脱走者と篝火のない世界 ID:101729

脱走者と篝火のない世
界
THE饅頭
︻注意事項︼
このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にPDF化したもので
す。
小説の作者、
﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作品を引用の範囲を
超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁じます。
︻あらすじ︼
オーバーロードとダークソウル3のクロスになります。
ダクソ3のNPC﹃脱走者ホークウッド﹄がオバロ世界へ。
このお話の主人公であるホークウッドは、原作中ではただのサブキャラであります。
そのためレベル100でありません。ぷれいやーでもありません。出来る限り等身
大で書いていきたいと思っています。
しかしイベント完走後の覚醒ニートであるため、少し熱の入ったキャラになっている
かもしれません。
ナザリック勢の登場予定はありません。
王国中盤辺りまでの骨格は原作なぞりです。
初執筆である故、あれこれ到らぬ作者ですがよろしくお願いします。
第1話 不運な村娘の最期 │││
目 次 第2話 気高い姫と勇敢な騎士 │
第 6 話 天 翼 巻 き 込 む 二 輪 の 大 剣 第5話 馬鹿が掴んだ翼 ││││
第4話 三本目の手 ││││││
第3話 王国最強 │││││││
1
44
29
18
6
55
│
まったくみすぼらしい商隊もあったものだと商人たちの笑いの種ではあるが、そんな
寄り合えば護衛を雇うお金もなんとか捻出できる。
を往復する。
近隣の村々から最寄りの都市まで、用事のある者たちが定期的に集まってその道のり
村人たちが、都市まで出来るだけ安全に移動する手段。それは隊を組むこと。
る。
ことである。そしてそこで農具や工具、日用品の購入まで行って村の生活は成立してい
辺境の村々がまともに貨幣を得る手段と言えば、それはやはり都市へ物を売りに行く
は流石に賄えない。
小さな村だろうと今の時代、貨幣制度の利用は必須なのだ。稀に訪れる行商人程度で
しかし村から出ず、引き籠るという選択肢はない。
う。
その道程はどんなルートを選んでも、野盗や獣にモンスターと大なり小なり危険が伴
辺境の村から最寄りの都市まで。
第1話 不運な村娘の最期
第1話 不運な村娘の最期
1
ことを気にしていては生きていられない。これは命を守る手段なのである。
﹂
カルネ村のエンリ・エモットはそこまで父親から教わっていた。
﹁お父さんっ
もし、やっと雇った駆け出しの冒険者がモンスターを前に逃げ出してしまったら
ら
もし、パニックになった誰かが周りを囮にしてモンスターから逃れようとしたら
もし、囮にされた誰かがモンスターに囲まれてしまったら
││もし、自分が不運であったなら
のに十分な筋力と道具を振るう程度の知能、そしてなにより集団で行動する生活環を持
父と娘を扇状に取り囲むゴブリン達。村の子供ほどの背丈ではあるが、人を殺傷する
目の前の大きく頼もしい背中が、崩れるようによろめいたのだ。
横転した荷馬車。その影で震えていたエンリは思わず声を上げた。
?
もし、その卑怯者が誰かの荷馬車と馬を切り離してしまったら
?
?
?
?
?
もし、隊の街での実入りが少なく、護衛の冒険者を雇うお金が少ししか出せなかった
だがそこから先は教わっていない。
!
2
第1話 不運な村娘の最期
3
つ。
指の数ほども集まれば、戦う術を持たない村人とって十分以上に手に余るモンスター
だった。
それでも娘を背に置く父は、幾重にも傷を負いながら手製の槍で孤軍奮闘。その証に
槍を受けたゴブリンが地面に数匹転がっている。
だが遂には父も錆びた刃に腕を大きく切り裂かれ、槍を取り落としてしまう。
深い傷を負った父親はとうとう気力も底を突き、意識を失ってしまう。エンリは崩れ
落ちる父に縋り付く。だが父を抱いた手に広がるのは覚えのない、しかし鳥肌を誘う恐
ろしい感触。
恐る恐る手を翻して見てみれば、掌一杯に広がる赤黒い光景。
動かぬ父。
動悸が速まる。
︶
呼吸はしているが、すぐに手当てが必要な状態であろうことは無学なエンリにも分
かった。
︵早くっ⋮⋮せめて血を止めなきゃ⋮⋮
ゴブリン達はどこで拾ったのかも知れぬ、腐った鉄片の切っ先をエンリへ向けなが
しかし狩人が射った獲物を前にして背を向ける訳もなく。
!
4
ら、ぞろぞろと距離を詰める。
人外の口から覗く醜悪な舌なめずりに、エンリは食欲を超えた卑下すべき欲望も本能
で感じ取ってしまう。
絶望的な状況に思わず涙腺が緩む。
だがここでエンリは折れなかった。
なにをお高く止まっているのだと。
ここで悲鳴を上げてお付きの騎士様を待つのは、綺麗なお手手を持つお姫様の仕事だ
と。
泥で汚れた村娘の分際で、か弱く涙を流すなどおこがましい。
次は自分の番だ。自分が前に立ち、武器を振るって家族を守るのだ。
エンリが悲壮とも言える覚悟を持ち、粗末なクワを握りしめたその時││
││鋼鉄の風が吹いた。
アギト
一瞬、エンリの頬を撫でたそれは目にも止まらぬ速さで大きく旋回。
十分な遠心力を纏って顎門を持つ暴風と化し、ゴブリンの骨肉を右から左へと瞬時に
破壊し吹き飛ばす。
第1話 不運な村娘の最期
5
その風の正体は一振りの大剣だった。
たった一振り。
それだけで三匹のゴブリンが四散する肉片と化した。
あの震えるほど恐ろしかったゴブリンが、瞬きする程の間にだ。
風が吹き抜けた後には男が立っていた。
砂塵と共にマントがはためき、返り血を浴びた肩当てがぬるりと煌めく。
男の名は﹃ホークウッド﹄
脱走者の不名誉を背負った男である。
第2話 気高い姫と勇敢な騎士
父娘とゴブリン達との間に割って入ったホークウッドは、割り込み際に振り抜いた一
閃で敵の戦力を見抜く。
︵なんてことはない。手間の掛からぬ異形だ︶
ひっくり返るように飛び退く残りのゴブリンたちを確認すると、父娘の方に目を向け
る。
見ればわかる。亡者でなければ灰でもない。この二人は火に陰り始めてから久しく
見なくなった、真っ当な﹃人間﹄だった。
﹁は、はい⋮⋮っ
﹂
﹁まだ生きたいか﹂
ホークウッドは刃に乗った人外の血を払い飛ばしながらもう一度静かに問うた。
少女からは茫然自失から抜けきれぬ様子での弱弱しい返事。
﹁はい⋮⋮﹂
﹁話は出来るか﹂
6
!
第2話 気高い姫と勇敢な騎士
7
次は少々うわずった、だが確かな意志と願いの込もった返事だった。
︵口も利けるか。なんとも分からぬ事態だが、あの小さな異形共を排除した後に話を
聞こう︶
◇ ◇ ◇
ゴブリンたちは美味しい獲物を前に現れた強力な敵に、押し引きの判断を下せずただ
右往左往するしかない。
そんなゴブリンの前でエンリの身の丈ほどもあるバスタードソードが片手でゆっく
りと持ち上げられる。
殺戮は次の瞬間から始まった。
避けられない程の速さ、受けきれない程の重さ。
振るわれる大剣は、なんの抵抗もなくゴブリンの肉体を破壊し、瞬く間に命を奪って
いく。
はらわた
一匹のゴブリンが意を決して飛びかかるも、左腕の小盾に難なく叩き落され蛙のよう
にひっくり返る。
無様な青天井に大上段から襲い掛かった猛速の切っ先は、ゴブリンの腸を瞬時に貫
8
通。その下の地面まで易々と打ち壊した。
二秒か三秒か。数瞬と呼べるような短い時間。
それはエンリにとって、初めて目の当たりにする強者による蹂躙であった。
縦横無尽に翻る大剣とぶちまけられる臓物に目を奪われるも、それは束の間。
エンリは未だ震えの止まらない足で立ち上がると、横転した荷馬車のささくれ立つに
木ぎれにスカートの裾を引っかけ、迷いのない動作でビリビリとスカートを引き裂いて
いく。そうして得た、布切れ数枚を父の目立つ傷跡に当て縛り、何とか止血を試みる。
さらに街では時期が悪く買い取れないと押し返された薬草類が少量荷馬車に積んで
あったことを思い出すと、エンリはあちらこちらに散乱する薬草類から外傷に効果があ
る葉を探し、一枚ずつ摘まんでは小さな掌に乗せていく。
地を這いずること厭わずに行われる必死の作業。露出した膝からは血がにじむ。
ようやく一握りの薬草を集めるも煎じる道具もここにはなく、自らの手ですり潰して
患部に塗り広げる。
人体や医療の知識など、薬草に関わるほんの一摘みしか持たないエンリのできる精一
杯の処置だった。
一心不乱の手当てを終え、息をはずませるエンリがふと顔を上げると、殺戮を済ませ
た黒衣の男。
﹁あの、ありがとうございます
﹁騎士
﹂
⋮⋮ハッ⋮⋮ハッハッ⋮⋮よりにもよって俺を騎士とはな﹂
業をしております。騎士様のお名前は⋮⋮﹂
﹁はい、私はカルネ村のエンリ・エモットです。村娘として畑を耕したり薬草を集める生
﹁終わったなら話を聞こうか⋮⋮まずお前は何者だ﹂
る。
エンリは息を整える間も置かず、荷馬車に腰を据える男に向けて身を伏せ、頭を下げ
!
