sociology20140610 - 筑波大学図書館情報メディア系|図書館情報

メディア社会学
2014年6月10日(火)
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1.6社会のなかの葛藤
葛藤の大きな要因
-属性(デモグラフィック要因)の違う者相互の葛藤-
• 年齢 ・・・ 世代差
• 性 ・・・ 女性の進出
• 学歴 ・・・ 階層再生産、生まれ変わり
• 職業 ・・・ 階級闘争、生まれ変わり
• 宗教 ・・・ 支配的宗教
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年齢による葛藤
• 年齢 : 世代間葛藤、親子の対立、全共闘世代、新人類(「世代」と
「年代」の違いに注意)
• 新世代に新しい文化:行動様式(対抗文化)
→ 親世代に反撥
→ 彼らがいずれ親世代に
→ 主流文化に(ブルージーンズの一般化、ロンドン五輪開会式でと
りを務めたポール・マッカートニー「卿」、アキバ系の、漢字の読めな
い元首相・漫画の社会的受容)
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性差による葛藤
• 性役割分業の時代
• 女性の社会進出の時代へ(マイノリティの権利としての女性の権利、ジェン
ダー論)。
• それを支える家庭の領域への産業資本の浸食。家電製品の発達、お総菜
産業の発展
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学歴差による葛藤
• 「階層再生産」(ブルデューPierre Bourdieu 1930-2002/第二次世界
大戦後のフランスの最大の社会学者)の道具か、階層の流動化の
要因か(従来は後者のための武器と考えられた)
(福沢諭吉も「流動化の要因」の方に立つ)
• 前者の考え方・・・教育の差が他の差を拡大再生産。デジタルデバイ
ドの発想と共通。
• 戦後すぐの日本・・・後者の面、強かった。
• 「生まれかわり願望」(苅谷剛彦)
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宗教の違いによる対立・葛藤
• 宗教:支配的宗教か否か
→ 社会変動の大きな要因に。
• 意味世界に関わるし、「政教分離」していない社会においては「権
力」の配分にも密接に関わる
• イラクでのシーア派・スンニ派の対立。
• ケネディ元大統領。
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1.7 自明性への疑いの眼差し
• 現代社会の様々な自明とされる事柄(制度や仕組み)を改めて疑う
• 子供の目で社会をとらえ直す。
• 外国人の眼、あるいは過去の人の眼で、今の時代をみると、別の様
相、異様なものに映る。
→比較による、自己相対化(基本的にどちらかといえば社会を分節化
しない方向かと)
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• 自明とされた制度や規範、習慣等を相対化。あるいは制度、規範等
の意味、理由を探る。
• 例)現象学的社会学、イリッチなどの病院や学校を相対化する歴史
研究
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イリッチの経歴①(ウィキペディアより)
• 「イヴァン・イリイチ」イヴァン・イリイチ(Ivan Illich, 1926年9月4日 2002年12月2日)は、オーストリアのウィーン生まれのユダヤ系知識
人。社会評論家。文明批評家。イバン・イリッチとも表記される。
• 南米での解放の神学などの運動に共感を抱き、のちカトリックから
離れる。 プエルトリコのカトリック大学の副学長を経て、メキシコのク
エルナバカで、世界文化情報センター(CIDOC、ケドック)を主催。こ
のセンターは、1976年に閉鎖。
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イリッチの経歴②
• 学校、交通、医療といった社会的サービスの根幹に、道具的な権力、
専門家の権力を見て、それから離れて地に足を下ろした生き方を模
索。過剰な効率性を追い求めるがあまり、人間の自立、自律を喪失
させる現代文明を批判し、学校教育においては、真に学びを取り戻
すために、学校という制度の撤廃を提言。「脱学校論」として知られ
る。これは、当時のフリースクール運動の中で、指導的な理論のひと
つになった。
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イリッチの経歴③
• また、彼は家庭の主婦の家事労働など、報酬を受けない再生産労
働を「シャドウワーク」(影法師の仕事?鶴見和子の訳)と命名、女性
の家庭内労働の捉え方で新しい視点を提示したことでも知られてい
る。
著書
• 『脱学校の社会』 (1971)
• 『シャドウワーク』 (1981)
• 『脱病院化社会』 (1975)
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イリッチの写真
http://d.hatena.ne.jp/asin/4938710560http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0436.html
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『脱学校の社会』①
• 通念「学校・・・賢くする施設」
• イリッチの逆説「学校・・・バカ製造器」
• なぜこういうことがいえるのか?
• 好きなアーティストは?
