介護新聞連載 第6回 PDFはこちらから

2016年(平成28 年)6月9日
哲学者の河野哲也氏は
「移動
によってこそ動物の内部と外部
を知覚的に分かたれる」
(※3)
と、
移動することの重要性を指
摘しています。実際、
急性期病
院でも、
ただベッドアップするよりも車いすに移
乗した方が、
車いすに移乗するだけよりは病室を
出る方が、
たとえそれが介助でなされていたとし
ても、
当事者の後々の変化に強く影響しているこ
とを身をもって経験します。
「動き出し」
は小さな移動です。
小さな移動は、
当事者が世界と物事と関係を切り結ぶきっかけ
になります。よほどではない限り、
「 動き出し」
は目でも、
指先でも当事者に必ずあります。動
作に全介助というものはなく、
ほんの少しの動
き出しは当事者が世界と関わること、
つまり生
活していることの基本となっているのです。
(
出しは当事者から」
を心がけることで、
ケアする
私たちのたたずまいに落ち着きが見えます。当
「動き出しは当事者から」
を各地で皆さんと実
事者に対して、
言葉で指示するような場面が少
践していると、
「待つことの大切さは分かっては
なくなります。自分の思い通りにしたいという
いるのですが…」
といった言葉を耳にします。 願望は、
次々と言葉での指図を多くしてしまっ
私たちはなぜ、
待てないのでしょうか? 現場
ていたという証拠にもなると思います。
からは
「時間がない」
「人手が足りない」
という声
もう1つは、
「待つ」
ことで、
当事者がいかに私
が上がりますが、
その通りだと思います。しか
たちのケアに合わせているかということに気づ
し、
少しでも待って差し上げ、
当事者に気持ち良
かされます。当事者が動き出そうとしているの
く過ごしていただきたいという思いがあるのも
を制止し、
私たちのタイミングでケアする場面
事実です。私たちは時間がないという理由で待
では、
当事者が待ってくれているという逆転現
てないのではなさそうです。
象が起きています。私自身もそうですが、
雑な
哲学者の鷲田清一氏は
「待つことの選択、
それ
言葉遣い、
雑な態度、
気をつけているようで自ら
が意味するところは、
なによりも、
関係を思いど
気づくことができない気づきもあります。講習
おりにしたいというみずからの観望の遮断であ
の伝達も良いですが、
自施設の実践を皆で振り
る」
(※ 1)
と著書で述べられています。私たち
返ることでさまざまな気づきを得ることができ
には、
他者を思う気持ちが、
やや一方的な行動と
ます。気づきのネタは現場に山ほど眠っていま
なって表現してしまう面を、
誰もが持っている
すので、
実践の映像を残すことをお勧めします。
ということなのだと思います。精神科医の春日
武彦氏は
「待つ、
それだけのことができずに空回
身体は一度経験すると思い出す
りしている人がいかに多いことか」
(※ 2)
と指
摘しています。
「そんなにいつも待てるのですか?」
「 毎回は
「待つ」
こと─。それは大切な技術なのかもし
待てません」
などという言葉も聞かれます。普
れないことを感じさせます。ケアの現場におい
段の現場を考えれば、
そう思われるのも当然で
ても、
ベテランの職員が当事者とさりげなく時
しょう。
しかし、
「待つ」
という関わり、
つまり
「動
間を過ごす中で、
見守りつつも適時にケアの手
き出しは当事者から」
を実践していただくと、
を差しのべる場面を見かけます。経験が技術を 「待つ」
ことの大切さを実感し、
待つことができ
育むことは確かにあるかもしれません。
しかし、 るようになると思います。前述したように、
当
経験が浅くても、
あるいは家族でも、
「待つ」
とい
事者には私たちが気づくことができていない、
う技術、
あるいは技術以前の技術を知ることが、 実にさまざまな能力があり、
それを認めて動き
当事者と互いに安心して関わることの前提にあ
出していただくことで、
自信を取り戻され、
動く
ることが、
「 動き出しは当事者から」
の実践を通
ことでさらに他の動作につながっていくことを
して見えてきました。
数多く経験するからです。
「動き出しは当事者から」
は、
言い換えると当
体調悪化などで一時的にケアを受けることに
事者の動き出しを
「待つ」
ということです。
「待
なった動作が、
それ以降ずっとケアの対象とな
つ」
ことが必然の関わりとなり、
「待つ」
ことが受
ってしまうことも多いように思います。動き出
け入れられやすくなるという効果があります。
しを認め、
自信を取り戻す機会をケアによって
奪ってしまうと、
当事者も私たちも可能性に気
づくことができなくなります。そしてケアをす
るのが、
ケアを受けるのが当たり前になってい
く現状があるのではないでしょうか。
日常生活動作のような身体に染みついた動き
は、
一度の経験によって、
身体が目覚め始めるこ
とが多いのも事実です。
当事者の能力を信用し、
1回の関わりを大切にしてみることで、
昨日と
は違う当事者に見えてくると思います。それが
ケアを見直す
「きっかけ」
になるのです。
個別機能訓練ももちろん大切ですが、
身体の