いた事を自覚をして、こんな事態ではあるが恥ずかしくなったのだ。
お姫様の危機に見参する勇敢な騎士、という少女らしい妄想が自身の心にチラついて
笑われてエンリは少々目線を伏せる。
﹁し、失礼しましたっ﹂
?
﹁ここはどこだか答えてもらおうか﹂
今の敬語だって礼儀正しい行商人や役人と話している時の村長の下手な見真似だ。
なぜならエンリは格式を知る人間への口の利き方などまったく知らない。
した。
助けてくれたこの人物が、騎士ではないと聞いてエンリは少し警戒すると同時に安心
﹁ホークウッドだ。⋮⋮道を失した流浪人といったところか﹂
第2話 気高い姫と勇敢な騎士
9
﹁ここは⋮⋮﹂
この先の展開がふと頭に浮かんだエンリは言葉に詰まる。
人は多いのか﹂
?
﹁⋮⋮多いというのはお前のような人間がか
﹂
﹁私から見ると凄く栄えていて人も多いです⋮⋮﹂
﹁街と言うと、そこは栄えているのか
ゴブリンの集団は勿論、野犬の一匹にもエンリと父は容易く命を奪われる。
荷馬車も隊も失った今の状況。
そうなればエンリと父の命はあまりに危うい。
向けるだろう。
近くに街があると知れば、この流浪の強者は当然、辺鄙な村なんかよりそちらへ足を
言いたくなかったのだ。
﹁⋮⋮はい﹂
﹁ふん⋮⋮なるほど、お前は村娘だったな。そのエ・ランテルと言う場所は街か﹂
と視線移し、察したように言う。
エンリが答えると、ホークウッドは荷馬車から散らばった真新しい農具や工具へざっ
﹁ここは、エ・ランテルから辺境の村々まで続く街道です﹂
﹁おい、どうした﹂
10
?
﹁
はい、私のように村から出て来ている人も沢山いると思います﹂
る。
﹁そう⋮⋮か⋮⋮﹂
お願いです、村まで一緒に来てください
﹂
!
して口を開いた。
﹂
﹁村に着けば出来る限りのお礼をさせて頂きます
!
なんとか引き止めなくては、エンリはその一心で頭を下げる。
交渉を挑む経験もなければ手札もない。
どうか⋮⋮どうかお願いします⋮⋮
ホークウッドが腰を上げる前に、ホークウッドが次の言を紡ぐ前に、エンリは地に伏
﹁ま、待ってください
!
ホークウッドは考え込むように口元に手を置くと、荷馬車の轍が残る方向へ顔を向け
?
!
◇ ◇ ◇
下から乞う者と上から見下ろす者の視線が交差した。
身を縮めていたエンリが恐る恐る顔を上げる。
﹁⋮⋮村娘、顔を上げろ﹂
第2話 気高い姫と勇敢な騎士
11
命。生への執着。
ホークウッドはエンリの潤んだ瞳の奥に、生きる者のみが持つ正しい火を垣間見た。
それは火の無い灰が求めてやまないもの。
﹁ありがとうございます
このお礼は村で必ず⋮⋮
﹂
!
﹂
!
た小さな火に妙に惹かれる。
次はそのエ・ランテルという街へ赴いてみるのが自然なのだろう。しかし少女の宿し
ああ、まったくどうしろというのか。
ホークウッドは思う。
こっている、という事だけは分かる。
そ れ が 街 を 賑 や か す ほ ど 存 在 し て い る な ど。己 に は ま っ た く 理 解 不 能 な 現 象 が 起
持つ人間など消え失せて久しかった。
そして何よりホークウッドのいた灰の時代には、目の前の村娘のようにまともな命を
ホークウッドに無学の自覚はないがエ・ランテルの名にはまったく覚えがない。
﹁そ、それでも⋮⋮
﹁お前に差し出せるものなどない事くらい分かっているさ﹂
!
う身の上だ、流されてやろうじゃないか﹂
﹁⋮⋮いいさ、どうせ急ぎでもない。その村まで付いていってやろう。どうせ浮いて漂
12
これも火の無い灰故なのだろう。
皮肉気に顔を歪めたホークウッドが腰を上げたその時。
微かに地面から震えを感じた。
人ならざる者の気配。
ホークウッドが振り向くと街道の前方。荷馬車の向いている方向から、明らかに人を
逸脱した巨体が一つ現れた。
凶悪な顔面に丸太のような四肢と血で染まった恐ろしい口元。
人外の相貌はホークウッドたちを確かに見据えている。
だがホークウッドはずるりと滑るように前へ出た。
獲物を射程に捉え、走り出すオーガ。強まる地響きは弱者を恐怖で釘付けにする。
えていろ﹂
﹁迂闊だったな、血の臭いに惹かれたか⋮⋮。死にたくないならお前は鍋でも被って震
そんなエンリの前にホークウッドが立つ。 迫るオーガに、エンリは血が凍りついたように青くなる。
人食いオーガとも呼ばれるその怪物は、村々の人間にとって恐怖の象徴。
﹁え⋮⋮あれは⋮⋮オーガ⋮⋮﹂
第2話 気高い姫と勇敢な騎士
13
14
一気に消えゆく両者の距離。
オーガが巨腕を振りかぶる。太い腕に握られているのは木の幹を削っただけの棍棒。
粗末な武器ではない、サイズに見合う十分な凶器だ。
溜め、距離、タイミングを本能で見切った野生の一撃が振り下ろされる。村人であれ
ば当然、絶命に到る速度と質量。
ホークウッドは懐に飛び込むようにそれを躱すと、低い姿勢からすれ違いざまにオー
ガの左の膝裏を一閃。斬撃は骨まで達し、屈強なオーガの膝を折った。
そして体勢を崩したオーガへ流れるように追撃が入る。
ホークウッドはその膂力と技量で素早く大剣を翻すと、膝裏を切り払った勢いをその
まま遠心力へ変換。そして瞬時に刃先に力を乗せ、オーガの膨れた脇腹に叩き込んだ。
奔る刃は分厚い筋肉と肋骨の林を粉砕し肺にまで到達する。
気道で暴れる血液は口と鼻から噴出して、海を知らないオーガに溺れたような錯覚を
引き起こす。
自身の喉奥から湧きあがる赤黒いそれがなんなのか、オーガがやっと認識した時。
ホークウッドは既に大剣を振りかぶっていた。
膝をつき、片手は脇腹、片手は地面で頭を垂れるオーガ。
ホークウッドは差し出されたそれを無遠慮に薙ぎ払う。
その一振りで、オーガのシルエットが大きく欠けた。
まさに致命の一撃。
流水の滑らかさと、巨岩の重さを併せ持つ連撃は、オーガに死を実感する暇も与えず、
無抵抗の沈黙をもたらした。
◇ ◇ ◇
ホークウッドのあの戦闘を上手く表す語彙をエンリは持たない。
一般に身を置く者では想像する事すらできない境地。
想像を超える、という表現も生易しい。
しかし目の前で見せつけられたホークウッドの戦闘はエンリに強い衝撃を与えた。
た。
どは戦いを生業にしているのだからそれはそれは強いのだ、と何とはなしに思ってい
初めて村を出たエンリは強さの基準と言うものををよく知らない。それでも冒険者な
﹁お前もいずれ薬草を売りに街へ出る機会があるだろう﹂と言う父に連れられて、今回
返り血の上に返り血を浴びたホークウッドが、もう動かぬオーガに背を向けて言う。
﹁デカブツの相手も慣れたものだろう﹂
第2話 気高い姫と勇敢な騎士
15
だがまるで何万回と繰り返したかのような確かさで行われたあの動き。
そして人は一体どれほど剣を振えば、あんな剣を修めることが出来るのだろうと思わ
せるあの技。
まるで牙が生えているかのようなあの剣技は、ドラゴンにすら立ち向かえるのではな
いか。
そんな幻想すらエンリは抱いた。
まるで物語の英雄である。
戦闘の知識や経験など塵ほども持たないエンリでも、あの戦いぶりの根本的な凄さと
いうものは漠然と理解できた。
﹂
!
