デカルトに於ける人間の自由について

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デカルトに於ける人間の自由について
河西, 章
北海道大學文學部紀要 = The annual reports on cultural
science, 5: 39-84
1956-03-31
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http://hdl.handle.net/2115/33232
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bulletin
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5_P39-84.pdf
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Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
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て
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人
間
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自
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J
章
デカルトに於ける吋人聞の自由い
について
付
章
我々が白日自身いて、不衝に白日ル鵡えてゐるのいふ意味
に於いてでなければならないであらう。プ一ブンの如く、デカルトのうち
に、我々の閥解冷持ってゐる簡や見ゐことには間持論ル設しはさむことが
J
Q
デカルトの問題は一一一般
できるとしても、少くとも、今日に於いても雨、我々は多かれ少なかれ
プカルト的であると一⋮協はねばならないのであみ
紀々踊ててなほ我々自身に於いて、新恥いな問ひかけとして立てられる。
一九三七年ぞい駅間以手として、デカルト研究の露出 J
批判制大な方向に発援
した。このいやに現れたジヤン・ラぶルトの二つの研究は弓デカルト官学
に於ける主意主義的契機の譲渡性治一史めて人々に気づかせた。ラぷルト
の指摘は岳然学に金一則的によりかかってゐ党従来のデカルト額制燃や一変
Q
今日人がへ 1グルによって完全に説得されない譲治
位しめるに足み力物持ってゐ大。岳山間意感がこの待以後デカルト哲学の
や心に据ゑられら
Q
デカルト患強の筏機
が正当にありうゐとするならばもそれは巡らく隆史の外に'絶えず脱落し
ようと?ゐ個体の問題に関してであるに遠ひない
A
m
m
に於いて、人はカント
超えて強かにデカルトにまで議ゐことぞ必要
hq
は決して毅然ではなかっ穴であらう。憾人の自由が問題となろ後での場
ずる全ての人々が誠一不し仁、この一山人才の遺産からの銭々の取り分の図録
ることによってのみ、この間聴の意味するところや充分に知りうる詑ら
としたのでわる。摘人がその金おむ惑に於いて現れてゐれこの持代まで諮
に人冷今場い亡。このやうに、多くの人々がダカルトのうちに、
生れた
ての慣入はなほ輝かしい未来ぞ蔵してゐKG それは白取の袈ひ予がいるに
Q
最もふさはし品げものであっ亡。デカルトは合翠糾出身倒休のうちに関ぢ込
ダカルトの白尚は制約よりも先づ偲入の内部に牧世づけられに
うからである。
々に及んでむゐといふこと身、何よりも良く一不すものではなかったか
G
とのことは、ダカルトそ一舟び中食へと温ひやって、デカルトと我々との
穣認しようとし十ト。この総
めることによって、この個人の岳山間の権利 bq
'
t ⋮
合によってダカルト官学は、批凶判的思惟の自体のための哲学となu
g
g
z
o
)に止り﹁神の自由い
L
血一縁関倒係ぞ総断しようとしたジルソンにも当ては永日々。一つの息掛かこ
、季、、、
のやうにお否すること身、我々は他ならぬデカルトその人から学ん、にの
間の自由毘げ
鳥取の議しさと不もとやっぶさに味はねばならなかっ
旦コザトに現れ山似たこの自由のうちに身与おいれデカルトは、以後この
この﹃人
トぞ超えてみみの犯と言ふこれゐとしても、ぞれは何より
215)
冗からである。我々は、我々の思想的寓とも一一一一日ふべきものに於いて、想像
自分自身のものを見出しうゐといふことは、この天才の力が今 nMも品川我
らか
Mm
とも一⋮一段ふべ合ものに現わい仁多彩さは、夏めてこの思想の品川一一ーかさへの議機
w
沼何十記念に当みその俸に、デカルトに約らかのものか 魚やてねると⋮信
u
に組つれデカルト思総の夜擦は多くの現市問診持ってゐ七。一 方
検叙設﹄三
紀の歳月も尚充分ではなかっ大と言ふべきでふらうか ο 一九⋮⋮⋮七年以後
A
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:
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内
凶 C F25
師
、
山
間
以
可
再
会 HmwE矢 口 口 心 MMM 帯当き符口回目 V E F L P室
仲父
MVMMM
20日(山口、22口出 MM仲吋母hi--evv(阿)坊のocgw 点。 M一V号丘四)
一人の天才の思想の、京一に天才的であった所以今知ゐ七めには、⋮⋮一世
西
以上に多くのものやデカルトに負つ印刷り、もし我々が今日既にデカル
四
- 41
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言
3
デカルトに於ける﹃人間の自由﹄について
A口 、 山 - 口 、 可 同 ぐ 同 立 国 ロ ロ ロ ロ 。
ZZ 臥 仏 日 吉 岡 叩 門 官 吋20日門凶日
円四出︻吋刊日田口
HHV
OR﹁myHZHM同三日開)
の本質は我々の知覚ぞ超えて居り、その客観的把握は悟性の役割に帰せ
られる。純粋に質的な原理であるところの実体形相の秩序に代って、自
しようとする自然法則の秩序が新大に現れ出る。
然の量的関係にのみ注目し、自然の本質や数学的函数関係 hq以ヲて記述
他方、知覚的世界の未分化的統一からの客観的自然の独立は、逆に知
覚の内面的主観的性格への理解ぞ深めに。意識が発見せられて、個人の
中核に坐る。この近代的白我の形成は、中世的社会秩序からの個人の解
トミスムの難問であつにところの、そして唯名論者仁ちの最も得意とし
放ぞ促進し、叉この個人の解放によって、その主体性そ強化せられる。
らう。﹃方法叙説﹄ぞ読めば、他の如何なる折口学史にもまして、彼自身
なる。かくて、ギリシャ的な自然的理性や唯一の武器とする個人が、直
スムが個人主義的懐疑主義へと発展する過程に於いてますます明らかと
出される。
七ところの、個体化の原理の問題のイデオロギー的性格が明るみに現し
が、﹃これに先立つどの時代にも劣らず華やかであり、優れ仁精神に富
んでゐる﹄と見倣しが)この思加国的動乱の時代の、生々とし仁姿ぞ思ひ浮
接に客観的世界の悟性的必然と対峠し、各々白己のうちから他を排除す
挺に、自我の主体性、個人の自由の閉鎖的、抽象的な性格は、ユマニ
後に見る如く、デカルトは確かに彼の時代を
超えてゐたとしても、
に交渉し合ふ。方法が必要となゐ
ることによって自己の本質ぞ確立するとともに、他面技術ぞ通じて相互
然し叉、専ら内面的に実現せられ七白我の自由は、その実現の
Q
超えてゐ亡のであるが l それは、絶えず時代の波に容み込まれ、その
U)
(
一
抽象的性格の故に、自らのうちに自足しえなかっk。人々はこの手に入
先づ徹底的な恒否の力に於いて自己冴証一不するこの自由身前にして、人
れたばかりの佃人の自由の抽象的な無限性に目まひや覚える。何よりも
に至つ仁近代自然学であっ仁。生産技術の発達が要求しに却しい自然観
他方、一面的に世界と対立するが故に、もはや確岡仁ゐ足場か一世界の
々はその破壊力ぞ規制するものや見出さうと焦慮する。ストア的倫理が
い機械論的自然観の前に脅えてゐ校。地動説の知見は、二一口でいへば、
は、既にコベルニクスの地動説となって、その破壊的な姿暑地平から現
感性ぞ超え仁悟性的自然の定立である。プトレマイオスの天動設の意味
うもに見出しえず、又自らのうちに自足しえない自我の仁めに、先づ神
秘主義が、衣いで精神としての神、﹃信仰のみ﹄ hq以 っ て す る 神 が 救 ひ
新仁な粧ひぞ凝らして現れ出る。理性に従つての自由意志のよき使用。
するものは、宇宙は我々の知覚に即して、乃至は我々の知覚の延長上に
J
の手やさしのべゐ。先づアワグステイヌスの 伸 、 或 は ジ ヤ ン ゼ ニ ス ト の
してゐ七 ω 中世的世界観の根抵ぞなしゃい実体形相は、この現れ出校新し
ちで、最大の影響ぞ彼に及ぼしにものは、疑ひちなくガリレイを経て彼
(i︺ デ カ ル ト や 取 り 巻 い て 彼 や 押 し 流 さ う と し た 諸 思 潮 の 渦 巻 の う
中でもがきながら、わずかに一歩先ぞ歩ん立に過ぎない。
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べることができるであらう。デカルトも亦時代の子である。彼が時代沿
先づ。テカルトの生品UR時代について簡単な素抗沿試みる必要がある花
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m口、田口仲州国ー芹刊回目︼恥Hag--V(己目的口
目ロ℃同H
門
凶O A Z即 時 酌 仲 件 。 口 四 円 山 口 、 。 ロ ロ ベ 回 ︿ 同 注
色 。 口 件 。 門 戸 口 叩 仏 国 ロ 回 目 印 ロMDロ
同
Cロ 凹 - 白 山 田 口 同 H・ 白 ♂ 刊 一 円 。 四 日 V印口田町門
A の白ρag 四時田町田山
ないといふことや一不すものに過ぎないのである。
ば、それは佃人のうちに閉ぢこめられれごの自由の運命に関してである
、、、
に違ひない。それ故この小論の主題はそこに限られる。表題に人間の白
、
、
由といふ意味も、神の自由に関しては必要どなる場合以外には立ち入ら
ぞ設定し仁。然し今日なほデカルトの自由が問題となりうるとするなら
河
西
設定されうるといふことである。これに対して、地動設によれば、宇宙
- 42 -
E
し、まさに一つの思潮が自己身押し流さうと、ずるその時に於いて、全力
否、この反抗は、現れ出る諸思潮に対して、方法春以って立向ふことぞ
きにといふことは、偉大な精神の力沿一不すものであゐ。更に、この括
にし、白己ぞ押し流す流れの中に於いてその流れに距離ぞとることがで
他方神といふものの本性に従って、飽く迄唯一の絶対者、唯一の無限
意味する。この方法への努力に於いてのみ、この動乱の時代に於ける、主
。ぞ挙げてそれに抗し、それぞ担否することによって逆にその意味ぞ明確
者、即ち創骨骨であらうとする。一仁び神が現れ出る限り、抽象的には
が登場する。
神、更にはカルグアンの 仰
z
っ⋮山)然しかく内面に於いて、又内面に向って深まることによってのみ
無限者にまで高まつ仁白由な個人は忽ち有限﹂中旬、被造物に転捺する。結
体的自由が確保されえわいのである。
発見せられにこの神は、一方内面的世界や最終的に保証するとともに、
対的なものは摂現であって、自由はk f否定的なもの、即ち悪と誤謬の
これらの同時代の全思潮がデカルトといふ一八の天才の内部で衝突し
(向。より正確に言へば、デカルトの内函に於いて、時代の諸思潮の対立
意味やもって人間の前に現れる。時一不的真理と人間悟性の真理とが、自
ことができるであらう。﹃自由の問題﹄も例外ではなかっ七。否むしろ、
向のいづれにも決定的に身ぞ委ねることぞ拒否してゐる彼の姿ぞ見出す
デカルトが後代に遣し仁問題のどの一っそとってみても、先に見仁諸方
は一そう激化されな例へば、ウアカルトの循書、例へば、﹃心身問題﹄、
、源泉として、単なる恋意としてのみその意義ぞ認められる。聖書の奇蹟
が信仰のみに支へられ、逆に信仰ぞ通じて全的に人間や支配する。今や
由の問題ぞ介して真向から対立する。もし啓一不的真理ぞとれば、個体の
ここに於いて始めて、対立は、意識せられた矛盾に転化しようとしk。
世界沿支へるものは信仰のみである。創世紀の神話が嘗つてない厳しい
うちに、そしてそこにのみ位置づけられ七合理的なものを全て拾でなけ
デカルトは丑一日はば時代の矛盾ぞ一身に引き受け大のであり、又後の世代
が明瞭に意識したところの、個人の自由といふ観念のうちに秘められた
ればならない。もし悟性的真理をとれば、自足しえない自我ぞ抱いて当
謎ぞ身沿以って解かうとしたのである。デカルトは解決しえなかっ大。
てもなくさまよふ不安と孤独との途のみが残される。自由の問題に当面
して二重真理設は拾てられねばならない。生れにての合理主義に最初の
彼は確かに失敗し七。彼の哲学の随所に見られる自家掠荒がそれぞ証明
危機が訪れる。
スコラ哲学も亦、苦悩に満ちわト白己改造の努力一のさなかにあっ
然しまたこの破綻のうちにこそ、デカルトの天才が最もよく
Q
例へばスコラ的実体形相ぞ桓否
と拒干のうちにこそ彼の哲学三昨く鎚がある。僻稗者に
hm
ちはこの点ぞ見逃し七、或は見誤つに
ない。この酢
て、逆にそれらぞ自己のものとしようとし↑いことに直ちに気づくに違ひ
の観念に対して常に距離ぞとらうとし、又この距離やとることによっ
ひながら、時には抗ひかねてそれに押し流されながら、しかも尚それら
思想が、・次々と彼の前に現れ出るさまざまの観念に動かされ、それに抗
秘密がある。例へばデカルトの書簡集のどの部分やとってみても、彼の
Q
してゐる
(-W)
ゃい。ソルボンヌの博士たちは真剣に新思想に取り組み始めてゐに。ジエ
伊
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一不されてゐるのであり、後の世代を魅きつけに彼の哲学のあの豊かさの
O
白市由問の問題苧
ιザ仔九ヨ、、行為の不決定におきかへることによつて、
ズイツトは、伺人の白由 ぞ
大幅に神笠叫学干の、うフちに探り入れゐ
汁サソニスムとの間に、激しい、然し真剣な論議が交される。
時代は要するに思想的動乱の時代であり、諸思潮が至る所で衝突し、
叉五ひに影響しあってゐ大。これらの諸思潮の全てに対して、それ治一
旦拒否した後に各々所をえしめること、即ふり時代そのものに対して距離
をとることは、如何なゐ天才といへどもなしうることではなかっ食。然
北大文学部紀南京
- 43 -
パスカル的なジヤンセニストとしての、そしてその限りでの彼に他なら
あるに過ぎず、叉機械論的悟性の一面性や超えようとするデカルトは、
するデカルトは、近代的自然学者としての、そして、その限りでの彼で
ば、意志の無限性は単なる可能的なものにおとされて、全確実性の根拠
じて真の無限ぞ指向する。一日一この現実態に於ける無限が現れ出るなら
的、否定的性格の故に、自己のうちで充足しえないで、この破れ目ぞ通
の無限性が、逆にこの秩序の統一を破壊する。意志の無限性はその抽象
デカルトに於ける﹃人間の自由﹄について
ない等々。当のデカルトが少くとも一度は拒否したもののいづれかに身
は神のうちに移されねばならない。有名な﹃デカルトの循環﹄が現れ
デカルトはこの循環港、飽く迄コギトの側から断ち切らうとするであ
る
。
﹀
に関しても同様である。デカルトは一貫してトミスムの立場ぞとったの
ったのかi
最も内面的なものや一通って、自分から出て行く。神は善であり、神は真で
J
らう。彼は﹃伸なしで済まさう﹄とさへするであらMV ﹃彼は内的なもの、
限な人間悟性の枠のうちに自己そ閉ぢ込めない限り、誤謬の源泉となる
性ぞ漠然とながらも感じてゐ大。自由意志は無限である、然しそれは有
ある、それ故、科学は真である。それ故、感覚は欺かない。それ故世界は存
在す旬。﹄他方然も彼は又、純粋なコギトの昼しさ、コギトの仮構の充実
ビュl フの自由論そ殆んど金一面的に肯定してゐる。又他の場合には、彼
ならず、又一日一間はれるならば彼の哲学金体ぞ揺がさざるをえない。一
彼は、自己の自由のうちに潜むこの矛盾に気づか
方コギトに於いて自己診確立した自由な主体の無限性、個人の思惟のう
JMV
トミスムの一派llの、王張と全く一致すると諮ってゐる等々。
注目すべきはむしろこの動揺である。デカルトは如何なるでき合ひの
ちにある限りない間一一見かさぞデカルトは飽く迄守り抜かうとする。然も他
る。更に叉別の機会に於いて、彼自らが自己の自由諭はゴマリスト││
解決にも身ぞ委ねることぞ醇つに。彼本来の自由であるところの、会て
方この主体的自由の無限性は単に可能的なもの、内面的なものに過ぎ
ずに済ますことはできないであらう。自由の問題は必然的に問はれねば
更に言へば、この彼本来の白山のうちにこそ彼の動揺の理
にのである
されねばならないといふこと治感じながらにである。動揺は不可避的で
ず、その抽象性の故に真の存在の有限な、一面的な、外的な形式におと
あつに。彼の思索の全過程がそれぞ証明してゐる。
更にもう一つの条件がこの事情ぞ致命的なものにした。時代に一歩先
春、彼は時代の外に於いて、自己の一身のうちに於いて実現せねばなム
っk。むしろ彼はこの孤独忍要求し亡。時代金体の矛盾が要求し七解決
んじて歩ん冗この天才は、この一歩の故にま仁孤独に地へねばならなか
的、更に隠遁的でさへある。それは飽く迄個人のうちに閉ち込められ、
なかったのである。然しまた、この隠遁の孤独が、彼自身の内面の矛盾
