労働環境(元)

名前 ことも
年齢 現在23歳
最終学歴 高卒
歳
月
18歳
18歳
状況
部活引退後バイトを始める
3月
就職できないまま卒業
4月
そのままフリーターとして勤務
19歳
家の経済状況がさらに悪化。給料の半分近くを家に入れる生活
20歳
1日10時間以上勤務。家に給料のほとんどを入れる生活に。
お金がなさすぎて、判断能力低下。詐欺に遭う。
21歳~
職場のパワハラ、暴力が常態化。
23歳
年上に目をつけられ、公開処刑される。
23歳
8月
勤務時間が過去最高に。
23歳
11月
父親の店を手伝うにあたり、退職、会社に労基をいれてバトル。
12月
働くことに嫌気がさし、アフィリエイトで稼ぐことを決意。
23歳
1月
もぎ取った有給休暇消化直後、元職場が倒産。
23歳
6月
現在に至る
労働環境(元)
飲食店勤務
時給700円スタート
タイムカードは30分毎
10分前行動義務付け
休憩入はだいたい10分後
残業代なし
閉店22時
サービス残業、常態化
社員は残業代あり
週休 1日×週
社員は連休とれる
年休 30日と少し
・閉店は22時でも、閉店作業は22時から。タイムカードをきってからスタート。
・忙しくて、閉店作業に手がつかなくても22時にタイムカードをきる。働いたことになっ
ていないので、本社はわからない。
・ラストオーダーが22時、お客様が入れば、22時半くらいまで、営業を続ける。
・シフトに書かれている時間では、終わらない作業量。無茶な時間設定。
はじめに
こんにちは、こともです。
このページは、ブログを見てくれた方に
「どういう経歴のやつなのか」とか
「そもそもどこの誰」とか
「なんでアフィリエイトを始めたんだ」などの
疑問を解決しながら、私を知っていただくためのページです。
少々お付き合いください。
部活引退後、バイトを始める
私は田舎の商業高校に通っていました。
2年生の時点で、進学できるのかを母に聞いたことがありましたが、
「お金がないから、就職してほしい。」との答えでした。
ちなみに、弟たちには進学の道があるようでした。男だからです。
3年生になり、部活を引退後バイトを探していましたが、
ちょうど母の上司から
「人手が足りないから、娘を働かせてはどうだ」といわれたらしく、
初めは家族と働くのが嫌で、違うところに応募したのですが、結局受からず
母と同じ職場で働くことになりました。
「面接は顔合わせで、詳しいことはお母さんに聞いてくれ。」と言われた次の日には
説明や契約のないまま出勤していました。
思えば、この時点でおかしいことに気づいていればあんなことには
ならなかったのかもしれません。
高3の夏休み、8月3日に初出勤となった私は
次々に運ばれてくる膨大な皿、洗い物に追われ目が回るような日々を過ごしました。
1か月後、夏休みを全部潰して、得た初給料は15万円にもなりました。
しかし、せっかく稼いだ15万円は使う暇もなく再び、
バイトに追われ毎日をバイトに行くために学校に通いました。
ちょうどその頃は就活の時期でしたが、数の少ない求人票のどれを見ても
手取10万、11万・・・良くて12万5千円とバイトよりも低い金額が並んでいました。
正直言って、バイトより低い給料とはいったい・・・と思っていました。
そのままフリーターになる。
後ろ向きな気持ちで受けたのがいけなかったのか、就活に失敗。
家の経済状況が悪化したのも伴って、就活を辞めバイトを続けるフリーターとして
すごすことになり、3月に卒業。
家の経済状況が悪化、給料の半分近くを家に入れる生活
妹が公立高校に落ち、私立に進学したのもあって、家の経済状況が悪化。
働いたお金でカバーしていましたが、だんだん金額が増えていきました。
19歳、20歳は仕事、仕事、仕事の毎日で自分の好きなことを後回しにし、家にお金
を入れることを目的に働きました。
お金がないので、必要最低限のものしか買えません。
時には、必要なものでさえ順位をつけて買えるものだけ買うような生活でした。
この頃になると、店長の上司であるエリアマネージャーが変わり、以前にも増して
「サービス残業」がひどくなっていきました。
