JNK001002

天理大学人権問題研究室紀要
第10 号 :37
一 50 , 2007
人間の安全保障と 人権
竹村和也
細 MU
℡
袖 Kazuya
活用」,「国際社会における協調と連携」と
] . 人間の安全保障
「人間の安全保障 (Human Securitty)
という概念が 用いられるようになって 久しい。
」
また,これが有名な「恐怖からの
自由」,「欠
び, 我が国の新 ODA
つともなっている。
間の安全保障の
並
大綱における 指針の一
そこでは以下のように 人
視点が説明されている。
「
紛
手・災害や感染症など ,人間に対する 直接的
乏からの自由」という 要素によって 構成され
な脅威に対処するためには
た概念であ ることも周知のことであ ろう。 人
間の安全保障を 最初に唱えた 国連事務総長で
点や地域・
,グローバルな視
国 レベルの視点とともに ,個々の
人間に着目した 人間の安全保障の 視点で考え
あ る ガリ に引き続き, 2000 年 9 月の国連ミ ン
ることが重要であ る。 このため,我が国は ,
ニアム・サミットで ,アナン両国連専務総長
人づくりを通じた
は 「欠乏からの 自由」と「恐怖からの 自由」
た ODA
という二つの 目標を 21 世紀の最優先事項とす
開発に至るあ らゆる段階において ,尊厳ある
べきであ ると提案した。
この二つの自由は , 我が国の憲法前文にお
人生を可能ならしめるよう ,個人の保護と 能
力 強化のための 協力を行 ぢ Ⅰ
いて「恐怖と 欠乏から 免 かれ,平和のうちに
さらに, 1999 年には日本の 拠出した資金に
地域社会の能力強化に 向け
を実施する。 また,紛争,
時 より復興
生存する権 利」という文言で 平和的生存権 と
より国連に人間の 安全保障基金がつくられ
して取り込まれていることもあ
様々な案件が 実施されてきた。
り,人間の安
,
また 2001 年に
全保障という 考え方は日本の 外交政策上の 重
要な 焦点の一つとされてきている。 我が国の
は,人間の安全保障委員会が 日本の発案によ
人間の安全保障についての 取り組みは, 故 小
の安全保障についての 理解,人間め安全保障
脅
渕 総理により,人間の 生存,生活,尊厳を
概念の立案,具体的行動計画の
り設置された。 この委員会は 国際社会の人間
策定を目的と
かす脅威を包括的に 捉え,これらに取り組む
するもので,元国連難民高等弁務官の
ための基本概念と 位置付けられたことが 情夫
子とアマルティア・センが
となったわけであ るが,「人間の 安全保障の
2003 年には報告書が 事務総長に提出された。
視点」はさらに ,
「開発途上国の 自助努力 支
緒方貞
共同議長を務め ,
しかしながら ,人間の安全保障の 意味内容
援」,「(途上国の社会的格差に 考慮するとい
については依然として 議論がなされている 状
6) 公平性の確保」,「我が国の経験と知見の
態であるし,特に人権との関連について
天理大学非常勤
調師
A@Part
論及
,Time@University@Lecturer
37
人間の安全保障と人権
されることが 少ない。 本稿は人間の 安全保障
フティ・ネットなどの 経済的安全を 保障する
概念について 検討し,その過程で人間の 安全
「経済の安全保障」,基本的な 食料を入手す
保障と人権 の関係について 考察することを
目
るための「食料の 安全保障」,健康の 安全を
保障する「健康の 安全保障」,人間が 依存す
的とする。
る物理的環境破壊からの 安全を保障する 環境
2. 人間の安全保障と 人間開発
「人間の安全保障」という 言葉が一般に 用
1994 年の UNPD
いられる契機となったのが
(国連開発計画 ) による『人間開発報告書
の安全保障,肉体的拷問や 戦争,民族紛争な
どの暴力から 身を守る「個人の 安全保障」,
人種的・民族的な 集団への帰属やその 帰属に
コ
であ る。 これによれば ,現在我々は飢餓や貧
より不利を被らないことを 保障する「地域社
会の安全保障」,基本的人権 が保障され, 国
困,病気,戦争,環境汚染,麻薬やテロなど
の 圧制から守られる「政治の
の犯罪,失業や教育の欠如などの 人間の生活
や尊厳を脅かす 脅威に取り囲まれ ,
これが不
安全保障」に っ
いても説明を 加えている。
後に述べるように ,人間の安全保障は 開発
安を生み出している。 このような中で 多くの
の文脈に留まらない 膨らみを持つ 概念であ
り
人々にとって 安全とは,病気や飢餓,失業,
開発 手 のみならず安全保障論,平和学など
犯罪,社会の孔 礫 ,政治的弾圧,環境災害な
様々な文脈で 語られうる。 しかし,人間の 安
どの脅威から 守られていることを 意味してい
全保障は ITNDP
るのであ って, これらの脅威から 人々を保護
って認知されるに 至った概念であ り, UNDP
することが人間の 安全保障だと 理解されたの
は 人間の安全保障を「開発の 新しいパラダイ
であ る。 さらに,人間の 安全保障委員会報告
ム」として捉えていた。 従って,人間の安全
書の人間の安全保障の 定義に従えば ,人間の
保障は, UNDP
の『人間開発報告書
コ
によ
によってこれまで 提唱され
安全保障とは ,これらの脅威から 人間を保護
てきた「人間開発 (HumanDevelopmentH
することで「人間の 上にとってかけがえのな
概念と類似性を 帯びざるをえない。 そこで,
い 中枢部分を守り
次に両者の関係について 簡単に押さえておく
,すべての人の自由と可能
性を実現すること」であ
い く上でなくてはならない
り,「人間が生きて
基本的な自由を
護し,広範かっ深刻な状況から
擁
ことにしよう。
人間開発は,周知のように1990 年より
と」だとされている (Comm sSsiononHuman
lINDP, 特にマーブブル・ハク (MahbubUl
Haa) によって提唱されてきた 考え方であ る。
Secu 「
ity
これは,従来の 開発哲学,つまり ,開発を経
人間を守るこ
土
2003,4.
