中性子回折法による材料工学研究と 小型中性子源 RANS への期待

中性子回折法による材料工学研究と
小型中性子源 RANS への期待
鈴木裕士*
*日本原子力研究開発機構 量子ビーム応用研究センター
理化学研究所 中性子ビーム技術開発チーム
[email protected], [email protected]
1.はじめに
中性子回折法は、中性子線の優れた透過能を生かすことで、数センチメートルオーダーの材料深部の応
力・ひずみを非破壊で測定できる唯一の測定技術として知られており[1]、種々の機械構造物の残留応力
測定を通して、高性能、高信頼性、長寿命化を目指した製品開発や構造設計に大きく貢献している。一方、
材料強度や破壊メカニズムを評価するうえでは、単に残留応力を測定するだけでなく、ミクロひずみや集
合組織、転位密度等のミクロ組織因子を定量的に評価することが重要であり、これらの情報を得るうえで、
X 線回折法や中性子回折法は非破壊・非接触測定法として有効な手段である。特に中性子回折法は、その
優れた透過能から、ミクロ組織因子のバルク平均が得られる特徴があり、機械的性質との関係を求めて、
材料開発や既存材料の信頼性を検討するのに適している。このように、中性子回折法は、残留応力測定は
もちろんのこと、材料の強度発現機構や破壊機構の解明、材料の機能性向上を目指した材料工学研究など
にも広く応用されている[2-5]
。日本国内では、1990 年代前半に日本原子力研究所(現日本原子力研究開
発機構)の研究用原子炉 JRR-3 に中性子応力測定装置 RESA[6]
(2006 年の改造を機に RESA-1 に改称[7]
)
が設置され、今日まで残留応力評価や材料強度評価をはじめとする材料工学研究や産業応用に利用されて
きた。2008 年末からは大強度陽子加速器施設(J-PARC)の物質生命科学実験施設(MLF)に設置された飛
行時間型の工学材料回折装置「匠」の運用が開始しており[8]、In-situ 材料評価研究への展開など、中性
子回折法を用いた材料工学研究の幅は広がりつつある。本稿では、中性子回折法により得られる組織・力
学情報に関して簡単に説明するとともに、これまでの応用例の紹介を通して、材料工学研究における中性
子回折法の役割と、本分野における小型中性子源 RANS への期待について述べる。
2.中性子回折法により得られる組織・力学情報
結晶粒内には原子が規則正しく整列しており、これら原子は多数の平行な面に属していると考えること
ができる(格子面)
。波の性質を持つ中性子線は、個々の原子核に当たるとあらゆる方向に散乱されるが、
式(1)に示すブラッグの回折条件式を満足する場合に、それらの散乱中性子線が同一位相になって相互に
干渉し回折線を生じる。
2dhkl sin hkl  n
(1)
ここで、dhkl はある回折面 hkl の格子面間隔、λ は入射中性子線の波長、n は回折次数(通常は 1)を表わす。
また、θhkl はブラッグ角を表わし、その倍数 2θhkl を回折角と称する。この回折線を測定する方法には、角度
分散法とエネルギー分散法(飛行時間法)がある。角度分散法は、Fig. 1(a)に示すように、Bragg の回折条
件式(1)により決定される回折角 2θhkl を測定するための装置である。すなわち、研究用原子炉炉心におけ
る核分裂連鎖反応により連続して発生する白色の熱中性子(定常中性子)から、モノクロメータ結晶を介
して単一波長 λ の中性子線のみを抽出し、測定試料の hkl 面によって回折される中性子の個数と回折角 2θhkl
を検出器によって観測する装置である。一方、エネルギー分散法は、Bragg の回折条件式(1)により決定
される波長(エネルギー)λ を測定するための装置である。Fig. 1(b)に示すように、広範のエネルギーを有
する中性子線を試料に照射し、中性子線のエネルギー毎に、中性子線の発生から試料での回折および計測
白色熱中性子線
パルス中性子源
シングルピーク
a
入射中性子線
入射中性子線