何とも言えぬ顔でその歩みを見ていたホークウッドは遂に折れるように溜息をつく
は地面に着いて轍を引き、その歩みは亀の如し。
しかし当然、うら若き乙女が意識のない成人男性を背負いきれる筈もなく、父親の足
るはずがなく、何とか背負う形で歩き始める。 被っていた鍋を脇に置いて立ち上がるエンリ。だが気を失っている父を放って行け
血に集まってくる者など、それはロクなものではない。
﹁は、はい
﹁ここに留まっていてはまた異形が寄ってくる。行くぞ﹂
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と、エンリの父親をひょいと担ぎ上げる。
あ、ありがとうございます。ホークウッド様﹂
?
エンリはそれを踏んで帰路を急いだ。
赤黒い残骸が散らばっていた。
しばらく街道を行くと途中破壊されたいくつかの荷馬車と、食い散らかされた人間の
だった。
エンリは礼を言うと、一本道を広い歩幅で進むホークウッドの後を小走りで追うの
﹁え
第2話 気高い姫と勇敢な騎士
17
︵灰が夢を見るなど⋮⋮一体どうなっているというのだ⋮⋮︶
ずっと。
それからホークウッドはその空き家の窓から村を眺めた。日が昇り、また沈むまで
いう添え言葉と共に空き家の鍵を握ることとなった。
交渉に向かったようで、その日の内に﹁長く空けているので少し埃が積もっているが﹂と
うせ長くは滞在しないからと空き家を一つ要求してみた。すると早速、村長なる人物へ
エンリと目を覚ましたその父親がしきりに頭を下げてなにか貰えと鬱陶しいので、ど
あのオーガの襲撃後は何事もなく、一昼夜で村まで辿り着いた。
る。
場所は先日助けた村娘、エンリの故郷だというカルネ村。その端にある空き家であ
その表情は苦悩と安らぎが入り混じった複雑な物。
ホークウッドは椅子に深く腰掛け、頭を抱えていた。
柔らかな風雲に月が喉を鳴らす穏やかな晩。
第3話 王国最強
18
第3話 王国最強
19
ホークウッドは記憶を手繰る。
思い出せるのは心折れ、ただひたすら皮肉と諦めにすがって座り込んでいた頃の自
分。
八方塞がりの末、絶望の奥に竜へ到る道を見出し、やっと前を向いた頃の自分。
そして自分を打ち倒し、事もなさげに去っていく強き灰。
最後に頭に浮かぶのは、かつての仲間たちの屍に加わる自分自身。
︵逃げぬと決めて啖呵を切ってこの様だ︶
複雑に思考するホークウッドの頭を取り巻く感情は二つ。
一つは道を失った弱き自分への情けなさ。
もう一つは、再び心折れることへの恐怖。それに伴う焦燥感。
ホークウッドは﹁何もしないこと﹂の恐ろしさを思い知っていた。
︵前に進まなくては⋮⋮なんとしても⋮⋮︶
ホークウッドは何者にもなれなかった。
竜にも薪にも、使命を追う灰にすら。
︵使命から逃げ出し、竜になるという目的も失った空虚の身ではあるが、絶望はもう飽
きた。足掻いてみようじゃないか⋮⋮このままじゃあまた足に根が生えちまう︶
もうへたれ込みたくはない。
20
ホークウッドは顔を上げた。
意識を過去から現在向ける。
日がな一日窓から外を眺めていたが、目に映ったのは農作業に汗を流す人々や無邪気
に走り回る子供たち、部屋の掃除や食事を差し入れに来るエンリとなぜか楽しげなその
妹。
この村で見たどれもが、あの灰に覆われた時代ではありえないこと。
しかしそんな光景にホークウッドは薄く胸懐を抱いてしまう。この村の営みに暖か
な火を感じるのだ。
だがその温もりも、火の陰りを見たホークウッドにはあまりに儚いものと映る。
そして思う事はもう一つ。
自身のソウルの増大である。
それは大海に落ちた滴の如くほんの微量。
だが確かに分かる、エンリと出会った時殺したあの異形のソウルが、自身の内部で蠢
いているのが。
エンリやその家族、村長などに話を聞き、周囲の地理などこの世界の事を幾らか把握
した。しかしそこから、元の世界の痕跡は欠片も見つけることは出来なかった。
つまり、このソウルを取り込む感覚こそ唯一、見知った世界と今の世界との共通点。
ホークウッドは自らを取り巻く状況に一晩頭を悩ませた。
そのエ・ランテルで冒険者なる職に就けば、依頼という形で異形の情報を得られるの
次の目的地は城塞都市エ・ランテル。
たのだ。
だがそれでも、強き灰から叩き付けられたあの敗北を、早くなにかで塗り潰したかっ
強き力を望めば、また修羅の道となるかもしれない。
ウッドはこれらをまとめて一先ずこの指針とした。
むという、この世界で唯一確かな感覚。未だ情報の足りない現在ではあるが、ホーク
また停滞へ堕ちることへの恐怖。前回で叶わなかった望み。そしてソウルを取り込
﹃強大なソウルを築き、もう一度強き力を望んでみよう﹄
針を定めた。
東の空が白んだ頃、ホークウッドは薄っすらとだが、これからの行動の基本となる指
過去と自身に思いを巡らせ、一分の休息もなく悩む濃い夜が明けた。
朝。
﹃ジェスチャー﹁へたり込み﹂を捨て去りました﹄
第3話 王国最強
21
22
だそうだ。そして人の多い街ならば、この世界について知る機会も多いだろう。
街で冒険者となり、異形のソウルを取り込みつつこの世を見聞する。それがホーク
ウッドの考えだった。
指針が定まったのなら次は行動だと、空き家の戸を開け外に出る。
右手には刀身だけで子供の背程もある大剣、バスタードソードを担ぎ。
左手には小盾を。
幾億と振るったファランの大剣を取らないのは、あの強き灰より叩き付けられた敗北
が蘇るためである。
ホークウッドに不満はない。あれが竜であることに不満はなかった。
しかしやっと見出した竜へ至るという道。それをへし折られたのだ。強烈に焼き付
いたその敗北の記憶が、ファランの大剣を握ることを許さない。
﹁ああ、これではまるで乙女のようではないか⋮⋮フッ⋮⋮フッフッ⋮⋮﹂
まだ日が出たばかりであるが、村人たちは水を汲んだり土を弄ったりと忙しなく活動
を始めている。
ホークウッドが一応村長に、街までの道でも尋ねておこうと村内を歩いていると、あ
ちらこちらで働いていた村人たちが東に集まり始めた。
ホークウッドもそちらへ向かってみれば、東からは村に影を落とす銀の軍団。
朝日を背負って迫るその者らに、村人たちは困惑する。
村の者が何用かと呼びかけるもその軍団は応答の素振りなく、ひたすら歩を進める。
﹂
カルネ村の火を飲み込むように伸びる黒い影。
村人を殺せー
!
ホークウッドは懐に手を忍ばせる。
任務開始
!
それはホークウッドの放った投げナイフ。
もんどりを打つその兵士に、他の兵らも振り上げた剣を思わず止める。
だがその時、兵士の顔面にナイフが突き立った。
くと、先頭の兵が慄く村人に躊躇いもなく凶刃を振り下ろす。
村の目前まで迫った兵士たちが指揮官らしき男、ベリュースの声と共に一斉に剣を抜
﹁総員抜剣
!
その巨大さ故、直剣などとは比べ物にならないリーチも持つ大剣の切っ先。それは浮
そこにバスタードソードが滑り込む。
驚愕によってこじ開けられた兵士たちの意識の隙間。
ウルをいただくついでだ︶
も蘇ったか⋮⋮。まぁ良い、半分は八つ当たり。強き灰を恨むんだな。それにどうせソ
︵フン⋮⋮こんなちんけな村を守ろうとするなど無意味なことだ⋮⋮。火への未練で
﹁こいつらの相手は俺がしてやる。好きに逃げろ﹂
第3話 王国最強
23
足立つ兵士たちを問答無用で押し退ける。
村人どもを殺せ
﹂
そして慄きから我に帰った村人らは大声で喚きながら散っていく。家や畑で仕事を
お前たち何をやっている早く行け
!
する隣人家族らへ危機を知らせるために。
﹁おい、どうした
!
﹂
﹁どういうことだ、村が冒険者でも雇っていたのか
!
﹂
ホークウッドの装備は黒革のベストの下にチェインを着込んだ軽装。それでこれだ
から剣戟が振るわれるも悉くいなす。
に押し退け、時に薙ぎ払い、時に掻い潜り、敵陣中を狼のように駆け抜ける。当然諸所
の
ただ蹂躙するはずだった村からの思わぬ反撃に浮足立つ兵士らを、ホークウッドは時
!?
