YMN003308

助動詞 ア
同一口
けり﹂ 考
助動詞﹁けり﹂の諸住 は ついての数多い研究の中で、
そこには、﹁けり﹂の原義について次の記述がある。
特 筆 すべき
ケリはキアリであって、﹁来﹂を形式動詞とする時は、動作の
過去より継続して今に存在することを表すのであって、 ﹁舌
M刀
.
へ
ム﹁に存在するので あるから
ラシ ︵アリ ︶ 続ケ テム﹁ニアル﹂の義である。時からが
件の初を過去に想定するけれども、
P 川︶
現在でなくてはならない。元来アリの融合して出来た助動詞の
セリ ,ザリ・ タリ ・メリなど、時は皆現在である。
﹁けり﹂を﹁ 来 あり﹂の 転 とする見解はすでに早く﹁あ ゆ外げ
抄 しな
どに見られるのではあるが、右の確言は﹁けり﹂の語性を明らかに
した正典な提言であった。
た
堀口
相言
八過去 V の用法については、
る ︵PⅢ︶﹂と、いわゆる 八詠嘆 V の用法が位置づけら
かがであろう。また、
とも問題であろうが、
う に考へられる。
しも同じではなかろう。なによりも、
九三
かわりについてテロ及のないままであることが、この所説
0週
︵P 柑 ︶
をわ
上接の動詞の表す意味
現在まで直ってゐる﹂という事の始まりとしての﹁過 去 ﹂と
八 過去 V の用法というのは、﹁時 は過
。時に超越した用法というのがその原義とどうかかわ るかと
の ケリを作ったもののや
ぬることが、時に超越して用ゐ きせたことから、遂にこ
リの 原義が継続的存在であって、時は過去より現在まで 一日一つ
ねた
中の一極とも見るべきものが、所謂詠歎の用法と呼ば れるも
︵現実︶を強調する義に m め られ︵ P Ⅲ︶﹂、﹁この 強
リが用め られ︵ P 掛︶﹂、﹁目前現実の事象については
し、その原義から、﹁常在必至のこと﹂に﹁時をば超越して
在ケだ
の
あ
去てケい
あ
る
こ
り
よ
かずり
ものに春日政治①︵ 0は末尾にあげる文献を示す︶があげられる。
の必
こ
の
の
存
は
の 用
て 法
の
と
い
去
は
と
かりにくくさせている。
その点、原田君起③・①に見られる﹁けり﹂の意義の分類は、
﹁けり﹂の意義に存在
態 ・継続態 ・恒常態を区別することがで
きるが、別の次元で現在態と過去態を分けることができ
︵③P皿 ︶
九四
︵④P 盤 ︶
その発生は 、
とあるのにも賛同しかねる。上代の﹁| けり﹂の 八過去 態 V を表す
ものは、伝説の事を物語る類のものに限らない。また、
である。
言われるような 八歴史的現在 V の叙述を契機とするとも 思えないの
本稿は、万葉集の例を主な資料として、﹁| けり﹂の 表現を上 接
の動詞の意味とのかかわりにおいてまとめ、あわせて、
ル﹂とい
その ハ 現在
態 V と八過去 態 V とのつががりについて言及しょうと するものであ
となっていて、上接の動詞とのかかわりに配慮のあることが知られ
る。もっとも、ハ過去態 V の﹁| けり﹂は、 ﹁その表現が広がった
60
口-かり一口
結果として第二次的に発生したもの︵①P却 ︶﹂とあフり
レ
リか
リは
と目@
玉
ても、それが用いられているのは﹁伝説歌辞またはそれに準じうる
歌 に限っている︵④P即 ︶﹂とあるのには賛同しかねる。また、そ
0発生の事情について、
春日①に言うところの、動作 が ﹁前 カラシ 続ゲ テム﹁二ア
ぅ着がよくわかる﹁| けり﹂の表現を万葉集に求めれば、 次の類の
時間の流れに添うた車象の展開を、ある時点の現在︵血史的︶
に存続する状態としてとらえるが、物語の次の展開に対しては
側 が見出される。
神代より言ひ伝て来らく⋮:と語り継ぎ言ひ継がひけ り ︵伊比
