はじめに | た い。前稿 ﹁九等﹂概念を中心に 皆川洪図 論二こ 一 まず、前稿︵﹁皆川俣国論︵一一﹂︶の訂正からはじめ この﹁赦免書目口 浜 田 秀 日 は ついて、 宗 放氏 は ﹁僻説﹂で﹁ 赦 免書 の主名 ったことを 示 の下に﹁末利﹂・﹁未彫﹂と記したものがある。これ は、赦免の午 およびその翌年三月の書上の時期までには未刊であ 未刻﹂書が後年必ず出版されたとは限ら ない。たとえ ば 、文化八年赦免の皆川 洪国者 の ﹁ 易 原典﹂は未刊に 終った重目であ す 。﹁ 者に開示 た形跡がないと述べ、洪図が開初学を分かりやすい 形 で甘枕 目録であり、 る。それ故に、﹁赦免書目口は版行を、赦免された書の では 洪 国間物学の中核にある書物﹁易学問物 ﹂に つ い て、版行され したくはなかったのではないか、という推測をしたの であ った。と 室 日経﹂の一ろ 0% 解るの ぞいて、以上のすべてが﹁未到﹂となっている。ここ にあげた書目 洪園 の諸著作に関して言えば、﹁詩経﹂ 一と指摘してお られる。 出版書目ではない。﹂︵傍点原文のママ ・ @、 洪園の開 御 赦免書目﹂で ま ころが、 宗政 五十 緒 ・若林正治編 め ﹁近世京都出版 資 科目 ︵昭和四 十年日本古書通信社一所収の﹁板行 初学関係の書目を見ることができるのである。すなわ ち、 この﹁ 御 易原典 ヒ ﹁易学間物﹂﹁大学鐸 僻目ヲ中庸緩解 目 ﹁論語紐 解 ﹂ ﹁周易籠 ﹁ 赦免書目﹂によると、文化八年の儒書の部に皆川俣 ある。つまり、間物学の秘教的な部分に関わる話者 作 に関しても の著作のうち、間物学の中核にかかわる﹁ 密﹂の側に 属する書物で で、﹁易 原典﹂﹁易学問物ヒ﹁補正鵠 エを 持つ 洪園 鑑ヒは ・顕密の対 - 解 ﹂﹁詩経緯僻ヒ﹁書経緯 解目 ﹁再校補正 韻鋸目の名が 挙げ られてい 一 版行に至らないまでも︶出版が意図されていたとい,っ事実があっ 固め 著 として る。 二五 一一ノ 丁、 洪園の思索・用語は入り組んでおり、全体を見通すこ とは困難で がら、間物学の性格を探る前哨としたい。 洪園の没年は文化四年であり、この出版願いが侯国 の意志に添う ある。特に、おびただしかばかりの間物学用語とそれ な っなぐ象数 たことになる。 ものであったのか否か、また何故 @﹂の時期にまとまっ て出されてい 約論理は、しばしば我々の理解を絶している。しかし 、 洪園の論理 洪 園の体系は、経書解釈のためにたてられたものであ る 。その 木 えることができると思われる。 構造を大きく捉えることによって、これに僅かばかり の見通しを 与 るのかは不明である。後考を侯ちたい。 さ めぎ 笘ざ 寺十 い文 Ⅱぎ轟き い憶 次に補足だが、前稿で、﹁もっとも研究の遅れている領域﹂と 述 べた近世易学については進展があった。 OT ごめⅡの オ@n z舶・ミキ巨晶 GOO︶ 経書及びそれに準ずるものの文面に求められる。よっ て、間物学の 質は音義説であり、儒学である以上、その体系の根拠 は究極的には は、易経の近世文化への影響という問題を、神道や 仏教、自然 神 体系を Xと置けば、それは、以下の諸要素の結節点に 存在するもの のにぎ さ・下0 コo三 -戸ヒコ @ づ︵ の@ の ヒ 0% 由ハま 苗守市﹁ 2の 学 ・軍学はては芸能までを含めて広く概観したもので、この領域に として理解できる。 経書 Ⅰ音義Ⅰ字義の音義 曲解釈 新しい展望を開くものである。ただし、あまりにも 広範な分野を扱 っているために、易学史は ついては素描のみに終っているようであ る。 Ⅰ 洪園を直接扱ったものではないが、近世易学史に関す る 我々の 渇 目 字の音韻Ⅰ と を癒してくれるのは、益子勝氏 の一連の精微な研究である。これら 野口武彦氏 諸概 学的 諸研究の発展によって、間物学の読解が一層進むことが期待される。 さて、浜田 の ﹁九%﹂については、すでに佐田智 明 哲 根 の考察がある。しかし、両氏も認めておられるとおり 洪 園の説は晦 そ め 本稿 では、体系 けで ムロ、 は 場 わ の う 渋 で、なかなかその全貌を明らかにしてくれない。 としての間物学の中での九晴概念の位置づけということに配慮しな >@ 見取り図を前提に、 易原口の諸注釈について ﹁ 洪 園の議論の中核にある﹁丸帯﹂ すなわち洪国が開物の秘密が隠されていると見て取ったところであ ローチすることになる。 二 る。ひとたび音義が導かれた後には、その方法は絶対的な正当性を 付与され、原則として全ての文字、全ての経書 一及び それに準ずる もの 一 が対象となる。間物学の場合、経書解釈にせよ 字書にせ よ、 概念へと アプ のことながら含むことになる。これは伝統的諸思想、とりわけ易学 って森羅万象を解明するものである以上、世界に関す8 色 弁 を当 妖 次に、﹁哲学的な諸概念﹂については、間切学が字義 の解釈によ でが 洪園の原意に添ったもので、どこからが狂者の考 ぇかも不分明 のではない。また、書物ごとに微妙な差異も存在しており、どこま の註釈自体が極めて難解であり、読んで直ちに理解で きるようなも の内容に関して弟子たちの注釈がいくつか遺されてい るが、これら 洪 園の主著﹁易源口は、まことに読みときがたい書物 である。 そ と 関わる部分だが、間物学の場合、用語がほとんど 洪 園自身の創出 である。しかし、現時 占 において 洪園の思考と我々を結ぶ手だて と この間物の作業を前提として生まれたものなのである によるところが特異な点である。つまり、間物学は用 話 においてそ しては、これ以上のものは 虹 いといえよう。なお、﹁ 易原﹂書き入 題簸に﹁易原精義佳道 諦 皆川洪固着﹂とあり・内題 には﹁九 律連読ヒ 一冊 一 尊敬 閣文庫所蔵一 議会十二律諒解﹂とある。﹁易原ヒ 上巻の﹁元詩合 十 三径説﹂部分 ●﹁易原精義 はそれに準ずるものはあげなかった。 れ木の類がひくつかあるが、今は略した。また、 洪園 の自著もしく れ 以前の易学と断絶した関係にある。 また、﹁字の音韻﹂とは、韻学上の諸分析を意味する 。ただし、 伝統的なそれではなく、哲学的諸概念と同様、全ての 概念は開竹竿 によって意味づけられ、読み替えがなされている。 こ @﹂では、単に 要 である。そのため、関物学は 、身体論の様相を持つ @﹂とになる。 の註釈である。内容から見て、洪固め ﹁ 易尻目講義を弟子がノート 帳内 一 が重 義﹂についてであるが、間物 学は 、土日額に音義を対 最後に、﹁土日 向・膜内 応 させる。 扶し 、この音義は 、極めて抽象的かっ長大 な形を持って したものの浄書だと思われる。﹁易原﹂ではたかだか 一丁半あまり @ おり、対応の手続きも極めて煩隙 である。本稿では洪園の身体 卦㎜や 三十八行の本文を註釈するために、多数の図を付した 六十四丁の書 音だけでなく、その調音にかかわる身体 音韻・音義の議論にはほとんど立ち入る余裕を持たな ぃが 、以上の 二七 物 が必要なのである。﹁ 易原﹂がいかに圧縮された 叙 述 である 理解されよう。内容は極めて精微である。筆者は不明 + ﹁ 易原序 ・丸鍔之説 ・九群十二律文 説 詳解﹂ 一冊 一 静嘉堂文庫所蔵︶ 九等十二律 之説詳解﹂と書かれてい る ︵以下、 二八 いずれも﹁易 原ヒ の解説本であり、内容をほぼ同じく している。 ﹁国字 草﹂は、刊本﹁易原ヒで ﹁ 著列訴﹂とあるところ を ﹁八始説﹂ と呼んでいるところ、また刊本﹁ 易原ヒ 0本文にほと んど言及して いないところなどから、﹁易原口刊行以前の、浜田の 講義を元にし たものではないかと思われる。﹁未詳重テ質問 スヘシ﹂といった 文 面も見え、元来は公淳個人の手控えの性格が強かったも のであろう。 