ー古ムゴ和歌集を中心に

古今和歌集を中心に
序詞論
-
一 はじめ に
序詞はす でに万葉集 にお いてかなり成熟 し、そ の後は衰退し
杉
山
美
都
子
上に及び' つね に具体的内容を伴 って自由 に創作 しう る点
に違 いがある。序詞 の続き方は、語音 や語義 の関係を用 い
て行う。 (
以下略)
ここで、枕詞と機能的 に近 い、と いう表現 に注目した い。序
(
r
和歌大辞典」「
序詞」 の項 執筆者 ・大久保広行)
な ったのかと いうと、決してそう ではな-、古今集 にも多- の序
により様 々で、確立されていな い。そこで、本稿 における両者 の
詞は枕詞ととも に論じられることが多 いが、その区別 の基準は人
ていったと いわれている。しかし、序詞を持 つ歌 (
序歌)がな歌が収められている。本稿 では、平安和歌 の出発点とも いえ る古
区別 の基準を規定してお-こと にする。
今集 の序詞についてみてゆきた い。
の、二者 の機能は同じ、短 いも のが枕詞で長 いも のは序詞'枕詞
音相当旬を枕詞と序詞 のどちらと考えるかで説が割れているも の
まず、右 の r
和歌大辞典」をはじめとして、辞書類 では、七
和歌 の修辞法 の 一つ。 ふ つう 一首 の中 のあることばをよ
は固定的で序詞は創作的tと説明されることがほとんど である。
さて、序詞 の 一般的な定義は、次 のようなも のである。
り印象的に呼び起 こすため の修飾語句と説かれるが、 一首
どは、万葉集やそれ以前 の歌を中心 にす でに多-論じられている
では先行研究 ではどうか。両者 の違 いや 一首 における役割な
全体として見 れば、ある景物を提示し、それに寄せ て心情
を表出す る心物融合 の修辞表現ととらえ る べき であ ろう。
枕詞と機能的 には変わらな いが、音数 に制限がな- 二句以
3
3
が'両者 の差異を本質的には っきりとさせたのは、土橋寛氏であ
る。
土橋氏は、枕詞と序詞 の本質的差異を、場 ・機能 ・素材 ・被
修飾語の性質 ・被修飾帯 との結合関係 ・被修飾語と の接続関係 ・
両者 の混血 の結果であるとしている①。
長さ'の七項目に整理した。また、区別の難し いも のについては'
その 一方 で、鈴木日出男氏は、万葉集 にお いて、「
枕詞と序詞
がしだ いに接近しあう関係 にな ってい-と いってもよ いだろう」
と述 べ②'島 田良 二氏は'古今集 の枕詞と序詞に注目し、枕詞 の
「
序詞」 のような性質を持 つと いえ る場合 でも、五昔 一句 (
ある
持 つも のを対象に'古今集 の 「
序詞」を分析してい
いは五音相当句) のみで形成されるも のは 「
枕詞」と捉え'それ
以上 の立
替
-こととする。
二 古今集撰者 たち の序歌 への関心
万葉集 にお いて序歌は'七〇〇首余-を数え る。上田設夫氏
は'
序歌は万葉第 一期 には 一六パーセント、第 二期 には 一七
パーセ ント の比率 で出現Lt第 二期と第三期 の中間 の時期
用 いられた時代や部立' 一首中 の位置'用法、題材、かか-方な
どを詳細 に調 べ'古今集 では枕詞と序詞 の性格が極めて近似して
いると指摘する③。
と推定 され ている作者年代不明歌 の時期 の二五パーセント
がピークとなり、以後第 三期第 四期 の九パーセントと下降
土橋氏 の序詞と枕詞 に本質的な差異を述 べる説、そして鈴木
氏 の万葉集における両者 の性格 の接近を指摘する説や島 田氏 の古
している。
的な蓑過を迎え ているのである。そこで、古今集前後 の歌集にお
と述 べている⑥。 つまり'万葉第四期 にお いて、す でに序詞は数
れるべき であり、そしてそれらは矛盾するも のではな いと思う。
今集 での枕詞と序詞 の性格 の近似を指摘する説、 いずれも首肯さ
つまり、発生 ・成立過程 や機能をはじめとする いく つも の両
四%
二一
%
ける入集状況を調 べてみると'次 のよう にな った。
古今集
八%
て顕著」 で 「
万葉集 の歌でも (
両者 の混血は進みながらも'その
者 の本質的相違は、土橋氏の述べるよう に 「
記紀歌謡 ではきわめ
嵯峨御集⑧
拾遺集
後撰集
〇%
存在 にもかかわらず)かなり明らか」であ ったが、しかし古今集
時代 になると'その相違がほとんどみられなくな ってき ていると
三%
寛平御時后宮歌Ad
9 三%
※パーセンテージは入集歌数に対する序歌数 の割合を示す。
新撰万葉集⑦
考えることができるのではな いか。
とするならば、音数 (
長さ)を両者 の区別 の基準とするのも、
1つの方法であろう.本稿では古今集 の序詞を老え ることが目的
である ので'右をはじめとす る先行 研究を考え合わせた結果'
3
4
万葉第四期以後、序詞 の数的衰退は続 いているが、古今集 に至 っ
いた可能性があるだろう。
は非常に高 い。彼ら の歌を選ぶ際に'撰者たちが序歌に注目して
さ て、ほとんど の歌人 の序歌数 が 一首または二首 である中 で、
