YMN001101

・
螢 の巻の物語談義
一
%
ェ 官長の煩悩即菩提説 否定
ヒ具
卑科 紀要 射 東京大豊 教養軍部
物語方便説は煩悩即菩提説に闇係あるか
で述べよう。
教誠的のものが蟹祓されてゐる。これについてはこの論の第二の節
物語の虚構性をとり上げた部分に重 貼 があり、最後の 物語方便 調め
疑問があることを述べてゐる。ただ阿部の解程は物語談義における
く宣 長のもののあはれ論の立場からの螢の巻の物語談 義 の解 程には
︶
っ8 1㏄は、 官長のもののあはれ論に批判を加へる と ともに、同じ
阿部秋生螢の巻の物語論人文科
か へって原文の意味から離れてゐることを指摘してる る。
物語談義の解 樺は 、そのもののあはれ論を無理にもち 込んだため、
詰論として極めてすぐれたものであることを肯定しつ つ、螢の巻の
1法華経から見た源氏物語の
|構成
螢の巻の物語談義の物語方便説 に開達して、煩悩即菩 提説、この
物語談義の源氏物語の構想上から見た意味などについ て考察を加へ
て見よう。
貫長は玉の小櫛の冒頭にもののあはれ論の立場からこ の物語談義
をとり上げてゐる。しかし貫長は佛教約数誠観を否定 して め るの
において、
で、物語談義の中心、物語方便説の意味を十分に理解 してゐないと
思ふ。
吉澤義則は源氏 随放 ちおの螢の巻の物語諭を解く
官長の立場を踏襲しつつ、物語方便説 によって教誠的 のものを強調
してゐる。その貼に貫長調との間に少しずれがある。
淵狂文也は螢巻物語談義 説試論|宣長 ﹁物のあはれ﹂
説への一條
正|祠 月商科大宰論集︶のの
1∼
の︵物語文畢の思想序説 | 源氏物語の
美質|に攻 む︶において、官長のもののあはれ諭それ自樹は源氏物
目た
日
Ⅰ
方便即眞貫 、煩悩即菩提の説について考へて見よう。
これは源氏
物語論に直接の諦 係 はないや ぅ である。しかし、全然き うともい へ
ないところがある。
螢の巻の物語談義に物語方便説が提唱せられ、作者はそれに開運
して菩提と煩悩、善悪のことにふれてゐる。
河海抄は註して
煩悩即菩提きとれば菩提となりま どへぱ 煩悩となるなり 、此等
の 心地
といつてゐる。
天台散事では煩悩即菩提を ぃひ、勿論それは常識的であると一膳
述べてゐる
い へよう。しかしここで煩悩即菩提といふことを作者は
であらうか。また源氏物語はそのやう な理念によって 書 かれた 佐仕口印
であらうか。
室長はそれを否定してゐる。そしてこの場合は宣長の見解が正し
いであらう。
問題の本文はつぎの通りである。
いひもてゆけば一つ旨に営りて、菩提と煩悩との隔りな む
この人の善きあしきばかりのことは愛 りける。
貫長はこの文脈について
化 といふより右のたと へを物語ヘムコせたるにて ,化 とは 、物語
一
書 をさしていへる也、人は物語の中なる人世、かはひ げ みとは
の僻説 め、菩提と煩悩とのへ
龍 友成 佛 の事など
た たりを説きたるがどとしと 也
物語どもに人のよきあしきとのかほりたるきまを書た ろ は 、か
と説明してるるのが明快である。貫長はきらに
菩提と煩悩とのへだたりといへるところに、
ひ にて 、 いみじきひがことなり、
此菩 提と煩
を引出て煩悩即菩提差別なきことをひはれたるは、へ た たり あ
ると、表裏のたが
悩 とのへだたりといへるは、物語にいへる人々の、よ きあしき
とにたとへたるものなるを、差別なしとしては、人も、 よ き め
しきなしといふ意におつるものをや
といつてゐる。文意をとらへて飴す所 なしといつてよ い。問題の本
文 を忠貫に解程 するならば、この宣長の見解以外のも のがいはれる
筈 がない。本文を離れていろいろのことをいふのは自 出 であるが、
煩悩を説く
佛典の菩提と
% どんな 意 味 であら う
佛 典は菩提を説くだけでなく、
それはここの本文の意味と結びつかないであらう。
問題の本文を註して、
とか、あるいは煩悩を嶌すとかいふのは一
か 。佛共 には煩悩はいかに説かれてゐるであらうか。
煩悩は物語の善悪に対比せられてゐる。しかし物語が悪を描くのと
等 同に 佛共 に煩悩が説かれ、 嶌 きれてゐるであらうか。
物語ては善悪ともに描かれる。ある作品では善 よりも 悪が 多く描
を差でい必に
@
.
