『筋肉づくりの時代 ~皆様へメッセージ~(H28.7)』 石井直方 今世紀はおそらく、筋肉づくりの時代になる。 「筋肉づくり」といっても、いわゆる「モノづくり」の対象が筋肉になるというわけではない。知恵を絞り、 効率的かつ効果的に自らの筋肉を増やし維持する時代ということである。元気な社会を持続させるためには、 筋肉づくりが必要な時代になってきている。 筋肉は単に運動のための力を発揮するだけでなく、様々な役割を果たしている。例えば、体温を維持するた めの熱源である。筋肉は活動せず弛緩(しかん)していても、絶えず熱を産生している。最近の研究で、この 熱産生に必要なタンパク質を欠損したマウスは低体温症になることが示されている。さらに、このマウスを脂 肪の多い餌で飼育すると極度の肥満になり、やがて糖尿病になる。また、筋肉は様々な生理活性物質を分泌す る「内分泌器官」としてはたらくこともわかってきた。 例えば「イリシン」という物質は、強めの筋運動によって筋肉から分泌され、体脂肪を構成する「白色脂肪」 に作用して、これを減らしやすい「ベージュ脂肪」に変える。イリシンはさらに、脳の短期記憶中枢である「海 馬」に入り、「脳由来神経栄養因子」という物質の生成を促す。この物質は、神経細胞を保護したり増殖させ たりする作用をもつ。運動が脳の学習効率を高めたり、認知症を予防したりする効果をもつことは多くの研究 が示してきたが、その効果のメカニズムは筋肉が分泌する物質にあるのかもしれない。 筋肉はこのような多様なはたらきを通じて、体の中の物質やエネルギーの恒常性を維持している。糖や脂質 は体にとって大切なエネルギー源であるが、余剰になると健康を脅かす「毒」になる。体の中に多量にある筋 肉は、糖や脂質が余剰に蓄積するのを防いでくれる、最も頼りになる消費者といえる。 「モノづくりの時代」といえる 20 世紀。我々は、鉄道、クルマ、エレベータなど、 「筋肉の代わりになるモ ノ」を多量に作ってきた。その結果、100 年前とは比べようのないほど、生活は楽で便利になった。しかし、 「筋肉を使わない生活」は、筋肉の衰えを促進するばかりでなく、人間の体にさまざまな悪影響を及ぼすので ある。仮に、ヒトが筋肉をそれほど持たずに健康を維持できるように進化するとしても、それにはあと数万年 を要するであろう。こうしたジレンマが、生活習慣病の増加、高齢者のロコモティブ・シンドローム(運動器 症候群) 、子どもの体力低下などの問題となって顕在化している。 かといって、100 年前の生活に戻す訳にもいかない。「筋肉を使わない」ために費やしてきた知恵を、今度 は「日常的に使わなくなった筋肉を、いかに工夫してつくっていくか」に費やすのが最善であろう。単純な課 題ではあるが、明確な解答はまだない。
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