訳 nl 頁 ) 。 また,人間の 安
全保障は,これらの 脅威に対処するための 概
済発展と同視し ,経済開発= 経済インフラの
念として提案されたのであ
整備を中心とする 開発哲学が貧富の 格差の深
るが,これらの 脅
威からの不安の 除去には,これまでの 狭い国
刻化や社会的弱者の 増大などの問題を 引き起
家安全保障の 視点では不 -l-分であ
こしたことを 踏まえて,開発の目的を「人間
開発」に置く 考え方であ る。 開発の目的の 人
の安全保障という 新たな見方が
って,人間
必要になると
主張される。
間開発とは,単に 所得を得ることにとどまら
また,人間開発報告書は
る脅威を大別し
38
人間の安全に 対す
,その観点から ,雇用やセー
ず,永く健康な生活を送ること
,教育を受け
ること,人間らしい 生活にふさわしい 資源 へ
の アクセス手段をもつことなどの
最重要な選
における上昇過程における
進歩と増大に 主眼
択はもちろん ,政治的自由,人権
の保障,自
をおくのであ って,人間の生活を改善するた
己尊厳などを 含めて,「人々の 選択と機会の
めに人間の開発
幅を拡大させること」であ
る
(UNDPfg90
,
む。
国際開発の方法として
人間開発に似たアプ
ローチ,すなわち ,貧困層の生活必需品や ,
医療・保険・ 教育などの「人間の
要
」
(BHN: Basic Human
基本的 必
Needs) を重視
(= 実質的自由
) を強調する。
それに対して ,人間の安全保障は
安全の突然
の剥奪によって 人間の生存や 生活が悪化する
局面におけるリスク (downside
rlsめ 」に特別な関心を 向け,不安を減らし,
排除することを 目的とするものであ る (Sen
2003, 8. 訳32 頁 ) 。 従って,両者は自由の拡
「
-ド降
し基本的な財や 社会的サービスの 提供の ノ、
大を目指すのか ,自由の削減の阻止を目指す
要性を唱えるアプローチが 7c@
年から提唱され
のかという点で 対象への接近方法の
ていたが,「人間の 基本的必要」アプローチ
るものの,両者は 対象を同じくする 概念だと
と「人間開発」アプローチは 異なる。 周知の
考えても良いだろう。
違いはあ
ように,「人間開発」はアマルティア・セン
(Amartya Sen) の「潜在能力」アプロー
価されるのは
チをもとにしたものであ
るという接近方法のためであ ると考えられる。
人間の安全保障が 実際的な概念であ
る。 センによると ,
ると 評
,一%には,この
脅威に直目す
人間が価値を 認める活動 (機能) には,例え
人々の間で,何が菩 なのか, どのような状態
ば栄養摂取や 適切な医療から 地域生活への 参
が達成されるべき 状態であ るのかについて 合
加まで様々あ るが,人は財を 利用することで
意を得るのは 難しいが,何が悪なのか, どの
これらの活動を 行なうことができる。 しかし,
人間は身体的・ 精神的能力でも ,資産や社会
ような状態が 回避されるべき 状態であ るのか,
またどのような 状態が人間の 尊厳の剥奪され
的環境でも異なっているから ,ある人が実際
た悲惨な状態であ るのかは,人々の 有する 共
に何をできるのか , またどのような 状態にな
憾め力 によって合意が 容易であ ると 思、 われる
ることができるのかは ,その人の特性と 財に
からであ る。
よって異なる。 そして,ある人にとって 実際
に達成可能な 活動の組み合わせ
幅)
を
セン
は潜在能力
(選択肢の
3, 人間の安全保障概俳の 特徴
(capabi北 y) と呼ぶ。
次に,人間の安全保障委員会報告書を 手掛
Ⅰ
つまり,潜在能力は 当人にとって 価値のあ
る
かりにして,更に 人間の安全保障概俳の 特徴
生活を選ぶ実質的自由を 意味している。 そし
について検討することとしよう。
てこの実質的自由の 拡大が「人々の 選択と 機
と
会の幅を拡大させること」なのであ
する点として 挙げられているのは ,①国家で
る。
人間の安全保障においても ,その究極の目
これによる
,人間の安全保障が国家の安全保障を 補完
的が人間らしい 生存や生活を 確保し人間の
はなく人間そのものを 保護する対象と 捉える
こと,すなわち 人間中心であ ること,②軍事
自由を拡大させることであ るから,人間の 安
力による軍事的脅威ではなく ,人間の生存,
全保障と人間開発の 間に本質的な 違いはない
生活,尊厳を脅かす多様な 全般的脅威を 視野
と
理解してよ い だろう。 センによれば ,両者
0 差異は,人間開発は 人間の自由の 達成水準
に入れていること ,③安全の担い手として 国
家 のみではなく ,多くの担い手を想定してい
人間の安全保障と人権
ること,④保謹だけでなく,人々が行動する
という事態が 出現したことも 理由の一つであ
能力を強化することであ る。 以下, これらの
る。
さらに,例えば環境破壊,水問題,感染症,
点について詳しく 検討することにする "
麻薬や国際テロリズムなどの 犯罪,さらには
人間中心
まず,人間の 安全保障は人間中心であ り,