いわゆる「お客様は神様であり、従業員はどうなってもかまわない」主義。
口癖は「てめえらのことなんか、これっぽっちも考えてねえぞ」でした。
そんな職場が「ブラック」だとわかっていながら、辞められなかったのはただ単に
「給料がほかの職場よりも高いから」
これしかありません。
毎日10時間以上勤務。給料のほとんどを家に入れる
この頃、極限にお金のなかった私はある1通のメールに書かれた
「○○万円差し上げます」とか
「メールをするだけで○○○万円」といった”あきらかに”詐欺とも思えるメールに
縋りつき、およそ30万円の被害に遭ってしまいます。
あの時は、精神的に参っていて正直、判断能力が皆無でした。
はじめて、ネットでお金を稼ぐ
その後、以前と変わらずお金のなかった私は上に書いたような”あきらかに”怪しいも
のを避け、
ネットでお金を稼ぐ方法は何かないか、と探し始めました。
はじめは、ポイント稼ぎのサイトでした。
アンケートに答えたり、ゲームでポイントを稼いだりして、合計1000円ほどであったと
記憶しています。
私はたった1000円でも、ネット上でお金を稼ぎ、自分の手元に入ることに大変大きな
感動を覚えました。
しかし、1日のすきま時間にいくらやっても、大きな金額は稼ぐことができず
また、違う方法をさがすことに。
すると、クレジットカードを発行したり、商品を買うことでポイントが還元される
方法を発見し、2万5千円ほどのお金を頂きました。
その方法を試しているうちに、ネットで月収100万を超える金額を稼いでいる
アフィリエイターのブログにたまたまたどり着き、初めて「アフィリエイト」という
言葉を知りました。
アフィリエイトとの出会い
あのブログとは正直、運命的な出会いだったと思っています。
そこには、まったく知らない世界が広がっていました。
会社に勤めない生活
仕事をしない生活
自由気ままに好きなことをしている人生
しかし、最初は信じられずとにかく、
「これも怪しい」しか出てきませんでした。
ネットを調べまわっているうちに、そういう生活をしている人が
案外多いことを知り、なかでも「月収100万」稼ぐ人は、一握りのごく一部で
「トップアフィリエイター」と呼ばれる人たちのことをいうようでした。
運命的な出会いを果たした、アフィリエイターのブログを読み漁り、メルマガを
購読しアフィリエイトが人生を変えうる職業(?)で、
その気になれば、誰でも稼ぐことができるものだと教えてもらい、そこから少し
ずつ勉強の日々が始まります。
エリアマネージャーが猛威を振るう
21歳から23歳はエリアマネージャーがその店舗直属のマネージャーとなり、
実質店長に代わって、店舗を取り仕切るようになっていました。
店長はそれこそ「名ばかり店長」で、毎日のようにくだらないとも思える
小さなことで怒られ、殴られ、蹴とばされ、暴言を吐きつけられていました。
マネージャーがしでかしたクレームでさえ、店長に怒鳴りつける意味の分から
ない状態でした。
実際にお客様から、マネージャーにの怒鳴り声に対してクレームを頂いたこと
がありますが、こっそり店長に報告するしかありませんでした。
職場では、マネージャーの独裁政治が敷かれ、少しでも反抗的な態度をとろうも
のなら毎日、目の敵にされ、周りも腫れもの扱い。
私は反抗したわけではないものの、周りのパートの自分より年上の大人たちが
中途半端に仕事をしていて、“楽”しているのを少し同僚に漏らしたところ
「年下のくせに」
「てめえなんか」
「人として終わっている」
とその日のパート全員の前で“公開処刑”されました。
私は別に、気に入らないとかで愚痴を漏らしたわけではないのですが、
ちゃんと仕事をしないことを言っただけなのです。尻拭いは私でしたし。
しかし、そうした態度が気に入らなかったようです。
真面目に仕事をしているこっちが馬鹿らしい、そんな感じです。
実は、中途半端な仕事をしている大人のなかにマネージャーのお気に入りが
いた結果でした。
この時は「大人とは醜い。たかが、20歳そこそこの小娘相手に・・・」と
しばらく周りのパートの大人を信じられず、一人ぼっちで与えられた仕事のみ