他 方 又 こ の 自 由 は 、 そ の モ ン テ l ニユ的出生の故に、消極的、閉鎖
な意識のうちに見出すであらう。﹄
る不確実性の正当化と思はれたところのもの、即ち自我についての自由
﹃デカルトは、彼の諸確実性の基礎房、モン一ア i ニユに於いてあらゆ
の源泉であっ仁。ルブエ lヴルはかう号ロつてゐる。
由がひそんでゐ七。一方この自由は、デカルトに於いて全確実性の唯一
Q
ぞ疑ふ力、全てを方法的に担否する力が彼にさうすることぞ許さなかっ
だらう、と彼は言
はジエズイツトの神父プト才の自由論に同様会一面的に賛意ぞ表してゐ
ヌの才-アトリアン、ジ
る。後に見る如く、或る場合には、彼はソルボ (UU
にこれらの主張はいづれもデカルト自身の証言にその基礎やもってゐ
解決ぞ受け容れたのか
llアイプニツヅはさう予想し大││等々。確か
ジ ル ソ ン は さ う 主 張 し 仁 │ 或 は 又 彼O
はJ
C イニスムの
か││一アロホルトはさう結論する││それとも亦むしろモリニスト的であ
︿
8
巻置いて、彼らは一面的にそれや固執しようとする。当面の自由の問題
河
白我のうちに埋淡する。悟性的諸真理の秩序全体を生み出した白由意志
- 44 -
西
へなかっ仁、ソルボンヌの博士火、%のふ札場も結誌は
るであらう ω ダカルトの一史諸々総純して、被の
のどのつや承認、すろ Lいきにも、自
日の真理の出
のであろ。菊哲学の
形而上学に八
と、ぞれ、かそのに拙ならないところの、械の外の
加へ仁か。ジザムズイヅトはこの官学の必然的に
怒的対立との股そも断ち切っ仁
ントの
尽一擦であゐ。 挺には、デカルトルあのやうに喜ば佼火、彼と。フ守プスタ
ν 終故ジエズイツト
││或ゐ窓球では彼自身以上にili知りてみに
や見ゐぺ舎である記ら
患九州にとっては不
なものになり終ら
の動議決
でもあつがトとこ
さへ一注文に於けるカルグイニストとカルジアンと
エリずべ i トとの、あの美はしい、この上もなく打ふりとけ、に
河故自尚怠恕家(日認のチャンピン
のやうにデカルトれぞ
Q
又、こ
いでわらう
の
、
なかっ仁ので
- 45-
デカルトに於ける﹃人聞の自由﹄について
重なものの全てがあり心。
河西
ところで、デカルトは、彼自身の自由であるあのい拒否の力ぞ方法的に行
る。あるときはこの武器の破壊力は強烈であつに。(例へば機械論的自
使する作めに、常に身の周りにある武器左手あふトり衣第に利用してゐ
然観を用ひて実体形相ぞ拒否する場合のやうに。)又他の場合にはこの
武器は余り有効ではなかった。(例へば笑休形相ぞ復活せしめることに
依って心身問題ぞ併かうとし仁場合のやうに。)あるときは決然として
居り、ある時は弱々しい。然し一貰して現れるのは、如何なるでき合ひ
の観念も自らのうちにすべり込むことぞ許すまいとするデカルトであ
る。彼に於けゐ自家掠式市は二重の意味で当然である。即ち、咋日担否し
乾その同じものや、今日は他沿破壊する七めの武器として用ひるからで
あり、叉白己白身の、主体性暑、直接にはかうし仁破壊に於いて、即ち否
食諸観念の多面的な角逐、彼の動揺の源泉であつにところの彼自身のう
ちの矛盾に他ならない。デカルトのうちにあって、デカルト沿駆り立て
仁ものがかかる矛盾に他ならず、注目すべきはた冗この矛盾のみである
ての人々より一歩進んでゐる。然し他方、かうし牝状況に於けるデカル
ことぞ、始めて肯定的に指摘したルブエ lグルは、その点記けで他の全
ト自身の主体的な運動、担否に於いて自己の主体的自由ぞ確立するとい
ふあの巡動、到る処に露顕沿示してゐるデカルト思想のこの隣脈につい
ては、ルフエ lヴルも尚充分に明らかにしてはゐない。
叩広田
OHgq同日目白門田二日己即日印己aR5q
骨芯己青
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由、先づ全てゆぞ疑ふことから始まるこの白由、状況が彼の中に置いに諸
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Oロ吋タ園。司同H
・
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然らば、この桓否に於いて自己の主体そ確立するといふ彼本来の自
屯といって、彼の誠実さ沿疑ふこ Lしはできない。不誠実なデカルトといふ
矛屑を克服しながら、絶えず新紅な矛盾 hq生み出して行くこの運動の原
定的にのみ確立するからである。彼が手あ↑トり次第の武器房用ひにから
ものは存在しないのであって、彼は常に、白己の主体的自由。そ脅やかす
動力身、彼が手に入れにのは何処からであっ仁のか。日開ひもなく、先に
。ぞ考へよいやうにする穴めに、先に見恥ト処を先づ整理して置かう。
全てのものに抵抗したのである。現れ出る杢てのものに方法的に障害物
護るべきものはこの
ぞ対置し、かくして、それ治拒否することによって自己の自由を確認す
Q
述べれ彼の思想の諸源泉の中のいづれかからであったに違ひない。問題
るといふ手続き港、彼は倦むことなく繰り返へす
人間精神の歴史の一つの頂点そ形成するこの時代の、複雑で多面的な
思想の運動は、大別して弐の四つの流れ沿そのうちに含んでゐ仁。これ
自由のみでありて、何が、何を以って担否されるかは第二の問題であ
る。彼は自己のコギトの秩序、批判的思惟の秩序に対しては一貫して忠
らの流れのいづれもがデカルトの内面に達し、彼自身の精神の逝動に影
Q
実であらうとした。 bL
、に彼は、自己の用ひろ武器が強力であっ hか否か
響沿及ぼした
ω
ガ リ レ イ hq
経て彼に至った、数学的方法と機械論的自然観在中核
とする近代自然学。
(i)
に応じて、おのづからあるときは決然として大謄であり、他のときは遠
慮がちに控へ目となっ仁に過ぎない
全てのテクストがむしろデカルトの誠実さの積極的な証拠である。更
義に進展してゐh、閉鎖的な個人の抽象的自由と、反宗教的色彩をす
(一日)ル、キツサンスのユマニスムや経て、モンテ l ニユの懐疑的個人主
に一一一日へば、この誠実さの故に惹き起された動揺の積極的な証拠である。
し土真の状況は、彼がそのいづれにも身や委ねることや拒否しようとし
デカルト自身に於ける真に客観的なもの、デカルトがそのに百中で思索
- 46 -
自
u
ω特 に カ ル ヴ イ ニ ス ム 。 並 ひ に こ 。 改 平 の 設 も
ら帯び七日常的実践への関心とに支へられにモ一ブリスト的見想
のm) 宗教改革の諸思想
強い影響身受けにカトリック思想であるところのジヤンセニスム。
全ての人々のデカルトは、かうし、に白然的理性の自律ゆがし中根とする悟性
的形而上学者としてのデカルトである)。このやうなデカルト明解にとっ
て、デカルト形而上学は中世的神学と近代自然学との、不成功に終ヴ七
安協の試みであっ仁に過ぎないーといふ自己の主張。守、血児官な証拠を揃へ
才とそ見ようとしてゐにものの、殆んど全てゆ伊)抹殺してしまふものとし
ο
これらの契機はいづれもデカルトのテクストのうちに明瞭な痕跡沿沼
て、致命的な一撃であっ大と言ふことができるであらう。残る処は、ジ
ハ・一山)中世哲学が時代に適応せんが亡めに行つ亡、苦悶に誌も仁努力
めてゐる。先に述べにやうな条件、即ち、デカルトは如何なる観念も一
ルソン自身が許してやうに唯一つの抜け道、即ち、テカルトの自然観の決
定的な新しさぞ手掛りとしでテカルト哲学の全体に託って存する中世
て立証してみせ↑トジルソンの研究は、人々がそこにデカルトの独創と天
ふ保留守管附した上で、我々はこれらの諸契機がデカルトに対して持つ権
旦これそ担否し七後にでなければ、自己のものとして用ひなかれ/にとい
神学的なものと近代白然学的なものとの混合のうちから、自然学者とし
ジルソンの、ある意味では劃期的な諸研究が現れる起の全ての人々の
利はむしろ平等であると見倣し度いと考へる。
z ?ー、ムイイらが選ん立途、にけ
ての、又その限りでのデカルトのみぞ拾ひ出し、そこにデカルトに於け
る貴重広ものの全てや見ようとする、
J
契機のうちの第一のもの、即ち﹃自然学者デカルト﹄に全面的によりか
デカルト、ヨ一口はば古典的な アカルト像といふものは、先に挙げた問つの
の独創性ぞ徹底的に否定しようとしKジルソン自身も、デカルトの神の
然し、ここに実はジルソンの設け仁臨界があっ仁。デカルト形而上学
である。
かってゐに。リグオの哲学史は、彼の同時代人七ちが、この新哲学ぞ如
何なるものとして受け取り、それの如何なる点に興味。ぞ持ち、叉それに
(7)
観念││欺陥者でありえない神、誠実な神といふ観念!lの新しきゃ、
彼の研究のうちでさりげなく承認してゐるのである。如何なる神学も、
rのやうに対し仁かぞ見事に描き出してゐる。この時代の殆んr全ての
人々が見たものは、レギワスの見仁通りのデカルト、即ち機械的唯物論
この点、立けぞ追求して行
神の観念が更められ仁ならば、その体系に根本的変容を家らずには閉まし
Q
者としてのデカルトであった。彼らにとって、デカルトの形而上学は、
えないことは自明のことと言はねばならない
つでも、、一アカルトに於ける本質的なものに行き当らないわけには行かな
口 23
丘町)の単なる
デカルト自身の提唱しに﹃普遍数学﹄(日丘町ω田 町 田E
一環、この方法の一適用に他ならない。 71ルプランシユすら、彼がこ
かっに筈であるが、﹃白然学者デカルト﹄ぞ問執しに人々は、訟にこの
むしろ一そう立ち入って見るならば、この古典的デカルト像のうちに
ことに気づくことができなかっ h。
は、ジルソンの一撃やまつまでもなく、早晩自らや破綻せしめずには措
の新哲学に興味。そ抱くに至つにのは、先づ人体の機械論的説明の漸新さ
も、せいぜい有限な悟性と、その悟性の捉へる諸真理の体系のうちで自
超えてゐ仁、あの繊細で鋭敏な精神の持主パスカルがい見たデカルトと雌
かない大きな紋陥のあっ七ことか)容易に指摘しうるのである。かうし仁
からであったと言はれてゐる。或る意味ではテカルト以上にその時代を
足してゐるデカルト、要するに﹃規則論﹄のうちに現れるデカルトに過
が自然学を支へたの、にといふこと、換言すれば、コギトなしには、物体
デカルト理解に於いては、自然学が方法ぞ支へにのではなくして、方法
ア今ンが折衷的に集成して我々に見せてくれに、 一九二 Oは頃迄の
ぎなかっ R。
北大文学部紀要
- 47 -
デカルトは、かかる悟性ぞ超え仁ものぞさまざまの名ぞ以って呼んで
河商
ゐ30 このことは、デカルト自身も、この理性的なものや、それが主と
デカルトに於ける﹃人聞の自由﹄について
を そ の 一 面 的 に 量 的 な 性 格 │ │ 即 ち 延 長 l に於いてのみ扱ふことはで
して否定的にのみ現れ出たがために、充分明確に把握しえなかっにこと
従 っ て デ カ ル ト に 於 け る 主 意 主 義 守 OHO
ロ仲間門町ヨヰ的契機は全く見失は
意味するところも、遂に充分には解明されることがなかったのである。
りなく超えて居り、それ自身無限なもの、無限に触れるものである。然
それは、﹃意志乃至自由意志﹄である。意志は有限で一面的な悟性ぞ限
ぞ一不す一つの一孔拠となるものである。彼本来の呼び方沿以つですれば、
(凶)
によってあのやうに繰り返して強調せられ七、彼の哲学の実践的性格の
きなかっ仁の立といふ事態が完全には把揮され、ず、廷に又、デカルト自身
れ、彼に於ける理論と笑践との統一は、主知、平一義的形而上学、ストア的
じ他方、意志の無限性即ち自由は、まに同時に判断に於ける誤謬の源泉
(日﹀
倫理学、 及び、スコラ哲学の残津のうちへと完全に解体せられねばなら
のに顛落する。又それは、﹃方法叙説﹄の アカルトぞあのやうに毅然に
でもある。無限そのものが、その一面的に否定的な性格の故に有限なも
u
アカルト古
J
なかっ仁。然し、﹃方法叙説﹄、﹃省察﹄、﹁情念論﹄といふ、
J
学の頂点ル一形成するこれらの書物ぞ少しでも注意して読むならば、我々
(
gロ印印ロ叩)乃至
まふことはありえなかっ h筈 で あ る 。 デ カ ル ト は 五 る 処 で 抽 象 的 、 一 面
を持つ‘にけではなほ不充分であり、かかる精神や疋しく使用することこ
は、悟性の附一内で働くときにのみ現実的な﹃智慧﹄となる。﹃良き精神
然し万人の精神のうちに潜在するこの理性
﹃珪性﹄(百円叫 Q口)である
らしめた、﹃真と偽とや判別する﹄力としての﹃良識﹄
的な悟性や超え出てゐるのであって、もし我々が充分に注意深くさへあ
そ肝要なのである:::﹄又それは﹁情念論﹄に於けるつ尚遇﹄(ぬかロ吟S
H広)
Q
カルト、一一白ひかへれば、自己の懐疑の頂点に在るデカルトそ見逃してし
が先に見亡、担否することによっ一て自己の、主体的自由ぞ確立してゐるデ
るならば、デカルトに於けるこの理性的なものの閃きに気づかずにすま
である ο 然しこの徳(万円E
) はまに、意志の自由沿悟性の命。するところ
、、、、︹時)
に自ら従はしめ一ゐ意志の自己限定に他ならない。一仁び取り出されh、
すことは不可能である。既に﹃規則論﹄に於いても、そこに説かれ仁主
知的形而上学の統一ぞ殆ふくするものがあった。そこでの形而上学の中
この理性的一なものの無限性や扱ひかねて、デカルトは直ぐその後に、大
(9)
核ぞなす﹁明証的直観﹄ぞ支へるものは、﹃注意﹄といふ意志的な契機
ず、至る処で、悟性的な外被の裂け目沿適して、この情性的なものぞ生
急ぎでこれを悟性の狭い枠のうちに押し込まうとする。それにも拘ら
戸日)
は立志の中心的機能となっ仁判断の作用もなほ慣性に帰せられてゐる。
ジルソンの仕掛け仁陥穿沿見破るや否や、人々はデカルトに於ける主
み出し、支へア心理性的なものの輝きが我々の注意や惹くのである。
である。﹃規則論﹄に於いては、意志の役割は未む確立せられず、後じ
然し、﹃第四省察﹄に至って始めて明確な形ぞとつ代意志と悟性との判断
ぞ介しての苅立も、活花的には既に﹁規則論﹄のうちで、知的直観と注
タイがかう言ってゐ七。
意主義的契機の重要性に気づかないわけには行かなかっ七。既に‘テイル
﹃デカルトは、思惟の明断さに基く精神の自律の休現者である。彼の
(M)
則(℃品042) に ま と め あ げ た ﹃ 方 法 叙 説 ﹄ の う ち で 、 そ れ ら 準 則 の 意
意といふ形白もとに、更に﹃規則論﹄の諸規則そ簡潔な四つの中心的準
る。例へば﹃方法叙説﹄の第三の準則について、デカルトが衣のやうに
﹃本来は何ら互ひに先ぞ争ふこ
一フロホルトが先、っ、倫理学のうちに押し込められてゐた﹃意志の自由﹄
る::・﹄
志的性格の強調等々となって現れ出てゐるのぞ見ることができるのであ
G
ハ
U)
うちには、自由の意識と合理的思恨の力感との独創的な結合が生きてゐ
言ってゐることに注意せねばならない
とのない事物の問にさへ秩序ぞ想定しながら。﹄
- 48 -
c
、し
カ て、
カラ
J
レ i
トに
よカ
ト
に科仰すゐこと令試み
当て
とし
U
±、じむ
人L
JJ
n
u
(性に
い廷内出な
カルトの論翠め絞
る。﹄悟性的と論畑山
であ句。デカん'ト陥の
至る・ところで敏綻させ、の悶の閉めきとなって現れる、この
卜次いでジ
ω 今やグカル
史以忠の内総山間﹄とデカルト川町時ん立ところのものが、人々の闘に多かれ
ωh
少なかれ非合環的なものと映じたこと、である
トは非合理主義母として掛れる
勾
4
、
、ト が 、 更 に 登 場 す り か 。
ヤンセニスト・デカル
俗
L
ι
J
レ
う
品川山し又このカルトは難破し終結的体系会
与/
北火災学部紀要
にデカルトハ似て啓示的真、仁。
会さえロにしてゐる。又彼は自然的機﹂れが我々の
と呼んでみるものであるiiの有限性を充分に意融してね
Q
然し、そもそも
に触れみごとく、晩年の彼は、 ija恐らくは玉大ザ山手ザペ 1 ト
とに、 1 i神亭主義的な傾命令さへ一不ずに蕊ってゐる
γ
明設怠の白由﹄がダ -Mルトに於いて、アルキヱの一一一一日ふ如く、純粋の否定
ι
仙川、制約ものをも支へ 、 特 も の 沿 も 産
出しない紫存的な自由であれ/たのか。慎畿の涼点に於いて、自らやアル
性、底無からのみそのカ脅汲み
キメデスめ交上九となして世界湯女へ、入閣内エて吋尚然の、主人にして所
gmy}252gbν 大ることを得しめにもの
有点仰い (H山
H4 内立率三宮諸問窓口
、
、
が、彼の自由ではなかっゃいか。確かにダカルトは昌己の自由沿採否に於
に把握ずら方法治持ってゐ為。サルトルの見にの左は反克に、デカルトの
いて立一詳した。熱し又この自由は常に磁極的な力である。それは、現れ
、、、、、、、、.、、、
出る企てのものに確医大る料判断や対捜し、それや、液体の鵠から、実践的
閉山間以産出品問なもの、生活の場で鈎く実践的なちのであゐ。短獲したと
すへば、デカルトは祢そも揮否し大の匂あって、紋印絃デカルトに於いて
将 よ り も 先 づ 話 線 念 ﹄ で あ る ο 吻合して観念とは一向こに良悦する主持の
作活が期印苧られてゐる娘、りでの児恕に也ならなげ Q自 己 の こ の 尚 自 に
於い十て毅然としてゐ大デカルトや抜きにして、彼の実践への、又技術へ
の深.い間関心沿道解すゐことは関畿であらう。絞伸、﹃方法叙説い第六部
功、デカルトのうちに見られる、抑制論と撚践との自治事な統一は、デカルト
彼の哲学のもう⋮つの性格をなすめの
てゐるアランのデカルトち亦作り
め自由のかかゐ綬絡に設意するとおびにのみ始めれうる
デカルトに於いて
ラでして更に、
ならないであらう。
、,、、、、、
し終始一貫して決
Q
みや否や、実重さ
なす
-.
