おかえりなさい なるせいぶき ︻注意事項︼ このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にPDF化したもので す。 小説の作者、 ﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作品を引用の範囲を 超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁じます。 ︻あらすじ︼ 書いていたものを分離してまとめました。pixivとはエンディングを若干変え ています。 目 次 1 ││││││││││││││ 2 ││││││││││││││ 3 ││││││││││││││ 4 ││││││││││││││ 1 26 33 49 1 ﹁あ、あの 比企谷さん もしよろしかったら今夜お食事行きませんか ! だろうが﹂ ﹂ ﹁ほっとけ。だいたいなぁ、名前も知らないような奴とメシ食いに行くとかありえない と来ている。葉山みたいな奴といえば分かりやすいだろうか。 僚︵♂︶だ。高学歴高身長高収入の絵に描いたようなエリートで、おまけに顔まで良い そんな風に俺に話しかけてくるのは、何でかメシ時になると俺の近くに寄ってくる同 ﹁結構可愛い子だったと思うけど﹂ ない。 去っていく。⋮⋮俺に非がないのは分かっていても、胸が痛む光景である事に変わりは 一連の会話を終えてのち、俺に話しかけてきた女性社員はパタパタと足早にその場を ﹁気にすんな﹂ ﹁⋮⋮そうですか。すいません、突然押しかけておいて﹂ ど﹂ ﹁あー⋮⋮すまん。先約があってだな。また別の日にでも誘ってくれると嬉しいんだけ ! 1 ﹁⋮⋮行くけど ﹂ 不意にしちゃって。あ、彼女いるんだっけ ﹁居ねえよ。何度言わせりゃ気がすむんだ﹂ ﹁でも、それ﹂ ﹁これがどうかしたかよ ﹂ ﹂ そういって同僚は、俺が現在突っついている弁当箱に指を指す。 ? ? ﹁なんだよ今の間は﹂ ﹁⋮⋮いや、これはあれだ。妹に作ってもらってる﹂ らは、独り身の男が自作するとしたらなかなかハードルが高いものだろう。 確かに俺の弁当に入っているタコさんウインナーやら、うさぎさんカットのリンゴや ? ? ﹁いや、そんな可愛らしい弁当を見せられて、女が居ないって言われても⋮⋮ねぇ ﹂ ﹁でもさあ、毎度毎度もったいなくない 比企谷意外とモテモテなのに、チャンスを全部 欺る側にいるからなのだろうが。 ちゃらの俺とは発想がまるっきし違うのだ。まあ、こいつは詐欺られる側ではなく、詐 イ ケ メ ン 様 と は 基 本 的 に 価 値 観 が 違 っ て し ま っ て 困 る。美 人 局 が う ん ち ゃ ら こ う ﹁お前の常識は聞いてねえよ﹂ ? ﹁なんでもねえって﹂ 1 2 ﹁⋮⋮うーん、信じらんないなぁ。妹さんの写真見せてよ﹂ ﹁包容力 ﹂ ﹁そう、包容力﹂ よなぁ⋮⋮そのうち教え子に先を越されちゃうんじゃねえのか ﹂ ? ﹁お前と違って顔だけ見てるわけじゃねえんだよこっちは。⋮⋮まあ、学生時代に色々 恋でもしたことあるの ﹁しっかし、どんだけ綺麗な人に言い寄られても全然なびかないからなあ、君。デカイ失 ? よりは強制力というか、オカン気質な人なのは確かだけど。⋮⋮あの人まだ独身なんだ 恩師を紹介しようと思ったら不良在庫扱いされたでござる。⋮⋮まあ、包容力と言う ﹁ますます怪しいよ⋮⋮﹂ ﹁失礼な奴だな。超優良だぞ﹂ ﹁⋮⋮いや、いい。何だか不良在庫を押し付けられそうな予感がする﹂ ? ? ﹁なら結構良いアテがあるんだが、紹介するか ﹂ ﹁物騒だなぁ⋮⋮心配しなくても大丈夫だよ。俺は年上の方が好みだから﹂ ﹁おう、俺に似ず可愛い。あと手を出したら殺す﹂ ﹁早いな⋮⋮可愛いね、妹さん﹂ ﹁ほれ﹂ 3 あって美人慣れしてるってのもあるけど﹂ ﹂ それにデカイ失恋はない。折本の件も、今考えてみればそこまで想いが強かったわけ どういうこと でもないからな。 ﹁美人慣れ ? ﹁⋮⋮⋮⋮天と地 ﹂ ﹂ ? ﹁余計に気になるよ。誇張は入ってないの ﹁⋮⋮マンガ ﹂ ﹂ ﹁俺が知ってるだけで3桁以上告られてるぞ。最高記録は1日6人﹂ ? こまで考えることになるぞ﹂ ﹁止めとけ止めとけ。あんな超絶美女見たら価値観が揺らいで﹃女とは何か﹄みたいなと ? ? ﹁すごい例えが出たな。その子の写真は ﹂ ﹁じゃあ質問までに、さっきの子と比べてどれくらい可愛いの ﹁ハイエンドに染まり切ったせいでもう容姿では俺の心は動かん﹂ ? ﹁夢を見る間もなく叩き潰していくのか⋮⋮﹂ ﹁悪いがリアルだ。ちなみにあいつが嫌いなタイプはちょうどお前みたいな奴﹂ ? らな﹂ ﹁見るだけ無駄だよ。なんせ選びたい放題のクセに未だ彼氏いない歴イコール年齢だか 1 4 ﹁理想が高いってこと ﹂ ? 出来てんだろ﹂ ? ﹂ は打ち解けた﹂ ﹁性格は ﹁⋮⋮⋮⋮高飛車 た弁当を平らげて、午後もどうにか頑張らねばならない。 そんな話をしていたら、昼休みも間もなく終わりそうだ。妹に作ってもらったと偽っ ﹁それはちょっと違うかもな⋮⋮。でもまあ、そんなところで納得しておいてくれ﹂ ? ? ? ﹁女王様みたいってことかい ﹂ 最近は鳴りを潜めたけど﹂ ﹁高校の同級生だったんだよ。んで、小規模の部活で一緒だったせいかまあそれなりに ﹁で、君はそんな美人とどういう繋がりなわけ ﹂ ﹁⋮⋮聞いたことはないけどそうなんじゃねえの。そうじゃなきゃとっくに男の一人も 5 ﹁なあ比企谷、今日君の家お邪魔していいかい ﹁⋮⋮なんだよ突然﹂ ﹂ ﹁⋮⋮なんでこんなに集まってんだよ。新手の嫌がらせ ﹂ ﹁⋮⋮今より怖い上司のもとについたり頭の弱い同僚のサポートしたり世話のかかる後 秘密を知りたいのよ﹂ ﹁仕事ができる奴は人望があるって話さ。んで、みんな何で君がそんなに有能なのかの ? ウンと頷く。 その言葉に追随するかのように、同僚くんの後ろに集まっているその他同僚組もウン 思って﹂ ﹁い や ぁ、若 手 の 出 世 筆 頭 株 こ と デ キ る 男 比 企 谷 八 幡 の 私 生 活 を 丸 裸 に し て や ろ う と のに。 終業してすぐ、同僚に声をかけられた。勘弁してくれ⋮⋮こっちは早く帰りたいって ? 輩の手伝いを何年かやりゃあこれぐらいすぐだぞ。秘密終わり。俺は帰る﹂ ﹁じゃあお供するよ﹂ 一人暮らしなんだし﹂ ﹁お供はいらねえよ﹂ ﹁良いだろ ? ﹁家なんか荒れたい放題なんだよ。とてもじゃないが客人を招き入れられる環境じゃな 1 6 い﹂ ⋮⋮。 ﹁君も先約がどうこう言った手前、一人じゃあ帰りにくいだろ ? に帰った方が些か賢明というものだ。これぞ言い訳職人比企谷八幡の生き様だ。 ちまでズルズル着いてくる。だったら生産性のない言い合いはさっさと打ち止めて家 係性からも明白である。でもまあ、言い訳するならアレだ。多分こいつ、断っても俺ん 結局押し負けてしまうあたり、やはり俺は押しに弱い。そこら辺は小町や一色との関 ﹁そうこなくっちゃ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮終電までには帰れよ﹂ ﹁罪悪感を薄めるためにもさ、パーっと飲み明かすのがいいと思うんだよ﹂ ﹁そりゃあ⋮⋮そうかもしれんけど﹂ ﹂ 全 く も っ て 埒 が 明 か な い。俺 な ん か の 私 生 活 に 一 体 な ん の 興 味 が あ る と い う の か ﹁そこをなんとかさ﹂ ﹁片すのは誰だと思ってんだ﹂ ﹁宅飲みの方が安上がりでいいじゃん﹂ ﹁だったら居酒屋で済ませときゃ良いだろうが。わざわざ俺んち来る意味ないだろ﹂ ﹁別に気にしないって。こっちも飲む口実が欲しいだけ﹂ 7 しかし、そうなるとちょっとした手回しが必要になってしまう。 了解。なる早でね﹂ ﹁まだ幾らかやること残ってっからお前らは社外で待機しててくれ。15分くらいで追 いつく﹂ ﹁⋮⋮ん ? たことに安堵しながらも、早速用事を話すことにした。 