モノクロメータ結晶
原子炉定常中性子源
単色熱中性子
λ (固定)
マルチピーク
サンプル
回折線
a
2θ
検出器
回折線
2θ
(固定)
検出器A
b
a
マルチピーク
サンプル
c
b
a
白色熱中性子
回折線
2θ
(固定)
検出器B
c
a
c
a
(a) 角度分散法
a
b
(b) 飛行時間法(エネルギー分散法)
Fig. 1 中性子回折法
までの時間を測定する飛行時間法(Time-of-Flight method:TOF 法)を測定原理としている。
中性子回折法による応力・ひずみ測定技術は、上述した方法により得られる回折線のピークシフトから
ひずみを導出する。角度分散法においては得られた回折角の変化、エネルギー分散法においては得られた
エネルギー(波長)の変化からひずみが求められる。簡単には、測定した回折角や波長を用いて式(1)よ
り dhkl を求め、次式によりひずみを求める。
 hkl 
d hkl  d0
d0

d hkl
d0
(2)
ここで、d0 は基準となる格子面間隔を表わしている。d0 を無ひずみ状態の格子面間隔とすれば、残留ひず
みが求められ、また、材料の変形中の格子面間隔の変化を測定すれば、材料の変形挙動をミクロな視点で
評価することができる。
一方、中性子回折により得られる回折パターンには、応力やひずみ以外の材料組織に関する多くの情報
が含まれている。例えば、回折パターンから材料中にどのような相が含まれ、それらがどのような結晶構
造をしているかが分かり、さらに、その回折強度からそれらの相がどれだけ含まれているかが分かる。ま
た、外場(応力・熱)を加えた際の回折パターンの変化を追えば、結晶構造の変化や相変態の様子を In-situ
で観察することが可能になる[9]
。また、材料の方位に対する回折強度分布を測定すれば、その集合組織
を評価することができる[10,11]
。集合組織測定では、オイラークレードルと呼ばれるχφ2 軸ゴニオメー
タ上に試験片を設置し、試験片を回転させながら材料方位に対する回折強度分布を測定する。一般的には 3
つ以上の回折面の集合組織を測定し、そこから得られる結晶方位密度関数(ODF: Orientation Distribution
Function)から集合組織状態を定量的に評価する。角度分散法では、一つ一つの回折ピークについて細かく
χφスキャンを行うことで、測定に長時間を要するものの厳密な集合組織を得ることができる。飛行時間
法では、面積の広い検出器を活かすことで、集合組織の迅速測定が可能である[12]。現在、J-PARC の
iMATERIA では、飛行時間型の集合組織測定システムの開発が進められており、将来的には高温負荷環境
における In-situ 集合組織測定が可能になると期待されている。一方、回折線の幅には、材料に含まれる転
位、積層欠陥、ドメインサイズなどの情報が含まれている。X 線回折法においては、プロファイル解析と
して古くから普及している測定技術であるが[13, 14]
、最近では中性子回折法への応用が検討されている。
特に、Ungár らが提案した CMWP(Convolutional Multi Whole Profile Fitting)法[15]を用いることで、飛
行時間法による転位密度の定量評価に関する研究が進められている。
3.国内の中性子工学回折装置
現在、
日本国内には、JRR-3 ガイドホールに角度分散型の工学回折装置が 2 台
(RESA-1 および RESA-2)
、
J-PARC/MLF にエネルギー分散型の工学材料回折装置(TAKUMI)が 1 台設置されている。ここでは、
RESA-1 および TAKUMI の特徴を簡単に紹介する。
RESA-1 は JRR-3 ガイドホールの T2-1 ポートに設置されている[7]
。Fig. 2(a)に 2010 年時点での RESA-1
の外観を示す。RESA-1 では、Si(311)の非対称湾曲モノクロメータから得られる単一波長(おおよそ 0.15nm
