絶対文感・第十章 梶井基次郎 陽羅 義光 前章で云々した横光利一が

絶対文感・第十章
梶井基次郎
陽羅
義光
前章で云々した横光利一が梶井基次郎の文学に関してこう言っている。
【日本文学から世界文学にかかっている僅かの橋のうちのその一つで、それも腐り落ちる憂いのな
い剄力のものだと思う。真に逞しい文学だと思う。】
梶井基次郎というとデカダンスにばかり眼が行く人が多いが、横光利一の文章にそれがないのは
我が意を得たりである。
梶井基次郎は夏目漱石全集を読破し諳んじていたと言われる。けれども夏目漱石の影響はあまり
感じられない。梶井基次郎の文学を絶賛したこの横光利一と、作家梶井基次郎の貴重な庇護者であ
った川端康成の影響が顕著である。むろん「新感覚派」といわれる時代の両作家の影響である。も
しくは梶井基次郎の知性と感性に両作家と共通したものがあったのかもしれない。いや「新感覚派」
時代の両作家を超えるモノが梶井基次郎にはある。「新感覚派」とはまさしく梶井基次郎にのみ与
えられる冠ではなかったか。
梶井基次郎は明治三十四年の生まれで、昭和七年三十一歳で死んでいる。夭折の所為もあるのだ
ろう『のんきな患者』以外の総ての作品は同人雑誌に発表されたものである。梶井基次郎は世間謂
うところの正真正銘の「同人雑誌作家」であった。生前絵が一枚しか売れなかったゴッホを連想す
る。
ちなみに梶井基次郎の時代は、泉鏡花と永井荷風と谷崎潤一郎が人気作家であった。芥川龍之介
や菊池寛もまだ頑張っていて、志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎等の「白樺派」が活躍。一方で
は宇野浩二や葛西善蔵の「私小説」も定着の感あり、そこに横光利一、川端康成、岸田国士等の「新
感覚派」が登場。ほぼ同時に小林多喜二、徳永直等のプロレタリア文学の台頭があった。いわば「日
本文学の黄金時代」であった。
その中にあって一「同人雑誌作家」の文学が生き残っているのは、まさしく日本文学史上の奇跡
であり、日本文学の僥倖でもある。それほどまでに梶井基次郎の作品が素晴らしいのは勿論である
が、川端康成、横光利一等、その時代の作家達の見る眼にも賛辞を惜しまない。それは現代の作家
達の見る眼の無さと比較すると、日本文学の未来を杞憂しなければならなくなるほどである。
見る眼のある作家の一人井伏鱒二はこういう文章を残している。
【梶井君の『交尾』が発表されたときには、これこそ真に神わざの小説だと私は驚嘆し、作中にお
いて河鹿の鳴く声や谷川の水音は私の骨髄に徹してまことに恍惚たる限りであった。言葉では補足
できない絶対の無限。こういう快楽は煩悩具足のわれらの一生のうちに、そうたびたび感得できる
ものではない。】
言葉通り珠玉の短篇揃いの梶井基次郎の作品から一作選ぶのは、私ならずとも至難の業であろう。
どうしてもというなら『冬の蠅』にするが、若い頃は『檸檬』で、数年前は『闇の絵巻』だったの
だからどうしようもない。
それで一作に絞らず、梶井基次郎に特徴的な部分を総合的に「絶対文感」では取りあげたい。
まずは冒頭である。
【えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。】(『檸檬』
)
【桜の樹の下には屍体が埋まっている。】
(『桜の樹の下には』)
【冬の蠅とは何か?】(
『冬の蠅』)
【猫の耳というものはまことに可笑しなものである。】(『愛撫』)
【最近東京を騒がした有名な強盗が捕まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、
一本の棒さえあれば何里でも走ることが出来るという。】(『闇の絵巻』)
【私は散歩に出るのに二つの路を持っていた。】
(
『筧の話』
)
【この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。】(『橡の花』
)
いずれも冒頭の一行から、読者に切り込んでくる。読者を引きつける。梶井基次郎の小説の冒頭