ああうん、なる早で﹂ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ プルルルル⋮⋮と幾回かのコール音の後に、ガチャっという音が鳴る。運良く繋がっ び出す。そして、その履歴の中でも最も新しいものにダイヤルした。 廊下に人っ子ひとりいないことを確認して、その突き当たりでスマホの着信履歴を呼 言たりとも言ってないからな。 た似たようにオフィスを出る。やることが残ってるとは言ったがそれが仕事だとは一 パラパラと同僚数名がオフィスから退勤していったのをしっかり見届けると、俺もま ﹁ほら、さっさと散った散った﹂ ﹁はは、そうだったね﹂ ﹁デキる男舐めんな。お前らの言だぞ﹂ ? ﹁もしもし、俺なんだけど⋮⋮ちょっと頼みごとされてくんない 1 8 屋外に出ると、連中は律儀に待機していたようだった。帰ってくれてたらなーという 思いがないわけでは無い。 ﹂ ? そんな下らない雑談をしながら家路に着く。思えば他人を自宅に招くなんていつ振 ﹁だろ ﹁俺だなぁ﹂ ﹁俺の私生活を暴こうとしたのはどこのどいつだよ﹂ ﹁そんなとこまで時間厳守か﹂ れよ﹂ ﹁こんくらいシビアじゃなきゃ生きていけないだろ⋮⋮ほれ、さっさと来てさっさと帰 ﹁辛辣だねぇ﹂ ﹁時間厳守は社会人の必須スキルだろ。よって残業はもれなくクソ﹂ ﹁きっかり15分。さすが﹂ 9 りだっけかな⋮⋮。 ﹁ビールでいいよな ﹂ ﹂ んで、コンビニを出てからまた暫く歩くと、見慣れた高層マンションの前に辿り着く。 るってはっきりわかんだね。⋮⋮悲しいなぁ⋮⋮たまげたなぁ。 く却下。無念である。島国の閉鎖的な環境では性的マイノリティーは非難の対象にな しかしそんなものを入れたら俺の明日以降の会社での立ち位置が危ういので止む無 GOだ。ポケモン捕まえるついでに変態糞土方に捕まっとけ。 ふざけんな。ついでにイチジク浣腸とか買うぞ畜生。その後は岡山県の北の橋の下に コンビニで適当に酒とツマミを選んでレジを通す。なんか俺が奢る流れらしいけど ﹁あいよ﹂ ﹁チューハイも追加で﹂ ? ﹂ ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮ここ ﹁悪いかよ﹂ ﹁持ち家だけど﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮賃貸 ? ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮ひょっとして親が富豪とか ? ? ﹁ただのサラリーマンだが﹂ 1 10 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮ギャンブル ﹂ ? を解除する。 ﹁エレベーター乗るぞ﹂ ﹁⋮⋮一応聞くけど、何階 ? ﹁着いたぞ﹂ 居酒屋で済ませられると思えば少しばかりの辛抱だ。 こうなるから家に人を呼びたくなかったんだけどな。まあいいや、これで次回からは ﹁嘘ついてどうすんだ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮マジか﹂ ﹁てっぺん﹂ ﹂ 何らかの理不尽を咀嚼するかのようにウンウン言う同僚を尻目に、自動ドアのロック ﹁⋮⋮ああうん、うん﹂ ﹁着いてこないとロックに止められんぞ﹂ る。⋮⋮ちょっと優越感だな。 余りに高級感の漂うマンションを見せつけられたせいか、イケメンが盛大に凹んでい ﹁じゃあ何なんだよ⋮⋮﹂ ﹁全然﹂ 11 周りにいる同僚達は皆、すっかり色が薄くなってしまっている。直視したくない現実 を長時間見せすぎてしまったようだ。 5分の高級高層マンションの最上階⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮20代半ばで駅から5分の高級高層マンションの最上階⋮⋮20代半ばで駅から 半ば呪詛のようにボソボソと何かを呟いているが、家に来たいと言ったのはお前だか ら俺に責任は無い。自分が悪い。 ﹂ ﹂ ﹁まあそう凹むなって。家の中はいたって普通の5LDKだから﹂ ﹁⋮⋮喧嘩売ってる ﹁喧嘩上等で着いてきたのはどこの誰だっけ ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮俺だなぁ﹂ ﹁だろ 完 全 論 破 ‼ ? ? ﹁まあ入れよ。特にもてなすもんも無いけど﹂ ? ? 光り輝くリビング ! そして、玄関の鍵を開けて自宅へと帰る。いつもの風景いつもの居場所俺を待つのは ﹁⋮⋮⋮⋮おう﹂ 1 12 ⋮⋮⋮⋮⋮おい待て、なんで電気ついてんだ。 ﹁どうしたの、そんなに慌てて﹂ そうして彼らを室外に残したまま、俺のみが再び室内にGOする。 ﹁⋮⋮⋮⋮あぁうん、了解﹂ ﹁取り敢えず5分待て。ちょっとやることが増えた﹂ これだよ、なぁ 俺としたことがなんて伏線回収力なのだろうか。よりにもよって写真を見せた日に ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁いや、写真と全然違ったけど﹂ ﹁妹だ﹂ ﹁なあ比企谷、今女の人がいたような気が﹂ 目の前のエプロン姿の女が全て言い終わる前に、俺は玄関のドアを全力で閉めた。 ﹁あら、おかえりな⋮⋮﹂ 13 ﹁⋮⋮いや、どうしたのはこっちの台詞なんだけど﹂ ﹂ 女は意味が分からないといった様子で首をコテンと傾ける。⋮⋮可愛いな⋮⋮いや、 可愛いけども ﹁部屋の片付け頼んだはずだったよな ﹂ ? ﹁⋮⋮⋮⋮いやすまん、俺の落ち度らしい﹂ ﹁仕方ないわ。過ぎたことだもの﹂ ﹁⋮⋮んで、その、これからどうすべきだと思う ﹂ ? 昔とは打って変わった満面の笑みで、雪ノ下雪乃は俺にそう告げた。 ? ﹂ ﹁てっきりおもてなししろってことかと思っていたけれど、違ったみたいね﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮あ﹂ ﹁出て行けなんて一言も言われてないもの﹂ ﹁⋮⋮こんな言い方で大変申し訳無いんだが⋮⋮なんでいんの ﹁ええ。一通り片付けて、お客様用にお料理を作って、そして今だけど﹂ ? ! ﹁そうね⋮⋮。腹を括ったら 1 14 ﹂ だよ気持ち悪ぃな。 ﹁⋮⋮⋮⋮誰 ﹁友達﹂ ? ? ﹁⋮⋮⋮⋮昼間言ってた人 ﹂ 雪ノ下の二連撃を唯一耐え切ったイケメン君が俺の横っ腹を肘で小突いてくる。何 てマジであるんだな。 俺の横で棒立ちしているイケメン君を除いた全員が雪ノ下の魔の手に落ちた。魔性っ 一撃目を何とか耐えた歴戦の猛者たちも追儺の一撃にはさすがに耐えかねたらしく、 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮ガハッ﹂ ﹁お料理が冷めてしまうから、早く﹂ 童貞すらも一撃のもとに屠る。 ⋮⋮やべえな、今ので半数以上が落ちた。進化した雪ノ下スマイルは童貞どころか非 ﹁⋮⋮⋮⋮ぐっ﹂ ﹁どうぞ、いらっしゃい﹂ 同僚ズがいそいそと我が家に侵入してくる。それを迎え撃つは、先鋒雪ノ下雪乃。 ﹁⋮⋮⋮⋮お邪魔しまーす﹂ 15 ﹁そう﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮マジでどういう関係だよ﹂ 会話が漏れていたのか、雪ノ下の耳にその内容が届いたらしい。彼女は子供のように 悪戯っぽく目を細めながら、よく通る綺麗な声でこう言い放った。 ﹂ ﹁妻です﹂ ﹁違うよ ﹄の目線⋮⋮ッ ! 瞬間、同僚たちの目線が俺に突き刺さってくる。⋮⋮そうだ、この感じはあの⋮⋮俺 がよくやっていた﹃リア充爆ぜろ‼ ﹁お前⋮⋮﹂ ﹁マジかよ⋮⋮﹂ ﹁既婚者とか聞いてないわ⋮⋮﹂ ? しかし、さすがに俺が可哀想になってきたのか、こちらに向き直ると再び言葉を発す やがるな⋮⋮。 彼女はそっぽを向きながら顔を真っ赤にして口許を抑えている。⋮⋮こいつ、楽しんで 好き勝手言ってくれやがる連中の誤解を解こうと雪ノ下の方に目をくれるが、肝心の ﹁爆ぜとけよ⋮⋮﹂ 1 16 る。 ⋮⋮ふぅ、ようやく誤解が解ける。針のむしろは勘弁だ。 ﹁⋮⋮ごめんなさい、嘘です嘘﹂ ﹂ ﹁〟未来の〟妻です﹂ ﹁だから違うっての 再度場がしらけ、俺に冷たい視線が八方から突き刺さる。⋮⋮お前ら、人の幸せがそ ﹂ んなに憎いのか⋮⋮いや、俺も憎いな。当たり前だな。⋮⋮しかし、これは冤罪なのだ。 ﹂ ﹁こいつはただのお隣さんで、この家を斡旋してくれた奴。オーケー ﹁今をときめく若手女流作家という肩書きが抜けてるわよ ﹂ ﹂ ﹁前半はともかく後半の設定は元から存在してねえ﹂ ﹁高校の同級生で将来を誓い合った仲という説明がお留守よ ? が会話に割って入ってくる。 ﹂ 俺たちが埒のあかない押し問答を繰り返していると、それを見かねてか、イケメン君 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮ちょっといいかな ? ? オーケー ﹁⋮⋮こいつはお隣さんの今をときめく若手女流作家で、この家を斡旋してくれた奴。 ? ? 17 ﹁⋮⋮そろそろ、上がらせてもらえると嬉しいんだけど﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮ああ、すまん﹂ そんなこんなで、取り敢えず彼らをリビングへと案内した。 ﹁へぇ、比企谷って高校からずっとこんなキャラだったんだ﹂ ﹂ ﹂ ﹂ 別 黒歴史ほじくり返されるのとはまた別ベ 心の隅っこをくすぐられるようなむずがゆさ ? ﹁ええ、当時はもう少し尖っていたけれど﹂ 何だこれ⋮⋮何なんだこれ⋮⋮ ﹁⋮⋮あら、本当に ﹁⋮⋮いや、だから止めませんこの話 ? ! ﹁⋮⋮⋮⋮いや、もうそのくらいにしません、俺の過去いじり に不快ではないのに目を背けたくなる現実 クトルの恥ずかしさ ! ! ﹁あ、雪ノ下さん。比企谷が君のこと超絶美女って褒めてたよ﹂ ! ? ﹁この前好きな女がいるからって言って告白断ってたよ﹂ 1 18 ﹁見るからに明け透けな愛妻弁当を妹のだって言って美味しそうに食べてたりもしたっ け﹂ ツ買って帰ってたこともあったな﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮なるほど﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮なんだよ⋮⋮悪いかよ⋮⋮殺せよ⋮⋮﹂ この人、すごい面倒臭がりだから﹂ ⋮⋮死にたい。誰か殺して。 ﹁いえ、特には﹂ ﹁仕事っぷりはどうかしら ﹁出世頭だよ。あと1年もしたら何かしらの役職もらうんじゃないかな ﹁⋮⋮⋮⋮⋮ふぅん﹂ そういって雪ノ下はこちらに目配せをしてくる。 ﹁⋮⋮ほら、ちゃんと働いてんだろ﹂ ﹁あなたの自称はアテにならないもの。でも、本当みたいね﹂ ﹁疑ってたのかよ⋮⋮﹂ ﹁冗談よ﹂ ﹂ ? ? ﹁⋮⋮⋮⋮なに同僚衆、なんか珍しいもんでも見た ? ﹂ ﹁後輩の女の子に﹃女子が喜びそうなものとかあるか﹄なんて言って高いデパ地下スイー 19 俺たちの会話を不思議な顔で眺めてくる連中に一つ質問をすると、答えが返ってく る。 ﹁お前が手玉に取られてるのが予想外﹂ ﹁いっつも飄々としてて弱点皆無かと思ってた﹂ ﹁お前も人間なのな﹂ ﹁⋮⋮揃いも揃ってひでえなお前ら﹂ そうこうしているうちに大分夜も更けてきた。てか早く過ぎろ時間。さっさとこい 終電。これ以上は俺の胃が持たん。せっかく数年かけて作り上げたクールなイメージ が既にどっちらけだ。 そんな俺の意図を汲んでか、イケメン君が突然立ち上がる。 ﹁あんまり長居するのも悪いし、俺たちはそろそろ帰るよ。明日も仕事だしな﹂ ほれっ、と残りのメンバーにそう促して、いそいそと玄関の方へと向かっていく。 ﹁それじゃあ、今日は楽しかったよ。明日の会社はこの話題で持ちきりだな﹂ ﹁⋮⋮勘弁してくれ﹂ ﹁ははは、冗談だよ、冗談﹂ ﹁聞こえねえっての﹂ ﹁それじゃ、また明日な﹂ 1 20 ﹁おう、さっさと帰れ﹂ ﹁⋮⋮相変わらず酷いな﹂ ﹁知るか、気をつけて帰れ﹂ ﹁はいはい﹂ ﹂ そして、玄関のドアがようやく閉まり、久方ぶりの安寧が訪れる。 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮疲れた。マジ疲れた﹂ ﹁お疲れ様﹂ ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮誰のせいでこんなに疲れたと思ってんの ﹁さあ、誰かしら 作家 受賞 ﹄ ? 出していた。 ﹃なに ? ﹃色々おかしいだろ⋮⋮﹄ ﹃賞金を元手に資産運用をしてみたの。そうしたら運良く口座残高が9桁になったわ﹄ ﹃すげえけど⋮⋮それとマンションのフロア買収したのがどう繋がんだよ﹄ ﹃ええ、応募したら新人賞みたいなものを貰ったわ。はい、サイン本﹄ ? そんな会話をしながら、数年前、ここに住まうことになったきっかけの出来事を思い ﹁お前なぁ⋮⋮﹂ ? ? 21 ﹃元々あのフロアはウチの所有だったのだけれど、父から権利書を買い叩いたの﹄ ﹄ いい加減一人ぼっちの朝食や夕食は辛いのよ﹄ ﹃規模がおかしいって⋮⋮。で、だからなに ﹃家賃は要らないから、隣に住まない ? ﹃あなたに分かる 一人でパーティゲームをやる悲しみ﹄ ﹃いや待て待て待て、どっから突っ込めば良いんだ﹄ ? の近くに決まったんでしょう ﹃そういう問題じゃないだろ﹄ ならいいじゃない ﹄ ? ﹃あなたは勤めに出るじゃない﹄ ﹃一般に日本社会では女になんでもやってもらう男をヒモって呼ぶんだよ﹄ ﹃どういう意味よ﹄ いうか⋮⋮﹄ ﹃⋮⋮いや、それは非常に魅力的な提案ではあるんだが⋮⋮その、世間さまの目が痛いと が幸いしたわね﹄ ﹃今ならモーニングコールと朝食夕食までつけるわ。時間的制約の少ない職に就いたの ? ﹃もういちいちあなたの家に行ってゲームをするのも億劫なのよ。あなたの職場、ここ ﹃⋮⋮悪かったよ、マリパー勧めて﹄ ? ﹃⋮⋮それは、そうだけどさ﹄ 1 22 ﹃⋮⋮なに、それとも、私では嫌とか﹄ ﹄ ? ﹂ ? ﹂ ? ﹁いずれっていつよ ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮いや、うん。まあ、いずれな﹂ ﹁可愛い妹の頼みなら断りきれないでしょう ? ﹂ ﹁⋮⋮どうりで最近雪乃お姉ちゃんとか言ってるわけだ﹂ ﹁小町さんは既に人質に取ったわよ ﹁⋮⋮いや、その、順序があるというか﹂ ﹁貰ってくれないの ﹁それにしたってお前なあ⋮⋮いくら何でも妻はねえよ﹂ 裕ができ、出世街道まっしぐらというわけである。 か、掃除洗濯にいたるまで何でもやってもらっているのだが、そのおかげで精神的な余 盛大に嵌められてからもう数年が経つ。実際はモーニングコールと朝食夕食どころ ﹃よろしくね、お隣さん﹄ ﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮は ﹃なら決まりね。小町さんには話を付けてあるから、来週には引越しが終わるわ﹄ ﹃あ、いや、そういう訳じゃ﹄ 23 ? ﹁⋮⋮⋮⋮貯金とか﹂ ﹁私の蓄えで3度は贅沢な人生が送れるわ﹂ ﹁そうじゃなくて⋮⋮男の矜持的なアレだ﹂ ﹁そう⋮⋮なら、楽しみに待ってるわね﹂ そう言いながら雪ノ下は俺の胸元に顔を埋めてくる。抱きしめ返したい衝動に駆ら れるが、別に付き合っているわけでも無いので、無責任な行動は取れない。だからせめ て、頭を撫でるくらいにしておこう。 ﹁おう、待っとけ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮ええ。今日は外堀も埋めれたし、職場の女の子に誑かされることも無いわね﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮ほんと、お前は強かな女だよ﹂ ﹁褒め言葉かしら﹂ かに流れる時の中にいた。