経済的バローバリゼーションの 進展とともに
従来の国家中心の 安全保障との 対 上ヒにおいて
金融危機及びその 管理の問題, また貧困や格
捉えられている。 国家の安全保障では ,脅威
差の拡大などの 一国では対処できない 国境を
は他国からの 軍事的な脅威に 限定されており
越えた問題が 生じてきたことも ,人間の安全
この脅威に対して 国家の安全を 確保すること
保障が問われ 始めたことの 理由となっている。
従来の安全保障と 人間の安全保障の 関係に
によって ,
延いては国民の 安全が保障される
と想定されてきた。 しかし,確かに 他国によ
る
侵略の可能性は 自国の安全と 国民の安全に
近年のアジア 通貨危機に見られたような 経済
ついて, ITNDP
も
と人間の安全保障委員会と
,両者は排他的な 関係にあ るのではなく ,
的なものだと 認識している。 確かに,主
対する脅威ではあ るが,それのみが安全に対
相ネ甫
する脅威ではなく ,国家の安全保障だけでは
権 国家により構成されている 国際社会におい
現在人間が抱えている 様々な脅威に 対して-l-
ては,人々に安全を提供する 第 - 次的な責任
分な対処とはなりえない。 このような認識か
ら,領土偏重の 安全保障ではなく ,人間を重
があ るのは国家であ り,人間の安全保障とい
視した安全保障として ,そして軍事 J に対す
もそも国家による 自国民の安全の 提供が十分
る安全保障ではなく ,多様な脅威に対する 安
に行われているとすれば ,人間の安全保障が
全保障として ,人間の安全保障が論じられる
問われる理由もなさそうであ る。 従って,主
権 国家体制の下で 個人の安全は 国家によって
フ
ようになったのであ
る。
人間の安全保障が 唱えられるようになった
う名目で安易な 介入も許されない。 また,そ
保障されることで 初めて意味あ るものとなる
例えば破綻国家
という現実を 踏まえれば,「個人の 安全保障
(hiledstate) や脆弱な国家 (weekstate)
は国家の安全保障の 否定の上には 成り立ちえ
具体的な理由は ,
一つぼは ,
にみられるように ,国家はしばしば安全提供
ない」という 言明は正しいであ ろう。 しかし,
の責任を果たすことができず
国家や国民ではなく 人間そのものを 中心に置
,場合によって
は 自国民の安全を 脅かす脅威そのものともな
く人間の安全保障は ,国家を超えた普遍的な,
っているという 場合があ
あ るいはコスモポリタンな 概念であ って , 上
るからであ る。 また,
難
の言明は人間の 安全保障という 概念そのもの
民・ 庇謹中 読者や移民・ニューカマ 一に対す
0 分析としては 受け入れ難い。 国家が存在し
る保護がなされないなど
ない状態で人間の 安全保障を語ることに 何の
国家による保護を
受けることのできない
,国家の安全保障で
は不十分な場合が 出現するようになったから
矛盾もないからであ る。
であ る。
また,冷戦が終わることにより
,民族的な
紛争や国内紛争が 表面化し , 時には非人間的
な暴力を生み
40
,さらに多くの難民が出現ずる
脅威の多様性
_ 点目の特徴として 脅威の多様性が 挙げら
れる。 人間の生存,生活,尊厳を脅かす脅威
竹村
は軍事的脅威だけではない。 例えば,飢餓や
面 におけるリスクに 最も脆弱な人々の 保護が
貧困,病気や感染症,環境汚染,戦争,麻薬 まず図られるべきだということに 異論はな い
やテロなどの 犯罪,政府による 言論抑圧や少
だろう。
数者弾圧などの 政治的文化的人権 の侵害,失
最後に,生存に関わる脅威は「恐怖」 = 武
業や教育の欠如,または 政府による社会権 侵
力紛争から生じる 脅威と「欠乏」
害など,人間の安全に対する 脅威には多様か
ら生じる脅威に 大別できるであ ろう。 このど
つ広範なものがあ りうる。
ちらに力点を 置くかによって ,武力紛争から
さらに,安全保障の 原語の securlty は う
二
低開発か
生じる脅威に 対応する人間の 安全保障政策と ,
テン語に由来する 言葉であ り,「不安がな
い
という主観的な 状態を意味するという 語源的
低開発から生じる 脅威に対応する 人間の安全
な分析を引くまでもなく ,例えばグローバリ
であ ろう。
」
保障政策に一応の 区別を行うことは 許される
ゼーションに 伴う人や情報の 交換の飛躍的拡
大と生活構造の 変化に よ る ア イデンティティ
の喪失,あるいは大量の 移民の流入に よ る既
多様な担い手と 包括的な取り 組み
人間の安全保障が 特定の国家に 所属する国
存の文化の変容と 社会的価値観の 衰退から 生
じる不安など ,精神的安全に対する脅威とい
民ではなく,人間を 中心として,国境にとら
うものも人間の 安全保障の範 噛に 入ることに
るべき者だけではなく ,保護を行う 者もまた
なろう。 これまでは国家の 安全に対する 脅威
国境にとらわれないということを 意味する。
安全に対する 責任が国家にだけあ ると考える
とは考えられてこなかった ,
これらすべての
われない安全保障であ るとすれば,保護され
