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特集
経営者のためのリスクマネジメント
プラント操業におけるリスク・マネジメント
─リスク・ベースド・アプローチの実践
東燃ゼネラル石油株式会社 代表取締役社長
武藤 潤
1.はじめに
よっては,その工場の就業者のみならず,近
現代の企業を取り巻く環境は,ますます複
ある。こういった事故の発生確率について論
雑化しており,企業経営者は,さまざまなリ
じることは,日本ではややもすると,タブー
スクを適切にマネジメントして企業経営を行
視され,いわゆる「絶対安全」(あらゆる事
う必要がある。リスクは,気候変動,サイバ
故の発生確率はゼロでなければいけない,そ
ーテロ,国際紛争,為替から意志決定のベー
うするべきである)の風潮がある。
スとなる経営環境の不確実性など多岐にわた
隣の工場,住民の方々に影響を及ぼす恐れが
一方,石油 / 化学等の工場操業において,
る。本稿は,
当社のような石油 / 化学産業で,
事故はある確率で起こり得る。装置の誤作
操業の基盤とも言える「安全・健康・環境」,
動,人の思い込み,ヒューマンエラーなどゼ
とりわけ,装置・運転に係わる安全(Process
ロにはならない。また,事故にはさまざまな
Safety: 以下,
PS)のリスク・マネジメント(以
影響度があり(例えば,火災で言うと,ボ
下,
RM)について経営者の視点から整理した。
ヤ,中火災,大火災等),PS に係わるリスク
RM の 一 般 的 理 論・ 整 理 等 に つ い て は,
は,「影響度(Consequence)」と「発生確率
ISO 31000(2009 年発行)等に譲るとして,
(Probability)」の視点で評価できる。それ
ここでは,PSRM(プロセス・セーフティー
らは,
「リスク・マトリクス」 上にプロット
のリスク・マネジメント)の重要性,必要性,
できる(図 1)。全ての事故の発生確率ある
経営者として重視している点,具体的運用事
いは影響度をゼロにすることは,現実的には
例等に焦点を絞った。
不可能で,
「ゼロ」にするには,
「操業しない」
石 油・ 化 学 産 業 の RM 実 践 事 例 と し て,
皆様のご参考になれば幸甚である。
2.なぜ,PSRM が重要なのか ? ─リスク・ベースド・アプローチ
PS に係わる事故としては,具体的には,
工場における火災,爆発,ガス漏えい,油流
出などが挙げられる。これらは,その程度に
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図 1 リスク・マトリクス例
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ということになる。
安全工学の専門家 中村先生の著書
1)
の中
即ち,工場を操業する以上,リスクは,必
で,「日本社会は『リスクゼロ』 を求めてい
ず存在する。これは,厳然たる事実である。
るが,これは理念目標であって実現可能な目
私たちは,近代産業の発展で得られるベネフ
標ではない。すべてのリスクをゼロにできな
ィットの対価としてリスクを負っている。重
いということは,『どこまでのリスクを許容
要なのは,これらのリスクを確実に抽出し,
するか』が問われる。欧米のように『現実に
許容できる影響度,発生確率以下に管理し,
実現可能な目標』の下に,重大事故を防止す
低減することだ。言い換えると,許容できな
るリスクベースの安全管理・設備管理に移行
い「重大な事故をいかに撲滅するか ?」とい
する時期に来ている。」 と書かれており,正
うことであり,この達成のためには,適切な
にその通りだと思う。近年,所轄官庁の方
PSRM がきわめて重要となる。
とも RBA について論じており,石油連盟の
石油 / 化学産業において,さまざまな事故
を教訓として 1980 年代後半頃から PSRM の
安全に関する自主行動計画でも「RBA 推進,
重大事故撲滅」という目標を掲げた。
研究が進められた。科学的根拠に基づくいろ
現 在,PSRM / RBA を 体 系 的 に 論 じ た
いろな操業のマネジメント・システムも提案
も の と し て CCPS(Center for Chemical
されてきた。これらの考え方の基盤は,リ
Process Safety)による一連の成果物(代
スク・ベースド・アプローチ(以下,RBA)
表例;Guidelines for Risk Based Process
あるいは,リスク・ベースド・プロセス・セ
Safety[2007 年刊])がある。当社においても,
ーフティー
(以下,RBPS)として確立された。
