道徳教育(他学部) 6月14日(金)4限 第七回「子どもの道徳的な学びについて考える④」 前回の感想から① • • • • 自分の感じたことを自分の言葉で言える雰囲気作りがあの授業を可能にし ているんだろうなと思いました。(文学部 日本文化学科) 子どもたちが自分から意見を言う姿に驚きました。私が小学生だったころ を振り返ると、先生に言われて発言するということが多かった気がします。 友だちの意見を聞いて質問するということは今の私でも難しいと感じるこ とがあります。ですが、ビデオの小学生は当たり前に質問していました。 「感動したことを語り合おう」という先生の働きかけで授業が始まってい たように思います。どこまで授業が広がるのかと思っていました。私の予 想を超えて子どもたちは話し合いを広げていきました。“生き返る”という話 もしていて、とても深いところまで考えていました。どのように教育した ら言語活動がここまで充実することができるのでしょうか?吉國先生の思 うところがあったらお伝え願います!(科目等履修生) 生徒たちが自発的に発言することもすごいですが、そういう場、発言して もだれも茶化されず、それどころか相手の真意を理解しようとする空気が できているのは驚きました。おそらくですが、最初からこのような場がで きていたとは思えません。どうやってこのようになったのかを知りたいと 思いました。(文学部 史学科) ただとりあえず何も考えないで授業を見ていた感想を言うと、コの字型の 机の形態であったりその形態と先生の対面した形を見た時に、生徒同士、 そして先生と生徒との議論というのがしやすく、相互の意見の交換がしや すいなと感じた。隣同士との話し合いや各辺(三方向)の話し合い、また 対面という形から先生、生徒という関係からの意見など、それぞれの場合 における意見の交換が見て取れた。(理学部) 前回の感想から② • 子どもたちが合図なしで話し合いを始めたことに驚いた。グループ ワークでそのことを話題にしたら「さすがに最初の授業では先生が指 示して合図したはずですよね」などと返事がでて私もそう思ったので 納得した。しかし、週一度ほどの道徳の授業であのクラスのように子 どもたちが自らグループワークを始めて自分の意見や人の意見を小さ な輪から話し合い、そこから自然とクラスという大きな輪で話し合う ことができるのは先生が生徒を信頼している関係も、子どもたちが気 楽に話し合えるほどの関係があるんだなと実感できた。(文学部) • 映像の中でなかなか自分の意見を上手く伝えられない子がいましたが、 そこで先生はその考えをなあなあにせず、いろんな質問をして別の視 点からその子の考えを理解しようとしていました。この姿勢が話し合 いをしていく中で教師が気をつけるべきものだと思いました。一つと して同じ意見はないということの自覚が大事です。(理学部) • 一番印象的だったのが子どもたちが意見を言った後、それを聴いてる 子たちが「あー」とか「うんうん」とかすごく肯定的な捉え方をして いることでした。否定する子はあまりいなくて人の意見にすごく興味 をもっていて、このくらいの年齢の子たちが教室全体で話し合うのは 難しいんじゃないかという私の予想と全く違っていました。人の意見 も素直に肯定的に捉えることができるときに、道徳的な内容について 話し合うのはすごく意味のあることだなと思いました。あと印象的 だったのは子どもたちが物語の中で死をプラスに捉えていたことです。 みんなそんな風に考えているのかなあと思いました。(文学部) 前回の感想から③ • • • • このクラスの子どもたちは挙手もせず、先生の司会に任せることもなく、発 言の時も敬語を使わずに自分のそのままの言葉で話していました。おそらく この子たちは授業で発言をしているというより、クラスメイトと感想を語り 合っているという意識でいるのでしょう。(文学部 史学科) 死生観という個人によって考えの異なる抽象的な題材だったのに生徒同士の 意思疎通や、上手く相手が言葉にできない思いを聞き手が受け取ることがと ても上手く、先生が置いて行かれるほどであったのには驚かされました。話 がまとまっていなくてもじっと待ち、聞く姿勢がクラス全体で守られている 様子は普通の大人よりも理性的に感じました。(園芸学部) 私が小学生の時の道徳の授業は、前回の授業の隠れたカリキュラムのように、 先生が期待している発言をするというものだった気がする。それに比べてこ のクラスの授業は先生も子どもたちの発言から何かを学ぶというようなもの で、とても衝撃的だった。(文学部) 皆がまじめに読み、話し合いに参加していて、素晴らしいと思ったが、同時 になぜだろうと思った。