声優・一宮 彩

一宮 彩 の 記録
about Aya Ichimiya
はじめまして。
声優の一宮 彩と申します。
オーディション、養成所、事務所所属……と
一般的な道を突き進んできた私ですが、ある日思い立ち、独立。
現在はフリーのプロ声優として、自由に楽しく活動しております。
この「声」で、聴いてくださる方々を、そして自分自身をも幸せにしたい!!
そんな私が、生まれてから、声優という職業を選択し
フリーとして活動し始めるまでの、波瀾万丈?な経緯をご紹介いたします。
【 目次 】
生誕 ................................................................................................1
幼少期 ............................................................................................3
小学校時代 ....................................................................................5
「声優」との出会い .....................................................................8
いきなりの挫折 ..........................................................................11
初めての芝居 ..............................................................................14
高校時代 ......................................................................................17
初めての声優学校 ......................................................................20
地元で届いた「声」 ..................................................................23
地元で届いた「声」② ..............................................................26
東京・養成所時代 ......................................................................28
事務所所属時代 ..........................................................................31
一番傷ついた言葉 ......................................................................34
転機 - 気付き ..............................................................................37
転機 - 決意 .................................................................................40
独立 - はじめに ..........................................................................42
独立 - そして現実に ..................................................................45
この「声」で幸せを ..................................................................47
生誕
198X年4月28日 21時50分
二人兄妹の妹として、大阪府にて誕生。
その後、兵庫県神戸市にて育つ。
A型。牡牛座。
命名:「彩」
幸せを届けたい 428(よつば)の日生まれ
4月28日。
奇しくも、母方の祖母の誕生日でもあるその日。
家族
って母方の実家へ赴き、誕生日パーティでお寿司をたんまり食べ
たっぷり楽しみ、お風呂でゆったりした後、突然の陣痛から病院へ。
1時間くらいでつるんと産まれる。
予定日よりも1週間以上早いと驚かれつつも、体は準備万端の大きめサイズ。
「楽しそうだったから思わず出てきたんじゃないか」と
される。
真相は定かでは無い。だが、お寿司大好き。
「おじいちゃんと同じ干支で、おばあちゃんと同じ誕生日なんて
この子は、おじいちゃんおばあちゃん孝行な子やね」
と、産まれて早々に喜ばれる。
計算通り。嘘です。でもやったね。
母方では初の女の子の孫ということで「あ」から始まる名前。
祖父、父の提案、そして母の採択により、「彩」と命名される。
!1
当時、叔母から贈られた、ふりっふりの女の子用の産着を着せられると
泣き叫んで嫌がり続け、兄のお古である男の子用の産着を着せられると
ぴたりと泣き止んだらしい。記憶にない。
ただ、恐らくこの頃に見たであろう、一番古いTV画面の記憶は
ア●パンマンでもデ●ズニーでもなく
「ガンダム」と「スーパーマリオブラザーズ」である。
初めて発した言葉は「まんま」。つまり「飯」である。
ごはん大好き。
!2
幼少期
体を動かすことと、絵を描くことが好き。
走り回ったり虫採りをしたり、ご近所
プチ冒険を繰り返したりと、好奇心旺盛。
妙な度胸と根性だけはある人見知り。
初めての筋肉痛では、翌朝ピクリとも動けなくなり
何かの病気かと慌てて病院に連れて行かれた。
弟のような妹
「お兄ちゃんとあんた、性別逆の方が良かったかもねぇ」
と、母に言わしめるような幼少期を過ごす。
兄とお
いの服(男物)を身にまとい、兄以上にアグレッシブに遊び回る。
絆創膏と赤チンはお友達。
ワンピースを無理やり着せられると泣き叫んで嫌がり
あまりに愚図るので「勝手にしなさい!」と見放されると
泣きながら、いつものズボンにTシャツへ着替え、母に呆れられる。記憶がある。
しかし、孫唯一の女の子だからと、母方の実家へ行くと、叔母に「姫」と呼ばれる。
基本的には人見知りなため、されるがままになるものの、その度に目が死ぬ。
ドラゴンボールの悟飯くん(セル編)に憧れ、ショートカットになると
服装もあって、男の子と誤解されることが多発する。