野口氏は﹁棋園 がいくらか啓蒙的に書いたと目される ﹁ 易原 国字草﹂ 題簸に﹁ 易原序 ﹁ 易原 席ロ と略す 一 。佐田氏の論文でも一部紹介されて いるが、内容 なる写本﹂として紹介されておられるが、洪国本人の著 書 ではない。 抄こや﹁ 易 原図説﹂とい 一 が ﹁国字解﹂では順序を逆にしている。また﹁国字解﹂には内容の 異同について述べれば・﹁国字草目で中巻・下巻に 相 生 する部分 明 である。 った浜田の著述とおぼしき書物が引かれるが、いずれ も現在所在 不 周知の﹁易学間物日の他に﹁易学大意 之 説詳解﹂の 三 は 、﹁易原序 詳解﹂﹁九 %之説 詳解﹂﹁元詩合十二律 編からなる﹁易原﹂の述語的な注解である。筆者不明 一静嘉 道文庫所蔵一 ●﹁易源国字解﹂一冊︵尊敬閣文庫所蔵一 ●﹁易原国字華ヒ上中下三冊 ﹁ 易原 国字解﹂一以下﹁国字解 ヒと略す一は、題奈に ﹁ 大珍書房 ﹁湯原﹂の刊本から写したと見られる文面がある点、 行間に﹁以下 諸処に小見出しが付けられている点、﹁八始説﹂の﹁著 列﹂の図に、 横川温筆授﹂とある。筆授者横川温は、 同じく﹁門人帖﹂に ょれば ノ説杜撰ニ仙タリ 当改﹂といった内容を批判した書き 入れがある占 完﹂とあり、内題に﹁ 易原国字解岩城 公淳 先生訓釈 天明八年六月四日の項に﹁能登折口入﹂として載って おり、会津と などから、﹁国字解ヒ の方は﹁国字草 三一もしくはそれに準ずる 物︶ 原 国字解 同郷の先輩・後輩の関係である。 公淳は同年に死去し ているため、 を転写したもので、﹁易原﹂上巻の刊行後の成立と思わ れる。 岩代金澤 は、能登の人。﹁有斐斎受業門人 帖﹂では 安 水セ年五月 洪園の聖においてはほとんどすれ違いであったという ことになる。 下﹂とある。 一方、﹁ 易原国字草目 ︵以下﹁国字 草目と略す-は、題察 にそれぞ れ ﹁ 易京国字卓上﹂﹁ 易京国字草中﹂﹁ 易康国字草 人厳城清 一三日に﹁能登所目 五郎真一字︶公一 揖 ﹂と見え 海彼院公厳については、﹁有業斎受業門人 帖白 には、 天明八年六 一六オということで、多少年執の感があるが数字は合いそうである。 に 、﹁乙甘夏四月一天明五年 - に及んで、厳戒 公淳能 登 より京に来 月 二八日の入門者として、出羽庄内飽海郡酒田浄福寺 の秋分厳 の名 る。岩城公淳と洪園との関係は 、 例えば 洪園 の 室 日経鐸僻目の序文 たりて、余が為に其の稿本宅古文 弁傍目のこと一を 取りて、日夜 公厳は酒田浄福 寺 十四世。 ほど傾倒し、 洪 園の側でも﹁浮屠千載の汚傲 る 雪ぐ者﹂と では、老実の入門は天明八年五月六日 じ洪 園の書を全文暗記する 上林君実により 洪園の学問を知り入門することになっ た 。宅門人 帖口 小山松勝一郎﹁酒田の漢学﹂によれば、 年には、 公厳の方は五八 オ ということになる。 を 載せる。天明八年に三二才とあるから、序文が書か れた文化十一 公淳は天明八年に四二才 孝 校し 之 れを繕写す。既に成れば則はち復た 余に序を吐 申ふ﹂とあり、 緊密なものであったと考えられる。なお、 で夫 抗 している。 ●﹁ 易源解ヒ 五冊 一 筑波大学所蔵 - 一穂南 軒蔵﹂とあり、以下名 冊 に番号が 公厳を高く評価した。文字学を仏典の分析に用い、 異安心をとなえ 一冊目表紙に﹁ 易原解 振られている。序文の識語は﹁文化十一年中成文春 平安村上有恒 て好かろう。 たため、宗門から閉居を命ぜられたという。 洪園 の高弟 の一人と見 ぃ のことだ と 思われる。 聴匝 昂によ ると慶応二年セ二 オで 没して 撰﹂とある。村上有恒は、村上恒夫 村上恒夫は、﹁漢文学者総監 ●﹁場席聞書ヒ 一冊 一 静嘉堂文庫所蔵一 る。 序文では、幼少の頃洪園が 没し、残念ながらその説を 聞く ,﹂とを ●﹁易原聞書ヒ 三冊 一 静嘉堂文庫所蔵 - 一冊本は、題簸に﹁ 易原聞書﹂とある。﹁九叢説﹂﹁著列記﹂﹁四 得なかったが、今年になって幸いにも公族上人よりそ の説を聞くこ とができた。﹁ 易原﹂はその文面が簡潔であるので、 学ぶ者はその 象芝原図説﹂﹁四象図説﹂﹁八卦方位 説﹂などを中心と した﹁湯原ヒ 三冊本は、題祭 にそれぞれ﹁易原聞書上﹂﹁易原聞書中﹂﹁ 易 0部分的な註釈である。 ﹂ろを述べて @ 意を取るのに苦労するが、ここに令厳上人に聞くと ﹁ 易原解口を作る、と述べる。﹁給め昂の年齢から逆算すると、村上 恒夫は棋園の没した文化四年には九 オ 、﹁易原 僻目 序文の段階では 二九 う 政治上の大法のことである。﹁五行︵木 ・火 ・土 ・金 一二 O 原聞書工﹂とある。一冊本 とは重複するところが多 いが、 よ り 大 ︵ 貌 ・言 ・視 ・聴 ・忠一、八政 ︵食 ・貨 ・祀 ・司空 永一、五事 と 思われる。 公厳の意見も﹁海彼焼亡 説﹂として引か れている。 棋 諸説をふまえているところをみると、三冊 本はかなり後年の成立 図短折・ 疾 ・憂 ・貧 ・悪 ・弱こが九 つ 克 ・柔克 ︶、稽疑 、庶徴、五福寿・ 富 ・康寧・徳 ・考柊也、六極 賓 ・師 ︶、五紀一歳・ 月 ・日 ・星辰・暦数 -、皇 極 、 三徳 -正直・ 剛 司徒・同定 部の註釈となっている。いずれも筆者は不明。 園の死後、その理論を整理する必要が生じた時期のものではないか。 える一の大法、すな ね ち、 九叢を成すとされる。しか し 、洪園 の 開 はひとつに数 なお、三冊 本で ﹁岩城聞書﹂﹁岩城 力喜人﹂として引用 される文は 、 初学においては、それが主著﹁ 易原口冒頭で論じられ ているところ ているのであ と 六極 静嘉堂文庫所蔵の﹁易原﹂書き入れと一致する。この ﹁易原口は岩 からも明らかなように、たんなる政治上の概念として ではなく、 体 る。 %とはどのようなものである のか、まず 系 としての間物学の根底を支える土台として機能し 至福 城公 淳の手沢本であろう。 - 一で一下し、間物 学 なお、引用にあたって、漢字を通行のものに改めたほ か、強調 引用を﹁﹂で、字句、記号を補った部分を 間物学でいうところの九 は 図に従ってみてゆくこととしよう。﹁ 用語については、一部を太字で表示し読みやすさを 図 った 。句 ,玩Ⅱ占 ほ ついては・﹁ 易原 精義﹂﹁易原 国字解﹂﹁ 易 康国字 草三 ﹁易学階梯 ヒ を載せる。白い矩形・ 里い 矩形はそれぞれ陽鋳・ 陰隷に 青を用い、 写不類では 赤 れは間物学的に読み替えられた易の陽文・陰文に相当 する。 陰篆 を 指すが、 こ 易 項ヒには﹁ 九 叢図 ﹂ 図 1一 など、句読点を持たないものには適宜付した。また、 ﹁ 易原解 三の 一部、﹁場席聞書目一冊 本 、﹁易原聞書 ヒ 三冊 本 ﹁湯原序 口 を Ⅰ @、 Ⅰ句 また、間物学では、防毒に赤を、 青に 塗り分けられているものが多い。 読が 付されているものについては、原則として原著に 従ったが、 句 自読占の別に関しては読みやすさを優先した。清濁に 関しては、 原 帯 ・陰帯を易の通常の陽文 -際文 @で表記することと する。︶ 下か % である。丸帯 と 八卦の関係 ほ ついては、部分的にはすでに両氏が述べたところで はあるが、 こ 九段に配されている。これすなわち九 らの 陰帯と 上からの 場帯とが中間で入り交じる形であ るが、全部で 以下では 便 官士 洪園 の 場 者 のまま、改めることをしなかった。 三九蕃国と先天国 九笥の語は、﹁書経﹂洪範に見える、再が天から授けられたとい こでも便宜上説明を加えておく。 坤 ﹂と 未 至日 丸持 図をみると一番下から 陰笥を三つ取ったところに ﹁ 生叶 件﹁ @ -た 、 弓 牡竹 かれている。これはすなわち、八卦の一 つ で、 陰 文二 つからなる 坤 卦 である。