てそ の割合が急増していることがわかる。古今集が撰者 によ って
〇首 (
撰者時代 の序歌 の四分 の三近-を占める) の序歌が入集し
友則、窮恒、貫之、忠琴 の四人が目立 っている。撰者だけで計四
選ばれた歌 の集 である以上、この現象 には撰者たち の意志が働 い
ているはず である。そこで、序詞 に対す る撰者 たち の意識を探る
おける入集状況を示した のが次表 である。
て いる のだが'彼ら の序歌 に ついて'古今集と私家集それぞれに
ために、次 の二点 に注目した。
第 一点 日と し て、撰歌 の視点から考え た い 。古今集序歌 の作
藤原息房- 一首'凡河内窮恒-八首、平中興- 一首、
合 の方がはるかに高 いことがわかる。もしも、私家集 における序
序歌 の割合を比較 し てみると、四人とも に古今集 の序歌 の割
だけ、と いう可能性が出 て-る。しかし'古今集 の序歌 の割合 の
は何ら関心を持たず に選んだ軽 果、たまたま序歌が多-入集した
撰者 の序歌が多 いことは単なる偶妖⋮
、 つまり'序詞と いう技法 に
歌 の割合が古今集と同様 であるかも っと高 いならば、古今集中 に
*%は'入集歌数 に対す序
る歌
数を
示
す
。
入
敬
集
数
1
8
6 91
3 48
2 72
者 のうち、作者名が明記されている歌人 (
左往を除-)を時代順⑧
7
に全 て挙げると次 のよう になる。
小野豊- 1首
2
0
第-期 読人しらず時代
第Ⅱ期 六歌仙時代
常康親王 (
書林院 のみこ)- 一首'在原業平- 一首'
在原行平- 一首、源融 (
河原左大臣)- 一首、
小野滋蔭- 一首
第Ⅲ期 撰者時代
藤原敏行- 一首'藤原直子- 一首'紀友則-七首'
在原棟梁- 一首'小野春風- 1首、寵- 1首'
25.
01
6.
21
3.
31
5.
2%
坂上是則- 二首、清原深養父- 一首'紀貫之- 一六首、
右 のうち'撰者 四人と業平 ・敏行 ・素性 ・深養父以外 の歌人
は、序歌数自体は少な いも のの、入集歌数 に対する序歌数 の割合
35
友
壬生思考 -九首
素性法師- 一首、春道列樹- 一首、平貞文-二首、
友
則
敬
序
鍋
21 3
6
恒
貫
之
卑
忠
6
0 46 敬
入
集
数
3
6 99
敬
序
数
7
8
1
6
9
刺
蘇
恒
忠
貫
之
卑
方が商 いと いう ことは、古今集中に撰者 の序歌が多 いと いう事実
は決して偶然 の産物 ではな いtと いうことを示しているのではな
いだろうか。
後と いう重要な位置を占める歌 の撰定に際Lt何 の配席もなか っ
巻頭歌である。歌 の配列に腐心した撰者が、巻 のはじめと巻の最
歌 一は巻頭から三首序歌が続-)
、五五 一番歌が同じ-恋歌 一の
巻軸歌、六七七番歌は恋歌四の巻頭歌、八二八番歌は恋歌五の巻
三六五番歌は離別歌の巻頭歌、四六九番歌は恋歌 一の巻頭歌 (
恋
第 二点目と して'配列から考えた い。古今集 の撰者 たちがか
なり緊密な配列を行 った、と いう のはよく いわれることだが⑧'
る。それは、序歌の中に、巻頭歌ある いは巻軸歌がみられること
歌五の巻和歌 (
八二八春歌)は いずれも序歌であるが、このこと
は'
恋部の巻頭歌と巻軸歌が序歌 であると いうこと に他ならな い。
たとは考えに- い。さらに、恋歌 一の巻頭歌 (
四六九番歌)と恋
軸歌、九三二番歌は雑歌上の巻軸歌、 一〇〇 一番 の長歌は錐体 の
序歌についてもその配列を調 べてみると' 一つ気が つ-ことがあ
である。巻頭 ・
巻軸 に位置する序歌を'次に列挙する。なお'序歌
中 の傍線部は'
その部分が序詞であることを示している (
以下同)
0
古今集 の大きな柱なのである。
そして、この恋部五巻三六〇首は、四季部六巻三四二首と並んで、
立ちわかれ いなば の山 の峰 におふる松としきかば今か へり
ことは間違 いな いと考えられる。それでは'古今集 での序詞とは'
本稿 では序詞 の分析をまず、形態面から行 ってみた い。序詞
三 古今 集序 詞 の長さ と位置
ど のようなも のであるのだろうか。次 にその点を考えた い。
以上 二点を みて-ると、撰者が序歌 に注目し、評価していた
こむ
(
三六五 行平)
郭公な- やさ月 のあ やめぐさあ やめもしらぬこひもするか
な
(
四六九 読人しらず)
奥山 の菅 のねしのぎ ふる雪 のけぬとか いはむ こひ のしげき
に
(
五五 一 読人しらず)
みち の- のあさか のぬま の花か つみか つ見 る人 にこひやわ
たらむ
(
六七七 読人しらず)
流れては妹背 の山のなかにお つるよしのの河 のよしや世中
有効な手がかりになると思われるからである。ここでは'全 一四
の位置と長さ、そして序詞と 一首 の末尾に-る類句と の呼応関係
に着目することは、序詞 のタイプ分けや展開過程を考える上で、
(
八二八 読人しらず)
かり てほす山 田のいね のこきたれてなき こそわたれ秋 のう