⋮⋮こういうのも悪くない。 学生時代から大きく様変わりしてしまった二人の関係性に想いを馳せながら、ただ静 ﹁そう思っとけよ﹂ 1 24 待ってなさい吠え面かかせてあげるから﹂ ? そうだった。 そんなこんなでオチはなく、2人が正式にくっつくまでには、まだまだ時間がかかり ﹁⋮⋮実際に不動産運用してる奴に勝てるもんかねぇ﹂ ﹁これもパーティゲームでしょう ﹁⋮⋮⋮⋮って思ってたけどさ、お前、2人で桃鉄はねえわ﹂ 25 2 とあるよくある休日のこと。ソファで所持物件の増資に励む俺の隣に、つい先ほどま ﹂ で仕事をしていた雪ノ下が座り込んできた。 ﹁お疲れ。お前もやるか くヤバイ。 因みに現在の俺の総資産は4桁億円である。それから察するに、彼女はヤバイ。すご ﹁リアルマネーと比べて戦うゲームじゃねえから﹂ ﹁ずいぶん資産が増えたわね。ざっと私の50倍ってところかしら﹂ る。ゲーセンにおいて音ゲーは見るものだと相場が決まっているのだ。 他人のゲームを見るのが楽しいという層は一定数存在して、割と俺もそれだったりす ﹁そうか﹂ ﹁⋮⋮いえ、見てるだけにするわ﹂ ? ﹁昨日も大きな動きがあってね。多分サラリーマンの生涯年収分くらい稼いだわ﹂ 2 26 ﹁⋮⋮片手間で株いじってるやつの言葉には思えねえな﹂ ﹂ ? わっていく。 ? ﹁⋮⋮なあ、さっきからどうしたよ ﹂ ﹁別になにも﹂ ﹁そうか ﹁ええ﹂ ? ﹂ り続ける。絶好調になったりスられたりを繰り返しながら、季節が何度もめくるめく変 お互い沈黙が気まずくなる性格ではないので、その後はひたすら無言でサイコロを振 ﹁ええ﹂ ﹁そうか、文壇の将来も明るいな﹂ ﹁拙いけど、原石ばかりね。磨けばきっと綺麗に光るわ﹂ ﹁もう賞の選考委員になってんだもんなぁ。どうだ、良いのあったか ﹁まあ、私の本業はペンを握ることだからね。さっきのは少し違った仕事だったけど﹂ ﹁そうは言ってもなぁ⋮⋮﹂ ﹁上がるか下がるかなんてテスト範囲からどんな問題が出るか懸案するより簡単よ﹂ 27 や た ら 顔 へ の 視 線 を 感 じ た の で ク エ ス チ ョ ン を 飛 ば す も、特 に 何 で も な い ら し い。 じゃあ何だってんだ。 ﹁時に、何の賞の選考だったんだ﹂ ﹁恋愛小説ね。若くて女だからって理由で選ばれたのではないかしら﹂ ﹁作家自体はノンジャンルで売ってんのにな﹂ ﹁本当よね﹂ 楽しかったからいいけど、と呟く彼女の目は嘘をついているようには思えない。⋮⋮ ﹂ そういやこの前﹁妻です﹂とかありえねえ大嘘飛ばしてたな。﹃虚言は吐かない﹄とは何 だったのか。 ﹁⋮⋮⋮⋮俺の顔になんか付いてんの ﹁目と、鼻と、それから口ね﹂ ﹁いや知ってるけど﹂ ? 巧妙な手口で質問をすり抜けられる。なおも彼女の目線は俺に刺さっており、どうに も落ち着かない。 ﹁ねえ、比企谷くん﹂ ﹁なんだ﹂ ﹁ちょっとこっち向いて﹂ 2 28 ﹁はいよ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮は ﹂ ? ふぅじゃねえよふぅじゃ。何スナック菓子感覚で人様の唇奪ってんだ。超絶びっく ﹁ふぅ﹂ ﹂ りしたじゃねえか。 ﹁感想は ﹂ ? ﹂ ﹂ じゃなくて。目的を言え目的を﹂ ? ﹁目的がなくてはダメ ? ﹁いいのかお前の人生そんな行き当たりバッタリで⋮⋮﹂ ものの表現が出てきたから、検証してみようと思って﹂ ﹁いえね、さっき読んでいた小説に﹃ファーストキスはレモンの味がした﹄とかいう眉唾 ﹁さすがにダメとまでは言わんけど⋮⋮そうじゃなきゃなんでまた突然﹂ 刺激が強いんですよ刺激が。 いや、ダメとかではなくてですね。女性経験ゼロの童貞クソ野郎にはちょっとばかし ? ﹁いや、他には ﹁⋮⋮そう。他には ﹁⋮⋮⋮⋮柔らかいなと﹂ ﹁他には ﹁⋮⋮⋮⋮いや、驚いたけども﹂ ? 29 ﹂ ﹁別に構わないわ。遅かれ早かれあなたにあげていたもの。それで、そのことを踏まえ てどうだった だよ﹂ ﹁だろ ﹂ ? 俺みたいな情緒豊かな人間はな、びっくりしたら他のこと全部わかんなくなん ﹁サイコパスね﹂ か冷静に分析する男がいたらどう思う ﹁⋮⋮⋮⋮仮にだ。女の子から突然熱いベーゼを受けて、 ﹃あ、今レモンの味がしたな﹄と おい今。サラッと爆弾発言すんなよ。 ? なんだ、って。と、雪ノ下は一言区切りを入れる。 ﹁なんだ糧って﹂ ﹁ええ。取り敢えずは協力感謝するわ。これで今後の執筆の糧ができたもの﹂ ﹁⋮⋮まあ、飲んでたからな﹂ ﹁因みに私はコーヒーの味がしたわ﹂ ﹁⋮⋮わざとぼかしてたのになーんで明言しちゃうかなー﹂ ﹁ちゃんと味がわかるように舌まで入れたのに﹂ ? に動揺するんでしょう ﹂ ﹁男の子は女の子に突然キスされたら、さっき飲んでいたコーヒーの味を忘れるくらい 2 30 ? ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ああうん、それでいいや﹂ て、報復が成功したのをほくそ笑む俺だった。 真っ赤になりながら、壊れたCDプレイヤーみたいに同じ言葉を連呼する雪ノ下を見 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮なによ⋮⋮なによ⋮⋮なによ⋮⋮﹂ ﹁呂律回ってねえぞ。良かったな、また糧1つ追加だ﹂ ﹁⋮⋮なによ、とつぜん﹂ ﹁ふぅ﹂ ﹁なに⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁雪ノ下、ちょっとこっち向いてみ﹂ カウントを奪われるのはぞっとしない。 ﹃いじめっ子には報復を﹄をスローガンに生きてきた手前、ここでマウント取られて軽々 そもそも、やられっぱなしが許せないたちなのだ。 こったというか。 そんなトンチンカンなことを言う雪ノ下に少し腹が立ったというか、嗜虐心が沸き起 ら﹂ ﹁私も恋愛小説にチャレンジしようかしらね。これでもノンジャンルを掲げてるんだか 31 ﹁なあ比企谷、君は本当に雪ノ下さんとなんもないのか ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮いや、うん。そうだな﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮へー﹂ ﹁⋮⋮ジト目やめろよ。男のジト目とか需要が皆無だ﹂ ﹂ ? だった。 やっぱり雪ノ下雪乃には敵わない。そんなことを遅まきながらに自覚した昼下がり で描かれた巨大なハートマークだった。⋮⋮⋮⋮報復返しされてんじゃねえか。 弁当いっぱいに敷き詰められたご飯の上に載っているのは梅干しではなく、桜でんぶ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮へー﹂ 2 32 3 カタカタとキーボードをかき鳴らす腕は既に腱鞘炎寸前である。栄養ドリンクにも 他の資料まとめはやっておくから﹂ はや効き目はなく、睡眠不足の眼球が乾いていくのが体感でも分かる。 ﹁比企谷、こっちも頼んでいいか きを残した。 俺の視界いっぱいに展開された山積みの資料を見ながら、俺は諦めたように一つの呟 ﹁⋮⋮まあな﹂ ﹁ほら、ぼーっとしてる場合じゃないだろう﹂ ど。 ように思う。⋮⋮このピリピリした雰囲気が苛立ちとかにつながんなきゃいいんだけ いる。全員の表情から疲労が見て取れて、あからさまに作業効率の方が悪くなっている フロアを見回すと、社員たちがあっちへウロウロこっちへウロウロ絶え間なく動いて ﹁そう言ったってなぁ⋮⋮﹂ ﹁仕方ないよ。どこの職種でも似たようなもんだから﹂ ﹁あいよ。⋮⋮ったく、繁忙期のせわしなさをもっと年間で分散させられないもんかね﹂ ? 33 ﹁⋮⋮今日中には帰れねえなぁ﹂ どっかの誰かさんと友情破壊ゲーの続きに勤しむ約束があった気がするが、どうやら 反故にしなくてはならないらしい。⋮⋮すまんな。遅くなるかもとは言ったから、今日 は大人しく眠っててくれ。 