自分の小学校のクラスだったら話の軸がぶれたり、 参加しない子がいたりしたと思う。道徳の授業はたまに正解のような模範的 ないしは先生が期待する応えのようなものが透けて見える気がして好きでは なかった。他にもそういった人はいたと思う。今回見た映像では先生があま り話をせず児童の思うように話をさせていた。そのためもあって意見が活発 に出たのだろうとも感じた。(文学部 日本文化学科) 前回の感想から④ • どうでもいいことかもしれませんが、先生の机が低くて小さいなと思 いました。先生は大きくて高い教卓のようなところにいるものだと 思ってたので不思議な違和感を覚えました。先生が生徒に近いからあ んなに発言が出たのかもしれませんね。また、生徒みんながダニエル 生まれ変わり説を考えていて少しびっくりしました。だったらフレ ディも生まれ変わりなんじゃないだろうか、フレディとダニエルの違 いは?などと考えてしまいます。人間の場合はどうなんでしょう。皆、 自分たちがいつかは死ぬと思っています。死んだことはないはずです が。それとおなじでダニエルもまた死んでいった仲間を見ていたから 死を知っているだけではないでしょうか。・・・こうやってなんでも 人間に置き換えるから大人には大切なものが見えないのかもしれませ んね。(理学部) • これほどスムーズに進行するグループワーク、しかも小学六年生によ るものを見たことがなかったので驚いたが、やはりこれは子どもたち が「隠れたカリキュラム」を習得した結果と感じた。視聴後の話し合 いでも「この子たちは練習した結果こんな授業が成り立つんだよね」、 「よく訓練されている」といった話題になったが、何より子どもたち 自身が相手と意見を交換したい、話したいと前向きであるからこそ、 カリキュラムの習得が達成されたように思った。前回の授業で私は 「隠れたカリキュラム」に対して負のイメージ、個性を縛り付けるも ののように捉えていたが、今は少しその考え方から変化している。 (文学部 日本文化学科) 前回の感想から⑤ • • • 最初の方で皆がそれぞれ話し合いをしている間、先生が何も言わないけれ ど絶え間なく皆に目を配っているのが印象的だった。子どもたちから意見 を引き出すのもスムーズで、子どもたちと先生の間にちゃんと信頼関係が できているのだと思う。ああやって誰かが言ったことを「どうして?」 「どこからその考えが出てきたの?」と問いかけて議論が展開していく授 業というのは子どもにとって重要な意味があるんだと思う。(文学部) 今までの実例の授業に比べ、今回の授業は小学生であるのにとても厳かな 雰囲気を感じた。生徒の発言が先生を介して別の生徒に伝わり、授業が進 行していった。小学生にしては静かでたんたんとした授業進行は『葉っぱ のフレディ』という作品に対する考えのおかげであるだろうか、それとも 先生の手腕によるものだろうか、はたまたそれ以外の理由だろうか、疑問 に思った。(園芸学部) ビデオを見ていて気になったことがいくつかありました。グループワーク では皆で話し合っている気がしましたが、全体で発言するときは決まった 子が発言してしまっているような気がしました。自然とグループを作ると、 グループのリーダーが決まってしまうのかなと思いました。あと、発言し ている子に男の子が多かったのも気になりました。クラスの雰囲気として 男子の方が発言しやすい風潮になってしまっているのではないかと少し感 じました。少し重いテーマですが、真剣に話し続ける子どもたちに少し驚 きました、どんなテーマにも年齢制限はなくて、その年代なりに考えられ るのだなと感じました。(理学部) 前回の感想から⑥ • 今回の授業、グループワークを通して国語と道徳の違いについて考えま した。国語を道徳にしてはいけないという言葉を聞いたことがあり、 ずっとひっかかっていました。そこで今回気付いたこととしては道徳は いかに自分の考えを持ち、他人に伝えられるかをめざし、国語はその正 反対でいかに自分の考えや意見を抑えてテキスト(書き手)の中に根拠 を見つけられるかということをめざしているのではないかと考えました。 (文学部 日本文化学科) • 人が死んだら葉っぱのような目に見える形ではなく、周りの人の精神的 な糧になるんじゃないかなと感じました。(理学部 数学科) • 生徒たちの間で葉っぱは死んでも役に立つが、人は死んでも役に立つの かという疑問があった。私は「役に立つ」という言葉は様々な視点から 語れる言葉だと思いました。栄養素などの視点から考えると葉っぱも人 も死ねば役に立ちます。しかし、葉には心がありませんが、人には心が あります。ある人が死ぬことによって自分に利益が来るならその人の死 は自分にとって役に立つと言えるかもしれません。