る
をでか
のるすい。 排 あ れ
こともある。その方がむしろ物語として面白いともいへ 60
に帰着することをいつたものである。菩提と煩悩とが同一であるは
は 、このや う に 僻説の方便の教へも結局員實に 違背せず 、同じ趣旨
どい ふことを作者はここで決していつて ゐないのであ る 。ここの 水
儒佛の基準によ るき口悪
て、それをもののあはれ論的の立場からのみとらへよ,
フとす
文は煩悩即菩提 説 をもち出さないと、 解程 が出来ない ところではな
︵貫長は善悪について論ずる時には
の宣長の見解は偏狭である。勿論物語談義の中で﹁よき さま
い。むしろそれをいふと解粗が 面倒なことになって分ら なくなると
亡と 作者がい
ふ 場合、
とてはよきことの限りをえり出で:・
ころである。そんな
も道徳的なものに拘泥する要はない。ただしいま問題 にして
ないのである。
い 。佛典 において菩提と煩悩が問題になるのは、煩悩を断じ
な
る。もし作者がそのやうな理念で作品を書いてゐるならば、ここは
いふやうな理念によって作品を書いてゐるだらりかといふ問題であ
考へても、明らかであらう。すなはち作者は、果して煩悩即菩提と
物語談義のこの木文の意味は、さらに式部の物語制作の態度から
2 源氏物語は煩悩即菩提の理念で書かれてゐるか
所 の本文では、善悪を佛典の菩提、煩悩に封 比させて る るの
から、これは 嘗然 宗教的、道徳的の意味にしぼって 解 裡 して
ない。︶ 佛典 では事情が異なる。神聖なる経典では菩 提 や書
のに重戦があって、それと同じ程度に煩悩や悪が説かれ るこ
を成ずるためてある。
い。況んや悪臣 理 に興味をもつて描くといふやう なこと はあ
く
な
に方便と 眞實の相違があっても、結局﹁一つ旨に営 る ﹂ と作
こへそれがもち出きれるかも知れない。もしきうでないならば、こ
作者が物語制作の趣旨を述べてゐるところであるから、あるいはこ
って め るのは、たと ひ 多くの経典があっても、
生 の賢相を示し、煩悩を断じ、菩提へ導く趣旨において 一致
いふ意味である。﹁一つ旨に営 る﹂といふのは、法華経以外
だらぅ。
るであらうか。わたくしはそのやう には考へない。源氏物語は天台
また源氏物語には煩悩即菩提といふやうな理念が具象化 きれてゐ
のやうな天台 数畢的のものを必ずしも説かない。︶をも 含め
三大部六十巻の法門の深意を示すとか、皆空、あるいは盛者必衰の
一一
く諸経の趣旨の一致をいつ てぬ るのである。﹁一つ旨に 営る ﹂
の経典、たと へば小乗の戒律を説く経典類 ︵諸法賃租、
こへ煩悩即菩提といふことをもち出す必然性は特別にないといへる
い づれも それ
提
説
い
人
と
く
廣 捷
と
り
て
鈴計 のものをここへもち出して解程 する必要は
る
る
し
こ
ふ
し
箇
る
文
へ
菩多る " が 佛菩得 が説
即のすは者
て"
理 をあらはすといふ風に古来いはれて来た。しかしそれはいづれも
ならぱ、ほとんどすべての人が落伍者になるであらう。
買埋、道徳の最高 0基準によって、もし極端に不寛容の立場に立つ
反射に寛容の立場 に立つならば、たとひ修澄に深浅の相違はあ っ
漠然としたものであった。大久保良順天台 数 豊から見た源氏物語
佛数女畢研究|ぢ S は、ある程度このことを作品の内容に即して具
大久保は源氏物語の中の煩悩即菩提的のものを肯定して、作品の
をさ へそのままに肯定することになる。何故に苦んで自己の能力の
ろう。もしそれを極端に徹底すれば最低のもの、あるいはそれ以下
ても最低のものを必ずしも虚妄として排斥する必要がなくなるであ
中の底報や勧善懲悪の教誠を素朴草純に解程 せず、諸法賢相、善悪
限界を越えた至難 のものを求める必要があるだらぅか。
%的に考察してゐる。
不二の圓教の精神でとらへるべきであるといつてゐる。果してさぅ
根、下機のものを 6対象にする以上このやうな寛容や妥協もやむを
宗教は決して上根 、上機のものだけに罰 して説かれていない。下