当然過去となる。﹁けり﹂が過去の助動詞と意識きれる素因は
ここにすでにきざしている。⋮︵中略︶・・・このけ
﹁る﹂が表
都賀 比 計理︶
の瀬
雀口末流︶老人のをつといふ 水そ名 に色 ふ 瀧
去の時の展開をそのときどきの﹁歴史的現在﹂として把握した
山代の久世の鷺坂卸㈹目引奉は張りつつ秋は傲りⅥⅡ ︵
散来 ︶
ひ
︵八九四︶
現する﹁時 ﹂は、いまからいえば昔であり、昔のそのころでは
刮卸人の言
Ⅲ引
﹁現在﹂であったのである。現在
態 ﹁けり﹂が物語的世
界 で過
表現をにない始めたとき、前件を現在として受け取り、後件に
︵一ゼ 0 セ ︶
︵一0 一一一四︶
対しては過去としてかかってゆくという二重性が生じたのであ
ⅠⅡは
︵二四一五︶
古の神の時より逢ひけらし︵会計良忠︶今の心も常忘 らえず
﹁
| けり﹂の表現は 、右のような現代語に応ずるもので あり、その
事 の始ま
限りにおいて 八 現在 態 V の表現であることは否定できない。
この類の用法は﹁古ゆ ﹂などを伴わずにも表されるが、
み吉 町の 耳我の嶺に時なくそ雪は降りける 盆活塞 留 ︶ 間
りに舌口
反 しないだけで、表現珪は先のものと同じであ る 。
これらはいずれも﹁神代より﹂﹁古ゆ ﹂などと呼応し て ﹁1 けり﹂
雨は陥りけ る ︵零計類 ︶
釜 三九 0 ︶
とあるが、 古 より ム﹁にいたるまで﹁ |﹂という当の動き が 断続的に
宙土の嶺に降り置く雪は六月の十五口に消ぬればその
ニ一二一
0︶
︵嬬問
芝采 里 ︶
︵一一一五一一一︶
秋萩の咲きたる野辺はき雄鹿 そ 雪を別けつつ 妻間 しける
四家 類 ︶
︵一一十五︶
反復してきていることを表す。正接の助詞は、けっし て 一回限りの
特定の動きをい う のではなく、反復継続する動きを表 すのであり、
通常これらの﹁| けり﹂は 、 ﹁| テキタ﹂﹁ | テキティ ル﹂ないし
﹁|ッヅ ケタ﹂﹁ |ッヅ ケティル﹂などの現代五山肌 が与 えられてい
天の原振りさ け 見れば照る月も満ち欠けしけり︵神兵
あし ひきの山の木末も春きれば花咲きにほひ秋づけば・露寓目 ひ
るが、﹁ 古ゆ ﹂などに応ずる長期間の継統を衷すためで あろう。 こ
の現代語の﹁| ティル﹂は、現在ある有様を恵休 するが
て風 まじりもみち放りけり︵毛英知 落 衆利︶
現在の視点
那留 ︶
ふき手折り多武の山霧しげみかも
つ っ居れば
︵一七0 四︶
細Ⅲの瀬に渡され きける ︵環
︵一二一一
セ一
︶
撒 けくも岸には波は寄せけるか︵縁家田番︶これの屋 通し聞き
特定の一連の継続する動きを表すものである。
統的に反復継続する動きではなく、小刻みの反復性は あるものの、
ところで、次の類の﹁| けり﹂に 上接する動詞は 、先 のような 断
︵四一ハ0 ︶
ような断続的な動きに言うばあいは、御念としてその石 様を言うの
特にその 終
であり、現在の瞬間にその動きがあることを保証してはいない。 ま
た ﹁1タ﹂は 、 事が完了済みであることを意味するが、
したがって 、
りの時が限定きれないかぎり、これらのような断続的な動きに言う
ばあいは、それが現在まで続いてきたことを意味する。
考 はあるものの、以前から現在まで続いてきたことを、
ヮ。これらの
この二種の現代語は、現任と以前とのいずれに重点をおくかという
から現在の有様として捉えて言力ものであるといえよ,
九五
海原見れば⋮⋮海人小舟はららに浮きて大御食に仕へ奉ると
をちこちにいざり釣りけり︵伊射 皇都 利家理 ︶⋮︵ 空 一二0
ハ︶
はその動きの発生ずみであることを意味する。それにはなじんで