脅威を人間の 安全保障は対象とすることにな
従来の安全保障とは 異なって,人間を 中心に
る。
据えた安全保障は 国家を超えたグローバル な
また,人間の 安全保障は途上国だけの 問題
レベルでの多様な 担い手を必要とするのであ
ではなく,先進国においても 問題となりうる。
る。 人間の安全保障の
人々の生存が 脅かされる状況は 明白に人間の
安全に対する 脅威であ るが,例えば先進国に
に対応するために ,国際機関,地域機関,非
政府組織 (NGO), 企業や市民などの 多くの
おける失業や 貧困, また環境問題,異文化に
担い手- と 制度が必要であ る。
対する脅威の 認識など,人々の生活が脅かさ
ま
で
あ
も
ら
ふん
る
な
と
る
脅
す
対
全
@
の
日
咀Ⅲ
け
た一る
れ,人々の選択の 幅を失いかれない 状f
しかし,このことは ,すべての脅威に 対し
実現には,多様な 脅威
また,多様な 脅威に対して 個別の分野ごと
にバラバラに取り
組んでは十分に 対処するこ
とはできないであ ろう。 例えば,難民の場合
であ れば,難民に対して向けられる 暴力から
の保護に注目するだけでは 十分ではない。 食
て等しく配慮が 払われるべきだということに
料や水,衛生や医療という必要性への 対応が
はならないだろう。 もしあ る脅威と別の 脅威
速やかに必要になるであ
への対処において 優先順位の選択を 迫られる
によって生まれたなら ,停戦と平和構築の 政
とすれば,生存にかかわる 脅威にさらされた
治的な努力,紛争再発のための 武装解除, 難
人々に対する 保護が優先されるべきであ
民の政治的権 利の確立,難民の生活復帰のた
り,
同じ脅威にさらされた 人々の間でも ,下降局
ろうし,難民が内戦
めの社会開発など ,人道,政治,軍事,人権
,
4Ⅰ
人間の安全保障と人権
開発の面で考慮されなければならないことは
を
多い。 脅威に対して ,平和と開発,安全保障
要 となる。 これはそれ自身が 達成されるべき
と環境保全を 切り離すのではなく ,すべての
目的であ ると同時に,人間の
ィ中
@ますこと,つまり
自り弼虫ィヒ することも 必
安全保障実現の
要因について 包括的に取り 組むことが必要と
ための手段となる。 人々に能力が 備わって
なる。
れば,脅威に対して自ら対処し ,回避するこ
従って,人間の安全保障のためには ,グロ
ーバル な取り組みの中で
,公私を問わない 多
様な担い手がそれぞれのレベルで
重層的に活
い
とができるであ ろう。 また,人々の 主体性を
高め,社会制度を
問い直す発言力をつけ
,
略 策定そのものに 参加することでより 効果的
勤 し,一定の枠組みの 中で人間の安全保障と
な脅威への 対 @ がもたらされることになる。
いう包括的な 共通の課題に 取り組むことが 求
そのために必要な
められることになる。 つまりグローバル・ガ
ためのルールの 確立と制度の 整備を行なうこ
バナンスの形成によって 人間の安全保障が 確
とも必須になる。
立されることになるのであ
国家によ る協議,条約や 取り決め,国際組織
うな能力強化の 視点は国家による 上
からの開発に 対抗して主張されるようになっ
による合意形成,民間主導のルール 形成,
た参加型開発もしくは
NGO
れる新たな開発の 視点を受け継ぐものであ る。
・
る。 そのためには ,
や市民が参加するネットワークによる
正義に配慮したルール 形成など様々な 経路を
・
教育の提供,情報の享受の
この ょ
民衆中心型開発と 呼ば
通じて重層的に 人間の安全保障に 向けた秩序
人間の安全保障は 人間の生の中枢部分を 守
すべての人の 自由と可能性を 実現することと
が形成される 必要があ る。
されるが,何が中枢であ るかは個人によって
社会によっても 異なる。 また,何が脅威 や
危険であ るかの認識のされ 方も国家や社会に
も
保護・能力強化・ 制度改革
最後に,人間の安全保障を実現するための
「具体的な戦略」として ,「保護」と「能力
よって異なるだろう。 したがって,脅威や 安
全 という概念は 相対・ lW
りな概念にならざるをえ
強化」㏄エンパワーメント」 ) が 提案される。
ない。 そのため,何が脅威や安全であ るのか
様々な脅威,それも 人々もしくは 社会が独力
を
では対処しえな い 脅威に対して ,まず必要な
判定し,政策決定するという
のが人々を保護することであ
とになれば, それは支配のイデオロギ
国際社会や国家に
よ
行うことが必要であ
る。 そのために
国際機関なり ,国家が保護者として 上から
事態が生じるこ
一に 堕
る手続きや制度の 整備を
することになり ,「経済バローバル 化の輔 縫
る。 そしてこのような
策 」になりかれないとの 懸念があ
取
り組みは人々に 危険が生じてからようやく 対
る睡光 2001, 260-2 頁 ) 。
処するものであ ってはならないのであ って,
の 能力強化
予防的な取り 組みが必要であ
る。 アジア経済
危機の例を挙げるなら ,金融危機が発生した
=
るからであ
したがって ,こ
参加の視点は 強調しておかねば
ならないだ
る つ.