• 『源氏物語』、ビートルズの学校化(教科書掲載←Sirの称号)
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『脱学校の社会』②
• 制度のもつ落とし穴
• 自ら学ぶ力vs制度
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『脱病院社会』
• 常識「病院は健康を維持するための施設」
• イリッチ「病院は病気を作る施設」
• これも制度の落とし穴
• 病院・・・医療関係者の生活のための施設
• 自己治癒力、自然治癒力vs薬漬け、検査漬け
• 医原病
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『シャドウ・ワーク』①
• (旧来の)常識「(専業主婦のいる家庭の場合)男が女性を食べさせ
ている」
• (25年前の「わたおに」での台詞)
• イリッチ「(専業主婦であっても)家計に貢献している」
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『シャドウ・ワーク』②
• フェミニストからの肯定と否定
• 沖縄経済との関係(玉野井芳郎)
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• イリッチの例を離れて、少し、社会の自明性とされる枠組み、慣習を
突き放して捉えるということを、別の実例で見てみよう。
• 韓流ドラマ
• 現象学的社会学
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韓国(韓流)ドラマの様式とリアリティ
• 財閥、不治の病、プラトニックな愛といったお約束の
道具立て
• 自明になったものを異邦人の眼によって捉え直す
→日本にいる韓国人留学生に韓国ドラマについて聞
く。
→向こう(韓国)に居る時:自然なもの
日本:リアリティが欠如したもの
と考えるようになったという。
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様式のなかでの美
• 浮世絵の歌舞伎役者の眼
• 平安美人の眼
• →当時の美男美女がその通りであったかは(?)
• 一昔前の少女漫画の眼・・・現実には奇妙(「ウソップランド」という30
年前の深夜番組に出てきた「怪物ランド」の芸)・・・いまのプリクラ?
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現象学的社会学での日常生活の
自明性への疑い・・・
•多元的現実論
 我々が〈現実〉と呼んでいるもの=多元的な領域から成る
意味の秩序として主観的に構成されたものにすぎない。
 それでも〈現実〉が客観的拘束力を持つのは、〈現実〉が主
体的に構造的に〈内在化〉されるため。
 このような〈現実〉構築のプロセスは本質的に社会相互作
用の場と切り離すことができない
作田啓一・井上俊編『命題コレクション社会学』1986,p.51より(一部改変)
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コスモス/ノモス/カオス①
バーガー(Peter Ludwig Berger)の用語
• ノモス
• 自らの経験に秩序を与える意味世界〔規範〕。
• 社会に参加し、共通の意味世界を分かち合うことによって
成立する。
• →反対語がanomosつまりアノミー
• コスモス
• ノモスの上位に秩序付けられた世界観
• 例:宗教など。
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コスモス/ノモス/カオス②
• カオス
• ノモスを揺らがせる、日常を攪乱する出来事
• 身近な者の病気や死や災害など。旧来の意味世界では
解釈できない出来事
• ノモスはコスモスによってたえず再構築されなければ
ならない
『社会学のエッセンス』有斐閣,1995,p.274 より(一部補足あり)
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ピーター・バーガー(1929-)
• 現象学的社会学者。この学派の始祖アルフレッド・シュッツ(18991959)の弟子。プロテスタントの牧師でもある。シュッツの現象学的
社会学を明快にしたとされる。デュルケムの統合を重んじる方法論
とウェーバーの個人の行為の意味理解を積みあげていく方法論の
統合をした。(なおシュッツはフッサールの現象学とウェーバーの理
解社会学の統合をめざした)。
http://teoriesdelacomunicacio.wikispaces.com/Berger+i+Luckmann及び
http://analisisinstitucional1.wordpress.com/2012/05/20/peter-ludwig-berger/
エポケー(哲学的判断停止)①
• 現象学的エポケー
• 現象学は、デカルト的懐疑という方法を徹底化することに
よって、世界の現実性に対する我々の暗黙の信念を停止
することを教えてきた。
• シュッツによると、これは現象学的エポケーとよばれ
る。
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エポケー(哲学的判断停止)②
• 自然的態度のエポケー
• 日常世界の中で生活している人びとの自然的態度は世界は
見かけどおりではないのではないか、という疑いを括弧に入れ
ることで成立している。
• そこでは、世界が経験されるとおりの形でそこにあることが素
朴に信じられ、その存在根拠は問われることなく自明的に理解
されている。
• シュッツはこれを自然的態度のエポケーとよぶ。
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エポケー(哲学的判断停止)③
• 現象学的還元
• 現象学は、自然的態度におけるあらゆる自明的理解を
いったん括弧に入れ、意識に直接現れるがままの「事象
そのもの」へ向かおうとする。
• 現象学還元とよばれる操作によって、世界は素朴な
実在であることを止め、純粋な意識的生の流れに現
れるがままの「現象」となる。
『命題コレクション社会学』1986,pp.52-53より
