1 2 3 資料紹介 住井すゑ著 『日本地理学の先駆長久保赤水』 戦中版 ・戦後版の比較 前 田 均 1. 住井すゑは 「 反戦 ・反差別」 を貫いた作家であるとい う評価が定着 しているようである。本 人 自身 も,後 に紹介す るように,戦 中も 「 反戦」 を貫いて きた と言っているが,住井 には,戟 争に協力 し,戦争 を讃美 し, また天皇 ( 刺) を絶対視 ・神格化す る作品が多 くある。そのこと Ro nz a 』( 朝 日新 聞社)1 9 9 5 年 8月号 に,模本富雄 の 「 住 が広 く知 られるようになったのは,『 副'が掲載 されてか らのことである。かな り以前 か ら,住井の戦中 井すゑにみる 『 反戦』の虚 9 9 4 年 4月2 0日に,直接住井にインタビューす る の作 品の問題点を指摘 し続けてい施 本 は,1 機会 を得 た。そこで戦中の 自分の作 品に対す る住井の現在の気持 ちを聞 き出そうとした。その 光景 は,1 9 9 4 年 8月1 5日に MBS ( 毎 日放送。近畿地方での第 4チ ャンネル)か ら,「 あ る少 国民の告発- 文化人 と戦争」 とい う ドキュメンタリー番組で放送 された。『 Ro nz a 』の模本 論文はそれをもとに したものである。同論文か ら模本 と住井の対話 を引用 しよう。 「 お書 きになった ものに も,翼賛 ものがい くつかあ ります。そ うい った作 品 について は, どうお考 えですか。なかなか勇 しいことを書いた ものがあ りますが」 「 ほほほ-・ -。何書いたか,みんな忘れ ましたね」 「ここに,い くつか持 ってきましたが」 といって,私 は持参 して きたい くつかの資料 を 取 り出 した。 ( 中略) 「 書いた とい うよ り,書か され ちゃうんです よね。あの頃 は。私 は, こうい った もの は, 自分の書いた ものは,なんにも持 っていないんです。 自分の書いたもので持 っている のは,『 橋のない川 』だけです。あ と書いた ものは文筆業で書 いているんだか ら。J J Z ザ L も自分の本音 を書いた ものばか りではないか ら,見るの も嫌ですね。ええ,だか ら何 も手 元 に置かないんです。『 橋 のない川』だけは,これは私の本音 を書いているか ら, これだ けはとって置 こうと思って--」 ( 3 ) る この ときの住井の回答 には多 くの矛盾点 ・問題点があるが,私 はい くつかの点について既 に 指摘 してあ 。今回はこれ まで扱 ってこなかった点 について述べ ようと思 う。住井は 『 橋 のな い川』以外の 自分の作品には愛着がないかの ようであるが,これにはいささか疑問がある。イ ンタビューの際,最新であった 『日本書籍総 目録 1 9 9 3 索引編』 ( 1 9 9 3 年 6月2 6日 ・日本書籍出 版協会発行編集)の 「 著者索引」8 7 0 頁 「 住井すゑ」の項 には,戦前 ・戦 中の作品 を再 び収録 』『婦人作家集 3』『住井すゑ初期短編集 ・刊行 した 『 農婦劉 『日本地理学の先駆長久保赤水 1・2・3』が載せ られている。 これ らの本 と, もととなった戦前 ・戦中の本 とをそれぞれ の本 にあたって確認 した結果 を以下 に記す。以下,戦前 ・戦 中の本の ことを簡単 に 「 旧版」, 略 して 「 旧」,戦後の本のことを 「 新版 」「 新」 と呼ぶ ことにする。 1 24 天 理 大 学 学 報 『 農婦講』 新版 は,筑波書林 を 「 発行所」 ,茨城書房 を 「 発売元」 と して,1 9 8 3年 7月2 5 日に発行。「 底本 には青梧堂版 『 農婦講』 ( 一九四〇年) を使用 した」 旨,及び 「 農村雑景 ( 中 略)を加 えた」 旨の 「 編集部」の注記が巻末 に,住井 自身の 「 一九八三,二,一五」の 「あ と 9 40年 9月2 0日に青梧堂か ら発行。前書 き が き」が本文最後 に付け加 えられている。旧版は,1 ・後書 き等 はな し。収録作品は,上記の 「 農村雑景」 を除いて,すべて同 じ。旧版の著者名は 「 住井すゑ子」。 『日本地理学の先駆長久保赤水』 は,上下 2巻 に分かれ,筑波書林 を 「 発行所」 ,茨城書店 を 「 発売元」 として,同社の 「 ふ るさと文庫」 とい うシ リーズの うちの 2冊 として,新版発 行。発行 日は上下巻 とも1 9 7 8年 1 2月1 5日。著者名 は 「 住井す え」 ( 傍点前 田。いつ も使 ってい 9 43年 1 1月1 5日に,大阪市西 区の精華房 る 「ゑ」ではない)。前書 き ・後書 きな し。旧版 は,1 か ら発行。著者名 は 「 住井すゑ子」。 『 住井すゑ初期短編集 1 農村 イソ ップ』 は,1 9 89年 8月1 6日に冬樹社 か ら刊行。「 底本 ,『農婦講』 (青梧堂版 ・一九四〇年刊)『農婦講』 (筑波書林版 ・一九八三年刊)『土の と して 女 たち』 ( 一九四二年刊)を使用 し」 た旨,及 び 「 表記の一部 を ( 中略)改め」た旨の注記が ある ( 「 表記」の件はこのシリーズ 3冊 に共通)。住井による 「 あ とが きに代 えて」 として 「ほ ん とうのハナシ」 ( 一九八九年六月)が付け られている。 『 住井す ゑ初期 短編 集 2 土 の女 た ち』 は,同年1 0月2 0日,同社 か ら刊行。「 底本 とし ,『土の女たち』 (日月書房版 ・一九四二年刊)『日本農業新聞』 (一九七八年十一月一 日∼三 て 十 日掲載) を使用 し」た旨の注記。同 じく 「 あ とが きに代 えて」 として 「 老 いの言いわけ」 ( 一九八九年九月三 日)が付け られている。 『 住井すゑ初期短編集 3 村 に吹 く風』 は,1 9 9 0年 6月29日,同社 か ら刊行。「 底本 とし 」『リベルテ』 (リベ ルテ発行所 ・一九四九年)『教育技術』 (小学館 ・一九五六∼五七年) て 『中学教育』 ( 同 ・一九五七年)『 社 会文学』 ( 不 二出版 ・一九八八年)等 を使用 した旨の注 記。住井の 「 あ とが き」 ( 一九九〇年四月)が付 されている。 このシリーズ 3冊 は,先 の 2冊 とは違い,旧版 をそのまま新版 に した ものではない。 3 婦 人作家集 3』 は,1 9 87年11月3 0日,新 日本 出版社 か ら刊 『日本 プロ レタリア文学集2 」『婦 行。 これに収録 された住井 ( 当時は 「 住井す ゑ子」 )の作品は以下の通 り。「土地の代償 9 3 0年 3月号 ,「 搾取網」同1 9 30年 7月号 ,「 土 地の反逆」 同1 9 30年 9月号 ,「 農村雑 人戦線 』1 」『農本社会』1932年 2月創刊号。最後の ものは上記の ように,新版 景 『 農婦講』に も収録。 「自分の書いた ものは,なんに も持 っていない」 とか 「 見 るの も嫌ですね」 と言 っていた住 井だが,イ ンタビューの1 6年前か ら,このように過去の作品 を次々 と再刊 している。再刊 され た もののほとんどは,住井が 自分の人生の基礎 を置いて きた農材 を舞台に した作品であるが, ( 『日本地理学の先駆長久保赤水』のみが,書名か ら見て異質で," 伝記小説" と呼ぶべ きもの 4 ) 新版 の本文 には旧版 との異同がない」 と述べ たが,今 回 である。かつて私は同書 を紹介 し,「 両版 を詳細 に検討 した結果,それは誤 りであ り,多 くの相違点,つ まり新版発行 にあたって改 変 された点があることがわかった。 ここで誤 りを訂正 し,おわびするとともに以下,相違点 を 対照表 に して示す こととする。