この内容を包含した「操業管理システム」を
企業の持つリソース(ヒト,モノ,カネ)は
1990 年代後半より導入した。以下,CCPS
有限であり,重大事故撲滅に向けて,いかに
のフレームワークを踏まえながら,当社にお
効果的に活用するか─重大なリスクの低減の
ける PSRM 実践例の紹介と,筆者の経験を
ために,より多くのリソースを投入する─と
通しての PSRM/ 安全についての考え等を述
いう視点がポイントとなる。総花的ではリソ
べたい。
ースが分散し,効果的にリスクを低減できな
い。そのためには,正しくリスクを発掘して,
査定・定量化して,許容できるレベルまで必
3.重大事故撲滅のための 4 つの原則
(土台)─ 20 の要素(柱)
要な対策を講じる,これを体系的,継続的に
CCPS では,重大事故撲滅の鍵となる 4 つ
行うことが必要で,これが PSRM である。
の原則を,また,それぞれに必須の要素(合
理念やスローガン,気合とか,心意気等だけ
計 20 要素)を挙げている(図 2)。それぞれ
では,重大事故のリスクは低減しない。適切
の要素のいくつかについては,次項(安全文
な PSRM システムを構築し,効果的にリソ
化構築)で触れることとして,ここでは,第
ースを投入して,PDCA サイクルを回し続
1 の原則,「PS の決意(Commit to Process
けることで,リスクを低減できる。また,こ
Safety)」についてお話したい。
の実効性を高める鍵である人材育成,教育等
もきわめて重要である。
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これは,経営トップを含め全員が,
「安全
がコア・バリューである」ことを強く信じ,
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の要素柱
Elements
つの原則土台
Pillars
(Foundational
Blocks)
図 2 CCPS「重大事故防止のための 4 つの原則と 20 の要素」
図&&36「重大事故防止のためのつの原則との要素」
2)
実践することにある。とりわけ,トップの役
文化の構築)。
割はきわめて重要だ。とにかく,トップの言
当社では,安全を「優先順位」の視点を超
行一致の安全へのコミットメントがないと何
えた「操業の基盤」と位置付け,コア・バリ
も始まらない。トップは,常にこれを言い続
ューとして
「私たちは,
安全・健康・環境
(SHE)
け,行動にも示して,組織の「安全の価値観」
を最も大切な価値観として企業活動を行う」
を強固にする必要がある。「安全第一」を掲
を掲げている。この考え方が,SHE エクセレ
げているだけでは駄目だ。これを実践するた
ンスを達成するとともに,企業収益基盤,企
めに必要なリソースを躊躇なく投入すること
業の発展等に結び付くことは,過去の歴史が
が必要で,例えば,ある操業トラブルに対す
証明しているし,筆者も強く信じるところだ。
る対策会議で,
もし,その場のリーダーが,
「安
トップは,安全に関して強く明確な方針を
全に配慮して対応して下さい。
安全第一です。
」
示し,その実行のための方法論「PSRM シ
と言いながら,会議の締め括りに「さはさり
ステム(操業管理システム)
」を提供すると
ながら,損失をミニマムとするようになんと
ともに,リソースの投入を宣言し,実践する
か装置を止めないで。とか,最短で対応する
(トップダウン),他方,現場の第一線の人は,
ように。
」などと言えば,あるいは,そうは
納得感を持って,それらを行うための能力を
言わなくても言外にそのニュアンスが感じら
高めて,自発的に改善等を行い,実効性を高
れれば,
「安全」は,言葉だけのものと皆に
める(ボトムアップ)─当社では,これらを
理解される。PS の構築には,全階層の理解
安全価値観実践のトップダウン / ボトムアッ
と参加が必須であり,
「安全─コア・バリュー」
プと称して,両者のベストミックスによって,
に基づく意志決定・行動が,クセになるくら
さらに強固な安全文化を構築していくことを
いまで,浸透・徹底される必要がある(安全
標榜している。
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また,経営者の視点で一言加えると,RM
めるために,言い換えると,PSRM システ
/ RBA の目的は,コスト削減ではない,と
ム(操業管理システム)に魂を入れるために
いうことである。RM / RBA と言うと,す
は,安全文化(CCPS では,プロセス安全文
ぐに
「コスト削減」を思い浮かべる,あるいは,
化)構築が鍵であり,安全文化の 7 つの重