0表現では動き自体は 未完了であり、それにはなじまない 。二つ
いえ ぱ、 一つにはその動きの完了ずみであることを意味するが、
る現在の有様を言 う表現だからである。継続する動きを ﹁1タ﹂
れらに与えられる現代語訳は多く﹁| ティル﹂である。 知覚して
こ
い
と
右
よ いはずであるが、前者と誤られやすいためか、まれ
に
ように動詞のみで言うこともあり、
う には、
裾 された表現である。
九六
換 舌口すれば、以前から 続 く確実 な事態として
叙述することが﹁ | けり﹂の﹁1 0 ・| たり﹂と異な る特徴だとい
えよう。なお、﹁19. 1たり﹂は﹁ | たらむ﹂﹁ |た りき﹂など
と他の助動詞に上接して一般的に八継続態 V を表し ぅる が、 右の類
の ﹁| けり﹂は 、常に現在の有様として 八現在継続 態 V にのみ用い
妹が 木
の
一
・
| けり﹂で先のものより多く見られるのは次の類で @
八-の d-U
られるという点も、 大きな相違である。
万葉集の
るが、その表す内容はやや趣きを異にする。
家に来て吾が屋を見れば玉床のほかに向きけり︵向来︶
C 一一ハ︶
︵一一一一八︶
田子の浦のうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪
る ︵字家留 ︶
咲く花の色は変はらずももしきの大高人ぞ たちかは り けるヱユ
︵一一0
一口一︶
から今に続いているものは、けっして﹁向く﹂﹁降る﹂などという
これらのばあいも現在の有様を表していることに相違ないが、以前
荘家礼︶
朝顔は朝露 色 ひて咲くとい へど夕影にこそ咲きまさり
︵一し
ハ八一︶
︵一二0 ゼ︶
粟嶋に潤ぎ渡らむと思へども明石の門浪いまだ
わ
さけり
到と
︶、
易 実施︶
っ性格をも
単 に ﹁きわ
ぅ のに対して、
ような﹁さわ Ⅱ
引・さわきたり﹂の形でも言われる。
﹂というのがただその動きの存在を舌ロ
回 Ⅱ﹂は、事象を存在する有様として表すとい,
﹁さめきけり﹂も現在の有様を表すものである点は同じである
さ わき
︵佐和
一︶
一
沖 見ればと ゐ波立ち辺見れば白波さめく︵散動 ︶⋮︵ 一一0
なお、継続する動きのきなかにあることを舌ロ
ともかくも、以上は八現在継続態 Vを表す用法といえよ
れない。
も
ら
の
く
っ
が
動きそのものではない。前項に示したものはすべて動きそのもなの
が八 持続飯 V にある姿を表すには﹁ | たり・1 9 ﹂とも 舌口
お、
再ノ
。
続く動的な 八継続 態Vであったのに対し、これらのばあいに続く
も寒み 朝戸を開き出で見れば庭も ぼど ろに 雪そ 降り たる︵ 零
夜を
のは、その動きが
状態が以前に始まってム﹁に抗いているという時間的経
過を強調して
成立した結果の状態、
市有︶
八
静
持的
続
態
なVである。
︵一一一一一一八・一一本︶
しかし、 八 継続 態 V のばあいと同じく、﹁| けり﹂の 表 現は 、その
現代語の|
﹁
ティル﹂の形の基本的継
用法が八
奥田靖雄⑥以来、
続 態 V を表すことに なる動詞を八動作
Vと
、持続
態Vを
動よ
詞び八
られる。
八 現在持続 態 V の﹁ | けり﹂は、より多く﹁| にけり﹂ の形で見
口二の一二口
表すことになる動詞を八
いなって言うところに特徴がある。
変化動V
詞とよぶことが一般的に
るようだが、拙稿⑧において、前者を八継
V続
と動
よ詞
び、後者を
八持続動詞 V とよぶ
態 V にあることをい ぅのに、主体の変化運動
八変
を化
い動
う詞
Vの
名称でよぶことは 妥当性を欠くと
う思
のである。
