoO2 層の間に存
は不可能である.
在する電荷貯蔵層には,欠損を含む Na 層,CoO 岩塩層,
バンド端 e ( •kedge )近傍で一定の有効質量を持つ放物線的
BiSrO 層などがあることが知られている. CoO2 層は電荷
な ホ ー ル の バ ン ド を 仮 定 す る と , 群 速 度 は vG ( e ) ∝
貯蔵層に挟まれつつ層と垂直方向に積み重なっている2022).
e( •kedge )-e で書き表される.これを速度として用い,平均
Fig. 4(a1)~(a3)に化学ポテンシャル近傍の高分解能角度
自由行程を一定と仮定して再度計算を行うことで,熱電能の
Fig. 4 (a) High resolution angle integrated photoemission spectra and those divided by the FermiDirac distribution function for
the (a1) Ca3Co4O9(CCO), (a2) Bi2Sr2Co2O9(BSCO), and (a3) Na0.6CoO2 gphase(gNCO). The electronic structure near the Fermi
level of these three compounds are characterized by the chemical potential existing slightly lower energy than that of the band edge.
(b1)(b3) Measured (dashed line) and calculated (solid line) thermoelectric power. Positive temperature coefficient and absolute
value of the thermoelectric power for each compounds were qualitatively reproduced. Dotted line for the Ca3Co4O9 indicates the calculation under an assumption of a constant group velocity (Ref. 16).
410
日 本 金 属 学 会 誌(2005)
測定値をよく再現することができる( Fig. 4( b )実線).この
第
69
巻
ことが知られている.
結果は,層状 Co 酸化物においても通常のボルツマン型の金
Fig. 5(a), (b )に TC= 7 K の過剰ドープ Bi2201(最適ドー
属伝導が生じており,熱電能が特殊な機構ではなく通常のボ
プでは TC  40 K)に対して 200 K で測定した角度分解光電
ルツマン伝導により良く説明できること強く示唆している.
子分光スペクトルと,それをフェルミ・ディラック分布関数
また,比較的簡便に測定できる角度積分光電子分光スペクト
で割ったスペクトルを示す.いずれのスペクトルでも価電子
ルから熱電能の絶対値と温度依存性を定量的に議論すること
帯に放物線的なバンドが明瞭に観測される.通常のスペクト
が可能であることを示している.
ルではフェルミ・ディラック分布関数により伝導帯が切り取
4.2.2
Bi2Sr2CuO6+d17)
られ,伝導帯におけるバンドは明瞭に観測することができな
エネルギーのみならず波数分解が可能な角度分解光電子分
い.しかし,フェルミ・ディラック分布関数で割ったスペク
光法を用いれば,群速度に関する情報も直接得ることができ
トルでは,先に説明した機構により,伝導帯における e - •k
る.角度分解光電子分光法に関する詳細な説明は,良い解説
分散関係を生データよりも遥かに明瞭に確認することができ
論文があるので参考にして頂きたい23) .以下に高分解能角
る.この方法で価電子帯のみならず伝導帯の情報も収集可能
度分解電子分光を利用した例として酸化物高温超伝導体とし
である.
て知られる Bi2Sr2CuO6+d(以下 Bi2201)に対する解析結果を
示す.