でも「姫」呼ばわりよりは気にならないので、スルー。
基本、何でも信じる。言われたことは馬鹿正直にやる。全部真に受ける。
霊感のある友人と遊んでいる最中、不思議体験をしたりする。ただし、怖がり。
!3
兄の影響も大きく、TVゲームやキャッチボールなど、兄と二人でよく遊ぶ。
ゲームの操作は圧倒的に下手で、格闘ゲームで負け続けては、泣いて拗ねて
でもまた遊ぶ。負ける。そして泣く。
「おがあさぁんおにぃぢゃんがぁぁぁぁ!」
3才の頃から水泳を習っていたが、やがて、兄の後を追うように
「競泳選手コース」へと進んでいく。
!4
小学校時代
「競泳選手コース」に進むと、学校と
プールの往復ばかりの日々が続いていく。
厳しい環境で荒んでいく心の唯一の癒しは
ゲームや漫画での大冒険。
勝ち負け < 家族でごはん
専門種目は、短距離の自由形と背泳ぎ
6才になるとほぼ同時期に
スイミングスクールのコーチから声をかけられ、「競泳選手コース」に進む。
しかし
・兄がやっている。
・普通のスイミングスクールでは使えない ものとか使ってて物珍しい。
・なんか褒めてくれている。嬉しい。
という安直な考えで始めたため、レベルが上がっていくにつれて楽しくなくなる。
週5日。休日は朝夕練。生活の全ては競泳第一で、放課後も休日も
友人と遊べない毎日。休み時間が唯一の……だったのに
やがて休み時間でさえ、体力温存のために外で遊びたくなくなる。
でも本当は、楽しそうに遊んでる同級生が羨ましい。
凄いって褒められるのは嬉しいけど、何だかなぁ……。
とか思う内、そもそも人と競うギスギスした空気が苦手だと自覚する。
!5
練習が嫌いで嫌いで、いつもしこたま怒られる。やり直し組の常連。
でも何故か試合だと結果が出るため、練習のハードルが一層厳しくなる。の、繰り返し。
試合は好き。終わると、家族で餃子の王将に行けるから。
試合後の優秀賞受賞を知らず、先にさっさと帰ったことも。
いやだから家族で餃子の(以下略)
とにかく「競泳頑張る=家族でご飯とか旅行に行ける」の公式だけが全て。
そのため、自己ベストで2位に入賞した際には
コーチ「今どう思っている?」
一宮彩「自己ベストが出て嬉しいです!」
コーチ「2位なのを悔しがれ!!(怒)」
「エェェ……(゚Д゚)」ってなる。
根本的に、なんか……そうじゃない。
という違和感が日に日に膨れ上がり、中学2年生の春
それが一気に爆発する事件が起こる。
「私は、コーチやお母さんのために競泳やってるんじゃない!」
母とも人生初の大喧嘩。
大学ノートを使っての筆談を繰り返した末、競泳を辞めることが叶う。
コーチにも届け出、無事に辞めることとなったその帰り。
スイミングスクールから駐車場までの、
かな距離を歩く中で、母に
「あんたって、そんなに明るかったっけ?」
と驚かれる。
!6
顔つきが変わったとか、性格が変わったとか
いまいちピンとこなかったものの、実際、友達は増えた。嬉しかった。
冒険はゲームの世界へ
此処まで、恐らくは最も活発に遊ぶであろう小学生時代を
まるまる「競泳」という習い事漬けで過ごし、幼少期と打って変わって
ろくに遊べない日々を過ごした。
そんな中で唯一、楽しかったりドキドキしたのは
暴れ回らなくても、
かな時間であっても、色んな世界へ冒険出来る
TVゲームや漫画だった。
特に、格闘ゲームが下手な自分にも楽しめ、かつストーリーのある
ドラゴンクエスト や FF といった、RPGが大好きだった。
主人公が自分自身である ドラゴンクエスト では、3にて
冒頭の行動で性格を決められる展開がありそこで「ごうけつ」と言い渡される。
【 豪傑 - ごうけつ 】
①武勇にすぐれ、強く勇ましい人
②常識や打算にとらわれず、大胆に行動する人
悪い意味でないのは理解しつつも、その言葉の響きや意味合いから
微妙な気持ちになる程度には、乙女心を持ち始める。
ちなみに、当時、何度やってみても「ごうけつ」だったので、涙を呑んで諦めた。
このゲーム好きが、「声優」という仕事へと繋がっていく・・・。
!7
「声優」との出会い
競泳という、生活の大半を占めていた
ものがスポンと抜けたことにより
これまでの時間を取り戻すかのように
友達とたくさんお喋りをし、よく遊び
よく笑う。
そんな中で出会ったのが、「声優」。
夢の共演が連れてきた「夢」の始まり
別名:ガンダムとの出会い
前述の通り、TVゲームが日常的に遊ばれていた我が家では
その日も兄がゲームをしていた。
私はと言えば、その兄と同じ居間で
漫画を読んだり宿題したりと、好きに過ごしていた。
が、気付くと、兄がそのゲームをしている間、いつも同じタイミングで
振り向いてしまっていた。
TVから聞こえてきたのは『声』。
それを耳にして無意識に振り向くと、画面にはいつも同じキャラクター。
スパ●ボという、様々なロボット作品が夢の共演をする
有名な「戦略シミュレーションゲーム」だった。
当時の私はロボットにさほど興味もなく、見分けもつかないような状態だったのだが
さすがに、何度も何度も同じ機体とキャラクターばかり見ていると認識する。
「お兄ちゃん、これ何?」
「ガンダム」
!8
私が興味を持ったことを喜んだのか、兄は色々と教えてくれた。
そして、気になるなら自分でもそのゲームで遊んでみるよう勧めてくれた。
とはいえ、私が気になるのは、いつも振り返ってしまう2人だけ。
知りたいのはそこだけなんだけども、と思いつつゲームに触れてみる。
すると、さすがは夢の共演を果たすゲーム。
各作品について紹介されたギャラリーメニューがあるではないか!
兄に教わりつつ、真っ先に、その2人の紹介ページを見た。
すると、そこには・・・名前。登場作品。人物紹介。
・・・・・・・ん? CV?
いわゆる、キャラクターボイス。
中学生ともなると、さすがに声優の存在は知っていたが、その時は不思議と
それが、目に飛び込んでくるように感じた。
確かに、キャラクターの顔も性格もめちゃくちゃ格好良い。
ぶっちゃけ、ぞっこんレベルで好き。
けれど、そのことを知るより先に、私が惹かれたのは彼らの『声』だった。
それまで見向きもしなかったのに、ただ『声』に惹かれて、
存在に興味を持ち、知りたくなったのだ。
これは、それまで経験したことのない衝動だった。
『声』をこんなに意識したことは、生まれて初めてのことだった。
それまでもTVはよく見るし、アニメも大好きだったのに。突然の事だった。
しかも振り返ったのは、たった2人だけ。
!9
夢の共演が売りのそのゲームは、登場人物も、それはそれは多い。
その中に偶然、私が惹かれる声の持ち主である2人がいて
偶然、兄のお気に入りのパイロットもその2人で
偶然、兄はその2人を頻繁に使用し、戦闘画面をONにして遊んでいたのだ。