~0.20nm の範囲で選択可能)の中性子線を試料に照射し、そこから回折する中性子線の回折角を一次元検
出器により測定する角度分散型回折装置である。回折計には、試料台面積 550mm×550mm(2012 年~)
、耐
荷重約 800kgf の XYZ の 3 軸ゴニオメータが設置されており、水平面内(XY 方向)に±250mm(2012 年~)
、
垂直方向(Z 方向)に 100mm 移動できる。検出器には、検出面積 100mm×100mm の一次元検出器を用いて
おり、約±3°の領域を一度に測定することができる。入射ビームは入射スリットにより数 mm まで制限す
ることができ、また、一次元検出器の前方に設置したラジアルコリメータ(0.5mm、1mm、2mm、3mm、
5mm、10mm の 5 種類を選択できる)により、検出器で観測できる領域を幅方向に制限することがで
きる。一方、入射側の中性子飛行管には、縦方向のビームサイズを制限できる縦収束型ラジアルコリメー
タ(2.5mm、5mm、10mm の 3 種類を利用できる)を設置できる。この縦収束型ラジアルコリメータと検出
器前のラジアルコリメータを組み合わせることで、直径 900mm 程度の試料空間を確保できることから、
RESA-1 は比較的大型の試料の残留応力測定に適した回折計である。RESA-1 の 2θ=90°における装置分解能
は、波長にもよるが、0.4%前後である。なお、RESA-1 では、環境装置として最大荷重 10kN の低温引張試
験機(5K~300K)
[16]や集合組織測定用にオイラークレードルを利用できる。
J-PARC/MLF には、ビームライン No.19 に飛行時間型の工学材料回折装置「匠」が設置されている[8]
。
Fig. 2(b)に 2012 年時点での匠の外観写真を示す。加速器周期 25Hz で発せられた白色のパルス中性子は、ス
ーパーミラーガイド管を通じて実験ハッチ内に導入される。ガイド管の終端に設置された 4 象限スリット
によって中性子ビームが成形されたのち、回折計に設置された試料に照射され、2θ=±90°に設置された±15°
の見込み角を有する検出器によって回折線が測定される。回折計には、試料台面積 800mm×800mm、耐荷
重 1000kgf の XYZθ の 4 軸ゴニオメータが設置されている。水平方向(XY 方向)には±300mm,垂直方向
(a)RESA-1 (2010年時点)
(b) TAKUMI(2012年時点)
Fig. 2 RESA-1(JRR-3)と TAKUMI(J-PARC/MLF)
(Z 方向)には 800mm 移動できる。測定体積は、検出器前に設置されたラジアルコリメータと入射ビーム
形状によって規定される。匠の最高装置分解能は最高で 0.2%以下であり、RESA-1 よりも高いひずみ分解
能を有する。同時に測定できる面間隔は、最大で 0.5 ~5.0Å の範囲であり、複数の回折ピーク、すなわち
多くの結晶からの情報を一度に測定できる。また、2θ=±90°の二方向に設置された検出器により、Fig. 1(b)
に示すように、試験片の直交二方向の回折線を同時に測定することもできる。したがって、匠を用いるこ
とで、機械構造物内部の応力・ひずみの測定だけでなく、変形や熱的なプロセス中の構造変化の In-situ 測
定、材料中の微小領域での結晶構造解析、さらには集合組織測定などを迅速かつ容易に行うことができる。
これらの実験を実現するため、TAKUMI には、高温引張圧縮試験機、低温引張圧縮試験機、熱膨張計、疲
労試験機などが整備されている。また最近では、元素戦略構造材料拠点(京大)よりサーメックマスター
が導入され、加工熱処理シミュレーション中のその場回折実験の実現が期待されている。
4.応用例
中性子応力測定技術は、中性子産業利用推進に貢献する中心的な測定技術のひとつであり、自動車エン
ジンやロケットエンジンといった輸送機械部品[17,18]
、インフラ構造物や発電プラントを模擬した溶接構
造物[7,19]など、機械構造物の信頼性・健全性の確保や安全設計を目的とした応力評価研究に用いられて