﹁何者だコイツ
ホークウッドは前へ踏み出す。狙いは奥で指示を出す立場にいるあの男。
︵ならば守りに入ってもらおう︶
は出来ず、村を殺戮から守護することは出来ない。
相手は百に届こうかという規模の集団。この人数の相手に一人で全員を止めること
しき者の声だった。
主はどうやら前線の様子が分かっていない様子。それは抜剣を指示した指揮官とおぼ
何とか体勢を立て直し、武器を構える兵士たちとその後方から聞こえる喚き声。声の
!
24
止められん
﹂
﹂
けの事をやってのける技量はまさに超一流である。
﹁強いぞ
囲んで袋叩きだ
兵士たちの声もすでに後ろ。
﹂
な、なんだお前は 貴様らあああ
!
守れ俺を守れええ
!
!
リュースはたまらず腰を抜かして兵士らを寄せ集める。
よおおおお
﹁ヒ、ヒイイィィ
!
む。
﹂
特別に金も出す
だから神の名のもとに
奥に引っ込んだベリュースは恐怖と憎しみに歪んだ表情で声を上げた。
全員、切り掛かれえええ
!
!
到。
尻を土で汚したベリュースの号令で、ホークウッドを取り囲んだ兵士らが一斉に殺
!
!
大将首を前にして足を止めたホークウッドを、兵士たちがぞろぞろと何重にも取り囲
︵やはりこの無能に刃を向けている限り、この軍団を釘付けにできるようだ︶
!
あいつを抑え
こ れ に 凌 辱 す る だ け で ロ ク な 戦 闘 経 験 も な く、神 輿 と し て 担 が れ る だ け だ っ た ベ
そしてほどなく大将首に迫り、剣先を突き付けた。
!
!
﹁なんとか道を塞げええ
!
!
﹁神聖な任務を妨害する不届者をぶち殺せ
第3話 王国最強
25
26
辺境の小さな村に大きな血の花が咲く事となった。
一人対軍団の戦闘は、殺到する兵士らと縦横無尽に動き回るホークウッドによりすぐ
に乱戦へもつれ込んだ。
ホークウッドは四方八方から襲い来る剣を、的確な盾受けと回避で避け切ったかと思
うと、一瞬の隙を見つけては恐るべき速度で大剣を振り回す。その大剣の重量に兜ごと
頭を叩き潰され、鎧ごと薙ぎ倒される兵士たち。
駆け回る黒い影と一人また一人と血飛沫を上げ倒れていく仲間に、練度のそう高くな
かたく
い兵士たちはやがてパニックに陥った。中にはやたらめったら剣を振り回す者も出て、
終いには同士撃ちお構いなしの弓矢まで乱れ飛ぶ始末。
この乱戦の最中、ホークウッドは幾度か矢傷を受けるも、それを物ともせず頑なに戦
闘を続行。
いくばく
結果、二十を超える数のひしゃげた鎧と無残な骸が地面に転がることとなった。
このまま進めば幾許もせず、カルネ村に伸びた魔手が瓦解するだろうと思われた矢
先。乱入者が現れた。
地面を鳴らす蹄鉄の音と鬨の声。
混乱の極地にあるこの場へ、大量の騎兵が雪崩込んできたのだ。
第3話 王国最強
27
騎兵らは、ホークウッドにかき乱されて陣形どころか前後すらなくなった歩兵団を津
波のように押しつぶす。
予想外の強襲に、一時離脱へと頭を切り替えたホークウッド。しかしある一騎が彼の
足を止めた。
その一騎は一際強い、猛烈な勢いを持って歩兵団を鎧袖一触とし、真っすぐホーク
ウッドへ突っ込んできたのだ。そして今、ホークウッドのすぐ横にいた兵士を蹴散らし
た。
高らかに上がる嘶き。
ホークウッドは反射的に死角へ潜り込み、大剣を振り上げ、次いで振り下ろす。
上段から袈裟への一振り。狙いは馬上の男。
両断の意思が込められた剛力の一刀。
しかしそれは阻まれた。
爆発と紛うほどの衝突音。
馬上の男は剣でもって、ホークウッドの一刀を阻んでみせたのだ。
偉丈夫はその衝撃に鐙からは飛ばされるものの、転がって血泥に塗れることはなく、
超人的な身体能力とバランス感覚を持って両の足で着地してみせる。
28
わらし
この世界で初めてホークウッドの剣撃を受け止めた存在。
名はガゼフ・ストロノーフ。
床に伏せる翁から街を駆ける童まで。
ワインを舐める貴族から泥水啜る乞食まで。 人は彼をこう呼ぶ。
王国最強││。
第4話 三本目の手
平原のただ中を、汗を散らして走る軍馬たち。
地平線を望めるほど開けた地形。東から昇る太陽が朝露に湿った草木を輝かせる。
趣味人ならば、まだ残る夜中の空気の冷たさと、斜めから射す陽の暖かさのギャップ
に趣を感じる事だろう。
しかし馬に跨またがる戦士らは、この開けた平原に仄暗い閉所のような息苦しさを感
じていた。
皆気付いているのだ、自分たちが何者かの手の上で転がされていることに。
それでも彼らは懸命に馬を走らせる。
瞼の裏に焼き付いた、凌辱の痕が残る民の亡骸に奥歯を噛み締めしながら。
﹂
その騎馬隊の中で指揮官として駆けるガゼフのもとに、先行させていた斥候から報告
カルネ村近辺にて帝国の兵団を発見
!
が上がった。
!
求めていた知らせに思わず前のめりになる。
﹁報告
第4話 三本目の手
29
全員、全速でカルネ村へ向かうぞ
﹂
非道な殺戮を繰り返す帝国軍を、王国戦士長でありながら未だ止めることのできない
自分の至らなさを悔いていたのだ。
ようやく手の届くところまで来た。
もう間に合わなかった、などと言う結果にはさせない。
悲劇はここで終わらせる
!
犯される民の苦を思い、ガゼフは手綱を握る手に力を込める。
﹁よし
﹂
!
ろう。その数は百に近い。
村の目前には帝国の鎧を纏った物々しい集団。間違いなく村々を襲っていた犯人だ
遠目にも分かる緊急事態。
そしてほどなく村がガゼフの目にも見えてきた。
今はただ民のために。
より一層の砂塵を舞い上げながら、王国最強の率いる軍団は突き進む。
皆、王国に根を張るものとして今回の事件には、こみ上げてくるものがあるのだろう。
目を覆いたくなるような女子供の遺体。執拗なまでに破壊された村々。
ガゼフが声を大にして方向を示すと、屈強な隊員たちから頼もしい声が上がる。
﹁オオォッ
!
!
30
第4話 三本目の手
31
しかし様子がおかしい。その帝国軍は引くでもなく進むでもなく村の前で立ち往生
しているのだ。こちらに気づく様子もない。
さらに馬を加速させながら目を凝らすと、その原因が見えてきた。
何者かが大立ち回りを演じ、敵の腹をかき回しているのだ。
見るに帝国軍を相手取っているのは、黒衣を翻す男ただ一人。
一対百。
それも数だけではない。一人一人が鎧と兜で武装し、一人前に剣を振ってみせるの
だ。
それなりに場数を踏んだ冒険者パーティーであっても、これだけの人数差を前にして
は飛べない虫の如く、踏み潰されてもおかしくはない。
リンチにすらなり得ないような人数差。
だが黒衣の男は十二分に立ち回って、敵集団の臓腑を滅茶苦茶に食い荒らしている。
戦いはもうすでに陣形も何もない大混戦におちいっていた。
ガゼフが目を見張るのは黒衣の男その動き。
最初は何者かが健闘している、すぐに駆けつけねばと思った。
次第に近づくにつれ戦闘の詳細まで見えるようになると、成り行きは分からないがこ
れほどの強者が村を守護している幸運へ感謝した。
だが近づくほどにガゼフは違和を感じる。
その男の動きが﹃あり得ないほど﹄死線に慣れているのである。
︵一体どのような⋮⋮︶
突撃し一気に壊滅させよ
﹂
しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。とガゼフは頭を切り替えて剣を
王国を荒らしまわる帝国軍は目の前だ
!
抜く。
﹁全員剣を抜け
﹂
!
﹁いくぞ
﹂
馬を駆る全員が肉食獣の牙を思い浮かべた時、騎馬隊は獲物に突き刺さった。
であろうか。
そこがまるで脂の乗った柔らかい肉に見える、ならばそこに食らいつく自分たちは狼
狙うは敵集団の脇腹。
そこまで考えてガゼフは黒衣の男に直撃しないように騎馬隊の突撃ルートを操る。
は出ないだろう。
てもいい。その上相手はあの黒衣の男に手一杯で奇襲の形となる、こちらに大きな被害
相手の数は侮れないが、部下たちも王国屈指の精鋭。さらに勢いと士気は極限と言っ
剣を掲げ。士気を上げる。
﹁オオオォ
!!