︵一0 一八し
ハ
︶
、多く﹁
|テイル﹂の現代語訳が与えられ三香の原人禰の都は荒れにけり 釜几去家室︶大宮人の ,フ つろ ひ
右の類の﹁| けり﹂は
ぬれ ば
若 かも
︵一九六九︶
たがち
具性的な姿を知覚しているとはいいにくい﹁吾
やどの花橘は散りにけり︵落繭家里 ︶くやしき 時 に逢へる
る。 八持続動詞 V を
安定する。また、
かはりける﹂などに
は﹁
カヮッ﹂
タの現代語訳が普通であ
こるが、
来て見 べ
︵二 二八 ゼ ︶
吾がう
やどの 萩咲きにけり︵ 開 二家臣︶散らぬ間にはや
のような﹁ カヮッタ﹂という現代語は、変化運動の完了ずみとい
出来事性を含みつつも、より根本的には眼前にあるその結果の状
し奈
態良の里人
の知らなく
︵三八九二︶
とに海人の釣船 はてにけり︵ 波氏商 家 里 ︶我が 船 はてむ 磯
用ご語
すなわち 八 持続 態 Vにあることを表すのであり、大庄藁火⑦の磯
キ
コト
Vの表現ではな八
く
完、
了の
アル
にしたがえば、 八完了のデ・
セ
|け
応り
す﹂
る﹁ しかし、その形であれば用に八現在持続態 V であるとは 限らない。
コト V の表現なので ある。このような現代語に対
の用法は八現在持続
え。
よ
態Vを表すという
L
プ
︵零爾家 良忠世︶
︵一五九三︶
珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり︵ 氏
けられようか。
九八
ける
り
ノン
カ。
万葉集には数少ない﹁1てけり﹂の表現はどうであろ,
あし ひきの八つ蜂の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑ て
君
庭に 椿を﹁植 う ﹂という動きの 八終了 V を﹁ 植ゑて ﹂と いう のであ
︵四四八一︶
理爾 家室︶
︵ル@
千ヨ房か
@伎
m美 ︶
︵四 0 二九︶
古 よしの ひ にければ︵ 之怒 地雨家礼 婆 ︶ほととぎす 鳴 く声聞き
︵四一一九︶
るが、庭はもとより﹁君﹂の庭であり、その結果として ﹁君 ﹂の 一
て 恋しきものを
などは、上段の助詞が八継続動詞V であり、 八現在継続 態 V の表現
つの 八 持続 態 V の発生をもたらすのであり、やはりこのばあいも、
れでは八班
︵二八五五︶
妹 が 上の事
﹁1 て ける﹂に 表 きれているのは﹁︵ 庭 二コ ソ椿ヲ ︶植 エティル 君 ﹂
である。
助動詞﹁ ね ﹂﹁ つ﹂に関する研究も数多いが、中西宇 一②にい う
新治の ム﹁作る道さやかにも聞きてけるかも︵間鴨︶
という 八 現在持続 態 V である。
つ﹂
えば、﹁|ね ﹂は 八 持続 態 V 八 継続 態 V の八発生 V を 言 い、﹁@@
を
八発生 V とハ完了 V に分ける考えにしたがいたい。本稿の 用語でい
そ|
ま き いう八 現在持続 態 V の表現と解すべきであろう。
他動詞は対象にはたらきかける動きを表す動詞である。
主休の変化す
る意を表すものはない。ただ、その動きの結果として主 休に 変化を
基本的には、対象を変化きせる意のものはあっても、
それは、
在 継続 態 V の表現である。聞いた結果を今も心に持ち続けているき
この歌はかつて﹁ききにけるかも﹂の訓があったが、
はそれぞれの状態の八終了V を言 う のであり、先の﹁ | にけり﹂の
﹁|に ﹂で表されるのは、それぞれの状態の八発生V で ある。
なお、﹁ |ね ﹂はそれだけでいわゆる八現在完了Ⅴを 表 しうる。
︵一0
一 一四︶
吾が待ちし秋萩咲きぬ
| ︵開奴 ︶ム﹁だにもに は ひに行かな をちか
た人に