1
9-
も
い出
Q
うちゃ}﹃実践
ら 下町長ぞ
れい取
るち失り
デカルトに於ける﹃人聞の自由﹄について
然し哲学史の方法としてみれば大きな猷陥狂人(白んでゐると ﹂ろの、さう
R
る不決断に顕落する
しにやり方在、ラボルトは選ばずにゐられなかっ仁に違ひなげ。事実-フ
先に既に見仁如く、デカルトに於いてこの顕落は
不可避的である。意志は有限な悟性の枠のうちに身母屈してゐるには余
(問叫)
ボルトは、当面の自由の問題についても、デカルトの主張は一貫して変
らなかっ仁といふ結論に終ってゐる。この点では、アルキエの方が正し
この願落、この破綻、毅然として在るのと同じ回数、にけ繰り返される
って、叉デカルトに忠実な所以でもない。後に更に詳細に述べる如く、
いので知って、デカルトの此の問題に対する恕皮には、明らかにわ骨が
r
"
。
見られる。少くとも彼の態度の変化ぞ考へずに前ますことは不可能であ
ソルボンヌの才一アトリアン仁ちぞ目指し七﹃第四省察﹄と、ジエズイツ
トの神父メラン宛の書簡との聞に、又それらと。プロテスタントの王女エ
ラ同ホルトのみならずアルキエもが、彼らの研究のデカルトの自由や扱
J
リ、サベ 1 トとの文通との間に、当面の問題に関する アカルトの態度の差
異彩一見出す牝めにはそれほど多くの努力巻必要とはしないであらう Q
( M加 し
つ仁部分の最後七て初期の神秘主義的なテクストの一つや一以って締めく
くってゐるのは単なる偶然であらう、か。
ところで、そめ一プクストといふのは、﹃忠実私記﹄(のcmtg 昨日。D
m
w回目)ユ41
やむミ
N
。
同町 Nh
同
時
時
・
)
h
(町岬)
何回仲ω
間) の中の次のやうな一節である。
、、、、、、、、
﹃主は三つの奇蹟ぞなし給ふ大
!l無、か、
らの喜一物(の創造)、自由意志、
、
、
神人(イエス・キリスト)﹄ (
M33.bS町、与と宮守 h h N b ミ ミ お 史 的 九 d
時
R
u
r
N.Nh
ミ
確かにここには、﹃驚くべき学問の基礎﹄沿夢に倖示せられて、敬皮
NOWNhF町
一 1 N芯
h 悼む、 迂門司、
な感謝の念。そ以ってロレツトへの巡轄を誓ふ﹃オリンピカ﹄のデカル
坤柏町﹄ザ比一
デカルト哲学に於ける主意主義的契機の重要性在、他の誰よりもよく
v
可僻であると言はねばならない。恐らく、僻稗といふものに宿命的につ
指摘しえ仁ラボルトにして、なほかかる結論に到達し仁といふことは不
の最も初期のテクストの一りに現れれ、神秘主義的と皇一口口ふべき観念
﹃規則論﹄のデカルトや、懐疑の絶対性在主張すろ﹃真川しの探求﹄のデ
るものがある。然しかかるデカルト守、白然的理性の自律ぞ強調する
u
沿、本質的には何らの変容ぞも蒙らずにデカルト哲学全体に適用すゐも
カルトと調和させることは必ずしも容易ではない
u
til-アホルト自身、か或る意味ではそれぞ認めてゐる││、デカルト
きまとふ、一貫し仁体系を見出さうといふ安しい望みに駆り立てられ
ト、又常に阿君守の神学に敬意と表することぞやめなかっ仁信仰の念
篤きデカルト、至る処で神の我々の現僻冶超えに無限性を説くデカル
LJ
一い晩年の若干の書簡に現れる神秘主義的問テガル同等々中古川ひ起させ
しに1 Iパスカルに与へようと考へる記らうか。﹄
へ叩
ずら令訓主義者の名栓││全世界にそれを与へる覚悟を決めることな
るならば、彼はパスカルのやうな仕方でさうである、にらう。ところで誰
る。﹄﹃::・もL是非ともデカルトが合理主義者でなければならないとす
。ゼ以って締めくくったのである。
、、、、、、、、、、、、、
﹃もし合理主義者仁ちの好む題材が、徹底的な必然、構成的な精神の
、、、、、、
倒き、自律、内在であるとすれば、デカルトのそれは、神の超越、人問
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ー
精神の他律、認識に於ける悟性の受動性、人間及ひ神に於ける自由であ
かくして、-プ図ホルトは、その﹃デカルトの合理主義﹄ぞ失のやうな結論
﹃心情﹄
(
g印日)の論理を見出し七と信ずるのも無理ではないであらう。
に入れた無限なるものの前に、白ら戦き畏れて脆く、あのパスカルの
一面性を超えはするが、然しかく有限なるものを超えることによって手
この屈服のみに注目ム急ならば、そこに、悟性の││幾何学的精神の││
る。この統一治打ち樹てに意志そのもののうちにこの統一身破るものが
ペu
m
潜んでゐるのである。
りにも独立的であり、余りにも、主体的である。統一は飽く迄暫定的であ
Q
河
のと見倣さうといふ、善意に僻すれば会てのテクストに対して公平な、
{50
~
西
このアクストに麗しへば、突はその部分九%併対
ゆい習と
が必要以のであって、ルブエ lグル拡一応潟にさうやってみるのであゐ。
であるととおじはありえない神、摂
々、⋮一鈴拡ばデカルト柊学的中心的な譲悲の幾づかが、原私的な務に於い
意思の絶対性及び一向者の決史的な媒介者としてのイエス・キリスト
てではあるが既に現れてゐる。むしろ絞りてゐるものといへば、ゎト花、
それらのや心的な諸観念に内面的な瞬間ぞ与へるとこみの一観念、諸概
内叫ん怨総力が物総いそ移えるために閉山形を利瓜ずるやうに、情性も、幾品約九は事物を表
象するためにき然や先日山平うな牢拍子治感銘的物件を制作用する。と ω こ と か ら し て
念の出沌ぬこの閣の中で、デカルトが見出しえずにゐに等ぎの糸、叫規則
w
3
L
に訟の部分のアクストぞ考慮に入れるならば、むしろ後続は、部在的な
論いに於いてもなほその本来め姿では現れず、叫方法叙一説﹄ぞまって始
めて明確な形診とつに方法的懐偶然記けである ω 恭し、吉山一%私配 h の廷
我 々 は 一 隊 派 い 公 方 で 哲 学 し て る 緩 や 認識によって山中川災なと C ろ へ 高 め る こ と が
できるヤうになる。北北 吋のうおに一以航路辺??ろにハ火ω総予がある)と附門縫 w
仏
、
、、、、、、
誇制杵叫刊?の桜子があって 3 それな官学者たちは採給付いよって山引き出す心州しめるが
詩人たちは怨像力によって火花を出させるぷ
豆地内科?っちにはただ⋮つれ山活動的な力、然、滋悲︾調和がふるぷ
⋮、、、,、、旬、、、、、、、、、、、、、、、
、、,、、帯、、
Jおらゆる物体的形州刊は謁利引に従づて燃料叫する。湿った的分が絃いたお分より
も B冷たい潔八万一治熱い的分よりも多いりは、さうよじよなげればヘ跡的判則的なカいか余りに
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ゃうであゐ ω
形に於いては、即ふり吋方法叙説い第⋮郊のやうな形に於いては、既にそ
Q
ob
﹃仮面々附けて登場する o
﹄(円ねる叉抽出泊、吾、問。・)この営繋のうちに、あ
うとして、佼一向綾部けて登場する
こにあつにの立と見る方がより適切
早く勝利一なおさわて、除問介はゑく批判札似しなかったらうからマわる ο おいはヰんと間間金
内恥しさが援に現れないやうにと一一一一口はれて、苓劇役者が仮街や約けゐ
hJ
mw
名残りや努昆す
らことは甚江容易であらう
ハ
nけ 紛 ふ た 。 約 は 三 心政判断な :-b ハ傍点無精 V
これらのテクスト吟うちに、神秘主義とスヲブ神学
、、へ同市¥
ここから、買収も珍脊なものふ患はれる諸
やうに、私は、これ、やかで観客としにふつにこの殺の中といふ縁台にヒら
AUmF
よって与へられ仁世界の神終的な調和そ設く認め六討結﹄の-プダ久ト枕怖
4、
学問﹄を渉議しゃい尚らの青年期や部ゅの町中刀法叙詮﹄の日プタスト、及む榊I
J
み
一
て hq綴 ひ 、 何 ち の ぞ も
の懐疑のパ ちでその最初の力ぞ訴してゐhQ ﹁
w
h こぬ壊時俳誌、その一図的に破壊的なカによ︿ツて、生れて
ο デカルトに於いてこ
一ら解放する
ーがノルの一吋一日ふごとく、法刀法としての懐陥燃はデカルトの生然上の懐換の
複写﹄であったに議ひな山口この特代の個人主勢は、先づそンテ}一一ユ
若きデカルトが、モンア1
読み、モンテ iw二の一一三市町弟子であ
hT
っ穴長い十ふプランシユグ 4ヅグの意見は恐らく五しいでふらう。ルアエ
二
全科学に議泌する一段的な方法についての策判明今えに一六一九年中島め
Q
も、それほど不当、引いといふことにはならないであらう。我々紋今や、ダ
mwJ
プカルトへの影壊や??怒しわトとして
のそンテ i ニユの皮釘な懐疑ギ一義
wy
を、我々は直ちに怠ひ浮べることができるむ織かに、彼は若き様、パラ
カルト哲学の形成に与つ穴光の毘つの艶機の、っちの最後のものについて
ローだ・クロ
タルススの血統一持引く神秘法相去り缶斡 1 1パグ十字会i iに強い関心沿
'4
、‘、
もう十い形跡があ 心。⋮父蚤々自然笈込者三といふ名のもまに、彼は一区一
諮らうとしてゐるのである
ψ
範否しゃい合目的悦ぞ忠己の析手のうちに再び導入しようとしてゐMV
然し、阿波ひ記すならばむしろ、我々のうちなる認州科学の種子﹄といふ
叉絡物のうちにある町一例和﹄といふ言葉から、担怖の談笑﹄なた雪片付医院
言葉から斗規則則論﹄その憶に於げる﹃白紙一的光州怖い (
EBSHMm広三ととや
h その弛で果す役務等々決思ひ起す方が⋮⋮勝衛効であら
う 。 そ の 上 に 挺 に 、 ﹁ 光 と 聞 い と い ら 、 ゥrfw拘り踏の中ぞ歩む
円山命中が﹃省察
べることができるならば、吉川りのテクストの持つ溜叫
人のやうに、私は:・・:﹄といふのあの有名な一言葉ぞ思ひ吋
はかなり明捺となるであらう。自然的現性のカと臨界も
- 51 -
万
ω
山
口
J
アカル
?八開の自由去について
法にまれる。⋮六⋮九年の有名ないで、近代自然
Q
科手者としてめデカ
司方法的料説いや一読しむにけでも、
学の精神は近代ぷ γ ラ ハ ム と の 後 初 の 山 川 会 ひ そ 仁 。 否 む し ろ 、
その方法上の諸性格と、この時代のユマニスムの諾特設との探い内面的
戦際が始めて意識せられるに一五つに
Q
ルトが存衣しなかったならば、この模様め方訟的性格が議一織されろこと
この絡ん泌に気づかないわけにはゆかないであらう
ゲ品γ
ク
ヲリザシオン、、
もまわいありえなかっ吹に違ひない。然し、方訟的援疑は、⋮方台誌の
K 山知与ずることに
非神謀化必達成すらことにようて偶人に怠熱の交問権 守
矛震にまで仕上げゐといふ仕事むすも巣さねばならなかっ‘元自由意志の
成功したが、弛方この成巣ゃあげ牝後に、科学のゆ壮観的必黙殺と、史観
、、宮、、、、、、
的意識のうちに揺えられに納入の舟由との簡の部校的な議巻、顕布的な
h
に的憾ならなか
悟性と対立する誠象的なものになり終らうとするのである ο
一
γ ニスト的教養や訪すもの
δ
:
:
;-
無限性は、デカルトに於いてはその綿入京畿との血縁の放に、一額約に
デカルトのふんづ手に入れわい自由が、門会てゆザ疑ふ自由
GCJ
ったことは会く概笑でみのら。タくのグクストが、デカルトの自由のかう
した系諮ぞ立日試してみゐ。デカルト自身、か、自己め薦出的な経狭と様説、正
葉沿費したつ民認の探求いに於いて、デカルトが才、小ツトム(かきおかお
義の治極的な不毛な機疑との繋りか一、総力切断しようと努め六ことは正
当であっ仁 Q 然し、それにも拘らず、自己の総数の設鳴に最も多くの言
τ
れる。しかしこのことはむしろデカルトのユ
ヘ山側﹀
vcSHZ7q対 象 ζして語 19、試 ザツトムを懐競の主体として設定して
わることぞ恕却する必要があ βじデカルト自身の一ず一日ふところに詑ふなら
ば、殺の懐疑の源泉絃有ぷーなソんてアデサハの 4 ロニーにあらやうにも町民は
Q
殺も豆しいであらう。即ち、この
であら ω か う し 六 点 か ら 見 る 、 モ ン テ i ニス自身も亦ユマニスト
に他ならず、彼の模焼、主義のものがそもそもソグラアス
う考へゐ
的な、ものである
L
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リアンドル、
・まし亡しから
ハ同時﹀
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・・ - 、 叉 如 何 ぷ ゅ の に よ っ て 、 か か る 懐 疑 が
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E
に導くことのゐ原理となりゐのかも分りま
Jや
si
ヘ
は、我々にそれ かい示唆してゐろやうに町民仏れわ刈仏
そこのみこの哲学の成功と俄粧の一
為い
おい
ぞ か
で余るであらう。強へ自にこの側一向券指向するレグイマハの研の成果
って潟水してみるならば、劫らく緩めて洲、りが機一かな成問帆指令あげることが
ずしも充分な鮮明や得てゐないダカルト官学のこの郷国守、品取に立ち入
めに、我々拡この意見守管有設な仮設として採泌することにする。来氏必
最後迄会︿は個人や離れてしまはなかっ六、デカルトの出自身抑制解する仁
ダカルトのうちに投入すらことによって。良い意味でも懇い意味でも、
て、一人は、それ自身がそンア!日一ユ約であゐところの白日々、全的に
定当に許似し犬。一人は、その主張する客観的抑制学史の方訟の銅線とし
ルフエ!グルと 7アンが、この機嫌とモンテi ニぷの思想との織物鰐命令
ohハ修点籍者)
簡に存在せしめられてゐる為らゆる物との認議ぞ読料しようと決心致し
、、豪、、、、、、、、
ユムワドックス、 iij:・ 仰 と な れ ば 、 し ム ト 不 動 の 点 か ら ぬ 発
、、、、、、、、、事、、、、、、、,‘
す 仰 心 や う に こ の 普 遍 的 接 換 か ら 出 発 し ﹁ 税 は 神 と 、 あ な た 々と、宇
オL
、墜に凍ってみる
1
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お以りで
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し o /て
し終って山内じ
の、らと"9l
笑、
ふ、ふ
べ
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:
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三者、で討
ち、あて、ナご
ゎト、彼ののしてのある。彼女へ現つ
れか、それとも世界や諮って神の前にい仁か。いづれに対よとの笑ひ
は、被が任務ル終ヘムトこと、重請やおろして今や休胤にずらことかできあ
E感じ仁ことか}示してゐる。彼 MM担否すること会止めて、彼か長初にふ
に入れ仁自由。そ手離し仁か ω そ れ と も 最 後 詰 そ れ ぞ 守 り 抜 か う と し た で
あらうか。デカルトはこの二つの途の関川沿激しく勤務し穴。我々は共
pcm品
Md
む HM 出器℃吋山付
場
に、、テカルトに於けるこの間由の運命令約九腐りて、この意味や更
に摺 ツ
h 下げてみゐことに努め
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申-戸時 HM
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回目口一件
025UZ∞ 窓 凶 器 同 ロ 同E Z
ACM凶吋必然
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同誌即日印︾日目的色タ
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叩叫印同凶作℃戸山戸市灘世一行仲間口げ印門口号口付
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疑すの考察や絡みに当って、京
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今
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んれ
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デカルトに於ける町人誌の自由いについと
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i
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活
総仰は何より
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54
によっ摂理治生
Aub)
守
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山 mgHHOO)で な ば な ら な い 、
市民的窓口
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へ神間之さ三?
のである
神に於ける自由と必熱と
Q
であることは明らかである
の統一が、コギトの続一の
のき無阿部と見倣し、これぞ有裂な慢性の枠の
うちに側押し込めるとい進むことができ於であらうか。コギトの記
Q
コ
憶は彼のうちで尚生々しかっ代。一見懐疑紛失へば J判的に全ての喪失
mよく知ってゐ仁。倒人的、主体性や守ゐ
hリ レ
が結果することぞ、彼は誰ぶ
特にはこの道の、又時にはあの遂の、途上から核拡常に引き返す
ものは、唯このを的拒否のカのみである。
-.
5
5
ぞトの記憶が彼にさうすることを強制約し仁 Q 失はれ大統一キザ求めて、デ
カルトは一九びコギトの車緩や自己自身のうちに実現しようと努力する Q
記憶のうち T簿れかけにものや、時ぴ現実のカに変へ、かくして当面ず
る矛盾や解決せねばならない。京税指示﹄み一一俸は、いかのが部屋の災懇の忠
1 ⋮月
実な記録の体裁をとってぬゐ ω 然し炉部屋の築総!ii一六一九以 十
十日と一一一口はれてゐるiiの 忠 実 な 得 税 弓 ハ り し ろ ﹃ 方 法 叙 詮 第 四 部 の
うらにあるに途ひない Q それとこの災総との簡に介在する一規則論﹄の
諸性格か、我々にさう考へる根拠 hqμ命令へでむるやうに絃はれるのであ
る。﹁議路間いは何故あのやうな体裁をとっ仁のか。持ぴ自己ぞ炉部箆で
の高まりに導いて、そこで繰恥トカぞ以って訴しい問問題に立ち向ふ必一裂が
ありにのである。それにも拘らずコぷトの統⋮は容易に彼のうちに戻つ
て は 米 な か っ 三 総 務 は 今 や 定 還 さ れ み で あ ら う Q 動揺のみがこの持鰐
4
に、人が
mW4
一
門
前
り動機、特
カルト
の彼の全てや文慨す日々。
﹃省祭﹂が般に出七二ハ問問⋮年前後の誇 苦悩山は、デカルトの
ジルソン、か極めて引ヰゆらないものに引念下してしまっ
この酌捕身、かなり明時に訟へてゐる。
設慈しなくなってしっ↑いところの、デカルトの﹃省山
に円省察﹄に於いの問題冶扱ふつ大動機も、
く
。
〉
ω鼠出﹄について
h
、、、、、、.、、、、、、, ,
へで、私は未立会然希望や失つてはゐず、:;:私の一宇宙
デカルト
L ﹂・e
-
守﹂
G
Q
何故なら、それどころか、若し私の原測に詫ふなら
す::;凶
λ
れるむを時仰ぐためだったむでふわーります:
、、.張、、、、、、、、宅、、、官、、喝、、震車、、書、、、、場、
々のカで完合んに潟市開にで与るものは、災キ ω用品枇以外にはないといふこと
段、弘から見ると決して然然なことではあ事変そん。これこそ議滋件、々の号、何人
もとれ後硲定しえない繁一りんと印刷品ひ・ます。::;つ外的刊に関して我々がでみいるどけの
こと愛しても、なほうま︿行か切ない十場合同弘一﹀それ在阪燃にすることは我々にとっ
て絶対的に本好後である﹂といふ川市内務によって、外物以ゑく災々の力を鍛えてゐ
るといふことをぷは支はうとしたの引ではなく、外的刊に我々の力、が及ぶりは、それ
が淡々の怠続出げい波線ナることがで ざる憾に限り、しかも、我々の会関心安認を妨
000000000
、、、、号、
げる伊うよな外出介の様キなカが符十にする散に、協統制刈仙仰に 3 即ち{一沌へい慌に我今必自肉に
、、、,恵、、もも、
なしうるとはいへないといふ笈隊であったとと紋、かなり明らかなことと双ぴま
L
1いハ以上体時点件以
、、、、、、、、、、.、、、、帯、
﹁知州らず知らγ に、設問弁は自分のたはωに巡られたもの品川にふり、相門家も自分あづて
こその存攻マ為るやうに松岡仁込んでみるからであります ; i h
一、初刊誌サ掛惟山一世なるもの一念総議し似げ
門 戸 口ン学派出口人々は、彼等 ω懐疑的以判然とし γ
が仙かったけれども、,、だからと一⋮⋮日って、叫利治しえな一ーといふことには絞り玄せん。
、、、、、、.、.、、、、、、、、、、,、、、、、、、、、
そこそ刷物はとおいから︾批判的符殺に間関して先に私が浅いたものの中一一⋮おひ淡のしてお
、、、、、、、、、
いた線側州側糊安解明し、それによって、料 ω存十代会材鉱山間ナるためにどのやうに似疑
がお掛川ぐ、みいるかをお尽にかけたいのぐすがる :-b
吋引私役、続恥仲が此舟んいいから実際に区川川される実衣であることめ仏絞らしめよろと努あ
たりょにす。こ ωととがんげで、:・我キの料的利も必然的に柏村山ふ約機じたものそーなげ
ここ仁、デカルトが明撲に、自己の自由や脅かすものそ志議しはじめ
かばならぬことをゑ認活性るに充分で£る伊うに息はれます・
鍛潟、川問点紋泌す︿イタリックJ
彼は吋方法銭識"同で町一⋮明日ひ議して援いわい
やトことぞ疑ふことはできない
Q
