第197号

共創・共育・共感
尾鷲市教育長だより
2016.10.7.(金)
第197号
「希望」の大切さ
6年 ほ ど 前 の 話 で す が 、 2010年 8月 5日 に チ リ 北 部 コ ピ ア ポ 郊 外 の サ ン ホ
セ 鉱山 で 発 生した 落 盤事故… 。覚えているでしょうか。事故から17日後、地
中捜索のドリルを引き上げたところ、先端にメッセージが結び付けられてお
り、 作業 員33人 が地下約700メートルに閉じ込められながらも生存している
ことが判明したのです。救出に向けた報道があるたびに“何とか助かってほ
しい!”と祈りながらニュースにかじりついていたことを思い出します。
33人 は 限 ら れた食 料 を分け合い、極限 状況で統制の取れた行動を維持して
命をつないでいました。チリ政府は食料などを地下に送るとともに、救出用
縦穴3本の掘削を進め、うち1本が10月9日、坑道まで貫通しました。そして、
筒 型 の 救 出 用 カ プ セ ル に 1 人 ず つ 乗 せ て 重 機 で 引 き 上 げ 、 13日 に は 33人 全
員が地上に生還することができたのです。
そ の後 の作業 員の話などから、70日 間に及 んだ地下700メートルでの過酷
な「地下生活」の一端が明らかになっています。少し紹介しましょう。
8月 5日 に 落 盤 事 故 が 発 生 し た 数 日 後 、 2回 目 の落 盤 が 発 生し 、 坑 内 は真 っ
暗に な っ て地上と 完全に遮断され、ある作業員は 、「私たちはただ 死を待つだ
けだった。消耗し続け、やせこけていった。妻とも(11月に生まれる予定の)
子どもとも会えないと思った」といいます。
作業員らは、地下にあったツナ缶や牛乳などを分け合って飢えをしのいだ
とされていましたが、実際には、牛乳は賞味期限が切れ、何とか見つけた水
も石油の味がしたといいます。体重が10キロ以上も減った人もいたそうです。
お互いよく知らない33人で、当初はいくつかのグループに分かれていました。
もめごともあり、殴り合いになることもあったといいます。
し かし 、 現 場監督 だ ったル イス・ウルスアさん(54)の励ましに、次第に
強い 友 情 が生まれ、「最 初はただ悪夢 だったが、 少しずつま とまっていった」
と、ある作業員は振り返り、別の作業員は、具合の悪くなった作業員に対し
て、他の作業員が手を握り続けたことなども明らかにしました。
33人のうち最後に救出されたリーダー役のルイス・ウルスアさん(54)が、
地元紙メルクリオ(電子版)に、事故を振り返り、次のように語っています。
取り乱した一部の作業員は脱出を試み、現場は混乱した。
「助けは必ず来る、
絶対に希望を失うな」。そう言い聞かせ、神に祈った。それから、長い「生還」
をかけた挑戦が始まった。まずは手分けして周囲を調査し、閉じこめられた
と い う 事 実 を 冷 静 に 認 識 し た 。 食 料 や 水 が 生 命 線 だ っ た 。「( 避 難 シ ェ ル タ ー
に 保存 さ れ ていた 量 は)乏し かった。少しでも長持ちさせるため食事は48時
間に1度しか取らなかった」
事 故発 生 か ら17日後 。 捜索のため、地 上から掘り進められたドリルがシェ
ル タ ー ま で 到 達 し た 。 8月 22日 午 前 6時 の こ と だ っ た 。 作 業 員 た ち は 救 出 の
手が届いた際の対応手順を事前に話し合っていたが、興奮して、すべて吹き
飛んでしまった。「皆、ドリルに抱きつきたい気持ちだった」。
地 上 へ 届 け る メ ッ セ ー ジ を 考 え た 。「 食 料 を 送 っ て く れ 」「 空 腹 だ 」 … … 。
伝えたいことはいくつもあった。結局、ドリルにくくりつけられて地上に引
き上げられたのは、7番目に救出されたホセ・オヘダさんが書いた手紙。内
容は シ ン プルに「( 33人 は )全員元気だ」。神が 届ける べきものを 届けてくれ
た。必要なことをすべて言い表していた。
地上から食料が届くようになっても、作業員たちは体調管理のため食事を
1日に5回に分けて生活。地下に届く支援食料は救出に備えた肥満防止のため、
1 人 当 た り 1 日 2600キ ロ カ ロ リ ー に 徹 底 管 理 さ れ た 。 作 業 員 の 体 調 を 地 上
で把握できるよう、最先端の「生体測定ベルト」も配備された。しかし、楽
観はしていなかった。
閉 鎖空 間 で の70日間 に 及ぶ生活で最も 懸念されたトイレの問題は、シェル
ター近くの簡易トイレで化学薬品を使って排せつ物を分解。地上から供給さ
れる水を利用して処理していた。愛煙家のためニコチンのパッチも送られて
いた。作業員らは、最もうれしかったこととして、地下の様子を地上に伝え
る高解像度の小型カメラが届いたことを挙げている。
地 下で リ ー ダーと し て活躍 したウルスアさん(54歳)が語った記事を読む
と、「 規律 を保ち な がら救援を待つ」ために、全員を自分が束ねるのは難しい
ので、3つの班に分けて、それぞれの班長を任命し、組織的な取り組みを行
い、 1 日 24時間 を 「仕事」「睡 眠」「休憩」の3班に分けて交 代ですごし 、地
下生活での管理を進めたということがわかります。
そ し て、「地下 では全 て の決定 を、多数決 で民主的に 決めた」とも伝えてい
ます。まさにウルスアさんは、①指揮を執る、②関係を調整する、③鼓舞す
る、といった『リーダーの3原則』をこなし、その上組織的にも、班の活動
により、つながりやまとまりが保持できるようにしていたのです。地下の深
いところでのこうした活動は、まさに「仲間づくり」そのものです。物理的
な「深さ」のみならず、パニックにならないで救援を待つ、かといって単に
受け身にならないで「希望」を持ちながら時間を過ごす!、信じられないほ
ど強靭な、生存への「深い」意義も持っているものでした。