!
32
!!
王国最強の率いる騎馬隊の統率された突撃。最高の条件で行われたその攻撃力は、ま
さに天下一品。
今度はなんだよ
﹂
﹂
その衝撃で多くの人間を跳ね飛ばし、見るものを戦慄させる威力で帝国軍を粉砕し
た。
﹁ぎゃあああ
!
こんな状況ではあるが武人の血が逸る己を自覚し、恥じる。
遠目ではあったが、まるで見た事のない太刀筋。あまりに異質なあの動き。
そしてガゼフは気になっていたのだ。
てみなければ始まらない。
王国を荒らすこの帝国兵たちと対峙していた人物が、何者であるかは不明だが、会っ
先にガゼフがあの男と合流して、事故を防がなくてはならないのだ。
この中で部下と黒衣の男がぶつかってしまえば、いらぬ被害が出るかもしれない。
周囲は阿鼻叫喚の喧噪。
大勢が決まったところで、ガゼフは敵兵の掃討と捕縛を部下に任せ、黒衣の男を探す。
混乱に混乱が重なり指揮系統もすでに崩壊。武器を捨てて逃げ出す者まで出ている。
熱したナイフでバターを切るように抵抗なく敵が割れていく。
!
!
﹁どうしたああ
第4話 三本目の手
33
34
︵見つけた︶
男はいた。まだ騎馬の突撃が届いていない場所で敵に囲まれながらも、周囲の混乱に
流されず冷静に立ち回っている。いまだ疲労を感じさせない動きだが、四方八方に敵の
刃がぎらつく危険な状況にあるということに変わりはない。
︵話を聞きたいが、まずは村と御仁の安全を確保する事が先決︶
ガゼフは馬を走らせると、立ちはだかる有象無象を鎧袖一触にして黒衣の男に接近。
その周囲にいた敵を一息に蹴散らした。
││途端に殺気。死角から迫る極太の圧力。
総毛立つ感覚と共に、ガゼフは半ば反射的にそちらへ剣を向ける。
その一刀はガゼフが知る中でも、とびきりの重撃だった。
衝撃は受けた剣の腹を貫通し、鎧の中の骨を軋ませる。骨を伝った衝撃はガゼフの胃
の腑まで殴りつけてから背中へ抜けていく。
鼓膜をぶち抜く激突音。
続いて浮遊感。
ガゼフは一般兵士程度ではインパクトだけで気を失うほどの衝撃を正面から受けき
り、地に立った。
﹂
そして、黒衣の男をじっと見据える。
﹂
﹁戦士長、大丈夫ですか
!!
!
力を持つ貴族や冒険者が助けてくれることを
?
だがガゼフは思ってしまう。
この男が何者で、どんな真意を持ってここに立つのかは分からない。
││弱きものを助ける、強き者の姿を
││ならば我々が示そうではないか、危険を承知で命を張る者たちの姿を
││期待しなかったか
ガゼフは部下に言った、己の言葉を反芻する。
威風堂々と。
その目は未だ闘志に揺らぎ、村を背負って立っていた。
上半下半を問わず突き立つ矢を物ともせずに立っていた。
その男は荒れ狂う騎馬の波を前にして、一歩も引かず立っていた。
ガゼフの目に映る黒衣の男。
するも、ガゼフはそれをすぐに止めた。
馬から叩き落されたガゼフを見たその部下が、剣を振って男とガゼフの間に入ろうと
﹁待て
第4話 三本目の手
35
自分の言葉を、まさに体現する人物が今ここにと。
視線を交差させたまま少しだけ時が流れた。
戦況は既に掃討戦。蜘蛛の子を散らすように逃げていく帝国兵と、それを捕まえて捕
虜としていくガゼフの部下たち。
周囲の安全が図られた頃、ガゼフから口を開いた。
﹁おいっ⋮⋮﹂
に収めて村の中へ入っていった。どこか項垂れた様子で。
ガゼフの言葉など聞こえないかのように、男は風を切って血を払うと、巨大な刃を背
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ただけないだろうか﹂
﹁あの数の賊を相手に、村を背負って立った貴公の雄姿に感銘を受けた。名を教えてい
周囲には積み上がるほどの帝国兵の死体。
男は動かない。
﹁まずは感謝を。村を救っていただき、言葉もない﹂
ガゼフは重々しく頭を下げる。
賊を退治するために王の御命を受け、村々を回っているものである﹂
﹁││私は、リ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ。この近隣を荒らしまわっている
36
尊敬する戦士長への無礼な態度に、その部下は身を乗り出すもガゼフはそれを制す。
﹁良い。なにか事情があるのか、ただ寡黙な御仁なのか⋮⋮。なんにせよ本隊は追撃に
行った者らの帰還を待ち、村人の安否確認と捕虜への尋問だ。そして念のためあの御仁
にも何人か付いてくれ、刺激せぬようにな。俺は村長と話してくる﹂
そうやって指示を出すとガゼフも村の中へ。
村内に家の外へ出ている人はなく、色で言えば灰色の寂しい風景。さっきの男ももう
見当たらない。
︵せめてポーションだけでも渡したかったが⋮⋮︶
村を襲う賊は既に討ち取られた
安心して
!
﹂
しかしまだ残党が隠れている危険がある、村長
私は王国戦士長ガゼフ、王の命によりカルネ村に参上した
強く印象に残る黒衣の男。しかしまずは王国戦士長としての役目を果たす。
くれ
から知らせがあるまで外に出ないように
!
!
その少女を表すとすれば、路傍に咲いた小さく黄色い花だろうか。
意を決したように飛び出してきた。
村人たちは小さく扉を開けるだけで、いまだ怯えの残る空気。その中で一人の村娘が
扉から村人たちがちらほらと顔を覗かせ始め、灰色だった景色に色が付き始める。
声を大にして呼びかける。ガゼフは太い首から発される声は村中に響き渡ると、窓や
!
!
﹁村の者たちよ
第4話 三本目の手
37
話を聞くにどうやらその少女は、ホークウッドなる人物を探しているようであった。
﹂
自分は確実に間に合わなかった。そして目の前の娘にも、凶刃が迫っていたであろう事
数十の剣と矢を、その身一つで受け止めたあのホークウッドなる人物が居なければ、
こくりと頷く少女。
﹁恩返しも生きていてこそ、まずは健やかに生きることだ。それが君の誠意だろう﹂
る。
なく無事を祈ることしかできない。と、まるで懺悔するように語る少女にガゼフは応え
その少女はあの黒衣の男に恩があるようで、しかしに自分に差し出せるようなものは
まずは安堵の声。
の村を守ったのは彼だ﹂
﹁安心してくれ、彼は強い。怪我はあるようだが賊なんかに遅れは取らなかったさ。こ
当然ガゼフはその人物に心当たりがある。
配していた。
なんでも村を襲う賊に一人で立ち向かった勇者がいるという。少女はその安否を心
ガゼフが問うと少女は俯いて話し始めた。
﹁む⋮⋮その方は
?
38
実をガゼフは内心で噛み締める。
﹁すまないが村長のところへ案内して貰えないだろうか。被害の確認と事の経緯につい
て話さなくてはならないんだ﹂
それからガゼフは少女について村長宅まで歩いた。
胸を張らず少女に合わせた小さい歩幅で。
村長宅に着くと挨拶もそこそこに、お互い知りたいことを聞き、知らせたいことを口
にした。
早朝ということで狩りや薬草摘みに行っていた者もおらず、他の村などに助けを求め
に行った者の確認はまだ済んでいないが、村に留まっていた人々は全員無事であろうこ
と。帝国の兵に襲われるような心当たりは当然、この村や周囲の村々にもなかったであ
ろうこと。
そしてホークウッドなる人物は、ガゼフを案内した少女エンリとその父親を街道でモ
ンスターから救い、彼らを無事に送り届けるためカルネ村まで足を運んだこと、だがそ
の素性は村長にも知れないということがガゼフに伝えられた。
しかし御方は酒も料理を求めることなく、村の状況をお察しくださったのか路銀すら要
﹁村も少々逼迫した状況で大したお構いもできず、私は古い空き家の鍵を渡しただけ。
第4話 三本目の手
39
求されませんでした。鍵をお渡しすると﹁長くは使わない﹂とおっしゃて、ただ静かに
空き家の方へ向かったのを覚えております。村長として村民を救ってくださった彼を、
﹂
ささやかながらにでも歓待できないのが恥ずかしくなりました﹂
そう話す村長。
ガゼフはそれを聞いて思わず口に手を運ぶ。
なんと立派な御仁であろう。
ガゼフは村長に問う。
﹁彼はなにか村に所縁のある人物ではないのだろうか
﹁そうであったのなら⋮⋮村はホークウッド様の名を代々に渡って語り継がせていただ
ガゼフは全身に突き立つ矢を物ともしない、ホークウッドの立ち姿を思い出す。
宿の恩に報いるため⋮⋮あれほどの矢傷を受けてまで⋮⋮﹂
﹁では⋮⋮まさか本当に、なんの見返りなしにあの戦場へ身を投じたのか⋮⋮まるで一
くらいで⋮⋮﹂
と、今日まで伝えられている事でしょう。我々のできたことなど、宿を一夜貸し与えた
﹁この小さな村であのような大人物との縁などあれば、先代先々代からのものであろう
だ目の前にいたから手を差し伸べた、などとはやはり考えづらいのだ。
宮仕えで腹の黒い貴族に毒されてしまったのだろうか。本当になんの理由もなく、た
?