天台数畢 における本覚、迷悟不二、あるいは煩悩即菩提といふ教
得ないであらう。極端な自力聖道門的な難行道である天台数畢は、
であらうか。
説は観念的にそれをある程度まで理解することは出来るであらう。
極めて高い理念をもちながら、結局道徳的、宗教的に不毛に終ると
時代はまだ煩鎖 な天台の止観の行法を捨てて祀的な端的な修行方
しかし問題はその實際 の修燈万法やその段階にある。菩薩 の行伍の
階を説いてゐる。煩悩即菩提といふ宣教的悟りの境地 には最高のも
法を説く段階にまでも到ってるなかつた。他力易行道の浄土門系統
いふ危険があったといふことがそこから考へられる。
のから最低のものがある。そして天台数豊 では買埋、道徳に掬する
の念佛は人間に封 する寛容な態度を進められる極限まで進めたもの
最高のものとして等覚、妙覚があり、天台ではそこに到る多くの段
この最高のものと最低のものが猜特の状態で結びついて める。
ない。菩提心を霞して浅きを去って深きを求め、一歩でも高く登螢
見れば深浅の段階の相違がある以上、それを簗撫する ことは許 きれ
の教化の手段とし ては、いろいろ方便的なものが説かれたであらう。
のためには最高の基準の眞理と修行の万法を示し、それ以外のもの
た。恐らく天台においては、専門の聖職者あるいはそれに近いもの
といへるだらぅ。天台自彊はそこまで踏み切ることは出来なかつ
すべきであらう。止悪修善の日常生活の行持においても同様のこと
源信の往生要集の出現はある程度嘗時の天台の状勢を示してゐる。
ここに寛容と不寛容の問題がある。嚴甫主義、不寛容 の立場から
がいへるであらう。そして結局天台は自力聖道門の難行道である。
それは新菖思想の過渡期に立つてゐる。
問題を源氏物語の万へもどきり。源氏物語の作者が煩悦郎菩提の
ロ的のものの
理念によって作品をもし書いてゐるとしても、その天ム
修澄の段階が問題になる。勿論最低ではないが、 また最高でもな
諸法實相 はあるがまま、花は紅、柳は緑といふことである。源氏
を加へて、鈴裕のある態度で︶書いてゐることが煩悩即菩提とい へ
物語が善悪ともにありのままに嶌貫的に、 ︵あるいは
虚構、理想化
るであらうか。この程度のことは事々しくそのやう にいって説明す
る必要がない。これはこの問題に対する解答にはならない。最低の
悟りの立場に作者があっても煩悩即菩提とい へばいへるのである。
もし式部がもし眞に煩悩即菩提の立場に立つてそのや,
つむ人生観
照を作品に具象化したならば、結果的には現在の作品と柏営大きく
異なった性格のものになったのではなからりか。
源氏物語の中には源氏その他の人物の求道、菩提を成ずる過程が
描かれてゐる。しかしそれらの人物の人生観照の態度が果して煩悩
即菩提的のものかおぼりかない。それらはみな菩提と煩悩の隔たり
の厳しt妾
n描いてゐる。
の過程を辿って、結論的にそこには完全な煩悩即菩提といふ境
まで到達したことが描かれてをらす、むしろ小乗的の信條 であ
いつてゐる。これは極めて妥営 な見解であると思ふ。
のことは藤壺や八宮の死後の鷹報の記事のことを考へると 一層
かになるてあらう。藤壺、八宮らは生前の罪、あるいは臨終の
なほ断じ切れなかったねづかの妄念のために、死後患所に堕ち
患なうけてゐる。これは煩悩即菩提の立場からどう理解きれる
らぅか。
たくしは源氏物語は煩悩即菩提の理念によって書かれた件目
叩で
と簡軍に理解することは出来ない。そこには自力聖道門的な不
Po
の印て
にこ
おの
い
な嚴斎主義がある。それは極端な難行道であり、小乗的のもの
へいへる。わたくしは近著源氏物語新見
をとり上げて論考を加へた。
物語談義は構想上どんな意味をもつてゐるか
物語方便説
の巻の物語談義、特に物語方便説が源氏物語の構想上ど んな意
もつてゐるかについて考へて見よう。螢の巻の物語万硬調はた
こに挿入せられてゐるだけであらうか。わたくしはきフ
,とは考