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自明とされる世界を括弧に入れると
• 我々は、それぞれ多様な世界、多様な物の見方(世界
観)があり得ることに気付かされる。
• しかし、多様な現実、多様な世界観のなかでも自分たち
が自明とする現実を「至高の現実」と捉えていることに気
づく。
• そのような「至高の現実」は、自分たちの社会的相互作
用(教育による文化伝承や習慣、規範に基づく色々な相
互行為、コミュニケーション等)によって構築されたもので
あることに思い至る。(→社会構築主義の立場)
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• 命に関わる病気、大災害などを想定したり、身近な
者の死に直面すると・・・
→ 今まで自明のものとしてきた世界が異なって眺め
られるようになる。
→ 異界からの眼、異邦人の視線で眺め直すことが可
能になる。
• つまり、エポケーのようなものを強制的に迫られると
言える。・・・今まで自明のものとしてきた世界、「至高
の現実」に疑いの眼を。
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神義論①
• バーガーによると・・・
• こういったコスモスの変化は「神義論」に関係する。
• 神義論(弁神論)theodicy
• ライプニッツに由来する用語。
• 端的に言えば、神がこの世界を創造したにもかかわらず、な
ぜ悪や苦難が存在するのか、なぜこの世では義人が苦しみ
悪人が栄えるのか、という疑念に対して、そのような事態は決
して神の存在を脅かすものではなく、むしろ神の存在の否定
が誤りであることを論じて、神を弁護する試みのことを指す。
「ヨブ記」における神義論批判 (http://rc.moralogy.jp/ronbun/360.html)より。
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神義論②
• 人が不幸な事態(大災害や伝染病、幼少の子どもの
死など)に見舞われると・・・
• 自暴自棄あるいはニヒリズムに陥るケース
• 逆に、「だけど神はいる」と信仰世界に入ったり、神の存在
を確信したりするケースも少なくないという。
→ 意味ある世界秩序、コスモスに憧れ、現世の不完
全性、無意味さを自覚するという道筋があり得る。
http://www.iwakimu.ac.jp/~moriyuki/sr/07/sr07.htm より。
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神義論③
• 例えば身近な人が亡くなった際
• 普段は信仰心の弱い人でも、その人が別の世で生きてい
て、亡くなった人のいる「天国」、「来世」があると考える
ケースは多い。
→ 亡くなった者があの世へと旅立ち、見守ってくれている
などと考えることで死というものを合理化しようと考える。
• 失われたものが取り返しがつかないものであればあ
るほど、我々は失った物の価値を自分の意味づけの
体系の中で下げることで、失った事実を軽く見積もる
合理化を図る。
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神義論④
• 「失った事実を軽く見積もる」=この世の生(故人が失ったもの)を軽
くする・・・もっと価値あるものとして「あの世」の存在を想定する
• こういう合理化は、例えばふられた友人に慰める場合を想起すると
良い。
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• 〔バーガー自身の説明1〕(ウェーバーのいう)弁神論とは、人間の悩
み苦しみの体験に意味を与える釈明のことである。人間のほとんど
の歴史を通じて、宗教はそのような「弁神論」を提供してきた。自然
のもたらしたものであれ社会のもたらしたものであれ、人間のもっと
も耐え難い体験に対してさえも、宗教は、さまざまに意味づけをして
きた。近代社会は宗教的弁神論の信憑性をおびやかしておきながら、
弁神論を必要とするような人間の不幸な体験を完全に取り除いたわ
けではなかった。人は相変わらず病苦や死に打ちのめされ、社会的
不正や収奪に苦しんでいる(バーガーほか『故郷喪失者たち』邦訳、
215)
• 〔バーガー自身の説明2〕不条理な現象は、それを何とか切り抜ける
必要があるばかりでなく、その理由を説き明かされる。つまり当該社
会に構築されたノモスをもって説明されなければならない。その理論
上の洗練度はいかにもあれ、宗教的正当化の手段をもってこうした
現象を説明することを神義論(theodicy)と呼んでよかろう。・・・あら
ゆるノモスは必然的に個人性の超越を伴うものであり、だからこそ、
それらは事実上神義論を意味するのである。すべてのノモスは、一
つの意味深い実在として個人の前に立ちはだかり、彼と彼の全経験
を包み込む。それは、彼の生活に意味を与え、さらには、その矛盾と
苦痛に満ちた断面にもまた意味を賦与する(『聖なる天蓋』邦訳7981・表記等一部修正)。
• 〔ウェーバーの幸福の神義論〕幸福な人間は、自分が幸福を得てい
るという事実だけではなかなか満足しないものである。それ以上に
彼は、自分が幸福であることの正当性をも要求するようになる。自分
はその幸福に「値する」、なによりも、他人と比較して自分こそがその
幸福に値する人間だとの確信が得たくなる。・・・この幸福の正当化
ということこそ、いっさいの支配者・有産者・勝利者・健康な人間、つ
まり幸福な人々の外的ならびに内的な利害関心のために宗教が果
たさなければならなかった正当化という仕事のもっとも一般的な形式
であり、これが幸福の神義論と呼ばれるものである。(『宗教社会学
論選』邦訳41-42)
• 〔ウェーバーの苦難の神義論〕これに対して、この観点を逆転させて、
苦難の宗教的聖化へと至らしめる道程ははるかに複雑である。・・・
ところで、たいていのばあい、救いへの待望のなかから、何らかの苦
難の神義論が生まれてきた。・・・苦難の神義論がルサンティマンに
よって色づけられている、ということはありえた。けれども、此岸にお
ける不運を償いたいという欲求は、その決定的な基調として、必ずし
もルサンティマンの色合いをおびていなかっただけでなく、通例は一
度としてそうした色合いをおぼることはなかった、といってよい。(同
書42-49)。