メディア社会学(第9回) 知識情報・図書館学類・担当・後藤嘉宏 2016年6月13日(火) 1 1.5社会のなかの葛藤 葛藤の大きな要因 -属性(デモグラフィック要因)の違う者相互の 葛藤- • 年齢 ・・・ 世代差 • 性 ・・・ 女性の進出、性的マイノリティの権利 • 学歴 ・・・ 階層再生産、生まれ変わり • 職業 ・・・ 階級闘争、生まれ変わり • 宗教 ・・・ 支配的宗教 2 年齢による葛藤 • 年齢 : 世代間葛藤、親子の対立、全共闘世 代、新人類(「世代」と「年代」の違いに注意) • 新世代に新しい文化:行動様式(対抗文化) → 親世代に反撥 → 彼らがいずれ親世代に → 主流文化に(ブルージーンズの一般化、ロ ンドン五輪開会式でとりを務めたポール・マッ カートニー「卿」、アキバ系の、漢字の読めな い元首相・漫画の社会的受容) 3 性差による葛藤 • 性役割分業の時代から共同参画社会に – 女性の社会進出の時代へ(マイノリティの 権利としての女性の権利、ジェンダー論)。 – それを支える家庭の領域への産業資本の 浸食。家電製品の発達、お総菜産業の発 展 – 男性も家事育児分担 4 • 性的マイノリティの権利への意識 -子孫を残すこと、家を守ることという意識が先 進諸国において薄れる(「家」の観念がそもそも 男女同権だと成り立ちにくい)→性愛と子孫とを 切り離す -性における自己決定権の尊重 -多様性への配慮 -もちろん、これに反対する層も根強くいて、アメ リカ大統領選挙でも争点に。(例、トランプ候補) 5 学歴差による葛藤 • 「階層再生産」(ブルデューPierre Bourdieu 19302002/第二次世界大戦後のフランスの最大の社 会学者) • 学歴は階層再生産の道具か、階層の流動化の要 因か(従来は後者のための武器と考えられた) (福沢諭吉も「流動化の要因」の方に立つ) • 前者の考え方・・・教育の差が他の差を拡大再生 産。デジタルデバイドの発想と共通。 • 戦後すぐの日本・・・後者の面、強かった。 • 「生まれかわり願望」(苅谷剛彦)・・・流動化の夢 6 で大学産業・受験産業は成立する 宗教の違いによる対立・葛藤 • 宗教:支配的宗教か否か → 社会変動の大きな要因に。 • 意味世界に関わるし、「政教分離」していない 社会においては「権力」の配分にも密接に関 わる – イラクでのシーア派・スンニ派の対立。 – ケネディ元大統領。 7 1.6 自明性への疑いの眼差し • 現代社会の様々な自明とされる事柄(制度や 仕組み)を改めて疑う • 子供の目で社会をとらえ直す。 • 外国人の眼、あるいは過去の人の眼で、今 の時代をみると、別の様相、異様なものに映 る。 →比較による、自己相対化(基本的にどちらか といえば社会を分節化しない方向かと) 8 • 自明とされた制度や規範、習慣等を相対化。 あるいは制度、規範等の意味、理由を探る。 • 例)現象学的社会学、イリッチなどの病院や 学校を相対化する歴史研究 9 イリッチの経歴①(ウィキペディアより) • 「イヴァン・イリイチ」イヴァン・イリイチ(Ivan Illich, 1926年9月4日 - 2002年12月2日)は、 オーストリアのウィーン生まれのユダヤ系知 識人。社会評論家。文明批評家。イバン・イ リッチとも表記される。 • 南米での解放の神学などの運動に共感を抱 き、のちカトリックから離れる。 プエルトリコの カトリック大学の副学長を経て、メキシコのク エルナバカで、世界文化情報センター(CIDOC、 ケドック)を主催。 10 イリッチの経歴② • 学校、交通、医療といった社会的サービスの 根幹に、道具的な権力、専門家の権力を見て、 それから離れて地に足を下ろした生き方を模 索。過剰な効率性を追い求めるがあまり、人 間の自立、自律を喪失させる現代文明を批 判し、学校教育においては、真に学びを取り 戻すために、学校という制度の撤廃を提言。 「脱学校論」として知られる。これは、当時の フリースクール運動の中で、指導的な理論の ひとつになった。 