新版 にある改変 は,住井の語 る自分史の偽 りを証明するもので ある。 以下,各頁左側 に旧版,右側 に新版の,それぞれ違いのある部分 を対比 して並べ る。違いの ある部分には下線 を付す。片方 に当該部分がない場合 は,[ 欠] と補 う。旧版 ・新版 の箇所 を 各項 目ごとに頁 ・行で示す。 2行以上 にわたるときは最初 の行のみ示す。新版 は上下 2巻 に分 1 2 5 住井す ゑ著 『日本地理学の先駆長久保赤水』戦 中版 ・戦後版 の比較 かれ てい るので最初 に 「 上 」「下」 を付 す。 [欠]が長 い場合 は, [欠]の方 に当該 頁 ・行 が な いわけであ るが,そのあた りにあるべ き所 を示す意味 で,一応頁等 を示す。新版 は現在 も入手 可能 なので, この対照 表 に よって,旧版 を再現 して いただ けれ ば幸 い であ る。 旧版 の引用 の 際,漢字 は現行字体 に改 め た。 なお改行箇所 も続 けて書 いた。 もちろん,単純 な表記 ( か なづ かい ・漢字 ・送 りが な ・ル ビの有無) の違 いは指摘 しない。 長 久保 赤水 につ い て,概 略 を知 って い た だ くた め ,『普 及 新 版 日本 歴 史 大辞 典 第 7巻 』 ( 1 9 85年 ・河 出書房新社 )の当該項 目を引用 す る ( 担 当 ・鮎沢信太郎)0 長 久保赤水 なが くぼせ きす い 一七 一七 ∼一八 〇一 水戸 赤浜村 の人。 ( 中略)水 戸 藩 に仕 えた地理学者。博 学多才 で経 史詩文 に通 じ,藩主文公 に仕 え,侍 読 となった。 ( 中 略)地理志 そのほか地理 関係 の著作 が多 い。一七七九 ( 安永八 )年 に出版 した地 図は 日本 国土 を経緯度 の上 において描 い た最初 の 日本 図 と して注 目に値 す る。 赤水 は,住井が 旧版発行 当時 ( そ して死 ぬ まで)住 んでいた茨城 の偉 人であ り,新版 の版元 が名 まえか らも知 られる ように,かの地の地方 出版社 なので,地元 の先達 を顕彰す る本 を再刊 しよう としたのだ と想像 され る。 「 ふ る さ と文庫」 にふ さわ しい企 画 であ る。住 井 は この赤水 を,農民 であ り続 けなが ら学問 に うち込 み,偉 い学者 とな った人物 と して描 く一方 ,「勤 皇」 ,「勤 皇」思想 の理論 家 であ る高 山彦 九即 をは じめ とす る赤 の思想 の盛 んな茨城 の地 をたた え 水 の友人 た ちの活躍 を,赤水 の一生 とか らめ て書 くこ とに よって,天皇讃美 の作 品 に しあげて い る。 2. 4頁 1行 旭 日のめ ざめ る 4頁 3行 明 日の 日の来 る 5頁 5行 遂 にその望み も 5頁 5行 一人淋 しくあの世5頁 8行 あの広 い広 い海の 6頁 6行 母 を恋 ひ慕ふた 6頁 7行 生 きてゐて下 さっ た 上 2頁 1 0行 太 陽のめ ざめ る 上 3頁 1行 明日 [ 欠] の くる 上 4頁 1行 ついその望 み も 上 4頁 1行 [ 欠] あの世へ 上 4頁 3行 あの広 い海 の 上 4頁 1 3行 母 を恋 い慕 った 4行 上 4頁 1 生 きていて くれ た 6頁 7行 教 えて下 さっ た 6頁 8行 頼 んで下 さっ た 4 行 上 4頁 1 教 えて もらえた 5 行 上 4頁 1 頼 んで くれた 6頁 1 0行 上 5頁 1行 そ してそれ と同時 に [ 欠] それ と同時 に 7頁 7行 おぶへ ない よ 9頁 1行 僕 も知 ってゐ る 9頁 1行 教へ て下 さい と 上 5頁 1 0行 おぶ え まい よ 4 行 上 6頁 1 わ しも知 ってい る 上 6頁 1 4行 教 えて くれ と 9頁 2行 教へ て下 さらなかっ た 上 6頁 1 5 行 教 えて くれなか った 1 0頁 2行 俺 が一番 俺 は心 の中で 1 2 頁1 0行 ひたす ら智慧 の上 で 上 7頁 1 2 行 2 行 上 7頁 1 上 9頁 1 2 行 わ しが一番 1 0頁 3行 1 3頁 1 3行 「まあ,お月様 の こ とを書 いた 上1 0頁 1 2 行 わ しは心 の 中で ひたす ら知識 の上で [ 欠] 書物 が あ るのです か。」 1 4頁10行 選 ,お父 さんに 上11 頁 7行 おれ,お父 さんに 1 5 頁 2行 1 頁1 2 行 上1 家 の内 には 蒙胃 には 1 26 天 理 大 学 学 報 1 7頁 1 2行 俺が死 んだ ら 上1 4頁 2行 わ しが死 んだ ら 1 8頁 2行 俺 としては 4頁 5行 上1 わ しとしては 21 頁 8行 云ふ まで もない ことである 上1 7 頁 2行 い うまで もない [ 欠] 2 4頁 6行 2 4頁 1 0 行 僕 は家 を興 し 9頁 5行 上1 わ しは家 を興 し 勉強 しもした ママ た と- や うなもない 9頁 8行 上1 勉強 [ 欠] もした 3頁 1 4 行 上2 3 4頁 7行 人々心懸 け申すべ き 35 頁 1行 如 くに御座候 7頁 1行 上2 た とえ ようもない ママ 人々心懸け申すべ き 7 頁 7行 上2 如く [ 欠]御座候 2 9頁 4行 3 6頁 9行 如何 にもして 上2 8頁11 行 いかに して も 3 9頁 5行 た とひその身は生涯 上31 頁1 2 行 た といその [ 欠]生涯 40頁 3行 は 、、、と笑って 頁 8行 上31 はっはっ と笑 って 4 0頁 5行 商更嘘で もなささうな 頁1 0行 上31 まんざらで もなさそ うな 頁1 2行 上31 わ しのすすめる 40頁 7行 僕 のすすめ る 4 0頁 9行 僕達貧乏仲 間 42頁 2行 義公 ( 徳川光囲)が,柴 田家 に 成 らせ られた 42頁 1 3行 義公 は皇室 を尊ぶ と同時 に,冒 頁1 4 行 上31 わ したち貧乏仲 間 上3 3頁 2行 に出向いた 義公 ( 徳川光囲)が,柴 田家 上3 3頁1 0行 義公 は [ 欠]百姓 を国の宝 と 姓 を国の宝 と 43頁 3行 親 しくおでかけになる 上3 3頁 1 4行 親 しくでかける 4 3頁 5行 公 をお迎 え申 し上げた 3頁 1 5 行 上3 公 をお迎 え した 4 3頁 9行 お待 ち下 さい とて 4頁 5行 上3 お待 ち下 さい と 43頁 1 3行 蔵 に入 られた 4頁 8行 上3 蔵 に入 った 4 3頁 1 3 行 光っ たものが 4頁 8行 上3 光 る ものが 44頁 1行 鎌 と鍬 だ 4頁 8行 上3 鎌 と鍬 だった 4 4頁 8行 5頁 1行 上3 問われる 間はせ られる 46頁 1 2行 俺がいつ も云ふや うに 47頁 4行 説 き明けて くれる 上3 6頁 1 4行 わ しがいつ もい うように 7頁 3行 上3 説 き明か して くれる 47 頁 8行 俺 は,医 を業 と 47 頁11 行 僕 は もしかなふ 7頁 7行 上3 わ しは,医 を業 と 7頁 9行 上3 わ しは もしかなう 4 8頁 3行 僕 はこれ以上の 7頁 1 3 行 上3 わ しはこれ以上の 48頁 8行 -農夫が,み国の地理 上3 8頁 3行 8頁 4行 上3 -農夫が,里 の地理 わ しは [ 欠] 日本 国が どんな 48頁 9行 僕 は,あの月や星が どんなもの であるか分 りたい以上 に, この 日本 の国が ど んな形 を 形を 49頁 1行 僕 は出来 ることな ら 上3 8頁 8行 49頁 8行 幾千年 もか ゝつて わ しはで きることな ら 8頁 1 5 行 上3 幾万年 もかかって 49頁1 0行 何千分の- しか 