沖辺より 潮 満ち来らし 可良の浦にあさりする鶴 鳴きて
︵二二八に
冊二︶
もたらすことになる﹁着る﹂などの動詞には八 持続 動 詞 V としての
︵佐和佳奴 ︶
現代語訳に﹁ |タ ﹂と舌口ってしまえば﹁ | にけり﹂と のちがいがわ
ところが、そのような主体変化としてではなしに、対象を 変化さ
用法もあるが、先の﹁聞く﹂﹁植う ﹂もその類である。
たと位置づ
かりにくくなるが、﹁|ね ﹂は八発生 V という出来事を 甘ロフ
スのに田刈
し、 ﹁| にけり﹂は 八 現在 態 V の有様を言うものであっ
せたままの状態の持続をいうハ 持続 態 Vを表す用法をも つ他動詞も
ある。次の﹁ | けり﹂もその類の用法であろう。
神代ゆ
︵四一一一︶
くの 木
︵九 0 セ ︶
み吉野の秋津の宮は⋮⋮ 山Ⅲをきよみきやけ みう べし
定めけらしも︵定家良忠母 ︶
の実 と名付けけらしも︵名旧家良之 母 ︶
こ 乙見れば ぅ べし神代 ゆ ︵難波宮 ノ経営 ヲ ︶始め け らしも
二%@ ︶
︵一0 九八︶
︵三五九四︶
潮待つとありけ る ︵安里家 流 ︶船を知らずしてくやしく妹を別
れ来にけり
のであり、
の
先 と同じく
これらの表すところは、﹁あり﹂という状態が以前からム﹁に続いて
いるさまである。それを現在の視点からがぅ
八 現在持続 態 V の表現である。
この現代語訳に﹁アッタ﹂があてられるが、現代語の﹁1タ﹂
﹁1タ﹂は
意味に通常 八過去 V と八完了 V だけをい う ためにはみ 出ることにな
り、六気付き・確認 V などとして特別扱いされている。
﹁| たり
ハ0 ︶
︵四三-
﹁神代ゆ﹂などの時間的経過を含む表現であり、今に続く有様を述
古代 詰め ﹁| たり﹂の転であることはまちがいないが、
︵破目木家良忠 母 ︶
べる 八現在持続 態 V であることは確かであろう。﹁神代カラ 定 メタ
|り ﹂には﹁あり﹂に下接する用法はなかった。その第一義を継承
デ 三宝 メ タ ﹂という
ラシイ ﹂という現代圧旧訳は、﹁神代カラモウス
する現代語の﹁|
にあって﹁1タ﹂がその多くを引き継いだのであるが、
の形で引き
その際に 、
八完了 V と 八週 去 V であると
きである。
、右のような動詞としてのもの のほか、
みやびをに吾はありけり︵遊士南曹者有家 里 ︶ やど貸き ず 還し
この種の﹁ありけり﹂は
てはなら ょ9、 八 現在持続 態 V として正しく位置づけるべ
しても、多用するこの種の﹁アッタ﹂﹁イタ﹂などの用法を軽視し
継がれたのである。﹁|タ ﹂の多くが
﹁ありつ﹂﹁ありき﹂と共に﹁ありけり﹂も﹁アッタ﹂
ぬし ﹁き﹂﹁けり﹂などが消失してくる過程
ィ ル﹂などに 下
過去の出来事を言うものではなく、﹁神代カラズット 定メ テキテイ
接し得ない。﹁ つ﹂﹁
ティル・ |テ アル﹂も﹁アル﹂﹁
ル﹂という現在の有様を言う ものと解すべきである。
二 一の四口
﹁| けり﹂の、 類義といえる﹁ | たり・1 0 ﹂と大きく 異なる 点
騰 ︶住み け 6 人そ
︵三 0 八︶
へ玉くしげ二上山も妹こそありけれ
ム﹁もありけれど︵安里家礼
して、動詞﹁あり﹂に付く用法をもつことがあげられる。
ときはなす石屋は
常む かりけ る
紀伊 道 にこそ妹山ありとい
九九
し吾そ みやびをにはある
︵一一一
セ︶
︵四 0 セ 八︶
恋 ふといふほえも名付けたり言ふ すべのたづきもなき はあが 身
なりけり︵ 安我未奈 星家 利 ︶
の類のいわゆる ハ断定・指定 V の助動詞のばあいにも、
︵
隠市 有末︶
︵九八セ︶
待ちかてにわがする月は妹が着る三笠の山に隠りてあ