はそのまま梶井基次郎の「絶対文感」である。
私は小説と言ったが、作品と言ったほうが当たっている気がする。梶井基次郎の作品を小説とい
うよりも散文詩に近いという人が多くいて、須く私もその一人だったからである。けれどもそこか
ら続く見解は私独自のものである。「小説は何をどう書いてもいい」と述べた森鴎外の言い分を尊
重する私は、散文詩も(実はエッセイも)内容次第では小説の中に入ると考えているのである。な
おかつ梶井基次郎の作品は散文詩に近くもないと考え始めている。けれどもここでは一般論を重視
して、尽く作品と呼ぶことにする。
冒頭の一行がつまらないのは、たった一作だけあって、
【今、空は悲しいまで晴れていた。】の一
行で名高い『城のある町にて』のみである。その冒頭は台詞である。
【「高いとこの眺めは、アアッ(と咳をして)また格段でごわすな」】
私の高校時代の現代国語の教師は、教科書に載ったこの作品の一部のまた一部だけで一年間の授
業を展開したものだった。それは驚嘆すべき霊力と思われたが、高校生の私はこの教師よりも国語
力があったので、
つまらない作品のつまらない授業を聞く必要はなかった。
「短編では小説の冒頭に台詞をもってこないほうがいい」とは、丹羽文雄及び八木義徳に直接言
われた事であるが、そのときは理由がよく解らなかった。二人とも漠然とした言い方だったし、
(ま
だ自然描写が小説の中に確固たる地位を占めていた時代だった所為だろう)「冒頭の一節は自然描
写なんかでさりげなくやったほうがいい」という事も言われた気がする。私は小説は一行一行が勝
負だと肩肘張っていたから、この「さりげなく」の言葉に反撥すら覚えていたものだった。
その後何年かして、それまでは代表作と考えていた自作『極楽寺坂切り通し』を自著に所収する
際再吟味してみると、どこかに欠陥がある気がしてしかたなかった。その時は解らなかったが、後
になって冒頭の台詞だけはこの小説の欠陥だと認識した。要するに読者に切り込んでいかない。加
えて読者に文章的魅力を与えない。今なら「台詞は地の文より絶対文感が弱い」という言い方にな
るだろう。
梶井基次郎に戻ると、その作品群の文章には、私が拙文で積極的に唾棄したものから消極的に遠
ざけたいものまで、ほぼ総て満載である。
一、オノマトペ。二、「?」「!」。三、月並みな比喩。四、罫類。五、語彙の脇の傍点。六、反
語的接続詞。七、人名を「K」とか「O」
で呼ぶ事。この最後のやつは初めて言う。日本人の名前を英語の頭文字にするのは本来的・根本的
ではない。それなら山ちゃんとか川の字とかの言い方のほうがまだマシだ。本名で言えないから
「K」にするのではあまりに安易だ。曲がりなりにも小説なら(エッセイですら)仮名にすべきだ。
しかしこれも、おそらく私もいままでにやっている。文章に対する意識化が足りない時代は、
「つ
いやってしまうこと」が多すぎる。
ともかくもこんなにアッケラカンの無意識の文章なのに、素晴らしい文章に感じられてしまうの
は、梶井基次郎こそ日本小説史上稀有の(三人しかいない)天才なのだ。ついでに言うなら他の二
人は葛西善蔵と稲垣足穂だ。梶井基次郎はハイカラな葛西善蔵だ。ハイカラ過ぎない稲垣足穂だ。
私はむろん天才ではないけれども、梶井基次郎の死んだ歳くらいまでは、「アッケラカンの無意
識の文章」であった。それで読者から瑞々しくて良い文章だなぞと言われて悦に入っていたのだか
ら、情け無く恥ずかしい。
梶井基次郎が早死にしなければ、必ずや己の文章を意識化・徹底化させたであろう事は、梶井基
次郎の作品を各々十回以上読んだ私の、今では信念にすらなっている。(その証拠に梶井基次郎は
書簡体の自作『橡の花』に関して「イージー・ゴーイング」だと記している)。
加えて梶井基次郎の名文句(「絶対文感」
)を私はいまでも忘れられないでいる。それは政治家や
実業家や文化人の名文句とは正反対の、貧者の弱者の病者ならではの、しかし真善美を希求した文
学者ならではの名文句である。
【丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸
善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。】(『檸檬』より)
【桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられ
ないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が
埋まっている。これは信じていいことだ。
】(『桜の樹の下には』より)
【私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやって見たくて堪らなかっ
た。これは残酷な空想だろうか?】
(『愛撫』より)
【街道の闇、闇よりも濃い樹木の闇の姿はいまも私の眼に残っている。それを思い浮べるたびに、
私は今いる都会のどこへ行っても電燈の光の流れている夜を薄っ汚なく思わないではいられない
のである。
】(『闇の絵巻』より)
【しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることの出来ない人間をそ
の行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でも
みんな同列にならばして嫌応なしに引摺ってゆく
ということであった。】(『のんきな患者』よ
り)
【「彼等は知らない。病院の窓の人びとは、崖下の窓を。崖下の窓の人びとは、病院の窓を。そし
って崖の上にこんな感情のあることを
」
】(『ある崖上の感情』より)
【科学の教えるところによると、この地球にはじめて声を持つ生物が産れたのは石灰紀の両棲類だ
ということである。だからこれがこの地球に響いた最初の生の合唱だと思うといくらか壮烈な気が
しないでもない。実際それは聞く者の心を震わせ、胸をわくわくさせ、遂には涙を催させるような
種類の音楽である。】(『交尾』より)
【それは私が彼等の死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してし
まうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。】
(『冬の蠅』より)
「絶対文感」は(夏目漱石や司馬遼太郎等の文章力の卓越した作家は別として)一人称(もしく
は一人の視点)のほうが与えやすく感じられやすい。梶井基次郎の作品が「絶対文感」の宝庫なの
は、その事も大きな理由の一つである。
主だった作品で主人公もしくは語り手が「私」、
「俺」もしくは「自分」になっているものは、
『檸
檬』
『泥濘』
『橡の花』
『Kの昇天』
『桜の樹の下には』
『器楽的幻想』
『蒼穹』
『筧の話』
『冬の蠅』
『愛
撫』『闇の絵巻』
『交尾』と、これだけある。それに三人称でありながら作者そのものである「峻」
「喬」「尭」=「タカシ」を使っている作品は『城のある町にて』『ある心の風景』『冬の日』とあ
る。亦、『ある崖上の感情』は珍しく「生島と石田」の二人であるが、この「石田」は作者の分身
であるし、最後の作品の『のんきな患者』は「吉田」となっているが作者そのものである。以上で
梶井基次郎の主だった作品は網羅した事になる。
十代で読んだ梶井基次郎と、四十前後で読んだ梶井基次郎と、六十代で読んだ梶井基次郎は、違
う。読んだ本人が言っているのだから間違いない。こういうことは他の作家でもあるけれども、梶
井基次郎はかなり極端だ。それだけ作品に深みがあるという事もできるし、こちらの経験が作品に
追いついてゆくという事もある。私達が七十年、八十年の一生かけて見えるか見えないかというも
のを、梶井基次郎は三十年で見てしまった。この「見者」の「絶対文感」が、その苛酷さを私達に
告げている。
この章のおまけとしては、意識化・徹底化された作家の文章を紹介する。思いつくだけでも(私
を含めて)五、六名いるが、ここでは(テキストの関係上)渋澤龍彦と吉田健一に絞らせてもらう。
まずは渋澤龍彦の『うつろ舟』から引用する。