いる。また、負荷環境や高温・低温環境といった種々の環境中における In-situ 材料評価など、温度変化や
材料変形に伴うミクロ組織因子の定量評価を通じて、材料の強度発現機構や破壊機構の解明、材料の機能
性向上を目指した材料工学研究が行われている[9,20-25]
。ここでは、日本国内で実施されている研究例を
中心に簡単に紹介する。
4.1 大型溶接構造物の残留応力測定
ユーザーからの応力測定に対するニーズは、短時間で、精確に、高い空間分解能で多くの測定点による
応力マップを得たいということ、さらに、できる限り実機に近い大型構造物の応力測定を実施したいとい
うことにある。
ここでは、RESA-1 で実施した直径 500mm、長さ 760mm、肉厚 28mm の大口径配管
(500A-sch80)
溶接部の残留応力分布測定の結果を紹介
500
する[7]
。この実験は、中性子回折法を用
性を検討する目的で実施されたものであ
り、溶接部の残留応力測定のほか、模擬き
裂や模擬補修溶接による残留応力の変化
を測定した。Fig. 3(a)は、溶接ままの残留
Residual stress, MPa
いた原子炉大型構造物の応力測定の可能
方向応力の緩和(D>16 の範囲)が測定さ
れた(●)。また、原子炉配管の補修溶接
を模擬するため、外表面溶接部の一部を削
り取り、そこに肉盛溶接したあとに発生す
る残留応力分布を測定した結果、軸方向残
留応力分布が全体的に引張方向にシフト
外表面
D=0
(数字は溶接パス数を示す)
0
-側
44
41
38
35
32
29
26
23
20
17
14
-100
外表面
45
46
42
39
36
33
30
28
25
22
19
16
12
10
8
6
内表面
4
2
13
11
9
7
5
3
47
25
As-weld
After slitting
After repair weld
300
内表面
+側
43
40
37
34
31
27
24
21
18
15
0°
90°
270°
D
1
5
10
15
20
Depth from outer surface D, mm
(b)
Axial residual stress, MPa
3(b)に示すように、模擬き裂導入による軸
Radial
Axial
100
400
力を示すなど、これまでに有限要素解析な
幅 0.5mm の模擬き裂を導入すると、Fig.
200
0
圧縮残留応力、内表面側に弱い引張残留応
傍の内表面側に長さ 30mm,深さ 10mm,
300
-300
外表面側に強い引張残留応力、板厚内部に
力分布傾向を示した。一方、配管溶接部近
Hoop
Axial
Radial
Hoop
-200
応力分布を示している。配管軸方向には、
どにより求められてきた典型的な残留応
(a)
400
12.5
外表面
(ビード形状は270°
側より見る)
(数字は溶接パス数を示す)
-側
44
41
38
35
32
29
26
23
20
17
14
200
45
46
42
39
36
33
30
28
25
22
19
16
12
10
8
6
4
2
13
11
9
7
5
3
47
43
40
37
34
31
27
24
21
18
15
+側
0°
模擬き裂
90°
270°
10
1
内表面
100
180°
180°
(ビード形状は270°
側より見る)
12.5
外表面
(数字は溶接パス数を示す)
0
-側
44
41
38
35
32
29
26
23
20
17
14
-100
外表面
-200
補修
溶接
45
46
42
39
36
33
30
28
25
22
19
16
12
10
8
6
内表面
4
2
0
5
10
15
20
Depth from outer surface D, mm
25
1
内表面
13
11
9
7
5
3
43
40
37
34
31
27
24
21
18
15
47
+側
10
0°
90°
270°
180°
(ビード形状は270°
側より見る)