〇の序詞のうち、長歌四首 の序詞 (一二例)を除 いた 一二八例を
対象とする.はじめに、序歌 の最も 1般的な形を図示してみると、
(100 一 読人しらず)
ければ
(
九三二 是則)
あふこと の まれなる いろに おもひそめ -
3
6
詞
︾
︽序
る氷 の
き
ゆ
春 た てば
連結
︽
語
︾
情
(
五四二 読人 しらず )
部
︾
心 我 にと け な
君
がは
︽
心
(
四六九 読人 しらず )
郭 公な- やさ月 のあ やめぐ さあ やめも しら ぬ
壷
(
四九 〇 読 人 しらず )
ゆ ふ、
づ-夜 さす やを か べ の松 のは の い つと も わ か ぬ
河 のせ になび - たまも のみがく れ て人 にしら れ ぬ
な
(
五六 五 友則)
我は報
(
五七九 貫之)
忠 琴 )
(
五六 一 友則)
よ ひ のまも は か な-見 ゆる夏虫 に迷 ひま され る
げ た計七首 の他 には、
古 今 集 中 で 「こひも す るかな」 と よま れ て いる歌 は、右 に挙
(
五九 二
たき つせ にねぎ しとど め ぬうき 草 のうき た る
さ月山 こず ゑをたか み郭公 なくねそらな る
(
四九 八 読人しらず )
とな る。古今集 では、第 l句 から始ま るも のが 一〇七例 で最も多
わ がそ のの梅 のほ つえ に鴬 のね になき ぬ べき
-、第 三句 から 一〇例、第 二句 から六例'第 四句 から 四例とな っ
て いて、句 の途中から始ま るも のは、
(
六七 五 読人 しらず )
君 によりわ が名 は花 に春霞 野 にも山 にも たち みち にけり
のみであ-、句 の途中 で終わ るも のも少 な い。長さ の方 は、 一句
のみ (
す なわ ち第 二句 のみま たは第 四句 のみ) の序詞は少 な-、
一首 の冒 頭 か ら始 ま る序 詞
ほと んど が二句以 上 であ る。
A
のみであ る。古今集 では、 「
序詞 +こひもす るかな」と いう形 が
ま ず 、 一首 の冒 頭から始 ま る序 詞 に ついて考え てみ た い。 冒
ひと つの型とな って いたと いえ る。
歌 の内 容 は いず れも 、新 日本 古 典文学 大系 に いう 「
逢 わず し
頭から始まる序詞は、第 三句ま でのも のが最も多 く 次 いで多 い
て慕う 恋」 であり、か つ第 五句 は同 一の表現 に依 って いる.しか
第 二句ま でのも のとあわせ ると、冒頭から始ま る序詞 のう ち の七
に同じよう な表 現を持 つ序歌 があ ること に気 が付 いた。そ の中 で
割以 上を占 め て いることがわか る。それらを み て い-と、第 五句
し、第 五句 の 「
こひ」を修飾す る第 四句 は様 々で、序詞 の内容 や
序詞 における景物 の叙述 の仕方も異 な ったも のであ るため、想起
も、第 五句 に 「
こひもす るかな」を持 つ序歌 に注 目した い。
37
これ に対応す る表 現と し て'万葉集 では 「
こひもす るかも」
されるイ メージは仝-異な ったも のとな って-る。これは序詞 の
効果が大き いと いえ よう。
情部が短-か つ同じ表現を持 っていても、仝-イ メージ の違う歌
考えるならば、長 い序詞を用 いて景物を叙述すること によ-、心
序詞 の表現は、 一首 の中で大きな役割を果たす こと になる。逆 に
序歌があ る型 (
「
序詞+○○」) の中 で長 い序 詞を持 つ場合 、
と いう表硯が全部 で 一五首 みられる。うち 一三首が序歌 で、 いず
を作-あげることができ る。 一首 の個性は、序詞 にあらわれてい
る。
梓弓おし てはるさめけ ふふ- ぬあす さ へふらばわ かな つみ
を持 つ序歌を挙げ てみると、
なも のであ ろうか。初句 +第 二句 の途中ま で (
八音前後) の序詞
それ では、冒頭から始ま るけれど短 いと いう 序詞はど のよう
れも冒頭から始まる長 い序詞を持 っている。しかも、
かほ鳥 の 間な-しぼ鳴- 春 の野 の 草根 の繁
(一八九八)
詞を持 つも のもある。また、古今集 では'第 五句が同じ でも、序
てむ
をはじめ、第四句 の途中ま で (
二〇音前後 )と いうさら に良 い序
詞 ・第四句が異なるため、仝-違うイ メージが想起されたが、万
吉野河水 の心ははや-ともたき のおと にはた てじとぞ思ふ
(
二七四二)
戟
(
二二
読人しらず)
(
六六五 深養父)
詞を持 つ序歌 の心情部 に類似した表現がみられた のとは対照的 で
序詞も心情部もそれぞれ全-異な っていることがわかる。長 い序
わ がせ こが衣 は るさめふるごと にのべのみど-ぞ いろまき
りける
(
二五 貫之)
(
九 貫之)
霞たちこのめもはるの雪 ふれば花なきさとも花ぞち-ける
そま て
み つしほ の流 れひるまをあ ひがた みみるめ の浦 によるを こ
けり