八卦とは、陰陽の各交を三つ積み上げて ヨ ・梵王・雅二・ 震三 ・巽二・ 吹三 ・良三・ 坤まの 八通りの組み は、坤 軸 丑から 郡薙がこの先天国と対とした今ひとつの 易回 、即ち﹁ 後天国﹂は 、 ﹁文王八卦方位 図 ﹂ 図 3︶とも言われ、こちらが現行 の易であると される。後天図も又、説卦伝に根拠を持つ。 震は、東方な 弔 は 、 震に出で、巽に 斉ひ、 離に相見、坤に 致役し 、見に説 言し、 乾に 戦ひ、 次に労し、艮に放言 ロす。万物は震に出づ。 り 。巽に 斉ふ 。巽は東南なり。 東 ・東南・ロ ・南西・ロ ・西北・ヤ ・北東に配されるが、その配当 ひとっずらし 後天国においては、 震 ・巽 ・離 ・坤 ・免 ・乾 ・吹 ・艮がそれぞれ は ついては先に見たが、たとえば上に 一つの陽炎 を さて、九等との関係を見ると、この八卦全てが含まれ ていること 合わせである。 がわかる。坤軸 もち、下に二つの陰 文をもつ良計三 た 形で九偉の中に含まれている。ただし、﹁乾 ・究 は免 ・坤を除きほぼこの説卦伝に明示されている。冒頭の文で述べ られる八卦の順番も、東 馨から出発すれぼこの後天図を構成す 離 ・干辰 ﹂の 各 ることとなる。ところで、後天国と異なり、先天国に ついては配当 卦は 、通常の形とは上下を逆にした形となっている。 ﹁易経 ヒ説卦伝の﹁天地位を定め、山沢 気を通じ、 せま が直接には示されていない。つまり、先天図の方は 、 おなじく易経 侯国 は丸帯 を て展開するの 雪 風神薄り、水火相射はず、八卦 相 錯る。﹂に基づい 宰周易本義巳。 説卦伝のテキストを出発点としながらも、格段に﹁ 読 み込み﹂が必 だが、この文は、朱子学では、いわゆる﹁先天国﹂、すなわち﹁ 伏 義 八卦方位 図 ﹂ -図 2︶を意味するものと解された 他 のいくつか 文面の解釈に関わる。 郡殖はこれを先天図の八卦の配 列を示した表 ひとつは、﹁八卦相錯る﹂に続く﹁ 数往者 順、如来者 逆﹂という 要とされるのである。 図 ︵ただし、朱子は部 薙 以前の伝来を主張する︶で、 ね ち、 南 ・南 現として捉えている三皇 極経世書目観物外篇 一 。ただ し、この部分 先天国とは、 部確 により現行の易以前に存在していたとされる 易 の男囚と共に朱子に受け継がれたものである。すな 分 ・離 ・震 は間物学上﹁往来辞﹂なる別の構造と関わる存在であ り、ここでは 東 ・東 ・東北・南西・ 西 ・西北・北にそれぞれ乾 巽 ・玖 ・艮 ・坤のそれぞれが配当されるという関係にある。 詳述しない。 では、間物学における丸帯は、どのようにはこの謀計伝 の文面を 読み解くのか。﹁易原 ﹂に相当する部分を﹁ 九叢説﹂ より引きなが を傭 察するの情理に取る。天を仰 観すとは、蓋し人天丈 に仰観 する こ 合 ひとつは、説卦伝の他の配当シンボリズ ムを利用する解釈であ る。これはすでに孔穎達らの﹁周易正義ヒ に みられる解釈だが、 乾は南、坤は北で上下正に相対する。これ天地位を定 む るもの。山 もの三有り。日はく 極、日はく中、日はく 体と 。 こでは鈴木山次郎氏の解説を引いておこう。 は沢の気に通じ、沢は山の気に通じ、山と沢の気は相通ずる。ゆえ 列して上と為す。地理に 傭察するに 亦た 三有り。日はく極。日はく 蓋し聖人の八卦を始むるは 、其の本 亦た 皆な諸を人の 天を 仰親 し地 に艮 山︶は西北におり、見 派-は東南におり、上下斜めに相対 中。日はく 体と 而して此の天 以て 之 れを する。風は雷を得て激しく、雷は風を得て速やか 、雷と風とが相迫 北面体、相 依 附して離れず。而して以て 之 れに 刺 す。 足れを﹁天地 之 れを列して下と為す。 って用を相なす。ゆえに農畜巴は東北におり、要一 風一は西南に 定位﹂と 日ふ。三易 原 ﹂ 1 オ 以下﹁易原口の訓 み 下しは筆者︶ 。以て いて、上下斜めに相対する。水と火とはもと、 一燥一湿 にして相損 関物学によれば、説卦伝の﹁天地定位﹂とは、 天と地 が 対立しっ なうものであるが、今、離一人 -は東に 、吹 ︵水︶は 西 にいて、横 に相対して侵害しない。﹁八卦相錯る﹂とは八卦が 八方 に連なるこ っ合体している状態を意味する。これは、伏犠が天地 を観察して 八 にし @ 傭 しては則ち法を地に観、島 獣 の文 と地の この 天 ・地はそれぞれ三つの 場叢 ︵ 乾 Ⅰこと三つの 陰叢 ︵伸三一 類す ﹂のエピソードを前提としている。 に於て 、始めて八卦を作り、以て神明の徳に通じ、 以 て万物の情を 宜しきとを観、近くは 諸れを身に取り、遠くは諸 れを 初 に取る。 是 いでは則ち象を天に観、 卦を作ったとする繋辞千仏 の ﹁古者、包犠氏の天下に 王 たるや、 仰 とをいう。その画はみな 一陰は一陽に対し、二陰は二陽に対し、 三 陰は 三陽に対して交錯相交わる象がある。一下略一 一会釈漢文体系﹁易経下ヒ四三五頁- つまり、説卦伝で、 乾 ・坤 ・震 ・巽 ・吹 ・離 ・艮 ・完にそれぞれ 天 ・ル ・ミ ・風 ・水 ・火 ・山 ・沢が配当されているのを利用して、 ﹁天地定位、山沢通気﹂ 以下の文面を読み込んでかくのである。 、体が配され 一 紀 ︵ 極一 とは、﹁太ハ 地 ニ井 ラズ、地 とからなるが、このそれぞれの隷に紀一極Ⅰ実車 る 。﹁易原僻 白の説によれば、 を末とすれば、見沢の象を得。地は 、 下を本とし上を 末とすれば、 スルノ天気ミチアル﹂もの、体とは、﹁ 心ノ 7 ザ 、ハ タラキヲ、ウ ルトコロ ノ モノ﹂﹁其体 ト兵種 ノ 十ニ 、天ヲ全 スル ノ ぬ気、地 ヲ全 はな いd そこで陰陽の三毒が離れ、距離を取る。 そして転封三の まず、﹁天地定位﹂のままでは、なんらの働き -月一 も 生じること 以上の内容を﹁ 易原聞書﹂一冊 本と三冊本を中心に解 釈 をする。 長山の象を得。是を﹁m沢通気﹂と日ふ。昌男原口 1ウ一 ケ トリ 任 ズル 事ヲ持 チタル 処 ﹂﹁天地ノハタラキヲ受ト リ任 ズル 処﹂ 上から数えて三番目の陽 毒 、すなわち天体の下に 陰 毒が 、坤軸 丑 ハ天 三井 ラズシテ、 別々ニ雄 レテ 正チ 居 ル所﹂美一中一 とは﹁ 填ツ をいうとする。はなはだ難解な概念であり本稿では論ずる余裕を持 をそれぞれ 附 天上地体、紺地文天体と呼ぶ。これに よって 、 天の 陽笥が 生じる。これ この段階での九 % は、 上に天の三つの防毒 三 、下に 地の三つの 中 ・体 ・附 大立地体が完三を 、 地の中・ 体 ・附 出立天体が良二を 下から数えて三番目の陰憲一の上に、 の地体 - 陰詩三 が張り合わされた大毒からなっている 宇 此の 天地雨体 、相 示すことになる。ところで﹁ 艮 ・究﹂は説卦伝ではそれぞれ﹁ 山 たない。 ひ依附して離れず ヒ 。この 人苛は、六十四卦で言えば 、﹁否﹂の 計 沢﹂を象に持つ。これが﹁ m 沢通気﹂の﹁山沢﹂に 相 当 する。 ば 、これに 示 す二 詩を加え たものが﹁雄三・ 吹丑 ﹂となる。これは﹁ 紀 実体用 道﹂でいうと ﹁太陽下 に施すの用﹂と、﹁北陰上に承くるの用﹂を 以下、﹁ 易 原口等の引用は略して結果のみを述べれ ユしている 訳 の形である一ただし、厳密にいえば、三つの防毒は倒 だが 一 。 この﹁天地定位﹂の木叢の形から、﹁山沢通気﹂以下が 、九 % の 展開プロセスを表現すると解釈される。 ころの用と解釈される。さらに道の陰陽二簿を横に並 べておく。 こ こに﹁ 翼つナ・震三 ﹂が生じる。﹁ 離 ・次 ・巽 ・震 ﹂は 、説卦伝でそ ひろ 間を 閥 くす。 既に天地の用を観んと欲せば、因りて天地を分ち・其の 洪園 の九叢説の直接の根拠は、経書の強引な解釈によ るものであ 相射はず﹂に相当する。かくて大毒が成立するわけで ある。 れぞれ﹁ 火 ・水 ・風 ・雷﹂の象を持っ。