︵四二三一︶
なでしこは 秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりける かも︵ 左
家理 寒流 同 母︶
のような助動詞﹁| たり・1 9 ﹂のばあいにも、
︵ 一0 セ 四︶
春日山おして照らせるこの月は妹が庭にもさや け かりけり︵ 清
有家 里 ︶
︵一四四四︶
山吹の咲きたる野辺のつぼすみれこの春の雨に盛りな
盛奈 軍鶏 利 ︶
︵
のような形容詞・形容動詞などの﹁あり﹂のばあいにも、同様に用
ほ、 後代のよう
ロ注ロ
一OO
引用した 用例の中には﹁1ける ︵体言︶﹂の形の連休
句 のも
のがある。 一般に連体句の用言には、終止句のそれと同じ類の
テンス性を もつとは必ずしもいえない。連休句 のそれに八現在
態 V といっ ても・必ずしも話者の発話する現在時を言うことに
ならず、 支 末の用言の表す事象に支配きれる時であることが争
い。したが って、連体何 のものも含めてよぶのは厳密ではない
八 過去 態 V というべ
が、とりあえず煩を避けて同列に扱ったしだいである。
目二の一口
以上八現在 態 V の﹁ | けり﹂を概観したが、
き用法はどうであろうか。まずは八継続 態 V のばあいを 見よう。
八 現在 継統 態 V で
︵二セ 五四︶
朝 柚酒 人川辺の篠の日のしのひて寝れば夢に見えけり ︵要所目
ル
来︶
﹁夢に見ゆ﹂が断続的な反復継続の動きであれば
あろうが、特定のこと望ヨ ったのであれば、夢の最中に作歌するの
いられた。八打消 V の助動詞﹁ |ず ﹂に続くぱあい
に ﹁| ずありけり﹂と﹁あり﹂を介する例も見られるが
は 普通でなく、以前のことを言ったことになる。
﹁|ずけ
り﹂の形が一般的であった。このばあいも同じく八現 在 持続 態 V を
︵四ゼ 六︶
吾が大君人知ら き むと思はねば おほ にそ 見 ける︵ 見鶏 流 ︶相克
おろかにそわれは思ひし乎布の浦の荒磯のめぐり見れ ど 飽かず
一
・おぽ に見る﹂という反復継続の動きは、大君を和衷山 に葬った後
表す。
︵四 0 四九︶
けり︵宏司領分利︶
にはもはやないはずである。その動きは作歌時の現在には及んでい
ないのであり、以前のことを舌口ったことになる。
この二百には共に動きの成立を根拠づける語句が存在するが、 そ
努 比来 爾 家礼︶
︵四一四 セ ︶
斗
@
ハ
@
。
に な つ@
︵
傍来 ︶舟 は悼梶
らに、その類の理由 佃 けなしでも用いられるよう
ももしきの大宮人のまかり出でて漕ぎける
もなくてき ぶしも漕がむと思へど
︵一ゼ三九︶
︵二 ハ0 ︶
の類の 、当の動きの理由付けをして納得するという表現の歌は少な
金門にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でて
作歌ではあるまい。
︵一一八︶
この歌も理由付けを伴う表現であるが、ぬれて いるきなかにおける
れ ︵積荷奴礼計礼 ︶
嘆きつつますらをのこの 恋 ふれこそ吾が 結 ふ髪のひち て ぬれ け
八 持続 態 V のばあいも事情 は 同様である。
Ⅱ三 ハリ
-口
-
る ︵
出首相 来 ︶
くない。
︵四四二︶
世の中はむなしきものとあらむとそこの照る月は満ち
る ︵満明滝家 流 ︶
︵一一一一一一︶
皆人の恋ふるみ吉野 けふ見ればう べも 恋ひ けり︵ 恋来 ︶
よみ
これらは反復継続してきている動きを一般的に言う もの であるが、
このような他の動きにはそれも普通であろう。ところが、自分の経
以前のこと
験 にかかわる動きを言うばあいには、一般的に捉える としても、お
