職域侵犯のマネジメント

探求
職域侵犯のマネジメント
青山学院大学 経営学部
教授 山下
勝
分業の功罪
スを次々と開発してきた。PCは間違いなく職域ごとの相当な努力に
稀少である。何度も同じ顔ぶれでやっても、その組み合わせからは
域に戻るのは目に見えている。絶対に完遂するというトップの強い
よって発展してきたのである。しかし、モニターを見ながらキーボー
もはや創造的な成果を得ることはできないだろう。一方で、ずっと
意志が必要だ。例えば、冒頭で紹介した経営者は毎月クリエーター
クリエーティブを経営にどのように活かすのか、といったテーマの
ドを叩き、マウスを動かすという我々の基本的な使い方については
同じ組み合わせであるにもかかわらず、優れた業績をあげる映画も
を集めて彼らの意見を聞く場を公式に設けているが、当のクリエー
学会イベントにおいて、ある広告クリエーターは
「今後は広告の枠を
何十年経っても変化はない。PCは製品総体としてはほとんど進化し
ある。彼らは従来からの職域に従う代表者の組み合わせに新規性
ターは職域意識がまだ強く、戦略にも繋がるような良い意見がなか
越えて製品の機能や使い方、場合によっては価格までデザインの対
ていないように見えるのである。PCがいつまでたってもPCの枠か
を求めるのではなく、同じ組み合わせの中でも、職域を侵犯し合う
なか出てこない。多忙なはずの経営者の側がむしろ雑談を持ちかけ、
象として考えていく必要がある」
と言い、ある経営者は
「クリエーター
ら抜け出せないのは分業が弊害となっているからである。CPU開発
(職域に従わない)ことで新規性を追求しているのである。プロ
必死になってクリエーターの意見を引き出そうとしているという。ハ
と直接話す機会を増やし、彼らの考えを戦略全体に取り込んでいか
者はCPU開発という職域を越えて発想せず、OS開発者はOS開発
デューサーが監督の従来の職域まで進出し、逆に監督がプロデュー
コさえ作ればよいということではないのだ。公式に職域をずらすこ
ねば」と語った。広告の世界にかかわらず、創造的な営みは企業の
という職域を越えて発想することがないからである。課長は課長と
サーの従来の職域に関与する。こういった新しい分業の形から魅力
とで、それまで確保されていた効率性が大きく下がってしまうこと
戦略に多大な影響を与えるような時代になっていると言えるだろう。
いう職域(権限)のなかでしか物事を考えず、部下も部下の職域(権
的な映画が生まれやすくなっている。
も大きな課題となる。
上記のクリエーターと経営者の話は、もうひとつ大きな論点を含
限)のなかでしか物事を考えようとしない。そのような状況で創造
そうは言うものの、職域侵犯は容易なことではない。例えば次世
実現性が高いのは後者である。職域侵犯に抵抗を感じる人たち
代型の画期的な新製品の開発者が、その開発コンセプトに基づい
は現状のままで構わない。彼らには効率性を担保するという意味で
重要性である。よりシンプルに言うならば、創造的な成果を得るた
た奇抜なプロモーション方針を展開したくても、それを営業部門に
従前通りに活動してもらった方がよいからだ。当面は、互いに許し
めには分業について考え直さねばならない、ということである。
強要するのは通常は困難である。営業という職域には彼らなりの知
あえるパートナーとともに非公式に職域侵犯の協働を行ってもらう
識がある。それは彼らの長い経験のなかで蓄積され成功を収めてき
人たちが一握りいればよい。しかし、ここでも課題が2つある。ひ
た彼らなりのベスト・プラクティスであり、新入社員の頃からずっと
とつは職域侵犯を許容できるパートナーとの関係をどのようにして
んでいる。それはクリエーターと経営者の関係を再構築することの
分業は組織の肝である。そもそも企業が大きな経済的付加価値
を生み出せる原動力となっているのは分業だと言っても過言ではな
的な成果が生まれてくるとは到底考えられない。
職域侵犯という現象
い。分業はメンバーひとりひとりの職域を限定することによって専
古い話になるが、キヤノン社が独自技術でコピー機を開発したと
その知識を叩き込まれてきた。それは開発部門も同じである。彼ら
構築していけばよいのかというもので、もうひとつは非公式なパート
門技能を促進させる。職域ごとの生産性が高まることでコスト削減
きのことである。ゼロックス社による特許侵害訴訟と戦うため、同
は相互に専門性を尊重し、けっして職域を侵犯しないように互いに
ナーシップから生まれてくる創造的な成果をどのようにして会社に評