夜を さむ み衣 かりがねな-な へに萩 のしたばもう つろひに
(
六五 一 読人しらず)
(
二〇 読人しらず)
葉集 では、
一日も落ちず 焼-塩 の 辛き
志賀 の海 人 の 火気焼き 立 てて 焼 -塩 の 辛
志賀 の海人 の
(
三六五二 遣新羅使-)
須磨人 の 海 辺常去らず 焼-塩 の 辛
我は華
(
三九 三二 平群氏女郎)
のよう に、全体的 に似たような表現がみられるも のがある。下旬
は全-同じ で、「
からき」 に つながる序詞 に 「
海人が焼-塩」を
用 いているわけであるが、このよう に 一首全体 にわた って類似す
る序歌は、古今集 ではみられなくな っている。
38
ある。しかし'六五 一番歌なら吉野川 の水 の速さが映像としても
想像されるし、二 二 番歌なら 「
夜 の寒さ」と いう感覚が雁の声
や萩 の紅葉を引き立てる。序詞が 一首 のイメージ形成 に関わ って
一首 の途中 から始 まる序 詞
いる点では長 い序詞と変わらな い。
B
︽
序詞︾
︽
心情部 B︾
︽
連結語︾
次 に、 一首 の途中から始まる序詞に ついて考え てみた い。こ
の種 の序歌は、
︽
心情部 A︾
こひし-はしたにをおも へ紫 のねずり の
(
六五二 読人しらず)
のよう に、「
心情部 A+序詞 +心情部 B」と いう構成 にな ってい
ると考え てよ いだろう。
(
六三三 貫之)
の山より月 のいでてこそ
この 1首 の途中から始まる序詞を持 つ序歌は、二 つに分けら
れる。 一つは、
し のぶれど こひ
E凶
のよう に、心情部 Aと序詞を切-離して考えることができる歌で
ある。心情部 Aから心情部 Bへ直接 つながること のできる歌と い
ってもよ い。この型の序詞は、第三 ・四句または第四句 のみで形
成されている。もう 一つは、
(
九 一四 忠房)
思ひ おき つのはまにな-たづ 尋ね-ればぞありとだ
君
を
T
L
のよう に、心情部 Aと序詞が掛詞によ ってつなが っているも ので
ある。「
おき つ」 に 「(
あなたを思 い)置き つ」と 「
興津 (
の浜)
」
とが掛けられており、 「
心情部 A+掛詞」が 「
心情部 B」 に つな
がると考えられる。この型の序詞は、第二句 のみ、または第二 ・
三句 で形成されている。この型 の序詞 の登場は、掛詞 の発達と無
時代、残り四首は撰者時代 の歌なのである。
縁 ではな いだろう。 一首は読人しらず歌だが、もう 一首は六歌仙
古今集 にお いて、これら 一首 の途中から始まる序詞は 1割弱
に過ぎな い。しかし'「
序詞」と いう名称からして、そもそも序
歌は 「
序詞 +心情部」と いう構成が基本型だ ったのではな いだろ
うか。もしそう であるならば'この 「
心情部 A+序詞 +心情部 B」
と いう構成は、 「
序詞 +心情部」と いう構成 の変形な のであり、
そしてその変形にさらに掛詞を用 いたのが 「
心情部 A (
掛詞)序
詞 +心情部 B」と いう形な のではな いかと考えることができるだ
ろう。 つまり、古今的表現 の成立過程にお いては、
39
l
,
「
序詞 +心情部」
「
心情部 A+序詞 +心情部 B」
︹
「
心情部 A (
掛詞)序詞 +心情部 B」
地名 の場合-
と いう順序 で表現が生まれ、その三 つが並行して序詞表現が展開
古今 集 序 詞 の中 心 素材 -
し てい った のではな いかと思う。
四
次 に、序詞 によみこまれた地名 に注目してみた い讐 序詞中 に
あらわれる地名を列挙すると、次 のよう になる。
上野-伊香保沼 ︹-︺
音羽山 ︹
6
山城︺
・音羽滝 ︹-
・常盤山 ︹4
︺
︺
・葛城山 T ︺
大和-吉野川 (
5) ︹8︺ ・石上 ︹
4︺ ・春 日野 ︹
5︺
・
同風 回 国凶
波 の御津 ︹
2︺
摂津-住 の江 ︹
5︺ ・難波 ︹3︺ ・須磨 ︹
2︺
長柄橋 (
2)
難波潟 ︹3︺ ・堀江 ︹-︺
紀 伊-普
因幡︰
美作︰
* ( )内 の数字はそ の地名 が二 つ以上 の序詞 に用 いられ
日本-開脚=
且
︹ ︺内 の数字は古今集 (
巻 二十ま で) の中 でそ の地名 が
た場合、そ の回数を示している。
用 いられた回数を示す。
ある。
歌合 ・新撰 万葉集 には みられず、古今集 が初出 の地名 で
*傍線を付 した地名は、万葉集 ・嵯峨御集 ・寛平御時后宮
信濃 -
みみられる地名 である。
網掛け の地名は、同じ-古今集 が初出 で、か つ序歌 にの
越前-帰山 ︹
3︺ ・
白山 ︹
6︺
駿 河 ︰富士 の嶺 ︹
5︺
*「
陸奥 の安積沼」 「
山城 の淀」など のよう に地名が二重 に
[
〓 ∪ で囲 んだ地名は、古今集以前からみられるが、古
今集 で初めて序詞に用 いられた地名 である。
美濃 -
遠江-佐夜 の中山 ︹
2︺
伊勢︰伊勢 の海 (
2) ︹
3︺
近江-逢坂関 ︹
3︺ I
.博=坂仙 :
I.
.