9頁 1行 上3 何万分の- しか 51 頁 8行 51 頁 9行 更 に三年 [ 欠] には 0頁 8行 上4 さらに三年後 には 前 にもまして 0頁 9行 上4 前に [ 欠] まして 5 3頁 5行 俺 のや うに 頁1 4行 上41 わ しの ように 5 3頁 6行 なはさらの ことだ 頁1 5 行 上41 なお さら [ 欠]だ 住井すゑ著 『日本地理学の先駆長久保赤水』戦中版 ・戦後版の比較 5 3頁 6行 俺は,今 日まで 5 3頁 7行 思ってゐるよ 5 3頁 9行 とにか く俺は 上41 頁1 5 行 わ しは,今 日まで 1 27 上4 2頁 1行 思っている [ 欠] 上4 2頁 3行 とにか くわ しは 史学に傾倒せんと 上4 3頁 7行 史学に傾倒 しようと 国の富 をふや して 上4 3頁 11 行 世の富 をふや して 5 5頁 7行 僕達に交っては貧 しい僕達の 上4 3頁1 2 行 わ したちに交っては貧 しいわ 55 頁 2行 55 頁 6行 したちの 5 5頁 1 0行 僕達が,柴田氏 5 5頁 11 行 僕達はお互いに 上4 3頁 1 5行 4頁 1行 上4 わ したちが,柴田氏 わ したちはお互いに 5 6頁 2行 僕 は四書,五経 4頁 4行 上4 4頁 7行 上4 わ しは凶音,五経 わ したちはこれか ら 5 6頁 5行 僕達は,これか ら 57 頁 5行 古への中華 ( 支那) 57頁 1 0行 出来ないといふだけ 5頁 4行 上4 古への中華 ( 中国) 上4 5頁 8行 で きない [ 欠]だけ 5 8頁 1行 僕は,み国の地図を 5 8頁 5行 み国の地図 頁1 2行 上45 わ しは, 日本国の地図を 上4 6頁 1行 日本国の地図 5 8頁 1 0行 僕なども砕易 5 8頁1 2行 み国総体の地図 上4 6頁 6行 わ しなども騨易 上4 6頁 8行 日本国総体の地図 5 9頁 2行 上4 6頁 1 0行 そういう [ 欠]仕事 5 9頁 9行 学問の上でみ国は 上4 7頁 2行 学問の上で 日本国は 6 0頁 6行 起 き上れないでゐるのであった 僕がかうして僕の力に 僕 はまる二十六年間 上4 7頁 1 3行 起 き上れないでいたのだ 8頁1 4行 上4 わ しが こうして,わ しの力に 上4 8頁1 5 行 わ しはまる二十六年間 上5 0頁 7行 わ しはお母 さんの 0頁1 0行 上5 わ しは, もし天がわ しに 上5 2頁 8行 日本国の姿 61 頁1 2行 6 2頁 1行 6 3頁 11 行 6 4頁 2行 きういふやうな仕事 僕はお母 さんの 僕は, もし天が僕 に 6 6頁 9行 旦旦 の姿 67 頁 8行 甥にあたってゐた 6 8頁 5行 ル) 南蛮 ( スペ - イ ン,ボ ル トガ 上5 3頁 4行 掛 こあたって土二 旦 上5 3頁 1 3 行 南蛮 ( ス ペ イ ン,ポ ル トガ ル) 6 9頁 7行 著は したのであった 上5 4頁 1 2行 著わ した [ 欠] 7 0頁 1 3 行 智慧の財産 上5 5 頁1 3行 知識の財産 上5 6頁 3行 わた したちはとうとう 71 頁 6行 僕達はたうたう 7 6頁 7行 いや,僕達は 7 6頁 9行 その時の勢ひで,曲られた り, 歪められた り 7 6頁 11 行 僕達の無上の 7 6頁1 3 行 僕が,仁斎学や 7 7頁 8行 部 と は_ 上室⊥天主教 をひろめる 0頁 5行 上6 いや,わ したちは 上6 0頁 7行 その時の支配勢力で曲げられ た り,歪められた り 0頁 8行 上6 わ したちの無上の 上6 0頁 9行 わ しが,仁斎学や 頁 3行 お もてむきは 日本国に天主教 上61 をひろめると 77 頁1 0行 僕は学問こそ 頁 5行 上61 わ しは学問こそ 7 8頁 8行 僕達は幸 ひ 上61 頁1 5行 わ したちは幸い 7 9頁 9行 僕は,更に 2頁 1行 上6 わ しは,さらに 1 2 8 8 3頁 4行 8 3頁 6行 87頁 6行 8 8頁 4行 8 9頁 6行 9 0頁 6行 9 0頁11行 9 3頁11行 9 4頁 4行 9 4頁 9行 天 理 大 学 学 報 俺 は,水戸へ は 俺達 は百姓 上6 6 頁 9行 型 は,水戸 へ は 上6 6頁 11行 わ したちは百姓 重態 に陥 った [ 欠] 子息 の大童 は 上6 9 頁 11 行 上7 0 頁 7行 上71頁 6行 恐 ら く天が赤水 の 上7 2頁 3行 [ 欠]天が赤水 の 安南 ( 現在 の仏 印) 上7 2頁 7行 安南 ( 現' 在 のベ トナム) 恰度 出発 時の赤浜 の 上7 4 頁1 3 行 ち ょうど [ 欠]発 時の赤浜の 一層心 楽 しく笑 った 上7 5 頁 4行 い っそ う [ 欠]楽 しく笑 った 5 頁 8行 上7 神 々が苦 しんで産み給 うた と 重態 に陥っ たのであっ た 僕達 の仲 間 も 神 々 の 苦 しん で 産 み 給 ふ た [ 欠] 日本 国だ 9 4 頁10行 まきも 指 貫e o )大御 心 に応へ まつ る帯皮 わ したちの仲 間 も 息子 の太重 は っ たえ られ る 日本 国だ 上7 5頁11行 まさに幾万年 もの遠 い祖先 に 応 えるゆえん 9 4頁 1 2 行 日本全 図の製作 こそ,忠孝両全 の道 であ る と 1 0 0頁 4行 この晴雨計 はわけて も寄異 な も の 1 0 5 頁 1行 君で な くては書 けない ものだ 1 0 5 頁 2行 それがみ国発展 の 1 0 5頁11行 君 ら しくもない云 ひ分 だ よ 上7 5頁1 2 行 日本全 国の製作 こそ,人 間の 道 であ る と 上7 9頁1 5 行 この寒 暖計 はわけて も奇異 な もの 3頁13行 上8 君 で な くては書 けない [ 欠] 3頁 1 4 行 上8 上84頁 7行 君 ら し くもない い い分 だ それが 日本 国発展 の [ 欠] 1 0 5頁13行 1 0 9頁 3行 1 1 0頁 1 2 行 1 1 1 頁 2行 僕 は,紀行 の 智慧 の耳 目 大丈夫 です よ 俺 は長崎 の異人館 で 上8 4頁 9行 上87頁 1行 わ しは,紀行 の 知識 の耳 目 上8 8頁 9行 8頁11 行 上8 大丈夫 です [ 欠] わ しは長崎 の異人館 で 1 1 1 頁 7行 俺 は,正確 な地 図 1 1 4頁 4行 違 ひない と考へ るのであ った 1 2 5頁 2行 伝へ たわけなのであっ た 8頁 1 5 行 上8 上9 1 頁 6行 型 は,正確 な地 図 違 い ない と考 えた 上9 9頁 1 3 行 伝 えたわけなのだ 1 2 8頁 7行 何千年 といふ長 い皇 国 の歴史 1 2 8頁 8行 そ して, この歴史 と文化 の中心 上1 0 2頁11行 何千年 とい う長 い些 の歴史 上1 0 2頁1 2 行 [ 欠] に輝 くもの,それ こそは畏 くも皇室 のみ光 に わた らせ給 ふの だ 1 4 3頁 4行 彼 の念頭 ,常 にた ゞ皇 国あるの みだ 1 4 3頁 5行 1 4 4頁 2行 1 4 5頁 8行 1 4 5 頁 11行 上1 1 4頁 5行 彼 の念頭 ,常 にただ 日本 国あ るのみ だ 皇 国の安危 に結 びつ く 上1 1 4頁 6行 日本 国の安危 に結 びつ く 炎 のや うに燃 え立 つのであっ た 上1 1 4頁 1 4 行 炎 の ように燃 え立 っていた 俺 は惜 しいのだ 下 3頁 3行 わ しは惜 しいのだ この俺 は反対 に わし 1 45頁 1 2 行 俺 は君 を,無 限の 下 3頁 6行 このわ しは反対 に 下 3頁 7行 わ しは君 を,無 限の 1 4 6頁 1行 