大きなリュックサックを渡すと欠食児童のように飛びついた。中を覗き込んだ途端顔を輝かせる。チョコレートやプリ こいつの食い意地は誰にも負けない。 ﹁ 違 う よ 、 二 人 分 だ ﹂ ﹁ い つ の 間 に ! し か も お 前 だ け か よ ! ﹂ 木村が目をひんむいた。 ﹁ 倉 沢 が 持 た せ て く れ た 非 常 食 な ら ・ ・ ・ ・ ﹂ ﹁ 何 か 持 っ て き た か ? ﹂ ﹁ 二 時 間 弱 ﹂ ﹁ 何 時 間 か か る ? ﹂ らしかった。 こいつは俺がご飯と味噌汁に焼き魚、卵焼き、納豆という定番朝食を用意してやったにも関わらずまだ腹が減っている ﹁ ダ メ だ 。 な ん か 食 え ば よ か っ た ﹂ ばらくして俺の横へ尻をつけてきた。 く我らがイケメン上司に無邪気に手を振り続けた。酔い止めがまったく利かないのと低血圧で俺はへたり込み、木村もし 海上保安庁の巡視船に揺られながら俺は早くも胸が悪くなり、案外平気な木村は甲板へ出て、どんどん小さくなってい が生きているとしても、ここではもう二度と遠山に会うことはできない。 何かがあったら。そう考えて不安で不安で仕方ないのだろう。ましてや、遠山を失ったばかりだ。いくら並行世界で遠山 だが、倉沢の気持ちも判らないではなかった。前の世で俺たちは死別し時空を超えて再会したのだ。離れた土地でもし 木村を拾い竹芝まで送ってくれた。道中何度も﹁ほんとうに大丈夫なのか﹂と訊いてくるので俺も木村も辟易した。 本当なら自分も伊豆大島へ一緒に行きたいに決まっていると言った口調だった。今朝六時にマンションの下で倉沢は俺と 俺 の 心 配 性 も さ る こ と な が ら 、倉 沢 の そ れ は 異 常 だ 。 木 村 が 家 へ 着 い た 頃 公 用 携 帯 が 鳴 り ﹁ 明 日 は 送 る ﹂ と 言 っ て き た 。 630 ッツやらせんべいやら、俺は倉沢がこれを買っているところを想像して笑ってしまった。木村は早くもスニッカーズを頬 張っている。 ﹁ お 前 は ? ﹂ ﹁ い や 、 俺 は い い 。 吐 き 気 が し て る ・ ・ ・ ・ ﹂ ﹁ 酔 っ た の か ﹂ ﹁ 言 う な 。 も っ と 気 持 ち 悪 く な る ﹂ 結局道中に木村はスニッカーズ二本、キャラメルコーン一袋とせんべい五枚を平らげた。今はペットボトルのお茶を飲 み干してご満悦だ。 ﹁ お 前 胃 袋 ど う な っ て ん の ﹂ ﹁ 俺 に も よ く わ か ら ん ﹂ 船を降りながら首を左右に傾けコキコキと鳴らす。船客待合所から龍介が出てくるのが見えた。軽く手を上げる。 ﹁ お 疲 れ 。 主 任 は 腹 が 満 た さ れ て る ね 。 誠 吾 は 例 に よ っ て 酔 っ た ね ? ﹂ 笑いながら的確に言い当てる。木村が腹をさすりながら言った。 ﹁ お 前 、 デ カ ん な れ ﹂ ﹁ や な こ っ た ﹂ 龍介がぺろりと舌を出した。スーツを着ているのに今気が付いた。 ﹁ 学 会 だ か ら 行 く よ 。 宿 は タ ク シ ー で 五 分 く ら い 。 こ れ か ら ど う す る の ? ﹂ ﹁ 荷 物 置 い て 十 時 に こ こ へ 集 合 。 そ れ か ら ま た 巡 視 船 で 出 か け る ﹂ ﹁ 了 解 。 部 屋 は 同 じ 階 に し て お い た か ら ね 。 受 付 で 言 っ た ら わ か る ﹂ ﹁ あ あ ﹂ ﹁ お い 。 久 し ぶ り の チ ュ ー も ハ グ も な い の か よ お 前 ら ﹂ 631 ﹃ 無 事 到 着 。 