心の中で雪ノ下に詫びを入れながら、打鍵する指にわずかばかり強い力をこめた。 定時を過ぎてなお、終わりの見えない戦いは続く。残業代は下りるからまだマシかも しれないけれど、それでも避けたいものであることに変わりなどあるはずもない。残業 はクソだという姿勢を崩すつもりは毛頭ないのだ。 それよりも、問題は。 やべっ、コーヒーが⋮⋮ ﹂ ﹂ ﹁すいません⋮⋮コピー枚数一桁多く設定しちゃって﹂ ﹁うおぁっ ! 全然寝てないです、全然 ! ! ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮あ、いえ ! 3 34 既に限界を迎えた社員何人かが、先ほどからミスを連発しまくっていることだ。誰か の尻拭いに時間を割かれて、ますます作業が泥沼へと追い込まれていく。仕方がないこ ととはいえ、居眠りなんかは目も当てられない。睡眠時間が確保できていないのはみん な同じなのだから、擁護の情よりヘイトが表層に浮かぶのにも頷ける。 要は、破綻が始まっていた。 ⋮⋮しゃあねえなぁ。⋮⋮嫌なんだけどなぁ。⋮⋮やりたくねえなぁ。 抵抗するリトル八幡を意志の力でねじ伏せる。思いついたことを遂行するために周 囲を見渡すと、そんなカオス空間においてもその余裕を失わずにハイペースで仕事をこ ﹂ なしているイケメン君を見つけ、よう、と声をかける。 ﹂ ﹁なあ、年代物のワインで買収される気あるか ﹁⋮⋮物によるけど の分かるやつが持つべきだっていうのが俺の持論だ。 ていたのだった。⋮⋮貰いもんをまた譲るってのもどうかとは思うが、値打ち物は価値 俺はそこまで好んで酒を飲まないので、保存が面倒な高級ワインの扱いには大変困っ ﹁話が分かるやつで助かる﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮乗った﹂ ﹁ロから始まってちっちゃいイで終わるやつだ﹂ ? ? 35 さて、ワインの話は正直そこまで重要ではなくて、キモはこれからの行動だったりす る。 俺が声を張るのが余程珍しかったのか、その周囲にいる社員が一斉にこちらを向い ﹁おーいお前らちゅうもーく﹂ た。 ﹁みんな集中切れてて正直まともに仕事になってない。だから今日は切り上げて、さっ さと家帰って休んでくれ。その代わり、明日にスパートかけるぞ﹂ って人も一定数いるだろうし。 なんだか辺りがざわざわし始めた。当然か。一応上司とはいえど、役貰いたてのひ よっこだからな。年下上司の言葉なんて聞く耳持たん 上司命令だ、と付け加える。一回言ってみたかったんだよな。 ﹁居残る選択肢は無いからな。15分で退去してくれ﹂ 言ってた。⋮⋮いや、そこまで守ってもらった記憶ねえな。 あー⋮⋮あとそれから、なんだ。一応部下を守るのが上司の務めらしい。お隣さんが いる。 だが知ったことか。無意味なことやら日々やらを繰り返すのは高校の時で辟易して ! 近 く に い た 新 人 が そ う 問 う て く る。つ ま り デ ッ ド ラ イ ン が 怖 い ら し い。ち な み に ﹁いや、それだと間に合わないんじゃ⋮⋮﹂ 3 36 デッドラインは締め切りの意で、死線ではない。﹃デッドラインをくぐる﹄というと死線 を越えたみたいでかっこいいが、実際は締め切りに置いて行かれただけである。 そう言うと、怒涛の勢いで言い返される。 ﹁ほれ、お前らもさっさと帰ってくれ。そうじゃなきゃ俺も帰れん﹂ いた。しかしまだ完全に無人というわけではなく、最後の追い込みに入る。 ゾロゾロとみんなが帰っていく波を見送ると、オフィスはもうすっかりがらんとして ようだった。それに、みんな睡魔には勝てないからな。 少数派が悪だという風潮はやっぱりあって、戸惑っていた連中も結局最後には折れた 用させてもらうぞ、容赦なく。 る奴がぼちぼち現れてきた。ここら辺が日本人の日本人たる所以で、民族性である。悪 そう言って、俺から率先してデスクの上を片付ける。すると、それにつられて片付け ﹁うし、じゃあ文句ないな。ほらさっさと解散解散﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮はぁ﹂ ﹁大丈夫だっての。勝算のない賭けはしねえよ﹂ ﹁でも﹂ 違うだろ。いいから早く帰れ、こうやって拘泥してる時間が何より無駄だ﹂ ﹁寝不足で船こぎながらの1時間と、休息とってスッキリした状態での1時間じゃ全然 37 ﹁嘘つけ。絶対あいつと2人で残る気だろ﹂ ﹁バレバレの演技しやがって﹂ 見透かされていたことにたじろいで、隣にいるイケメン君と目を合わせて苦笑を漏ら ﹁俺らにも手伝わせろよ﹂ ﹂ す。⋮⋮善意なら、受け取らんわけにもいかんよな。 ﹁⋮⋮すまん。助かる﹂ ﹁はいはい、で、何する気だ ﹁了解 ﹂ 明日は数の力で比較的容易なタスクを攻略する﹂ 思ったら、かえって人数が少ない方がやりやすい。⋮⋮だから、面倒なのだけ今潰すぞ。 ﹁少数精鋭のメリットは末節までの情報伝達速度の速さだ。込み入ったことをしようと 方針を問われたので、それについての説明に移る。 ? イケメン君に話しかけた。 針路が定まったので、みんなが続々と行動に移っていく。それを遠巻きに見ながら、 ならてっぺん回って3時間くらいは覚悟していたから。 入社時期が同じ連中なので、さすがに理解が早い。⋮⋮しかしまあ、助かった。本来 ! ﹁悪いな、お前の取り分目減りしちまうわ﹂ 3 38 ﹁気にしないよ。君の人望が成したことだ﹂ の風景いつもの居場所俺を待つのは光り輝くリビング ! 取り出した鍵を差し込んで、ドアノブを回す。そうして飛び込んでくるのは、いつも だ。いやほんと、今日は良くやった。褒めてやるぞ、俺。 く。いつだかプレゼントされた時計を見ると、既に1時をまわって少しといったところ 道中何度も立ったまま眠りそうになる中、やっとこさ自分の部屋の前までたどり着 頼れる同僚たちの力添えの元、ヘロヘロの体に鞭を打って再度加速をかけた。 ﹁おう﹂ ﹁気合入れてこう﹂ ﹁なら、そうさせてもらうかな。⋮⋮⋮⋮⋮よっしゃ、こっから正念場だぞ﹂ ﹁それでもこうして付いてきてくれる誰かがいるんだ。誇っていいと思うけど﹂ ﹁⋮⋮どっちかっていうと嘘つきなのがバレてるだけだがな﹂ 39 り な さ い ﹂ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮いや待て、だからなんで電気付いてる⁉ え ! ! ! ? ノ下だった。⋮⋮1時すぎなんだけど、まさか今までずっとか ﹁どうしたの ﹂ るから耐性が鈍ったのだと思いたい。 笑みを浮かべながら雪ノ下が答える。その顔を見て思わず頬が熱くなるが、疲れてい ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮ッ﹂ ﹁ならいいわ﹂ 長したのだと思う。あの日々を経て。或いは、今の日々があって。 自分から救いを求めるのはまだ苦手だが、それでもようやく出来るようになった。成 ﹁⋮⋮⋮⋮いや、それはない。頼れるやつも、助けてくれるやつもいるんだ﹂ でるんじゃないでしょうね﹂ ﹁帰って来ないのかと思ったわ。⋮⋮⋮⋮もしかして、昔みたいにまた1人で抱え込ん ? 俺を待ち受けていたのは、猫のアップリケがアクセントとなった寝間着を身に纏う雪 ! ﹁おかえりなさい﹂ か ! ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁お ! ﹁⋮⋮ああうん、ただいま﹂ ! ? 3 40 ﹁いや、なんでもない。マジでなんでもないなら気にしないでくれ。むしろなんでもな ﹂ さすぎて逆に問題まである﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮そう ﹁は お前夜食とかするやつだったっけ ﹂ ? ﹂ ? 1人で食べるご飯は寂しい ? し、味気ないのよ。