11 イリッチの経歴③ • また、彼は家庭の主婦の家事労働など、報酬 を受けない再生産労働を「シャドウワーク」 (影法師の仕事?鶴見和子の訳)と命名、女性 の家庭内労働の捉え方で新しい視点を提示 したことでも知られている。 著書 • 『脱学校の社会』 (1971) • 『シャドウワーク』 (1981) • 『脱病院化社会』 (1975) 12 イリッチの写真 http://d.hatena.ne.jp/asin/4938710560http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0436.html 13 『脱学校の社会』① • 通念「学校・・・賢くする施設」 • イリッチの逆説「学校・・・バカ製造器」 • なぜこういうことがいえるのか? • 好きなアーティストは? • 『源氏物語』、ビートルズの学校化(教科書掲 載←Sirの称号) 14 『脱学校の社会』② • パッケージ化・・・本来の面白さを殺ぐ • 与えられる。出来合の質問があり、正しい答 えもある。自分の頭で考えない。 • 例、ラルース社の古典文学のテキスト • 制度のもつ落とし穴 • 自ら学ぶ力vs制度 15 『脱病院社会』 • 常識「病院は健康を維持するための施設」 • イリッチ「病院は病気を作る施設」 • これも制度の落とし穴 • 病院・・・医療関係者の生活のための施設 • 自己治癒力、自然治癒力vs薬漬け、検査漬 け • 医原病 16 『シャドウ・ワーク』① • (旧来の)常識「(専業主婦のいる家庭の場 合)男が女性を食べさせている」 • (25年前の「わたおに」での台詞) • イリッチ「(専業主婦であっても)家計に貢献し ている」 17 『シャドウ・ワーク』② • フェミニストからの肯定と否定 • 沖縄経済との関係(玉野井芳郎) 18 • イリッチの例を離れて、少し、社会の自明性と される枠組み、慣習を突き放して捉えるという ことを、別の実例で見てみよう。 • 韓流ドラマ • 現象学的社会学 19 韓国(韓流)ドラマの様式とリアリティ • 財閥の御曹司と庶民の娘、不治の病、プラト ニックな愛といったお約束の道具立て • 自明になったものを異邦人の眼によって捉え 直す →日本にいる韓国人留学生に韓国ドラマにつ いて聞く。 →向こう(韓国)に居る時:自然なもの 日本:リアリティが欠如したものと考えるよう 20 になったという。 様式のなかでの美 • 浮世絵の歌舞伎役者の眼 • 平安美人の眼 →当時の美男美女がその通りであったかは (?) • 一昔前の少女漫画の眼・・・現実には奇妙 (「ウソップランド」という30年前の深夜番組に 出てきた「怪物ランド」の芸)・・・いまのプリク ラ? 21 現象学的社会学での日常生活の 自明性への疑い・・・ •多元的現実論 我々が〈現実〉と呼んでいるもの=多元的 な領域から成る意味の秩序として主観的 に構成されたものにすぎない。 22 それでも〈現実〉が客観的拘束力を持つ のは、〈現実〉が主体的に構造的に〈内 在化〉されるため。 このような〈現実〉構築のプロセスは本 質的に社会的相互作用の場と切り離す ことができない 作田啓一・井上俊編『命題コレクション社会学』1986,p.51より(一部改変) 23 コスモス/ノモス/カオス① バーガー(Peter Ludwig Berger)の用語 • ノモス – 自らの経験に秩序を与える意味世界 〔規範〕。 – 社会に参加し、共通の意味世界を分か ち合うことによって成立する。 – →反対語がanomosつまりアノミー 24 コスモス/ノモス/カオス② • コスモス – ノモスの上位に秩序付けられた世界観 – 例:宗教など。 • カオス – ノモスを揺らがせる、日常を攪乱する出 来事 25 – 身近な者の病気や死や災害など。旧来の 意味世界・規範では解釈できない出来事 • ノモスはコスモス(いわばノモスのメタレベル の意味づけ機能をもつ宗教等)によってたえ ず再構築されなければならない 『社会学のエッセンス』有斐閣,1995,p.274 より(一部補足あり) 26 ピーター・バーガー(1929-) • 現象学的社会学者。