(OFFだと戦闘進行は速いが、音声は 聞こえないのである)
兄よ。
あなたはまるで、私にその音声を聞かせるために、居間で遊んでいたようではないか。
おかげさまで、私は『声』の力を身を持って知った。
『声』というものに、不思議なくらいに惹きつけられた。
そして、ゲームがそれまで以上に大好きになり
将来に影響を与えまくるくらい、ガンダムが大好きになった。
今尚、最も好きなGパイロットである始まりの2人が、ガンダムWの
ヒイロ・ユイ、デュオ・マックスウェルであったことを、後に私は知ることとなる。
こうして声の魅力を知った私だったが、壁は驚くほど、すぐそこにあった・・・。
!10
いきなりの挫折
初めて『声』の力というものを体験
してから数日。私は真剣そのものに
どこまでも大真面目にゲームをし続け
面白いように、スパ●ボ、そして
ガンダムに夢中になったのであった。
「無理」と断言された際の私(イメージ)
ラスボスはすぐ側に
入り口はやはり、始まりの2人の登場作品だった。
よく言われている、キャラクターが美少年
いというアレである。
確かに、それも好きな理由の一つではあったが、それ以上に、私の心をまるまる
奪い去るものがあった。
彼らのプロフェッショナルっぷり。
そう、そこなのだ。
当時の自分と年も変わらないような少年たちが、半端じゃなく
徹底したプロのエージェントだという、そこ。
誰に頼るでもなく見返りを求めるでもなく、自分の力で、自分の責で
戦っている。たった一人でも、どんな逆境でも、淡々と自分の生き方を貫く姿勢。
よくある、ヒーローの鏡のような、「みんなで頑張ろう!」ではない。
周りにどれだけ「無理だ」「無茶だ」と否定されても、真顔でこう言い返すのだ。
「お前にはできない。俺にはできる」
あまりに強くて、気高くて、眩しくて、そりゃあもう格好良くて震えた。
彼らのようになりたいとさえ思った。
!11
そこで議題である。『如何にしてガンダムパイロットになるか』
リアルに、機械工学などを勉強云々といったことも素晴らしい。
が、私は、その手のことには興味を持てなかった。
①私はあくまで、『ガンダム』に乗りたい。パイロットとして戦いたい。
↓
②ならば、彼ら自身になるしかあるまい。
↓
③そうだ、声優になろう。
そうしてあっさり生まれた『将来の夢』を
当時、まだ割に純粋に育ってきていた私は、嬉々として母に伝えることにした。
これまでも、母には何か思いつく度に報告していた。
ケーキ屋、学校の先生、水泳のコーチ、大統領、薬剤師………。
そして今回も、私は、心躍らせたままに、母へ声をかけた。
「お母さん! 私、将来声優になりたい」
「はあ? あんたには無理よ」
私はそれまで、演劇やら歌やら、芸能的なものに全くのノータッチだった。
勉強してもいなければ、強く関心を持ってもいなかった。
しいて言うなれば、吉本新喜劇だけは見続けていた。
あと唯一ガッツリと経験者であると言えることは、水泳くらいのものだった。
それは確かに、事実である。
!12
とはいえ。
一体、何がどうして
母にそう言わしめたのか。
これまで数々の夢を伝えてきたが
ワンストロークで無理だと断言された
のは、初めてのことだった。
「無理」と断言した際の母(イメージ)
今思えば、この時こそ
「お母さんにはできない。私にはできる」
と名言を高らかに口にしたかったところであるが、当時、その余裕は全く無かった。
こうして、私の『声優という目標』への道のりは
第一歩目から、GAME OVERの文字が頭を過ぎることとなったのであった。
・・・Continue?
!13
初めての芝居
まさかの「あんたには無理」事件は、
思いの外深く私の胸をえぐった。
第一歩目から詰んだような気分だった。
そして私は『この夢を
闊に他人に話すと
えらくメンタルをえぐられる』と
認識し、そっと胸の奥にしまうことに
したのであった。
記念すべき初セリフは「あいうえお」
美術部の本気
唯一変わらないもの。そう、それはゲームとガンダム好き。
相変わらず、お年玉でスパ●ボを買って三ヶ日遊び続けるくらいには
ガンダムが大好きだった。
その頃、仲の良い友達と「なりきってセリフを読む」という遊びもやってみたり
したが、それもあくまで、ただの遊びの一環でしか無かった。
そんな中で、私は、ひょんなことから、初めて人前で演技をすることとなる。
中学校時代。国語の授業で
先生が、『走れメロス』の冒頭シーンを朗読しようと言い出したのだ。
王様とメロスの掛け合い部分だけを抜粋して、ト書きにある感情を込めつつ
セリフを「あいうえお」に置き換えて読んでみましょう、とのこと。
「感情を表現する言い回しを、実際にやってみることで勉強しましょう」
という、そういう意図だったのだと思う。
!14
しかし、当時は、先生の意図などお構いなしに、なんか面白い! という
遊び感覚でやっていた。むしろ、それしか無かった。
そして私は、幸運なことに、最も気心の知れた友人と二人組になれた。
と、なれば。である。
クラスメートたちが、各々二人組に分かれて読み始めたのに習い
私たちも、教室の片隅で読み始めた。それはもう、全力で。
憤り。
笑。冷淡。
全て全力で、感情を込めて、掛け合う。
掛け合う。掛け合う。掛け合う。
ただしセリフは、「あいうえお!」「かきくけこ…」「さしすせそ?」「」・・・
何だこれ。
そう思うけど、やれと言うならやりましょう。友人も素晴らしく全力で応えてくれる。
それが嬉しくて、楽しくて、もはや、大真面目に遊んでいるだけだった。
そうやって教室の片隅で読み合っていたら、どうしたことか。
見回っていた先生がふと足を止め、口を開いた。
「二人、ちょっと前でやってくれる?」
まさか。
やはりまだ人見知りであった私は、一見、真面目な優等生肌に認識されがちであった。
本来のこのテンションは、親しい友人のみぞ知るものでもあった。
!15
それを、まさか。このテンションを、クラスメート全員の前で晒せってか。
戸惑う私を他所に、先生は他の生徒を席に座らせ、私たちはあれよあれよと
教室前の壇上へ。
クラスメートたちの視線を一身に受け、隣に立つ友人と顔を見合わせてーーー
フ、と。腹が決まった。
結果、無事やりきることができた。
二人でやった時と同じテンションをぶつけ合って、やりきった。
終えると、教室に拍手が鳴り響いた。
「良かったわよ」と、先生が微笑みかけてくれた。
正直、本当に、大真面目に遊ぶ。いつもの自分たちを見せたに過ぎなかった。
二人でセリフを読み合う。あの遊びの延長。
でも、評価された。喜ばれた。よく分からないけど、良かったらしい。
・・・嬉しい。
この経験は、私にとって特別なものになった。
人様の前で芝居めいたことをして、楽しいと思ったのはこれが初めてだった。
初めての芝居を、この友人とできたことは、本当に幸運だったと思う。