Fig. 3 (a)中性子回折法により測定した大口径配管溶接部
の残留応力分布、および、(b)模擬き裂導入前後、および模
擬補修溶接施工前後の軸方向残留応力分布の変化[7]
する様子が観察された(▲)
。このように、中性子回折法を
用いれば、大型構造物の残留応力測定が可能であり、また、
非破壊測定技術であるゆえ、き裂導入や補修溶接などによ
る応力変化も測定することができる。最近では、ANSTO の
研究炉 OPAL にある工学回折装置 KOWARI において、重さ
630kg の大口径溶接配管の残留応力測定に成功しており
(Fig. 4)
[26]
、さらに、Woo らによれば、吸収の小さい波
長を選択することで、板厚 80mm の溶接構造物の応力測定
も可能であることが報告されている[27]
。
4.2 中性子回折法による材料強度研究
Fig. 4 OPAL/ ANSTO の KOWARI で測定され
たた大口径溶接配管[26]
省エネルギー・低炭素社会の実現のため、自動車等の輸
送機器の軽量化が求められており、そのために、高強度か
つ高延性な鋼板の開発が必要とされている。一般的に鉄鋼
材料は、高強度なほど延性や靭性が低く、高靭性、高延性なほど強度が低いという相反する性質を有して
いるが、材料の組織制御を行うことにより、強度延性バランスを向上させた材料の開発が進められている。
例えば、DP(Dual Phase)鋼はフェライト、マルテンサイトの 2 相からなる高強度鋼板であり、軟質相で
あるフェライト相の優先変形による加工硬化により高強度・高延性を実現している。一方、 TRIP
(Transformation-Induced Plasticity)鋼は、フェライト、ベイナイト、残留オーステナイトの 3 相からなる鋼
板であり、塑性加工時の変態誘起塑性(TRIP)現象(残留オーステナイトのマルテンサイト変態)を応用
することにより高い強度延性バランスを実現している。さらに最近では、塑性変形時に変形双晶を導入す
ることにより加工硬化を大きくする双晶誘起塑性(TWIP:Twining-Induced Plasticity)なども注目されてい
る。このように、高延性・高強度の発現には、第二相の析出や転位導入による加工硬化のほか、結晶粒径
や集合組織の制御など、材料組織に由来する強化因子が重要である。これらの評価には SEM や TEM によ
る直接観察のほか、これらミクロ組織因子が材料強度や変形、破壊にどのように寄与しているのかを定量
的に議論することが有効である。2章でも説明したように、中性子回折法は、相変態の様子を In-situ で観
察することが可能であり、さらに、鋼板を構成する各相の変形状態を定量的に評価することが可能である。
また、プロファイル解析による転位密度や結晶子サイズの定量評価により、TRIP や TWIP に起因した加工
硬化挙動を明らかにできる可能性がある。さらに、熱
処理や変形に伴う集合組織の変化を定量的に評価する
Open: 0.4%C-TRIP
Closed: 0.2%C-TRIP
ことにより、延性向上のための集合組織制御に関する
知見が得られる可能性がある。このような研究は、パ
ルス中性子を利用した工学回折装置の整備・利用が進
性子による飛行時間法を利用すれば、ある特定のエネ
ルギー領域に存在する複数の回折線を同時に測定でき
ることから、材料の変形挙動を結晶レベルのミクロ的
な視点から詳しく理解することが可能になるからであ
相応力(MPa)
んでいる欧米において盛んに行われてきた。パルス中
マルテンサイト相
オーステナイト相
る。日本国内においても J-PARC の中性子工学回折装
置 TAKUMI が運用を開始してからは、中性子回折法を
応用した変形挙動評価に関する研究が盛んになりつつ
フェライト相
ある。例えば、Harjo らは、TAKUMI の優れた分解能
を活かして、TRIP 効果に伴うマルテンサイト変態の観
察に成功するとともに、そのマルテンサイト相の負担
する応力を分離して評価することに成功している(Fig.