僕 を認 めて下 さる 下 3頁 8行 わ しを認 めて下 さる 1 4 6頁 2行 実 は崖 自身 も 下 3頁 9行 実 はわ し自身 も 住井す ゑ著 『日本地理学の先駆長久保赤水』戦 中版 ・戦後版 の比較 1 29 1 4 6頁 7行 僕 は,百姓 の身分 か ら 1 4 6頁 9行 僕 と しては 下 3頁 1 4行 下 3頁 1 5 行 を 上 は,百姓 の身分 か ら わ しと しては 1 4 6頁10行 百姓 出身の僕 が 1 46頁11 行 農家 の姦 下 4頁 1行 下 4頁 2行 百姓 出身のiz J iが 農家の辛苦 を 1 47頁 9行 既 に廿七歳 の齢 を 下 4頁 1 1 行 す で に二十歳 の齢 を 1 5 0頁 4行 察 しる こ とが出来 た 下 6頁 1 5行 察す る こ とがで きた 1 51 頁 8行 み国 は尊 い国ではあ りますが, 下 7頁 1 4行 日本 国はなに をい うに も小 国 謹言 何 をいふ に も小 国故 1 5 2頁 8行 三人扶持 を加増せ られて十人扶 持を ゆえ 下 8頁 11 行 三人扶持 を加増 されて十人扶 持を 1 5 7頁 3行 目本 は神 州の名誉 にか けて 1 57 頁 8行 はが らか に打 ち笑 って 1 5 8頁 1行 僕 は京 師で 1 5 8頁 5行 僕 が先生 に期待 します の も 下1 2頁 7行 日本 は国の名誉 にかけて 下1 2頁11行 ほが らか に笑 って 3頁 3行 下1 わ しは京 師で 下1 3頁 7行 わ しが先生 に期待 しますの も 1 5 8頁 7行 老生 な どは-農民 下1 3頁 8行 わ しな どは-農民 1 5 8頁 8行 老生 の念願 とす る 3頁 9行 下1 わ しの念願 とす る 1 5 8頁 1 0行 僕 の念 じてゐる 下1 3頁 11行 わ しの念 じてい る 1 5 8頁 1 0行 僕 が孝子節婦 を 下1 3頁 11 行 3頁 1 2行 下1 iz J iが孝子節婦 を 人 々がいか に暮 してい るか 1 5 9頁 5行 老生 には見 当が 4頁 4行 下1 わ しには見 当が 1 5 9頁 8行 老生 は実際 1 5 9頁 1 3行 それ といふの も,至尊 の君 をよ 下1 4頁 7行 わ しは実際 下1 4頁10行 そ れ とい うの も, [ 欠]徳 川 1 5 8頁 11行 大君 の赤子 が,如何 に暮 してゐ るか そ に して,徳 川が天下 を 1 6 0頁 1 3行 旦里 は もつ と危 い 1 61 頁 4行 僕 は民 を救 い 1 61 頁 11 行 けれ ど も,至尊 の君 が永遠 に至 尊 の君 にわた らせ られ るこ とは, これ又疑ふ が天下 を 下1 5 頁 6行 日本 国は もっ と危 い 5頁 1 1 行 下1 わ しは民 を救 い 6頁 2行 下1 [ 欠] それはち ょうど日蝕 に た とえる 余 地の ない ところです。それは恰度 , 日蝕 に 馨へ る 1 6 2頁10行 1 6 3頁 3行 1 6 4頁 9行 1 6 6頁 9行 老生 には,君 は 下1 6頁 11行 わ しには,君 は 僕 な どは若輩 7頁 2行 下1 わ しな どは若輩 老生 も君 の年輩 下1 8頁 4行 わ しも君 の年輩 の 僕 自身 は 9頁 1 4行 下1 わ し自身 は,詩文 の 1 6 6頁 11行 老生 もそ うなのです 下2 0頁 2行 1 6 8頁 1 3行 江戸 の学者 は,み んな名分 を遠 1 頁1 2 行 下2 わ しもそ うなのです ママ 江戸 の学者 はみ んな名文 を違 へ て を りますが,僕 は えてお りますが, わ しは 1 6 9頁 3行 僕 が難詰 しま した 1 6 9頁 1 3行 老生 が豊王 と した 1 7 0頁11行 僕 は先生 に於 て 下2 1 頁1 5 行 下2 2頁 8行 わ しが豊 王 と した 3頁 4行 下2 わ しは先生 において 1 71 頁 2行 老生 は,決 して祖裸春 台の 3頁 8行 下2 わ しは,決 して祖殊春 台の わ しが難詰 しま した 1 3 0 天 理 大 学 学 報 1 71 頁1 1 行 君 の言ふ ところは絶対 に正 し い,それは老生 も異義 な く認 め ます。 しか 下2 4頁 1行 [ 欠] しか し,豊王城郭雄風 尽は詩の文句です。 し,豊王城郭雄風尽は詩の文句です。 1 7 2頁 7行 僕は,この一事だけは 1 7 3 頁 4行 大切な身体だ 下2 4頁 9行 わ しは,この一事だけは 下2 5 頁 3行 身体は大切だ 1 7 3頁 6行 塾 は君のやることを 1 7 4頁 9行 み国は尊い国ではあるが,至 っ 下2 5 頁 5行 わ しは君のやることを 下2 6頁 5行 日本国はいたって小国だ 6頁1 2 行 下2 国を認識する機会 て小国だ 1 7 5 頁 4行 み国を認識する機会 1 7 5 頁1 3 行 彼の行動は一つ として君国をお しせ い もふ至垂 によらない もの とてはない.今年天 せちA 明三年の正月には,彦九郎は宮中お節会拝観 の栄 に浴 したとのことであるが,赤水 には彼 下2 7頁 6行 彼の行動は一つ として国をお もう堕塾 によらないもの とてはない。[ 欠] の感激の程が察 しられるのであった。 1 7 7頁1 1 行 今更僕 には 1 7 7頁 1 2 行 きう云へば老生なども 1 7 7頁 1 3 行 地球全体からはみ国が小 さいや うに ( 傍点原文) 下2 8頁1 0 行 いまさらわ しには 下2 8頁1 2 行 そういえばわ しなども 8頁1 3 行 下2 いように 地球全体か らは旦 型型が小 さ 小 さいみ国があ り 下2 9 頁 3行 小 さい国があ り 老生は近頃 下2 9頁 7行 わ しは近頃 僕 はまた,先生の 下2 9 頁1 0 行 わ しはまた,先生の 学問は老生の隠居仕事 下2 9頁1 3 行 学問はわ しの隠居仕事 六十三歳の老躯 を 下3 0 頁1 1 行 六十三歳の老体 を 1 8 0 頁 7行 傷寒 ( 全里チブス) 1 81 頁 4行 赤浜の子息か ら 下3 0 頁1 3 行 傷寒 ( [ 欠]チブス) 1 頁 7行 下3 赤浜の息子か ら 1 8 3頁 9行 平蔵の意太重は 1 9 4 頁 3行 天下の富 を自由にする幕府は, 下3 3頁 7行 平蔵の子太重は 下4 1 頁1 4 行 天下の富 を 自由 にす る幕府 1 7 8頁 6行 1 7 8頁1 0 行 1 7 9頁 1行 1 7 9頁 4行 1 8 0 頁 5行 不忠不敬 と罵 られても致 し方がない 1 9 4頁 1 3 行 かうした問題 を議決すべ きご三 家のうち,紀伊の箔賢は 1 9 6 頁 7行 1 9 7 頁 4行 1 9 8頁 2行 2 0頁1 2 行 八代将軍吉宗 は,非難 され,悪罵 されて も仕方がなかった 2 頁 8行 こうした問題 を議決すべ き≡ 下4 家の うち,紀伊の治貞は マ マ 3頁 1 3 行 八代将軍友宗 下4 疑ひのないところ しふ 将軍家斉の師俸 4頁 6行 下4 疑い [ 欠]ないところ 下4 5頁 2行 将軍家斉の師伝 僕 としては 下4 7頁 4行 わ しとしては 下4 7 頁 6行 五年ぶ りに [ 欠]遇 う喜びに 2 01 頁 1行 五年ぶ りに塑過ふ喜びに加えて し ふ 加えて 2 01 頁 3行 2 01 頁 8行 2 01 頁1 0 行 2 01 頁1 2 行 2 01 頁1 3 行 僕のや うなものを 下4 7 頁 8行 わ しのようなものを しか し僕 としては 下4 7 頁1 2 行 しか しわ しとしては 老生にもわか ります 下4 7 頁1 4 行 わ しにも分 