木 村 が 非 常 食 の 三 分 の 一 を 平 ら げ た 以 外 は 順 調 で す ﹄ いない。 俺は木村を促してタクシーへ乗った。宿の名前を告げ、携帯を取り出し倉沢へメールした。今か今かと待っているに違 ﹁ 行 こ う ﹂ とは違う何か。大きく口を開けて待っている何か。倉沢が感じていたのはこれか。 俺は俺で、上陸した瞬間から寒々とした空気を感じていた。十月初め。海上から吹きつける風は容赦ない。だが、それ ﹁ 島 に は 何 か が 宿 る っ て い う け ど 、 そ れ か な ﹂ なんでかな。神経が研ぎ澄まされてきた、と木村は首を捻った。 ﹁ 二 階 堂 が 清 流 で お 前 が 焔 。 俺 に は 今 そ れ が 見 え る ﹂ なのに、ひとつにはなれない。 いつは他の誰かじゃ絶対にダメなんだ﹂ ﹁ 完 璧 な ん だ よ な 。 ど こ か ら 見 て も 。 完 成 さ れ た 形 だ か ら 、 何 の エ ッ セ ン ス も い ら な い 。 近 付 け る の は お 前 だ け だ 。 あ もちろん龍介は男性だ。だが木村の言わんとするところはよく判る。 半陰陽。ヘルマプロディトス。両性具有。 ﹁ し か し あ い つ は 美 し い ね 。 ど う い う ん だ ろ う な ・ ・ ・ ・ 性 別 不 詳 な ん だ よ 。 男 で も 女 で も な い 感 じ 。 い や 、 男 だ け ど ﹂ 振り向くと木村がニヤニヤしている。 龍介はけらけら笑っている。さらりと俺の頬を撫で、支庁のある方向へ歩いて行ってしまった。 ﹁ 相 変 わ ら ず だ ね ﹂ ﹁ お 前 は 余 計 な 事 を 言 う な ﹂ 俺は慌てて木村を引っ張った。海上保安庁の人間もいる。 631 ﹃ 了 解 。 気 を 付 け ろ 。 何 か あ れ ば ヘ リ を 飛 ば す ﹄ しばらく携帯を凝視し、パタンと閉じた。倉沢は物凄い疲労を感じて目をつぶった。海底から人骨が見つかる。その夢 をここ最近何度繰り返して見たことだろう? そこへ海上保安庁からの出動要請だった。神経質にならざるを得ない。遠 山ならどうしただろう? 部下たちを送り込むのを阻止しただろうか? 自分が行くと言っただろうか? もちろん倉沢 も自らが出向きたかった。だが遠山がいない今それは到底できなかった。一課長の任務を兼任しまだ僅か、すっかり士気 の下がってしまった捜査一課は捜査への意欲も見せず、全体が沈鬱な空気から抜け出せずにいた。 たかが夢だ。倉沢はそう心の中で呟いた。それに人骨が見つかったところで捜査が始まるだけだ。部下たちに何かが起 こるわけではない。悪い方向へ考えるから不安になるのだ。このままでは俺はほんとうに病気になってしまう。 遠山が亡くなってから桐島に会っていない、と唐突に思い出した。 桐島を最後に見たのは遠山の葬式だった。勝又と一緒に来ていた。話している時間はなく、桐島は宮城に一言ふたこと 言 い 、足 早 に 帰 っ て い っ た 。勝 又 は 出 棺 ま で 残 り 俺 た ち と 共 に 火 葬 場 ま で 来 て い た 。喪 主 を 務 め た 宮 城 は 最 後 ま で 気 丈 だ っ たが、火葬場で流石に崩れた。俺は医者としての沈着冷静な宮城暉しか知らず、完璧なまでの彼もやはり人間なのだと少 し安堵したものだった。遠山は並行世界で元気でいるだろうか。宮城とはいつもの調子で仲良くやっているだろうか。宮 城はどうしているだろうか。桐島の病棟に入院しているはずだ。時間を見つけて訪ねてみよう。 倉沢は立ち上がった。感傷に浸っている場合ではない。午前九時半。今朝は警察庁刑事局との会議がある。 632
© Copyright 2024 ExpyDoc