測定されたスペクトルから決定した e ( kx, ky )と,それを
用いて計算した状態密度を D ( e )を Fig. 5 ( c ) , ( d )にそれぞ
Bi2201 に代表される酸化物高温超伝導体は 2 次元的に広
れ示す.これらを式( 8 )に代入することにより s( e )を計算
がる CuO2 を有している.酸化物高温超伝導体における超伝
するが,その際に,平均自由行程 l が一定であるという仮定
導遷移温度 TC は導入されたキャリア量により大きく変化す
を用いた.この仮定は,厳密には正しくないが,窓関数であ
る.最大の TC を与えるキャリア濃度の条件を最適ドープと
る(e - m )( d fFD / d e )と-( d fFD/ d e )のエネルギー幅が室温で
呼ぶ.キャリア量を増減させ過剰ドープ試料や不足ドープ試
も百 meV 程度であることと,そのような狭いエネルギー領
料を作成した場合 TC は減少する.また,キャリア量を極端
域ではブロッホ状態の寿命を反映した光電子スペクトルのエ
に減少させると,電子相関によるモット絶縁体が安定化する
ネルギー幅が大きく変化しないことから妥当な近似であると
Fig. 5 (a) Intensity image measured by the angle resolved photoemission spectroscopy (ARPES) for the Bi2(Sr, Pb)2CuO6+d of TC
=7 K at 200 K. Horizontal and vertical axes indicate momentum and energy, respectively. (b) The intensity image divided by the
FermiDirac distribution function. The energymomentum (e- •k ) dispersion can be clearly observed up to 0.05 eV above m. (c) e- •k
dispersion obtained by the tightbinding function fitting on the desecrate data points obtained by the ARPES measurement. (d) Electronic density of states calculated from the e- •k dispersion. (e) Spectral conductivity s(e ) deduced under an assumption of a constant meanfreepath l. Since we have no quantitative information about l, the calculated data is plotted in arbitrary units. The hump
structure associated with the van Hove singularity becomes less obvious because of the small group velocity near the singularity. (f)
Measured (markers) and calculated (solid lines) thermoelectric power for different doping conditions. Unusual temperatureand
hole concentration dependence are quantitatively reproduced except those for the underdoped sample UD27K (Ref. 17).
5
第
号
411
金属材料の熱電能―電子構造による理解―
言える.但し,キャリア量が減少し,モット絶縁体の生成領
動量が電子の運動量分布を変化させる効果として現れる.フ
域近傍になると,電子相関の影響により l が一定であるとい
ォノンドラッグの効果はフォノン系のエネルギーが電子系に
う仮定は良い近似ではなくなる可能性もあることも覚えてお
移ることで発現するので,単位体積当りのフォノンの比熱と
かなければならない.
キャリア(電子またはホール)の数を,それぞれ, CPh と N
Fig. 5(f)に,光電子分光により決定した s( e )を用いて計
とおくと,
算した熱電能 Qcalc( T )を測定値 Qmeas( T )とともに示す.過
QPD 
剰ドープおよび最適ドープの Bi2201 に対して, Qcalc( T )と
Qmeas ( T )の極めて良い一致が見られる.キャリア濃度が低
CPh
b
Ne
(10)
と書き下せる1).b は 1 以下の係数でありフォノンと電子の
くなると,電子構造による熱電能の解析からは Qmeas( T )を
散乱頻度を表している.式( 13 )からフォノンドラッグは低
再現できなくなる.計算により熱電能が再現できなくなる理
温で格子比熱の温度依存性である T 3 の温度依存性を示すこ
由の一つとして,電子相関が強くなることにより,緩和時間
とが示唆される.Fig. 2 に示した銅の熱電能において低温か
t に顕著なエネルギー依存性が現れ,一定の l という仮定が
ら熱電能が増大しているが,フォノンドラッグが CPh に比例
良い近似ではなくなることが考えられる.さらに,不足ドー
して低温から急激に立ち上がっていることを反映している.
プ領域では電子構造に電子相関に起因した“擬ギャップ”と
フォノンフォノン散乱が顕著になるとフォノン系のエネル
呼ばれる状態密度の異常が現れることが知られているが,こ
ギーが電子系に伝わらなくなる.結果としてフォノンドラッ
の効果により s(e )が大きく減少することもまた Qmeas(T )を
グの効果は高温において温度上昇に伴い減少する.
Qcalc(T )よりも遥かに大きくしている一因であると考察され
る.
純銅では不純物散乱が少ないので,低温において,フォノ
ンは主に電子に散乱される.フォノンドラッグが生じやすい
典型的な例である純銅においてフォノンドラッグの大きさは
5.