【女人は年のころ二十ほどに見えて、色白きこと雪のごとく、まなこ青く、燃えるような金髪あざ
やかに長くうしろに垂れ、その顔のふくよかに美麗なることは譬えんばかりもなかった。唐人のき
るような軽羅と袴を身につけているが、これが西洋婦人を見たためしとてはなかったから、海のか
なたから忽然としてあらわれた金髪碧眼の若い女に彼らはひとしく肝をつぶした。ただ遠巻きにし
て、こわごわとガラス障子のなかの女を眺めているよりほかはなかった。
】
梶井基次郎の文章に頻発する感嘆符、疑問符、擬声語、擬音語は見事に省かれている。何よりも
吉行淳之介が意識化した漢字とひらがなの使い分けが見事になされている。織田作之助が駆使した
「助詞のカット」も多いし、反語的接続詞も除かれている。内田百間が無視した罫は、ほんのたま
に出てくるが、うっかり入れてしまったとしか思われない。
ただし(谷崎潤一郎や三島由紀夫の影響が強いためであろう)安易な比喩だけは多い。もっとも
渋澤龍彦の作品を通読すると、眼を見張るばかりの比喩も少なくはない。
渋澤龍彦よりもさらに意識化・徹底化された文章を書いたのは吉田健一である。私がこの拙文で
「要らない省け」と提唱したものは尽く入れていない。罫類も傍点すらも無い。おまけに会話だっ
て忘れた頃にやってくる。どの作品のどの部分を引用してもまさしく吉田健一の「絶対文感」であ
るが、今回は『怪奇な話』から引用する。
【もう日の光が春を思わせる時分になっていた。そのうちに梅が咲いて次には辛夷の順序である筈
だった。それが一年の始まりであることが毎年同じことでありながら自分にも一つの始まりでこれ
からゆっくり自分も年の暮れに向かって行くのであることを木山は知っていた。それはそこの一家
も知っていることである筈であっるよりは知っていると感じる必要がない程身に付けていること
という感じがしてそれで木山が改めて気が附いたのがこの一家には波瀾がないということだっ
た。】
引用しつつ見事なものだと思われた。私は再読しつつ低頭した。同時につまらぬものだと思われ
た。私は引用しつつ呆れた。渋澤龍彦や吉田健一は、別のジャンルで長く仕事を続けその後小説を
書き始めた。このタイプは(中村光夫はその極端な例だが)小説に対する持論があり意識化・徹底
化はされていても、小説が上手ではない。端的に言うとつまらないのである。意識化・徹底化が悪
いのではない。これからの小説はそれ抜きで文学とは言えなくなるに違いない。小説の下手な作家
がそれをするのではなく、未来の芥川龍之介や梶井基次郎がそれをやらなければいけないのだ。そ
うしてその際にはこの吉田健一の見事な「絶対文感」を常に念頭に置かねばならない。吉田健一こ
そ「意識化・徹底化の鬼」である。ただ残念ながら角が一本しかないだけで。
なお、渋澤龍彦、吉田健一タイプの「意識化・徹底化の鬼」はもう一人いて、樋口一葉の研究家
で名高い和田芳恵である。和田芳恵の小説に関しては只今紛失しているので、いずれ章を設けて書
かせて頂く。
あとついでだから例のアルファベット人名に関して少々。実はこれを意識化・徹底化して使った
のは、「新感覚派」時代の我が横光利一が最初である。いくら意識的に、徹底的に使用してもこれ
は失敗作になる。倉橋由美子の力作『パルタイ』『スミヤキストQの冒険』すらその例を免れなか
った。
残念ながら私の大好きな島尾敏雄もそうだ。島尾敏雄の場合は意識化というよりも、都合化とい
う方が当たっていそうだ。一応島尾敏雄の短編の代表作の一つ『その夏の今は』から引用してみる
が、一読目を覆いたくなる。
【FがつとRに近づき、
「でたらめを言うな」
と言いざま、右腕を振りあげ、にぎりこぶしでRの顔をなぐりつけた。
「なにをするんです」
Rは身構え、Fの両腕をつかんだ。】
日本語で日本人を書く小説にそんなものを持ち込む事の思わせぶりと安易さと不透明感に、読ん
でいて苛々する。容疑者Xとかの謎解き映画や三流ゴシップ週刊誌をつい連想してしまう。
それでは次章は梶井基次郎と対極にある作家、埴谷雄高か永井龍男を取りあげる。