難問問題﹄と取り組む必姿ぞ感じはじめいた。この書簡は、内方法叙説﹄第
ゐ
。
つお秩序
てゐる
Q
WPE-司令・)となし
く判断す一込りあ﹄(同阿部三岡山内向山内 w広 き 吉 ぬ 言 。 CMMM1ぴ
、、、,、、、
仁被が、官以く判断する﹄といふの意味や⋮下げる
てカルグザノン派の設教や聴きに行つ七ゃうであるの判長く為すみいめには良
ハ山崎 V
ゐ 。 と も か く 、 デ カ ル ト は 動 揺 し は じ め や い 。 デ カ ル ト は 仰 も の か kq求 め
間部の形而上学と詰務総怖いの形一山 Lん学とみザ給ぶ重要な意味糸町持ってゐ
できおものは怠惟以外には炊いふ、その問問中散のうちに現れて米た
J
ときから、彼の内自のうちに、いものが入りこんで-来校やうに
仇践し判断に於ける義援の問題が、彼自身が吋我々のカで完全に自点に
ば、教義山主任幣つてなかりと制強く人⋮罪主によってふえい小りよれ特るも
の で あ る こ と や 、 教 へ で ひ そ か に 誇 お く ら い で あ り ま す:i い
ておきましょう
ものがめりはしないかないこと同料金く心配してゐないことも亦申し上げ
の と こ ろ 、 そ こi
!i披 の 尚 徳 学 及 び 形 隔 た 母iizに 誌 何 か 教 識 に 以 す 々ω
シユの教授グアチス紳父にその回目ゆがぬ誉会絞ってゐる。吋そしてねは実務
後 誌 な ほ 、 ジ エ ズ 4 ツ ト と の 和 鮮 の 可 能 性 を 信 じ て 、 母 校 ク ・ フ レi
てゐる。
九日持)
一ハ/七自然学者還に持けられ
w
解しうゐものと信じてゐゃい、被の期待。信一忍 m
彼の悶りは、﹃方法叙枕い公判直後に於いては、後のキ一張や最も良く理
ヲし十二識の望怖かにすがうて、なほ務隔の議や表してみやいのであって、
彼誌、ガリレイ臨界に主導的役桝ぞ糸し中トジエズヰツトに対しても、か
ることやそはばかってゐるの、にとしか彼には信ぜられなかっ七のである
ヘW
M
定ずゆ々のは、何らかの科脱出のにめに、内心は認めハリつも、それ沿公明す
いでわまれ﹄(部四歳⋮鍛棋倒﹀と書き送ってゐゐ ο かかる明白な翼線役人が必口
も時が経てば討の自治見ることができはしないしかと⋮線の望みを指
g
ヘd
蜘
践はれる。
、、、、、芳、頭、、、、、吉、、、、、、、、、、、、も
に於けるとめ山山品、次第に殺人べ忠勝徳に絡みと京佐ることを
、、、、、,、、、.、、、、、、、、、、、、、、、、、
は あ り ま せ ん 。 綴 と い ふ こ と は 鯨 仰 に Lかる P判ないし、しか
、、、酒、、、、、、、、、、、、、、、、、.、香、、、、、、、
も そ れ と は 附 関 係 な f、山に揃附いて、疑はしいも一りは協桃川はしいと考へス削機能
、"、、、、、、.、、
を ぬ か ら マ 為 替 ま す OE---e執
M が行為に関して権限たる絞閉ま鋭かざる安利げな
かワた駅南災、一づには心心落葉、匂ずいな判げるためにそれが向的後川どのる︾と州問符に、
判仰が寸偏見を一段けるためには、一生に一段以、ぬい川内 て自分いか伝子ぺ、きも山り?として
mナ必要があるいいたことに女仁一いしヲ人から非
瓜%以つみおらゆる芯凡安絞り w
56 -
前
﹃教会の確実なることを凶く信じ、
1﹄ 然 し 他 方 彼 は ﹃ 我 々
R ヲまた自分の理論を些かも疑ひませぬ私
ω白 山 芯 志 に 対 し て は 、 他 心 如 何 な る 根 本 観 念
は 、 一 方 α真 叫 が 他ω真理に北日馳することω み を 恐 れ う る 次 第 な の で あ り ま
す・
原理﹄はジエズイツトの神学校の教科書として用ひられろごとぞ予想し
haL
﹃省察﹄
て、あのやうな教程休で書かれたものであり、又同時にそこに於いて
は、﹃原理﹄の形而上学金体が﹃省察﹄の要約であるにも拘らず
他方一六四O 年 前 後 、 即 ち ﹃ 省 察 ﹄ 初 版 出 版 の 前 年 頃 に 、 デ カ ル ト
ます。何とな也れば、それは真に根本観念の一であるからであります・﹄と、信
じてもゐた。︹傍点筆者)
に、この頃彼はこの神父を介してジエズイツトと和解することか↓望んで
書簡に於いて、デカルトは無記的自由の絶対性ぞ強調してゐるが、同時
少くとも緩和され、潜在化してゐる。又ジエズイツトのメラン神父宛の
トの自由論の中較である1iに対する批判は何故か省かれてゐる、乃至
口
岳
民
ふ
円
。
ロ 2)││i
これがジヱズイヅ
に於ける無記的自由(山口門出向。窓口氏P 山
は、迭にジヱズイツト全体を相手どって一戦沿交へる覚悟ぞきめ、この
4
ロロ吋叩凶出芯可申)に対じてと同様に権信すると 一日はれるのは正しいことであり
(
口020
ことぞ友人述に書き送ってゐる。史にこの頃彼は、ソルボンヌの時士に
。ぞデカルトの不誠実の証拠として採用し、彼は士、にその場その場の状況
ο ﹃:::つまり、当方にどれ程立派な権利があり得ま
前九宝く必要としなかった党派といふものの中に、今や彼自身が身ぞ置か
り露骨に示してゐる。あのやうに彼が嫌つ仁党派といふもの、又彼が以
の学設に与へらことによって、論敵の反以沿圧へようといふ意図ぞかな
し七書簡は、彼のかうし食意図、即ちソルボンヌ公認といふ権威ぞ自己
食。むしろ、彼の誠実さこそが彼の動指そ惹起し七。この点ではむしろ
ぞ関聯させて考へる限り、デカルトの不誠実は否定しが七いと考へる点
同じであり、これらの諸条件と、デカルト自身の自由ぞ論じちプクスト
的な、テカルト自身の内面とは何ら聯関ぞ持仁ないものと見倣す点では
し一フボルトもジルソンも、デカルトが自由持論じたときの諸条件在、外
外的な諸事情にも拘らず、デカルトは飽く迄自己に誠実であって終始一
貫しむ同じ意見守ぞ主張し七の記とする、同じく極端な主張が生れ叫ん o 然
に応じて、前後の柿着ぞかへりみずに相手の気に入るやうな答ぞなしに
に過ぎないとすゐ考へ方が生仰い他方、ラボルトのやうに、これらの
ゐ大等々。かうした事情から、一方ジルソンのやうに、これらの諸条件
して、オラトリアンであるジビュ l フ正文通ぞ交し、ジビュ l ブの自由
n
u
論ぞ読んでゐゐ、(。
確かにデカルトは、彼のジヱズイツト待相手どっての論戦に於いて、
せうとも、その権利沿い擁一静マω為には常に友達ゆ伊)必要とせざる在えない
といふことであります-・::﹄
ラペルトニエ i ルの言ふところが正当であって、デカルトの自由のうち
ソルボンヌのオラトリアン巻利用しようと考へてゐ仁ゃうである。﹃省
﹃第四省察﹄に於いて彼が鋭く批判しれトものは、他ならぬジエズイツト
に互ひに排除し合ふごうの観念が含まれてゐることは、如何にしても否
定しえないところであると言はねばならな一円。デカルト自身が、彼の自
察﹄に添へて、自己の尚子設に対する承認持求めて彼がソルボンヌに提出
の自由論ではなかったか。叉彼がそこで展開しれトものは、ジビュ l フ流
由の観念のうちには一つの矛盾の存すること沿はっきりと認め一てゐる。
する限り、﹃第四省察﹄のテクストそ無視乃至軽視しなくてはならなく
や激しい動揺に襲はれ牝。先に書簡のうちに我々の見食デカルト白身の
デカルトは、自己の自由の観念のうちにあるこの矛盾ぞ意識するや否
うといふのである
の自由論ではなかったか。ここにジルソンぞ喜ばせ、又-ア。ホルトぞ当惑
なることぞ関れ七。然しかうした事情は、自由ぞ扱ったデカルトの数少
幾つかの証言は、むしろかうした動揺の積極的な証拠である。デカルト
では一致してゐる。然し、デカルトは常に誠実であり、又同時に動揺し
させた、テカルトの誠実さへの疑ひがある。人々は、かうし仁状況ぞ肯定
いテクストのどの一つに就いても言へることであって、例へば、﹃哲学
北大文学部紀袈
- 57 -
デカルトに於ける﹃人聞の目由﹄について
河西
が ジ エ ズ イ ツ ト と の 決 定 的 な 闘 争 治 覚 悟 し 、 又 ジ ピ ユ i フの庇護身期待
すみに至つ仁のも、彼 かジエズイヅトの児一想そのものやもはや受葬れが
牝いと考へ、にこと、又ジビュ l フの思想のうちに自己の思想との親近性
、、
荘一見出すに至つ仁こと、更に、彼自身のうちに於いて争ふ二つの傾向
Q
このこ
が、同時に外に於いて二つの党派の間に於いても争はれてゐることや、
漠然とではあるが悩みはじめ大ことや一不すものではなからうか
主は又、﹃原理﹄についても、更に﹃メラン神父宛書簡﹄についても言
J
へることである。確かに ア カ ル ト は こ の 動 指 の う ち に あ っ て 、 で き 合 ひ
の解答 h
q、 然 も 充 分 の 担 否 ぞ 経 ず に 用 ひ 仁 形 跡 が あ る 。 然 し 、 こ の こ と
しさや象徴するものと見倣すべきである。デカルト自身のうちには、早
は決して彼の不誠実ぞ示すものではなく、むしろ、彼のうちの動揺の激
円
先づ必史な-アクストぞ全て提示しよう Q
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
とに注志すると告。﹂
、
山﹃。そして私がい災ふといふこと、即ち不完全で依存的なも心であるといふこ
凶 ﹃ ・ ま づ 第 一 に 私 は 、 神 が 私 を 嘗 づ て 欺 く こ と は あ り ね な い と い vふ と と を 認
、
、
知する。﹄
剛山﹃・次に私は私のうちに或る判断能力のあることを経験するが:利は勿論
こ の 能 力 を 、 私 が こ れ を E しく使用すると金も過ち一符るやうなもむとして私に
与へなかった舎である。﹄
凶﹃・それにも灼らず私が無数の誤謬に叩附されてゐることを経験し、その原凶
を 探 求 す る と 、 私 に は 単 に 村 心 一 、 即 ち と の 上 も な く 完 全 な 存 在ω、 実 在 的 で 積
品開的な観念 ω み で は な く 、 ま た い は ぱ 無 ω、 即 ち あ ら ゆ る 完 全 性 か ら と り 上 も
、、、、、、
なく離れてゐるものの、或る消秘的な観念が現れること、そして私が恰も神と
、、、、、、、、
無と山一同の、即ち一歪古川む存在と非有とり同の中間半唱をなしており・﹄
日﹃従ってまた私が過つには、この日的のために神から賦与せられた或る能力が
、、、、、
私 に 必 要 で あ る ωで は な く 、 か へ づ て 私 が 神 か ら 符 て ゐ る と こ ろ ω真 を 判 断 す
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
る能力が私において無限なものでないことによって、私白過つことが生ずると
ワ山被造物を切り制附してではなく、一切りものを全体とじて考祭しなければな
いふことを 3 ・
:
:
﹄
凶川﹃神は私を決して過たないやうなものとして創造し符た筈であるといふととは
疑はしくない¥・・﹄
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
間 ﹃ そ 白 川 一 向 を 私 の 別 解 し な い 或 る も θが 材 に よ っ て 創 ら れ る と し て も 、 私 に と
、、、、、、、、、、、、
ヲては驚くべ、一手ことではない・:なぜならば私は、私の本性が品開めて薄弱で制
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
恨されたものであり、村の本性はこれに反して広大で、把握しえぬ、無限なも
りであることを既に知ヲてゐるからであり:・・﹄
川川町村 ω作 品 が 完 全 な も 白 で あ る か ど う か を 我 々 が 探 求 す る た び ご と に 、 成 る 一
らぬ:::かくして私はも心の全体において郎分の地位を占める舎であるといふ
ことを私は否定し符ないのである。﹄
以 ﹁ そ こ で 私 自 身 に 一 一 賠 近 寄 っ て 、 私 心 誤 謬 (ζ れ の み が 或 る 不 完 全 性 を 私 ωう
ちにおいて証するのであるが)が一件如何なるものであるかを探求すると、私
、、、、
は i これが同時に一緒に働く原閃に、言ふまでもなく私りうちにゐる認識心龍
、、、、、、、、、、、、、、、、、
力 と 撰 択ω能 力 即 ち 自 由 意 忘 と に 、 言 ひ か へ る と 情 性 に と 同 時 に な 志 に 、 依 存
することを認める。﹄
川間﹃なほまた実に私は、充分に広くて完全な意志、即ち自向怠志を私が利から授
、、、、、、、
らなかったと訴へることはで、さない。何故ならば、私は実際、芯志が如何なる
- 58 -
晩この動指ぞ惹き起す一に遺ひないものが、既に存在しれことは先に我々
の見大通りである。この前在的な矛盾が意識され仁矛盾に転化する過
程、デカルト哲学の発展のこの逝程巻一不す積極的な一江拠として考へると
さて、先に潜在的に存在し七意志と悟性との対立は、今や白尚の問題
きにのみ、先の書附に現れ仁諸事情は、はじめて意味やもつのである。
のうちで、次のやうな形ぞとる。
山自由は、純粋の力(勺口山田国包括ω町民日)として、即ち必然と対立する
、、、、、
自由としてあるか。
間或は自由は、我々の本性のうちに、予め構成せられて存する真と善
、、、、、、、、、、、、、へ出し
の都在的な姿として、即ち必然へと発展する自由としてあるか。
Ag B 回開口凶ESE-PHmw-Z口 宮 山 田ρ己目付戸川吋目白山口目、3
℃
M
M 印口弘c
zsz
己主叩・ V ﹁云日仏日付回件目。}す)
と、叉統一とを見出すであらう。
な解答である。我々はデカルトの表現のうちに、同時に動指と、混乱
﹃第四省察﹄は、この問題に対するデカルトの最初の、そして暫定的
H
、、、、、、、、、、、、、、、、、も、、、、、
制限によっても局限せられてゐないことを経験するのであるから。そして検め
、、、、、、、、、、、、、、、、
て注口すべきことと私に忠はれるりは、私りうちにはこれほど完全な、これほ
、、、、、、、司、、、、、、、、
ど 大 き な も ωは 他 に 何 も な い り で 、 私 に は と れ が 更 に 一 層 完 全 な 、 即 ち
m
一層大告なものであり得るとは川町併せられないといふことであ
、、、、、
る 。 と い ふ 白 は 例 へ ば 、 も し 私 が 別 解 ω能 力 を 考 祭 す る と す れ ば 、 私 は 直 ち に
、、官、、、、、、、、、、、
それが私むうちにおいて甚だ小さく非常に右限なも心であることを知り・﹄
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
凹 ﹁ た ピ 意 志 即 ち 白 山 立 志 む み は 、 私 は こ れ を 私ω う ち に お い て 何 等 よ り 大 き な
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
も山の筒念を捉へ符ないほど大きなものとして経験する心であり、かくて私が
、、、旬、、、、、也、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
いはば利。或る姿と像りを担ふことを 併せしめる根拠は、主としてこの怠志
、、、
でめる。なぜなら、この意志は神においては私のうちにおいてよりも、一方こ
A
の意志に結びつけられてゐて、これをより強問にし、一一層有効にするところ
、、、、、、、、、、、
白認識と力と心点において、他方この怠志がより多くむもりに拡げられるとこ
、、、、、、、、
ろから、その刻品鮮の点において、比絞にならぬほとより大金いとはいへ、しか
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
しそれ自身において形相的に日フ厳絡に制られるならば、一一層大ケいとは忠は
、、、、、、、菌、、、、、、、、、、、
わ な い か ら 。 芯 志 と い ふ も ωはた Y、 我 々 が 一 ワ り こ と を 為 す も し く は 為 さ ぬ
、、、
(一一言ぴ換へると肯定するもしくは否定する、泣求するもしくは忌避する)ことが
、昔、、、、、、、、官、
で、一きるところに有するからである。あるひはむしろ(︿冊目℃otp田)それはた Y、
似 性 に よ っ て 我 々 に 呈 示 せ ら れ て ゐ る も ωを設ムペが肯定しもしくは否定し、
、、、、、、、、、、、、、、、、
即ち追求しもしくは忌迎、ずるにめたって、いかなる外的なカによってもさうす
、、、、旬、、、、、、、、、、、、、、
るやうに決定せられてはゐないと感じて h さうするやうに動かされるといふと
ころに存するからである。﹄
、、,、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
同﹃私が白向であるためには、私が一方の側にも他方の側にも到かされるととが
、、、、、、、、、、、、、、
で一、きるといふことは必要でなく、かへって反対に、私が真と善との根拠をそ ω
側において別証的に川町制附する放にせよ、あるひは神が私心思惟心内市をさうす
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
るやうに同月託する放にせよ、私が一方山側に傾︿ことが多ければ多いだけ、ま
、曹、、、、、、、、、、、、、、、
すます自由に私はその側を選択する白であるから。﹄
日﹃しかるに、何等白根拠も私を他方の側よりも一方白側により多く邸り立てな
、、、、、.、、、、、
H山間
い 場 合 に 私 が 経 験 す る と こ ろ 白 、 か の 然 記 ( H込
22三国)は、最も低い 1段附 ω
、、、、、
白 内 で あ り B そ し て 怠 志 に お け る 完 全 性 で は な く て 、 た い 認識における依陥、
即ち或る否定を一征一不するりである。なぜならば、もし私がつねに何が真であり
義であるかを明瞭に見たならば、私は決していかなる判断をなすべきかあるひ
はいかなる選択をなすべ、ーでかにづいて路践しなかった佐官であり、そしてかやう
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
にして、たとび全く白向であったにじても、決じて不決定ではあり符なかった
北大文学部紀前記
であらうから。﹄
、、曹、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
回﹃私が神から授ってゐる意欲の力は、それ自身として筒られた場合、私の誤謬
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
の原閃ではない、・:・この力は品川めて広く、その類において完全であるから。
主た迎解の力もさ,うで協ない:::﹄﹃しからばどこから私の誤謬は生ずる白で
、、、、、、、、、、
あらうか。一百ふまでもなくたいふ一つのことから、即ち、意志は情性よりもより
、、、、、、、、、、、酒、、、、、、、、、、、、、、、、
広い範囲に及ぶ放に、私が意志を情性と同じ範囲の内に限らないで、私の川併
しないものにまで拡げるといふことからである。かミるものに対して意志は無
記的である放に、山符易に真と善とから逸脱し、かやうにして私は過ワと共にま
、、、、
た非を犯すのである。﹄
同﹃これ│li明証的なも ωは 真 で あ る と 判 断 す る こ と 11 は 、 或 る 外 的 な 力 に よ
、、、、、、、
っ て き う す る や う に 強 要 せ ら れ た と い ふ ωで は な く 、 か へ っ て 情 性 の う ち に お
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
ける大舎な光から怠士山むうちにおける大きな傾向性が従ヲてきた放であって、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
かやうにして、私がそのことに対して伊記的であることが少なければ少いだけ、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
ますます多く私は自発的に、そして自由にそのことを信じた心である。﹄
明﹃突にまたこの然記は、単に悟性によって全く何も認識せられないもりに及ぶ
のみでなく、また一般に、。間性がそれを十分明肢に認識してんないすべて
のものに及ぶのである。
- a確 実 な そ し て 疑 ひ え ぬ 忽 拠 で は な い と い ふ た ピ 一
つり認識は私白同意を反対の側に動かすに十分であるから::。﹄
下すことを差し捻へるならば、私のかくすることが正しく、私は誤つことがな
四﹃何が真であるかを十分明瞭判然と知覚してゐない場合、もし実際私が判断を
意しない自由を神が私に与へたといふことは、神における何等の不完全でもな
0
いりは明らかである。しかるにもし私が肯定もしくは否定するならば、そ心と
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
苦 私 は 自 由 意 志 を 正 し く 使 用 し て ゐ な い 、 ・:情性の知覚が怠志心決定に先行
、、、、、、、、
し な く て は な ら ぬ : : こ ω白 山 意 志 の 正 し く な い 使 用 の う ち に 誤 謬 の 形 相 を 構
成するところりかの依存が内在するのである・﹄
同﹃私がそれにおいて過ヲところの判断、即ち意志の作川を喚び起すために神が
私 と 協 力 す る と い ふ こ と も 主 た 、 私 は 嘆 い て は な ら な い 。 。.