これが﹁雪風枯薄り、水火 其 下の地体に 、 別に其の上に 附 すに 、一方笥 而して其の上の天体に 、別に其の下に附すに一言議を以てす。是を 附天 立地体と名づく。 を以てす。是を附地文天体と名づく。是に於て 、 天は 上を本とし 下 行の易の中に隠された伏犠の易を読み込む、という そ チーフも共有 また、説卦伝のシンボリズムを利用した﹁読み込み﹂ によって 、現 同一文面を根拠とし、八卦をその中に含むという構造を持っている。 図の持つパラレリズムは見逃してはならない。両者共 に、説卦伝の 込んでいるに過ぎない、ということになろう。だが、 九等 図と先天 る。現在の目から見れば、これは思弁的な形而上学を 身勝手に読み ある。また、九等成立が伏犠の﹁ 仰観傭察﹂に必然的 な結びつきを 陽 の三 % に示されるごとくその境界では積極的に混合 しているので 配当ではなく、生成のプロセスである。そして、天地 の 二気が 、陰 重視され、時間的な展開として提示される。それは 八 卦の空間的な 丸持 は、天地二極の形で包含する。また九等では天地 二気の働きが 例えば・先天国が世界を方位という円環の形で統括する のに対して、 棋園 の九叢は 、その先天国と異なった部分をいくつかも っている。 三四 洪園 の丸帯 図は 、部薙 の先 天国と極めて している。その意味では、 確かに、 九毒は先天図を下敷きにしている。だが、 洪 園は九等 図 もつというのも、大きな特徴である。 洪 園は先行するほとんどの易学を評価しない。その著 書 ﹁易学階 の作成によって、朱子学の先天国に欠けているものを 補い得たと 信 近 い存在なのである。 税目︵写本三冊。京都大学所蔵一で郡薙は ついて述べ るところを 引 じたのであるから、この差異がいかなる意図を隠して いるのかを 正 ﹁公平 ノ知 ﹂と神気 九 % は、聖人伏犠が天地を仰 観傭察して、人倫の道を 明らかにし 四 確に測定する必要があるのだ。 いておこう。 末那京師ナト ノ占ナト、並ニ皆是 通リニ テ、大ニ古法 ヲ失ヒ、文 王ノ易ヲ 天地間ノ一活物トシテ作 りタ%ヘル本意トハ 、大二相違 セ ル取リカタナリ。三易学階梯口上﹁漢已後人吉雄﹂ 一 晴二九 たものである。 とを意味しない 洪園としては、先天図の持つ﹁伏犠の穏された 先 ノ実 トスル 処ノキ ︵義- ハ、易ノ 説卦伝二本ツキタ ル 所ノ モノ 也 。 しかし、その ことは、彼に有るものが、我に欠けていても良いこ 天易 ﹂という そチーフを継承しつつ、よりすぐれた存在としての 九 書経説卦伝 ノ文ヲ以テ、名ノ下ノ実ナリトシテ八卦 ノ ョツ テキ タル % ト 三名 ハ、本、書経 ノ 洪範ニ 出 テアル 処ノ名 ニシテ・英名 寺概念を提示し たかったものと思われる。 にあ 処 ノ象 探 人 -. Ⅰ - 人 ) 明ス処 ハナ ノ ニヨ ツ 理ト云ガ ア ッ ロノ内 二助ク所 ノ 家地。 ソ レヲ本 トシテ 宮易原聞書上し それは 又 ﹁天 観傭察﹂の主体は﹁衆人﹂ではなく﹁包犠 氏﹂なのだ から、この 読 下衆庶ノコ、 ロノ 六ニ 動 ク所 ノ象﹂だという。繋辞 下伝本文の﹁仰 ,J 一 ﹁ 軌則 ﹂一 とは、﹁衆人の仰 観傭 察する情理﹂であり、 聖人の智慧と雄も、根拠が無ければ和智 に過ぎない 。その根拠 八卦 ヲ画キ タルモノ 也 。 テ、コレ ガ 天下衆庶ノコ、 ヨツテ 、八卦 ヲ画タハ 伏犠 ナレトモ 、英国クニ 付テ 軌則ヲ トル 所 … 昔は、間物学の原理的な要請によるものである。 ナり ニ心妻 間 顛 草 別 。 禽獣 ノ 、 コ 以 ザル 履シ ナキ ク、 テ シ 傭シ ナ テ 以 公 我 ・形は地とリンクする間物 一二且 て 学 上の概念で のみが他の生物とは異なり、首を上下できるゆえに、神気が彼我に あり、神とは神気のことを意味する。植物は仰ぎ 、動物は傭す 。 人 いる。ここで彼は天と、 エピソードの域を超えて、人間の認識能力を論証する根拠となって 間物学において、﹁ 仰観傭察 ﹂は、聖人が八卦を制作 したという 間二千 ト ス 由 エ @ よ ア、 ノ カラ そ り 具申 有 政ニ しトモ 和智二 柳 クベ 混合 ノ 義 氏 興 で ヨカハ煉 聖、 」 ノ物 c Ⅰ ナリ。 地フベ 我 "一 一 /¥¥ 一 凡ソ 天地 独り コト 画 か 古来 入 シ @@、 ま 三易 冊本 とは、﹁仰観傭察 ﹂によって神気の偏差が 皿くなるこ とによって 実 つつ、人間の認識の構造を論じる泌要があった。ここで ﹁公平の智﹂ に奇妙な論証である。しかし、洪国としては、易経の 文面に依拠 し ソレ ヱ頁 ヒ思 ヒテ モ 、某 実物八日疋ソト執り定 タルトコ リテ 俊三行有恒 ヲ得ヘキ故 ニカク 舌ロヘルナリ。 ロニソ レ フ = 目ヒ 、小二 ミト ナリテ 、ソ レ フ行フ コト恒ヲ成 スコ トハ 出来 ス 。 其物ヲ定メ知 化物 ヲ定メ知 ラサレハ、道徳仁義 ヲロ 二毛ロテ モ唯々 虚 華 ナル辞 林ノ 偏らない。よって﹁公平 ノ智﹂を得ることが出来ると いうのは、実 現 できる、と考えられているのである。 タ、ソレ ニ仙 ョリタルコトヲハ、 其ソ レ フ言 ヒソレ フ貴 フトコロ ガ 、 唯虚影ノ如ク還饗 ノ 妖レトモ、心ハ虎ニシテ天 ニ層シ、形 ハ案 ニシテ地ニ 属ス。実 ハタ スル 如 クニシテ 為シ行ク 政こ、時々 ノ気 ブリ 物ズキノ カ ワルニⅡⅡケ フ スルトコロ 、固ヨリ何モ 執り 定 メタルコト 皿ク、僅 ニスコシノ仰臥 功ニ 向 ヒ事 二臨ミテ 猿ノ 人真似 ヲ ノムベキモノ ニシテ、虚タノム ベカラザルモノナリ。政 二人動 モス テ変 シカワリ テ、恒有ルコトヲ ナスコ トヲ得ズ 。サテ ス石 ノ人真似 三易原解し レバ、其音形 ノ六ニ偏り、公平ナルコト能 ハズ。是人 ノ教ヲ待タザ ルコトヲ得ザル所以ナリ。 証 トス ヘキニタ ヨリ、目力 物 ズキ尻癖 ヲソレ二混シ雑 ヘ テソレ ト思 一力ワ リスク。 ヒ ナシ 往ク放こ 二疑念 起 リテ、マタ様々 しかしながら、原理的には﹁公平の智﹂を得られるはずの人間、 そ 是 天下 ノ凡庸 ノ人ノ スルトコロ何事 二テ モ智斯ク如ク ニナリ ユクコ 、事毎 の智は形Ⅱ地の側に傾きがちで気の偏差を生じてしま・ つ。 った 一種の神秘的実体であり、﹁天ノ 下神物 ノ片ワレ﹂宰易学階梯巴、 たものである。開くべき物とは、﹁名物﹂声音と意味とが一体とな ノ義ハ 勿論 ノコトニテ、天下 ノ 万事 並 ニ智己 力家風 己 力宿習又気癖 是等 ノ事 、先 ツ莫大要 ノ処ヲ 明二セント ナ ラハ、道徳 仁義 ノ諸徳物 ヲ為シ 国家 ヲ治メ身ラ行ハントス ルコトハ至テ危キコ トナルヘシ 。 ト、 人々ニ目ニ顧 省セ ハ具覚 アルベキナリ。 斯ノ如ク ナルヲ以テ政 すなわち天地の神気を受けて生じた存在とされる。開切字 は、この 又ハ 自分ノミノ 信 スルトコロ スハ 自分 ノ 勝手ニヨ キ徴 証 ノミニタ ヨ そもそも洪園 の間物学とは、物を開くことを目的とし て立てられ ﹁名物﹂の意義を確定するためのものである。道徳仁 義 といった 、 リテ、ソ レ フ執り定メ極 ントス ル コト 並 ニ晋大 ナル 僻 事 ナリ。 一 冒の学階梯 口 ﹁間物﹂ 一 ﹁ 徒物﹂の解釈における気の偏差は、甚大な被害をも たらすであろ つ。 前稿 の解釈 では、 し テ 讐 風俗 二 / 其 サ ナ ハ フ ツ マ ル レ 適 任 ト テ 如 ト 用 ト メ / ィ モ 表 ル ニ シ キ ン 右 ナ レ ト / / 行 ,/ヘ、し ヌ / 三易学,情理﹁間物一 ﹂ 故に、﹁間物﹂は、気の偏差を超越した 智、すな むち 聖人によっ ノ聖人君子ハ車テコレラ重 ンス。 