ります 老生は考えるのです 下4 8頁 1行 わ しは考えるのです 先生,僕はまた 下4 8 頁 2行 先生,わ しはまた 住井すゑ著 『日本地理学の先駆長久保赤水』戦中版 ・戦後版の比較 1 31 2 0 2 頁 1行 な りは しまいか と心配 してゐ ま 下4 8頁 3行 な りは しないか と心配です 2 0 2 頁 7行 僕 はこの生命 のある限 り,尊皇 下4 8頁 8行 わ しはこの生命 のあ り限 り, 旦 塑型 を説いて高志 を拝写 し 2 0 2 頁1 2 行 老生 は,何 は ともあれ 尊皇 [ 欠] を説 いて同志 を糾合 し 下4 8頁 1 3 行 わ しは, なには ともあれ 老生 も,八十八 までは 下4 9 頁 2行 わ しも,八十八 までは 老生のや うな凡人は 下4 9 頁 4行 わ しの ような凡人は 老生 は藤 田神童の 下4 9 頁 5行 わ しは藤 田神童の 老生 は君 と藤 田神童 下5 0 頁 9行 わ しは君 と藤 田神童 孝経孔 [ 欠]伝 を甚 だ賞翫 して 下5 0 頁1 5 行 孝経孔子伝 を甚 だ賞翫 して 2 0 5 頁1 0行 皇国 は云ふ まで もな く,産窪 に 下5 0 頁1 5 行 日本 国はい うまで もな く,磨 2 0 3頁 5行 2 0 3頁 7行 2 0 3頁 8行 2 0 5 頁 5行 2 0 5 頁1 0行 ち 2 0 5 頁11 行 2 0 5 頁1 3 行 2 0 6頁 2行 2 0 9頁 8行 21 4頁 4行 土にも 老生は これ を京師の 1 頁 2行 下5 わ しはこれ を京師の 老生 は更 に 下5 1 頁 3行 わ しはさらに 老生の七十寿 に 下5 1 頁 5行 わ しの七十寿 に 当然み国の政治が 下5 4頁 2行 当然 国の政治が 今 で電盲 国の賢 まで 下5 7 頁11 行 今 では 日本 国の涯 まで 下5 8頁 4行 天皇 ご親政が 日本 国の歴史か 21 4頁10行 天皇 ひ ご藩霞 つし がみ国の歴史か らい って [ 欠]如何 に必至であ るか 2 2 8頁 1 3 行 僕 もさう思って 2 3 0 頁 5行 = 正,空 運 僅 か に十六 2 31 頁1 3 行 しか し一正の微笑 も,彦九郎が らいって もいか に必至 であるか 9 頁 8行 下6 わ しもそ う思 って 0頁1 0行 下7 一正,年 わずか に十六 下7 1 頁1 5 行 しか し一正の微笑 も,彦九郎 歴代 ご山陵粛 措 妄 なげ き,朝廷 の御歳費数 が歴代 ご山陸の荒廃 をなげ き,朝廷 の御歳費 千石 と嘆息崖篠す るに及 んで跡方 もな く消 え 数千石 と嘆息流沸す るに及 んであ とかた もな た。「けれ ども, 白河侯 は当代 の賢相,栗 山 く消 えた。 先 生 また名分 をわ きまへ る学 者,決 して 白 石,春台の如 く将軍 をもって王 と称す るや う な不敬 はない と信 じます。殊 に白河侯 は,昨 年皇居 ご覧筈 を奉 じて上京の際 も,尊崇の誠 を致 して君 臣の分 を明かにせ られた と聞 きま したが,幕府が さういふや うに大義,名分 を 重 ん じるな らば,上下共 に安 ん じてその職 に 窟 むことが出来 るでせ う。 さすれば,百姓が 困窮 に陥 ることもな く,武家が武芸 を忘 れて ふけ 遊興 に耽 る愚 も生 じます まい。要す るに,国 家の盛衰 は,その政治の正邪巧拙 にあるので 掛 はないでせ うか。 白河侯 の政治 は 葦 鎧 も のです。けれ どもこれを正 とするにはまだ / へ 難があ ります。僕 はみ国の正 しい政治 とは天 皇 ご親政 よ り他 に絶対 l にない と信 じて ゐ ま す。 」彦九郡が口を喫 む と,一座 は急 に夜 の [ 欠]赤水 は七十三の老体 とあって,一刻 早 く床 に就 き 1 32 天 理 大 学 学 報 闇 者 の底 にお ち込み,身に しみ渡 る寒 さか ら,い た く夜 の更 けたの を感 じるの であっ た。赤水 は七十三歳の老体 とあって,一刻早 く床 に就 き 2 3 3頁 1 2行 僕 は天下 を遊歴 2 3 3頁1 3 行 僕が常々云 ひた くてゐるのは 下7 2頁 1 4行 わ しは天下 を遊歴 下7 2頁 1 5 行 わ しが常々言いた くているの は 2 3 4頁 5行 老生が,常 々神童 をもって呼ぶ 所似 も 2 3 4頁 6行 量聖 など,この皐岳 になって も 3頁 5行 下7 ぶゆえん も 3頁 5行 下7 1 71 7 わ しが,堂々神童 をもって呼 わ しなど,この としになって も 2 3 5頁 8行 2 3 7 頁 2行 2 37 頁 5行 2 3 7 頁11 行 2 41 頁 6行 楠 [ 欠]正成 下7 4頁 4行 楠木正成 僕 はもとより死 は 下7 5 頁 7行 わ しは もとより死 は 僕 は草葉のかげで 下7 5頁1 0行 わ しは草葉のかげで 旅 をつづ けて行ったのであった 下7 5 頁1 5 行 旅 をつづけて行 った [ 欠] 「さうだ,高山。君は死すべ く 下7 8 頁1 3 行 「そ うだ,高山。君 は死すべ して死んだのだ。断 じて死すべか らざるを死 くして死んだのだ。断 じて死すべか らざるを んだのではない。君 を して死すべ くした も 死 んだのではない [ 欠] 」赤水 は彦九郎 の辞 の,それが何であるか, 自分 にはわかってゐ 世 の歌 を眺 め て一 人 で 咳 い た。 [ 欠]赤 水 る !」赤水 は彦九郎の辞世の歌 を眺めて一人 が,彦九即の死 にふれたのは で咳いた。赤水 には,赤水のみが知 る彦九郎 の姿があったのだ。赤水が,彦九郎の死 にふ れたのは 2 43頁11 行 子息達 も,赤水の蒜 錠 の忠心 に は 下8 0頁 9行 息子たち も,赤水の滅私の忠 心 には 2 4 5 頁 8行 世上の噂に構はず 下8 1 頁1 5 行 2 4 8頁 6行 商庵 としての赤水 2 4 9頁 5行 今なは墓参以外 は他出 もせず, 下8 4頁 4行 4行 下8 4頁1 世の うわさに構わず rふ 師伝 としての赤水 今 なお墓 参 以外 は他 出 もせ 人 との往来 も絶 ち,ひたす ら謹慎 してゐるの ず,人 との往来 も絶 ち,ひたす ら謹慎 してい であった。尊皇は絶対である。 しか も,これ 9z ) を強調すれば幕府の忌諒 に触れ,軽 くて も謹 るのであった。 [ 欠] さて,寛政十年の末 慎,峯崖の宥 凱 こあはねばならないのだ.正 を愛す る赤水 な らず とも,一正 の謹慎 に は,そ ゞろ物淋 しさを感 じないではゐ られな い。 しか し,赤水 は決 して未来の希望 まで失 ひは しなかった。謹慎の生活は,却って一正 の学 を深めるに役立つであ らうし,大 日本史 編韓の大事業 も必 ず一正 に よっ て 自覚 しい 進蓑 を見 るに相違 ない。更に勤皇の思想 は 一正のた琵 なる歴史観 と その献 警あ文によ っ て,一層天下 に童顔 され るに違 ひないの 住井すゑ著 『日本地理学の先駆長久保赤水』戦中版 ・戦後版の比較 1 33 だ。 さて,寛政十年の末 す 0行 空虚の地 として,買鼓 に奪 ひ返 i 5 4頁 1 下8 8頁1 2行 い返す 254頁 1行 み国にとってこれ程残念なこと はない 8頁1 4行 里 にとって,これほど残念な 下8 ことはない 25 4頁 1 2行 それはみ国をして,より強 く, よ り大 きくせんがため 8頁15行 下8 んがため それは日本国を,よりよくせ 25 5 頁 8行 ロシアは,此処 を足場 として南 下8 9頁 7行 ロシアは,ここを足場 として 下の策をとり,千島の闇 か ら裡鼠 択綻, 国後 とその虐 拝 をひろげ,最近は蝦夷に押 し 渡るといふ穆誓猷 ぶ りである 25 6頁 5行 まる-ヶ年のこの旅 25 7頁11 行 京の天子様 を伏 し拝み,つづい て江戸,それか ら束島様 目本国の地 として,勇敢 に奪 南下の策 をとり,[ 欠]最近 は蝦夷 に押 し渡 るという傍若無人ぶ りである 下9 0頁 3行 まる一年のこの旅 頁 6行 下91 京の天子様 [ 欠],つづ いて 江戸,それか ら鹿島様 25 7 頁1 2行 漸 く筆 をとったので し主筆 を霜 めた。