さらに,脅威は 既存の制度のあ り方から 不
後に緊急融資などの 迅速な緩和策を 講じるこ
可 避的に発生するものも 多いであ
とは必要であ るが,危機が生じる前に早期警
人間の安全保障は 脅威を生み出すに 至った:l;U
戒体制を整備することも
度 そのものへの 批判的な視点を 持たざるを
重要なのであ る。
しかし,同時に 人々が自ら行動できる 能力
42
ろうから,
得
ない。 従って,人間の安全保障は,脅威にだ
け着目し,脅威にさらされた
人間を対処療法
自体に対する 権 利であ
る」として,脅威を 生
的に保護することだけではなく ,その脅威を
み出す制度自体に 対し,その変革を 強調する
生み出す根源であ る仕組みや制度そのものの
ために,構造変革の 権 利として人間の
改善あ るいは新たな 制度構築を目指すことに
障を捉えようとする
安全保
(多谷 2001, 99-101 頁 ) 。
なる。 例えば貧困に 対する政策としては ,貧
しい人々の経済活動への 参加を可能にする 基
人間の安全保障委員会にも 受け入れられてい
礎教育や保健医療機構の 充実や改善が
る。 脅威をもたらしているネオ・リベラル
必要に
このような制度変革を 求めるアプローチは
な
なるだろうし ,土地改革や融資制度の改革,
グローバリゼーションという「根本的な
高利貸しや食物の 投機的な退蔵 を禁止するよ
ほついての言及が 必ずしも不十分でないⅡ浦
うに法改正すること ,適切な雇用制度への
部 2004,65 頁 ) との指摘もあ るものの,委員
革,社会的セーフティー・ネットの
改
確立など
原因
会は脅威への 対処として制度変革が 必要であ
様々な制度構築と 制度改革が必要となるだろ
ることを認めている。 委員会によれば ,人間
う。 国際関係においても ,国際貿易において
途上国の劣位を 生み出している 先進国の貿易
の安全保障は,人間が生存,生活,尊厳を
享
愛 するための素材となる「政治,社会,経済,
障壁の削減・ 撤廃,国際的な貿易ルールを 定
軍事,文化といった 制度をつくりあ げていく
める意思決定への 途上国の参加など 制度その
こと」を意味するのであ る。 (Comm ssion0n
ものの改善が 求められる。
HumanSecuHty2003,4.
制度改革を人間の 安全保障の中軸として 位
置づけようとする 武者小路はグローバル 覇権
4. 人権 としての人間の 安全保障
体制,すなわち米国の一国覇権 のもとで西洋
と日本が協力してグローバル
な投機的金融の
安定と安全とを 守る体制において 人間の安全
王
訳Ⅱ 頁 。 )
人間の安全保障は 達成されるべき 状態を示
し,その達成に 至るための政策を 導く概念で
に対する脅威が 生み出されているとの 認識の
あ る。 しかしその ょ うな概念として 人間の
安全保障が有効であ るためには,実際に 人間
もとに,人間の 安全保障を挺子としてバロー
の安全を脅かす
バル な覇権 体制をただして「人間の
担い手の誰が ,いかにして,
顔をした
グローバル化」に 改良していく 必要性を強調
脅威が生じた 場合に,多様な
どのような 負 ・担
を貞 ぅ のかが示されねばならない。
この点で ,
する 賦者 小路 2002 ;2003)。 また,人権
「はたして新しい 安全 (保障) 概念は, 火や
としての人間の 安全保障を提案する 多谷千香
財政資金といった 社会的資源の 配分の見直し
子は,脅威を不可避的に生み 出している現在
や 政策指針の変更といった
の世界の構造を 変革する市民の 権 利として,
ンパクトを秘めているのであ ろうか」と疑問
人間の安全保障を 捉えようとする。 多谷は 要
が呈されることがあ
は ,人権という構成をした
を達せられるか 否かで,それが有効な手段な
頁)
これに対する 返答の一つは ,人間の安全保
ら,そのように 考えればいいのではないだろ
障を人権 として捉えることであ
うか」と言うから ,
において人間の 安全保障が人権 であ ると承認,
「
方が効果的に 目的
ここで彼女が 言う人権 は
多分にレトリックとしての
意味合いが強いが ,
「人間の安全保障の 考え方は,枠組みや 制度
,社会構造への々
る。 (赤板 谷 2001, 74
る。 国際社会
されれば,それに 対応する義務についても 同
時に確定されることになるだろうというわけ
人間の安全保障と人権
(lol
であ る。 しかし,そうすれば 次には権 利とし
は人間の安全保障の「真のねら
て人間の安全保障を 捉えることの 意義という
介入の道を開くことだと 見て,その上でこれ
問題が生じることになる。 この点について 山
を大きな 陥罪 であ
形は次のように 論じ,権利としての人間の 安
形 2004, 蛆頁)
全保障の意義を 否定する。 例えば UNDP
ぃ」を人道的
ると論じるのであ
る。 (口
Ⅰ
二つ目の論点であ る人間の安全保障の 欺 肺
の
人間開発報告書における 経済の安全保障は 発
性の指摘については 後に譲ることとして ,
展の権利によって説明されうるし ,食料の安
ずは人間の安全保障と 人権 との関係について
全保障と健康の 安全保障は人権 条約中の社会
権 もしくは発展の 権 利の一部として ,環境の
検討する。
安全保障はさまざまな 条約レジー ム で生成し
つつある環境保護制度によって 説明できる。
ま
5. 人間の安全保障と 人権
ここでは人間の 安全保障と人権 との関係に
個人の安全保障,地域社会の 安全保障,政治
ついて セン の議論を手がかりに
の安全保障についても 同様であ って,人間の
う
安全保障はこれらの 権 利の総体としての 包括
の自由を実現するという 共通のほ的にかかわ
的な権利であると捉えることが 可能であ る。
る概念であ
しかし,「そうであ るならば,わざわざ新し
は別の概念として 区別されなければならない。
い概念を創り 出さなくても ,従来の権利で説
人権 概念は人間が 有する一定の 基本的自由が
明すればよ
い はずであ
るⅡ (山形 2004, 36
考えてみよ