e同 む も し く は 同
く 、 か へ っ て 私 が か A 2自 由 を 善 く 使 用 せ ず : : 判 断 を 下 す と い ふ こ と は 、 疑
ひもなく私における不完全性であるからである。﹄
四﹃・:かやうにして誤たない羽目慌をうることがで与一る・:まさにこりことに人
間の最大のそして主要な完全性は存する故に・かくすることに私はとれから
注意深く努力しよう。﹄(以上傍点筆者)
これらのアクストに於いて、デカルトの混乱は明瞭である。
山一方、ここには、コギトの秩序、即ち全ての観念やコギトに現れ出
に主体の周囲に結集し、その主体がよくその重みに耐へてそれぞ支へ
- 59 -
デカルトに於ける﹃人聞の自由﹄について
てゐろ秩序、が白己診主張してゐ 50
日同然しかうし仁秩序は、コギトの主休、か組く迄朴のうちに止り、言は
ばそこに埋波してしまってゐるために、単なる﹃和小川骨骨口一除わ小川加
、、、、、、
序﹄、即ち一面的に主観的な、心理的な秩序に過ぎ、ないものになり了
ってゐる。
J
⋮四従って他方、認識の客観性と安当性身保証するために、最高の完全
者である 仰と最も不完全なもの即ち無との問に、段階的な秩序、存在
できる﹄聞等ずと語るときのテカルトは、明らかに立士心身山のコギトの
秩序から眺めてゐるのである。
そして民に、円己お市限性の自覚 hq介して附同問削等、定志の自由の
、
、
無限性が悉意の抽象的な無限性におとされるに伴って、意志の自由は単
に主観的なもの、心理的なもの、もはや判断中止の積制的な桓否の力で
はなくして、単なる意志の不決断といふ消極的なものになり至るのであ
る問問制。かかる窓意に鼠落しに自由意志にとっては、誤謬は井である
であるよりもむしろ認識における猷陥﹄にすぎない u問。従って、かかる
かかる不決断は﹃最も低い段階の自由﹄であり、﹃意志における完全性
凶
。
窓意ぞ悟性に服従せしめ、意志の﹃良き使用﹄ぞ計り間側、この服従ぞ
論的な完全性の秩序ぞ設けて、コギトに現れ出七主体そのおのやこの
中に組み宇﹂んでしまはねばならなくなザミ
州この二勺の秩序が互ひに自己ぞ主張して、彼の哲学在極度の混乱に
神は誠実であって、我々ぞ欺
は持ってゐない。それらの真理は神聖な永遠不動の真理となって意志の
自由に残され仁途となることは自明である。
先に懐疑に於いてあのやうに力強い形で自覚し牝自己の自由房、デカ
ルトはここで手酷してしまっ七。最早悟性的な諸真理そ懐疑する力ぞ彼
て﹄、即ち主観的、心理的な内的必然性巻もって行為する自由、に置き
換へられるに至る ο 一度この置き換へが行はれれば﹃一方の側に傾くこ
とが多ければ多い、にじ、ますます白由にその側や選択する﹄ことのみが
、
かなる外的な力によってもさうするやうに決定せられてはゐないと感じ
が汲みとられ七この全的担否の積極的な自由が、この言葉そ介して、﹃い
己 U25印)仙といふ言葉に注目する。﹃一つのことぞ
﹃あるひはむしろ﹄ (4
為すもしくは為さぬことができる﹄といふこと、即ち、そこから懐疑の力
ω
一アホ
ルトが注目し仁のとは加の意味に於いてであるが、我々もま大、
くことはないから問問削剛、悟性が提示する明証的な真理に動かされて
Q
陥れてゐる上に、更にそれらの矛盾ぞ緩和しようとして、デカルトは
そが真の自由である日間日間。
内的な必然性ぞもって判断する限り誤つことはない。この内的必然性こ
習慣にまで高める努力こそ必要である刷
この﹁一りの秩序の問に、それらそ何らかの形で調和させるやトめの媒介
者ぞ設定 J930 白由意志の無限性と神の誠実とかこの役割や担ふもの
として現れる。一
J
﹃懐疑する私は不完全である﹄山、﹃私は無数の誤謬に曝されてゐる、
神と無との中間 中切である﹄凶、﹃私の判断力は有限である﹄旧、﹃私の本
性は極めて制限されたものであり、神ごそが無限である﹄問、﹁私は世
界といふ全体の中での部分である﹄刷、等々といふとき、デカルトは問
Q
題。ぞ削の完全性の秩序から眺めてゐるのであり、この限り誤謬は言はば
存在論的なものであって﹃猷除﹄である
他方、﹃撰択の能力即ち自由意志﹄酬は、﹃私のうちでこれほど大きな
ものはありえないと考へられるほど大きなものであり﹄側、﹃意志は我
もしくは為さぬことができる力であり﹄目、﹃それ自身に於いて見れば、
自由や-拘束し、有限ではあるが、その限界内では確実にこれらの真現在
々や神に似仁ものにまで高めるほどの、神の意志の無限性と同等の無限
意志は何ら誤謬の原因ではない﹄凶、﹃不決定が全ての不確実なものに
性ぞそめうちに含むものであゐ﹄目、﹃意志の自由とはあることぞ為す
対する懐疑の原動力であり﹄閥、﹃懐疑によって判断ぞ中止すろことが
- 60-
河
西
コギトの秩序全体が、その秩序ぞ支へ仁自由な、平一体もろともに、それぞ
創造し、連続的に維持す以ずの秩序のうちに組みこまれるに至る ω コギ
表現する力ぞ持ってゐる悟性、か、意志に優先するものと見倣される
にも屈服や余慢・はくされるであらう
Q
Q
コギトのうらに現れ出仁調性的な
そしてごの制限はま仁人間に於け
り、それは、神に於いて意志E分ち雑く結合してゐるところの神の悟性
れ仁こと白休が、既にそこに於ける解決の全性絡ぞ何よりもよく示して
、、、
ゐbu 一日正忠志の自由が、創造者としての神の絶対的意志に屈服する限
ゑられ↑トからである。然しこの対決が﹃誤謬の問題﹄や介して実現せら
m
Q
トの高みで精神が握ってゐに世界がその千ぞ離れて神の所有に帰し、自
ゐ意志の情料への周服やも結果する
J7力ルトは飽く迄それに身ぞ委ね
る ω 否定的用性の契機│ i意志の無限的の契機 11111i
在介して現れ出七こ
に現れ出化超越的主体が統一ぞ再建する
υ
コ
ギ
ト
に
於けゐ杭一は破られて、新七
、、、
ω 然しこの統一は神抑制的であ
然と人間との実践的な繋りは断ち切られる ο 再 び 神 主 化 さ れ 代 世 界 に 対
ω 神のみ内か、為し又は為さぬ自由、悟性的必然をも担否しうる
ω 永遠不動の真理暑、連続的に創造し、維持せねばな
の肯定的に潤性的なものを前にして、
ることを担結し占うとするであらう ο 個 体 の う ん に 閉 ぢ 込 め ら れ 仁 彼 の
Q
否彼は引き返さうとさへするであらう ω コ
ム口調主義は、それをその狭さから救ひ山内すかうしたものに当面して、む
、、、
しろそれがその厳しさ巻失はせることのみや帆れ杭のであゐ Q 彼はこの
先へ進まうとはしなかっ七
J
ものは阿び間のうちに淡し去る
しては、人聞はこれを支配する力沿持ちえない。今や自由なも¢は神の
みである
自由を持ってゐる
らないといふ神の観念のうちに現れ出仁矛盾ぞ解くものは、我々の理解
Q
デカルトの
を超えた、神に於ける意士山と悟性との神秘的な統一である
神は、サルトルの一一日ふごとく、あらゆる神々の中で最も自由な神であ
い勺この神は矛盾律すら超えてゐ引い
かかる混乱と顛落は、既にコギトの高みに遺しゃい直後の アカルトのう
ちにさへ容易に見出すことができるのである。コギト・エルプ・スムの
の対文は意志の屈服によってのみ解決されうるであらう ω この面から見
ギトの直覚が再び自己のうちで実現せられるのでない限り、意志と悟性
デカルトはこの主体的自由¢うちに止りえずに、直ちにこれを﹃思惟す
顕治仁他なら伝い ω 悟性の閉鎖的体系は、一日一意志の無限慌によって開
直覚は批判的思惟の白律性の自覚ぞそのうちに含んでゐ大。にも拘らず
庶民戸田).﹃実体﹄と見倣して、完全性の秩序ぞ導入して
るもの﹄(ロ凹
しまヤ他方、明証的に認識せられる全てのものは必然的に真であり実
は未完成のま土に捨てられる
かれ仁ものに向まらうとしに後に、河びその傷口をふさがれら
υ
ο 排説法
然しこの顕孫は他方、そのうちに白煮なものぞ令んでゐみ ο ここに小
規模に実現せられれ内的必然としての問内といふ観念のうらには、やが
よって大規模に阿生産せられるであらう、大陸ム円珂論の魂ともいふべき
25mm戸山)といふ民惣在中心として、スピノずに
て、実休の向己原閃 (
﹃省察﹄全体が二つの秩序の相到の縮図に他ならない ω 然し、﹃第四省
ものが潜んでゐゐ υ このデカルトに於ける小規模な統一も、それが意士山
、、、、
の自己限定、無限なるものの自体的な運動といふ側面ぞ持つ限りに於い
U
ゐ限り、﹁省出小﹄に現れ校内的必然としての由 H由 は 、 懐 疑 の 向 向 か ら の
在するといふ﹃一般的規則﹄ぞ打ち樹てるときのデカルトは、再びコギ
g
m
w
トの秩序に帰ってゐるのであゐ一か、その直後に、諸観念の安当性を保証
する仁めに、﹃観念内実在性﹄(円。己主説。£022白)と﹃形相的実在性﹄
(
吋
g ロ片山田町25丘町)との聞に閃回大一律ぞ適用して、この一般的規則そのも
察﹄に於いて、相魁と混乱が極点に達し大のは決して偶然ではなかっ大
て は 単 に 消 極 的 な も の と の み 見 る こ と は で き な い で あ ら う ω ﹃高溝一﹄の
のの効力ぞ稀簿にしてしまふ
と一一一日ふべきである
ω 何故ならば、ここに於いて始めて、コギトの秩序の
真の担ひ手が明瞭に姿ぞ現して、完全性の秩序の担ひ手七る神の前に据
北大文学部組要
- 61 -
ついて
iiこ れ が 自 皇 雲 仙 、 民
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凶g
Z) と な り う る の で あ る ω 統 一 は 飽 く 迄 守 ら れ ね ば な ら
合印待問円。説明凸
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も、充分に認織してゐない事物を依どとむことを慈し終ヘることがで手るや弓
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議 た ら し め る 由,
同尚を段々はもワでふる同::﹃我々む欲する左手にいつで
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ム ::Jロゲ将兵込町揺さ窓口同時土防会決金時三宮市崎官即時ぽ同MOぴ目的再mHU
止しはしないであらうである。
ちに{女性ずることや許さない務総ゅなものは、の運動ぞ決し
ま 仁 、 統 一 は 常 に 附 く さ れ ら で あ ら うωJ
アカルトのん門瑚主義が摺体のう
なかった。自由意諒の良き使用が設かれねばならなかっ仁。にも拘らず
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明智懇恥
議、制相性である
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い。万人のうちに潜在的に符す長誌なるもの
の意味す切かものは、自治意義のかかる自己さ仁徳なムな
デカルトに於ける町人間の自白川
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西
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泊料は無開訟でふれソ数々は有限で必る。 (IMお﹀︿duハ党)
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、
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絞約仁氏つ山一苅全に認識十る如何なるもりも彩しれ仙いほどに、災々はそれを臨時一一一似
し と み る 。 従 っ て B 愉仰のふ⋮泌もそれを伝情γ ることを妨げないに丸山か川げない c﹄
ハi M
己
間制作一依然予を欲︿ととはないから、滋みが的州民約認識心総闘に採る間間約ツ誤謬は
生じえない。︿I Q Uハ以上修点緩んゆさ
これらのザプクストに於い
62 -
時
重
ること居直らに知ることができるであらう。﹃原理﹄に於いて完全に落
いふ彼の基本的な考へ方そ守りつつも、﹃省察﹄に重要な修正ぞ加へてゐ
ちてゐるもの、それは、﹃省察﹄の自由論の頂点をなしたあの無記的自由
現れやトのと同様の混乱、即ちコギトの秩序と完全性の秩序との救ひ難い
までの混乱を直ちに見出しうるであらう
Q
引自由は何よりも先づ担否の自由である凶。我々の意志は或る意味で
への批判であり、又必然へと発展する、或は必然と合致する自由という
我
観念である。他方ここに於いて新たに附加せられ七ものは、疑ふ自由、
Q
無限なもの、即ち神の意志にも依存しないほど独立的なものである
問。従って人間の主要な完全性は自由意志ぞもっところにある倒
々の不完全さぞ一不すといふ言葉が、ここでは完全に落ちてゐる。更に新
判断中止の自由である。そして﹃省察﹄に於いて現れた、疑ふことは我
↑トに、摂理と自由意志との問題が自由諭のうちにはじめて明瞭に姿弘化現
Q 等々といふとき、
々の意志の主体的自由は明証的なものである日M
してゐる。又意志の自己決定は悟性の認識を前提し、情性ぞ介してのみ否
デカルトは問題ぞコギトの秩序に於いて眺めてゐるのである ο
々の責任であり凶問問問問、意志の決定ぞ悟性の枠内にかぎり、自由
開他方、神は無限であり我々は有限である問問問問。従って誤謬は我
定的理性は自己居一祉示しうるといふことが、ここで一そう明確に主張さ
J
凶問、﹃省察﹄テクスト間等)他の部分のかなりの程度迄
ω(
この附加と脱落は何ぞ物語るものであらうか。この脆落のうちに、ジ
の対応の故に、この附加と脱落は一層注目に価するものぞもってゐる。
れるに至つ大
意志の良き使用をはからねばならない回附聞等々といふときに、 アカ
ルトはコギトの秩序は自足しえないことか)、主張してゐるのである。
聞かかるこっの秩序や媒介すべきものとして神の誠実が現れる凶附
同刊問。
エズイツトの歓心ぞ購ふために自己の主張。ぞ曲げ七、デカルトのオポル
HU
何
記的自由に対するデカルトの批判は、単に潜在化したに過ぎないと主張
他方、﹃原理﹄第一部のこれらのテクストと、先の﹃省察﹄の一プクス
Q
チユニスムル}見ゐジルソンも、この脆落に何ら重要な意味。そ認めず、無
47
0 ルトの主張にも拘らず、覆ひ難いものがある
ホ
トとぞ比較する左きーその性格の著しい相違、置かれた力点の著しい移
動は、
も、みな﹃原理﹄に於けるこの附加の持つ意味ぞ見逃してゐる。この附
必然と対立し、明証的必然。ぞ否定する自由、にと論断したアルキエさへ
するラ。ホルトも、更には、充分な根拠なしに、デカルトの自由は明証的
ろ、﹃省察﹄に対する彼の註解及び楠訂と見倣すべきものである。然し、
切の根抵を含んでゐMU ことを承認するとすれば、﹃原理﹄全体はむし
極的な能力として、判断中止の自由、懐疑ぞ通じて明証的必然ぞ産出
加によってのみ、意志の不決定は、﹃省察﹄の場合とは異って、再ぴ積
デカルト自身の昔一同ふところに従って、もし﹃省察﹄が彼の哲学の﹃一
のそれと比して余りにも簡潔にすぎ、又当面の自由の問題について見れ
への積極的能力﹄(吉田庄司凶貯の己片山田包 - O
℃吉田 Rm) にまで再び高まらう
するところの金的拒否の自由、として現れる。無記的自由は今や、﹃反対
例へば﹃懐疑﹄一つ沿とってみても、原理の一アクストの分量は、﹃省察﹄
て逢かに大きいのである。ここに於いて何が新大に加へられ、何が落ち
とする。ジルソンの邪心ぞ喜ばせたやうに、確かに アカルトはこの時期
ば、逆に﹃原理﹄の第一部に於いてそれが占める比重は﹃省察﹄に比し
てゐるか、叉何が強調され、何が潜在化したか等々沿見るならば、デカ
に再びジエズイツトとの和解の努力ぞ始めてゐる
プルダン神父やグオ
J
ルトが﹃原理﹄に於いて主張しようとした自由が何であったかぞ、かな
エチクスらの一党││羽テカルトは先にこの一党と一戦委へる覚悟身固
めてゐkliの 激 し い 攻 撃 は 、 ホ イ へ ン 子 ら の 努 力 で 一 応 休 止 し て ゐ
Q
り明瞭に知ることができるであらう。
この﹃原理﹄に於いて、デカルトが、 自由とは意志の自由である、と
北大文学部記要
目
- 63
デカルトに於ける﹃人聞の自由﹄について
河西
Q
いて、この自由は敗北し、解体した ω 今やこの自由の力一か自己の絶対性
会ぞ確立するための別の道沿求めねば炊らない
かくして神の悟性 1 1神の摂理がデカルトの自由の前に現れる。デカ
υ 叉メラン神父と白文通がはじまり、更にこの神父の示唆によっで、
ト
↑
ジエズイツトの神学者ソトウの﹃自由諭﹄ l iプトウ神父はその中で無
記的自由の絶対性ぞ強調してゐm
o
l
lに つ い て 彼 は 知 る 機 会 予 主 。 更
の神に於いて悟性と意士山は不可分の一体、ぞなしてゐ士。彼はこの道沿諦
﹃神の全能が如何にして人間の行為ぞ全く自由な、そして
らう:::﹄(﹃原理﹄テクスト間)
同)不決定な
企て:::るならば、答易に相めて大きな困難が我々や悩ますに至るであ
﹁もし万一我々が、我々の意志の自由ぞ神の予定と合致せしめよう主
﹃常に同一の極めて単純な働、常によって、神は全てゆ管理解一し JA欲し、
ω
ω 先の敗北の記憶はなほ彼の脳裡ぞ去ってゐない。全能
に同じくジエズイツトの母校 ア・プレ l シ ユ 教 授 シ ヤ ル レ 神 父 に 宛 て
て、﹃原理﹄の公刊に際して、これの一読ぞ切望すゐ回日ぞ書き送ってゐ目。
めゃうとさえするであらう
r これらの事情が、デカルトの内面に及ぼし
公認は誌に得られなかっh
h しろ彼自身の内面に起つに動揺
り
ルトは動揺する
他方、デカルトがあのやうに望ん花彼の形而上学に対するソルボンヌの
又創造する。﹄ (IndMM)
J
ll既に
た影響は祭すゐに難く伝に
に生み出されねばならなかっ仁ところの動指ーーーに駆られて、ヂカルト
見七如くデカルト哲学自身のうちに喰ひ込んでゐるあの矛盾から必然的
υ デカルトは人々の
ω テカルトはシ一ヤルレ神父に斯う書き送ってゐる υ
﹃
僅
は此らの書簡そ方々に書き送つ七と見るべきである
問一僻ぞ熱望し大
ってゐないのである::・﹄(﹃原理﹄デクスト日)
(性身我々はも
(
宮
内
凶225山口問江)ままにしておいおトかぞ班一併しうるほどのα
悟
ラボルトの言ふご左く、
F
J7カルトが忠義を下すにあ七って常に本質
この自由と不決定とぞ結ぶ二ハの﹃そして﹄寄付)の意味は深重であ
左冶妨げないにちがひない;:;﹄(﹃原理﹄テクスト凶)
同様に確信してゐる﹄のであって、﹃従って神の全能もそれや信ずる ﹂
然も﹃他方、我々は我々のうおなる自由と(印同)無記 (EER20ロ忌凶)ぞ
かの年月の聞に、この哲学が一世紀後でなければ手に入れることのでき
Q
このことは私にとっても少なからぬ関心事であることや
ないであらうあらゆる信用ぞ獲得するといふこと身敢えて期待してゐる
のであります
告白致します一五々。﹄
ω それによってのみ、彼が公衆と後世に対する自己の寄与や確信
最早、あの﹃方法叙詑﹄のテカルトが持ってゐ土決断と白負は失はれ
てゐる
U
る
目ホルト向身がジルソンに反似
4
7
的なものを前に、偶有的なものやその後に一不すのか通例であう仁こと i
q
他ならぬ
U
しえ牝ところの、又それによってのみ彼が隠遁の静寂と、公衆の協力に
証するであ、らうからであゐ
U
するために持ち出し大﹃メヲン神父究室田簡﹄の内本が、我々の主張を立
的証拠と見ることを妨げない
対する自己の要求を正当化しえ仁ところの、そして更に、そこからのみ彼
u 彼は自己の内面
エグモントの隠遁生活の孤独ll嘗つては彼自身一か
kとへ認めるとしても、向これらは我々がそれぞ、デカルトの動揺の積極
υ
の論敵の攻撃や献殺する力ぞ汲みえやトところの自然学の研究身、デカル
トは手離してわ仁
要求しにところの孤独ーーが今や彼笠古しめる花らう
﹃メラン神父宛書簡﹄の内実行仁立ち入る前に、向次の ﹂とや附一一一一目して
F
らう ο ジビュ l フの思想に依拠した﹃省配布﹄の自由論に彼は既一に満足し
おかねばならない。﹃原理﹄出版左前後して、ヂカルトがあのやうに伴
、、、、、、、
ら望んに彼の形而上学のl i彼の白一然学に於けゐレギウスにE敵すゐと
の動揺ぞ静め、昔日の確信号とり一民す大めに人々の支持ぞ必要とするむ
えなくなってゐる U 彼は自己の最初に手に入れ紅白由巻懐しむ υ果して
あの自由の力は有限であったのか ω 神 の 意 志 の 前 に 立 り た ﹃ 省 察 ﹄ に 於
- 64 -
一
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d 一日掛川︿
川一六開凶制間不況
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いてのデカルトの考
山 ﹁ 私 絞 る 締 法 砂 市 に 最 も 完 全 で あ る と 考 ヘ 給 ふ た も れ ω公約十給ふと飯山札しようと
しでもしえない小心でありまYQ命科開桝 mu精 神 が そ 心 や う な こ と に づ い て 総 務 し う
だいかき私は、山紙羽仰の以内につい℃溶き縫された釣
るとは私には怠はれま分ん
ム
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鈴 φgB神は品開仏似てゆ沌︿憾な依然を作り給ふたと似災することに五円 し 明 ら か に し
ようと努めましたのい
出町、::しかじかの後念を受け入れる心は心に払引ける受刻一︼にみ守、総動は意忘以
J
外にはないやうに忽はれます目い
ゃについて一言へばる一桃山はプトオ神父捻がそれについて一斉かれたもの公
出 叫 飯山内側部 t
読 ん だ ほ 廃 り ま サ ん 。 し か し き こ の 問 題 に ワ い て mw胤次々ω御怠見出 υ怒附切り払い万
から凡で,官執心意見がそれと訟や引に隠ってゐるものとは忠はれま止ぜん c恥
J
w
山間叫なぜならば私け九人以認識を欽いてゐる綴今にのみん然記約であるとは少しも
取してゐないこと︾さうではなく善人けて彼なして一方よりもかしろ彼方を怒
ばせる開山川げか少なければ少いほどるそれだけ俊一一記的であマむといふことに、先づ
か弟一に御泳滋燃ひた V心 で あ り ま A90M
. 人以後自身必判断念山中氏しうると麻見方々 は れ る ぶ に つ い て も 災
一
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判
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州M
山必叶 次
、、.、、、、書、
々と二殺して絞りまず。、一た V引仰はそれを中点しうるや段について後倒的ずること
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J
iJ
に努ぬたのでありますのい
川制⋮ーなぜならば 3 日川悦に於ける←︿むらい切る光より, 忍
d 訟に於げる火いちむ脳間市内伎が
5 2 2 宮町三枠内 g n g g G 5 3 5吋 言 兵 器 MMc
ルマ一ずる一(申討議義
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W る学物刊か災ム々に巡してゐるとい r
ふことな秘めて明らかにえたときには、少々心
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、、彦、、、、、
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むことは梯側めて隠滅れ旬、川小