おかげで、「人前で表現することは楽しい」と純粋にそう感じる経験を
最初の最初にできたのだ。
ありがとう、Sちゃん。そんな友人も、私も、美術部だった。
そして、高校時代で、またも事件が・・・。
!16
高校時代
高校に進学して、運動部へ入部。
途中なんやかんやと迷ったその中に
演劇部や放送部といった選択肢は
不思議なくらい、頭に無かった。
というか、いっそ違う将来を夢見たり
もしていたけれど・・・。
ひとつ、気付いた気持ちの図
私のいたい場所
唯一変わらないもの。そう、それはゲームとガンダム好き。相変わらずである。
一夏DVDを見続けて、秋には擦り切れて見られなくなってしまったほど
ガンダムを見続けたこともあった。
ゲーム好きなくせして、アクションゲームは、一歩目でクリボーの目の前に着地する
ほど苦手な私だったが、ガンダムのゲームだけは乗りたい一心で遊んでいた。
遊ぶ内、自分の好きな機体も自ずと出てきて、それを選択して遊んでは
下手なプレイながらも、はしゃいでいた。
だが、楽しいと同時に、もやもやともイライラとも知れない気持ちも、常にあった。
大好きだけど、違う。
この機体は大好き。じゃあ私の愛機? いや、それは、なんか。
違う、と思った。
この大好きな機体は、大好きなこのガンダムパイロットの愛機であって
私のものではない。だって、この機体で遊ぶ時、聞こえてくるのは
このガンダムパイロットの声だ。
!17
ああ、そうか。分かった。
私は、私の愛機だと言えるガンダムが欲しいのだ。
そのガンダムに乗り、道を切り開いていく、パイロットになりたいのだ。
ぼそぼそと零したその本音に
兄は「何を言っているんだこいつは」という顔をしていた。
しかし、これは紛れもない本心なのだと確信する、ある事件が起こった。
高校時代、一度だけ、ガンダムのイベントに行ってみたことがあった。
初めて、憧れの声優さんが目の前の舞台上で演じているのを、目の当たりにした。
あろうことか、そんな夢みたいな場で
同じような気持ちが、もどかしいまでに沸き起こってきたのだ。
他の観客のように、黄色い悲鳴をあげることもなく、感動に打ち震えるのでもなく
ただただ
「なんで私は観客席側にいるんだろう」
と、
まだ何の勉強もしていない”ど素人”が本気で思っていた。
苦しくて、悔しくて。
まるで生殺しのような空間にぶつけようのない衝動を抱えていた。
何の根拠もへったくれもなく
!18
「私がいたいのはあっち側なのに」
と、舞台上を見つめていた。
母にバッサリと、そして
グッサリとトドメを刺され
終わった筈の密かな憧れは
気持ち、まだありますの図
まだ残っているどころか
すくすくと成長して
私の中にあるようだった。
そして、高校卒業後。
真っ先に浮かんだ専門学校への道を、家族の皆様から
満場一致の大反対をされた私は、地元にある四年制の大学へ進学した。
その大学時代、私は意を決し、こっそりと声優学校への門を叩くが・・・。
!19
初めての声優学校
進んだ大学は、”メディア”を広く取り扱う
学科だった。心ときめくゲームや作品に
一体どう関わりたいのか。「実際に色々
試して見極めようじゃないか」という
直感と勢い任せで選んだ学校だった。
そして在学中に、アルバイトで貯めた
お金で、週一の声優学校へ、勇気を出
その高揚感は、我ながら不思議なくらいのもの
して通ってみることにしたのだった。
「声」は特別という確信
声優学校へ行くとは言え、私はど素人。
厳しい世界だなんてうんざりするほど聞いているし、自信など皆無である。
でもやってみたいんです。
ただやってみたいんです。
ほら、やってみて、「あ、無理」って思えたら、それはそれで踏ん切りつく
じゃないですか。違う道に進もうってあっさり思えるじゃないですか。
そんな、誰に対してかも分からない
言い訳を腐るほどしながら、おっかなびっくり通い始めた。
毎度、本気で、携帯電話のマナーモード顔負けなくらい、教室の片隅で震えていた。
自分以外の人が皆、物凄い人たちに見えた。
自信が無さすぎて、マナーモードのままの声は震えまくった。
講師の方々の言うことを必死でメモった。
けれど指摘の意味がよく分からなくなったりもして、とは言え、当然のような顔で
指摘されては「はい」と頷くしか許されなくて、吐きそうなほど緊張し続けた。
!20
「もう今日で辞める・・・」
そう言い訳しながら通っては
「楽しい! 楽しい! 楽しい!」
と心躍らせながら帰る日々。
今振り返ってみると、声優学校が楽しかったのではなく
『やっと声を出せる!』『声のことを考えていられる!』という
喜びだけが胸を占めていたように思う。
しかし、大学の卒業制作の時期になり、私は一旦その場を離れることにした。
生意気な話、それ以上その場にいても、先が行き詰まってしまうように感じたことと
最後の卒業制作は、きちんと仕上げたかったことが理由である。
私はそこで、卒業制作に、一つの作品を作ってみることにした。
シナリオ、イラスト、音楽、プログラム構成……
声以外の全てを、拙いながらも詰め込んでみた。
色々やってみて、思った。
これらが全て、とても大切で、とても大変なことは、よく分かった。
けれど、自分じゃなくてもいい。
他の人が素晴らしいものを作ってくれたなら、最高に嬉しい。
むしろ、素晴らしいと感じる作品に出会いたい。関わりたい。
これは、あの高校時代のイベントとは、全く違う感覚だった。
!21
やはり私は、そうして出来た、素晴らしい世界の中に生きてみたいのだ。
その世界の中を生きる存在になってみたいのだ。
『好き』は仕事に出来ないとか、しない方がいいとか、私にはまだ分からない。
自分自身でそう思えるまでは、目指したい。
その途中で、他に何か、心惹かれるものができたなら、それはそれでいい。
ただ、それまでは
この一番ドキドキする気持ちを
大事にしたい!
既に一般企業への就職といった選択肢は頭になかった私は
就活をうやむやに誤魔化して、両親に「時間をください」とお願いした。
ゲームもガンダムも、大好きなままだった。
決意も新たに声の勉強を再開した私。
そこでは、初めての体験が・・・。
!22
地元で届いた「声」
大学卒業後、私はフリーターとして働き
つつ東京の事務所オーディションを受け
られる学校へ、週一で通うことにした。
そこは初めて通った場所より小規模と
はいえ、やはり自分以外の人がすごく
見えたが、必死に通い続けた。
お客様。全ては、聴いてくださる方あってこそ。
朗読発表会にて
二度目の学校では、朗読発表会を経験する機会があった。
配役は、主役の二役とナレーションだけ。
それを各シーンごとに分け、皆で分担して繋げていくというものだった。
私は、ナレーションと、講師の方の指名で
主役を2シーンもやらせてもらえることとなった!