40
くしかありません。それが出来なければ、この村は言葉を持たぬ恩知らずの畜生が住む
村という事です﹂
確かな語気で語る村長。
そこまで聞いたガゼフはまさに英雄章の一端に触れたような、衝撃に似た感慨と感嘆
に浸っていた。
だがその時、唐突に扉が開かれた。
周囲に複数の人影、村を取り囲むように接近しつつありま
マジックキャスター
!
える魔法詠唱者だ。第三階位と言うと選ばれた者のみ到達しうる、才能の壁を超えた階
あれほどの天使を召喚しコントロールできるとなれば、最低でも第三階位の魔法を扱
そしてそれを従える魔法詠唱者。
見えたのは宙に佇む天使たちの鋭利で硬質なシルエット。
まだ距離はある。しかしそれはなんの気休めにもならない。
そしてガゼフは家屋の影から村外の様子を窺う。
じた。
村内で村人の安否確認をしていた部下たちへ、住民の避難継続と隊員の全員招集を命
報告を聞くや否や、ガゼフはすぐ村長やその家人の頭を下げさせると外に飛び出る。
す。そしてそれらの様相は魔法詠唱者に類似とのことです﹂
﹁戦士長、哨戒班より伝令
第4話 三本目の手
41
42
位である。人類全体で見てもそこに到達しうるものは極希少、選りすぐりの精鋭と言っ
ていい者たちだ。
それが一人や二人ではない。十か二十か、いやもっと。余裕をもって村を包囲してし
まう程の人数が揃っている。
これほどの魔法詠唱者を集めた精鋭部隊は帝国にもないだろう。可能であるとすれ
ば、ガゼフの知る限りスレイン法国の特殊部隊、六色聖典のいずれかか。
一軍に匹敵する戦力。村を一つ、部隊を一つ、相手にするにはあまりに過剰。
なぜこんな戦力がいまここに。
ガゼフは分かっていた。狙いは十中八九自分の命であると。心当たりは山ほどある。
そして自分一人の命で済むような状況でないことも分かる。自分が倒された後、村人
と部下たちを当たり前のように皆殺しにしていくだろう。相手は法国特殊部隊。村人
らは勿論、軍馬を駆る部下たちでも、きっと逃げることは敵わない。
そして戦っても勝ち目はない。
相手は十二分にこちらを圧殺できるだけの戦力を揃えている。掌の上。計算の内な
のだ、今の状況全てが。
︵いや、法国も我々も王国の貴族らも計算外のことがある。一つだけ︶
今この場で、唯一法国の手の上に乗っていないであろう存在。
第4話 三本目の手
43
イ レ ギュ ラー
神ですら見通せなかったであろう、余りに唐突な不協和音。
謎の流浪人ホークウッド。
今、三本目の手により鍵盤が鳴らされる。
演者も奏者も作曲者も。
誰も予想できない不協和音。
のかはホークウッドにも分からない。
ならばきっといつか剣を持って相見える事になるだろう。それが今か、まだ先である
王国戦士長と名乗ったあの男は、この世界において一際大きな存在感を放っていた。
︵やはり異形の類を狙うべきか⋮⋮いや、人間にも一人だけいたな︶
これでは例え、弱者をいくら襲ったところで不毛というもの。
大には足しにもならない程度だった。
たが、一人当たりの回収量はゴブリン以上オーガ未満と言ったところ、自身の存在の増
ホークウッドは先ほど、矢傷を受けながらもに三十に迫る程度の人間のソウルを奪っ
ていく。
黄金色の液体が喉を鳴らして落ちていくと、ホークウッドの傷が不気味な速度で癒え
全ての矢を抜き終えたら、仕上げにエストを口へ流し込む。
静かな空き家に響くのは、肉が抉れるグロテスクな音だけ。
く。滴る血も鏃の返しも、意に介す様子はない。
やじり
椅子に腰かけたホークウッドは、まず自身の身体に突き立つ矢を力任せにただ引き抜
第5話 馬鹿が掴んだ翼
44
鼻から抜けるエストの臭いにうんざりしながら、武具防具の整備を行っているとドア
がノックされた。
ノックの音からして素手ではなく手甲。音の位置からして体格の良い男性。音の柔
らかさからして粗野ではなく落ち着きを持ち、それなりに礼を知る者。
思い当たる人物といえば、さっきの王国戦士長である。
ホークウッドは座ったまま机をトンと鳴らす。
それで通じたのであろう。一拍置いてドアが解放される。柔らかな陽光と武骨な鎧
を纏った偉丈夫が敷居を跨いだ。
﹁⋮⋮失礼する﹂
◇ ◇ ◇
ガゼフは机に並べられた血塗れの矢に一瞬視線を奪われながらも、王国式の礼を崩さ
違いなく人々の心に記憶されるであろう﹂
人たちを守ってくれたことへ改めて感謝を。たった一人で命を張った貴公の雄姿は、間
で禄を食んでおきながら、村の危機に駆けつけることのできなかった我々に代わり、村
ろく
ティーゼ王国より王国戦士長の地位を預かっている、ガゼフ・ストロノーフ。そして税
﹁ホークウッド殿、大事無いようでなによりだ。改めて名乗らせてもらう。私はリ・エス
第5話 馬鹿が掴んだ翼
45
ず真摯な口調で語りかける。
思いつく限り最上の賛辞を述べるガゼフに対して、ホークウッドは無作法無遠慮を崩
さない。
バスタードソードを研ぎながら感慨もなく言う。
﹂
?
下たちの次は村人たちを、容赦なく殺すだろう。私も王の剣として決して折れるわけに
﹁しかし、奴らは当然ここにいる者たちを誰も逃がす気はない。私の次は部下たちを、部
そしてガゼフは頭を下げ、 終には膝を着く。
しまい
ホークウッドは黙々と砥石を当てる。その度に刃が鋭さを増す。
のであれば、狙いはまず私だ﹂
者たち。控えめに言っても戦略を動かす程の力を持っている。貴公に心当たりがない
﹁今この村は、魔法詠唱者の部隊に囲まれている、全員が最低でも第三階位を使う高位の
マジックキャスター
一定の間隔を保つその音が、普段より騒がしいガゼフの心音と妙に重なる。
石と刃が擦れる研ぎ音。
てその剣を振ってくれないだろうか。報酬は望まれる額を約束する﹂
ふる
﹁⋮⋮まったくだ。貴公の偉大な良心に付け込む恥を忍んで依頼する。今一度、死地に
う
﹁そうかい、それでどうした。その大仰な肩書が暇するほど、平和な時世ではないんだろ
46
はいかない。なにとぞ⋮⋮
││風切り音。
なにとぞ⋮⋮っ
﹂
!
けんそう
﹁ああ、私にはもったいない地位だ﹂
﹁王国戦士長と言ったな﹂
の鈍い光が映る。
顔を上げたガゼフの目には、ゆっくりと立ち上がるホークウッドとバスタードソード
﹁王の剣、か⋮⋮﹂
壁に走る剣創はガゼフをして見事の一言。
た。
ホークウッドが椅子に座ったまま、水平に振るった一刀は部屋を真っ二つに両断し
頭を垂れたガゼフのすぐ上で、短く響く空気の悲鳴。
!
﹂
?