ン、右ノ業ヲ定メ、右ノ疑ヲ断スルコト ニ周ラルモノ ナル政こ、古 ハ リ テ 札トテ リ イタ クニ ニヨ リ キノ ナ ト モ テ @菓 レ モ トコト甚力見 サ ナノ物トテ、 亡ハ 、強 モ、金 云 八 コ 二 レナ o ハ シ 二 ヨ 」 テ仁ヲ が で 一 も 定 述 そ 示 れ さ に れ 問 題 の は何ら こそが ハコ て発見されたのである。聖人の聖人たる所以は、 私智 なす て、間物 によって物の真実を定めるところにあった。 七粒 二シテ 物ノ 弁別三昧 ク、旦力智 ヲ以テ物ヲ断 スル コトヲ 好ミ 、 八二 ニ ラントス ル モノ ハ、何事ラモ、 唯己力物 スキ 又 ハ旧習 二 7カ セテ、謹 テソレト定ントス ル モノナリ。 妖レトモ、左 様 ナルコ トヲ 以テ 、天下白仝 動 キナ キ物ノ実ヲハ定 メシラル、モノ 三井 ス。是政 二聖人ハ % 力私智ヲ舎テ、天地日月 ノ道ノ 大規矩 ニ当 ア、物ノ 真実 凡庸 ノ智ヲ以 開物 ﹂一 三易学階梯 ヒ﹁ ヲ得テ、ソ レ フ執 ル所トセント求メ給フコトチ リ ト見 ュ。足力 チ- 易ノ 間物 ノ道ノ由テ起 ル所ナリ。 シカ ハアレトモ 、右二述 タル 物 トフ 者 ノアルコ ト テ 八一向 其意外二出 タルコト ナル 故 、心 ヲ潜メテ審二 思ヒ求 メサ レ 此ニ ﹁間物﹂ト コ レナルコ トヲ如か コト難力ルベキコト ナル 故ニ 、今 先ッ 比干 條 二君 ノ ﹁開物成務﹂以下 ノ文意 ヲ細釈ス 。 イ ヘル ハ、物ヲ見へ来サス コト ニス ルコト ナリ。 三易学階梯 口 ﹁間物﹂ 一 以上見てきたところで明らかなように、 開 初学には、 認識におけ る誤謬と真理を﹁気﹂の問題として考える独自の視 占 が存在して ぃ 三七 三八 皆 衆人 ノ仰観傭察 スル情理ヲトツテ本トシタ モノ。 つは﹁身ノ行ノ法則﹂と呼ばれているもので、具体的 にはいわゆる ここで述べられている九叢の機能は 、 二つあると考えられる。 一 三易原聞書上き 亦 、典人 ノ仰観僻案 ヨリ興 りタルト也 。人トハ 天下 ノ衆人一、︶其 動キ身ノ行ノ 法則皆悉クソレガ為メノ本トナル モノ。ソコデ八卦 モ 也。﹁亦﹂ トハ、八卦 ノ為メ ハカリ二本ト ナルテハ チイ0人ノ小ノ スエ る 。﹁九叢﹂は、この問題の解決のために立てられた はずである。 始 八卦 其本トハ ﹂ ト云テ 、﹁八卦ハ木 デ八卦 ノ来 ル本 ハ﹂ ト云 コト コ ソ象 二ョ ラネ ハ々ラサルコト 也 。 ソコデ 合毛見 原 ヒで - ﹁聖人 次節では、その構造を見ていきたい。 五九等 と世界認識 丸帯 は ついて、諸註釈は、それが心的存在であって、外界に存在 三易 原解 し ノ 天地 ラッカマヘ 論ズルニ 非ズシテ 、晋@ 比し 三菱アリ。一八黄家上 二 = ロ する現実そのものではない、ということを強調する。 由勿 ほか白の︶﹁天地定位﹂ ︵﹁ ナリ。﹁天地﹂二字、実物 家中 ノ 目算 ノ 天地 ヲ云 ナリ。 五倫を指す。この五倫 と丸帯 の ﹁ 紀実体用道 ﹂との 関 係は、 極めて 錯綜した議論となっており、本稿では省略にしたが・っ。ム﹁ひとつ、 人 九等 ハ、天地温金 ノ象ヲ以テソノ本基 トシ 、象ヲ 天地 上下二分 ヨリ いるのは、 間の認識がこの 九肯を通して行われることを意味して いる。すなわ 人ノ心ノ動キフ行ノ 法則ごとして取りあげられて ﹁ ﹁ 荷 モ人心 僅力 三助 ク トキハ 皆 コソ象 二ヨ ラネハテ ラサルコト 也﹂ 三易 原精義佳道諦 し タ 、コレ意想 中 ニ船 テ介し タルヲ 、石本 ニ ンテ、 画 キプラハセルモノナリ。コレ 全クソノ 混合 ノ実物 ヲ以 テコ レ %分析シタルニアラス。 カタ トリア ラハ セルモノナリ。 ち 、大毒は認識の枠組みとして機能しているのである 問題となる﹁ 易原 ﹂のテクストを引いておこう。 では大毒を通しての世界認識とは、どのようなもので あろうか。 があるのだらつか。 凡そ此の八卦丸帯なるものは、人心の象を天地に分つ所 以 の者 なり。 九 % が人間の心的存在である、ということには、どの ような意味 牡 レハ 其 八卦 二限 り タル コトニアラス。 荷モ 人心佳カ ニ乱別ク トキハ 天地は、万物の父母、万物は、天地の子。故に八卦九 肯は、又た用 盆易原ヒ 2オ- ル ノ モ ト いて以て象を万物に分かっべきなり。唯た走れ人心の 象を分かつに 之れ有り。 この部分の注釈として、﹁易原 聞書﹂一冊 本は、以下 のように述 午 具 ニ%トテウ小ヲ 形 ヤ人家 ころで / ル 美 々 案 三 象 は、 べる 公二冊本とは多少の出入りがある︶。 天也、地位 ト 三ハ、人ノ心ノ 十二家ヲ 五 -テⅠ 仰観 佃察ヲ以テ、 %分ツタ虹ガ、八卦大急 也。人心ガオモ也。 ︵易 ﹁原聞書ヒ 一冊 杢 人は天地そのものを知ることはできな仰 い観 。僻案に よって認識 天地 ノ ハナシ ス ラ生 ) 本 知価 力 ル される天地もまた、心中の象に過ぎない。この心の の 天中 地に対し スル と 象l " 地 / の て、象を分けたものが・八卦% 九だという。この天地 を象とする見 わ 二 哲 テ 物 ア 天 方は、素朴実在論に対する批判となっている。 関 モ 八卦ト二モ、九%ト宏モ、人ノ心ノ動二分レタス 三九 係、 感 応 ヲ 申 ス ヱて ツ ある Ⅱ ヱ二 ー ト、 々、 クシ た ア ト ム ー @ る る ク 異境 ア、 知ル ノ ト ス )レ ハ 丸 、 ア 叢 / テ @彊十 Ⅱ / ト ル マ /Ⅰ ソ .ノ 本 者 地 也 ム 支で え あ 以上 マ と 天 と の コ トアレ 一" / 也 ネ中 感 / ﹁易 原口言う 所の﹁分家﹂も難解な概念だが、要は 、 マクロコス ヲ コレラ 今紀実 / じ 、 モ モスとミクロコスモスの照応関係を指すものと考えて よい だろう。 天地の象が別れて万物の象となるのも、万物を天地の象 Ⅱ丸帯を通 感 力 タ ソ レ ニ ず ニ ア して認識するのも、この照応関係に支えられているの である。そし て 、﹁感﹂の構造は、初期開初学において、学問にお ける概念的 思 考の生み出す 私 智を批判する根拠でもあった。 認識するということは、気の連動によって司られる。 ,﹂れは、 そ のような認識を可能にする丸持における詩象の気の運 動を問題とす る 方向へ向くことになるだろう。 感 義 ク 、リテイルモノ、 人 出テ 、英次第 ノ 白状 ニ立ツ タルトコロ ノ様子 ヲ示 セル ル姓、声音 ヲ実 トス。文字 ヲ体 トスル 也 。 ア、ト 五戸 ヲ、ヲ、ト云 ヲ、文字 二ト メル 也 。 声ハ テハ、一ツニナ 文字 ヲ離 マタ文字 斗 リテ、声音ノ象ヲ尽 スコ レ ネ。声音 全ク意ヲ尽 スニ 非ス 。文 字 ナヲ 爾り 。 @O の ︶﹁聖人 工レ象﹂ ノ文 アリ。父母 ノ 子 々し トモ、 スク 二父母 デハナイ。万物ハ名 ヲ以テ本 トスルト三コ ソコテ 、三易原ヒ 意中ニ正 ッ象 ハ尺 サ ラ メ。文字 ハ府牒也 。 ソノ 大概ヲシル声音 二モカ キリ カ ナル。 コ ソ動キハ 、目抜 ノ紗也。神気 ヲ 明二スレ 讐ハ、ア、ト 五声 ナリト 心得 ベシ。丸帯 既 二君 ノ如ク 人心 ノ天地二分家 スルトコロ ノ 心ノ動キ、 ラス。 モノ ニテ、天地八万物 ノ 父母ナルユ ヘ、 又 北元 笥ヲ用 ヒテ万物 ノ象 ﹂の﹁感じ すなわち﹁間物﹂も、, 三易 源 国字解し レテ、ソコヘユクコトニ ノ モノ二席シテ動力紀 、ソノ 動 キテ売ト ナ 神明 ノ妙気ヲモツテ 、コレラスベ ラ出 %分 ツ事ヲ得ベシ 。 ソレユヘ 、 此 一帯ノ感 スルトコロ 時 ア ッテ、各 体ニ配 スルトキハ、人心 せ / し トハナ サレハ、 伏義民 ノ 八卦 ヲ立テ タル 本ハ、人ノ 天地ニ個仰 スルノ 情二 キ と た 士 わ 鬼 ノ動 発と に@ @し ごヤカノ 一 声 まま ス目 う英人 帯ヲ生 シテ変化 キハ マリ ナク 万物 ノ虹窮ト 相配 セルモノ ト 心得 ベシ 。 | そして、純粋な意味の確定 ト ノコ 丸ロ持 れ 理 虚 字 モ、 人 る」 明 典 徳 人 シ テ ヤ ツ 実 字 三易原聞書目一冊本︶ ここに表現されている紀 ・ミ ・体のヒエラルキーは開幼学におけ る ﹁ 声﹂の重要性をはっきりと示している。すな むち 、﹁人心ノ感 ヲ、揚雄ハ朔ラスシテ、 己力 私見 ヲ以テ其真似 ノ出来 ヘキ モノト 心 物﹂を象った存在である。ところで、 物は天地と 目幼学枇 ,旧栖 W目 ﹁相物雄一+ ・ ル姻 天 ム杜 ﹂︶ -﹁ 得タルハ 、自力 う量ヲ知 ラサルノ 甚 シキモノト 謂ヘシ @ 語の声は、﹁ 照応する存在なのだから、その声の中に天地の道 家が 現れる。つま ズル所﹂が厳妹として最上位にあり、それが声として 表れるのが次 位 、その符丁としての文字が最下位である。﹁人心ノ感ズル 所﹂と 声の中には、天地の道が含まれているのである。 り、 声音の分析は、その声気を発する身体の分析へと向か ニ白う中徳 ノ理ハ備リアルコトナリ。 ソノ声音 ハ、人ノ呼吸 ノ神気 大ハ天地 ソ中気星テ生 シタルモノ政二、ソノ発 スルトコロノ十戸土日 つ。 いうのは、神明の妙気の働きの表れに他ならない。こ の神気を明ら かにするには、符丁としての文字ではなく、声を対象とせねばなら ないのだ。 以下の﹁易学階梯目の引用は揚雄の易学を批判した 一節だが、期 せずして間物学のモチーフの要約となっている。 口内ニアラハレ テ、上跨下臨 ノ間ニ プレ テソノ物フナ ス廿叫、 ニコレ ョリテテ ロシ テ、サテ六十四卦 ヲ作り、文具易ヲ以テ撰 スルノ 法ヲ ロ、某 四声四等清濁等 ノ間ニ、自力 う天地ノ道ノ妙機 一ム日ノ 向タ ㍉山ル 1 昔々ルヲ 悟り、 因テ九叢 四象 ヲ以兵棋 ノ 通ル 数ヲ推シ 、易ノ 生々 ニ ノ深ク感 シテ物ノ形容ニ家トリタ ルモノ ニテ、英吉 ノ生 シタルトコ カント ナレハ物ヲ叩 クニ、音声音アリテ、ソノ声土日 ソ トコロ ヨリシ コトアタ フストスル モノ ハ、諸物コト フヘシ トコロン人物成ハ遮ブ 一名物音九 能ヲ ハスしか 彼ノ 前章 - トス ルニハ、則チ天地 ニトル ベシ。 スナ ハチ混和ノ象ノ存 スルトコロナリ。コソ混和 ノ象理ヲキハノ ン 月ロ ロ兵家 ヲ観テ 、擬議セル 処ヲ以テ作り絵ヘル 物ナ ル故 こ、聖人 テ、九 % アラワル。今人 ヲ以テコレラ論 スル ニ、口内 二配セシ九等 ︵賜姓 ハ、聖人 ノ易 八人ノ言 フトコロノ名声 ハ、人ノ神識 ノ作 レル 所 ナント モ、 ヤハリ 天地 ノ示 セル 所ノ象 、 天 地ノ告 ル所 ノ アリ。 ソノオク 二神家話法ノ四象アリ。 ソレヨリシテ 土川土 コ日 几 Ⅰ、 ノⅠ ク コレラ持 スルナリ。イ 三易原精義き 辞ト ナリテ、聖人 ノ手ヲ カリ テ、天地 ノ道家 ノ著 ハレ タル モノ ナル 四一 母 万 イヲ云 タモノ 父母 処ノ ウム と あ 野元 眼 四二 宅場席聞書目一冊不一 ニ、万物 ト 五ハ、文字ノ名ノ事 ナリ。 人ノ取ア ツカフ 、万物 ハ皆名 也。 元 詩の天地は心的存在であり、それを父母として生ま れた万物も また心的存在であり、元詩を内に持つという照応関係 にある。とこ ろで、この心的な万物とは、実は名である、と言うの である。同様 の議論は﹁ 易原解ヒ にも見られる。 北八卦大晴 ハ、モト実物 ノカタチヲ撫テ言 フタル コト ニアラ ズ 。 唯 是人ノ心ノ内 ニテ、具象 ヲ天 ト地二分ケテ見 タル 所ノ モノナリ。 某 天地 ト 三モ、 亦 実形 ノ 天地 ヲ指 スニ非ズシテ 、人心内 三上チタル 天 モ、父母ニ仙タ煙 力、出来タル 如ク也 。 ウムト云 ︵フ︶天地スラ 、 心ノ内 ニ頭レタ庄家、ソノ八卦元請ガ父母トナツテ・ 出 タ所ノ万物 ガ実物アリトハイハレ ヌ。功ニ今日アルモノ ラ虚トハ 、イカント云 総モト ジメナレバ 、八卦 九靖文 Z ヲ庶家万物二分 ツコ トヲ得ベ キナ ワリツケテ見 タル研二成 り タル 考 二 テ、庄家天地 ハ、 即席 象 万物 ノ 内 ニ上チタル庶家ナリ。北八卦大晴 ハ、人心内ニ具象 ヲ虚 義天地二 トリニ テツケ タル 名 ニテ、名 ハ郎 チ字 ナリ。政二万物 モ卵、皆人心 ナリ。万物 ト云 ヘル モ、先覚字ヲ謂 ナリ。万物 ノ名ハ 、皆伐心ノ見 ト名ラ ッ ケ タルニ テ、彼へ往テ 吟味シテ名ツケ タル モ ノ二 北井ラザル 我ヨリ仰テ見タル モノ ラ天ト名ヲ ツケ、 我ョリ傭シ見 タル モノ ラ地 其実ハ地 ニテ、我所謂 地モ 、具案ハ束ナル 力知ベカラ ザル ナリ。 唯 、 我 所謂天 モ、 物 地ヲ云 ナリ。 天ト日ヒ地 トロ ブモ 、彼へ往テ 見 し る事 直接 は は 目リ と 」 基 文 に 草色 、 リ 也 Ⅰ な た が べ ス 象 生 名 は デ ナ ウニツケラレタ子 ニモ、八卦丸持アルヘキ也。手力何 大 テアラフト 見 元 離 帯 家 ハ は な 自 画 九 震ハ 竹 タロ ク @2'; @ / ? い こでも ること 事物そ 」 @" そ" 自 体はは れ々 全て 至 言 れは がこの っ 詰 侍 内 @、 い し 識 八識 含 ニ 不 全体 ノ トレ付 我々の こに これら は が 、象 「天地 われる ま の ず 我 が そ 也モ 。 / ア ハ た で ここでは、 三易 原聞書目一冊 本一 一歩すすんで、名がなければ認識そのものが成立しな 土戸土日二力、ル時世。 カフテ名ヲ付 タモノ 也 。名ヲ付テ坪田シテ通用 ス。文 字 ハ姓ス大 ノ ノ 不知 処也。万物二名 ヲ付テ、取ア ッ カフ也 。万物人 間 ニトリア ッ ナシ。 名ツ ナ キ モノナシ。 某外ノ物ハ 、人心 ノ 竹ニ 存 スル モノ、 人 力 ま 意 と 万 案 豪 物 か ヵ ハ 羅 一" ヱて の判 。 ぃ言 一、 の 話 だ場 新3 名 い、と述べているごとくである。ここに間物学は、外部世界とはほ とんど直接の交通を遮断されてしまったかの観がある 。天地も、万 学は 、人間は記号を通 して認識する 物も心的な存在である。そして万物とは名であって 、 人間は名の皿 いものは認識できない間物 という、記号論のテーゼに限りなく近づいているよう にも見える。 と する解釈は、 九 % ほ ついて、﹁易原解 ﹂の舌口うところを ム﹁一度みて おこう。 先 に 五節で引いた﹁天地﹂が意義中の心的存在である、 以下のように続く。 人倫 ノ道ノ 混乱 シ、尊卑相川ラザル ヲ、モト ノ 天地へ モドシテ 、彼 ヲ天 トシ 、此ヲ地トシテ、典物 ノ居り場所 ヲ定 メタル ナリ。実物 ノ 三易 原解巳 ムベヵ ラザル 天地 ナレバ、 祝ョ リ定リアルモノナ ンバ 、今定 不定 ヲ一 ナリ。 また、﹁易原精義白では、議論は以下のように続く。 コン ヲ 了三 ニ ラ メベシ 。氷面ハ号二層シテソ ノ種貴 意想 ヲ以テソ ノ類ヲ別タントスル 時ハ 、骨肉ハ丈二 層 シテソ ノ種賎シケレハ ケレハ 、コレラ 上ニ ツ ラ スヘシ 。コレ タぐ意測ノ 分家 ニシテ 、ソノ 実身 ヲ断割セルニハ アラズ 。・・コレ八% 治 ルノ道ヲ立 ルノ法規 ニ 四三 コレラ未 三易原精義 律通説ヒ ンテ、イマ タ人身 ニソノ徳ヲ修メタルノ象二 アラサレ 成ノ象 トイ ブヘシ。 ここに理念と現実との落差が読み込まれていることを 見ることは やすいであろう。﹁ 易原解 二では、あるべき理念的な 存在として 四四 粗放な形ではあるが、ヨーロッパ近世の認識論との 比 較な 行 陳栄捷 ﹁欧米 こう。もとより、全ての存在がなにかしら類似占を持つ のは、 一の存在者が有り得ないことと同様であろう。 