解析手法の限界
高々 1~2 mV/K 程度である.低温におけるフォノン比熱が
デバイ温度が低いほど大きくなることを考慮すると,低温格
前節において,電子構造を正確に得ることで,金属材料の
子比熱の大きな銅で観測される値よりも遥かに大きなフォノ
熱電能をその絶対値から温度依存性まで見事に説明できるこ
ンドラッグが一般的な材料において観測されるとは考え難
とを紹介した.著者の紹介した解析手法を用いれば,他の多
い.すなわち,数十 mV / K を越すような熱電能を示す材料
くの材料でも熱電能を定量的に評価できるはずである.しか
(熱電材料)では,この効果を考える必要はほとんどないと判
しながら,紹介した解析手法も決して万能ではなく,熱電能
断する.但し,キャリア濃度 N が極端に少ない場合には,
に影響を及ぼす幾つかの効果を考慮していない.それらにつ
フォノンによる多重散乱が建設的に働き,電子系のエネル
いて説明することで,解析手法の限界と改善点について考察
ギーを上昇させる場合には,フォノンドラッグの効果は著し
する.
く大きくなるかもしれない.著者の知る限り,そのような例
本稿で解説した手法では s ( e )の温度依存性を全く考慮し
は報告されていない.
ていない. s ( e )の温度依存性を引き起こす原因として,緩
考慮するべき 3 つ目の因子として,試料の形状による量
和時間 t の温度依存性と電子構造(D (e )および vG(e )の温度
子効果を挙げておく.金属材料において,伝導電子の波動関
依存性が挙げられる.相変態に伴い電子構造が変化する場合
数はブロッホ波であり,周期境界条件により量子点の間隔が
や,あるいは,緩和時間に関して,電子の散乱過程に強いエ
決定されている.バルク状の試料を用いた場合には,量子点
ネルギー依存性と強い温度依存性がある場合を例として考え
の間隔は第一ブリルアンゾーンの大きさよりも遥かに小さ
れば良い.例えば,真性半導体では緩和時間が励起された電
く,量子点は運動量空間にぼほ連続的に分布している.しか
子状態の寿命で決定されている場合が考えられ,後者の効果
し,極端に薄い膜を用いた場合には,膜に垂直な方向での量
が顕著に現れる可能性が示唆される.また,本稿で例として
子点の間隔は広くなり,その効果により状態密度が著しく変
示した Bi 系酸化物高温超伝導体では,不足キャリア領域に
化する可能性がある.さらに,伝導電子の平均自由行程にも
おいて電子構造の変化(温度依存性を持った擬ギャップの形
異方性が生まれることも考慮しなければならない.これらの
成)と電子相関による温度依存性を持った散乱過程の変化(モ
効果を考慮した場合,同じ相からなる試料を用いた場合で
ット絶縁体に関係した反強磁性秩序の揺らぎによる散乱)が
も,バルク状の試料の熱電能と薄膜を用いた際の熱電能が異
同時に現れる.これらが,本稿で説明した解析手法で不足キ
なる値を示す可能性が示唆される.実際に,薄膜を用いるこ
ャリア領域に於て熱電能を定量的に再現することができなか
とで熱電能が異常に大きくなった例が最近報告されてい
った原因であると考える. s ( e )の温度依存性による熱電能
る24).上記の効果を正確に電気伝導度 s (e )に反映させるこ
への影響は, s ( e )の温度依存性が正確に解析されていれ
とで,本稿にて解説した手法で薄膜化や試料の微細化により
ば,それを数値計算にとり入れることで定量的に評価するこ
生まれる熱電能の変化を定量的に評価可能であると判断す
とは可能である.
る.巨大な熱電能が生みだされる可能性が示唆されているこ
本稿で説明した熱電能解析手法に取り入れられていない 2
つめの因子として,銅の熱電能に現れたフォノンドラッグの
効果を挙げる.フォノンドラッグは,フォノンの散乱が電子
による散乱に支配されるような場合に,フォノンの有する運
とから,今後の熱電材料の設計にこの効果が重要な役割を果
たすかもしれない.