同札制川山 てゐる同時けは孝次々 ω秋開灘の泌れを鼠 ιLA9w
、、、、、、、、、
⋮一付総マナらあることなりヲでれります c﹄
、夢、、彦、.、与、、,、、、.毎春、、.、、、、,、.春、弘、岳、、、、、、、、、事、、、
間内山然しながら B 間一州仰に制汚して殆んいと一殿山じよ川澄窓深くないといふ小山が心 ω
、、、、宮、
本性であ号室
し,淡々の注意ぶ︾そ山本的刊が時代占、に適してみることを次々に
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認識せし必る潔烈向からそちされる伊後や:;我今川同校々の総榊刊に殺してそれ
を疑はしめ,かくして我身心級紙訟な中止せしめ︾更には滋らく反対必料紙削指紋ミ
ヘ 形 作 ら し め る や う な 何 ら か 他 心 照 的 を 表 象 せ し め うる心でみりまム 9 0 ﹄
、.、曹、.、、君、
副知町一食中ρは 府 内 を は ヲ ラ 守 と 然 記 心 う ち に 震 か れ る の で は ム な く て B 自はな決定ムヲ
、.、、布、、、、、、,、 . 2
サ中山火骨都品開で積徴的れはカりうちに怪かれるのでめれワ京すからる仏代んべ心波丸心向山
州側滋 HHt
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貯 Lム mwもω 日仏込町間 ません。なぜならば、 JVふ る カ い か 小 山 う ち に 存 ず
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ることをでねるからであ一りまナ
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似宗主危ながら B そのカが、索中舟げか不先食であると認められる然記市哨
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と︾燃は引はい時とで別 もれ ωペにあるとは私は忍ひませんから︾可 Az-・
、、,、、号、曹、、、、、、宅、、、、、、、};
的そある後一てのものを由同時間であると称するのであ号ます cい
掛川句会うる時間号神学よれ w級 品 ? に わ た る こ と 金 淡 げ る 自 然 哲 学 山 総 邸 内 ぷ 止 る こ
仰が訟るこ
と な 製 ん だ 以 外 に は 、 淡 々 が 有 す る 議 ま た は 怒 に 従 ふ 吉 良 に つ い r℃ W
るあらゆる相場合以都知記む存することそ認め玄す・ ::h
と を 妨 げ る も の は 符 も あ り ま せ ん で し た 。 然 し 私 は 食 中 βけ仏、阿部ゆ鉱山川ナ機会のあ
ζと は 不 可 後 で あ 雪 ま ナ : 川
組﹃:;;もし災全治それ(ゆか懇であるとい 1ふこと﹀を例ん阿川端一一℃ゐるならばる
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特仇んべいかそれまそのやうにえてゐる間は‘山貯を料品す
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﹁ A対 JLmw附婦は無知なりい︿や阿州側道山部℃刊円山口国同阿部哲三ダ同
‘,.、量、港、、、、、、号、、、、,、,、,、、
ル心配・キリストがこ ω品料品むなし給ふた苧うに、 殺
v すべきことを絞めて紛らかに
HAて 、 そ れ を 綴 る こ と な ︿ 、 そ し て 何 ら の 純 一 部 品 も な し に 行 ふ と し て も J や は 手
賞讃に価ぴナるのマあります。ぃ
判判﹃なぜムならば、人 H M g己 心 な 寸 ぺ 九 い こ と に 対 し て 常 に 必γ しも完全な数殺変判例
3
ふ と い ふ Cと は で き ま 合 ん か ら 、 そ の 苧 う に 絞 殺 な し ‘ 又 そ む こ と に よ っ ℃
絞々の怒滋をして吹川市⋮常的でないほど議実に炎々心情性心光に後はしめると
いふことは一ワの及、母、行為でふります oh
掛川一一一角形の市内符の利が一一盗品月日仏等しいとか:::いふことが、如何に殺にとって
自由仰でる号、玄がん然記的でふったかといふことを考へるととり閥難さにづいて
一夜ヘば B 設々は総ハ mv刀は如何なる淡問介ゃい持つこともできないと 44Jへ る こ と に よ
づて、次に笠た我々の精測は符駁ぞみ必殺:とれなー移へえれはいやうな本併はとし
て郊治せられてゐるといふことな考察することによって::﹄、
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川崎台湾必笈士山と神の僚経と心問には如何絞る後おんもしくは優選も移骨格しか仙い・!神
、.、、、,、、、、 . 3 弘事、、宮、、、、、、夢、、、、、、、、、送、,
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れ ・うちには、入信凶く単純-役会く級品げな恥一つれ山総きしか存在しれ出い
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何故ならば悦符付げぷト於い て﹂は通﹁見ることい︿氏。g
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同一のことにすぎないからでお努愛す。﹄
一六関川刈年二発ふん行的混同・門アミ
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償問白一段品開設怠につみず玄しでは、私は︾神父掛僚が潔かれたことに会く焚円以︿勺山知叫
削凶器告訴訟C3 で あ り ま す CM
州側判然記なるものは二蕊中級以ゑげり党知によっぐき一方よりもかしろ後方へと向付
ら れ る こ と が 少 々 い と き の 玄 忘 れ ω状慾な本来慾抗体するもの mwや う に 怠 は れ ま
胤も低い段批間同体、それに対して我今日か然記的であ一 λumγう な もω
す。訓執がお山閥的 W A
に肉らかい間限定してゐる段階ぞいたと斗旬、刑判徐々がか三一二忌山怖にとや
的叫カ同休、.それが放芯小山うちに移ナることを︾ゑは.洗礼町ぬ致したことはおザませ
ゐたのでお管支
部﹃然しながら俗的人々はこり然記といよっても綴災する一一う必もの山の円
、、、
方﹂浅は他方に、問時七三追求十るか一品川殺するかに、肯定するか待定するかに︾向同己令
、、奪、号、、、、、、、
ぬ抗出品?"や検検的な能力といふものを笈叶悼するかも知れ玄ぜん。か Lる 税 徴 的 hM
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制吋それどころか以は、こ副総力は、問問統的な双山間のおかげマぞれが一方よワも
、、.、,、、
むしろ他方へとぬけられることが会くなしに働く相場合のみたらず︾俄む会ての
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像、奇心場合にも玄本心うちにふサムヲると考スるのであれツます:::﹄
も、、、、、、、、、、、、
滋刊と山口点にづいては B 品組めて附別総約な掛町出向によ円 J J L、 災 今 ぶ 一 方 へ と 向 げ ら れ
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る持に事業品知的にはへ同 HHGE
同町宮吋︺反対的総に肉ふことは殆んど不符州縦であるに
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もおらず、絶対的には玄室号川口仲立しかし徐々ぷぞれ在なしうるの判明あります。
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事実⋮、我々が倒的に認議せられた益変滅ぶすることを 広
、、、,、、、、、、、、、、、,、、、、、、、香、吾、事、、
実刑明を承認ナることを栄し絵へることも、それによって災冷削除内意土むを殺説
、、、、、、,、夢、、、,、、、志、、、.、、、、、、、、.、.、、、、,、、、警
議 であると考へる限努ぷ於いては、常に一り様であるのであ控玄すぷ
す る こ と MM
機内問山仰はそれが遂行ふ郊の災以滋一行ゃれ υ意 志 。 ⋮ 側 告 に 於 い て ‘ 考 察 さ れ う る こ と
日仏総笈ずべきであり支少。ぃ
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純明遂行斗関心意志前日織、鳴すに於いて考察せらふるならば‘それ依然ニ砂川ぷ山怖心径一記
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同﹃よれワ大なる向岡山悶といふも Cは ョ 実 際 、 或 び は 怠 己 を 決 山 必 ず る ご と む よ り 大 な
、
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る終日測さがうちにか、或び川以北枕ムベの川併する最 毛内なふものな日刈円 J寸あ一弘待問山々品
、、、、、、、、.、、、首、署、、、布、、、、、、、、、.、、、.、、、、、、
と去に後一慾のも心に追従やるといふこ心一枝陥判的な総力必よれツ大なる山明治がう J%
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に作ずる川主であれジます。ぃ⋮y
行されワムある織に考幾分られるならば冶第一の放総に於いても第一一心意時憾に
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於いても何ら然記令後まないのであります。:・・然しながら︾々ゅの仰什判長長必
、、、.、、、、帯、、司、、、、司、ー
{持田押され ωうもに⋮ω み存し、この湯んヘペム潟市開であ一ることと﹀段炎仙別であるとと
、、、、事、曹、、、、、、、、、、、、、,也、、傘、、、、‘妙、、、
と意慾的関であることとはる出向⋮ ω こ と に 他 な ら な いω 件、あります乙私がふんに
それだけ出防災ぷ成るも
よりタくの滋践によってワ手数かされればされる協同
のに肉ふと敢闘いた白はこω滋 味 ぷ 於 い て で お り ま 少 。 締 役 な ら ば 、 こ の 議 合 我
々の獄中島、がよ号術作為により躍進的に自らな動かすことは縫かだから勺必即時 ま
これらのテクストのうちに、我々は、ここに殆んど決定的な矛盾に出応策
するのうちのことができゐとともに、又こ
66 …
ヂ
るため
仁統一の努力の、市一じく最後的
も見
70
ての自由砕いれいなけれくなるで他方
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;iこのボ械の拙童話、先M
にf ゃ う と 原
アル今エの如く、ダカ作トの自由や必然に対立すり々、このふ一的桓ー
ダス干の性格、及び、この輩日簡のうちの滞干のテクスト、特
実、-アボルトも、アルキヱも結局そこに婦着しに。ラぶルトがデカルト
本質的なものではなかっれと主張しなけ札ばならなくなゐであらう。事
M 務﹄で強諜せられれ自由はデカルトに於いて
柳川いの衡から理解し、⋮ 1税
に踏であゐ o i a i吋省察いと叶原理﹄との問に存ずみ明白な差異ぞ宮内
γ
ω
つ
ことができ切々の守弘判明心。
否のうちに見みと正ば、
、
械
この積極的な不決定の能力
頭﹄の諸
z 、 一 方 我 々 の 意 士 む の う ら に あ る 、 々 一 実 在 的
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山
閉
的な能力い矧聞は、精神の後での能動的なのうわに存するもので必
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つては器、我々の自白の山中将ゃなすものであれり矧刷、この紋に懇志的、な
丸慌てのものは、まれい問時に自由でもあゅのゆ
門
忍 hq
意志のうちに生ずゐ明一誌誌な認
誌、抗し難い知憾の機向性(℃533部
場、、
議に対してさえち否定ぞ対置しうる力、金的指官官の絶対的自由やそやっ
も、かかる日処方に蒸いてであっふいに過ぎない十のである。
Q Jアカルトの懐換のうちに潜んでゐる演説的なも
、、、、、、
の、快州知のうちにあゐ方法的な契機、意治的な議機ごそ、コザトの 然環
どうな bのであらうか
然しながら、ちし叩ブボルトの如く考へるとすれば、我々が先に見わトデ
アル今ザムがデカルトの思想には織かに発展の都が見られゐと述べわいの
ちに食んでいる路。
、
、
.
、
他方、我々の意志の決交は悟性の認識や能川慨し凶、この認熱、か明一証的
、.、号、、、
勺あればあるほど、議恋はより容易に制判断そ下すのであり鍛盤、この悟
カルトの自向、何よりち先づ懐疑に於いて自己や現し出しゃいあの自由は
の白山についての思想は終始⋮叙して変らなかっにと主張したのも、又
殺の明一夜怯に試すゐことは﹃緩めて問維な、不可能ですらあること﹄で
、、珍也、
あって山問問、むしろ、自由の本綾拭意志的であゆ々とともに又自発的でも
mL
不法定は州最も依い段
あみところに存すゐ盤。従って、あるごとや一合成し又は制判断。管中止しう
るのは、現前に明訟のない地合に眼り盤、怒沼
燃やトメヘ、従って明一統性の規出ぞ支へゐものではなかれ/にか。ラ。ホルト
段々が援用し仁、言問班、﹂とこれらの議機どが殆んど間一じ時期に警かれ
Q
とこに絡めて明瞭な姿で議れ出にところの対立、必然やより強否しうゐ
↑トという事震災は、殺に﹁原理“﹂と吋省察いとの平一一旋回時々⋮そう明瞭にすゐ
階の自由﹂に十ダない鱗。全ての誤謬と採は無知からのふん叩⋮ずゐ叫
ての自由とのこの矛居や前にして、人々は悶議しに。アルキエは訴者
槙極的な不決定の力として¢自由と、必然へと発践すべき自完結と仁
グストの持ハノ意味が、この議鱗のテクストとの関税に於いてその一必要性
ものでふる0 2出現﹄に於いて新にに附加せられ七吋懐撲の富市 mb のゆブ
そして、ジルソ二一ブベルト“⋮ェ i
さざ山々々えない。然し、デカルトの自由は、づ回目や決定するん見ハ庇的勺
てしか表しえない純粋に滑脱的な、非誌山内的な、非笑疑的なものと鬼織
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ルはここにデカルトの究会な自家掛斎や見にと信じた。もしラボルト、か
、.、、、、,
h
山
孔でやっに、この対立に於いて、機極的不決定の自治の離党性や捨て
て、内的必然数としての白命令グカルトの宮市開に於けのお本質的なものと
とつ
ぞとり、ラボルトは後品川パ hq'
蒐倣すとすればも i i確かにこの主張はかなりの根拠巻もってはみ号
積縦約な議カ﹄ではなかっれか。デカルトの白山間は、そのみ一的総ザ伎の力
待通じて、またその入札的強一会の力に於いて、コギトの主体性骨折 生 み 出
w
との間の恰一児奨券刃物察﹄の統一し、﹃挺に於いて、
し、このして機械論的必然の世界全体ルダんへ七ものでは
々増すのでふる。又ちしアルキヱの如く潟へゐとすれば、ダカルトの西
山間は、単に一勘九町九日明説的必黙と対立し、自己を結対的な一公定時に於い
機 部 制 及 び ﹃ 省 察 ﹄ テ ク デ F鵠践等参瓶、 i 我々が先に見穴吋衡感﹂と
の繰は討中に静衣北したデカルトはで内的必然
明
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デカルト
ものの五る
ある。﹃規則論い
ヤ︿簡の印刷恒について
問
問
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テダスト峨)。
の全てがかか
の白山諭は、!
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ゐデカルトが介衣 マ こ の 懐 疑 の カ ル ト の 自 白
は、これらの響機関全体のかせる。先のウうアン祢父一
又何よりもその人のいれト♂デカルトのぶり
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義的な翠解存続殺せしめる唯一の根拠?あふ。この統一経るこ
ることに議議せねばならない
認書篇﹄が、ぶリザベ i ト と の の さ な か に 殺 か れ や い も の で * め
に於ける、⋮点、袋な用品懇の全て粉、
とによってのみその神秘憶か可欠うのである。ヲエ久・キリストに於けゐ
・終やしてゐるのであゐ。恐らく、一六四五年は、デカルトにとって写先
否それ以上診すら含んでゐろこれらの警備関誌、時んど一六間五i 六年に
Q
が如、常、統一同体、それによってのみ我々が﹃山抗議じ部ひし﹄うるところの
機嫌のうちデカルト
wち我々の意志的努力の成問別である時 ω 我々が今諮あの
﹃良品川、行為勺 m
3
大な間難
から
らに臼池山内されるからである。
淑僻されうるであらう。づてブシ神父宛察側関いでの高揚は、ぶヰ¥サペー
u反映と兇ゐべきであ
トとの交友によハノでデカルトのうちに生じれト鍔き m
る Qその尚一回簡に述べられ十ト出のより本質的なこの文還のう
にのみ、づてブン神父宛護衛加に現れ'
h
kアカルトの精神の高揚の総味は
校、デカルトの思索に於けるこの第二の産出的な時期券会践におくと会
hq
も生み出しえ
の最初の自由今又彼本来の自由でもあると主張し一つはこ
やうにヂカルトの総脱線の意義身強一識し
v
の⋮六一九年に劣らぬ、決定的な年であ。↑トと言ふべ舎であらう。﹃涼
05
円四時玄担当玄関昂吋℃
怒仏訳序文山、内山憶念論﹄、更に恐らくは吋真理の探究い
MM
仲
同
揮。匂号己申)
立ゆ口町曲目0
吋
・
とにある。
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523
(
り
デカルトの習学的精神燃焼を示してゐる
学符に大きな影響易及ぼし七に違ひない ω 人々の心争議く打。仁志そし
する十円めに潟ひ
がその成熟となって現れ出仁ヱヲずべ i ト と の 交 友 は 、 確 か に こ の 哲
てプランがあのやつに好んざ﹂れらの淑間関i iア ラ ン 弓 こ れ ら の 書 籍
持ってねみこと
又この
身獄げ、
スコ
ゆいこで立ち入る
ものであゐとさへ一一一一日ってゐるi!の之に免られゆえデカルトのこの一十一
のうれのあゐものは、発しh
r人間のにみのの日鰭惑の、ヲちに加へらるぺ守口
女に対する信頼と親愛の念試欝くべき梓のちのである。
Q
これらの書籍のうらに始めて、心身許しれい聴き手そ前にして、総り気
q見出すことがで品川、ゐのである
なく尚己の内閣今治っているデカ十ト h
吋もしねが川市川 W山 々 に 手 紙 を さ し あ げ 笈 ? と さ に 2 こ 心 ゃ う た い 父 体 食 用 ひ 玄 し た な
ら ば B それはい炎ふべをもむとなるといふ総いれをリおいたにと件、もありませろ c m
体zレ
(2)
hq
殿下川はね山 W M
州る限り的役も⋮ハ陥没れ弘、殺も組問わかた柏崎心持冷川ド幅あられることを狗じて
デカルトは自己の病弱な少年持代についての打明け話
絞り笈ナりそ:﹄
王女の不幸に心からの慰めのってゐる。係
69ω
で
読みとらねばならない。一言でいへば、伺人の内面の絶対性、即ちその
こそコギトの方法に他ならない Q
、、、、
それ故エスビナスの言ふ如く、身体の自働機械(自吉田忠之といふ観
担ひ子仁ゐ精伸そのものに対して用ひること、この自由自身の自己否定
デカルトに於ける﹃人閉め白白﹄について
独立と統一とや一確立するにめに、デカルトは機械的唯物論そ必要としに
ので札目。デカルトに於いて、主体的なものが真に力強さぞ発揮する全
lQ
一
念は、デカルトの思索啓一体の出発点、少くともデカルトの思索の雁史の
(8
一旦客体の自働機構のうちへと突き戻し、この自由と必然との一面的な
ての場合に現れ出るものは、主体の自由主統一ぞ脅かすあらゆるもの沿
こ 自己に対する一面的な対立者、この機械論的必然性や介してのみ、
ω
最初から一アカルトのうちで活動し七諸観念の一つであり仁に違ひない
配在確立する、といふこの図式である。機械的唯物論の一面的に客観的
筆者)
︾
部分があるわけではない。感覚的な心かま牝同時に理性的なのであり、
、、、、、、、、、、、、、、
会ての欲望は意志なのである。 -Me--我々の内部に認められる我々の理性
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、.、へ 9
に反抗するものは、全て亡、に身体にのみ帰すべきものである:・:﹄(傍点
﹃我々のなかにはにだ一つの心しかなく、この心には決して相異なる
自由な主体は、その統一と独立与確保する。
対立と緊張沿通じて逆に客体に対する主体の方法的、技術的、失践的支
な性格が、主観的なものの飽くまで主観的な、還元され難いまでに、主観
的な性格を浮き出させるにめに利用せられるのである。この、個人の内
面にある主観的なものが直接に客観的な世界と向ひあふといふ、一切の
守る代めの最良の武擦の一つとして、機械的唯物論が役立ちえ仁理由、か
神秘的なものの入りこみえない事態のうちにこそ、近代的自我の自由。ぞ
そこに於いてデカ
ふものや完全に超え出てゐることや充分に立説しに
Q
ヱ リ ず べ i ト宛の諸書簡に於いて、デカルトは自己の精神が運命とい
ルトが宿命の悪しき必然に苅置しムいものは、再び自己のうちに戻りて米
存するのである。﹃上半身が観念論者、下半身が唯物論者﹄であつにとこ
ろの、十八世紀のフランス唯物論者仁ちのうちに現れるものも、笑はか
Y
﹃新しい 不十字が私たちり内部に惹奇起す最初の苦悩に抵抗することは飛んと不可
能に近く::情念が一般白人々よりも一層強烈であり h肉体に及ぼす働告も一一層
強い人が、一般にまた最も優れた精神の持、五でき♂へある﹄ωであるが‘然し﹃こ
白陀に良識以外には、人が絶対的に善と名づけうる如何なる善も存夜せず、可︿、
良識を所有する限り B人が何等か心利益を引金山しえないやうな如何なる不幸も
存在しないと信ずる﹄のであ問。
仁あの本来の自由である。
かる構造に他ならないと見ることができるであらう。﹃方法叙説﹄のデ
カルトル}支へたものか、自然に対する技術的な把握であっ仁のと同様
に、このデカルトの精神の第二の高揚や支へたものは、﹁情念論﹄第一
部に展開せられ仁身体の機械論的な把握であっ仁と見るべきである。﹁高
EBE
逼﹄の感情ぞも、これぞ情念のうちに数へ入れ、動物精気(印印有宮内
て、誰よりもよく個人の自由や確立するといふ仕事を巣しえ仁のであ
MEM) の 或 る 運 動 ぞ 対 応 さ せ る こ と ぞ 止 め な か っRJプ カ ル ト に し て 始 め
﹃我ムペ心瑚性心命ずるあらゆることを常に実行してゐるならば、たとへ後になづ
てさまざまな出来事が我ムペの過ワてゐるにιを発えさせたとしても、我々は後悔
すぺ会何等心瑚向をも持たない﹄のである。
、、、、、、、、、、、、、、、、.、、、、、、、、、、、、、、
戸行動することが問題 D場合には、決して不決断であってはならない﹄白であっ
QM
、
、
て‘﹃悔恨の原内となるものは不決断た Y 一つしかない。﹄
σ
P日仲宗ロ白。一)乃至最高義 20ロ
﹃至福 (
︿ESσ 目。ロ)﹄はたピ﹃徳 ρ笑践のうちに.