学 ﹂に ょれば、朱子の忌 偲 はアリストテレス・アキナ ス ・ス ライフニッツ・ホワイトヘッド等々と比較されてきた とい 論 のなし得ることは、異なった二つの思想の細部を精 密 に見 る 小 出される万物Ⅱ舌口語もまた、あるべき理念を内にもっ つまり、丸帯の天地とは、あるべき天地なのであり、 た 存在なの ,﹂こから生 。全てが心的存在であるということは、この理念化の 現れなので る。 開初 学 は、儒学の復古的理念を拡張して、現実との 接点を全く 断 九笥を通して、理念化した 名物として 儒学的認識論としての九蓋説 で閉じられているのは、理念が純粋性を保っための 仕 組みなので る。 セ 私はここで、 九叢説のもつ認識論的性格を明らかにす るために、 で、諸思想をある抽象性でむしろ便宜的に扱うことであろう。 ト クに 始まる近世哲学の認識論の特性は、世界を把握す る 追目︵ 粗放な形﹂と述べたのは、この意味である。 「 上 の認識の吟味ということにあろう。ロックにおいて、 認識論 学的認識のすべてを覆うものではなかった。しかし、 我々の 容は 、第一次性質、すなわち延長に典型的な外部に存 在する の 性質と、第二次性質、すなわち人間の認識が付与する ことに 内 発生した見かけの性質とに分離することになった。 さ らにヒ る が、すべての因果的認識を我々の習慣へと還元した。 て なことに、認識の吟味・認識論の精 級化は、当初ロッ クが目 ふ 物とは異なって 、我々が認識空間という、不完全でゆ がみを 肉 切 つてしまった。万物は、 頁 認 も 開初学の諸装置が 心的世界の 2 す球体に囲まれており、この外部への脱出が困難であ る、と たし 的 世界に立ち現れることとなった。 ュ 指 皮 た も 心 ッ て む識そ 中 l つ ている。 ことではなく、記述の枠組みを与えるために、歴史的 コンテ 易原 精義﹂ て お 伺 ザ 子 は、現実と理念のとの対比が、未成・既成の語を使用 して説明さ と の は で や個々の思想家の個人的なモチーフといった細部を全 て捨象 天地が 、 ﹁モトノ 天地﹂という用語で表現されている。﹁ た れ だ み あ ち あ いう結論を導いた。如何にしてこの気圏から外部への通路を見つけ なにもこの ょう な用語を持ち出すまでもなく、時代 ているのである。認識の不完全性の自覚や吟味の必要性に 関しては、 ぬ域を問わず るかが、認識論の大きな課題となった。 性 ﹂とは、閉じられた認識空間が必 扶 的にもたらす ところの原理 普遍的に見られる発想であろう。しかし、ここで述べ ている﹁先行 いわゆる﹁コペルニクス的転回﹂を行って、ヒューム の困難を乗り 的 ・構造的なものであって、学問体系全体の性格付け に関わってく 数学と、白状科学一の一部︶を危機から救おうとした カントは 、 越えようとした。すなねち、真理とは、このゆがんだ球 体を通した、 儒学に関して言えば、朱子の格物致知は、対象認識の プロセスの る 、という点にポイントがある。 に投影することによって、むしろ球の中から構成され るものなので 吟味というよりは、﹁居敬窮理﹂という用語に端的に みられる よう 断片的で不完全な情報の寄せ集めではなく、超経験的 な形式を外部 ある。この事により、カントは人間の認識に真理を獲 得する能力を という一種の境地である。三浦国雄氏によれば、これ には小の理 と に、 心を敬に保つことと、物の理を解明するというこ とが切り離せ 天地の理との同一性が論理的な前提とされており。﹁ 天理は気質の 回復できたが、一方で、存在は﹁物自体﹂として球体 の外に取り残 へ|ゲルに至ると、﹁いま・ここ﹂から出発する自己意識が反省 拘束から解き放たれて本来の輝きと自由な周流を恢復 し、 内と外と ないものと考えられている。最終的に向かうところは 、 ﹁め甜吠 一 具世@ ﹂起 を 遍歴し三精神現象学し、﹁有 ﹂に始まる自己連動を 弁証法的に経 が円満に調和し、行 う ところ理に合致せざるなき状態 が 実現する﹂ されることになった。 ァクロバティック に ﹁自炊﹂ へ ものという。 験することによって三論理学き、 と 達することになる三目抜哲学 き 。このへ | ゲルの 論理は、球体 すめるこの篇 名自体は朱子によるものではない 一。 先学のアンソ また、﹁近思録 ヒは 追伸 篇 ・為学篇 ・致知篇・存養篇と 叙述をす 自体を限りなく拡大して行くと同時に、球体内部に一 切を取り込む ことによって、外部を無いも 同妹 のものとして消去してしまう手法 であると舌口えょ , つ@ 。 第三篇の致知篇格物究理を論じる一の内容を前提と する展開には ロジーという性質を考慮に入れても・第一篇の存在論たる追伸 篇が の先行性﹂と名付けておこう。認識論は、存在論もし くは広義の自 なっていない。 以上の近世ヨーロッパ認識論に通底する性格を、ここ で ﹁認識論 然哲学に先行し・それを吟味し・その基礎を問うと ザ つ構造を持っ 四五 いずれにせよ、朱子学の格物致知は修養としての身体性の側面を 強くもつ。これは純粋に知的に構成されるものではな いから、認識 ほ ついての舌口 表 が自我を囲む閉じられた﹁論﹂として 成立する必要 はないのである。 一方、往休学 は、真理を導く前提としての言語という 通 路を発見 四% ハ いう以上を大きくは出ることの無いものであり、﹁訳 立笠踊﹂など 弁名ヒ では﹁人に長となり民を安んずるの 徳﹂という,﹂ にみられる言語論をもってしても、たとえば、﹁仁﹂ なら﹁仁﹂ の 規定﹁ とになるが必然性をもって導けるわけではない。 と切って捨てる。﹁仁斎と宋儒とは、こ 征 徳は仁斎を﹁ , ﹂れ 聖人 の教へを信ぜずして、その仏智を以て 仁 を 成さんと欲する者なり。﹂ れを均しくするに不学無術 のみ﹂三井右し。しかし、ある時は経書 した。﹁弁 名目では、先儒を﹁殊に知らず、 ム﹁言は古 = = 口に非ず、今 文は古文に非ず 、吾 その中に居りて、これを以てこれ を 古に求め の文面を、ある時は自らの聖人観・礼楽観を根拠とし ながらする論 もってはいないのだ。 洪国間物学の光雄としての 意味を持つも のの、この解釈意識は 、閉じられた球体を構成するほ どの繊密さを り 越えようとしたことは、 れたこと、すなわち名と物との乖離を言語に対する 反 省 によって 乗 往休学において、言語解釈の技術が真理認識の問題と 結びつけ ろ 智一般の克服にはとどかないことを示している。 証の過程は、古文辞学が先行の諸学を批判することは できても、 私 以下訓読は思 想 大系本に従う -と批判した。そして、﹁聖人の道を求めんと欲す 6 者は、 ノずこれを六経に求めて・以てその名を識 り はずして、しかるのち聖人の道、得て言 ふ べきのみ。﹂ という方法、 いわゆる古文辞学により、六経を分析し、聖人制作の道を明らかに しょうとした。 但休学は、儒学である以上経書を真理の根拠とする解釈学 であり、 存在者一般に対する認識の能力を吟味する認識論とは 位相をことに 井上哲治郎は、﹁日本古学派之哲学 ヒ序文で、朱子学 な へ|ゲル に、古学を新カント派に 比定した。また、 する。しかしここには、素朴な形ではあるが、真理の 獲得に先だっ て方法を吟味する、という﹁先行性﹂の萌芽がある。 ﹁ 弁名 ﹂冒頭 認めるむきもある。が 、 古文辞学において、 @ 五 Ⅱの吟味は文献学の 征徳に 認識論的な論点を のこの文章は、方法に対する反省がその内容に先立っ @﹂とも示して 一手法であって、これを本稿で舌口うところの認識論的性格を持った ものと言うことは出来な いる。 だが、これも又具体的には古文辞の実作を中心とする ﹁習執 ﹂と 征徳から甚大な影響を受けた西周の西欧哲学の受容一 ﹁百一新論 き 帰結であった。