い。煩悩即菩提の理念は作品の中に具象化せられてゐるとは考
五
岡崎義恵は光源氏の道心について日本文 孝講座3 おの肚㏄
|︵ヰハ
源氏の道心と改題して日本文藝畢その他に攻む︶にお いて、源氏の
と
な
それは藝術的な人生観照としてはどの程度のものであらうか。
地 衣
に 道
際 明
る
て
こ
ら
に
る
で
苦
あ
わ
あ
と
寛
容
き
問
顕
1
た 味
そ
を 螢
へ
へてゐないが、物語方便
る ると思ふ。
"
/
㌧"
"""
物語談義は物語の虚構陸 だけをめぐりてなされてゐ るのでなく、
てそれを肯定してゐる。このやう な致用を認めること は、決して 物
この最後の讐楡の部分で、物語の教誠的敷用を問題としてとり上げ
けられる。
語を宗教や道徳に隷属させようと考へるものではない。むしろ 反 封
説 はやはり作品の理念や構想に結びついて
物語談義は前半、物語否定観と 、後半、物語肯定観に分
語 談義が 品
に、物語が士君子の風雅の丈豊や、wi
︵これは湘江文也の段落の分け方による。阿部秋生は物
定 と同じゃうに法華経三周説法の形式によって構成されてゐると 考
的、敷用 をもつてゐることを明らかにして、物語の地位 そ それらの
物語談義の重心は勿論その後半、物語肯定観にある。そして論旨
が注意してゐるやうに、物語の虚構性をとり上げてる るのは、決し
内外の典籍のレベルまで近づけようとしてめるのであ る。また湘江
らに佛
経典
史な
、どと同じ目
へてゐる。 湘江の分け万の万が簡 事 で理解しやすい。︶
を要約すれば、物語には虚構があるがしかも物語は事實以上の眞 實
て物語濁自の虚構をそれ自韓 として新しく主張して、営時の文 藝 に
対する博統的通念を催破するためではない、むしろ物語方便 説 を生
感を讃 者に 典 へるといふことになるであら,≦。
作者は物
張 して物語をそれらと同じ系列のものに編入しょうとしてゐる。宣
さて問題はつぎの貼にある。物語談義の最後において、
語の虚構を佛典の方便の教説に讐 へてゐる。この 警楡 のうけとり 万
江はこの鮎をとらへてよく説明してゐる。
長 はこのやうな物語談義の論旨を無規し、阿部もそれに禰 近い。 淵
警楡 はあくまで 警楡 ほとどまる。なにも新しいこ とはいはれ
が 問題になる。それには二つの見解がある。
1
わたくしは物語方便説を肯定し、支持したいと思ふ。作者は正面
、 ほつきりいは
からそれをはつきりいつてゐない。そのやうな場ムロ
てゐない。これまで述べて来たことの繰返しに過ぎない。阿部は法
華経 三周説法の形式によって物語談義の構成をとら へ てゐる。その
ないのが式部の筆癖である。讃者はそのやうな意圓を 推測してくみ
源氏物語の表現にほ陵味なまた腕虫なものがある。しかし物語談
とるべきである。
やう な考へ万によれ ば 、結果としてこのやうな見解に なるであら
楡は草 なる警楡 ほとどまらず、それ以上の意味 をもつ てゐ
義 においてはこの最後の警楡の部分に、煩悩、菩提や善悪について
%
る。その背後に物語をもつて僻説の方便の教へに擬する意圓 があ
投ね、それ以前にも同様に物語の中の人物の善悪について述べて る
2
る 。︵これを物語方便 説 と呼ば う 。︶
Wl
る 。作者は物語談義において物語の虚構性だけでなく、
の善悪の描 嶌は ついて強い開心を示してゐる。
作中の人物
語に
談義の部
物ら
問題にまで 開係 あることを指摘して
何か 営時 皇統纏承 問題があって 、内々論議せられて ぬ た 、
而してそれに興味を持つた式部は 、例の批判熱 抑へ 難 く 、その
殊 にきうい
見たい
分だけでなく吉澤義則が指摘してゐる やう に、作品全 膿 において、
といふ やう な臆測を下してゐる。
られない
を 構へ、また 國 家の大事にまで口を入れようとすることは考へ
ふさがなきを 誠 めて ぬた式部として、わざ
ノ Ⅱ 、かう いふ大罪
で無ければ、::おふけなくも、婦人の身として、