5)
[25]
。これにより、加工誘起相変態で形成されたマ
負荷応力(MPa)
Fig. 5 中性子回折により測定した TRIP 鋼の各
相の応力変化挙動[25]
ルテンサイト相は最も高い相応力を負担していることを明らかにした。このように、各相に働く応力挙動
を評価・比較することにより、強度や延性の発現に対する各相の役割が明確になるなど、中性子回折法に
より得られる新たな知見は、高強度・高延性の鉄鋼材料開発において極めて重要である。
4.3 鉄筋コンクリートの構造力学研究への応用
現代社会においては、都市地震災害に伴うメガリスクを最小限に抑えるために、コンクリート構造物な
どの建築、土木構造物に対する高い耐震性能が求められている。鉄筋コンクリートは、圧縮に強いコンク
リートと引張に強い鉄筋を相補的に組み合わせた複合材料であり、鉄筋とコンクリート間の付着力が、コ
ンクリート構造物の一体性を確保する上で重要なパラメータとなる。その付着を一旦失えば、人命はもと
より経済的な損失をも被る甚大な被害を招く可
Axial strain
(a)
D50
を正確に評価し、それを建築基準や設計・施工
D9.53
能性がある。それを防ぐためにも、この付着力
指針に反映することが重要になる。付着力は、
εA
Axial strain
コンクリートに埋設された鉄筋のひずみ分布を
測定することにより評価することができる。こ
れまでは、ひずみゲージを用いて測定されてき
たが、ひずみゲージ周りの付着劣化によって、
正確な付着特性を評価することが困難とされて
Lateral strain
きた。そのために、非破壊・非接触で連続的な
ひずみ分布を測定できる中性子回折法は、ひず
みゲージ法に代わる測定技術として期待されて
εL
いる。著者らは、J-PARC の TAKUMI を利用し
Lateral strain
た中性子回折法により、コンクリートに埋設さ
れた鉄筋の応力・ひずみ分布測定を行い、鉄筋
350
の三次元変形挙動の評価が可能であることを実
証するとともに(Fig. 6(a))[28]、コンクリー
を可能にした[29]
。Fig. 6(b)は鉄筋腐食に伴う
付着劣化の様子を示した結果である[29]
。鉄筋
腐食前(▲)には、100mm 以下の定着域(外部
負荷を支える領域)が観察できるが、鉄筋腐食
に伴う付着劣化により、x=250mm までの範囲で
引張応力が増加している様子が確認できる(◆)
。
このように、鉄筋コンクリート部材の変形挙動
の非破壊測定技術の開発は、鉄筋コンクリート
構造の耐力評価の精緻な理解を可能とし、それ
により、機構解明を基点とした建築材料・構造
分野の研究展開が期待できる。
Higher corrosion
Lower corrosion
No corrosion
250
Axial stress, MPa
トのひび割れや鉄筋腐食に伴う付着劣化の評価
(b)
150
50
-50
Un-bonded
-150
-100
Bonded region
0
100
200
Position along rebar x, mm
300
Fig. 6 (a)コンクリートに埋設された鉄筋の引き抜き
負荷中のひずみ分布[28]、および、(b)鉄筋腐食に
よる応力分布の変化[29]
5.RANS への期待
本シンポジウムの池田氏の発表「RANS における中性子回折実験の取り組み」でも示されたように、
「小
型中性子源でも回折実験が可能」であることは、疑いの余地はない[30]
。これまで、何の根拠もなく「小
型中性子源で回折実験は難しい」と言っていた自分自身を恥ずかしく思う。RANS を利用した回折実験を
開始したのは、平成 26 年 7 月だったが、それから半年が経った現在、30 分もあれば十分な回折パターンが
得られるまでに最適化が進んでいる。十分な統計を得るために、大きいサイズの試験体(例えば 10×10×
10mm3 以上)を必要とするが、今後、検出器を RPMT から測定効率の高い PSD に変更し、さらに、入射ビ
ームの出力を現状の数倍まで向上させることができれば、測定効率の一桁アップ(例えば、数分で 1 回折