;
40
に、より狭 い範囲を示す地名 のほうを挙げた。
な って いるも のに ついては、 「
安 積沼」 「
淀」と いう よう
U
右 の地名を見 て気 が付- のは、傍線 ・網掛け ・[
〓
の いず
れか の地名が多 いこと である。 これら の地名は、それ以前 には序
*%は序 詞数
べ
地
の
の 合
なる。
す 。
に
対する名数割 を示
順
に並る
と、次 う
よに
これを割合 の高 い
巻 二〇1恋歌 四1 離別歌 ・雑 歌上1恋歌 五1雑体 1恋 歌 一
巻 二〇に圧倒的 に地名 の割合が高 いのは'東歌 や大嘗会歌が入集
1恋歌 二 二二1 そ の他
で、 つまり、古今集 の序詞 によみこまれた地名 は、それ以前 の序
し て いるからだと いえ よう。また、恋歌 には地名 がかなり の割合
詞 にはよみこまれず、古今集 ではじめて序詞 によみこまれたも の
詞 にはみられな い、新 し いも のが多 いと いう こと になり、新 し い
でよまれ ている のに対し、四季歌 には地名はよまれ て いな い。
読 人 しらず時代 -地名 は延 べ二四、地名を含む序詞 は 二三
さらに、時代順 に区分す ると、
歌ことばを取り入れようとす る姿勢がう かがわれる。しかも'傍
線 ・網掛け の地名 は'古今集 が初出 の地名 であり、中 でも'網掛
ま た、古今集 の序詞は全 部 で 1四〇例あ るが、そ こ によ みこ
六歌仙時代 -地名 は延 べ四、六歌仙時代 の七例 の序 詞 の五
3
0
春
上
0
0
0
下
春
0
1
0
夏
0
3
0
秩
上
0
1
0
下
秩
0
0
0
冬
0
0
0
賀
5
0
2
1
離
別
0
1
0
栗
0
2
0
物
名
2
6.
9
2
6
7
恋
2
6.
7
1
5
4
翠
2
6.
7
1
5
4
蛮
5
7.
1
1
4
8
恋
四
4
5.
5
ll
5
五
悲
0
2
0
哀
倭
5
0
1
0
5
雑
上
0
5
0
雑
下
琵
8
7.
5
8
7
○
5
0
計
3
5
.
7 1
4
0
41
け にな っている 一六 の地名は、序歌以外 にはよまれ ていな い。
七%にあたる。
例 で、読人しらず時代 の七 一例 の序詞 の三二%にあたる。
詞 に地名はよみこまれ ている のである。そして、後撰集 ・拾遺集
まれた地名は、右 の通り延 べ五〇、実 に三五パーセント以上 の序
では四三パーセントと、さら に地名は大きな位置を占 め てゆ-0
0ー
四%にあたる。
21 ・
9
撰 者 時 代 -地名 は延 べ二 二'撰者 時 代 の序 詞 六 二例 の三
4
2.
9
さ て、 これら の地名 の出現状況を み てみよう 。巻ごと に地名
序
也
蛋
義
の出現状況を示した のが次 の表 である。
%
これは、 一つ離別歌 ・大昔会歌 の多 いことが反映 し て いる。
みこまれているが、六歌仙時代 には五七パーセントとはるかに高
い数字がみられる。
となる。読人しらず時代と撰者時代 にはほぼ同じ割合で地名がよ
メージを重ねることも でき よう。さら に、たとえば 「
帰山」 の
でに歌によまれている地名ならば'その歌によ って付加されたイ
以上を占める。地名を用 いることによ って、その場所を知 ってい
中心素材 の場所を捷示す る地名は延 べ三三'地名全体 の半数
「
帰る」と いう名 のよう に'地名 の音から想起されるイ メージも
あるだろう。 つまり、序詞にお いて中心素材 の場所を具体的な地
る人に映像的にイメージを喚起させることができるだろうLtす
六歌仙時代と大嘗会歌 ・離別歌に ついて、今回考察の用意を持た
な いが、離別歌 の流行'ある いはよみ方 の間麓として、興味深 い
重層的に広が ってい- のではな いだろうか。序詞 の映像性が 一首
加わり'さらに地名によるイメージが重ねられて' 一首 の世界は
名を用 いて提示すること で、心情部 に中心素材が持 つイメージが
さ て'地名を序詞 によみこむ効果とは何だ ろうか。 これら の
現象であることを間蓮捷起しておきた い。
地名は、大き- 二つに分けられる. 1つは中虫需材の場所を壇 不
に大きな影響を与えている。
さて、同音繰り返し型序詞では、
ながら用 いられる」と述 べている⑳よう に、序詞は韻律 の上でも
重要な要素だ ったのだろう。
「
同音繰-返しの類型が、語音 のひびさ の快さを いっそう強化し
の音 への興味も強か ったよう である。鈴木氏が'古今集時代 では
の地名が同音繰-返し序詞を形成していることを考えると'地名
1方'中心素材となる地名は延 べ ー七である.そ のうち l三
するも の、もう 1つは序詞 の中心素材となるも のである.ここで
いう中心素材とは'
わがせこが衣 のすそを吹返しうらめづらしき秋 のは つ風
(1七 1 読人しらず)
雁の-る峰 の朝霧ほれず のみ息ひ つきせぬ世中のうさ
(
九三五 読人しらず)
山しな のおとは の山 のおと にだ に人 のしる べ-わがこひめ
の 「
衣」 や 「(
朝)霧」 のよう に、序詞中で中心とな っている素
材を指す。それらを次 の六 つに分類した。なお、パーセンテージ
かも
のよう に、序詞が地名だけで終わ ってしまうも のと'
あづまぢ のきやの中山なかなか になにしか人を思ひそめけ
む
(
五九四 友則)
(
六六四 読人しらず)
は序詞敷金 一四〇に対する割合を示している。
地名- 1二% 動物-七%
植物-二九% 生活-二 一% 天象-二六%
地形・
・
・
五%
42
かな
白 雪 のや
へ
へ
棟 )
にける
お
い
〇
(
九
二 梁
りし
け
るか る山か るがへるも
へふ
そ
五
〇
本粕'笹、竹'板書菜、榊、梨'木の葉
の計四〇であ-、重複が少な-'かな-多-の種類がよまれてい
ることがわかる。これらは巻十 一 (