この学派の始祖アルフ レッド・シュッツ(1899-1959)の弟子。プロテス タントの牧師でもある。シュッツの現象学的社 会学を明快にしたとされる。デュルケムの統 合を重んじる方法論とウェーバーの個人の行 為の意味理解を積みあげていく方法論の統 合をした。(なおシュッツはフッサールの現象 学とウェーバーの理解社会学の統合をめざし た)。 http://teoriesdelacomunicacio.wikispaces.com/Berger+i+Luckmann及び http://analisisinstitucional1.wordpress.com/2012/05/20/peter-ludwig-berger/ エポケー(哲学的判断停止)① • 現象学的エポケー – 現象学は、デカルト的懐疑という方法を 徹底化することによって、世界の現実 性に対するすることを教えてきた我々 の暗黙の信念を停止。 • シュッツによると、これは現象学的エポ ケーとよばれる。 29 エポケー(哲学的判断停止)② • 自然的態度のエポケー – 日常世界の中で生活している人びとの自然的 態度は世界は見かけどおりではないのではな いか、という疑いを括弧に入れることで成立し ている。 – そこでは、世界が経験されるとおりの形でそこ にあることが素朴に信じられ、その存在根拠は 問われることなく自明的に理解されている。 • シュッツはこれを自然的態度のエポケーと よぶ。(現象学的エポケーのいわば逆) 30 エポケー(哲学的判断停止)③ • 現象学的エポケー – 現象学は、自然的態度におけるあらゆ る自明的理解をいったん括弧に入れ、 意識に直接現れるがままの「事象その もの」へ向かおうとする。 • 現象学エポケーとよばれる操作によって、 世界は素朴な実在であることを止め、純粋 な意識的生の流れに現れるがままの「現 象」となる。 『命題コレクション社会学』1986,pp.52-53より 31 自明とされる世界を括弧に入れると • 日常世界を否定したり疑ったりするのではな いが、それが実在(リアリティ・真実の存在)で あるとはまずは考えない。 • 我々は、それぞれ多様な世界、多様な物の 見方(世界観)があり得ることに気付かされる。 • しかし、多様な現実、多様な世界観のなかで も自分たちが自明とする現実を「至高の現 実」と捉えていることに気づく。 32 • そのような「至高の現実」は、自分たちの社会 的相互作用(教育による文化伝承や習慣、規 範に基づく色々な相互行為、コミュニケーショ ン等)によって構築されたものであることに思 い至る。(→社会構築主義の立場) • そこで、命に関わる病気、大災害などを想定 したり、身近な者の死に直面すると・・・ 33 今まで自明のものとしてきた世界が異なって 眺められるようになる。 → 異界からの眼、異邦人の視線で眺め直すこ とが可能になる。 • つまり、エポケーのようなものを強制的に迫ら れると言える。・・・今まで自明のものとしてき た世界、「至高の現実」に疑いの眼を。 • (しかしコスモス=宗教は否定されないのは、 バーガーが牧師でもあるからかも) 34 神義論 • バーガーによると・・・ – こういったコスモスの変化は「神義論」に関係する。 • 神義論(弁神論)theodicy – 端的に言えば、神がこの世界を創造したにもか かわらず、なぜ悪や苦難が存在するのか、なぜ この世では義人が苦しみ悪人が栄えるのか、と いう疑念に対して、そのような事態は決して神の 存在を脅かすものではなく、むしろ神の存在の否 定が誤りであることを論じて、神を弁護する試み のことを指す。 「ヨブ記」における神義論批判 (http://rc.moralogy.jp/ronbun/360.html)より。 35 • 人が不幸な事態(大災害や伝染病、幼少の 子どもの死など)に見舞われると・・・ – 自暴自棄あるいはニヒリズムに陥るケース – 逆に、「だけど神はいる」と信仰世界に入ったり、 神の存在を確信したりするケースも少なくないと いう。 → 意味ある世界秩序、コスモスに憧れ、現世 の不完全性、無意味さを自覚するという道筋 があり得る。 http://www.iwakimu.ac.jp/~moriyuki/sr/07/sr07.htm より。 36 • 例えば身近な人が亡くなった際 – 普段は信仰心の弱い人でも、その人が別 の世で生きていて、亡くなった人のいる「天 国」、「来世」があると考えるケースは多い。 → 亡くなった者があの世へと旅立ち、見 守ってくれているなどと考えることで死とい うものを合理化しようと考える。 37 • 失われたものが取り返しがつかないものであ ればあるほど、我々は失った物の価値を自分 の意味づけの体系の中で下げることで、失っ た事実を軽く見積もる合理化を図る。 • 「失った事実を軽く見積もる」=この世の生 (故人が失ったもの)を軽くする・・・もっと価値 あるものとして「あの世」の存在を想定する • こういう合理化は、例えばふられた友人に慰 める場合を想起すると良い。 38 • 〔バーガー自身の説明1〕(ウェーバーのいう)弁神 論とは、人間の悩み苦しみの体験に意味を与える 釈明のことである。人間のほとんどの歴史を通じて、 宗教はそのような「弁神論」を提供してきた。自然の もたらしたものであれ社会のもたらしたものであれ、 人間のもっとも耐え難い体験に対してさえも、宗教 は、さまざまに意味づけをしてきた。近代社会は宗 教的弁神論の信憑性をおびやかしておきながら、弁 神論を必要とするような人間の不幸な体験を完全に 取り除いたわけではなかった。人は相変わらず病苦 や死に打ちのめされ、社会的不正や収奪に苦しん でいる(バーガーほか『故郷喪失者たち』邦訳、215) • 〔バーガー自身の説明2〕不条理な現象は、 それを何とか切り抜ける必要があるばかり でなく、その理由を説き明かされる。つまり 当該社会に構築されたノモスをもって説明 されなければならない。その理論上の洗練 度はいかにもあれ、宗教的正当化の手段 をもってこうした現象を説明することを神義 論(theodicy)と呼んでよかろう。 • ・・・あらゆるノモスは必然的に個人性の超越 を伴うものであり、だからこそ、それらは事実 上神義論を意味するのである。すべてのノモ スは、一つの意味深い実在として個人の前に 立ちはだかり、彼と彼の全経験を包み込む。 それは、彼の生活に意味を与え、さらには、 その矛盾と苦痛に満ちた断面にもまた意味を 賦与する(『聖なる天蓋』邦訳79-81・表記等一 部修正)。 41 • 〔ウェーバーの幸福の神義論〕幸福な人間は、 自分が幸福を得ているという事実だけではな かなか満足しないものである。それ以上に彼 は、自分が幸福であることの正当性をも要求 するようになる。自分はその幸福に「値する」、 なによりも、他人と比較して自分こそがその 幸福に値する人間だとの確信が得たくなる。 • ・・・この幸福の正当化ということこそ、いっさ いの支配者・有産者・勝利者・健康な人間、 つまり幸福な人々の外的ならびに内的な利 害関心のために宗教が果たさなければなら なかった正当化という仕事のもっとも一般的 な形式であり、これが幸福の神義論と呼ばれ るものである。(『宗教社会学論選』邦訳41-42 ) 43 • 〔ウェーバーの苦難の神義論〕これに対して、 この観点を逆転させて、苦難の宗教的聖化 へと至らしめる道程ははるかに複雑であ る。・・・ところで、たいていのばあい、救いへ の待望のなかから、何らかの苦難の神義論 が生まれてきた。 • ・・・苦難の神義論がルサンティマンによって 色づけられている、ということはありえた。け れども、此岸における不運を償いたいという 欲求は、その決定的な基調として、必ずしも ルサンティマンの色合いをおびていなかった だけでなく、通例は一度としてそうした色合い をおぼることはなかった、といってよい。(同書 42-49)。 45
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