登表 の機 命日を作ったのが、密通の一場であったと考へて
も ののまぎれを
作者は道徳、特に悪の間頭 に ついて極めて細かく神経を 働かせて る
る 。そしてこれは特に作品の中核主題、藤壺事件、
描く作者の態度について考へられるのである。
物語談義が物語の虚構性をめぐりてだけ震 きれてゐる なら ぱ、そ
れはこのや う な作者の制作態度、また作品の理念や構想 とほとんど
結びつかないであらう。反対に物語方便説 をとるならばそこに重要
皇位 経承 問題といふ やう な歴史的政治的のものについては不明で
してこの問題は考へることが出来る。これは時代を超越した意義を
ある。またたとひそのやう な事實があったにじても、
印
な意味が見出きれることになる。作者 は物語方便 説に よって作山口の
中に何故友道徳的の悪を描くか、何のためにこのやうな物語を制作
2 何故作品の中に急が描かれるか
である以上直接の教誠でないことはいふ までもない。︶ 官長はもの
だけではなく、宗教的、道徳的の教誠でもある。︵しかし文事作品
徳的、宗教的の問題である。それは政治的、時事的な問題への 楓諭
もつてゐるであらう。すなはち罪や 作戦、それからの離脱などの道
そ れをぬきに
するかといふことをここで説明して め るのである。
藤壺事件もののまぎれ ば、 たやすくは描けない異常極端な反道徳
悪 、藤壺事件、もののまぎれは作品の中にいかに展開されるであら
さて作品の中の世界に描かれてゐる悪の中で一番重要 な 大きな
る 。それは 妥嘗 でない。
のあはれ論的な立場からこのやう な 楓諭 的のものを 強 く 否定して る
的の性質の題材である。作者は何故藤壺事件、もののまぎれの やぅ
な重大な題材に闘心をもち、それを えらんで書いたの であらうか。
篇章 は柴家 セ論において作者本意、一部大事説 を説 い て訳論説 を
唱へた。
吉澤義則は源氏 今かがみこトのにおいて、この事件 が 皇位 縫承
七
ぅか。作者は作品の中核主題であるこの事件を普通の手法で讃者
示さない。それは作品冒頭部の極めて特異な大省略によって瀧化
て表現きれてゐる。恐らく作者は道徳上の理由からこれを眞正面
ら百鳥することを敢へてしなかったのてあらう。また藝術的の敷
や品位から考へても作品の中で、これを細飯すること は避けたの
あらう。︵第一部玉質系の空蝉・タ顔の物語が源氏の秘密を洩ら
て記したやう になってるるのは、もとより藝術的に新奇な題材を
らんで敷栗を拳げようとしたものであらう。しかし空蝉、タ顔の
語の前後には、序践形式の枠を設定してあり、もしも世評になっ
場ムロ
、源氏が非難をうけて累を及ぼす結果になる、個人的の秘密
悪を暴露したことに謝して輝明したやうな形式になっ てゐる。し
し悪といふ鮎から考へれば、藤壺事件、もののまぎれはその此で
ない。そのやうな重大な悪をとり上げて作品の申で書いたことを
八
物語談義は作品にとって 鈴計 のものになるであらう。
置 である。品定が苗木の冒頭にあるのと同様に、物語談義がこの位
いま一つ重要な問題がある。それはこの物語談義の挿入された位
物語談義は何故この位置にあるか
置 にあるのは、構想上ある重要な意味をもつてゐる。
にもかかで、ただかく何とはきところに、それとしもあらず、
物 にて、一部の大むねなるを、一部のはじめにもかか。
す、終り
螢巻 の此段は、下の心に、地物語をつくれる心ば へを の べたる
の終りに近く、また第二部の始まる少し前で略 々作品の中央にある
苗木の耳定の構想上の意味を大きく考へて、源氏物語は品定の女
無上大きく考へるのに謝してわたくしは疑問を抱いてるる。日明走
け叫
性論の具象化であると主張する見解もある。︵品定を そのやう に構
があることと窩連 きせて考へなければならない。
ことは注意すべきである。そしてこれは作品の冒頭部に弓木の耳定
阿部も同じ考へである。しかし、物語談義の位置は源反物語第一部
なだらかに書きあらはせるさま、いとめでたし