時は,七月二十八 日も, もうやがて暮 や うと 2 5 8頁 7行 次の機会を待つや うに準 を最 し たが,その買鼠 決死の意気には高 山彦九郎 頁 7行 下91 ようや く筆 を とったの で し た。筆を納めを壁 は,七月二十八 日も, もう やがて暮れようと 頁1 4行 下91 次の機会 を待つ ように胸 を撫 した [ 欠] 梯たるものがあった 2 5 9頁 3行 その功 を晋 して上塗 下9 2頁 7行 その功 を賞 して言った 25 9頁 4行 この時,近藤重蔵は 2頁 8行 下9 3頁 7行 下9 この主そ ,近藤重蔵は 国を思 う一人 として 下9 3頁1 0 行 北海を赤夷の操踊 に任す まい 26 0頁 7行 み国を思ふ一人 として 26 0頁 1 0行 元高 を赤夷の屋崩 に任す まい と してゐたのです。僕 と高 l J 」氏 は二 目にわた り,北地問竜を語 りましたが,北海の-小島 と していたのです [ 欠] 。 」「わ しの勝手 を申 して といヘ ビも,実朝 の光被 した まふ尊 い地 だ と,高 l J 」氏 は心の底 か ら申され ま した。僕 如蒲 腎 を書 きます時 も は,大 目本島壷畠 高山氏の言葉を思ひ出さずにはゐられません で した。 」僧 是の勝手 を申して 261 頁 9行 僕 としては 4頁 2行 下9 わ しとしては 261 頁1 0行 けれども僕は 下9 4頁 3行 けれどもわ しは 261 頁1 1 行 僕が此の手に 下9 4頁 4行 iz J iがこの手に 下9 4頁1 3行 徳行 を請えた [ 欠] 2 6 2頁 9行 酢 を鼓へたことなどあった 26 3頁 3行 天下を遥宥するのには,俳静者 がふ 流か禅僧姿の方が心やす くて都合が よい つ 下9 5 マ マ頁 5行 天下を遊行するのには,俳話 者流が禅僧姿の方が心やす くて都合が よい 2 6 3頁 7行 僕は俳評者流は 下9 5頁 8行 わ しは俳話者流は 2 6 3頁 7行 神道を奉 じる僕 下9 5頁 9行 神道を奉 じるわ し 2 6 3頁 8行 僕の剣が 下9 5 頁1 0 行 わ しの剣が 2 6 3頁 9行 僕は多少は剣の 下9 5 頁1 1 行 わ しは多少は剣の 1 34 天 理 大 学 学 報 2 6 4頁 2行 老生は高山こそ 2 6 4頁 3行 高山の常 に求めてゐたのは 2 6 4頁 6行 夫朝様 ご親政の世 ともなれば, 人の心 も旨協 と正 しく美 しくなる上製 _と高 山は [ 欠]信 じてゐたのです 2 6 6頁 6行 2 6 7 頁 6行 2 6 7 頁 7行 2 6 7頁 9行 2 6 7 頁1 0 行 2 6 7 頁1 3 行 2 6 8 頁 2行 2 6 8頁 4行 わ しは高山こそ 高山が常 に求めていたのは 下9 6頁 5行 夫朝様 ご親政 の世 ともなれ ば,人の心 も自然 と正 しく美 しくなるだろう と高山は単純 に信 じていたのです 下9 7 頁1 5 行 目本地理学の先駆 は,同時 に 又す ぐれた冒笑で もあった里三重旦 2 6 7 頁 4行 皇紀二三七七 下9 6頁 1行 下9 6頁 2行 目本地理学の先駆は,同時に またす ぐれた哲人でもあったようだ 下9 8 頁 4行 一七一七 此の歳四月 下9 8 頁 6行 皇紀二三八五 下9 8 頁 7行 此の歳八月 下9 8頁 9行 皇紀二三八六 下9 8頁 1 0 行 一七二六 皇紀二三八七 此の歳五月 下9 8頁 1 3 行 一七二七 皇紀二三九一 下9 9頁 1行 一七三一 此の歳三月,中御門天皇,昭仁 下9 9 頁 3行 親王にご譲位遊ばさる。天皇を棲町天皇 と申 [ 欠]四月 一七二五 [ 欠]八月 [ 欠]五月 [ 欠]三月,中御 門天皇,昭 仁親王にご譲位 [ 欠] し上 ぐ 2 6 8頁 5行 2 6 8頁 8行 2 6 8頁 11 行 2 6 8頁 1 3 行 皇紀二三九五 下9 9頁 4行 一七三五 皇紀二三九九 下9 9頁 7行 一七三九 皇紀二四〇一 下9 9頁 1 0行 一七四一 此の歳六月八代将軍吉宗尭ず 下9 9頁 1 2 行 [ 欠]六月,八代将軍吉宗死 三 2 6 8頁 1 4 行 2 6 9頁 1行 2 6 9頁 4行 2 6 9 頁 8行 2 6 9頁 9行 2 6 9頁 1 2 行 2 6 9頁 1 3 行 2 6 9 頁1 4行 2 6 9頁 1 5 行 2 7 0頁 3行 2 7 0頁 6行 2 7 0頁 7行 皇紀二四一一 9頁 1 4 行 下9 一七五一 皇紀二四一三 下9 9頁 1 6 行 一七五三 皇紀二四一四 此の歳閏二月 下1 0 0 頁 2行 一七五四 皇紀二四二 〇 0 0頁 6行 一七六 〇 下1 此の歳五月 皇紀二四二一 下1 00頁 7行 上 室⊥五月 下1 0 0頁1 0行 一七六一 安南 [ 欠]に漂着せ し 下1 0 0頁 1 1 行 安南 ( 現ベ トナム)に漂着せ 支那の商船 下1 0 0頁 1 2 行 中国の商船 皇紀二四二七 下1 0 0頁 1 3行 一七六七 此の歳七月 下1 0 0頁 1 7 行 皇紀二四二八 下1 01 頁 3行 一七六八 京阪の識者 [ 欠]をた ゝきて [ 欠]閏二月 [ 欠]七月 下1 01 頁 4行 京阪 [ 欠]識者の門をたたき て 27 0頁 9行 2 7 0頁 1 2行 2 7 0頁 1 5 行 2 71 頁 2行 2 71 頁 3行 皇紀二四三四 下1 01 頁 6行 一七七四 皇紀二四三五 下1 01 頁 9行 一七七五 皇紀二四三七 下1 01 頁1 2 行 一七七七 皇紀二四三八 下1 01 頁1 5 行 一七七八 目自供 ともいふ 下1 01 頁1 6 行 目白侯 ともいう 住井すゑ著 『日本地理学の先駆長久保赤水』戦中版 ・戦後版の比較 271 頁 5行 皇紀二四三九 下1 0 2頁 1行 一七七九 2 71 頁 8行 皇紀二四四〇 0 2頁 4行 一七八 〇 下1 271 頁1 0行 此の歳七月 下1 0 2頁 6行 1 35 [ 欠]七月 27 1 頁11行 皇紀二四四一 0 2頁 7行 一七八一 下1 271 頁1 3行 此の歳七月 下1 0 2頁 9行 271 頁1 4行 皇紀二四四二 0 2頁 1 0行 一七八二 下1 27 2頁 1行 皇紀二四四三 此の歳二月二 日 下1 0 2頁 1 3行 一七八三 [ 欠]二月二 目 27 2頁 7行 皇紀二四四三 此の歳三月二十 0 3頁 2行 一七八三 下1 [ 欠]三月二十四 0 3頁 7行 一七八四 下1 [ 欠]六月 [ 欠]七月 四日 272頁 1 2行 皇紀二四四四 此の歳六月 27 2頁 1 5 行 皇紀二四四五 下1 0 3頁1 0行 一七八五 272頁1 7 行 此の歳六月十六 日 下1 0 3頁 1 2行 2 7 3頁 2行 家治売ず 0 3頁 1 4行 家治死す 下1 27 3頁 5行 皇妃二四四七 下1 0 3頁 1 6行 一七八七 27 3頁 8行 此の歳正月十六 日 下1 0 4頁 4行 27 3頁 9行 皇紀二四四八 下1 0 4頁 5行 一 一七八八 27 3頁 9行 皇居 も亦炎上す。天皇,下加茂 0 4頁 5行 皇居 も亦 炎 上す。