機能を支えているのは普段の生活の繰り返しに
過ぎません。当事者には普段の生活でできる場
面がたくさんありつつも、
日常のケアに埋もれ
て見えなくなっていることも多いという事実を
考えると、
今できることの継続、
今できることを
当事者と私たちが共有すること、
そのために1
待つことで私たちが変わる
回の
「待つ」
ことには日常のケアの歯車を効率の
各地で
「動き出しは当事者から」
を実践してい
良い方向に回してくれる可能性があります。
る中で、
ケアを見直す“きっかけ”になったとい
う言葉も数多く寄せられます。なぜ、
ケアを見
「動き出しは当事者から」は小さな
直すきっかけになるのでしょうか? 「こんな
移動であり、世界との関わり
にもご自分でできることがあった」
「ご自分でさ
れようとしていることが分かった」
「できること
生きていることは絶えず、
「 物ごと」
と関わっ
を私たちが奪ってしまっていた」
などという気
ていることだと思います。その人らしさは、
お
づきがありました。
そらくその人がどのような物事に、
どのように
気づくことは変化のきっかけになります。鷲
関わっているかという面を見て想像しているの
かも知れません。私たちの無数の物事に関わる
田氏が
「待つというかたちで、
自分がしてきたこ
可能性は、
移動することで支えられています。
との隠された意味が見えてきます」
と説明してい
移動によってさまざまな世界に出会い、
気づき、
るように、
待つことで、
私たちが何をしているの
心を揺さぶられます。
か? それを気づかせてくれるものがありそう
前所属であり、
現在非常勤で勤務している手
です。つまり、
利用者の動き出しによって、
後に
稲渓仁会病院は、
高度な救急医療を担う急性期
なって自分はこのことを待っていたのかを知る
病院です。急性期リハビリの大きな目的の1つ
ことになります。それはきっと、
自分は当事者の
は早期の離床です。心理学的に人が人であるこ
このような姿を見たかったのだということへの
との意味は、
世界と物事と絶えず関係を切り結
気づきであり、
その気づきが次の関わりを変えて
ぶことを背景としたものであると考えます。離
くれることにつながっていくのだと思います。
床とは単に姿勢が変わることではなく、
離床す
「動き出しは当事者から」
の実践は、
可能な限
り普段のケアを映像に残し、
その映像を職員相
ること、
それ以上に離床する過程において、
いか
互で振り返るようにしています。その中で大き
に当事者が世界と関わることを意識したものに
く2つのことに気づかされます。1つは
「動き
なっているかということが大切になります。
なぜ、待てないのか?
認定作業療法士・手稲渓仁会
連載第6回 「待つ」
という技術〜
「何もしない」
という積極的な関わり〜
( 病院非常勤職員
関わることの原点が
「気づき」
と
「関係」
をもたらす
日本医療大保健医療学部
リハビリテーション学科
大堀 具視 准教授
「動き出しは当事者から」
という原理
「動き出しは当事者から」
は
「待つ」
ことが必然となる関わり
「動き出しは当事者から」
は方法ではありませ
ん。関わることの原点です。それが気づきと関
係をもたらすと考え、
実践しています。約30年
前の学生時代、
神経解剖学を担当していた医師
が授業で毎回のように
「リハビリなんてものは
誰がやっても同じように効果が出なければ意味
がない」
と指摘しており、
ことあるごとに今でも
思い出します。現状のリハビリは、
恩師の言葉
にまだ応えられていないと感じています。
医療も福祉もケアの現場は日進月歩さまざま
な考え方や方法が、
次から次と出てきて進化し
ていると思います。しかし、
介護職については
やりがいのある仕事などと謳われながらも、
現
実は担い手不足が深刻です。人間は複雑である
がゆえに、
人間そのものと向き合う職種である
ほど、
理解に苦しみ、
その手立ても単純ではあり
ません。私は、
介護の仕事が最も高度な仕事で
あると考えています。
どうすれば、
当事者の能力を知り、
信用し、
発
揮していただくことができるのでしょうか? 多くの医療機関、
施設等でさまざまな職種の方
たちと実践し、
振り返ってきた一つの結果が
「動
き出しは当事者から」
です。私の話をすべて忘
れてもかまいませんが、
一つだけだまされたと
思って実践してほしいとお願いし継続してきま
した。その成果が全国の現場からフィードバッ
クされるようになり、
関わることの原点を実感
しています。
「動き出しはご本人から」
を合言葉に、
実践を
重ねてきた特養芦別慈恵園介護技術委員会メ
ンバー(2015年度)
。介護職員主導で当事者
の能力に気づき、
関わりを考え、
振り返り、
実
践を継続している
※ ※ ※ ※ ※
次回から、
現場の実践報告を紹介しながら、
「動き出しは当事者から」
が当事者、
介護者、
リハ
ビリ、
看護、
家族、
さらには病院や施設にもたら
す影響について考えていきます。
<参考文献>
※1
「待つということ」
(鷲田清一=角川選書)
※2
「待つ力」
(春日武彦=扶桑社新書)
※3
「意識は実在しない」
(河野哲也=講談社選
書メチエ)