感想を言ってくれる人の1人もいなくては張り合いがないわ﹂ ﹁私 が 何 の た め に あ な た を こ こ に 連 れ て き た か 忘 れ た の はあまったく、と雪ノ下が言葉を区切り、そこから続ける。 ﹁⋮⋮食べててくれて良かったのに。⋮⋮ってか、眠っててくれよ﹂ ﹁何よ、急に黙って。罪悪感 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂ に﹂ ﹁そ ん な わ け な い じ ゃ な い。誰 か さ ん の 帰 り が 遅 い せ い で 夕 食 に も あ り つ け て な い の ? ﹁早くこっちに来て。私もうお腹ぺこぺこなのよ﹂ らないくらいいるから。 諦めた。友達⋮⋮ああいや、俺風に言うなら味方か。今の俺には味方が両手の指じゃ足 伊達にぼっちやってたわけじゃねえわ。⋮⋮でもとっくの昔にぼっちを自称するのは 早口でまくし立てたせいかちょっとビックリされちゃってんじゃねえか。ほーんと、 ? 41 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮すまん、そこまで考えてるとは思ってなかった﹂ ﹁言葉が違う。やり直し﹂ いや、言葉が違うとか言われても⋮⋮。俺はすっかり鈍った頭をどうにか回転させ て、適解を導き出そうとする。 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮サンキューな﹂ ﹁正解。正解者には私お手製の夕食をプレゼントするわ﹂ ﹁待ってて﹂とだけいうと雪ノ下はパタパタとキッチンへ向かう。大方、料理の温め直し をするためだろう。 の そ れ が。 手を突っ込んで中をあさると、やはりあった。箱からして高級感の漂う給料3ヶ月分 前に買ったっきり渡せていないとびきり特別な金品が入っているはずだ。 俺は視線を自分の通勤カバンに落とす。落としてさえいなければ、ここにはずいぶん のか。あいつが喜びそうな金品が。 越してしまっているし、あいつ相手に金品ではどうしようもない。⋮⋮いや、1つある に、俺はどうやって恩を返せば良いのだろうか。もはや労ってどうこうのレベルは飛び 彼女が離れてから、俺は言葉もなく立ち尽くしていた。⋮⋮ここまでしてくれるやつ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂ 3 42 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ﹂ 覚悟決めるか。 ﹁どうしたの ﹂ ! ﹁お、おう﹂ ? ﹁じゃあ、頂きます﹂ う。そこにはいつもと変わらず、旨そうな料理がならんでいた。 どうにか誤魔化しきれたようで、そのまま雪ノ下の手に引かれてダイニングへと向か ﹁それもそうね﹂ ﹁今に始まったことじゃねえよ﹂ ﹁⋮⋮そう、変なの﹂ ﹁なんもないぞ。本当に全然なにも﹂ ﹁挙動不審よ。何かあったの ﹂ ﹁準備終わったわ。早く食べましょう﹂ だけにとどまっている。 ケットにねじ込む。どうやら気づかれはしなかったようで、不思議そうにこちらを見る 横合いから突如にゅっと現れた雪ノ下に驚いて、手に持っていたそれを無理やりポ ﹁どわぁっ ? 43 ﹁はい、召し上がれ﹂ 取り敢えず目に付いた煮物を口へと運ぶが、アホみたいな心拍数と震えのせいでまる ﹂ 旨いぞ相変わらず﹂ で味がわからない。続いてご飯、味噌汁と食べるが、やはり同じ味だ。 ﹁どう ﹁どうって⋮⋮⋮⋮あ、味な ﹁そう﹂ ﹁それにしても﹂ 嫌ではないのだ。勘違いしないでくれ。 緊張のせいか、いつにもましてぶっきらぼうな口調になっている気がする。別に不機 ﹁善処する﹂ の都合があるんだから﹂ ﹁いきなり話は変わるけど、明日以降は帰るときに連絡ちょうだいね。こちらにも料理 よ⋮⋮てか世の中のパパさん強心臓すぎんだろ。これまで舐めててマジごめんなさい。 ヤバイって。声とか超裏返ってる。ウチの親父はこんな難関を突破した猛者なのか ! ? り出せってんだ。 どうにか相槌を打って、会話を成立させようとする。⋮⋮一体どんなタイミングで切 ﹁おう﹂ 3 44 ﹂ ? ﹁なによ。今日はずいぶん様子がおかしいのね﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂ もう後には引き返せない。退路は断たれた。後は前に進むだけだ。 ﹁はい ﹁⋮⋮それなんだが﹂ ここしか⋮⋮ここしかないだろ。 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ﹁こんなことをしていると、本当の夫婦みたいよね﹂ 45 ﹂ 悪かったって。⋮⋮待てよ、今、言うから。 ﹁⋮⋮その、これ。受け取る気ないか ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮これは えばやはり情けない。 ﹂ さの欠片もない腑抜けたものだった。⋮⋮俺らしいと言えば俺らしいが、情けないと言 そうしてポケットから黒塗りの箱を取り出す。ようやく振り絞った言葉はカッコ良 ? ﹁⋮⋮⋮⋮右手 ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮だから、それを薬指につけてくれって話なんだが﹂ ﹁⋮⋮指輪、ね。でも、今日はイベントがあるというわけでは﹂ んとか制しながら、その一点のみを凝視する。 雪ノ下の白魚のような指がゆっくりと箱を開ける。心臓が破裂しそうになるのをな ﹁⋮⋮開けりゃ分かる。多分﹂ ? ﹁⋮⋮⋮⋮冗談、よね ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮左に決まってんだろ﹂ ? ? の可能性を加味しないとかどんだけ自信過剰なんだよだいたいこんな美人が俺になび そう言うと、雪ノ下はその場でフリーズしてしまった。⋮⋮⋮⋮俺としたことが失敗 ﹁⋮⋮⋮⋮冗談に給料3ヶ月分も使える程道楽家じゃない﹂ 3 46 くのがおかしいっていうかそもそも よく、分からない﹂ ? ﹂ ? は頷いた。 ? 泣き腫らした目を細めながら笑っている目の前の彼女を見ながら、そう確信した。 かった分、こっからはもう、きっと大丈夫だ。 と り ぼ っ ち と ひ と り ぼ っ ち は ふ た り ぼ っ ち に な っ た。⋮⋮ こ れ ま で の 道 の り が 険 し かくして、出会いから足掛け10年に少し足らないくらいの月日を経て、ようやくひ ﹁⋮⋮任せとけ﹂ ﹁幸せにしてね ﹂ たっぷり数秒ためてのち、これまで見てきた中で一番の笑みを浮かべながら、雪ノ下 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮はい﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮一生、隣にいてくれるか だから、最後に一発、決定的なヤツを。 ままでは締まらない感じがするのだ。何より、こいつは笑っていた方が絵になるから。 こいつの泣き顔を見る機会なんて2度とないと思っていた。でもなんというか、この ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮なんでかしらね ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮じゃあ、なんで泣いてんだよ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮嬉しい。ずっと、ずっとずっと待ってた﹂ 47 いつにもまして活力的だけど。いいことあった ﹂ アドレナリンをドバドバ発しながら、まずは目先の敵を倒すことに注力した。 ? ﹁比企谷どうした ﹁⋮⋮⋮⋮よく分かんないけど、分かったよ﹂ ﹁うっせほっとけ。⋮⋮頑張んなきゃかっこつかねえんだよ﹂ ? ﹁⋮⋮口じゃなくて手ェ動かせ。