。 人間の安全保障と 人権 とは両者とも 人間
る。 しかし,センに
ょ
れば,両者
尊重され,推進され,拡大されることを 要式
頁 ) つまり,人間の安全保障は,国際法上の
するという規範的な 概念であ るのに対して ,
人権で置き換えることが 可能であ るから,人
人間の安全保障は 記述的な概俳であ
間の安全保障を 唱えることは 屋上屋を架する
ことになるだけではないかという
批判であ
2003,9. 訳 34-5 頁 ) 。
る 。
あ る事柄について 人権を持っていると 主張す
しかし,山形は 人間の安全保障の 意義がな
ることは,その 事柄について 他者に対し当然
に請求する
全保障が唱えられるようになった
徳的に認められているということを
こ
理由として,
(Sen
つまり, まず人権 とは道徳的権 利であ り,
いと主張する 訳ではない。 そもそも人間の 安
発展の権 利などに見られた 権利論が挫折した
る
( 二 他者が義務を 負う ) ことが道
意味する。
これに対して ,大間の安全保障は 事実に関わ
こと,松村私の 関係における 権利義務が欠落
る概念であ
している国際法上の 権利では個人が 他の個人
のであ って,達成されるべき 状態であ
に加える脅威が 捉えられないこと ,法的権利
人間の安全保障はそれがいかなる
では事後的救済が 原則であ り,予防的な 措置
が 採れないこと ,主権尊重原則と内政不干渉
脅威によっていかにその 状態が悪化し
原則が有効な 国際法では国家自身が 脅威とな
る事態や破綻国家に 対する介入が 困難であ る
いかなる違いをもたらすかを 分析することに
とを挙げる。
(121
そしてこれらに 対処する
ぅ
え
る。 人間の安全はそれ
自体よいも
るが,
状態であ り,
,失わ
れ,また脅威に対して採られた 政策の選択が
関わる。 しかし,両者が 異なった概念であ る
としても,人権 概念が既に存在しているにも
で生じてきた 人間の安全保障の 意義を「国家
かかわらず,人間の 安全保障という 新たな類
主権 との対時」であると捉える。 しかし, 彼
似概念を唱える 理由は何であ り,人間の安全
44
保障は自由の 実現にどのように 資するのであ
こで,他者に 対する一定の 請求が正当なもの
ろうか。
であ ると道徳的に 正当化され,人々を 行動へ
センは,人権と人間の安全保障との
間にあ
と導く政治的な 力をもつ権 利はそれらの 力 を
る補完関係を 指摘し両者が 相 侯 って自由の
実現に寄与すると 考えている。 少し敷桁して
人間の安全保障概俳に 与えるのであ る。
説明しよう。 まず,人権は抽象的に一定の 自
由が尊重されるべきだと 示すが,具体的には
人間の自由を 実現していくのであ
このような形で 両者は互いに 補完しながら
る。 センの
められ,保障されるべきであ るかという中身
「人間の安全保障を 人権 という一般的な 枠組
みの中で捉えること」 (Sen2003,9.訳35 頁 )
という表現は ,ともすれば人間の安全保障を
については明確に 示されているわけではない。
権 利として構成することを 意味しているとい
例えば,暴力を受けない権 利は,侵害者に対
う誤解を招きがちな 表現であ るが,そうでは
どの自由が重要であ り,何が人権 であ ると 認
して暴力をふるわないように 請求することが
なく, これは人間の 安全保障を人権 という手
含まれていることには 異論の余地はない。
段で実現し, また,人権は人間の安全保障が
し
かし, この自由は果たして 暴力がふるわれる
という事態に 際して,その暴力を阻止するこ
求める政策を 取り入れることで ,それ自体の
実現を図るという 試みを示しているに 体なら
を保護してもらうことを 請求できるのか ,あ
ない。
もちろん,権利には自由権 に対応する義務
るいは暴力の 犠牲者が第三者に 対して援助を
のように,権利と対応関係にあ る義務が特定
請求することができるのか ,そして,
もしそ
の者に課されており ,義務の内容も 明確な完
のような請求ができるとした 場合,具体的に
全義務と呼ばれる 義務と,社会権の場合のよ
いかなる義務を 第三者は負うことになるのか
等々については 合意があ るわけではない。 そ
うに,権利と対応関係にあ る義務の名宛人や
内容が確定されていない 不完全な義務と 呼ば
れを埋めるものが 人間の安全保障概俳であ る。
れるものがあ
具体的な脅威という 事実から出発し ,その性
多くの人権 は他者に財 や サービスの提供,
質や,とられるべき 対策を分析する 人間の安
た特定の行為をするように 求める社会権 的な
全保障は,必要なら 制度の改革を 含め,実現
人権であ り,従って人間の 安全保障の実現の
ために,具体的に 誰がどのような 義務を負う
とが可能な立場にい ろ 第三者に対して ,
自分
されるべき人権 の中身を明確化するのであ
(14)
る。 人間の安全保障にかかわる
ま
のかを明確に 示すことができないかもしれな
る 。
もちろん,人権 概念も人間の 安全保障に貢
い。
しかし,他の 人の脅威を減じる 立場にい
献する。人間の安全保障 (あ るいは人間開発 )
る人は,たとえ 義務の内容が 不明確であ った
の 見方では自由はそれ
としても,脅威を 減じることが 義務であ ると
自体よいものであ り,
人間の安全保障はそれを 実現するための 政策
を導く概念として 有用であ ることには間遠い
はない。
しかし,人間の 安全保障は達成され
自覚するなら ,少なくとも「何をできるのか
について考えをめぐらす 共通の義務を 負う」
ことになるのであ
る
(Sen 2003, 9. 訳35 頁 )"
こう理 僻することで ,人々が義務の存在を意
るべき理想ではあ っても,その実現のために
他の人々 や ,集団,国家に
特定の行動を 義務
識しながら国際社会における 議論を注視する
付けることまでももたらすわけではない。
という試みの 中で,人権が実現していくと 期
そ
45
人間の安全保障と人権
積極的に貢献し ,「このこ
律 してよいであ ろう。