412
6.
日 本 金 属 学 会 誌(2005)
お わ
り に
本解説論文では,金属材料における熱電能の評価方法につ
いて,具体的な例を挙げながら詳細に解説した.用いた理論
は決して新しいものではなく, 20 世紀半ばにはすでに確立
していたものばかりである.最近に至るまで,電子構造に関
する情報を正確に得る方法がなかった為に,球状のフェルミ
面などの非常に単純なモデルに基づいた式しか利用すること
ができなかった.結果として,実験結果を正確に評価できな
いばかりか,理論自体の信頼性も曖昧になっていた.
本稿で紹介した手法の新規性は,近年発達した電子構造を
正確かつ詳細に解析できる実験技術や計算手法を利用してい
ることにある.新しい手法により電子構造を正確に評価する
ことで初めて熱電能に対する理論が正しいことを検証するこ
とが可能になり,さらに,それを利用した物性評価を行える
ようになった.同様な状況は,熱電能に限らず,多くの物性
に対しても当てはまるはずである.今後,様々な電子物性に
対して,新しい実験手法や計算手法を用いた評価が広く行わ
れ,様々な機能性電子材料の開発研究にブレークスルーがも
たらされることを期待している.
文
献
1) D. K. C. MacDonald: Principle of Thermoelectricity, (John Wiley
and Sons Inc., New York, 1964) pp. 1133.
2) N. F. Mott and H. Jones: The theory and properties of metals and
alloys, 1st ed. (Clarendon, Oxford, 1936) pp. 308314.
3) For example, J. M. Ziman: Principle of the Theory of Solids, 2nd
ed. (Cambridge University Press, Cambridge, U.K., 1972)
pp. 211254.
4) For example, N. W. Ashcroft and N. D. Mermin: Solid State
第
69
巻
Physics, (Thomson Learning Inc., 1972) pp. 2956.
5) G. C. McIntosh and A. B. Kaiser: Phys. Rev. B 54(1996) 12569
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6) T. Takeuchi, T. Otagiri, H. Sakagami, T. Kondo, U. Mizutani
and H. Sato: Phys. Rev. B 70(2004) 144202 17.
7) S. Takeuchi: Quasicrystal, (Sangyo Tosyo 1992) pp. 1138.
(竹内 伸 準結晶,産業図書)
8) S. Takeuchi and K. Edagawa: Crystal, Quasicrystal, Amorphous,
(Uchida Rokakuho Publishing Co. LTD. 1997) pp. 1
175.
(竹内 伸,枝川圭一,結晶,準結晶,アモルファス,内田老
鶴圃)
9) F. S. Pirece: Phys. Rev. Lett. 70(1993) 39193922.
10) A. Bulsic, A. Somonatra, J. C. Lasjaunias, J. Ivokov and Y.
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12) H. Sato, T. Takeuchi and U. Mizutani: Phys. Rev. B 64(2001)
094207 15.
13) M. Krajcáƒ, M. Windisch, J. Hafner, G. Kresse and M.
Mihalkovic: Phys. Rev. B 51(1995) 1735517378.
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Kato and K. Kamiyama: Phys. Rev. B 68(2003) 184203 110.
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Francis, London, 1990) pp. 3035.
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Mizutani, K. Soda, R. Funahashi, M. Shikano, M. Mikami, S.
Tsuda, T. Yokoya, S. Shin and T. Muro: Phys. Rev. B 69(2004)
125410 19.
17) T. Kondo, T. Takeuchi, U. Mizutani, S. Tsuda, T. Yokoya and
S. Shin: submitted to Phys. Rev. B MS # BV9216.
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Shin, Y. Onuki, T. Togashi, C. Zhang, C. T. Chen and S.
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C. Campuzano, H. M. Fretwell, T. Takeuchi, H. Ding, I. Chong,
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