もしくは同じ一事であるが h我々の自由意志によって獲符せられるあらゆる義心所
パ少
uvdAν
や与へた全てのもの、否、デカルト的方法の全てが潜んでゐる
る。﹄
Q
﹃或る主一体より見で受動であるものは、他の観点よりすれば能動であ
アグシオン
る。﹃情念論﹄胃到の弐の一一一一日葉のうちにこそ、テカルトの自由に力強さ
自由意志そ脅かす全てのものぞ精神の本質から排除して、これぞ身体
有心うちに成立する﹄も ρであワて、こ凶至福を狩るためにはベ我々心瑚性が余
﹀
の作用に基一く﹃心の受動﹄にまでおとしめること、即ち恒否の力そその
~
70
ァ
河
西
い誤りを犯さないといふことは必要で山わい、﹄た Y ﹃我々が最良パ哨噺比哨市
r
M して絞くるところがなかったと、良心が我々に
保証するだけで充分である。﹄(以上傍点祭者)
らゆる事柄を実引け凶ゅはゆ一
みである
Q
我々の低劣さによって、自由意志の与へる権利ぞ喪失しない
限り、自由意志は我々か}我々自身の、王仁らじめることによって、いはば
我々や﹂伸に等しきものとするのである。﹄
hrその人間が、一方意志の自由な統制力のほか自己に属してゐる
﹁人間身して、自らそ正当に尊びうる極限まで尊ばしめる真の高逼と
は
、
E
ものは何もなく、まおじ)の統制力ぞ充分に用ひるか否かのほかには、賞
肉体上の違和が意志の自由ぞ
妨げること﹄や防ぐにめの﹃方法﹄ぞ知らねばならない。﹃理性の使用ぞ
ところで、﹃理性を自由に使用して、・・
失ふことは生命ぞ失ふことよりも大きい﹄のであるが、それを防いで
とに存するとともに、他方、彼が、その統制力ぞ充分に用ひるといふ暖
ν
讃又は批難さるべき何の理由もないといふこと沿知ってゐる、といふこ
(M﹀ パ タ シ オ
﹃理性ぞ真に使用するにめには、・::情念ぞ理性に服従させる冗けで充
い不断の決意、即ち自ら一最善なりと判断しに全てのこと治企て実行する
分﹄なのである。そして、情念とは、﹃意志の協力なしに、従って意志
オン
UV
意志ぞ決して蹴かないといふ決意を心に感ずることに存するのである。﹄
アグ
より生ずる如何なる能動もなしに・・・心のうちに惹き起されるあらゆ
る見惟﹄に他ならな凶v 何故ならば、我々の思惟に於いて、﹃骨骨か静動
(傍点筆者)
0
Q
由は最後迄単に内面的なものに止らねばならなかっ仁
この限り彼は誤謬
Q
彼は﹃確国土る
ぞも慣れない立らう。不決断や何よりも憎むであらう。然し又、この自
ゐる。彼はコギトの高みに再び身ぞ置い仁であらう
↑いのである。彼は疑ひもなく自由を獲得し仁。彼は確かに運命 hq超えて
ぞ強調する。彼はこの決意のうちに、自己に於ける良きものの全てや見
デカルトは﹁自ら最善なりと判断し仁ことを実行する確固たる決意﹄
でないものは全て心の受動である﹄からである。
然し﹃我々の情念はま界、意志の作用によって直接に惹起することも
s
g
g
u
内
除去することもなしえない ﹄﹃情念は全て精気││動開精気(山弓巳g
)││4の一定の運動じようて生ずる﹄ものであるが、我々のこの
運動に対する支配は間接的にのみ可能である。
﹃単に一瞳孔ぞ開かうとする場合にも、如何にその意志ぞもっても一瞳孔
決意﹄にある自己ぞ感ずることぞ以って満足せねばならなかった。一日一
は開かない。﹄
従って情念の制御の方法はあくまで間接的なものにすぎず、﹃それは
の中に押しこめねばならないのである
何が最善であるかが問題となるに至るならば、再び自己ル一悟性の狭い枠
最善と判断するものや実行する
身体に生ずる混乱ぞ防ぐにさへ充分ではなく、にど心が動揺せずに、 J 初
は至福に達しうるとしても、﹃それにも拘らず、用か悟性によって照さ
れてゐない場合にはそれは偽となりうる﹄のである。
kめに、﹁決して猷くところがなかっ仁と良心が保証するピけで﹄、我々
Q
自由な判断ぞ差し控へうるやうにするじ足るもの﹄でしかありえない。
︹以上傍点筆者︺
﹃本来心にのみ帰せらるべき知覚﹄であるところの、全ての情念の乱れ
や救済ぽ、情念。ぜ﹃善 m
mする﹄ことや可能にするものは﹃高謹﹄のみで
Q
しく判断する心構へでゐるわトめに必要な二つのこと﹄のうち、﹃その一つ
最善と判断する事柄沿﹃実行する確田中トる意志噌持ち、ま仁充分判断
するために我々の悟性の全力在費すことが必要でかゲ o
﹄そし亡、﹃常に正
﹃自ら在噂ぶべき正当な理由。ぞ我々に与へうるものは、我々のうちに
ある
た花一つじか認めえない。即ち、我々の自由意志の使用、我々の意志に
は真理や認識することであり、他の一つは::その真理に従ふ習慣ぞ作
対して我々が持ってゐる統制力がそれである。け忙し、我々が正当に賞
讃され又は批難されうるのは、大古この自由意志に基く行動に対しての
北大文学部紀要
"
' 71
デカルトに於ける﹁人聞の自由﹄についに
(釘)
、、、
ることである。﹄﹃人が過ちゃ↓犯すのは、自己のなすべきことにういての
(
m
v
認識や理論的に所有してゐない仁めではなく、単にそれ身実践的に所一有
、
、
してゐない、換号一目すればそれぞ信ずる確同仁る習慣や持つことや献いて
身や習慣に委ねること、それはあの厳しい努力によって確立し
この確回↑トる決意は、再び情性の認識する真理に服従する﹃習慣﹄に顛
ゐろからに他ならない﹄のである。
U
のものとして創造したといふのは矛盾を合んでゐるからであります。:::もし神
自向意志もそれから免れてはゐないと考ヘざるをえない心であります。とす口ひま
すのは神は人↑同を、彼錯すの窓志の湖、ゴが神白怠志に少しも依存しないやうな本性
心力は有限であると同時に無限である;:・と守一日ふならばそれは同様に矛荊を合ん
G
と 申 し ま す の は 、 我 寸 ω行 為 を 賞 設 す べ き も む に 、 も
で ゐ る か ら で あ り ま す 。 然 し 、 神 の 存 在 心 認 識 が 我 々 の 白 内 芯 志!l我ムペはそれ
を夜、々自身心内部に於いて経験し‘感ずるのでありますがーーについて確信含も
うことを妨げる洲由がないやうに、孜々白白山志志の認識が‘孜々に神白存在を
疑はせる舎がありません
七主体性を失ふことや意味するのではなからうか。﹃悟性に於ける大い
落する
経 験 L 感ずるところり独立性ミ宮内法ゆ印ロ念ーロ口叩)といふもむは‘本性ヒ別である
L︿は批賭すベミすものにするに充分であるところ心旨そして我々が白身心内郎で
りではないからであります。﹄(以上傍点筆者︺
、、、、、ハ幻)
これらの↑アタストの意味するところは殆んど決定的である
こに至ってデカルトは、自由と煩理とが矛盾すること房彼自ら明瞭に認
ω 先づ、こ
ところの依存性(ロロ印忠℃出口白山口口叩 SE 印丘向、同三円田口田宮門町)と利回一件れえないも
なる光﹄から生じ仁﹃意芯に於ける大いなる傾向性﹄に従って判断し、
行為するといふ、あの容易さの自由、如何なる心理的な抵抗も持仁ない
といふ白白が、障害の克服に於いて現れる自由、困難さに於いて現れる
めている。他方然し、彼は又、﹃省察﹄以後の彼ゃあのやうに動揺せし
自由、精神の主体性治脅かすあらゆる受動性に対立し、それ身桓否する
ことに於いて現れ出る白山にとって代る。ぽ叶び動揺が彼のうちに現れ
h
そ
Q
彼は、飽く迄
を 符 た 後 に も 我 々 が 時 々 し か そ れ を 楽 し む こ と 山 で き な い ご ﹂ U知 覚 心 中 に 、 来 し
て純粋な︾恒常な.明白な.確実な︾労苦りない、常に現前するかり光明に似た
ありますが:・
今こ ω 二待相問、ω認 識lll啓一不的真川町と情性心明証的真m
ω 認識ーーを比較して
戴 告 た い 。 そ し て h 混 沌 と し て 疑 は し い 上 に B 大なる労苦を品目さしめ、而もそれ
円仰質問 ω中 心 一 つ は . 私 の 不 断 り 忠 宗 か ら は 恥 だ か げ ﹄ 騨 れ た 題H につ.いてでは
ら、弐の様に一一一一日っている。
脱出し又彼は他の機会に、叶壮一不の認識の問題ぞ問はれてそれに答へなが
神論者たち心改宗のために、神が貴方に与へ給ふた才を・:♂
﹃優れた才気を鼻にかり‘訓山性の明証にしか戒をドげること在欲しない‘我が無
矛盾や解決しえないことか)感じ始め仁のではなからうか。
来の態度ぞ捨て
τ、今や積極的に、異なる秩序や定立しなければ、ごの
自然的理性のうちに間、ちこもり、↑トドル界一不的真理 hq消極的に承認し大従
性との対立にここで一つの解決ぞ見出した如くでもある
め仁、コギトの秩序と完全性の秩序との、自由意志の無限性と神の無限
るο こ の 上 も な く 無 限 な 存 在 や 前 に し て の 人 間 精 神 の 有 限 性 と い ふ 図 式
﹃・予知と無限心力を持ヲてんられる神は‘あらゆる人同の自向な行為に刻し
が彼の脳程在かすめ一仁にちがひない。
我々の
我 々 心 外 な る あ ら ゆ る 他ω
Q
て謬ることなく行為されるのであります。即ち抽刊は我々をこの位に遣ほされる前
h
に 、 我 々 ω意 志 ω傾 向 は 如 何 な る も の か を 知 っ て ゐ ら れ た の で あ り ま す
うちにそ一ωや う な 似F
Mを 的 か れ た り は 神 白 身 で あ り
、、、、、、、、
事 物 を 規 定 し て 、 し か じ か り 対 象 を し か じ か ω時 に . 我 ' 々 の 感 覚 に 現 出 せ し め ら
(均)
れ、それを機会として我々白白山怠志がじかじか白一事に自己を決定することを知
ってゐられた白も神であります。神はこ心やうに欲されたのでありますが.そ一心
J
た め に そ ωや う に 強 制 す る こ と は 欲 さ れ な か れ た 心 で あ り ま す Q ﹄
司 神 は 人 同 心 白 山 意 志 に ゆ し も 依 存 し た い 紡 川 本 山 第 一 ρ、 不 動 の 原 附 で あ 一 る こ と
を証明する全川向は、同様にして B それに依存する凡ゆる行為の原内でもあるこ
とをもまた証明して府ります。・・:神は全てのもりの普通的役原内であるととも
︹加﹀
へば、私は、我ょベ自身に於い rて 考 ヘ る と き
H
に、川人同じく全体的な原閣でもあ一る心で、如何なるもりも相仰の意志な L に は 起 り
山
M
m 1し
他
ぃ rd ﹃自向意志について一一ュ
え な い ω であります:::﹄
L
カについて考へます場合にい旬、あらゆるもりは神に依存してゐる‘従って我 べ
の
、、、、、、、、、、、、.、、、、、曹、、、、、、
れ が 独 立 的 な も 心 で た い と は 考 ヘ え な い こ と を 白 白 致 し ま す 。 然L 、 神 心 無 限 り
- 72 -
河
西
ところが些かでもあるか有かを考へて裁きたい:・
貴方は私に対[一てど心やうな力を持ってゐられるかよくお分りと存いします。何
故ならば貴方は私が自分で定めておさました思索心範囲を起えて、如何に私が:
(悶﹀
・
﹄
ω 疑ひもなく、このプロアスタントの王女の強い個性とその
然し我々はここに、一テカルトの自由論に於ける第一ニの段階ぞ想定せざ
るか}えない
J7力ルトの内面にかなりの影響ぞ及ぼし
RQ 自由意志と摂理
宗教とは、
更に、人間精神の独立性、か、それ自身のうち
U
とは矛盾せず、大f+六元ぞ異にしてゐるといふ命題は、それ自身カルザザ
イニスム的なものである
に含まれる無限院によって設にその統一ぞ破られて、有限なものに顛落
し、新大な、より上の秩序の積極的な定立によってはじめ七安定栓うる
ω
ω確かにこの後に続く若干の書
EHS) の原初的な奈さへもがほの見え
目的。
といふ、テカルトが当面しにこの事態のうちには、ジヤンセニスト・ハ
t
スカルの﹃三つの秩序﹄(仲5
てゐる
デカルトはジヤンセニスムに傾いたか
簡は、デカルトの神秘主義への傾き kqかなり明瞭に示してゐる
﹃神ヘ ω愛 に 達 す る た め に 泊 ら な り れ ば な ら な い と 私 心 考 ヘ る 途 は 、 神 が 一 つ ω
精神、或は一つり思惟するものであると考 なければならないといふことであり
ま す 。 そ の 点 我 キ 山 魂 ω性 質 は 、 神 り 性 質 と 或 る 類 似 が あ る ω で あ っ て 、 我 々 は
それが神白川品川古川な知性心一放射であり、﹁恰も利 ω息 吹 山 一 月 白 如 舎 も 心 ﹂ と 信
ず る や う に な る ωで あ り ま す υ
・・一方我与が如何に弱小であるか、他方あらゆる被造物が如何に大きいかと
い ふ こ と に 留 意 す る な ら ば 、 乙 れ ら ω 市 中 柄ω符奈は、そりとと泊、よく解る人々の一
心を非常な歎喜で満[、・::さ、つ L て 意 欲 に よ っ て 完 全 に 神 と 合 体 し つ 与 、 神 を
hu
突 に 残 り な く 愛 す る た め に 、 神ω意志が行は品一 や う に と い ふ 以 外 に は こ ω世に
遂にここに至って、テカルトの自由に終始つきまとひ、彼の哲学会一体
何ω望 み も な く な る に 至 る 心 で あ り ま す 。 : ﹄
ぞ貫徹する、コギトの秩序と完全性の秩序との矛盾に由来するところ
Q
の、意志と情性との、叉自由意志とー伸の意志との、自由意志、と神の摂理
との対立は神秘主義的統一のうちに解一泊されてしまっ土のであらうか
北大文学部組要
我々の盟餅ぞ一越えた昨か恥⋮除笠間にじて、デカルトは滋に屈服せざる沿
q
えなかっ仁と見るラ ホルト凶ト然し彼がまた、この創造者仁ゐ神の、理
解栓超えに無限性といふ観念によってはじめ工、朴い界の目的論的僻耕ぞ
︿同制)
究極的に排除しえたのだといふことぞ古川れてゐる。テカルトは紳ふdumi
一礼性の記憶ぞ保証する杭めの誠生一九な神正してのみ承認したの立といふ
れものとして承認し仁のは、世界のうちから円的悶的なものを排除すゐ
表現が許されるならば、又、神争無限なものとして、我々の理解沿超え
Q
のに役立つ限りに於いてであっ仁左言ふことも許されゐであらう。後の
、、
﹁ブルマンとの対話﹄に於いてデカルトははっきりとかうせ一口つてゐる
﹃超自然的なものはこれを神学者に委ぬるべきである υ 哲学者は、自然
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
的な秩序に於いて自由である限りの人聞を考察すれば足りる。﹄デカルト
(町岬︺
とができない
FL
Q
彼はその会哲学のなかで、で
ゐ原岡となっ戸大ものに由民ひないいパスカルすらかう一一円ってゐる。
(出品)
哲学に内在するかうし紅代格が、人々沿して彼是無神論者と批難せしめ
﹃私はデカルトそ許す
きれば神なしに済ませれいと思つ大。﹄
ω
我々はこの摂理と向由意志の問題については、↑ト正夫のことぞ附一一一目す
るに止めることにする
7
日
じ
この問題について、、デカルトは、トミスムの立一坊に立っと自ら証一 一
でム仰 ω ところで、ト i スムの主張は、摂理の絶対性の前に人間の自由
はありえず、神は全てを決定的に予定してゐゐとなすカルヴイニスム的
な、ジヤンセニスム的な立場、と、摂理は人間の向内意志の決定乃至不決
定の余地を大幅に残してゐるとなすモリニスム的な、ジエズイツト的な
J
立場との丁度中間にあり、一方 伸 の 全 能 の 純 対 内 を 認 め る と と も に 、 他
、、、、、、
方、神のこの決定に反する自由を、極めて治棋的にではあゐが承認し、
Q
(担)
そして最終的には摂理と自由意志との神秘的な調和を設定するといふ立
かかるトミスムぞデカルトのうちに見出すことは比較的容易であら
場ぞとる
【
-73
デカルト
河西
ぅ。熱し、ダカルトがトミスム的な解決に至っしでも、それに
克十いやうぷ菅鰐と動指の後にであって、当時のトミストと彼とめには
との統⋮ 114i
が介手すそこれは
J
;iそれも続年に於けみliLL見 み
i:;
﹃ 方 法 的 懐 笠 i i 科学
むしろ、コギトの潟みぞりの観落、
Q
然じ、ここで現れ出に精神の無時間性に彼は
認識の秩序の頂点に於いて,テカルトは符
べきである。コギトの秩序 │ │ i
在そのものに縮かに諮れ大
G
かうし恥いすはば弁説法
日くゐめいた。意志の無線殺は今やコ仔在への欲求い 20庶民町内げて岡山門円A
'として、コギトの秩序や俄⋮る傷口として現れゐ
的ともいふべき葛藤後尚己のうちに意識して、ダカルトはその勝みに堪
へでそこに踏みんんづたであらうかをそれともそこから最後的な甑溶の議
Q
今 や 彼 に 識 さ れ 仁 迭 は ニ つ に け で あ る υ 殺のふ{精神
一歩諮み出?ととは顛落以外の例ものでもない。凶什ぴデカルトは動怖の
会そ進ん誌のであらうか。弁一説法九切持たないこの精神にとりて、そこから
うちに身母畏い七
今切り裂くこの矛爵に城へて、あくまでこの動議の、っちに踏み止まらう
ω
hq
襲つ允救
とするか、それとも、神秘主義の奈落まで二丸に顕議して列の安息ぞ得
るか。彼はこの動搭のうちに踏みふんまった。晩年のデカルト
ひのない不安と動揺とは惑鰯のうちにあちありとぶされてゐる
撃やで組ずることや知らなかっ牝彼の鱗対仰のうちに先づ或る績のもの
遜ちが現れる。
ハ品拘﹀
もりを緩い℃みたい気持で腐り窓十・;﹄
mmu
円::たいへ・務絞りととろでは、殺むやにねの勢くもむや﹂鴻臨んそ統んでくれる人
m
u
数が如何に少いか会えて、判判官郡一小品吹を漆仁、そのたふに向開八げが込怠慢にすること
日か・ない絞り、加門、か削
然し依然'?として迫容と無線鮮は続いてゐ大 ω 瞥 つ て は そ の 入 の た め に
Q
抱方
敵ル作るごと争も静さなかっ七友人レ年ウ吋?との決定的な嫁鱗がやって
来い市役はもはや、レギウスの機械的唯物論に我慢しえれ仏かった
三ルグアルの無線鮮はデカルトもす怒らせ(ザプルダン神父の圧迫は将
び激しくなってい士。
吋一私は何よりも、険分心知ってゐると柄引“ゐるところの忠誠かのも ω 斗一切を、
設に対してぐも公然とス加盟⋮紳慌で伝ヘふ子、夜んでゐるにも州問、りγ、それを学んそ問問
び
むことマあると目指
ιLV
FL
ハ州問︾
Gq仰
t げての圧迫は、宗教数料の形令
U
設すれ・;協同仏、色分的日教義 ωため⋮にの み研究し、:トい
4金 、
れようとする人に殆んど遼ふことがありません G :・
仁
川
叫::抑制一以災人諸氏 ω手紙以外には、如何なるもりも凡収不読むことが AY舎ないこ
とな笠一⋮⋮⋮山一月殺します。.、心仰は私内諸九牙の加附人的な教凝りため以外には︾いかなる学
、、、、、、、季、、袋、、、、、、、{報)
燃にも最早間関係しないぐありませう ; i h ハ修点繁者︺
﹃沈黙するだけの野山田仰がありさべすればぬられた筈り充分な的酬明も休息もんーは欠
伸枯れました。::それ数私がこれ以後九弘?しうる最良心感 仏
H 、ぶなつくるとと台関山
他方ライノアンでの彼の論教の総力
とらうとしてゐ校。彼のエゲモントでの町内数の静訟は破られやト。
J
r
そして論争か
中
fnN
工年月﹂
円安し正当な約淡なねるととが応策ない数合にはョとむ土地からゑ︿立返ヤてし
、、、,、,、、、、、、、替、、.、
まはなければならないとも考えて附明治ワます。;:最災心途はがん Y静かに隠返り刻
回一
、弘、、、、、、、写室、、
ヰふをするぷとであ号玄ぞ弓 4 e h
iu宗教にも災関 r
閉山私が愉刊について書いたもわりやうに、我ぃ糸口協i アジ Y ス
ランダ
i 山口宗教にも銭円関係なも ωに対しては、殺しそれが謎責さるべ、悔すものでる
るとしても、そむ飢餓 ヘ
μ ハ孫争点目たちでいはなくて J 我
々 ω蛍 後 ね ら る ベ
、、、、、
でなければ、こむは我今に良心 ω
ないことに
きでありさう
はひとと含諦め
なり
人々の
MT
デカルトは最
υ
搭く穴めに彼は著作。ぞ⋮
ぜや球ふであらう
Q
文鴻も彼の興味。伊引分えぷい。この女五への顎待が束の閉め潟含で
最年メウぶ:ダン女王クザサハイアイヌの招牌ち彼の心身引き立てみんな
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円と心 H、
A
二ハ間八年以ω険制号段、恐ら︿刻言及、泳中にえられる
あらうと忽って絞ります。﹄
い
いふ以外には
、死の予感との一恨の精神
な依り⋮所を知らない
Mm
ぶやい
彼の心身黙し仁後仁、デカルトの心火は先会に沿え吹。仁円。決薮
J
の人 アカルトはもはや死一 λ
吋自分がもヴと快︿ゐられる
占め一七のである。
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7ぷ ー
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ぬれ U場 所 ; エ グ モ ン トi に 結 ぴ づ け る も hvは 沿 い 心 で あ 相 が 、 排 出 ! 私 は 多 分
u余 生 を 送 る マ わ ら う と 思 び ま す 。
こ治総マ私 h
・:鉱山同門仰に怒し怠憶になり
し か し 、 そ れ に も 拘 ら 義務として手紙念さしあげねばならぬと信ドいた次第であ
ります;い
女王の熱心な招閥粉々前にして最後志際関す妙。。
彼 MM
・一一 M)
内私は段下がお然、鳴すにな容はしないかと滋ゆゆし℃応りま ず