恋 こ 以降に出て来るものが
ほとんどで、四季部にみられるのは二例だけである。おそらく、
四季部によまれる時は主題としてよまれることが多 いためであろ
雲はれ ぬ あ さ
まの山のあ さましや人の心を見てこ やまめ
(1〇
中興)
のように'地名を修飾して序詞を構成するも のとがある。前者は
う。この中から'万葉集との比較のためにも、藻 ・花をとりあげ
る。
(
六六五 深養父)
なにはがたおふるたまもをかりそめのあまとぞ我はなりぬ
ベらなる
(
九 1六 貫之)
そまて
るかな
(
五六五 友則)
み つしほの流れひるまをあひがたみみるめの浦 によるを こ
渡りなむ
(
五三二 読人しらず)
河 のせになび-たまも のみが-れて人にしられぬこひもす
おき へにもよらぬたまも の娘 のう へにみだれ てのみやこひ
A 藻 (
4)
地名 の持 つ様 々なイメージを 1首に付加し、
後者はそれに加え て'
地名を修飾する部分によるイメージの形成があり、地名を用 いる
効果としては、地名を中心素材の場所の提示に用 いた場合と'同
様 の効果が期待できるのではな いだろうか。
目指されていると いえるだろう。万葉集との連続と非連続、古今
「
映像性」 「
韻律」と いった序詞の持 つ表現効果は、万葉集に
お いても指摘されているが、古今集におけるそれは、新し い歌こ
とばの開拓と連動してtより複雑で、独自な映像と韻律 の獲得が
つ
植物 の場合 -
集序歌の特質を確認するために'中心素材からもう 一 、具体例
を取り上げてみた い。
五 古今集序詞 の中心素材-
読人しらず時代 の歌が 一首、撰者時代 の歌が三首である。
まず、六六五番歌は'「
みるめ」を用 いてお-'梅松布が寄る
様子が男が女 の許 へ寄ること のイメージにもな っている。「
みる
ここでは、中心素材として最も多か った植物 に着目した。植
物に分類したも のは、
藻 (
4)
'蔓草 (
3)
、花 (
3)
'草 (
2)
'未摘花 (
2)
、浮
布」と いう形はな-、「
深海松」 「
股梅松」 「
梅松」とよまれる)
め」は'和歌によまれることが少な-'万葉集には五例 (
「
梅松
草 (
2)、山桜 (
2)
、稲 (
2)
、木 の芽'紅葉'菖蒲'松、
岩琳濁'葦、塩木、山橘、花か つみ、藤'浅茅、菰'萩'
4
3
しかみられず'古今集 でも他 には五例みられるのみである。万葉
この歌は 「
み つしほ の流れ」も序詞 であり' 一首中 に重なら
集 ・古今集を通して、「
みるめ」を 「
寄る」も のとしてよんだ歌
は他にはみられな い。
な い二 つの序詞がある珍し い形である。さらに 「
み つしほの流れ」
は 「
ひる (
干る-昼)
」'「
みるめの浦 に」は 「
よる (
寄る
・夜)」
をそれぞれ掛詞で連結語とする。また、古今集中の他 の 「
みるめ」
の用例がす べて 「
梅松布⊥見る目」と いう掛詞とな っていること
次に 「
たまも」をよんだ残り の三首 に ついてみてみる。万葉
を考えあわせると、この歌 の 「
みるめ」 にも、海藻 の 「
梅松布」
だけでな-、「
見る目 (
逢瀬 のチャンス)
」が掛けられていると考
え てよ いだろう。
集 では五四首 にみられ、うち序歌は 一四首と、 いずれの集でも中
五三二番歌に ついては、万葉集 にすでに、
心素材として多用されていることがわかる。ただし、万葉集序歌
の「
たまも」は席-も のとしてよまれることが多か ったが、古今
集序歌 では、それとは異なるよみ方もされている。
、つ 〇
き場のな い自分 の恋心 の表象としたのが五三二番歌 の工夫であろ
五六五番歌は友別 の歌である。「
河 のせになび-たまも」自体
は万葉集から、
明日香川 瀬 々の玉藻 の うちなび- ∴心は妹 に 寄り に
(
二三 六七)
けるかも
などとよまれている。これらが前捷とな っているのかもしれな い
が、その玉藻を 「
みが-れ」ると描写したところが新し-、また、
みが-れる玉藻、と いう表現が 「
人に知られぬ」と響 きあ ってい
る。
九 1六番歌 では'玉藻を刈るも のとしてよみ'玉藻を 「
刈り
初め」七 「
かりそめ (
臨時)
」と の掛詞を連結語としている.玉
藻を刈るも のとする捉え方自体は、これまでの歌と同様、万葉集
からみられ、中でも、
二 七二六 丹比真人)
難波潟 潮干に出でて 玉藻刈る 海人娘子ども 汝が名
告らさね
を刈る海人」と いう 一つの型から、この序歌を仕上げたとも考え
られる。また'万葉集では'難波潟 に組み合わせてよまれた植物
今 日もかも 沖 つ玉藻は 白波 の 八重折るが上に 乱れ
てあるらむ
(二 六八)
の、いつも沖 の玉藻は白波 の上で乱れている、と いう表現がある。
このイメージを用 いて序歌 に仕立 てており、波間に乱れる玉藻に
は、玉藻 のみである。序歌で 「
刈る」とよまれた素材は他にも多
くあるのにも関わらず、貫之が玉藻をよんだ のは'それが実景で
は共通語句も多 い。貫之は、右 の万葉歌にみられた 「
難波潟で藻
ょ って乱れる恋心を視覚的 に表現している。さらに 「
おき へにも
よらぬ (
沖 にも辺にも寄らな い)
」と玉藻を形容すること で'行
一
叫
一
あ ったであろうことの他に、この 「
難波潟-玉藻」の組み合わせ
が頭にあ ったからではないだろうか。また、玉藻を中心素材とし
た他の古今集序歌が、玉藻の形状から 「
乱れるもの」「
なび-も
の」としてよんでいるのに対し'貫之は、玉藻を刈るものとして、
つまり人間の行動を介在させてよんでいる点、序歌における玉藻
のよみ方として新しいと いえよう。
さて、古今集で 「
たまも」とよんだ歌は、右 の三首 の序歌 の
みである。万葉集では序歌以外の歌にもよまれていることを老え
ると'古今集時代には序歌特有の景物にな っていたのかもしれな
ヽ
■
0
t
.
