たなか醫院診聞 181 号

たなか醫院診聞 181 号
絡めれば何でもありのこの法律のザルたる所以をはっきりさせ、税金で賄われて
2016.6.19 発行
梅雨の晴れ間
いる政治の根本を改めることでないのか。また、ここまで世論が沸騰しても、か
の首相は一度もこのことに「指導者」として、何も触れない。ただ参議院選挙大
事と、青森まで来て「皆さん、これからの青森は、リンゴとニンニクを海外に売
り、農家も豊かになることです」例の手をあげ、聴衆の左右を見、受けるポーズ
をすることしか能がない。国の指導者たるもの、首都の知事がでたらめなら「お
辞めなさい」と、なぜ言えぬ。
さて、この一か月考えたこと。アメリカの大統領が広島を訪れ、そこで行った
演説。インターネットを探しても、
「批判的」なものは、ほとんど見当たらない。
TVを見、翌朝の新聞で全文を読み、その後久しぶりに(大学受験以来)辞書を
片手に英文和訳をやり、考え、頭の中を整理してみました。かの演説、名文です。
彼の演説は、以下のように始まります。
「71 年前、晴天の朝、空から死が降って
きて世界が変わりました。閃光と炎の壁がこの町を破壊し、人類が自分自身を破
壊する手段を手に入れたことを示しました」……この文の始まりに、主語がない。
神が原爆を落としたのでない。人類の総意として、かの原爆投下があったのでは
ない。
「文明の歴史は戦争に満ちています」
「先祖は石や刃物を狩りに使うだけで
なく、人間を殺すために使ってきた。」「部族同士の紛争の原因-食糧不足、金へ
の渇望、民族主義、宗教的理由から戦争が起こり、帝国が台頭し衰退してきた」
と、彼は説く。更に続け、(私が勝手に、所々割愛したり、まとめてみたりしま
した)「人類は、科学によって海を超えることも、病気を治癒したり、宇宙の解
6 月 17 日夕方、明日から今月唯一の連休。
(この 1 月から第三土曜は、医院休業)
明もしてきた。同時にそれらは、思想、想像、言語、道具など人類が自然界から
何となくスタッフたちの顔が輝いて見える。「やっぱり明日から二日休み。いい
離れ、自然界を従わせる能力は、比類のない破壊力も生み出した。バランスを欠
よね」答えが返るまでもなく彼らの顔に笑顔。明日は臨時の外来もなし。私は、
いた技術のみの発展は、人類を誤った方向に導く。原子を分裂させた科学進歩は、
家でたまった仕事。それでも同じようにうきうきしている。何をしようか。
私達に秩序の進歩も要求しています」「これが、私たち(私とは言わない
例によって本題に入る前に。どうしても解せない、理解できない。都知事の問
題。「銭ゲバ=セコイ
田中
注)が広島を訪れる理由です」哲学者、歴史学者としての言。「私たちは悪を行
舛添」問題。連日朝から晩までTVは「正月ホテルで会
う人類の潜在能力をなくすことは出来ないかもしれない。だから、私達の国家や
議したのは誰だ」
「回転ずし屋で打ち合わせができるのか」
「なんだあの豪華旅行
同盟は、私たち自身を守る手段を持たなければならない」
「我が国のように核兵
は」と、来る日も来る日も取り上げ、煽り、辞任と決まると、後継知事は?と喧
器を持っている国は恐怖の論理から自由になり、核兵器のない世界を目指す勇気
しい。問題の根元は、政治資金規正法がザル法であること。少しでも政治活動と
を持たなければならない」これは、核のボタンを持ち、押すことのできる国家権
力者、最高指導者としての言。最後にこう結びます。「広島では世界が一変しま
線に屈辱を感じながら入院させて貰うために病状の悪化を願う青年、被爆直後に
した。」
「広島と長崎は、核戦争の夜明けでなく、私達の道義的な目覚めの始まり
まだ息のある人を助けてその肉親から謝礼を取っていたという男、ケロイドはな
であるべきです」。格調高く、
「理性、知性、哲学を感じる」
(恩師松川先生の言)
くなったが、いつか再発すると信じている少女、それらの人々は二人に、二十年
しかし、何度も思考が立ち止まりました。彼バラク・オバマは、現職米国大統領
の歳月が無意味に過ぎていたことを知らせた。やがて二人は、みすぼらしい相生
として語ったのか、一政治家として語ったのか、一人の米国市民として、いやこ
集落で、友人の兄の消息を知る男を探しあてた。白血病から転移した肺癌のため
の地球に住む一人の個人として語ったのか。生を受け、国民として認知を受け、
に苦痛にうめくその男を前にした二人に医者は「君らはやっと探しあてたつもり
やがて税に代表される義務と、恩恵を受け国民として生活してゆく。この国民を
なんだろうが、この男は何も知っちゃいない……原爆病にかかったことを恥とし
統合した国があり、それを動かす国家がある。戦争を嫌おうが好もうが、国家権
て健康な人間を憎み、また自分で自分自身を憎みきるこの男は、君たちによって
力が戦争を決意した時、その一員たる国民は戦争の一端を担う。これが個人の側。
そういう人間にされたのだ……」と言った。二人はその言葉に大きな衝撃を受け、
国家権力を握り、戦争への決断を行う、これが権力者の側。その結果としての、
逃げるように東京に帰った。男の脳裡には、かつて安保闘争の挫折と、その直後
広島原爆。責任・謝罪を国家、そしてその権力者に問うている訳でない。権力を
に突然姿を消したある友人を思い浮べた。広島でみた悲惨な現実にひかれて男は
持ち、核廃絶を語りノーベル平和賞に輝いたプラハ演説以来、核廃絶に向けどう
再びそこを訪れた。彼は夜の平和公園で自殺しようとしていた老人を助けたが、
努力し、今なお 15000 発の核弾頭が残るこの戦いにどこで挫折し、次の権力者
老人は「ピカがもう一度落ちればいい」と吐きすてるように言った。それは原爆
に解決の道をどう渡してゆくか、これを語るべきでなかったか。この演説は、初
のために人生を失った人間の言葉だった。男は被爆者をいわば強制疎外者、ある
めから終わりまで、現職大統領
いは被差別民に陥れた体制者、繁栄を誇る広島住民、それに一般の日本人の冷酷
president
Obama として語るべきでなかった
か。
さに怒りを覚えるとともに、自分もこの二十年間、彼らと同一の人間であったこ
私の思春期は、「映画少年」としてあったと、以前この欄に書きました。とい
っても、夕方学校が終わると、自転車を名古屋の街中までとばし、80 円の会員
券で、解りもしない「アートシアターギルド」なるものに、のめり込んでいただ
けですが。その中で、次の作品を観、そしてヒロシマ、そして政治への関心と歩
んでゆきます。その、始まりが以下に紹介する映画です。
河 あの裏切りが重く
監督 森弘太
1967 年
自主制作
戦争が終ってからすでに二十年の歳月が流れていた。一人の男と女が、原爆落
された広島に友人を訪ねた。二人はそこで、被爆後行方不明になったその友人の
兄が、実は生きているのではないかという手紙に接し、差出人を探しはじめた。
真夏の陽光の下に、広島はけだるい雰囲気につつまれていたが、この街にある奇
妙な形をした相生橋、太田川べりの被爆者集落を見、被爆者の話を聞いた二人は
時間を逆行して、あたかも二十年前に辿りついたような錯覚に陥った。他人の視
とを知って慄然とするのだった。