国の安定と発展に
6, 人間の安全保障とその 陥葬
とは,我が国の 安全と繁栄を 確保し,国民の
利益を増進ずることに 深く結びついている」
最後に,人間の安全保障をめぐる 残された
として 樺
らない日本の 外交姿勢は,自国と
自
指摘について 検討しよう。 人間の安全保障の
国民の安全保障のために 人間の安全保障概俳
意義を「国家主権 との対時 」に見る山形は ,
を懇意的に利用し
,「人間の安全保障の 精神
安全保障の「真のねらい」を 軍事的な人道的
を踏みにじる『横領行為Ⅱの
介入の正当化と 捉えていることは 既に見た。
断罪されても
さらに彼は,まず 国家が国民の 人権や安全を
提供する責任があ るとされる主権 国家体制で
頁)
しかしながら ,これもまた人間の安全保障
は,人間の安全保障を 実現するために 主権国
に限ったことではなく ,人権概念もまた国家
家の存在が前提とならざるをえないという
陥
利益の隠れ蓑として 使用されることがあ るの
穿を指摘し,人間の 安全保障は依然として 国
家主権の呪縛を脱していないとする。
は我々のよく 知るところであ る。 結局は人権
確かに,現在の主権 国家体制の下では , 人
ることはできないのであ り,濫用や調弁的な
--,例 」であ ると
致し方がなり。 (野崎 2004, 199
も人間の安全保障も 主権国家体制からは 逃れ
間の安全保障の 実現に第一義的な 責任を有す
概念の使用の 可能性を所与としっ
るのは国家ということになり ,普遍的な概念
現実に人間の
であ る人間の安全保障はこの 点で矛盾を抱え
とも課題とならざるをえない。 そして,その
込むことになるのは 否めない。 しかし,普遍
ための処方 築は , まず,人間の自由獲得を目
的な概念であ る人権もまた同様の 矛盾を抱え
ている。 現在の国際社会において 人権は普遍
的として,人間の安全保障を主に 開発の文 @
的な権利であると承認,されているが,人権の
武力介入には 謙抑的な立場をとることであ
実現の担い手はまず 国家であ り,普遍的な 人
う。 さらに,脅威の 具体的な分析とその 対処
権 を実現する装置が 普遍的ではないという 点
のための政策について ,人権概念と手を携え
では人間の安全保障と 人権 とは本質的に 異な
ながら,グローバル な合意を獲得し ,
るものではない。
その実現に向けてグローバル・ガバナンスの
また, これに関連して「人間の 安全保障概
念の中身を一部すり 替えることで ,再び国家
形成を目指すことであ る。
安全保障政策の 道具にさせようという 動き」
注
を断罪する批判もあ
る
(土佐 2003, 122 頁 ) 。
大綱の目的が「国際社会の
る」援助を模索し
(2)
国は, ODA
を通じて開発途上 -
・
Jp/mofa が ga 庶0/oda/
人間開発については
, Haq
i995 を参照のこ
と。 また,最近
1990 年から2005 年までの人間開発
,
報告書の内容を
傭倣できるように
要約された音物
資源・ ェ ネルギ コ 食料などを海外に 大きく
依存する我が
さらに
seisak Ⅳta 汰0u.html)
,「顔の見え
,国際貿易の恩恵を享受し
ろ
Ⅰ ) 政府開発援助 (ODA) 大綱。
(http : Ⅳ www.m0fa.g0
平和と発
展に貢献し,これを 通じて我が国の 安全と繁
栄の確保に資すること」だとし
自由を達成するかが 両者の・場合
で使用し,えてして 濫用されがちな 軍事的な
確かに,人間の安全保障を指針の 一 っとする
新 ODA
つ ,いかに
(足立 2006) が出版されている。
(3)
潜在能力アプローチについては
, Sen
l992;
Senl999;
(4)
Nussbaum2000
を 参昭のこと。
あ たり以下を参照。雙ぬ mphel
センの本小論の翻訳は
次の文献でも
行われて
いる (セン 2006,
1995; R0senouandCzem
and
Cansson
団 el1992)
グローバル・ガバナンスについては
懐疑的な見
38 頁)0 以後の引用は
筆者によ
る。
方も残っているが
,例えば先進国間の
協力と途-ヒ-
は ) UNDP
回・貧困国からの
- 定の支拐を具えた
,国際社会
の人間開発報告時による人間の安全
保障概念の特徴は,人間の安全保障はあらゆる
においてより
強固で広範な
基盤を形成している
貧
な 問題であること,
人々にとって
切実な「普遍的」
困 削減レジーム の存在については,高橋 2006 を
一国の脅威は
他国に波及する
可能性があるがゆえ
参照のこと。
に「相互依存」の
問題であること,また人間の安
㏄
0) センの人間の
安全保障もこのタイプの
議論で
全保。障への対処として
根源的かつ「早期予防」と
あ ると論じられることがあ
るが,その誤解につい
いう対処が優位性を
持つこと,人出の
安全保障は
ては後に示す。
「大岡中心」
u) 概念であ ることである UUNDP
安全保陣 (Secu 「
ity)
の語義,分析について
義がなくなるという
談論であり,人間の安全保障
を 人権と捉えると人間の
安全保障の意義がなくな
は ,中西 2001 を参照のこと。
(7@
ここで論じられているのは
,人間の安全
側障
を国際法上の
人権と捉えると人間の
安全保障の意
1994,22 づ.訳22-4 頁)。
㏄)
れけ
「安全」を広く
定義するか,狭く
定義するか
るという談論ではない。
後に論じるが
,人権とは
によって,人間の
安全保障は最低限の
生存上の安
道徳的権利であり,その対象について
他者に対し
全の確保を求める
原理,もしくは豊かな
人間らし
当然に請求することが
道徳的に認められていると
い生活,創造的な
生活の条件を
求める原理に区別
いうことを意味する。
もちろん道徳的権
利として
できる。栗栖はそれぞれを
許容化原理と
最大化原
取り込まれ,法的権
利になり
の人権は法律の中に
理と呼ぶ (栗栖 2001,119
(8@
うる。多くの国では
人権が制定法に取り
込まれて
頁)。
それぞれの人間の