V
この三首は、植物名が特定されていないだけでな-、「
秋の野」
「
水 の面」と いうように、場所も特定されていな い。ど のような
花であ ったかの推測は可能であるが、この三首について何の花で
あるか議論することは'おそら-意味がない。具体的な名よりも、
序詞の描写から喚起される映像がここでは必要なのである。四九
七番歌の序詞中の 「
花」は'穂の出たすすき に混じ って色鮮やか
に咲-様々な花を考えれば いいのだろうし、五八三番歌は'千種
万様の色に咲き乱れる花 々を想像すればよいだろう。八四五番歌
についても'その花が水面に色鮮やかに映 っていると いうことが
重要なのである。
四九七番歌は'恋 の思 いをは っきりと態度に表わしてしまお
う、と いう心情を'「いろ」と いうことばを用 いて表現し'その
ここでポイントとなるのが'「
花」が 「
をばな」 に交じ って咲 い
B 花 (
3)
万葉集序歌では植物名を限定しな い 「
花」を用 いることは非
をばな」に交じ って咲
ていることである 。すなわち'色の薄 い 「
- 「
花」は花の種類には関係な-'目立 つ。態度をは っきりさせ
「いろ」を 「
薄の穂に交じ って咲-花」によ って導き出している。
常に少な いが'古今集序歌では 「
花」は'植物を中心素材とする
もののうち二番目に多 いと いうことになる。
八四五番歌は、花の色がは っきり見えると いう序詞から'天
皇 の面影がは っきりと思い出されると いう 心情部 へと転換してい
ることが、目立 つ状況で咲 いている 「
花」で視覚的にあらわされ
ているのである。
(
四九七 読人しらず)
秋の野のをばなにまじりさ-花 のいろにやこひむあふよし
をなみ
るが、その 「
花」に天皇 の面影を重ねてよんだのだろう。
五八三番歌に ついては'序詞 の後 に-る 「
ち-さに」 の部分
-。詞書から、実際に水面に映 った花を見てよんだものと思われ
秋 の野にみだれてさける花の色 のち-さに物を思ふころか
な
(
五八三 貫之)
に、「
花 の色が様 々である」ことと 「
恋心が いろいろに乱れる」
ことの両意を持たせることで、序詞から心情部につなが ってゆく
水 のおもにしづ-花 の色さやかにも君がみかげ のおもはゆ
るかな
・(
八四五 豊)
はじめの二首が読人しらず時代、三首目は撰者時代の歌である。
45
と考えられる。 「
さまざま に物思 いをす るころだなあ」と いう心
情部に対し、序詞は、「
みだれ て」と いう言葉 で思 い乱れ ている
ことを示唆Lt加え て秋 の野に咲き乱れる花 々の描写 によ-、心
情部を視覚的に表現すること に成功している。
以 上、藻 ・花を中心素材とす る序歌を み てき たが、 これら の
素材は万葉集序歌 に多 いも のと少な いも のと に分かれた。また、
万葉集序歌と古今集序歌と に似たような表現がみられ、古今集序
人しれずおも へば-るし紅 のすゑ つむ花
にいでなむ
(
四九六 読人しらず)
Bあしひき の 山橘 の 轍 に出 でよ 語らひ継ぎ て 逢 ふこ
ともあらむ
(
万 ・六六九 春日王)
あしひき の 山橘 の 鞍 に出 でて 我は恋 ひなむを 人目
歌 の表現をそ のまま模倣したとも考えられるが、これら の表現が
右 二例は序詞と連結語 の組 み合わせが仝-同じである。万葉集序
難みすな
(
万二一
七六七)
わがこひを し のびかね てはあしひき の山橘 の藩 に いでぬ ベ
し
(
六六八 友則)
も のがあるのではな いかと思われる。そ の 一方 で、万葉集序歌 で
慣用句として用 いられるよう にな ったと考えたほうが実態 に即し
歌 の中には万葉集序歌 の表現を模倣ある いは発展させて作られた
はみられなか った表現や構成がされた-している。 つまり、万葉
主流とな っていたよみ方が全-されな-な った-、万葉集序歌 に
と心象叙述 の対応関係は文字 の歌 の問題 である、と述 べている⑫。
る。この映像性 に ついては、大浦誠士氏が、映像性 による物象叙述
また、序詞 の持 つ映像性は 一首 に大きな効果をもたらし て い
方 で新し い表現を模索して、 一首を作り上げ ていると いえよう。
四%)し、撰者時代 に復活 (
四 一・九%)していることがわかる。
れ (
古今集序歌全体 の五二 ・七 %)、六歌仙時代 に激減 (
五・
集序歌を時代ごと に分類すると'読人しらず時代 に最も多-よま
絡ませること で作られた序歌が'特 に撰者時代 にみられた。古今
ば、植物 の形状 や性質を用 いるだけでな-、そこに人間 の行動を
古今集内部 でも'時代 によ って表 現 に違 いがみられる。例え