のずから具体的な以前の動きとして捉えることになる。
︵一四二四︶
春の野にすみれ摘みにと来し吾そ 野をな っかしみ一夜寝にけ る
$ム一︶
︵
め伯
一一
いまだ寝ている明け方にでも作ったのであれば ﹁| ける﹂は 八 現在
はそれを認めさせない。この歌もやはり自分の経験にかかわること
フである。 そ
そこから 明
を 言 う ﹁| けり﹂は、おそらくそのような自己を観照的に捉えて 理
由付けをするという表現に発したと思われる。そして、
らかに以前のことを舌ロ ぅ 先の類の用法も生じてきたよ,
良之︶ 松
について観照的に理由付けを施す表現であったであろうが、こう い
持続 態 V であろうが、﹁一夜﹂という時のまとまりを示す語の存在
︵八セ 三︶
ぅ ところとなり、
浦 佳月 姫
う用法から 八 過去 態 Vが育ってきたと思われる
して、やがてそれは他の動きにも舌ロ
けれ︵ 之
硬 くたちて鳴く川千鳥うべしこそ昔の人もしのひ来に
一O 一
かくて成立した 八 過去 態 V の﹁| けり﹂
ょ、
ょ、
︵庄家類 ︶人そ常無
三一 0 八︶
五口が大主は セ戊申 きね
ときはなす岩屋はム﹁もありけれど 庄 み ける
かりける
古に君の三代経て仕へけり︵社家別︶
︵四二五六︶
のように、他の昔の事を語るのにも用いられたが、右の類ではまだ
持続 性 が保たれているといえよう 。
口二の一己
る。
﹁ありけり﹂のば あいも、自分の経験にかかわる以@ の状態をい
う用法が目立ってい
︵古事記・ 七 ︶
五口ほいなし こめ しこ めき 減き 国に到りてありけり︵到 ⋮⋮市有
邦理 ︶
︵四七 0 ︶
かくのみにありけるものを妹も吾も千歳のごとく頼みたりけり
︵
瞳 有末︶
かくのみにありける君を衣ならば下にも着 むと吾が思へりける
︵二九六四︶
しかへてさ寝し夜や常にありけ る ︵
常爾 有家 類 ︶
︵
念 有家 留 ︶
⋮ 臼た への 袖さ
い へどうもりにし恋をつくせば
短 かりけり︵ 短
二六二九︶
秋の夜を長しと
有家臣︶
一O 二
︵一一0
一一一 一︶
︵四四九六︶
恨 めしく君はもあるかやどの海の散り過ぐるまで見し めずあり
ける ︵英之 米受 安利衆流︶
いずれも﹁ | あり﹂の状態は作歌時の現在にはすでにな くなって い
て、以前を観照的に回顧して捉えた状態の表現である。
そして、この﹁ありけり﹂もまた他の事を語るのに用 いられた。
る
︵ヒ0
一セ ︶
は たす すき久米の若子がいましける︵伊庄家田︶三穂の 岩屋は
見れど飽かぬかも
9
け
︵三 0 八︶
ときはなす岩屋は今もありけれど住みける人そ常無か
︵
常 綱車 家留 ︶
︵有家 留
︵ 一セ 三八︶
|
人皆のかく迷へればうちしな ひ寄りでそ妹はたはれてありけ
多 波乱 已有家 留 ︶
る ︵
老いもせず死にもせずして永き世にありけるものを
︵ 一セ四 0 ︶
に絶えず
ゆ一
@︶
鶏が鳴く東の国に古にありけ る
6 具けむ
って,も、
︵一八 0 セ ︶
︵有家 留 ︶事と今まで
言 ひける⋮・・・遠き代にありける ︵有家親︶事を昨日し
がどとも 思はゆ るかも
口四口
一
。| けり﹂の表現の原義を八現在態 V を表すものだとい
れは単に現在の有様のみをいうのではなく、以前からム﹁に継続な
に到るまでの時の流れに線引きをし、それまでに限った以前にお
し持続している有様として事象を捉えていうものであっ た 。その
表現の﹁あなた性﹂は了解できるし、また先の類の八過去 態 V の表
狂態 V の表現であり、﹁ |き ﹂の登場しえないところ である。その
そ
現の ﹁あなた 壮 ﹂も了解できるが、それははたして等質だろうか。