と聞いた。要求は俺が円滑に、より強大な異形へ近づけるよう、お前の名を用いて取り
﹁俺は最寄りの街で冒険者というものになるつもりだ。異形を狩るにはそれが好都合だ
当然ガゼフは説明を求める。
ホークウッドの交渉は良くも悪くも短い文脈で行われる。
﹁名⋮⋮と言うと⋮⋮
﹁では報酬にその名を貰おう﹂
第5話 馬鹿が掴んだ翼
47
48
計らえという事さ﹂
ゴールド
ガゼフはホークウッドの言う異形というのはモンスターの事だろうと当たりを付け
る。
強いとされるモンスターの情報を耳に入れるならば、せめて金 以上の高ランクであ
ることが望ましい。
ブロンズアイアン
プラチナ
冒険者となる場合、本来は何者であろうと採取などを主とする低ランクからのスター
トとなるが、ちらりと見たホークウッドの実力を鑑みれば、確かに銅や鉄どころか白金
やミスリル、ともすればオリハルコンすら見合わない。ホークウッドの一刀を正面から
受け止めたガゼフが評するとすれば、その実力は十分にアダマンタイト級。人類最高峰
である。
そんなホークウッドが冒険者となれば、いずれアダマンタイト級として名を馳せるの
は時間の問題だろうが、それまでに少なくない手間と時間が掛かることは確実だ。
︵追っているモンスターでもいるのか、事情は分からないがなにか目的があるのだろ
う︶
冒険者ランクの飛び級。王国戦士長の地位を広く知らしめたガゼフが本気で書をし
たためれば、特例にはなるが可能であろう。渋るようであれば直接出向く。
気持ちのいい行為ではないが、しかし人を一人死地へ誘うにはまったく割りに合わな
い報酬とも言えた。
﹁なるほど、理解した。しかし本当にそれしきで良いのだろうか
かない。人類という単位で見た王国の事である。
なにか他にも⋮⋮﹂
かったりするとなおさらである。たまに悪知恵などが働いたりすると最悪だ。殺すし
無能な味方ほど厄介なものはない。それが不相応に大きな体をもっていたり、力が強
インは思う。
一丸となり突進してくる王国の騎馬部隊を見て、陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルー
◇ ◇ ◇
﹁⋮⋮承った。この度の依頼、受けて頂き深く感謝する﹂
﹁俺が真に望むものは、絶対に人から差し出されるようなものではない。それだけだ﹂
?
とは、腐り切った王国に相応しいと言えばそうなのか。
一介の冒険者に収まっているならまだしも、このような者が戦士長として指揮を振う
犬でももう少し考えて判断を下す。
罠だと分かっていても、目の前の餌に飛びつかずにはいられない。
﹁やはり奴も大局を見れん無能であったか﹂
第5話 馬鹿が掴んだ翼
49
﹂
おのの
人類の足を引っ張っている自覚も無しに。使命に燃えて幸せそうなことである。
はらわた
﹂
﹁奴らの腸を喰い散らかしてやれええええ
﹁オオオオオオオォ
魔法により錯乱する軍馬に振り落とされる者、天使の横撃に叩き落される者。
部下たちから放たれる魔法も併せて、確実に目標の勢いを削いでいく。
命令を出せば、統率の取れた動きで騎馬の群れに纏わりつく天使たち。
るよう、攻撃よりも包囲を重視して天使を展開せよ﹂
﹁総員戦闘態勢。出迎えてやろう、パーティーの準備は万端だ。ゆっくりお楽しみ頂け
ニグンは一つ息を吐いてから指示を出す。
迫るのは荒々しい蹄鉄の音。
﹁国のため民のためと言って勇敢に逝けるのだ。喜んで死ね、ガゼフ﹂
準備に準備を重ねてここにいる、それを怠 った貴様らが我々に勝てる道理はない︶
おこた
の。どれほどの戦力を用意できるか、そして如何に有利な状況で戦端を切るか。我々は
︵擦り切れるまで声を上げようが、戦闘とは剣を合わせる前に結果が決まっているも
指揮官であるニグンも、まったく威勢の良いことだと鼻で笑う。
の精鋭たちにはどこ吹く風。
ガゼフ率いる王国軍からは、雲まで届く鬨の声。悪鬼羅刹も慄く勢いだが、陽光聖典
!
!
50
第5話 馬鹿が掴んだ翼
51
無様に地面を転げる王国の戦士たちを見て、ニグンはまた一つ呆れたように溜息をつ
く。
︵や は り な に か 裏 や 策 が あ る わ け で も な し。ま ぁ 餌 に 釣 ら れ て む ざ む ざ と こ の 檻 に
入ってきた時点で、貴様は既に詰みなのだが︶
既に騎馬の足は止まった。
地から足を離せぬ戦士たちは、空を舞う天使に端から削られ押し潰されるのみであ
る。それが自然の道理。
全体で見れば明らかに優勢。
だがその道理に、当然のよう逆らう愚か者が一人。
王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。
今回の作戦の目標であり、王国最強の名を欲しいままにする男である。
策略により装備を剥ぎ取られ、その戦力は片手落ち。
それでもなお、目を離せぬほど強き男。ニグンも当然ガゼフに天使を集中させてい
た。
しかし止まらない。
指揮官である自分に向けて、天使を薙ぎ払いながら突き進んでくるガゼフ・ストロ
ノーフ。
﹂
ニグンは無意識の内に、懐の切り札を指で撫でた。
︵死兵か⋮⋮
﹂
﹂
こいつ⋮⋮
︶
!
が、そのツケは必ずやってくる。
身体の限界を鼻で笑うガゼフの動きは、一時的に彼の戦力を人の域から逸脱させる
だがそれも長くは続かない。
ニグンでさえ思わず後ずさるほどの圧力。
後も先も無視した武技の連続使用は、まるで命を捨てた特攻。
!
端から天使たちが切り伏せられていく。
そして、それに伴う一息も付かない滅茶苦茶な連撃。
急激な加速。
﹁武技︽流水加速︾
隙をついて左右から挟み撃った天使たちがまた光に還る。
技後の隙を無視した反則的駆動。
﹁武技︽即応反射︾
上空から襲い掛かった天使が叩き切られて消滅する。
微光の籠った剛剣の一閃。
﹁武技︽戦気梱封︾
!
!
!
52
如何に強固な意志を持とうが人は空を飛べない。遥かなる城壁から身を投げても、宙
にあるのは一時のみ、そのツケは地面への激突である。
││神は馬鹿に慈悲を与えない。
飛び交う魔法を物ともせず、天使の剣を受け止めて、天使に剣を突き立てる。
燃え盛る炎のようなガゼフの一刀ごとに、苦戦する戦士たち全体の士気も隆盛する。
狂った獣に休む暇を与えるんじゃあない
﹂
だがそんなガゼフの、無理に無理を重ねた膝が遂にガクンと折れた。
﹁今だ
!
﹂
例えるならば、二度と火の着くことのない燃え尽きた灰。
陽光纏う天使とも、炎を宿すガゼフとも、対照的なその男。
膝を着いたガゼフの背後。
四体分の光の粒が降り注ぐ中、その男は立っていた。
天使が爆ぜた。
次の瞬間、ガゼフの身に四本の光の剣が突き立つと思われたその時。
前後左右から殺到するのは天使たち。
前のめりに身を乗り出すニグン。
!
!
﹁死に急ぐな。お前に死なれては冒険者組合への渡りを失う﹂
﹁助かる⋮⋮
第5話 馬鹿が掴んだ翼
53
もうりょう
ニグンの目に映る漆黒のマントは、まるで大空を掴む魍 魎の翼。
││善なる神を出し抜くために。
││ならば悪魔は馬鹿に翼を与える。
││神は馬鹿に慈悲を与えない。
﹁すまないなホークウッド殿。しかし貴公がいるから無茶ができるのだ﹂
54
い
つ
第6話 天翼巻き込む二輪の大剣
ニグンには、その男が何時からいたのか分からなかった。
有象無象の戦士共は部下たちに軽くあしらわせておき、ガゼフに戦力を集中する。そ
れで十分。十二分。
ガゼフさえ落とせばそれで終わり。それが今回の作戦の大前提だった。
当然ガゼフを注視していた。あの馬鹿げたな特攻を目の当たりにしてからは釘付け
と言ってもいい。
意識の外からいきなり現れて、天使を塵に変えたあの男の何者かも分からない。情報
が全くない。今までこんな事はなかった。
﹂
法国が聖典を動員する程の計画で、ここまでのイレギュラーがあっていいのだろう
か。
!
ただ確かなのはガゼフが再び立ち上がり、二対の大剣が二輪となって暴れ始めた事
﹁すまないなホークウッド殿。しかし貴公がいるから無茶ができるのだ﹂
﹁死に急ぐな。お前に死なれては冒険者組合への渡りを失う﹂
﹁助かる⋮⋮
第6話 天翼巻き込む二輪の大剣
55
56
だった。
ガゼフが我武者羅に剣を振る。疲労や隙など考慮しない、ひたすらに威力と速さを求
めた攻撃。
思い切り速く、思い切り強く。
後先考えない子供の喧嘩のように単純な戦闘だが、人類最高峰の男がそれをやるのだ
から堪らない。
そんなことをしていれば、いずれ先ほどのように大きな隙、空白ができる。
しかし、それをホークウッドなる男が塗りつぶすのだ。
ガゼフが右を斬れば、ホークウッドは左に剣を向ける。ガゼフが膝を着けば、ホーク
ウッドは盾を持ってこちらの攻撃を受け止めて、天使が近寄れぬよう剣を振り回す。
ガゼフが豪快な剣技で天使を押し切り、ホークウッドが老獪とも言える技術でそれを
サポートする。
かと思いきや時にそれは、瞬時に逆転する。
ガゼフの剛力に天使が一瞬怯んだ隙を突いて、ホークウッドが一気に飛び出し、天使
を補充していた魔法詠唱者に襲い掛かったのだ。
しかし魔法詠唱者の側も狩られる兎ではなく当然精鋭。両隣と合わせて動作の早い
魔法による迎撃を行う。
︽ショック・ウェーブ/衝撃波︾
︽ホールド/束縛︾
真っ向から飛来する三種の魔法。
︽ホーリーレイ/聖なる光線︾
盾も構えず突き進むホークウッド。
武技︽疾風走破︾
﹂
全ての魔法が直撃すると思われた矢先。
﹁うおおおおお
!!