現代の我々にとって﹁悟性の先天的形 式 としての 範 れて、訳語としてのコンテクストで振る舞うようにな るのは 当牡の や 夏日経ヒの 文面の解釈という 問題意識を離 において、渡部和晴氏の言葉を借りるならば﹁認識論的契機の欠落﹂ 鴫﹂といえば、カントの﹁ ア ・プリ オリ なカテゴリー ﹂の方であっ これらの語が﹁易経ヒ が見られることからも推察できる。すな むち、儒学の 側には、西欧 て、先天図や洪範 九叢は想起だにされまい。儒学が認 識論 に対する 古文辞学が現実的には認識論として機能していなかっ たことは、 哲学における認識論を受け止めるだけの議論の成熟は 存在しなかっ 用意を持たなかったことは、これらの用語の出自が 忘卸されるとこ ろに端的にあらわれている。 洪図の間物 学は 、認識を論じている側面はあるが、 をそのまま﹁認識論﹂の名をもって呼ぶことは不正確 だろう。 認識の方法というよりは言語解釈の方法を論じたもの であり、これ 全 体 としては たのである。 日本における西欧哲学の受容には、おびただし い用語 の翻訳が 必 要 とされた。 西自身が、﹁萬の洪範五行の説素より 取 るに足らず﹂ 訳 語として生ま 三復某氏 書巳と 切って捨てた﹁洪範九 % ﹂は 、 おそ らくは井上哲 治郎の手によって 一 ﹁ 範時 ﹂、すなわちカテゴリーの だが、儒学が一般に経書を対象とするのに対して、 洪 園は古代の 文字の音︵と彼が信じたもの 一を対象とする。この時 、浜田困の舌口五明 れ かわった。朱子学の﹁先天﹂﹁後天﹂は、 西によっ て ﹁一定動力 ス可 ラザル﹂﹁犬吠 自牡ノ理 ﹂としての﹁ ア、プリア リ ﹂ な物理と をもっている。 と 等価である。 洪園の解釈学は、この意味で認識論 と 大変近 い性格 は、すでにして万物であり、理念化された形であると はいえ、世界 宅百一新論 し、 ﹁是レ ニ遠ハント 欲 スレ バ違フコト モ房 ルコト モ出来 ル ﹂﹁ア 、ポス テリ オリ﹂ な小理を意味する用語と移行させられ 儒教全体は、﹁後天﹂の方へと押しやられることとな った 一ただし いかに排除するか、という問題意識にたったものであ る。この問題 和智一般 を 井上哲次郎らの編んだ﹁哲学字彙﹂一明治十四年︶に は、ア ・プ の根本的解決、すなむち間物による解析のみが唯一の 真理をもたら 浜 園の編み出した間物 学は 、真理を獲得するために、 ア ・ポステリ オリ の訳語としての す、という主張は、間物学に閉じた体系化を帰結する@﹂とになった。 興味深い事に﹁ 易ヒは 両者の中間とされる 一。 範晴 ﹂には、 ﹁書経口洪範 とすれば、先にのべた近世ヨーロッパの認識論の性格 として取り ﹁後天﹂には、﹁見目の文言伝が、また﹁ リオリ の訳語としての﹁先天﹂、 が出典として記されているが、すでに訳語として与え られた以上、 四セ あげた﹁認識論の先行性﹂は、﹁解釈学の先行性﹂という形をとり 注 四八 ②﹁新井山賊の 易﹂ ヨ 一松 目第一三集平成一一年、 はするものの、ここにまったく平行した構造を持つているのである。 洪園 は征練や仁斎のように、人倫に対する現実感覚から朱子学を と松浦観山の場﹂ヨ夜﹂第一四集平成一二年、﹁ m逼迫 目第四四号平成一二年 批判し ようとはしない。開初学の諸概念は、ほとんど現実と の接触 易学書の出版について平沢随員﹁ ト偉盲勅ヒ出版 0周辺か ①﹁ を欠い ている。また、但 休学における近代性として評価され 8目牡 511﹂﹁星美学園短期大学研究論叢 目第三二号平成 と声 @﹂ 明 ﹁皆川侯国の九叢説について﹂﹁熊本大学教育学部 一二年 宝 暦 三年の ﹁平沢随員 と人倫 の論理の分離、思弁的な形而上学への批判、自然な感情生活 ③佐田智 紀要人文科学﹂第三八号平成元年、野口武彦﹁間物 口ぼ 、むしろ後退を示している。 の評価 といった事 どもに関して舌え さらに その象数的な配合の論理に至っては、極めて神秘主義的傾向 ﹁江戸思想史の地形 ヒ ペリカン社 昭和五二年 昭和二二二年明治図書出版、戸田島三郎﹁易経註釈 史 網ヒ 昭和 ⑤以下、部薙の易学に関しては、今井手三郎﹁宋代 易学の研究目 に所収 ④酒田市 史編纂委員会﹁酒田市正資料編第七集﹂ 平成六年 の濃厚 なものである。 しか し、往彼 が取り出した言語という契機を拡張し 、全て の解釈 Ⅰ つ占 行為が 前提としなければならない閉じた球体を作り上げたと @, ﹂に見 で、 我 々はありえたかもしれない儒学的認識論の﹁象﹂をそ @ ること ができるのである。 郡廉節 の ︵親切︶﹂ 四三年風間書房、三浦 國雄 ﹁皇極 経世書 ﹂︵中国文明選 ﹁史 学論集﹂昭和四八年朝日新聞社・大島晃﹁ ﹁東方学﹂五二昭和五 0年等に よ るところが大きい 。特に先 前稿に引 き続き一九九一年の修士論文の一部を本としているが、 レ Ⅰ 掲載に当た っては大幅に改稿した。なお、資料の掲載を御許し頂い 内容を洪園 六図に関しては今井前掲書の第四章を参照。 ⑥このあたり、説卦伝の解釈に関しては、ほぼ同じ た京都大学附属図書館、静嘉堂文庫、尊経閣文庫、筑波大学附属 図 書館各位に 感謝申し上げる。 の著書﹁周易経解口巻一六︵写本。東北大学所蔵一に 認めるこ の とができる。ただし、 少の出入りがある。 昭和四 第 二①甘辛 青簿が玄毒 となるなど、﹁ 易原 目 ン @しけ多 Ⅱは 拙稿﹁﹁間物学三の発想について﹂﹁国文論叢﹂ 成 五年参照。 ヒ所収明徳出版 社 昭和五四年講談社 ﹁戦中・戦後 但 徳論批判﹂﹁社会科学研究ヒ 三九巻 ﹁朱子白三 0 頁 ⑧朱子学大系第一巻﹁朱子学入門 九年 ⑨三浦 國雄 ⑩平石 直昭 一号昭和六二年、澤井敬一﹁荻生 征彼 における﹁ 天 ﹂と﹁ 人 認 試論︶ の 情﹂自然性理解に関する試論11﹂﹁東洋の思想 と宗教 ヒ 第五号昭和六三年、同﹁十八世紀日本における︵ 平凡社。平石床 は、聖人が﹁道﹂をいかに認識発 見したか 探究11組 徳 ・官長の言語秩序観 ﹂﹁江戸文化の変容 三平成上 ハ 年 という根拠の問題を、澤井氏は聖人命名により﹁道 ﹂ が 一般人 にも可視的な存在と化した構図を、いずれも﹁認識論 ﹂の五明とと もって捉えようとする。本稿とは用語の意味そのもの が 異なっ ているため・単純な比較は岳意味だが、聖人命名によ り制作さ れたのは、抽象的で﹁常人の堵ること能はざる﹂三井 右巴 制 し、かちん命名によって世界全体を創出したものでも ない点は 確認しておきたい。間物学ももちろん﹁徒物﹂の意味 の確定を 切石 文字 一化された以上は万 最大の目標としたが、言語 - や瓦を含めてが同一の方法を適用すべき対象となる。すな ﹁西周の思 わち間物学の方怯は存在者一般を対象とする体系的な ものなの である。 ⑪西周における 征休学の影響については、村上敬治 Ⅱ 且ゥ AL 佑空芸- 儒教的伝統と近代認識 輪 目昭和五 想 に対する 征 休学の影響﹂﹁京都学芸大学紀要 昭和三九年を参照。 | ⑫渡辺和晴﹁明治思想史 三年ぺりかん社参照。本節は氏の議論によるところが 大きい。 四 度 ・道徳といった存在が中心であり、創世記のアダム の如く 、 鳥や獣のような自然 種 に対して名付けを行ったわけ ではない 九 く組 (極) ノ く実 (中) ノ く体 ノ く附天文地体 ノ く月 ノ く道ノ く用ノ く附地 玄天体ノ く体ノ 五O く実 (中) ノ く紀 (極 ) ノ | l [図 1 ] 画 刈 一 " l% 斗 寺統 一図ぃ 一 埋 " 面 小堺重村﹁迦輌材淋 し 0図㏄ 一 五一
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