[ 欠]三 月 下1 に行幸 し給ふ。三月二十二 日 [ 欠]六月十六 目 [ 欠]正月十六 目 二十二 目 27 3頁 1 3行 皇妃二四四九 0 4頁 9行 一七八九 下1 27 3頁 1 6行 皇紀二四五 〇 下1 0 4頁 1 2行 一七九 〇 27 4頁 2行 此の歳八月廿六 日 下1 0 4頁 1 4行 ㌘4頁 2行 天皇仮皇居 より還幸 し給ふ。 27 4頁 4行 記念 に植 ゑ し松二本,大東亜決 戦下,船材 として供木 さる [ 欠]八月二十六 日 l ▼ l ▼ 04頁 1 4行 天皇恨皇居 より還幸 [ 欠] 下1 下1 0 4頁 1 6行 記念 に植 えた松二本,第二次 大戦下,船材 として供木 さる 27 4頁 5行 皇紀二四五一 0 4頁 1 7 行 一七九一 下1 27 4頁 9行 此の歳四月 下1 05 頁 5行 [ 欠]四月 27 4頁 1 1 行 此の歳九月三 日 下1 05 頁 7行 [ 欠]九月三 日 2 7 4頁 1 2行 皇紀二四五二 05頁 8行 一七九二 下1 27 4頁 1 5 行 皇紀二四五三 05頁 11 行 一七九三 下1 27 4頁 1 6行 此の歳六月廿一 日 下1 05頁 1 3行 27 5頁 3行 皇妃二四五四 05 頁1 7 行 一七九四 下1 27 5頁 5行 筆 をとる土 ヒ杢 27 5頁 6行 皇妃二四五六 下1 05 頁 2行 筆 をとる [ 欠] 05頁 3行 一七九六 下1 27 5頁 9行 皇紀二四五八 下1 05頁 6行 一七九八 27 5 頁1 2 行 皇紀二四五九 下1 05頁 9行 一七九九 [ 欠]六月二十一 日 27 5頁 1 5 行 皇紀二四六一 27 5頁1 6行 後正五位 に叙せ らる 下1 06頁 1 3行 後正五位 に叙せ られる 27 6頁 1行 あ とが き 常陸の歴史は古い。 下1 06頁以降 この古い歴史を一貫 して流れる ものは勤皇の 思想である。殊 に大 日本史編纂の大事業 を発 願 した義公 の大義名分論 は,幽谷,東湖 によ [ 全文欠] 1 3 6 天 理 大 学 学 報 っ て一層整備 され,幕末勤王家の指導理論 と なっ たO けれ ども悲運 と云 は うか,皮 肉 と云 ほ うか,明治維新 に際 して水戸 は一人の元勲 を も出 してゐない。勤皇茨城 は, まるで虚名 のや うで さへ あ る。 けれ ども,考へや うによ っ ては, これはむ しろ当然か も しれない。真 の勤皇家 は名 を求めず ,功 をほ こらず,利 を 求めず,故 に事成 れば故 山 にこ も り,敢 て中 央 に と ゞまらずの風情 である。実際幕末鍬 を す て ゝ皇事 につ く し,再 び鍬 を とっ て生 涯 黙 々た る もの を私 は数多 この地 に見 る。か う した人達 こそ,真 の勤皇家で はあ る まいか。 長久保 赤水 も, また これ に似 た一人 であ る。 常 陸の一隅,赤浜 に農夫 た るこ と六十年,そ の学徳 は遂 に藩主 の認 め る ところ となっ た と はいへ ,禄 ,僅 か に十五 人扶持 であ る。 しか も日本 地理学 の先駆 たるに も拘 らず,その名 は伊 能忠敬 に掛 よれてゐる。私 も実 は,長久 保赤水 な どまるで知 る ところが なかっ たので あ るが ,水戸 の杉 田両 人民 によ り,赤水 あ る を知 り,歓喜 と感歎 を久 しう した。今 , これ を平易 な伝 記 に まとめ,世 に送 らうとす るの ち,決 して赤水 の世 に認め られ る ことの薄い の を慨 いての ことで はな く,私 自身の経験 し た歓喜 と感歎 をわか ち合 ひたい といふ,極 め て単純 な願 ひか らであ る。 ともあれ,赤水 の 生涯 は, これ,勤皇 の生涯であ る。 しか もそ れ は口 に尊皇 を唱- るていの ものではな く 身 を もっ て実践 し,知 を もっ て遂行 した の だ。即 ち,農夫六十年 の生活 は,その まま尽 忠 の生活 であ り, 日本 地 図, 日本地理志 の完 成 は,知 を もっ てせ る報 国の生活 だ。私 は さ きに,佐 久 良東雄 を上梓 したが, これは東雄 が生涯農民 の魂 を保持 した ところに共感 を抱 いたか らであ る。長久保赤水 に至っては,坐 涯 かは らざる農民 であっ た といへ る。常 陸牛 久の里 に鍬 を とる私 は,今後 も常 陸の農夫一兵 の勤皇家 に筆 を染めてゆ きたい と思っ て ゐ る。 昭和十八年十 月 住井す ゑ子 2 7 8頁 1行 著者紹介 大正七年奈良県女子 技 芸学校卒業 昭和十年 よ り茨城県牛久沼の畔 下1 0 6頁以降 [ 全文欠] 1 37 住井すゑ著 『日本地理学の先駆長久保赤水』戦中版 ・戦後版の比較 にて著作 の傍 ら農耕 に従事 ,今 日に至 る。著 書 農婦護 佐久良東雄 子供の村 子供 日本 土 の女達 大地の倫理 3. まず一見 してわかる ことは 「あ とが き」が新版 では完全 に削除 されている ことであ る.「あ とが き」 は一般 に,著者がその著書 に込める思 い を表明する ものだか ら,当時の住井の思想が ここに現れている と言 っていい。住井 はかつて,他の文学者たちの戦争協力の例 を挙 げる一方 で ,「書 けないと突 っ張 ったのは私一人です芋 とか ( 「 戦争 に協 力す る話 だけは書 かなかったで すねJ 6 )と発言 し,偽 りの 自分史 を語 っていた。模本 によってそれが 「 虚構」 であることが証 明 , 」 」「天皇が い る 日本 は,人 間の 国 では ないです 天皇 なんて絶対 い らないんです よ 「 天皇がい されたわけだが,住井 を追及す る模本 に対 し 「 なけれ ば,戦争 に もな らなか ったんです よね よ」 と全責任 を天皇 ( 刺) に負 わせ ,「権力 をその ままに して民衆 を批判 して も無駄 です」 と 自らの責任 を否定 して見せ る住井 は,旧著 をこの ように改変 して再刊す ることをどう考 えてい たのだろう。私 はこの本 の 「 新版 の本文 には旧版 との異 同が ない」 と誤 ったことを述べ たこと は先 に述べ たが ,「本文 には」 とは,「あ とが き」が削 除 されている ことを指摘 し,それ と対比 して というつ もりだった。旧稿 で 「あ とが き」 は一部分のみ紹介 してある。 よい機会 なので, 全文引用 したが,それによって住井 の思想 を知 っていただ きたい と思 う。 あ と,削除が多 くなされた ところは,多 く天皇讃美 にかかわる ところである。 これは長久保 赤水 の友人であった高山彦九郎の口を借 りて述べ ているところである。 これ に関連 して天皇関 」「皇国」「神 州」「赤子」 な どが そ うであ る。旧267頁以降 は 「 皇紀」 の使用が強制 「 皇紀」 も,新版 では西暦 になっている。当時, 係 の表現 も改変 してい る。「 み国 年譜 であ るが,そ この されていたわ けで は ない。坂 垣 直子 『 現代 日本 の戦争 文 学』 ( 1 9 43年 ・六 興 商 会出版 部)の 「 序」 には 「 一九四三年一月」 とあ るほか,本文 中に もしば しば西暦の使用がある。 ここは再 ,「皇紀」 を西暦 に機械 的 に変 えた ものであ ろ うが,旧272頁 には,「皇紀二 四四 刊 にあたって 三」が 2回出て きてい るこ とか らもわか る ように, これ は誤 りであ り,旧版 の 「 天 明四∼六 4 4 4-2 4 46年 が正 しJ7 , I .新 版 1 0 3頁 の ト 七八 年」 を 「 皇妃 二 四四 三 ∼五」 と して い るの は2 三」以降 も誤 りである。