つまりは、他の人よりも多くのシーンを任せてもらえるわけだ。
たくさんできる! という喜びと、力を見込んでいただいた喜びでわなわなと震えた。
一部の方々の目や態度が刺々しいものになるのも感じたが
そして、それは本当に怖いと思ったが、気づかないふりをし続け
自分の任されたシーンを一生懸命練習した。
そして本番当日。
序盤のナレーションを担当した私は、いわばトップバッターで
手汗どころか変な汁が出るくらい、死ぬほど緊張した。
が、一度舞台に出てしまえば、人前で表現することが楽しくて仕方なかった。
!23
本当に本当に、それまでの苦悩が吹き飛ぶくらい、楽しかった。
上演後、見てくださったお客さんたちを、出口に立って見送っていた。
その時、不意に、「あの!」と声をかけられた。
振り向けば、声をかけてきたお姉さんの視線の先には、私。
知り合いかとも思ったが、生憎、全く見覚えのない方だった。
「はっ、はい? 何でしょうか?」
「いきなりすみません!
でも、声とか演技とか、あなたが一番良かったです!」
お姉さんは、興奮気味にはっきりとそう言った。
その目はやっぱり、私を見ていた。
私は間違いなく、アホ面全開になった。
咄嗟に理解が追いつかず、言葉の処理も追いつかず、声にならない衝動に
またブルブルと震えた。
無言のまま、ゆっくりと、最敬礼で、深く、深く、お姉さんに頭を下げた。
そうして初めて
「ありがとうございます」
という言葉が出た。
!24
嬉しいです♪ なんて笑顔で応える余裕は微塵も無かった。
そんな想定も、練習もしていなかった。
ただ、自分の全力でもって、いかにして作品をお客様に届けるか。
そのためにどうすればいいのか。それしか考えてきていなかった。
作品全体以外、個人として認識されるなんて、夢にも思わなかった。
だから、ただひたすら、何度も何度も
「ありがとうございます」と繰り返しながら
泣きそうな気持ちで頭を下げ続けた。
そんな私に、良かったじゃんと言ってくれる一部の方々の目は、
やはりとても怖かったけれど
それが気にならないくらい、嬉しくて嬉しくて、信じられない気持ちに
全身で打ち震えていた。
自分の声や芝居を、見知らぬ”お客様”に評価してもらったこと。
それも、こんな風に喜んでもらったことは、これが初めてだった。
その後、私はオーディションで特待生評価を受け
東京の養成所へ入ることとなる。
・・・と、その前に、地元で届いた「声」が、実はもう一つ。
それは不思議で、けれど、私にとっては、とても大切な出会いだった。
!25
地元で届いた「声」②
朗読会で感動に打ち震えた。
それと時を同じくして、もう一つ。
アルバイト先でも不思議な出会いがあり
声と共に、私の不思議好きもまた
加速していくのであった・・・!
たくさんのサポートに、いつも感謝しております!
不思議の世界もこんにちは
当時、短期ではあったが、とあるアルバイトをすることとなった。
募集のチラシを見て、応募をして、店長さんに面接をしてもらって
採用になって・・・という、よくある至って普通の流れである。
ただ、これには、私の知らなかった裏事情が絡んでいた・・・らしい。
というのも、退職後に聴いた話なのだが、店長さんは、こう話してくれた。
「私、本当はそこまで採用に積極的じゃなかったのよ。
でも、応募の電話で彩さんの声を聞いた時
『この声、実際に聞いてみたいな』って思って、面接する気になったのね。
それで、実際に会って、声を聞いてみて
『もっと聞きたいな』って思って採用したの」
あっけらかんと、何でもないように言われたこの言葉にも、色んな意味で
震え上がった。
偶然と言えばそれまでだが、店長さんは私の声をいたく気に入ってくださり、
退職後も「声が聞きたい」と、度々カラオケに誘ってくださった。
!26
自分の声を望んでくださることは、本当に嬉しかった。
加えて、これも、ひょんなことから教えていただいたのだが
この店長さんは、実はとても霊感のある、サイキックな方であった。
不思議好きな私にとって、興味深い話をたくさん聞かせてくださることも
とても楽しかったし、ありがたかった。
思えば、ただ不思議な話、という訳ではなく、
”私をサポートしてくださっている”目に見えない存在の話を
初めて知ることができたのは、この店長さんのおかげだった。
生来不思議好きの私は、”素敵だと感じれば信じる”というスタンス。
実際に、サポートしていただいているなぁと感じることも度々あったため
私にとって、身近に感じる存在だった。
そんな漠然とした感覚は、この出会いでより一層確かなものになり
私は益々、目に見えないものや、ちょっぴり不思議なことが大好きになった。
それは今も変わらず、こうして自由に声の仕事をしていることも
彼らのサポートあってのことだと、密かに思っている(笑)
また、関係あるのかどうなのか。勉強し初めて間もない頃は、不思議と
『第一声で”声”に反応を示してくれる方は、何かしらスピリチュアルな感のある方』
ということが続いていた。
私の声で喜んでくれるのだから、それが例え、”目に見えない存在”であっても
私は、とてもとても嬉しかったことを覚えている(笑)
そんなさまざまな経験を胸に、いよいよ、東京の養成所へと進むことになる・・・。
!27
東京・養成所時代
東京にある事務所運営の養成所へ
通うこととなった、その初日。
大都会にビビり倒しながら向かった
田舎者は、「いい声だね」と言われ
混乱と疑心暗鬼と嬉しさと。
苦手な人混みもなんのその。という気概。
のみこんで、のみこんで
特待生評価で合格した東京の養成所。
かくして、そこへお世話になるに至るわけだが、入所前に、他にもいくつか
オーディションを受ける機会があったことも述べておきたい。
その中には、何故そこまでするのかと問いたいほど
心が半端なくへし折られることもあった。
だったら書類審査の時点で落としておいてくれと言いたいほど
理不尽で、訳の分からない罵倒を受けたこともあった。
今でも、あの対応を受け入れることは、私には出来ない。
業界ではよくあることだとしても、審査員の方がどれほどの実績を持っているとしても
そこにあった空気や言動は、私の求めるものとはあまりにも異なった。
人として、その方のようになりたいとは、とても思えなかったのである。
この違和感は、後々、独立の決心をすることにも繋がっていくのだが
それはまた後で語るとして・・・。
最終的に選んだ養成所は、とにもかくにもありがたい授業料の免除があり
自分を評価していただいてありがとうございます、とばかりに選んだ所だった。
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そして、入所初日。
やっぱり自分以外の人が(以下略)と、なるかと思いきや
お世話になるクラスの皆様へ挨拶して回っている中、突然
「いい声だね」と言われて、硬直した。
どういう意味だ・・・?