納期はすぐそこなんだからな﹂ 3 48 4 ペットショップ。そこは多種多様な動物たちの仮宿であり、また同時に、数多の動物 好きにおける楽園である。決して氷柱をすっ飛ばしてくるスタンド使いのことではな いので悪しからず。 大型ショッピングモールなんかに併設されていることも多く、買い物に飽きた子供や ら荷物持ちに疲れた旦那さんやらの安息地となっていることも珍しくない。奥さん的 にもなかなかポイントの高そうな場所である。 かく言う俺もアニマルスキーヤーなので、ペットショップは名誉ほっこりスポット認 定している。やったぜ。 飼い主を探すという条件的にちっこいやつばかりだというのが特に素晴らしい。仔 犬に仔猫、小鳥に小魚に小島⋮⋮⋮⋮⋮⋮小島 まあいい。 ひょっとすると国籍まで無視してあそこは天国だ。 ﹂ とにかく、ちっこい毛玉がいっぱいなら可愛らしいのは自明の理であって、年齢や、 ? ﹁んで、天国いってる最中で悪いんだが⋮⋮⋮⋮目星はついたか ? 49 ﹁待って。もう少し集中させて﹂ 店員さんにお願いしてショーケースから連れてきてもらった仔猫3匹とにらめっこ をしながら、あーでもないこーでもないと唸る雪ノ下⋮⋮⋮⋮じゃないんでしたね、も う。⋮⋮⋮⋮えっと、比企谷︵妻︶の微笑ましい様子を拝みながら、本日朝の回想に移 ろう。 ﹃ペットショップに行きます﹄ ﹃どうしたいきなり﹄ ﹃今の生活にも慣れて余裕ができたので猫を飼います﹄ ﹃いや、賛成だけどさ。なんだそのテンション﹄ ﹃何でもないわ。学生時代からため込んできた猫欲がもうそろそろ炸裂しそうなだけ﹄ ﹃重症じゃねぇか⋮⋮⋮⋮。ならさっさと行こうぜ、どうせ時間かかるんだろうし﹄ ﹃そうね、30秒で支度して頂戴﹄ ﹃せめてあと10秒﹄ ﹃28、27、26﹄ ﹃慈悲はねぇのか⋮⋮⋮⋮﹄ ﹃⋮⋮冗談よ。でも、可及的速やかにお願い。はやる思いを抑えきれそうにないの﹄ 4 50 ﹃はいはいお姫様﹄ ﹃聞いちゃいねぇ⋮⋮﹄ ﹃鳴き声⋮⋮かわいい﹄ ﹃いや喜ぶのは良いんだがこの段階でエベレスト登りきったみたいな顔されても﹄ ﹃⋮⋮ここに運命の出会いがあるのね﹄ ﹃恥ずかしいから止めてくれ﹄ ﹃帰りはおぶってもらうわ﹄ ﹃いや速い速い歩くの速い。帰りもあんだぞペース考えろ﹄ 51 ﹃猫⋮⋮いっぱい⋮⋮夢 ﹄ ﹃⋮⋮⋮⋮出してもらうか﹄ ﹃仲良しさんなのね⋮⋮⋮⋮⋮にゃー⋮⋮﹄ ﹃おぉ⋮⋮あ、兄弟って書いてあんぞ﹄ ﹃この子たちずいぶんとやんちゃね﹄ ﹁やっぱ聞いちゃいねぇ⋮⋮﹄ ﹃⋮⋮⋮⋮あ、あの子綺麗﹄ ﹃よかったな現実だぞ。生き地獄ならぬ生き天国だ﹄ ﹃ひはいわ﹄ ﹃作家様のボキャブラリーじゃねえぞ⋮⋮ほれ、痛いだろ﹄ ? そんなこんなで現在。ペットショップ到着から数えて1時間、ウチの奥さまはおそら ﹃んんっ⋮⋮そうね﹄ 4 52 く俺が見てきた中で過去1番の葛藤を抱えていた。 ﹂ ? ﹂ ちはただじっとこちらをそのつぶらな瞳見つめてくる。⋮⋮浄化とかされねぇよな ﹁この3匹から選ぶのは確定でいいのか の兄貴だか弟だかをつついたりと、非常に愛嬌溢れる仕草を見せてくれる。最初の1匹 まさしく借りてきた猫のようにぎこちなく動く仔猫たちは、時折あくびをしたり、横 が奥ゆかしいわよね﹂ ﹁ええ。ショーケースの中では大暴れだったのに外に出したら急に大人しくなるあたり ? ? 俺たちがなかなか際どいトークをしている間にも、床にちょこんと座り込んだ仔猫た ﹁より卑猥になってんじゃねぇか⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁じゃあ、赤ちゃんの素 葉を発するんじゃありません﹂ ﹁なにその複雑な家庭事情⋮⋮ってか、花も恥じらう女性が天下の往来で子種なんて言 を溜め込んでおけるって話を耳にしたこともあるわ﹂ ﹁単純に親がハーフやクォーター同士だったとかではないかしら。それに、母猫は子種 ねえよな﹂ ﹁兄弟でここまで柄が違うってのもなかなか乙なもんだよな。⋮⋮全員腹違いとかじゃ ﹁やはりサバトラかしら⋮⋮いえ、ここはキジトラ⋮⋮しかし茶トラも捨て難いし⋮⋮﹂ 53 を決めるトレーナーは多分こんな気分なんだろうなぁ⋮⋮。 ﹁⋮⋮⋮⋮惜しむらくは、みんなかわいいから決め手に欠けることなのよね﹂ そう言いながら彼女がサバトラの顎のあたりを撫でくると、ゴロゴロと喉が鳴る音が ﹁⋮⋮だなぁ﹂ する。負けじと俺もキジトラ茶トラを撫でると、こいつらも揃ってゴロゴロ言い出し た。⋮⋮⋮⋮ゴロゴロ合唱聞いてるだけじゃ進まないんだよなぁ。 ﹁みんな同じく人懐っこいしなぁ﹂ ﹂ 俺がさっきの2匹を両手に抱えるが、2匹とも抵抗するそぶりすらない。彼女の方も ﹁⋮⋮本当よね﹂ 同様に大人しく抱っこされている。 ﹂ ﹁家族になるんだから適当ってわけにもいかんし⋮⋮⋮⋮どうする ﹁どうするって⋮⋮⋮⋮どうしましょうね ? ﹁なあ、ちょっと思いついたこと言っていいか﹂ か、こいつらだって家族なんだもんな。 2人して頭を抱えるが、その間にも3匹は俺たちの足元に擦り寄ってくる。⋮⋮そっ ? ﹂ ﹁あら奇遇ね。私も突拍子もないことを考えついたの﹂ ﹁せーので行くか ? 4 54 ﹁別にそんなの要らないわよ。あなたの考え、聞かせて頂戴 ﹂ そう振られたので、俺は思いついたことをそのまま口に出す。 ? ﹁嫉妬 ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮さいで﹂ ﹂ ﹁あなたは特別枠だもの。心配しないでいいのよ ? ﹂ 変な感じになった空気をリセットするため、彼女の頭を猫にもやったように撫で繰り ﹁ちげえっての﹂ ? ? ﹁俺の役取られんじゃねえの ﹁願ったり叶ったりよ。日中も寂しくなくなるわ﹂ ﹁賑やかになるな﹂ 語道断だからな。 にこやかに彼女が答える。家族が増える過程で他の家族の仲を引き裂くのなんて言 ﹁賛成﹂ 3人組なら多頭飼いでも特に問題ないだろう。 あくまで猫視点の話だけれど。でもまぁこっちには色々余裕があるし、それに仲良し ﹁みんな連れて帰ろうぜ。置いてくのも、置いていかせんのも忍びない﹂ 55 まわす。細い体はぐらんぐらんと揺れてその様はまるでヤジロベエのようだ。 ﹁失礼なこと考えてるでしょ﹂ ﹁ぎっくぅ﹂ ﹁またわざとらしい⋮⋮﹂ も買うもんいっぱいだ﹂ ﹁そんなことよりあれだ。さっさと店員さん呼んで手続きしようぜ。3匹もいたら他に ﹁そうね⋮⋮⋮⋮。ついに猫缶を開けたり、猫団子を見たりする幸せを味わえると思う と感慨深いわ﹂ ﹁その前にトイレのしつけとか、悪いことしたら叱るとか色々あるぞ﹂ だから甘やかしすぎんなよ、と釘をさすと、彼女は勝手知ったる風にこう答えた。 ﹁もちろん。面倒なのまで含めてかわいがるわ﹂ 家族ですものね、と最後に付け足される。⋮⋮⋮⋮だな、そこまで考えてやっと家族 だ。明るいとこだけ見続けるなんて、そんなのはおこがましいにも程がある。 ﹁んじゃ、ひとまずケージと食い物選ぶか﹂ ﹁金の猫缶というものがあるらしいのだけれど﹂ ﹁早速甘やかす気満々じゃねぇか⋮⋮﹂ 4 56 冗談 を飛ばしながらアレもコレもとカゴに叩き込んでいく。使うべきところで金 俺の月収に届きかけたあたりでようやく止まった。 板の数字が増えていく。なおも増えに増え続けた数字は、割と高給取りであるつもりの ピッ、ピッ、と規則的なリズムでバーコードがスキャニングされ、その度に電光掲示 ようで何よりだ。 ぎょっとなったが、すかさず営業スマイルに切り替わった。社員教育が行き届いている 一 通 り 終 え る と、満 杯 に な っ た カ ゴ を 3 つ ほ ど レ ジ に 通 す。店 員 さ ん の 顔 が 一 瞬 を惜しまないあたりに、こいつに金が流れてくる原因の一端を見た気がした。 ? だが、それに見合うだけの価値は十分に得られるので、別に問題にすることも無いだろ 遊び疲れたのか、既にケージ内でうとうとしている仔猫たちの方を仰ぐ。