をこなしていました。
周りとは、口もきかず心を殺して感情を抑えての毎日。
少しでも感情をあらわにしたなら、すぐに泣いてしまうくらい病んでいました。
半年ほどたつと、今度はマネージャーや大人たちの標的が店長に代わり、
私にやったことなんてさっぱり忘れたように普通に接してくるように。
まるで“小学生同士のいじめ”似たもののようでした。
仲間集めをしているかのように感じていました。
マネージャーの発する言葉すべてに嫌悪感をいだく
標的を店長にすり替えた大人たちは、ひたすら店長を叩きます。
指示一つ、仕事ひとつ、身なりや背格好までも。
マネージャーは他の従業員の聞こえるところで、店長に向かって
「きもい」
「頭がおかしい」
「病院で診てもらえ」
とひどい言葉を吐きつけます。
時にはもっと、ひどい言葉を言っていたこともありました。
(この言葉は、聞いたとたんに気持ち悪くなって、怒りの感情がふつふつと
こみ上げてきて、自分のことではないのにわなわな震えるほどでした。)
労働時間が過去最高を記録、毎日4,5時間の残業
↳もちろん、残業代は支払われない。
このときは、従業員が数人辞め、新人が入ってくるも1日や3日で姿を消し、
本来いるべき人数の半数しかいなくなった頃です。
GW や夏休みといった繁忙期にぶち当たり、毎月過去最高の労働時間を記録。
そのたびに「どうしてこんなに働いているんだ」と怒鳴られる始末。
「働かせているのはそっちのくせに、残業代も払わないで何を言うんだ」と
毎月思っていました。
そして、ついに8月。
夏休みと、お盆の重なるこの時期は馬鹿みたいにお客がやってきます。
半数の人数で、しかも社員2人は自分の仕事すらまともにできない人ばかり。
店長に至っては、毎日18時間以上店舗で働き、仕事を夜中に終えると
片道1時間以上かかる店舗まで食材を取りに行っているようでした。
もちろん、家に帰る時間はありません。
店舗の駐車場で車中泊をして、たった2時間程度の仮眠をしていたようです。
私たちパートも休みはなく、1日の勤務時間も長くなっていましたが
ある一部の人たちは、忙しい時間が終わると、仕事を残してそそくさと帰ってい
きます。
私や、閉店作業をするたった4人に積みあがった洗い物や、仕込んであったもの
もさっぱり使い切った状態を放置して。
閉店は22時でしたが、閉店作業自体が23時近くになってやっと始まり、
そこから、使い切ってしまった野菜や小分けにしたものをすべて準備して
いると、終わったころには1時を回っていました。
そんな状態が続いたある日、社長が店舗の様子を見にふらっと現れました。
ちょうど、お昼どきが終わった直後で、洗い物が片付いていないところでした。
しかも、従業員は交代でたった10分ほどのその日唯一の休憩に入っていると
きに。
それをみて、社長までもがこういいます。
「従業員なんて、どうなってもいいんだから店を片付けなさい。」
―あぁ。この会社腐っている。
たった10分に満たない休憩をとることさえ、許されない。
社長までもが、従業員を使い捨てにするんだ。
そう思ったのを覚えています。
そんな毎日を続けているとき、私は店長にこんなことを聞いたことがあります。
「どうして、マネージャーの奇行を本社に言わないのか、なぜ転職しないのか」
店長は諦めたようにこう返しました。
「本社に言ったところで、もっとひどくなるだけ。それに、この年で今更雇って
くれるところなんてない。」
店長の言葉は、すでに諦めたような雰囲気で、希望などないと言われているよう
でした。
このとき私は、会社に勤めて、我慢して働いているとこうなるんだと言われてい
るようで、「働く」という行為がとても恐ろしくなりました。
社員として働いても、パートとして働いても大切な人生の時間を
お金を稼ぐために切り売りしている状態に変わりないことに気づかされました。
本来なら、生活をするために働くはずなのに、私の生活は
仕事をするために生活をしている状態であることに気づかされました。
すると、ますます「働く」ことが恐ろしく思えてきて、仕方がありませんでした。
父親が急に店を出すと言い出す。従業員は家族?!仕事を辞める!