パターン)も夢ではないだろう。あえて問題点をあげるとすれば、分解能を向上させるのが難しいという
ことである。ハードに手を加えなければ、ひずみ測定やプロファイル解析が出来るほどの高分解能を得る
のは困難であろう(もちろん将来実現できる可能性はあるが)
。それでも、回折強度の変化を定量的に評価
することは十分に可能である。例えば、Fig. 7 はフェライト試料にオーステナイト試料を挟んで測定した回
折パターンであるが(Binomial smoothing[31]によりスムージングした回折パターン)
、これら 2 相の回折
パターンを分離するだけの分解能はあり、それらの回折強度の変化から、集合組織や残留オーステナイト
量の測定が可能になると期待される。Fig. 7 に示す回折パターンから、Z-Rietveld[32]を用いてオーステ
ナイト量(体積率)を評価した結果、約 16.7%と
見積もられた。推定値(19.1%)に比べて 2.4%の
20
誤差があるが、今後、実験条件や解析条件の最適
+ Measured data
- Rietveld fit
化を進めることにより、実験室レベルでも中性子
スの良い鉄鋼材料の開発に欠かせないパラメータ
の一つであり、また、残留オーステナイト量も靭
性にかかわる重要なパラメータの一つである。大
Intensity, a.u.
になると期待される。集合組織は強度延性バラン
F: Ferrite
A: Austenite
15
回折法による残留オーステナイト量の測定が可能
10
5
型実験施設を利用することなく、これらの情報を
定量的に評価できるようになることは、鉄鋼材料
0
F
A
開発の加速につながり、ひいては、産業競争力の
向上にもつながると考えられる。もちろん、小型
中性子源だけでなく、大型中性子源を用いてひず
みや転位密度等の材料特性を詳細に検討すること
も重要であり、それらの知見と合わせて材料開発
を進めることが、新たなイノベーション創出につ
Difference curve
0.5
1.0
1.5
d/ Å
2.0
Fig. 7 RANS により測定した回折パターンの例(フェ
ライト試料にオーステナイト試料を挟んで測定)、お
よびリートベルト解析によりフィッティングした結果
ながると期待される。
6.おわりに
本稿で示したように、中性子回折法は材料深部の非破壊応力測定が可能な唯一な方法であるとともに、
転位密度や集合組織などのミクロ組織因子の定量評価に有効な測定手段である。したがって、強度延性バ
ランスに優れた材料の開発や、信頼性や安全性に優れた工業製品開発において、中性子回折法の果たす役
割は大きい。これまでの中性子回折を利用した材料工学研究は、研究炉や加速器といった大型実験施設を
必要としていた。しかし、マシンタイムの競争率が高いうえに課題採択の条件も厳しく、さらに、マシン
タイムを確保できたとしても、年間で 5 日~7 日程度のマシンタイムしか確保することができない。とはい
え、大型施設から得られる高強度中性子線は魅力的で、今まで見たことのない現象や挙動を捉えようと、
世界中の研究者はしのぎを削っている。しかし、産業利用の観点からは、単に新たな知見を得るだけでは
利益につながらず、その科学的知見をもとに新たな材料を開発し製品化することが求められる。その過程
の中では、優れた性能を有する大型中性子源はもちろん重要であるが、常に手元で利用できる小型中性子
源の役割が重要になる。小型中性子源と言えば、「イメージング、小角散乱であれば・・・」と考えられてき
たが、これまでの検討において、回折実験も十分に可能であることが明らかとなっている。実験室レベル
で、イメージング、小角散乱、回折によって得られるマクロからミクロに至る組織情報が手軽に得られれ
ば、経済的にも時間的にも効率的な材料開発が可能になると期待される。今後、測定条件や解析条件の最
適化を図るなど、小型中性子源による回折実験の高度化を進める必要があるが、将来、大型中性子源と小
型中性子源を相補的に利用した材料工学研究が発展し、さらに、その成果が新たな材料開発や製品開発に
つながることを期待している。
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