高い買い物 ﹁こいつら自身にも値が付いてんだからしゃあねえな﹂ ﹁まあこんなものよね﹂ 57 う。 ﹁か、会計は﹂ あまりの額に驚きを隠せなかったのか、さっきは思いとどまれた店員さんの表情が若 干引きつっている。桁を確かめるようにゆっくりと数字を読み上げた後で、こっちの返 答を待っているようだ。 ﹁カードでお願いします﹂ 彼女がそう言ってカードを取り出すと、今度こそ完全に店員さんの時間が停止した。 ので、これが妥当な線だろう。 で猫は完全に爆睡してしまっているし、おまけにウチの奥さまも歩き疲れてヘトヘトな 荷物が多すぎるために帰りにはタクシーを拾うことにした。俺らが構いすぎたせい 帰れたのか、順調に精算は終わり、晴れて仔猫たちはウチの家族の一員となった。 あまりに見ていられないので、俺は財布から自分のカードを差し出した。それで我に ﹁すいません、やっぱりこっちでお願いします﹂ 4 58 ﹁時にお前さんやい、家族連れがメイン客層のショッピングモールで黒いカードを取り 出すのは、今後無しの方向性で頼む﹂ だからなぁ⋮⋮。てか金持ちすぎないですかねウチの奥さま ﹂ ? ﹁これくらいが丁度いいのよ﹂ ﹁気張りすぎじゃないか ﹁おかえりなさい。ようこそ、我が家へ﹂ はこう言った。 少しだけ間を空けてから俺が部屋に入ると、両手を目一杯に広げた彼女、比企谷雪乃 い。 ドアを開けると、一足先に彼女だけが部屋に入る。どうやらやりたいことがあるらし たが、なんでかんでようやく家へ帰ってこれた。 その後も車内で仔猫たちが続々と目覚めだしたり、彼女がウズウズしたりと色々あっ ? 店員さんの強張った顔を思い出してごちる。最強の黒光りカードは一般人には無縁 ﹁目が点ってああいうのを言うんだろうな⋮⋮﹂ ね﹂ ﹁ええ、私も疲れていたから適当に手にしたものを出したのだけれど、あれは酷いミスよ 59 ﹁⋮⋮ま、そういうことにしとくか。んじゃあ、お待ちかねの外の世界だ﹂ そう言って、狭いゲージの中で窮屈な思いをしていたのであろう3匹を一気に解き放 つ。 3匹はよちよち歩きで右方左方を行き来して、時にソファに登ったり、テレビ裏に隠 ﹂ れたりしながら鬱憤を晴らしているようだった。⋮⋮気に入ってもらえたようで何よ りだと、横の彼女と頷きを交わし合う。 ﹁名前は⋮⋮ゆっくりでいいか﹂ ﹁そうね。一生ものですもの﹂ ﹁でも、どうしてまた突然猫を飼うなんて言い出したんだ て、頬をグニグニ引き延ばしている。 彼女は所在なさげに視線を動かしながら、たまたま近くにきたキジトラを抱きかかえ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮いえ、それはその﹂ ? ﹁いや、元から猫好きなのは知ってたし、今までを思えば全然おかしくは無いんだが﹂ ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮いえ、実は理由があるのよ﹂ ﹁なに ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮その、ね﹂ ? そこまで言うと、また押し黙ってしまう彼女。よほど深刻な何かなのだろうか ? 4 60 ばっちこい﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮んんんっ、よし、じゃあ、言うわね﹂ ﹁⋮⋮⋮おう まあたまに聞くけど﹂ ? ﹂ ? いく。 計算あわないけど﹂ ﹁家族、今から4人も増えるのよ﹂ ﹁⋮⋮ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ほんとにもう。いい ? ? ﹁ん、おお﹂ よく聞きなさい﹂ 俺がクエスチョンマークを浮かべながら首を捻っていると、彼女は更に言葉を紡いで ﹁はい ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ほんと、肝心なところで察しが悪いのね﹂ ﹁シェパードに乗っかってる赤ん坊とか微笑ましいよな﹂ ういうの、すごく素敵だと思うの﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮ペットが子供の遊び相手になったり、命の大切さを身を以て教えたり、そ ﹁そうだろうな﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮小さな頃から命に触れるのって大切よね﹂ ﹁ん ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮その、情操教育ってあるじゃない﹂ ? 61 彼女は1度大きく息を吸って呼吸を整えると、トドメの一言を口にする。 ﹁あなた、父親になるのよ﹂ ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ マジ きそうだ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ああ、うん。だよな。すまん、超嬉しい。正直ちょっと泣 ﹁しっかりして頂戴、お父さん﹂ おう、悪い。ちょっと現実味がわかないというか﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ﹁3ヶ月だって﹂ ? ﹁今はまだ早いわよ。これからが大変なんだから﹂ 4 62 ﹁だよな。うん、そうだ﹂ 心 を 絨 毯 爆 撃 さ れ た よ う な も の す ご い 一 撃 だ っ た。⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 未 だ に 浮 か れ た 心 持ちで、正直輪郭がようやっと掴めたくらいだが、これからじくじくと全てを分かって いくのだろう。ただ、今はすごく嬉しい。もしかしたら、あの日々を渡り歩いてきた時 からこんな結末を迎えることを期待していたのかもしれない。ここには、そう思える自 分がいる。 彼女は両の手のひらに乗せたキジトラに対し、 ﹁あなたもお兄ちゃんになるのね﹂なん て言っている。その様子が愛おしくて、胸がいっぱいになる。 ﹂ ? ん変わったよ。でも、悪くない変化だ。すごく好ましい。 口元にうっすらと笑みを浮かべた彼女は、俺に答えを急かす。やっぱりお前はずいぶ ﹁そう。で、なに ﹁⋮⋮いや、今は良いんだ﹂ ﹁雪ノ下じゃありません﹂ ﹁なあ、雪ノ下﹂ 63 ﹁幸せになろうな﹂ ﹁問題ないわ。今でも十分幸せだもの﹂ ﹁⋮⋮じゃあ、今よりもっとだ﹂ 願わくば、この幸せが一生途切れませんようにと。 そんな言葉に出さない誓いを、目の前で花のように微笑んでいる彼女に立てた。 それでも、絶対に乗り越えよう。俺はもう、一人だったあの頃とは違うんだから。 けれど。 う。辛いことも、悲しいことだってきっとある。 多分これから先10年とか20年とか、今じゃ考えつかないようなことが起こるだろ 前らも含めて俺が全部背負って立つから。 まだ幼い猫たちは意味もわからずそこら辺をクルクルまわっている。待ってろよ、お ﹁喜んで﹂ 4 64 なんともなしに休みを取った平日、昔と変わらずにソファでゲームに勤しみながら、 こちらも変わらず隣で新作の執筆に励む奥さんに、一つの質問をした。 ﹁なあ、雪ノ下﹂ ﹁とっくに雪ノ下じゃないわ﹂ ﹂ ﹁いや、今はいいんだよ﹂ ﹁そう。で、なに ただいまー ﹂ そんな会話をしていると、玄関のあたりがやけに忙しない。どうやら娘が帰ってきた ﹁そうか。なら良いんだ﹂ ﹁ええ、もちろん﹂ ﹁今、幸せか﹂ あの日と全く変わらない笑みで雪ノ下は俺に答えを急かす。 ? おとうさーん ! ! ようだ。 ﹁おかあさーん ! 65 どちらにも似ずにお転婆に育ってしまった娘の様子に苦笑しながら、2人揃ってこう 返事をした。 ﹁﹁おかえりなさい﹂﹂ 4 66
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