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- されるだけりお桜山炉、さういふ嚇都中ゅはお持ち心や
女王一以絞殺 研 究 に ﹃ 専 A治
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ろに凡え玄す
も心の、海分おふいワとは信じられま拾いん : : - M 7 J
、
回
U
三人心女乏からハと心者学む掛川刷所会﹀続料付する叩脱出向を私は持品りまサん 4:: 日
﹃もはや年淡くなく、メ一一十年も執務燃したために、疲れる校前歌山 ω脅慨をふ忠く失っ
て し 支 っ た 人 間 関 に と っ て は 、 ハ ス ウ ェ ー デ ン へ の 淡 勝ω 旅 行 は ) 火 炎 な 公 務 な 心
マあります:・ふは紛ら想像したよれツも浅か以上"に、こり旅行幻決心なすること
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月ぞのである。肉体の死に先立つ
仁詩祢のの心を探く打つものがある。最卒、動
や救ふものや乎に入れ手広いこともダ充分に知りながら、それ
激ゃっちに生や終ゃれ、デカルトの臨ん牛は、やがて開花すベ会
義の産みの苦しみとも一一員ふべきものであっko 自己の合理民
限界そ痛切に知りつつも、ごめ棋界恐超えに非合抑制的秩序ぞ定立す
ることや彼紋最後迄積極的ようとはしなかうに。
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山 丸
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目的。はき昨日常時霊祭料保山口祭g
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w
Z
JCF
格ぞ一そうよく知る食めに、デカルトの自由を特甑づけるもう一つのも
さて、この最後諮ダカルトにヴきゑとひ、後治苦しめゆト彼の議揺の性
のについて簡単に触れておかねばならない。それ誌、彼の自由冷銭く志
へ諦︺
が 難 し か っ た ωであり ます
eh
ウ私はん務盗致しますが、トウレ 1 ヌ心淀関心加側、奈川崎に及、れき々は、たとけい例ぶイ
スラ且ん人に約束された公池ほどりム径はないとしても、それより多︿小川出引がある
と信ぜられる闘ト一に件悼む一人の人間以、それ ω地 を 捨 て よ 然 心 ふ る 、 裂 と 永 と に 間 約
設後にとの哲部以制令襲つ↑トものは暗い認の予感であっトト υ
r
ω 後に於けゐ倒体の諸国遁に対する鋭校は明白で
どには決しと自負した彼、
大彼、多くの人々の意見一人の人間が自然的になしう
のうちにこそ、﹃畑一性身柄ひる一が最もよく韓れゐと見倣じ
ある。⋮人の設計者、一人の校師、更には一人の立法者の手になゐ壮感
(EU
儲体の合理性会初総揺すゐ
のうらに秘めて重要な校準々占める﹁分析い免除同三一宮山)もまた、かかる
既に晃一h
hwく、彼に於いて真に合溜的なものは総体である ο 彼の方訟
守性と汲んで、この綿入主義は後のy
H点に⋮つの性格や悩関与している ο
若干の議憐に於いて一一層明確ぶ形に定着される ω被の政治上の窃おな保
w 想のかかる機揺は、後に至って
設加に於いても既に見出しうる、テカルト m川
人公一叫純である ω 我々は先にこの点について騒々触れておい大。担刀法叙
向面的なものにふんまら品市三被の殿前々無内容なものに終らせ六、彼の楢
まれた凶に行って住まふん%には線踏拐にな 8 ま せ ん4
6
﹃運命といふものは・・ 剥軌を嫉鰍十いがてゐるやうに閉山はれまみ歩。建 a:二 十 年 系 紙 が
・弁明したふ慌て心旅行心不叫闘い泌を思ぴますと、今、緩め ω旅 行 に は ョ 途 中 で 漆 燃 に 滋 ふ
か、私一心命を稼ふ僻線級にぬ柑ふか、それだけしか残ってゐない心ではないかと操れ
pamV に
psh
ペ前)
ら れ ま す oh
吋引払川以倣を;::多く格付って絞り ま す り で 3 ・:・もし却材 mu参加ワぎすことがバ女況に
対する)人々の誹りが殺にでも佼はれることにな控室すくらいならば、むしろ旅
一行中に死ぬ中 H
⋮がが殺であ号室ナ。
械はスムリノエトテンに濃くや直ちに、懐しいエワザペ l トに護側問後送つ
︿郎、
てゐる。彼はその織に最早何の喜びも持たなかっ七。搬出りとこ乃はたど
体息のみであつれ。
怒 仙 の 地 で は 冬 の 問 る 人 々ω忍怒は氷と凶内線仰い閣内容づい 1て ゐ る や う に 滋 は れ ま
λで自分の本州問にゐる気が致しません、たピ対前混と体出品⋮心会
す。::寄ってのしますが、私の段八万の級品斜に帰りたいといふ緩みは口いごとに滅
)ao-と
J
刊紙し℃開府 η ,
して
75
I
デカルトに於ける﹃人聞の自由﹄について
J
︹
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・ - そ れ に 反L て 、 渋 も
﹃:;もし彼等がこりやろに考
びてゐる。
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1、
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当た行為も、それを行ふ
一団)
L そ れ が 実 現 1 1す 必 付 ] 私 は
、、、、、、、
υ然
平 和 が 既 に 存 在 す る 固 に 身 を 詮 ︿ 方 が よ い と 胤 は わ 炉 支 す 。 。 。 私 は 今ω如くに、
な平和に到達する途であるやうに思はれます
て底り主すならば、とれは次第に一つり全般的
更に アカルトの自由は、或る場合にはコスモポリタニスムの色さえ帯
γ々
。﹄
こと、・・:これは恐らく常にはれも確実な訓言ぜありませ弓一 日
5
あり主す一再々﹄
﹃ ・ ・ 敵 を 悉 く 曲 明 滅 す る か 、 乃 去 は 味 方 と す る か 、 断 ヒ て そ の 州 問ω途 を と ら ぬ
4J
h
ω になり始めた相
﹃人はそ ω こ と に 利 益 を 見 出 1一、または疑は 1 く 、 恐 る ベ ケ J
手に、信頼出来ぬ仰山をねっと与には、彼等に向って戦ぴを挑む柊利を持つので
然し他方、失の一言葉はホップス治想起させゐ
が、ル甘口そ ω富 ωま は り に 山 川 っ て 、 そ れ が 失 は わ る ωを 防 ぐ た め に 彼 等 ω力 を 合 せ
る と い ふ こ と は 正 当 で あ り ま す 。 - 彼 等 ω各 々 が 、 ざ ま ぎ ま の 党 派 に 友 人 を 討
つことによってこそ、多くり手段をうることがで主ると伝ぜられるりであります
か ら 、 こ ω こ と に よ っ て 彼 等 は 、 比 同 が 唯 一 心 党 派 に 属L てゐる相場人けよりも一そう
ー
有 力 と な り う る り で あ り ま す 一 x h c﹄
なりであ↑ります・:﹂
﹃現代人心慎京一さについてす(ぽ、確かに、宮を自らりちちに杓ってゐる人々
(UL
ω 判 断 ω仕方を明日にする二つ ω党 派 に 渦 足 を 与 べ る こ と を
﹃正しいと凡倣すも ω
余儀なくされる場合には、双方に何らかのもりを与へることが、川刊に適ウたこと
﹃ 或 る 党 派 に 不 快 を 悠 ぜ じ め る こ と なL に 、 他 山 口 党 派 に 悦 ば れ る こ と は 不 可 能 で
、1
〆
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あります。﹄
彼は党派といふものについてはせいぜい弐のやうに見ていゐ仁過いきな
、
。
、hu
人間自らが不正であると考へる場合には、それは不一作となるのであります。﹂
く正当になる心であります
のうちに算へ入れた。﹄
﹃山一八際、自ら ω実 行 す る 手 段 が 正 当 で あ る : ・ と 考 へ る 劫 Aけには、そ ω手 段 は 悉
︹
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﹃ 検 め て 繁 華 な 都 会 な ら で は 引 げ ら れ ぬ 使 穴 を 何 一 つ 絞 く こ と な L に、ーかも位田介
。来 ω知 人 境 に 住 む と 同 県 ら ず に 、 私 は た ピ 一 人 隠 迎 的 な 生 前 を 営 み え た ω で あ
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然し仰方こ
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理は全民衆によってよりは、仁に一人によって発見せられる方が真らし
い﹄と一一=口う側、にして川いじめて、﹃高過﹄の徳ぞあの?っに力強い形で説
ω テカ
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ここから彼の合
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ω 社会的実関
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る。﹄
z なーとは、これ在来山く純端なぶ一足
﹃:なほ特に自由を多砂とも減ずる晶、うな約 取
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はねばならなかっに ω 彼の自由の逃避的な、主観的な、工事コイスティッ
党派の争ひの反映にすぎ‘ぷいといふこと在、この内面化の故に彼は見失
自己のうちの諸観念の対立が、自己の外に展開されている思想上の諸
ろ自己の欲望ぞ変へようと努めること。﹄
﹃運命よりも寧ろ自己にうち支にうと努め、世の中の秩序をよりはむし
は絶えず個人の内面へと還元されゐ
の自由はま亡、常に内面化しようとする傾向を持ってゐ大
に超えられる hめには三世紀必要しにと一三一口ふべきであらう
の絶対性を脅かすものか既に気づかれてゐ仁としても、﹁個人﹄が完全
すれば、それは他ならぬこの私でなければならない﹄のである。﹃個人﹄
るといふべきであるとしても、なほ、﹃この仕事ぞ為しうるものがゐると
当る方が、﹃各人が個別的に前進しうるよりはるか遠くまで前進﹄しう
得する﹄ためには、﹃多くの人々の生搾と勤労とぞ結束し一致せしめて﹄
いる。﹃多数は仁、亡一人よりも目がよくきき﹄、又﹁万人全体の幸福を獲
一方この白由日還元されが仁い個人の独立と自負をそのうちに含んで
源泉がここにある
に於ける﹃良識﹄の力強さと無力、彼の自由の厳しさと無内容の一一切の
理主義の狭さが生じ、叉ここに彼の自由の抽象性が由来、ずる
やうなものであったことも忘れて伏ならないであらう
ひも顔面神経の痘一相手以外の何物でもありません﹄と彼をして一一一日はじめる
へであっ亡ところの分析的な悟性といふものが、又﹃哨笑と呼ばれる笑
であのやうに有効に働い仁ところの、そして彼の個体主義の唯一の支
のも叉彼の只想のうちに潜行この力強さによってであっhu 然じ自然学
くことができ仁のである。コギトが三百年にわf って人々の心を把へ仁
西
クでさへある性格ぞ見推すことはできないであらう
- 76 -
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刊の嘘品拠も部制策も発令ずに、それ
れ は 非 常 に 立 派 に 交 法 せ ら れ て 居 り ま す ω句、 M
舎 の JhAhよ 殺 か に 主 主 、
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にゆゅん燃に従ふものは散でも、他の礼訟によづて苧 v
吋自ら最議開なりと将新ずること診察狩じようといふ確諮わい、ゐ決意﹄の
盗かに公定したゑ活を送容うるでふらうと賠品はれます
淡づけ授なすものはかかゐ楽天的な社会観に協ならない。最も内問的諮
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w とに仰の関紙鰍も取しなてぬであn
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に入れて居りますとケむ自分心状態いか潟肉
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、宮、、、、、、、、、、、、
福だと考へて胤鳩初ります
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兆
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円⋮⋮、一一一年平和が続きますなら e そこに伎なこと同はき地球ω仙沼の如何なる場所
に も 劣 ら グ 後 く な り 玄 せ う α 私 mw加山︿州州仰向なる場一般に山品位ナることにも救瀞 mwな
いおといたしましでは、それらむ箇々な途中戦はフ一アンスをさへ、かの例制と取れツ数
うちに、カントの思判明山の先駆的な姿。ぞ見出すことができるであらう。カ
制則的なものや鴻つてのみ一社会といふ後温性に到達すゐといふこの図式の
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彼は叉、しばしば民衆との結びつきか)欲し作。叉公共の穏祉の優先す
べ念ことやも設いてゐる
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w道徳、も亦人聞の内面に枚議づけられて、そのにめに賎しいが黙し
単に務式主義的な交官命法ぞ設定するにふんってゐる。
熱し吋⋮鎚人が披一人のみで、彼の仲悼む都会の組のすべての人々より
ヘ抽柿ゾ
も一層価値のあゆか場合には﹄社会や錦人に優先させることはむしろ誤り
以上のやうなデカルトの議自の内面的な、際銭的でさへある性格が、
g言語仏ωさずとと呼
彼自身の属してゐ吹階級!;2 吋法般の賞族﹄(ロo
h の意味す
格でもありたのであゐ。
も感じなかった;::﹄
︿駒山一}
にも、刑判は険分の資産 mu負 担 を 緩 械 慨 す る こ と なOZ
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w前提とすると
拘らず、弁誌詩の押川学はこの哲学を自己 m
ト哲学は弁祇訟の哲学によって定当に趨えられてゐるが、狭山しそれにも
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ルトに於ける焦ら忙にしいまでのでは、またこの階級自身の性
!iの諸属性に由来するものであつれことぞ忠
ばれゐ新興プルジヨア関
れではならないであらう。進歩教と保守性との、議議と保存との、グカ
でああ。爽議のところ、彼府総身が一時には望ん花氏衆との結合やははん日に
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- 77 -
ものは彼自身の、っちにあったのでふる ο
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四淡々が関門家に対して関心を持つことを、どの綴災山山地銀位が命じてみるかを廷確
に計ることは間関凝であることなぷ紋督自致します。のみならず、それは非常に波
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織 で あ る こ と を 必 裂 と す る や う な 泰 樹 で は み 的 世 ま せ ん 。 自 ら ω災心に瀦口広をい争ヘ
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るだけそ充分なむであ約ります一次キ'・﹄
込山内すことを心得てゐるやうな容が、たとへそω殺
﹃一品物隊剣勝でき一番大会な芦 b
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が設も間関遂ってゐる滋 AA
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更に試のやうな言葉のうちに、我々はこの時代の偶人主義の楽天的な
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性格や見ることがで念みであらう。この時代の鱈人に於いては、自己の
に郎して生きることは載とせらゐ、これがデカルトの吋良識
う%に諮ることが間持に社会的存在となりうみ盗なのである。自己陶身
るところのものである。
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w行 為 に 於 い て 没 、 も 災 く 遵 守 し て 来 た
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w及ぶ限り︾品川一心人、々と問様に他人むために働弘三各人
コ似の組問人的利採のため以外には何もどさない人ムベぜも、もし僕設さを用ひょう
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を楽しませようと努めるに縫ひ々い。
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デカルトに於ける﹃入閣の自由﹄について
ず、合理的なもの沿普通者に拡大するに先古って、
この小論は最近の主要なデカルト解韓に現れ乾非合理主義的傾向への
々はデカルト思想の正当な継承者が誰でありうるか治も描き出さうと努
批判や目指して書かれたものである。然し、同時にこの批判や通じて我
めやい。デカルト冶、メ l ヌ・ド・ピラン巻経てベルグソンに至るフラン
一旦それ沿個体のう
今日デカルト哲学を弁証法に抵抗する七めの武器として利用しようと
ちに確立する必要があっ七のである。
する如何なる試みも必ず失敗するに違ひない。デカルト哲学の非合理主
ス唯心論の祖先と見倣さうといふ根強い要求││特にフランスのデカル
ルトやスピノずから大陸合理論、ドイツ古典哲学ぞ経てへ 1グルに至る
ト研究者牝ちにとっては暗献の了解ともいふべき 1 ーにも拘らず、デカ
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壮大な近代合理主義の運動の出発点として把へようとする以外の全ての
最善なりと判断すること在実行する確国土る決意は、絶えず何が最善か
巻我々に教へうるものによσて柿はれねばならないといふことである
義的解韓は常に却けらるべきであらう。デカルトの教訓は明白である。
デカルト自身に於いてさうであった如く、主体の白由と決断とに内容ぞ
デカルト研究に見られる諸傾向の対立は、そのまま現代に於けるイテ才
僻樟は、多少とも歪曲令いるを免れえないであらう。
ロギ l闘争の縮図に他ならない。デカルト哲学に対する凡ゆる却一の非合
み達成しうる。この統一によって、はじめて科学在人間の手中に引き留
理主義的一企仙の根源も、結局はそこにある。弁証法的哲学こそが今日に
与へるものは科学に他ならない。理論と実践との統一は科学や介しての
めて我々の生に役立つもの(ロ2OPE-と と な し う る の で あ り 、 又 こ
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に関しては、稿そ改めてそれぞ論
多くの問題1 1特に、自由の問題に於け
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尚、批判的観念論者とじてデカルトを把へた﹁切Eロ凹n
もこ白年に此に山内た。
﹁註﹄
ずる積りである。。(一九五五。一二・二五了)
るデカルトとスピノずとの異同等 1
うと考へる。なほ残されて
2
の主張に賛意を表することによって、我々はこの小論ぞ終ることにしよ
於けるデカルトの合理主義の王当な発展形態であるといふルプヱ lグル
の統一に於いてはじめて定言命法的な当為の形式はその具体的内容や獲
得する。
今日確かに、﹃良識﹄、﹃自由意志﹄、﹃明証性﹄等々といふ語は、それら
がデカルトに於いて持ってゐた生々とした力や失つてはゐゐ。然し丁
度、﹃自己は嫌はし。﹄(伊叫 B a oえ富山田gE0・)といふパスカルの言葉
がさうであっ仁のと同様に、これらの語がその生命沿失ふまでには三世
紀の年月や必要とし仁のである。﹃個人﹄のうちにさしこんち暗い影存除
今日なほ多くのデカルト的良識が我々の周囲に存在する記らう。彼等
くためには、ゴ一世紀の努力が必要であつにのである。
は自らの誠実さの故にのみ睦いてゐるのである。良識という語が今日ほ
r宰疎な響きや伴ふことは嘗つてなかったに違ひない。単なる自己のス
タイルの回執にまでなり下つに自己への忠実さといふものが、人ぞ確信
のなさと、不安、そして孤独へと迫ひこんでゐるのである。主体や﹃私﹄
のうちに埋淡させてはならないであらう。コギトの社会思想史に於ける
位置を把握せねばならない。デカルトの教訓は我々にさう告げてゐるの
である。
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