本来,再刊 の際 にはこの ような単純 な間違いを訂正するべ きなの にそ れ を怠 っている。 旧2 5 5 頁 8行) ち,削除 さ また ロシアの脅威 を説 き,それ を排 除 しようと主張す る こ とろ ( = 敵」 であるロシア ( 当時 ソビエ れた。住井 には 「 満蒙開拓」 を肯定す る作品がある ,その 「 I l が ト連邦) を駆逐 しようと考 え,その思想 を江戸時代 の千島等,北方 に移 しか え,主張 した部分 であろ う。 2-4 4頁)が 現代 には過重 と思 われる敬語 ( 特に 「 義公」 に対 して) を訂正 した ところ ( 旧4 ,「ご三家」 を 「三家」 と して しまったが (新 下42頁 8 行), これは固有名詞,ない し歴史上の用語 なので, 「ご」 を削除 してはわか らな くなる あ る。 しか しその訂正 が い きす ぎて 。 一方,新版の方が記述が増 えている点 もある。 「その時の勢ひ」 を 「その時の支配勢力」 ( 上 6 0頁 7行) と言い直 したのは,戦後 の住井の思想 に沿 った ものである。高山彦九郎の思想 ・行 動 を,赤水が評価す るところで 「 人の心 も自然 と正 しく美 しくなるだろうと高山は単純 に信 じ 6 頁 5行) と新版 で下線部 を加 えるこ とに よって,高山の思想 の限界 を示 そ う ていた」 ( 新下9 としてい る。 しか し,赤水 は高 山を高 く評価 してい るこ とは,本文全体 を読 め ば明 らか であ 1 38 天 理 大 学 学 報 る。 他 の変更点のほ とん どは,誤植 の訂正, 自称代名詞の変更,むずか しい表現 をや さ しく,の 3点である。誤植 を新版 で直せ た もの ( 旧25 7 頁1 2行等)がある一方,新版 の方が誤植 になっ 3頁 1 3行等)。旧字体 を新字体 に機械的に直 したためか,「師博」 て しまった もの もある ( 新下4 4頁 4行) として しまった ところ もあるor 伝」 の旧字体 「 停」 を 「 巌 」( 新下45頁 2行,下8 と,「 博」 を同一視 したためであろ う。 自称代名詞 は,新 版 では 「わ し」 を多用 してい る。昔 の物語 ら しさを出そ うと しての もの かo旧版の 「 僕」 は, 目下が 肖上に ( 例 ・高 山彦九郎が赤水 に)言 うときに使 われていて,へ 45 頁1 2 行に り下 った感 じが 出 てい る とは思 うo また 「 俺」 は今 で は 「 お れ」 と読 むが,旧1 「 祐」 とル ビが あ る。但 し,それ まで はル ビはない。それ まで を も 催 」 と読 ませ る と した 7 3頁 6行 に初 め て 「 嘉基」 と出 て くる。 ら,変 更 点 で は ない。「 老 生」 もか な りあ と,旧1 儲 」 同様 ,かな りあ とに出て くるが,それ まで をも含 めて 「 老生」 と読 ませ るな ら変更点で はない。 戦争 は神 の賜物 であ る」「 戦争 はあ りがたい」 と説 く 「 農婦 われ」 とい う戦争 中 住井 には,「 の文掛 ある。その存在が指措 されたのち,福 田雅子 は住井 との対談の機会 を持 ち, この文章 について尋 ねるのだが,住井 は 「自分の中では中断 とか,交錯 とか矛盾 とか, こんが らが りな んて,ない人間なんでil と」 と答 えるだけであ った。本 当 に 「中断 とか,交錯 とか矛盾 とか, こんが らが りなんて, ない」 の なら, 自分 の戦時下の作 品を再刊す るにあたって,上の ような 農婦 改変 を加 える必 要 もない し,「あ とが き」 を削除す る必 要 もないだろ う。事実,住井 は 『 劉 新版 の 「あ とが き」で 「過去 との絶縁 は社会的 にゆるされない」 と言 っていた。 この言葉 と,「あ と書 いた ものは」「 見 るの も嫌ですね」 の どちらが住井の本心 なのだろ うか。 1 999年)の 「 年譜」 には,旧版 『 長久 最近完結 した 『 住井す ゑ作 品集』 ( 新潮社)第 8巻 ( 保 赤水』の刊行 は 「 昭和十八年」 の項 にあ る ものの,新版 につい ては何 も記載 はない。新版 『 長久保赤水』 は上述の ように,他の新版の本 と違 って,旧版 についての言及や新版刊行 に際 ( 1 2 ) しての説明 ( たとえば住井の新 しい 「 あ とが き」 な ど)がない。 旧版 の入手 ・確認の困難 な現 荏 ,旧版その ままの再刊 と思 われるおそれは多分 にある。 しか し上記の ように改変があったわ けで,そ こに住 井の思想の遍歴 を見 る必要が ある。住井 自身 も福 田 との対談 で,「 私 が書いた 作 品 について,三割か じって判断す る人,五割か じって判 断す る人,作 品のか じり方が違 うん ( 1 3 ) で,答 え も変 わって くる。 」 と言 っていた。新版 のみの 『 長久保 赤水』で 「 判断す る」 と 「 三 割」以下の理解 しか得 られないだろ う。そ う思 い,新 旧両版 を対照 してみた。 注 (1) のちに,標本 『 ぼ くは皇国少年だった』 ( 1 9 9 9年 ・インパク ト出版会)に再銑 (2) 模本のこの業績については,拙稿 「 住井すゑ擁護者たちの 自家撞着」 『 天理大学人権問題 2( 料) 年 3月)参照。 研究室紀要』第 3号 ( (3) 以下の拙稿。「 住井すゑの戦時下の作品について」 r 天理大学人権問題研究室紀剰 第 1号 ( 1 9 9 8年 3月) ,「住井すゑの戦争責任 とその弁護者たち」同誌第 2号 (1 9 9 9 年 3月),「 住井す 」 ゑの r 少年倶楽部』に掲載 された作品とラジオ放送 された作品 F 山辺道』天理大学国文学研 , 究室 ・第45 号 ( 2 01 年 3月) 「 住井すゑの歴史偽造- 特に中山み きに関する記述 を始めとし て」 r 天理大学おやさと研究所年報』第 7号 ( 2 01 年 3月) 。 ( 4) ( 3)の 「 住井すゑの戦争責任 とその弁護者たち」参照。 1 39 住井 す ゑ著 『日本 地理学 の先駆 長久保 赤水 』戦 中版 ・戦 後版 の比 較 (5) 『時 に聴 く- 反骨対談』( 1 9 8 9年 ・人文書院) 1 21 頁。 (6) 『 住 井すゑ対話集 2 土 は生命の創 ま り』( 1 9 97 年 ・労働旬報社) 1 9 0頁。 )『日本史小辞典』(1978年 ・角 川書店)420頁。 (7 (8) (3)の 「 住井すゑの戦争責任 とその弁護者 たち」参照。 (9) 『台湾公論』1 9 4 4年 7月号所収。 (1) に一部 が紹介 されているほか,戦争犠牲者 を心 に刻 む会編 『 私 たち と戦争責任 』( 1 9 9 6年 ・東方出版)2 3 3-2 35 頁 に全文が収録 されている。 」『部 落解 放 闘 ( 1 0) (1)で模 本 が,キム・チ ョン ミの 「甲午 農 民 戦争 ・日清 戦 争 一 〇 〇年 後 争』第1 4 号での最初の指摘 を紹介 している。 ( l l ) 『「 橋 のない川」 を読 む』( 1 9 9 9年 ・解放 出版社)1 8頁。 ( 1 2) 旧版は,私が個 人で所有 しているほか,公 共機関では,東京都立 中央図書館 に所蔵 されて いる。請求番号2 8 91 /ナ2 5/ 1。資料 I D1 1 21 91 4 2 8 0。 ( 1 3) ( l l )の1 8頁。
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