未経験のど素人が、一体いつの間にそのようなお言葉を頂戴できるような
事態になったというのか。
否!
きっとお愛想だ。皆様の方がずっといい声だ。真に受けていたら笑われるに違いない。
即座にそう判断した私は、警戒心の半端ない田舎者だった。
慣れないレッスンも、とにかく、全てを吸収するくらいの気持ちで
思い切り
らいついた。土台、場数が違うし、自分にはそれくらいしかできないからと
必死だった。
緊張はいつもえげつなかった。
歯を食いしばりすぎたのか、レッスン日の朝、突然奥歯が砕けたこともあった。
講師の方に褒められる子が羨ましかった。
酷評に心がベコベコに凹み、うまく呑み込めずに悶え苦しんだし、褒められれば
簡単に舞い上がりかけ、けれどすぐ、警戒心全開に口を引き結んだ。
そんなことを繰り返しながら、そこでも私は
少しずつ少しずつ、力と度胸をつけていった。
ここでも、朗読会で主役を二度任されたこともあったし、舞台を見に来てくださった
講師の方に「良かったよ」と、名指しで褒めていただいたこともあった。
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ただ、全てを呑み込もうとし続ける日々は
違和感と、その違和感を潰すことを繰り返しているように感じることもあった。
はい。なるほど。と素直に思う。
そしてそれを実践しようと努力する。
確かに感じる手応えも、得るものもある。
だけど・・・。
それから月日が立ち、私は、事務所へ所属することができた。
その頃には、声や芝居を評価してもらうことも度々あったし
普段の生活の中でも「いい声だね」「何かやってるの?」と
声について褒めてもらえることも、随分と多くなっていた。
そうした、ありがたいありがたい経験の一つ一つが
自分の自信やモチベーションにも繋がっていた。
警戒心全開の田舎者も、大都会でそれなりに戦えているんじゃないか?
なんて、胸を張って臨めるくらいにまで、心身ともに成長を感じていた。
けれど、全てが順風満帆とはいかなかったのだ。
念願の所属、だったはずが・・・。
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事務所所属時代
事務所へ所属して輝く毎日! と思いきや、より一層悩むことが増えた。
自分の力不足が悔しい! という部類の
悩みであれば、持ち前の根性でどうにか
こうにか食らいつくことが出来るもの
の、それより何よりしんどかったのは
技術面”以外”のことだった。
「それは本当に正しいの?」の繰り返し
重なっていく違和感
厳しい業界は、礼儀を大変重んじる縦社会でもある。
それは前回オーディションでのこととして少し触れたように
前々から感じてきたものだったが、実際に触れてみると、私にとっては
それこそが何よりも苦痛だった。
挨拶”しなければならない”という暗黙の空気に従って、事務所へ行けば
売れっ子以外はそういう扱いで当然なのか、常に忙しいだけなのか
一
をくれただけで無視。
もっとひどいと、一
もくれずにパソコンに向かい続けている事務所の方々。
無茶振りとしか思えない抽象的な要求をしてきては
容赦なく酷評する講師による勉強会は、出席しなければ心象に関わる。
・・・等々
養成所時代から気になっていた疑問が
業界に深く関わるほどに、顕著になってきたのだ。
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挨拶や礼儀が大事というのは分かる。
私自身、大事にしたいし、それは気持ちの良いものだと思っている。
けれど、それを散々教え込んできた事務所の方々の対応は
とても気持ちの良いものとは言えなかった。
事務所の人たちは皆、仕事仲間。
そう話しておきながら、平気で挨拶を無視するような方々に
ひたすら愛想を振りまかなければ、望む仕事は得られない?
それぞれ言うことが違う講師の方々。
ほとんど具体的な対策など教えてくれないにも関わらず、
「全然ダメ。聞いていられない」と、全てを否定するかのごとく
言い切られてしまうこともあった。
それはあまりに無責任で、理不尽ではないか?
そんな講師からも、さして好評価を得ているように見えないのに
あの人が仕事を得ているのは何故? 技術以外のもの? だったら、これまでのレッスンは、一体何の意味が?
結局、私はダメだから。
まだまだ未熟だから。
だから、こんな風に扱われても仕方ない?
小さな違和感が積み重なり、段々と胸がつかえて息苦しくなっていく。
疑心暗鬼になっていく。
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求めていたものは、私にとって、キラキラと輝くもの。
それに近付いている筈なのに、目の前にあるものは、私の思いとはまるで異なる。
例えば、また、頑張って全てを呑み込んで、望まれる形に自分を変えたとして、だ。
それは本当に、私なのか?
それで本当に、私は幸せになれるのか?