安全保障政策の
主導国とし
いるし,我が
国でも人権は態法に組み込まれて
ぃ
てカナダと日本を
挙げることができる。
両者はそ
る 。 国際社会においても
同様であって,人権
は例
%
れぞれ「平和構築」型の
人間の安全保障,「八
えば自由権
規約や村会権規約として国際法秩序に
開発」型の人間の
安全保障と呼ばれることもあ
る。
取り込まれている。
法的権利となった人権
は実定
ただし,最近になって
両者の政策の
接近が見られ
法秩序によって
保障され,必要なら
強制力を用い
ると言われている。
以下参照のこと。
(多谷 2001;
て実現されることになる。
MaRae
㎝ ddHube
血 2001;
吉田
2004; マ クリ
しかし,人権
が法的権利として実定法に
取り込
まれていないとしても
,あるいは法的権
利となつ
ーン 200 め
人間の安全保障とは
,物質的な必要が
満たされ
た人権が継続的に侵害されているとしても
,その
るとともに,人間としての
尊厳が尊重されること
ことによって
人権の存在が否定されるわけではな
であるが,物質的な
必要が満たされることは
大間
い。権利の存在と権
利の実現の問題は
区別されな
の安全保障にとって
-l-分条竹 ではないにしても
,
る。 言い換えれば
,人権
ければならないからであ
必要条件なのであ
って,その意味で
人間の安全保
の実定法化は
人権が存在することの
十分条件では
障の核心部であるという理僻もあ る。
(Thomas
ないし必要条件ですらないのであって,人権と
国際人権とは区別されなければならないからであ
2000,6)
ガバナンスについては
, さし
る。
47
人間の安全保障と人権
ほ 2)
ふたたび,ここで人間の
安全保障が唱えら
れるようになった
理由として挙げられているのは
ぶづきらぼう な態度
干渉は一切評されないという
人権ではなく,国際人権
もしくは法的権
利の限界
は現在では通用しない
" 人権の保護は国際迎合の
である。
目的のひとつとされており
,国際的関心の
対象と
は 3)
人権 と人間開発の間の関係については,
の 200lM
年度の人間開発報告皆が「人権と
UNDP
なっている。
さらに,重要な
人権は国際社会にお
いて普遍的・
一般的に妥当する
一般国際法となっ
人間開発」というテーマで
論じている。それによ
い かなる逸脱も
許さない強行法規
(ュス
ており,
れば,人権と人間開発の
両者とも人間の
基本的自
コーゲンス
) となっているとされ
,これらの人権
由の保障にかかわる
概念であり,両者は両立可能
は 国家の主権を規制し,逸脱を
許さないのであ
る。
達成に向けて
互いに貢
であり, また人間の目山の
しかし,国家の
主権を制限する強行規範は
人権の
献しあうのである。 両者の違いは
, これらの概念
ごく一部に限定されており
,必ずしもすべての
人
が扱 6 対象の追いではなく
,戦略や焦点の
迷いで
権がこのょ うな強行法規なのではない。
あ るとされている(UNDP2000
引用・参考文献
頁)。
Bar
ォ
Christian and Pogge,
y,
人権を権利の対象へのアクセス
確保の請求だど捉
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える, ポッ ケやマンドルのバローバル
な 正義論二
召espo
M ㎝田 e
人権論に接近する。
Pogge 2002;
2006
を参照。
更にポッゲのグローバル
な 正義論につい
ては,
ャヤあ
り・
2004a;
2004b
を参照のこと。
また, グローバル
な 正義論とグローバル
な 制度
改革を論じた書物として,
Barryand
Pogge2005
また,人間の
安全保障委員会報告書も「特定
の 状況のなかでどのような
人権が問題となるかを
考え方
明らかにする
上では 人間の安全保障Ⅲの
が手がかりになると
言う。人権は㌃人間の安全保
障 ないかにして
推進するか,という問いに
答え
棚
る手助けとなり
, (人権概念が有する) 義務と黄
人間の安全保障
コが倫理的・
政治的に重要であ
ると認められることになる」の
である。 (Commiss
ノひ
G.o も㏄ 1
れ am も は itieR
sfice,ox 面Ⅰ d
Comnlission
Sec
ガは仇已 ん
Co 佛れissio
れ
王
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もちろん,かってのように
人権問題は国内債
0アサん c
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(17)
H は 佛㏄ れ
2003.
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Pe0ce. London,
参照のこと。
Ⅳ0 の, 月苧0 ア
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1999 を参照のこと。
またセンに
は, Sen2004
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れ0 Ⅳ:
る説明について
こ
Yo 血 . (人間の安全保障委員会ア 安全保障
6) 完全義務と不完全義務については,竹村
よ
G.o hfi
ら
BIackwell.
:
oれ
W.
はれ d
Ac ん ip.Utれと
:
Human
on
Thomas
1れ st 比ひ tio れ s
の今日的課題人間の
を参照のこと。
け 5)
・
, 19 づ6. 訳25 づ4
(14@ このように理解されれば
,人間の安全保障は
Ⅰ
轄事項すなわち
国内問膣であるがゆえに外からの
ル o回 e,
Ithaca
:
P ㍗ o ぬ c妨碍
McG Ⅲ -Queen,s
王
Nussbaum,
丁子は佛
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