会社への不信感が、最高潮に達したまま仕事を続けていたある日。
単身赴任している父親が、久しぶりに帰って来るとのことで迎えに行くと、
驚愕の事実を聞かされます。
「自分の店を出そうと思う。手伝ってほしい」
はじめこそ、びっくりしましたが理解はしていました。
父は料理人として、自分の店をだしたいと再三言っていたのを思い出したから
です。
「手伝ってほしいっていうけど、仕事はどうするの」
こう聞くと、父は簡単に「辞める」と返してきます。
いきなりすぎて、とても混乱していたように思います。
しかし、今まで「辞める」なんて考えもしなかったし、理由もありませんでした。
このとき初めて、会社を「辞める」正当な理由ができたのです。
しかしながら、問題は山積みでした。
このときすでに、母、私、さらには妹までが同じ店舗で働いていました。
母は10年を超え、私も6年目、妹も3年。3人ともが、店舗のレギュラーとし
て働いているので、あの会社が許すはずがありませんでした。
父親が今までの所業を労基に告発。会社とバトルに。
私たち3人は、父が帰ってくるたびに、仕事の話を漏らしていました。
というか、同じ職場だし、私たち3人ともにマネージャーの猛威はふりかかり、
毎日が愚痴大会だったのも影響していましたが。
唯一ほかの会社に勤めていて、管理職に就いていた父は私たちの会社の
異常さに呆れていました。
サービス残業の横行(3人とも毎日ある)
有給休暇があることを知らされない(知らないのでないと思っていた。)
暴力、暴言の数々
とくに有休休暇の件で、すでに会社に探りをいれているようで
事実を確認し、労働基準監督署に告発しに行っていました。
同じころ、ちらっと同僚に「辞める」ことを話したところ、それが
マネージャーの耳に入ったようで、マネージャーの態度は一変しました。
辞めてほしくないのか、暇を見つけては呼びつけ必死に諭してきました。
「店を構えたところで、成功するとは限らないから、働いていたほうがいい」
「今まで、どれだけ俺に恩があると思ってる」
「あんなにしてやっただろう?」
こんな感じでしたか。
手のひら返して、言ってくるので対応に困りました。
辞めることを再度伝えると、何が気に障ったのか。
今度は、
「辞めるから関係ないもんな」と新人の教育中に嫌味を言うようになっ
ていました。
まったく、人としてどうなの?!って思いながら、教育を続けていました。
あの時の新人さんには、巻き込んで悪いことをしたと思っています。
法律をしらないマネージャーが私達の有給を勝手に減らす
店長や、マネージャーは労働に関する法律をまったく知らないようでした。
といっても、私も詳しく解るわけではないのですが。
労基からは「まず就業規則を確認して、会社と話し合うこと」と言われましたが、
「就業規則なんてもの、どこにあるのか分からない」と思っていたら、
ありました。
どこに?