もちろん、学んできたこともある。
その過程でついた力や度胸も、今の私を支え、後押ししてくれている。
けれど、きっと
受け取る必要のない傷も、 み込む必要のない言葉も、たくさんあったように思うのだ。
そう思うに至るほどの経験も数々あったが、
中には、今も忘れられないほど、無責任なものもあった。
その心無い言葉に、私は深く傷付けられることとなる・・・。
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一番傷ついた言葉
未熟者なら当然とばかりの流れに呑まれ
ボイストレーニングへ行くことに。そこは
毎回、実力もバラバラな数名でレッスンを
行う。入りたての自分は、いつも足を
引っ張ってしまうように思うし
上手い人と露骨に比べられるように感
じるし、私は毎回、公開処刑のように
私が学びたかったのは、声を聴いてくれる人、そして
感じていたのであった・・・。
自分自身を、幸せにするためのものだった筈だから。
無責任な言葉と確かなもの
そんな中でも、特に苦手な講師の方がいた。
いつもしこたま怒られ、出来ないことを馬鹿にされる。
ずっと嫌だな嫌だなと思っていた。
そして、その日も、苦手なその人のレッスンだった。
しかも一緒に受けるのは、その人のお気に入りの、めちゃくちゃ上手なお人。
終わった。
始まる前に確信した。
生きた心地のしないまま部屋に入りレッスンが始まれば予想通りの展開。
片や褒められ、片や
むようにひたすら苛だち混じりの注意とやり直し。
ああもういっそ殺せ、とは言わない生きたいけど
ちょっともう本当に勘弁してください、という心持ちになっていたその時。
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必死で出した声がギリギリ及第点だったのか、その人は
「ふーん、やればちょっとは出るんじゃん」
と、おおよそ褒めてはいない物言いの後に、悪びれもせず続けたのだ。
「お前の声、ぶっ壊れてるのかと思ったけど」
全身の血が凍りつくような感覚がした。
何だそれは、と目の前が真っ白になった。
あなたはずっと、私の声がぶっ壊れていると思っていたのですか。
あなたの言うように声を出せないから。
あなたの指導に沿った成果を出せていないから。
何も言い返せなかった。
喉の奥がぎゅっと息苦しくなって、ひたすら、本気で泣き出してしまい
そうなのを我慢していた。
レッスン後、フラフラしながら帰路についた。
ずっとあの言葉が頭で繰り返されていて、自宅についた途端、ボロボロと
涙が
れてきた。
「壊れてない」
「壊れてないよ、私の声」
泣きながら、一人、何度も何度も呟いた。
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その後、そのボイストレーニングへ通うことをやめた。
私は今でも、その決断は英断であったと思っている。
業界や体裁的なあれこれを気にしてあのまま通っていたら
私は歌えなくなっていたかもしれない。
声を出すのが怖くなって。
歌うことが大嫌いになって。
他でもない、あの講師の方に、私の声を”壊される”。
本気でそう感じた。そんな風になってしまうことだけは、御免だと思った。
業界にいる時間が長くなるほど、感じるのはその時に似た
胸の奥が重くなるような、心が冷えていくような、グラグラと不安定な気分だった。
ぐるぐると疑念が渦巻く中、それでも一つだけ
呆れて笑ってしまうほど、変わらない気持ちもあった。
『声優になる』
『この声で生きて行く』
何度も泣かされながら、それでも”辞める”という選択肢だけは
不思議なくらい思い浮かばなかった。
この姿勢はもういっそ、私の何よりの才能かもしれない。
もちろん、まだまだガンダムは大好きだ。
どんなに悩み、迷っても、それだけは一番正直な自分の思いで
唯一変わらない、確かなものだった。
そして私は、転機を迎える・・・。
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転機 - 気付き
疑問を抱きながら、それでも前へ進むには
此処で踏ん張らなければと思っていた
ある時、私はその人と出会った。
独立するという選択肢
その選択肢は、とても胸躍るものでした。
頑張ろうと自分を鼓舞する日々。
諦めないと心に決めてはいてもやはり不安になることも度々あった。
そんな中で出会ったその人にも、私は何かしらの助言を求めて
自分の現状や目標のことを話した。
違和感の話では無く、何を改善、行動すべきかを相談したつもりだった。
すると、その人は
『事務所を離れ、個人でやっていく』
という考えを勧めてくれたのだ。
「馬鹿な」
真っ先にそう思った。
フリーでやっている方もいらっしゃるけれど、それは実績を積んでからであって
自分にはまだ適うはずも無い。
そうとしか思えなかったから、最初は聞き流していた。
簡単に言ってくれる! と反発にも似た気持ちを抱いていた。
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しかし、どうしたことか。
その『フリーで活動する』という考えが
忘れるどころか、日に日に頭を過るようになっていくではないか!
次にその人とお話する機会を得た時、私は恐る恐る
件の話について、詳しく聞いてみることにした。
その人は、快く説明してくれた。
一昔前ならともかく、今の時代はネットという、個人でも
世界中の人と繋がることのできるツールがある。
世界中の人の目に触れる機会があるにも関わらず、事務所の中にいる状態では
ほんの一部の人の目にしか触れることはない。
そのほんの一部の人の需要に応えられなければ、陽の目を見ることはない。
言われてみれば、もっともなことだと思った。
表現の場は今もどんどん広がっているが、事務所や今の業界は
一昔前の基準やルールに縛られたまま。
厳しい縦社会や、時には理不尽も、当たり前のようにある。
そんな中で、仕事を得るためだからと、やりたくないこともやりながら
窮屈さを堪えて、ひっそり機会を待ち続けるか。
それとも、好きな表現を好きなように行いながら
数多くの人々に聴いていただくか。
あなたはどうしたいのですか。
本当にしたいことは何なのですか。
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そう問われたようで、言葉が胸に突き刺さった。
それでいて、単純に、その話を聞いて、私は確かな高揚を感じていた。
でも、とか、だって、とか。
そんな面
らう気持ち以上に、『ああ、良いんだ』と腑に落ちたのだ。
鬱屈した気分がぱっと晴れるような、目の前が一気に開けるような
そんな気分になった。
その上、その人は言ってくれた。
「あなたの声を聞いた時、素敵だな、もっと聞いていたいなと思いました。
今の狭い世界で潰されてしまっては いけない。
私は、あなたの声を、もっとたくさんの人に聞いてほしい」
優しい声と、あたたかい言葉に、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
ずっと、一人で抱え込んでいたものを、掬い上げてもらったように感じた。
私の声を、そんな風に言ってくれる人がいる。
私はなんて幸せなのか。
思えば、そんな気持ちも忘れてしまいつつあったことに、その時気付いた。
いつの間にか、私は、自分の正直な気持ちを
後回しに考えるようになっていたのだ。
そして、私は決意をする・・・。
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転機 - 決意
『独立』という提案された選択肢に
頭で考える以上に、心がノリノリだ。
そうハッキリと感じる、その感覚は
とても不思議で、それでいて
何処か懐かしい感覚でもあった。
自分の「声」を、誇ってあげたいと思いました。
この「声」と共に
養成所では基本、褒めるよりも駄目出しが中心で、いつの間にか
”自分のやりたいこと”ではなく、”やれと言われたこと”が
演技をする上での基準になっていたことに気付いた。
そして、それに応えられるか否かが、自分の価値の基準になっていた。
個性を求める割に、要望に応えられなければ、容赦ない言葉で追い詰められる。
そんな環境下で、真面目に応えていった結果が、皮肉にも
自分の個性ややりたいことに、蓋をしてしまうことに繋がっていたのだ。
やりたい! と思っても、事務所で否定されれば、その『声』は封印してきた。
その繰り返しで、私は、私自身の『声』が分からなくなってしまっている。
なんて申し訳ないことをしているんだろう。
この声は、これまでにも、たくさんのありがたい言葉を
とんでもなく嬉しい気持ちを連れて来てくれた。
そんな気持ちを連れて来てくれるこの声を、もっと大事にしたい。
もっと信じてあげたい。
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私も、この『声』を、もっとたくさんの人に聴いてもらいたい!