「コスト削減の一つの手法」という視点で捉
要な要素が掲げられている(表 1) 。これら
えられる方がいるが,目的として,これは全
の要素のいくつかについて,当社での実践を
くの間違いである。いろいろな活動を通じて
踏まえて,筆者の考えを述べたい。
3)
継続的にリスクを発掘・評価し,適切なリス
ク低減を講じる際には,法要求を超えてコス
4.1 継続的な改善
トを掛けるという局面も出てくる。また,発
1 番 目 は,「Maintain a sense of vulne-
見されたリスクの程度においては,法的には
rability」で,これは,「自分達の安全は,完
全く問題がなくても,即プラントを停止して,
全ではない,ということを常に認識して継続
補修,改造等を行う決断に迫られる場合もあ
的な改善努力を続けること」だと考える。自
る。これらに対して,経営トップ,あるいは
社の安全文化はできている,とか,「自分た
工場のトップは,ブレることなく,躊躇なく,
ちは安全だ」,と思った瞬間から安全は瓦解
安全価値観に基づいて実践することが大切で
し始める,ということかと思う。
例えば,効果的な RBA の観点から,当社
ある。
筆者自身も工場長時代に,日常点検で確認
では,リスクの定量化(数字化)を行ってい
された潜在的なリスクの対応として,工場の
る。ハード面 / ソフト面の改善により,継続
基幹装置を 2 カ月停止してリスクの低減を図
的なリスクの低減を目指しているが,その数
った経験がある。社長となった今も,常々そ
字(リスク量)だけには囚われてはいない。
う心掛けている。
言い換えると,リスク量が,ここまで下がっ
たから,
「よし」ということはない。なぜなら,
4.安全文化構築の 7 つの要素
我々は,すべてのリスクを把握しているとは
CCPS の 20 の要素(前出)の実効性を高
のリスクがあるという立場だからだ。
考えず,常に,まだ気がついていない未発見
表 1 CCPS 安全文化構築の 7 つの要素
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当社には,HAZOP,非定常 HAZOP をは
意である。
じめ 数種類以上のリスクを発掘する,即ち,
リスク・アセスメント(以下,RA)の手法
4.2 プロセス・セーフティー専門家の養成
がある。これらを定期的に実施することを定
2, 3 番目の要素で重要な点は,「PS に関し
めており,新たなリスク発掘を進めている。
ては,専門家を養成して,PS に関する重大
リスクの削減と発掘の双方が重要だと考えて
な決定を行う際には,彼らの意見を尊重する
いる。
ことであり,そのような専門家集団を維持す
また,自社内はもちろん他社の事故に学ぶ
ること」である。
ことは,非常に大きな改善機会となる。「以
当社では,プロセス・セーフティーの専門
って他山の石となす」ということだ。前述の
家(セーフティ・アドバイザー)を本社のみ
CCPS による重大事故撲滅の 4 つの原則にも
ならず,各工場にも 1, 2 名を配置しており,
あるように「Learn from experience」はき
RA 実行や PS に係わる意志決定等において
わめて重要である。常に自分のところの安全
重要な役割を担っている。また,セーフティ・
の不完全性を認識して,他から学ぶ姿勢を維
アドバイザーは,工場横断的にネットワーク
持する必要がある。
を構成して,自身の能力を高めるとともに,
当社では,この分野にもかなりのリソース
RA/RM に関する教育でも中心的な役割を果
を投入している。
国内外の事故事例を収集し,
たし,従業員の RA/RM 能力向上を図って
各専門家から構成される全社的な事故情報検
いる。
討委員会で,スクリーニングして,その教訓
RA/RM は,工場全体に係わる高いレベル
の程度等に応じて全工場に必要なアクション
の事案だけでなく,日々の運転,保全,変更
を求める。とりわけ,重要度の高い事故事例
の管理等の局面でも必要である。これらにつ
については,
各工場でのいわゆる「水平展開」
いては,社内資格を持った副長,グループヘ
の進捗状況をマネジメント・レベルまで報告
ッド・クラスが,RA/RM を行い,意志決定
させるようにしている。また,水平展開につ
を行っている(注:あるリスクレベル以上は,
いて一言加えると,事故情報を闇雲に本社か
上長が意志決定)。この階層での RA/RM の
ら工場に流すことは厳禁で,すべてを垂れ流
質が,事故未然防止に大きな影響を与えるの
していたらいくらリソースがあっても足りな
で,RA/RM 教育はきわめて大切である。
い。しっかりした
「目利き」
(事故情報委員会)