といつてゐる。宣長は物語談義の位置はさして問題に してゐない。
宣長は
二品定と中の品女性物語、物語談義と藤壺事件、もの のまぎれ
で 呆 か
た
な
解して めるのが螢の巻の物語談義であるとも考へられる。︶
問題はつぎの難にある。作者の意圓 にたとひ反道徳な ものは
く、むしろ教誠的のものであったにしろ、藤壺事件、も ののまぎ
めやうな異常極端な反道徳的の題材が作品の中に書かれた。わた
しは、螢の巻の物語談義が作品の中に挿入された最も大きな理由
この藤壺事件、もののまぎれのためであると思ふ。もしこのやう
戻道徳的な重大な事件が作品の中に書かれなかつたと したら、こ
に
し
し
え
か の
勘
辮 は
れ
は
く
は
の
にこの断絶を過大規する態度を執るべきでないと考へてぬ る。第一
界の間にかなり大きな断絶が生ずる。わたくしは一部 の 論者のや ぅ
もし前二者に重 貼 をおいて第一部を讃むと、第一部と第二部の世
ものに結びついてる る。 品定は直接には品定以後の中 の品の女性に
源氏物語 全膿の構想には直接結びっかず、それはいき少し部分的の
対 する好奇心、空蝉、タ顔などの特異の冒険的な鱗愛 行動に結びつ
が、機械的に接合せられてゐるといふ やうな見解を 、極 端 にまで 進
部 と第二部が成立時期を異にし、別々の主題によって書かれたもの
0そ
.
めたものが武田宗俊の源氏物語の最初の形態 文睾ぢ切 っ1 べ ︵
く。しかし間接には紫 上、明石上などの紫 上系の女性 へ対する好奇
して 紫 上 系 、玉
董系 のいづれにも共通の性格が認められものである。
れ以後の武田諸論文とともに源氏物語の研究に攻 む︶で ある。わた
心とは全然無窮係 ではない。新しい領域で発見される女性の物語と
武田宗 像 らの成立論者のや う に第一部五隻系の十六巻 の物語にだけ
くしは近著源氏物語新見において、いろいろこの間 頭 に検討を加
へキ
こ。
ハ
つぎのや う になる。第二部におけ る宗教的、
結びつけて考へるのは妥嘗 でない。︶
しかし 品定よりはむしろこの螢の巻の物語談義の万が重要であ
結論を要約すれば、
びついてる る。そして物語談義が藤壺事件、もののまぎれと構想上
く、第一部の冒頭から早く伏線的に準備きれて来たものである。 第
倫理的の主題は決して第二部において新しく構想きれたものでな
る。物語談義は作品の中核主題、藤壺事件、もののまぎれに密に結
この中核
主題の第一部から第二部への特異な展開の手法の意味を明らかにす
的 、倫理的のものが援昧 、不徹底なところがある。
一部の世界は梢度を過ぎた世俗的のものの
このやうに結びつくといふことは、以下述べる やう に
る。きらにそれは物語談義が何故に作品の中の現在の位置に挿入さ
品全 膿を支配する宗教的、倫理的主題の展開のテンポが 極めて緩い
藤壺事件、もののまぎれは源氏物語 全韓を 一貫し統一 してゐる 主
否定するわけに行かないであらう。第一部を第一部として切り離す
ものとなってゐる。けれどもこれを理由として長篇と しての主題を
結 果 としては 作
描鳥 があり、 反対 に宗教
れてゐるかといふ問題にも閲係 がある。
題の中心になる。しかし玉篇第一部においてはこの主 題は 構想上、
味 合ひが異なったものになる。
とともに源氏物語の全膣の構成部分となってゐる場合には、その立石岡
それが第二部
場ムロ
それは 濁 自の意味をもつてゐるかも知れないが、
もののまぎれ
特異の取扱ひ き受けてゐる。第一部では中心人物源氏 0 色好みの 慰
愛 行動、その宿世の縁による柴車、そして藤壺事件、
といふ三つの主題がからみ合って展開してゐる。
九
源氏物語正篤第一部から第 二部構想上のこのやうな蒔換を 、わた
くしは螢の巻の物語談義に結びつけて解粗したいと思ふ。
品定を序的なものとして展聞 される五% 系の空蝉、タ顔物語の背
後には紫 上系の藤壺事件、も ののまぎれといふ重大な由枝的主題が
ひそめられてゐた。そして表面 源氏の螢畢生活は諦歌され、色好み