覆る。
戦場の加減乗除がねじ曲がり、ニグンの式が崩壊。十二分だったはずの状況は一気に
二人の戦闘力は加算的ではなく、相乗的に飛躍する。
ガゼフとホークウッド。
叩き潰した。
地面を這うような一振りでまずは両足首を切断。間髪入れぬ次撃で頭部をあっさり
そのままの速度で突貫したホークウッドは、遂に魔法詠唱者を間合いに収める。
ホークウッドの道をこじ開けた。
今度は︽疾風走破︾を用いて前に出たガゼフが、剣で全ての魔法を一気に打ち払い、
!
﹁貴公もまたずいぶん無茶な戦い方をするじゃないか。人の事は言えないな﹂
第6話 天翼巻き込む二輪の大剣
57
﹁⋮⋮放っておけ﹂
神に仇あだなす牙が二本。一人食らった程度では止まらない。
人類の未来を担える逸材たち
ニグンの予想を超える速度で天使削りつつ、魔法詠唱者も端から手にかけていく。
︶
︵彼らはこんな所で死んで良い人間ではないのだ⋮⋮
だぞ⋮⋮
!
良心という幼稚な我が儘にしたがってな
﹂
貴様らは死んだ部下たちが未来で救えるはずだった、何千人何万人という
人々を間接的に殺害しているのだ
!
!
部下から命令を求める声が届く。
イー
ジ
ス
!
もう出し惜しみなど考えられなかった。
!
ニグンの指示が飛ぶと、意を得たりと天使たちの武装が変化する。
﹁戦応陣形﹃神の盾﹄ 時間を稼げ、最高位天使を召喚する
﹂
人類という概念が血を流していく。あってはならない光景に怒声を発すニグン。
!
であるぞ
我が部下らはこれから先、多くの人類を救える英雄たち
ニグンは己の身が切られる思いであった。
そんな彼らが木っ端のように命を落とす。
ただの魔法詠唱者ではない。法国のいや、人類の宝である最精鋭たちがである。
悲鳴を上げずに殉職していく部下。
!
﹁分からんか貴様らああああ
!
58
光の剣は短くなり、そして約半数の天使たちがその翼を折った。
代わりに現れたのは身を覆うような巨大な大盾。翼を捨てた天使たちは地に足を付
け、寄り集まる。
固まって大盾を並べる正面部隊、その上空で中盾も持って機動する応変部隊、その後
方で魔法を唱える遊撃部隊を持って完成する防御的な構えである。
この陣形では前に出られず急ごしらえと言えばそうだが、しかし短時間で局所的にで
﹂
も要塞に近い防御力を得ることができる陣形だった。
﹁ホークウッド殿、なにかする気だぞ
!
かった。
ち が 壁 を 削 り 切 る の も 時 間 の 問 題 だ。し か し 陽 光 聖 典 は 時 間 さ え 稼 げ れ ば そ れ で よ
天使たちも盾の扱いに慣れている訳ではないため、確実に数は減っていく。ガゼフた
うように飛んでくる強力な魔法。
を妨げるように、上から後ろから角度を問わない攻撃を仕掛ける。そしてその隙間を縫
正面部隊は地面に脚部がめり込むほど、ひたすた受けに徹す。遊撃部隊は強引な突破
積極的な攻撃が減った分、戦士たちの被害は減ったが、ガゼフたちの足は大きく鈍る。
天使たちは持ち前の機動力を失い、攻撃の射程も半減している。
﹁ああ、だがやっかいだな⋮⋮﹂
第6話 天翼巻き込む二輪の大剣
59
自ら手を下さずとも良いのである。
なぜなら後数分も待たず、絶対なる神の審判が下る。
それまで生き延びれば勝利なのだ。
そして時は訪れた。
神話世界の存在。
魔神をも屠る最高位天使。
それは翼に翼を重ねた巨大で異様な姿。
太陽すらも掻き消すほどの不自然な光が、傲慢に全てを照らす。
呼び出したニグンでさえ跪きたくなるほどの畏れ。その正体は背後に纏う神聖な威
ドミニオン・オーソリティ
光にあるのか、それとも人類では太刀打ちできない圧倒的な暴力にあるのか。
収束する光。
﹁ガゼフ、そして黒衣の剣士。愚かな貴様らを私は生涯忘れんよ﹂
全ては誤差の範囲に収まる。
敵戦力が二乗だろうと三乗だろうと関係ない。
敵の強者が二人だろうが三人だろうが関係ない。
こうなればもう全ては無意味。
﹁威光の主天使。皆の者、これが正義だ﹂
60
神の御業の顕実に、誰もが縛られたように動けない。
ことわり
絶対者への畏れに敵も味方も関係ないのだ。
それがこの世の摂理。
﹁神の審判だ﹂
ホーリースマイト
神の威光を無視できるのは、この世の理から外れた一人のみ。
とても適切な使用法とは言えないだろう。
本来は対魔神に用いられるべきその攻撃は、羽虫に向けて大砲を撃つが如きであり、
もない威力。
ホークウッドただ一人に襲い掛かるのは、明らかに人に向けて放つべきではない途方
見れば目を焼かれるほどの力の奔流。
抉れる大地。
そして直撃。
ガゼフは剣の腹で大きく弾き飛ばされ、光の射程外へ逃れる。
我を失っていたガゼフは、ホークウッドの剣を無防備に食らったのだ。
途端、強い衝撃と共に、ガゼフの身体が宙に浮く。
雲を消し飛ばし、ガゼフとホークウッドに向けて一方的な善が降り注ぐ。
﹁善なる極撃﹂
第6話 天翼巻き込む二輪の大剣
61
善はあまりに過剰な暴力を見せつける。
神の審判が下りた後、その後に残されるのはただひたすら徹底的な破壊の痕跡。
そこに居たはずだった、一人の男の亡骸すら見つけることは出来ない。
抉れて焼け焦げた地面に転がる鉄の欠片は、ホークウッドの装備の破片。
ホークウッドに対する侮辱の言葉である。
土となりたいのであれば⋮⋮﹂
﹁神に逆らう愚か者は土に還る事すらできんのだ。ガゼフよお前もせめて死後、王国の
だがそんなガゼフの耳が捉えた言葉が一つだけ。
今の彼には、心酔する王の言葉すら届かないかもしれない。
衝撃的な事実の連続に、茫然と打ちのめされるガゼフ。
そんな情けない自分を、命を捨てて救ってくれた恩人のあまりに苛烈な死に様。
天使を前に動けなかった自分の情けなさ。
降り注ぐ人外の力。
だ﹂
だったな、その力とその勇は認めよう。だが知がまったく足りん、やはり人類には害悪
﹁ガ ゼ フ だ け で も 逃 が し た か ⋮⋮。何 者 か は 知 ら ん が 名 く ら い は 名 乗 ら せ て お く べ き
﹁ホ⋮⋮ホークウッド殿⋮⋮﹂
62
﹁貴っ様あああああああ
血を吐くような叫び。
﹂
アークエンジェル・フレイム
ガゼフ全方位から襲い掛かるのは、神の盾を解除した炎 の 上 位 天 使たち。
イー ジ ス
﹁⋮⋮最高位天使の御前だ。皆、愚かな忠臣にせめてもの慈悲を﹂
ガゼフは血走った眼でニグンに突進する。 !
その光景は天に降臨した神話と同様、いやそれ以上に人々の目を釘付けにした。
塵も残さず消滅したはずの男が起き上がる。
││ああ、呪いは⋮⋮まだ⋮⋮⋮⋮。
声が響く。
地を這う者たちの、血も精も根も、そして命まで尽き果てようとした時。
士気の砕けた王国の戦士たちも一気に押される。
満身創痍の戦士長。
何十と群がる天使たち。
︵あれはただ愚鈍なだけではないぞ⋮⋮︶
﹁哀れなガゼフよ。貴様は主を間違えているのだ⋮⋮。なぜあのような王家に⋮⋮﹂
第6話 天翼巻き込む二輪の大剣
63