こ の類をも含め
る継続・持続の状態を叙べるものとして、その八 過去 態 V は成立
けり﹂が多様に用いられてきた。
こすのみとなった時代にも、和歌や俳詣の世界では連綿として﹁ |
それにしても、話し言葉の世界にはわずかにその一部の痕跡をの
て八過去 態 V の解明はいまだに残きれている大問題である 。
1 たりき﹂も登場するが、
中古以来の文章に 、 ﹁たり﹂が 八継続 態 V でも 八 持続 態 V でもない
たのである。それは、
継続性 ・持
ま た、 他の事
経験にかかわる以前の状態を観照的に捉えて理由付けをするとい
用法から出発し、やがて、理由付けなしにも用い、
も 用いるよ う になったのである。
ただし、この 八過去 態 V の﹁ | けり﹂も、やがては、
性 には無頓着に、ただ過去における出来事・有様であることを 示
︵荷台・喋野 ・セ ︶
山路のきく野菊とは 又ちがひけり︵越人・廣野・四︶
偵野 ・四︶
いまは昔、竹 取 の翁 といふもの 有 けり。野山にまじり て竹 をと
更級の月は二人に見られけり
︵利生・炭俵・ 七 ︶
かれ枝に鳥のとまりけり秋の暮︵芭蕉・
りつ Ⅰ、 よ るづ の事につか ひけり。名をばさかきのみ や つこと
梅 ききて湯殿の崩れなをしけり
︵竹取物語︶
意元 ・続猿蓑
の濫纏 はすでに万葉集の伝説歌碑に見られるが、そうなると類 義
なむいひける。
時は水にかちけりⅢやなぎ︵
︵其角・句 兄弟︶
か らは 刑場面
﹁
|き﹂との相違が問題となる。竹岡正夫⑤などにおい て、 ﹁|
り ﹂は、﹁物語中の現場︵また、言語主体の現場︶
そ こにあげ
別世界での事象があなたなる世界での事象として認識きれ、叙述
れている﹂のだ、という主張が展開きれた。しかし、
れた﹁ | けり﹂の多くは、会話などのものはもちろんの
に富む﹁ | けり﹂にしたたかさを看取する。
宣長の﹁ け
一O 三
物ヂャ ・事
されている。テンスに寛容な表現として﹁|候 ﹂に匹敵 する自在性
等々を見れば・ ハ 現在 態 V 八 過去 態 V のそれぞれが 縦 横無尽に駆使
さうふ
ら
卜︶
雨蛙芭蕉にのり て そよ ぎけり
表現ともなる。
意味の﹁| たりけり﹂﹁
八継続 態 V にしろ 八 持続 態 V にし ろ 、自己
今 い
け
し
の
ぅ
に
す 続
そ
の
け
さ
ら
し ︵あのひ抄 ︶﹂も 、 そ の道の伝統を受け
ヂヤと 舌口
ふ。また、その所々によりて、タコトヂ ヤ ・タ モノ ヂヤ と
タ 文字を添へても心得べ
もとより﹁ ワイ ﹂や﹁コ トヂヤ ﹂は余計物であるが、右の﹁1け
たものであろうが、なんとも色 あせた解説にき こ える。
り ﹂はみなあえて訳せば﹁1タ﹂と訳し得る。ということは、﹁ |
一九八九年二月し
タ ﹂もまた﹁ | けり﹂に ね とらず厄介な 語 だとい ぅ ことである。
ロ
参考文献 ロ
一九四二年
セ O年
五セ年
為 ・8 ︶:: 五セ年
①春日政治 ﹁金光明最勝王経古点の国語学的研究﹂
②中西 宇一 ﹁発生と完了﹂︵﹁国語国文﹂
︵﹁月刊文法﹂ 2.9 ︶
" の変遷﹂
③原田芳 起 ﹁語法と文体﹂︵﹁ 樟 直文学 ヒ 9 ︶
①原田 君起 ﹁ "けり
-八三年
8 ︶:: セセ年
︵﹁国文学言語と文芸﹂ 丑 ︶
⑤竹岡正夫 ﹁助動詞 ガけり ガ の本義と機能﹂
︵宮城教育大﹁国語国文﹂
⑥奥田靖雄 ﹁アスペクトの研究をめぐって﹂
一O 四
八セ年
︵﹁山辺通三兆︶八二仁
⑦大 鹿薫久 ﹁未 完了・完了・未来・過去﹂
︵﹁天理大学学報﹂Ⅲ︶
⑧堀口称 吉 ﹁動詞の表す 八 継続 V ハ 持続 V ﹂