0行動は必ずしも悪徳として非難されてゐないやう に見える。しか
し第一部においてすら作者は、﹁めでたし、めでたし﹂の昔物流
語に
そのすべてを肯定してゐない。そしてそこに源氏物語の作者の人生
観照の深きがそれ以前の物語と全くレベルを異にするものがある。
万+9、
8源反物語では、先行作品と質を全く異に
︵宿世といふ考へ
するやうな内面的のものにな ってゐる。わたくしは、それを罪、薦
部構成に擬する
一O
2 源氏物語第一部から第二部への展開を法華経の述 門本門の二
従来恐らく問題としてとり上げられなかつたてあらうが、わたく
しは源氏物語の中におけるこの螢の巻の物語談義の位置を冒頭の品
一部への展開
定 のそれとあはせて考へて、源氏物語の第一部から第一
を法華経の迩門、本門の構成に擬して考へようと思ふ。品定は巻第
二苗木の冒頭にあり、物語談義は丼びの巻を木の巻に撮した巻の敷
へ万、二十八︵これは法華経の品数と一致する︶では巻第十セ少女
の丼びの螢の巻にある。位置から考へると前者は正しく法華経方便
品第二に営り、後者は少しずれてゐるが如来書量品第十六に営る。
心であって、
是の理が説かれ、如来詩量品は後半、木門十四品の中、
方便品は法華経の前半、迩門 十四品の中心であり、諸法賢相十如
久遠貫成 の程迦如来がここで開題される。それは迩門 とは レベルの
報、それからの離脱の問題として前掲小著でとり上げた。︶
螢の巻の物語談義は、このや,
≦に第一部において表面にははつき
異なった買埋であり、 いはば諸経中の最高の佛説 とも いふべきもの
品定は法華経石使品以下の三周の説法にならうて展開される。し
り おし出きなかつた藤壺事件、もののまぎれといふ主題に対する作
道徳的のことが書かれてゐることは、一部の誼者から誤解もきれ非
かしこれは法華経の構成の影響が、品定の範畠だけに とどま ってゐ
者の態度を明らかにしたものと考へてよいであらう。作者はこの主
難もづけるてあらう。それに謝 して作者はそれが決して戻道徳なも
ると考へなくてもよいであらう。最初に品定の女性論、理論的なも
である。
のでないことを程明してゐる のである。きらに進んで作者はこのや
のを示し、それから見世的な空蝉、タ顔の物語が教べられるのも、
顕を慎重に取り扱って来た。それにもかかはらずなほ このやうな反
うな題材をえらんで主題とした本旨を説いてゐる。
方便 品以下の展開と結びつけてその構成を考へきせる のである。 源
問題になるところである。
するにとどめ、第二部に入って急にそれが表面におし 出される
り 上げられる。これは近頃の源氏物語論におけるほと んど自明
爾者の間の主題や手法の栢 違 が大き
反物語第一部に連績 して書かれてゐる源氏の色好みの行動の物語は
人生の實相 をいろいろに示すものとして構成きれてゐるのであら
いってもその表面を主として描いてゐる。
螢の巻の物語談義は、法華経の如来書量品が粍尊 出世 0本懐 を示
すや う に作者の物語制作の深意を明らかにする。同時 に第二部は法
華 経の本門に 柏営 する部分であるから、源氏の生涯に おける藤壺 事
件 、もののまぎれのもつてゐる眞の意味、罪や鹿報の 問題、それか
らの離脱、救ひといふ やう な作品の中核的主題の根元 に メスを入れ
て深く堀り下げてその 秘 義を明らかにする。
如来書量 品が 久遠 實成 の本佛を萌蘇するのに文字通り に即して 源
底物語の構成を考へれば、中心人物源氏がいかなる因 縁 でこの世で
生れたか、いかなる結末を遂げるかといふ神仙講武 の ものにならな
くてはならない。しかし源氏物語はそこまでは法華経 の構成をその
は外面的の理 想 化は、第二
ままに模したものではない。第一部にあった中心人物 の 源氏の 、昔
物語 流の ﹁めでたし、めでたし﹂のいは
部 に入ってむしろ減じて、源氏の人間像はよりレアルなものに深く
堀り下げられて内面化きれて来る。