PS からは,やや離れるが,「安全」だけで
の下,事故情報を吟味して,アクション事項
なく「労働衛生」の RA/RM のために,衛
を明確にして工場とシェアする,やはり,こ
生工学の専門家であるインダストリアル・ハ
こでも RBA の考え方が重要である。
イジニストをセーフティ・アドバイザーと同
また,自社の事故については,ニアミス・
様に本社,各工場に配置している。今年,
「640
レベルの事象も含めて,潜在的なリスクも評
の化学物質に係わる RA 実施」が法で義務化
価し,必要な水平展開を図るように努めてい
されたが,当社では,以前から 640 物質に限
る。結果オーライのニアミスで重大事故にな
定せず,工場内で取り扱っている全ての化学
り得るものもある。そういうニアミスは要注
物質を対象にし,また騒音等を含めたすべて
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のハザードに対して RA による改善を行い,
前述のようにマネジメントは,
「安全につい
従業員,協力会社員の「健康」を確保してい
てブレのない言動を実践する」ことが,必須
る。
要件である。これに加えて,事故あるいはニ
アミスが発生した際に,「責任追及ではなく,
4.3 コ ミュニケーション─マネジメントと
従業員の信頼関係の醸成
原因究明である」の姿勢を鮮明にして,共有
化することが大切だと考える。これは,類似
第 4 ~ 7 番目の要素で,重要なのは,マネ
の事故を繰り返させない,あるいはさらに大
ジメントあるいはライン管理者と従業員の双
きな事故を防止する,ことに重きをおいたア
方向コミュニケーションと相互の信頼関係の
プローチで,そうすることにより,他人に言
醸成だ。
いづらい失敗,ニアミスなども申告され,原
まずは,
「安全」 について,全員がオープ
ンに語れる雰囲気を作らなければならない。
因分析結果が共有される環境ができると考え
ている。
例えば,少しでも,安全について懸念される
当社では,人の行動によるロス(人的事
ことがあれば遠慮なく発言する,上司は,そ
故,プロセス・セーフティー事故等)を防止
れらを必ず検討し,必要なアクションをとる
する体系的な仕組みを導入している。この仕
─一度でも無視されたり,軽視されれば,二
組みの中の重要なツールの一つとして「根本
度と語ってくれることはないだろう。
原因分析」があり,全員が,
「根本原因(Root
当社では,安全について相互指摘,セーフ
Cause)を追究する」というマインドを共有
ティー・タッチを奨励している。指摘するの
化している。例えば,運転ミスによる事故の
は,時に勇気のいることだが,全社的な活動
原因が手順書の不備であれば,手順書を充実
とすることで,全員の背中を押して,安全に
するし,手順の理解不足であれば,手順の教
ついてオープン・コミュニケーションの環境
育が必要だし,手順の逸脱であれば手順を守
づくりを図っている。
ることの重要性を教えなければならない。運
また,相互信頼関係を醸成するためには,
転ミスは,原因でなく,結果であり,その根
永続的な
 誰もケガをしない、
させない
 プロセス・セーフティー
の重大事故撲滅
図 3 ゴールに向けて終わりのない旅
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本原因を明らかにしないと,焦点のボケた対
策となってしまう。
必要である。
このゴールに向けての道のりは,言わば,
終わりのない旅であり(図 3),常に改善す
5.おわりに
る努力を怠ってはならないことを肝に銘じて
本稿を終わりたい。
当社では,
安全に関するスローガンとして,
「誰もケガをしない,させない / プロセス・
セーフティーの重大事故撲滅」を掲げている。
これらは,ただ唱えるだけでなく,マネジメ
ントをはじめ全従業員が,必ず達成できると
いう強い信念を持って,取り組むことが重要
だと考えている。達成のためには,RBA に
基づく RM の実践が鍵であり,操業管理シ
ステムの実効性を徹底的に高めていくことが
Vol.53 No.8(2016)
参考図書
1)
「安全工学の考え方と実践」中村 昌允著
(平成 25 年,オーム社刊)
2)G uidelines for Risk Based Process
Safety のサマリー資料(CCPS Web)
3)G uidelines for Risk Based Process
Safety[CCPS, 2007 年 , A JOHN WILEY
& SONS, INC. 刊]
武藤 潤(むとう じゅん)
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