にもつながるし、職域が決まっているからこそ個人間の比較が可能
社の製品研究課は同じ社内の特許課とタッグを組まねばならなかっ
配慮してきた。各職域にあるそれぞれの専門家が自分たちにとって
価させるかというものである。残念ながら、この2つの課題を解決
となり、競争意識も生まれやすくなる。産業界一般で職域が共有さ
たが、そこでは法的観点から製品開発の現場に口を挟めるような特
の部分最適を目指そうとしてしまう、それこそが分業の生み出した
できるのは、
「創造する組織人」本人ではなく、実は彼らの身近にい
れていれば、退職者が出ても後任の採用は容易となる。
許課員が必要だったし、裁判所で自社技術の合法性を立証できる
負の側面なのである。
る上位者である。上位者は非公式ではあるものの良質なパートナー
分業が創造的な成果を生み出すこともある。例えば、映画業界
開発エンジニアが必要であった。特許課は法律関連の仕事だけをし
シップが生まれるよう部下や後輩たちに機会と猶予を与え、そして
では監督、脚本家、俳優といった分業がある。同じ職域であっても、
ていてはダメで、また製品研究課も開発だけをしていてはダメだっ
彼らが創造的な成果を出しつつあればそれを強力に支援し推進して
各人個性があり、その組み合わせによって魅力的な映画が制作でき
た。相互に職域侵犯を行うような組み合わせこそが決定的に重要
るかどうかが決まってくる。各職域の多様な人びとの中から魅力的
だったことがわかる。奇蹟的に
(と言ってもいいと思うが)
キヤノン社
な組み合わせを選択するスキルが強く求められるわけだが、事情に
にはそれをできるメンバーたちがいたのである。
創造する組織人の創造
る組織人を増やすことが、多くの会社が抱える最重要課題であろう。
もしわれわれが創造的な成果を本当に求めているならば、職域を
よっては組み合わせるのが困難な場合もあり、そのような困難な組
このようなケースは他の事例にも多く見ることができる。イノベー
ずらして分業の形を変えることを真剣に考えねばならない。具体的
み合わせを実現するのにはかなり大きな発言力や権限までが必要と
ションの多くは、分業によって制約された職域を侵犯する、換言す
にはどうすればよいのだろうか。考え方は大きく2つある。ひとつは
されることもある。
れば分業を再構築するところからスタートする。前述の映画業界の
組織全体の再設計を行うことで公式に職域をずらすことであり、も
上記のような好例もごくわずか存在するのだが、実際のところは
事例で言えば、監督と脚本家、俳優といった各職域を代表する人
うひとつは担当者間で非公式に職域侵犯を行うことである。
分業は創造的な活動を阻害する最大の要因となっている。与えられ
を組み合わせて魅力的な映画をつくることもたしかにできるかもし
前者はトップマネジャーの熱意がなければ成立しない。たとえ職
た職域のなかでしか発想できなくなるからである。PCはわずか数
れない。とくにハリウッドには世界中から優れた人材が集まってい
域をずらすような組織再設計を行ったとしても、勝手が変わること
十年の間に飛躍的な技術改良が加えられてきた製品である。CPU
るので、その魅力的な組み合わせも無尽蔵であろう。けれども、小
で不満を感じる担当者間では、従来の職域のままで分業を行おうと
の演算処理能力は年々高まり、OSは使い勝手の良いインターフェイ
さな島国にすぎない日本では映画業界各職域の優秀な人材は実に
するだろう。効率が悪い、評判が悪いといった理由ですぐに元の職
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いくことが求められる。端的に言えば、
「創造する組織人」を創造す
プロフィール / Masaru Yamashita
神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了後、
2002年、青山学院大学経営学部専任講師に着任。
同大学准教授を経て、2013年同教授。現在に至る。
専門分野は経営組織論。映画産業をはじめとして、
ア
ニーメーション、
マンガ産業を対象に創造的な組織づ
くりについて研究している。主な著書として、
「 プロ
デューサーのキャリア連帯—映画産業における創造
的個人の組織化戦略—」
(白桃書房)
(共著)
「
、キャリア
で語る経営組織」
( 有斐閣)
( 共著)、
「プロデューサー
シップ—創造する組織人の条件—」
(日経BP)
がある。
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