それに対して、自分 の大切な人が死ねば役に立つとは言えないと思います。しかし、大切な 人が死ぬことに依って自分が成長するということがあれば役に立つと言 えると思います。葉っぱのフレディはどのような死も役に立つものとし た方がいいということを伝えた意図ではないかと思いました。(園芸学 部 応用生命化学科) 前回の感想から⑦ • • • 私の意見としては人間は死ぬと必ず誰かに迷惑をかける。あまり良い話で はないが、私は死にたいと思うことが何度もあった。決して軽い気持ちで はない。しかし、自殺ではない。この世からいなくなりたいのだ。こう思 い始めたのには理由がある。高校二年の時、本当につらい時期があった。 暗い自室に閉じこもり、自殺も考えた。どうやったら人に悲しみ以外の迷 惑をかけずに死ねるか考えた。しかしどこで死んでも後々必ず誰かに迷惑 がかかることに気付いた。死んだら誰かの役に立つことのできる生命がう らやましいと思う。(工学部) 以前、『葉っぱのフレディ』についての評論を読んだことがあり、アメリ カで出版されたが輪廻観が受けず、日本に上陸したらなぜかビジネスマン に大反響したという記述があった。この物語は奥が深く、理解するのが難 しいと言われているが、授業の中で小学生でも真剣に議論できるのはこの ことからも分かるように、日本には「死」に関する認識を育む土壌がある からだと思う。(園芸学部) 今回の授業を見て疑問に思ったのはこの話のテーマが人生とどうかかわる のかということだ。ダニエルという登場キャラクターは死として捉えられ ている落葉を経験したことがあるものとして描かれているようだ。しかし、 メタ的な存在でもない限り、死を既に経験し、知識としてもっている状態 で生まれかわることは不可能である。というか、話の整合性が取れないと 思う。そこで私は落葉というものが死を意味するのではなく、人生で初め て経験する困難として位置づけられるのではないかと考えた。そうすると、 これは単なる生まれ変わりの話ではなくて、もっと別のテーマを持ったも のではないだろうか。(文学部 日本文化学科) 始めに大事なお願い • 今回は、子どもの道徳観を、実践事例をもとに考え たいと思います。 • この授業で取り扱う実践事例は、全て僕がかかわっ た学校関係者の厚意によってこの授業で紹介するこ とを承諾していただいています。 • 基本的に学校名がわからないように紹介しますが、 生の記録である以上、個人情報です。 • 従って、ツイッター、Facebook、ブログ、 その他、不特定多数の人が見る可能性のある媒体に 授業の内容について書くことは絶対にしないでくだ さい。この授業のブログに書き込む場合には、個人 の名前は出さず、Aさん、B君のように頭文字で表 してください。 今日の事例について • 富山県のある小学校で行われた5年生の道徳の授業です。 • 前回、紹介した学級の1年前の姿です。違いを見ながら、あの 学級がどのようにして出来上がってきたかを考えてみるのも面 白いかもしれません。 • 授業の見方は人それぞれ、正解はありません。でも、一つだけ 意識してほしいことがあります。 • それは正解を決めつけずに見ることです。 • 人間なので、価値観を全く交えずに見ることは不可能です。で も、「この授業はいい授業だ」、「この授業は悪い授業だ」、 「自分だったらこうする」といった評価はできる限り一度脇に おいて、授業で起こっている出来事と出会うことを大切にして 下さい。その中で、子どもはどんな風に学んでいるか、先生ど んな風に子どもの学びを支えようとしているか、子どもと先生 の関係、子ども同士の関係など、様々なことが見えてくると思 います。 • 最終的に「この授業はこうだ」という結論を出す必要はありま せん。授業の出来事と出会って考えたこと、疑問に思ったこと などを最後に振り返ってみてください。 チングルマ グループワーク • テーマは決めません。授業を見て考えたことを 自由に話し合ってみてください。 • できるだけ自分が見た授業の事実に基づいて話 をしてみて下さい。 感想シート • 今日の授業の中で考えたこと、疑問や質問、グループ ワークの中で話し合ったこと、授業に対する要望、なん でもかまいません。 • 必ず、名前、所属、学籍番号を書いて出してください。 (所属は空きスペースに分かるように書いてください) • 授業中に伝えきれなかった質問、意見はメール、もしく はブログを利用してください。 [email protected] http://moral-education.seesaa.net/
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