第一部でほ重要な中核主題、藤壺事件、もののまぎれ を 伏線的に
のは
提 である。結果として第一部、第二部の世界の懸絶が止目建され
くと
しかしわたくしはむしろつぎの如く考へる。これは法 華 経にお
の一別
。
迩門 と木門、あるいは法華経以前の万便の教への末額眞實と諸
ろ
るであらう。最初から直ちに重要なものを出きずに、
。しかし 品定とそれをづける空蝉、タ顔物語以下の展開は法華
ふまでもなく法華経と源氏物語の構成は文字通りに一致 して る
二部への展開とよく似てぬるのである。
で進んで初めてそれが開示きれるところが源氏物語の 第一部か
あ るとこ
最高第一と考へられた法華経の開三顧 一との封立に擬 して考へ
ナ
る
ら
ぅ。しかしこれは法華経の迩門 に相 嘗 するので、まだ 人生の實相と
晴一小
るるまれ 綴
いい 第
中
便品 以下の三周の説法と位置も構成も似てゐる。螢の巻の物語
な
一一
書かれるか、物語はいかなる趣旨をもって書かれるか を ・作者
語 談義の物語方便説は何故に藤壺事件、もののまぎれ のやうな
と 似てゐるといへないことはないやうに思ふ。
如来書量品が程留出世の木懐を説き、久遠實成 の本佛 を開額す
氏の宿世とその 救 ひの問題を根木的に深く堀り下げて ぬ ること
趣旨を物語方便 説 によって明らかにし、第二部に人つ て中心火
は位置も大 朋 如来 詩賞品に相 嘗 してゐる。そしてここで物語 制
が物のるは、 源の義
初 作 談経
万
悪
三一
は作中人物の口を籍りて
裡明してゐると考へられる。裏かへ
らい 思想であり、それを基にした五時八教の教判であるこ とを注意しな
。は、源氏物語の中主
核 題は藤壺事件、もののまぎれてあま
ければならない。
ること、
眞 實の教へ
の封立 観を意識して ぬたことは否定出来ない。同時にそれは必然的
たそれが如何なる意圃で
書かれてゐるかといふことを作者自身が生
口は物語談義を書きつつ、法華経に由来する方便、
作者
白してゐる やうなも
の 定説ともい ふ べきものであった。
品定における三周 説 法の形式と
れない。そして法華経の本辺 三門の封土における後者 の優位は自明
には
久遠 實成 の 水佛 の開額 に結びつき、この二つは切り離して考へら
れないのに、物語万便説が作中で述べられるとしたならば、それ
徐計 な論義として作口
叩から浮き上ることになるであらう。
阿部秋生は物語方
、螢の巻の物語談義には如来書量品 の本佛開頬 のことはつき
なな
どり、
であらうか。物語我義の中には・まこと、そらどと、いつはり異
出ない。表面は万便品 にしか結びつかない。しかし 作家の脳裡に
物語の虚構性について用め
られる語があると同時に、一方においりて
善悪、煩悩、菩提といふ
倫理的、識
教的な意味の語があらはれる。は出世の本懐を説く久遠實成 の水佛が 必ずはつきりし たイメ i ジと
わたくしが源氏物語第一部、第二部の封立 をもつて 法 華 経の 水迩
して
とらへられてゐたであらう。
そして物語方便説 はこの雨者を結びつけるものである。また﹁道
々
しきことⅠ﹁わざとのこと﹂は物語の本質や敷
て
、用
そに
のつい作
題 として藤壺事件、もののまぎれをとり上げ、第一部 に 比して第二
二間のそれに擬する所以である。源氏物語の作者が、作 品の中核 主
きらにこの物語謙義の物語方便説だけでなく、源
全
氏肚
物
の制
語
部 に特異の重 鮎をおいて書いたであらりとわたくしが考へる理由が
者が考へてゐると解すべきであらう。
作態度に吉澤義則の指摘するう
やな数誠的のもの相
が営濃く考へら
そこにある。そしてこれがわたくしの源氏物語の主題と構想論の結
論 である。
れ、それがこの物語方便
説に結びつくのである。
最後に附言しておきたい。
官長は螢の巻の物語方便
説において、天台の五時八教の教判のこ
となどをもち出していふ
必要がないといつてゐる。けれども方便、
眞實 の対立止揚を特別に強調しめ
品方
の便
てるのは、やはり法華経