ているかもしれな い。序詞 の枕詞化tとも いえ よう。
古今集 の時代 にお いてはう いわ ゆる 「
歌 ことば」 の成立' 「
こと
集序歌から素材 ・表現を取捨選択し、新たに捉えなおし っつ、 一
ば」 の芸術としての和歌 の追求が、序詞 の映像性 の更なる深まり
現を踏まえた上で、表現 の多様化を試みた'そ の結果な のではな
いだ ろうか。
は万葉集時代) への回帰 ではな-、歌人たちがそれ以前 の序詞表
序詞が撰者時代 に復活した のは、単なる読人しらず時代 (
ある い
(
万 二 九九三)
紅 の 末摘む花 の 鑑 に いで
ただし、万葉集序歌と同じ表現がみられな い、と いうわけ で
を生み出した のではな いか。
はな い。
A外 のみに 見 つつ恋 ひなむ
ずとも
46
五
あわ りに
古今集 にお いて序詞は、序詞1心情部と みた場合 に、心情部
とは 一見関係 のな い中心素材を提示しながら'しかし音調上ある
いは意味上 の連関 により心情部と つながり、そ の連結部はまた'
序詞から心情部 への転換部とな ってい-。この時序詞は 一首 の情
しかし'翻 って心情部1序詞と みた場合、序詞はそれ以上 の
趣を高めながら、連結部 へと向か っていく。
力を持 つ.それは 1首 のイ メージ の形成 ・増幅 である。序詞中 の
素材 の持 つイ メージ (
感覚的なイ メージや名前 の持 つイ メージ、
先行例 によるイ メージなど' 一口にイ メージと いっても様 々な要
って醸し出される情景 や情趣、それらが重なり合 って、 一首 のイ
素があるだろう)はもち ろんのこと、それらを叙述すること によ
メージを広げ'重層的なも のにする。
さら に'特 に恋歌 にお いて、序詞は心情部を感覚的 に捉え直
したも のとなることがある。心情が序詞 に投影されること で'序
詞 で描写される映像は単なる景物 の映像 ではな-なる。
そ の役割は心情部を導き出すため の修辞 には留まらな い。序
詞が 一首 の眼目となり、歌 のよしあしを決定することもある。古
い表現や形式が固定化したり、古 い表現から新し い表現を生み出
したり、新し いことばを用 いたり、と い った表現 の多様化も古今
集序歌 の特徴と し ては見逃 せな い。古今集 における序詞 の形は
様 々であるが' 一首全体を眺める時、序詞は時 に心情部と対等 の
ある いはそれ以上 の位置を占め得 ると いえ るだろう。
(
注)
究
①土壌寛 r
古代歌謡論j(1九六〇 三 1書房)
②鈴木日出男 「
もう 一つの言葉-古代文学史の構想のために」
(
鈴木日出男 ・締 F
ことばが拓- 古代文学史」 一九九九 笠
間書院)
③島田良二 「
古今集の修辞l枕詞と序詞⊥ (
r
明星大学研究紀要
日本文化学部 ・言語文化学科j l九九三 第 1号)
④上田設夫 F
万葉序詞の研究﹄(1九八三 桜楓社)
⑤ここでいう嵯峨御集とは、山口博 ︻
王朝歌壇の研究 桓武仁明
光孝朝篇」で想定しているもので'現在奈良御集と称されてい
る集の後半部七首を指す。
⑥﹃
平安朝敵合大成第 一巻」所収の 「
十巻本」に採られている延
べ 1九四首に、「
廿巻本」によ って補い得る 1首を加えた 1九
五首 (
うち重出歌三首)を対象とした。
⑦古今集成立以後の増補が有力視される女郎花敬二五首を除いた
二五三首を対象とした。
⑧小沢正夫 r
作者別年代順古今和歌集」に従い、読人しらず時代
(
八〇九∼八四九)
、六歌仙時代 (
八五〇∼八九〇)
、撰者時代
(
八九 一∼九四五)に分類した。
⑨古今集の配列については、松田武夫 F
古今集の構造に関する研
︼二 九六五 風間書房)に詳し-述べられている。
⑲地名の抽出に際しては、小島意之 ・新井栄蔵 ︻
古今和歌集︼新
日本古典文学大系 5 二 九八九 岩波書店)の地名索引、小沢
正夫 ・松田成穂 r
古今和歌集山新甫日本古典文学全集〓 (1九
九四 小学館)の地名地図①喝 片桐洋 1・監修、ひめまつの
会・
編r
八代集総索引和歌自立詩編J(1九八六 大学堂書店)
'
片桐洋 1 r
歌枕歌ことば辞典山 (1九八三 角川書店)などを
参考にした。
47
⑫鈴木氏前掲論文
⑫大浦誠士 「
序歌と 「
意味」」 (
鈴木日出男 ・編 r
ことばが拓古代文学史﹄ 1九九九 笠間書院)
*勅撰集 ・私家集 の本文その他の表記は ﹃
新編国歌大観﹄に、万
葉集は新編日本古典文学全集 ﹃
万葉集」に'嵯峨御集は r
私家集
平安朝歌合大成第 一巻﹄
大成中古Ihに、寛平御時后宮歌合は r
千葉大学文学部日本文化学科第 47回卒業生)
に、新撰万葉集は F
新編国歌大節-によ った.
(
すぎ やま み つこ ・