それから数ヶ月。
変わらない事務所の息苦しさに、私は結論を出した。
自分で自分をプロデュース。
かくして私は、全く未知の世界に飛び込むことと相成ったのである。
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独立 - はじめに
事務所を辞めた私は、独立して
活動していくための準備に取り掛かった。
さて、そこでまず一つ。
名前・・・どうしよう。
2016年元日の奇跡
命名:「一宮 彩」
本名でもいいのだが、少々思う所もあり、せっかくなら新しく、と考えた。
色々と考えた。考えては、念のため、とネットで検索をかけたりした。
和食屋さんの名前が出てきたりした。とても美味しそうだった。
優柔不断を発揮し、うーんうーんと悩むこと数日。
ふと、その年の初詣のことを思い出した。
幼い頃から、家族で、毎年のように御参りした神社。
その年は偶々、兄が仕事のために帰省できず、父・母・私の3人で
御参りすることになった。
そして、いつものようにおみくじを引いて・・・奇跡が起こった。
3人全員が「大吉」
それも、3人全員が「第一番」
何年も初詣しているが、こんな奇跡的なことは初めてで、とても印象的に残っていた。
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ちょっと不思議な、スピリチュアル的なことを言うと
これには大いに意味があったそうだが、それはさておき、思った。
これでいいんじゃないか。
お「宮」さんで
「一」番のおみくじを引きました
「彩」です。
うん。
「一」「宮」「彩」。
一宮 彩(いちみや あや)で行こう。
元々、不思議なことは大好き。
神様を始め、目に見えない様々な存在のサポートも、常々感じている。
このおみくじも凄く嬉しかったし、これからも是非、一緒にやっていきたい。
そんな気持ちが、この名前には、たっぷりと込められております。
さあさ、皆様、これからもご一緒に。
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このおみくじを引いた時のような
嬉しくて幸せな気持ちを
この「声」を通して、たくさんの方にお届けできますように。
一宮 彩です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
そんなこんなで活動名も決まり、さぁこれからと決意も新たにした矢先
なんと、早くも初仕事を得ることに・・・。
!44
独立 - そして現実に
ますは巣作りとばかりに、ブログ
ボイスサンプル等々、制作していく。
音声関連はともかく、ブログなどの
ネット関係は知らないことばかりなので
日々勉強と実践の繰り返し。
どうにもならずに投げ出しては、また
もぞもぞと作業を続ける。根性はある。
「嬉しい」「幸せ」をつなげ、広げたい。
そんなことを繰り返していたある日。
活動を始めて10日余りで、初めて
お仕事のご依頼連絡を頂戴した。
初めてのご依頼
それは、企業様からのご依頼だった。
つい先日、準備した収録機器を駆使し
手探りで収録したばかりのボイスサンプルを聴いてくださったのだ。
私の声をお聴きいただいた上で、ご依頼をくださったのだ。
嬉しくて、信じられなくて、返信を打つ手が震えた。
こんなにもすぐに反応を得られるとは思ってもおらず、興奮が収まらなかった。
ご依頼者様とイメージを擦り合わせ
精一杯、心を込めて、ご希望の音声をお届けする。
それは、声優としてのお仕事。
声をお届けするお仕事なのだ。当たり前のこと。
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けれど、その当たり前の事が、嬉しくて嬉しくて、幸せで仕方がなかった。
私の声を、望んでくださる方がいる。
私の声で、喜んでくださる方がいる。
思い出したのは、独立前、助言いただいた言葉の数々。
「事務所の中にいる状態では、ほんの一部の人の目にしか触れることはない」
「もっとたくさんの人に聞いてほしい。あなたの声を求める人は、必ずいますよ」
本当だ。
本当に、必要としてもらえた。
私の声を、価値があるものと思ってくれる人がいらっしゃった。
嬉しくて、ただただ嬉しくて
勇気を出して飛び出して良かったと、心の底から思った。
独立後、記念すべき初めてのご依頼。
ご依頼者様にもお喜びいただきご依頼完了となったのは、奇しくも
4月28日。
私の誕生日だった。
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この「声」で幸せを
「声」は不思議です。
同じ言葉でも、全く違った熱を持って
聞こえてくることがあります。
だからこそ、誰かをワクワクさせたり
しんみりさせたり、心に寄り添って
癒すことだってできると思うのです。
やさしい気持ちのままでも できる 。それが目標です。
それから、これから。
それから、私は、声優・一宮 彩として個人で活動しております。
初仕事の後も、ありがたいことに、ナレーションに朗読にCVに・・・と
様々な声のご依頼を頂戴するという幸福に恵まれております。
実際に、お聴きいただいた方から、直接お声を頂戴する機会も得られ
嬉しいお言葉の数々に、むしろ私が幸せ・・・という、ありがたい状況になりました。
事務所を飛び出した今の方が、断然伸び伸びと
自分らしく活動を広げていっています。
独立の決断をしたこと。「無理」と言い切られながらも
信じて進み続けてきたこと。それらの行動力は、私の強みと言えるのかもしれません。
私は、声を出すことが好きです。
声を聴いてもらえることが嬉しいです。
私の声で誰かをほんの少しでも幸せにすることが出来たら、この上なく幸せです。
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自分の感情を偽ることなく、悲しい理不尽に呑まれることなく
この「声」で、聴いてくださる方々を、そして自分自身をも幸せにしていく。
これが、今の私の、新たな目標です。
どうか、この声で、あなたに素敵なひと時をお届けできますように。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
あなたに感謝の気持ちを込めて。
声優・一宮 彩
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一宮 彩 公式ブログ
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素敵なご縁がありますように。
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