―――ある機械の横にぐっちゃになった薄汚れた紙の束が。
探すまで、知りませんでした。
しかしながら、就業規則は「誰でも見える位置にあること」が大事だそうで、
知らされなくても「ある」ことでパスできるようです。
中身を見ると、知らないことがたくさん書いてありました。
賞与、特別手当、残業代、有給休暇・・・
それはもう、出てくる、出てくる。
この就業規則と事実との違いが何よりの証拠で、父はこれを現場の店長や上司
にではなく、本社に直接話を持ち掛けました。
店長もマネージャーも法律を知らないので、話にならないからです。
すると、案外すんなり話は通って本社から、「27日」の有休をもらいました。
私の今までの年休は最大
ひと月4日×12か月=48日
忙しい時期は3日だったり、2日だったりするので30日そこらしか
休みがありませんでした。
ほぼ、1年分の休みです。
母は1日も使ったことがなく、40日。妹も2週間強でした。
ちょうどその頃、
私は勉強を続けていたアフィリエイトを本格的に始めるため
運命的な出会いを果たし、私が勝手にメンター(師匠)としていた方の
ネットビジネスに特化した、講座が募集を開始していたので応募するか迷って
いました。
その方は、パソコン1台で月収100万以上を稼ぎ続け、20代にして
「億」を稼ぐまるで雲の上の存在でした。
その方が、今まで稼いできたノウハウのすべてを詰め込んだ
業界最強ともいえる講座です。
あの会社のおかげで「働くこと」に恐怖を覚えていた私は
「もし、この先別の場所で働いても、同じことが繰り返されるのではないか」
と思ってしまい、「働くこと」から逃げる決心をしました。
この世界には、すべてを我慢して働かなくても生きていける別の方法がある
と師のブログをみて、学んだからです。
私は労働から逃げるべく、アフィリエイトで生きることを決意し、
およそ20万円の師の講座を受講することにしました。
そこには、本当にすべてが詰まっていてまさに“業界最強”
量こそ本当に膨大ですが、とてもわくわくしました。
「勉強の先に、輝かしい未来がまっている」
「我慢とは無縁の、自由がそこにある」
わくわくしたのも、束の間。
およそ1年分の休みをもらって、だらけたのは言うまでもありません(笑)
父親の店がオープン!したと思ったら、元職場が倒産。
1か月だらけながら(笑)
開店準備を着々とこなし、1月に父念願の店をオープン・・・
する前日でした。
(元職場)負債○○億、自己破産を□□地裁に申請
こうニュースになっていました。
知り合いの LINE からは「倒産?!大丈夫?」と心配の声が来ていました。
調べたところ、資金運用に失敗し、年々売り上げが下がっていたようでした。
(体感的には、年々忙しくなっていましたが、業績不振の噂は流れていました。)
正直、「ざまぁみろ」とも思いました。
同時に「あんなに頑張ってきたのに、無駄だったんだ」と悲しい気持ちにもなり
ました。
何せ、高3から今までの生活のすべてをあの会社につぎ込んでいたからです。
ブラックだと分かっていながら、給料のために働きました。
どんな理不尽も、心を殺し感情を押し込め我慢してきました。
時には、同世代の仲間と愚痴をいいながら一生懸命働いてきました。
すべてが無駄になったんだと思いました。
しかし、あの会社に勤めたからこそ、今の私はあるのかもしれません。
「アフィリエイトで稼ぐ、自由に生きる」
こう思えたのは、間違いなくあの会社がブラックだったから。
法律の知識をつけたのも、あの会社が法律を無視していたから。
少しだけ、感謝しています。
おわりに
ここまで、お付き合いいただきましてありがとうございました。
思っていたより、長くなってしまいましたが私がブラック企業につかまってか
ら、
今までの歩みです。
この6年の間、同世代と隔離されたような疎外感をいだきながら生きてきまし
た。
そんな状態と、お金がないのと合わさって同世代と遊びに行ったり、呑みにいく
こともなく23歳になりました。
話を聞く限り、とても楽しい空間なんだろうと思っています。
しかし、同世代の話についていけないのでどうでしょうね。
気づけば、もう23歳も終わりに近づいています。
このペースだとあっという間に30代になって
いつの間にかおばあちゃんになってしまいそうです。
年を取った時に、後悔したくありません。
やりたいこと、やってみたいこと。
行きたいところ、行ってみたいところ。
そういう自由な生活を目指して、活動しています。
ついでに、「朝」が苦手を通り越して、ダメです。
まったく起きられません(笑)
寝たいときに寝て、起きたいときに起きる、これが理想です。
加えて、プライベートは時間にルーズなのでゆったりしていたいタイプです。
こうやって書いていると、ますますアフィリエイトが自分に合っていると
思えてきます。
時間の自由
場所の自由
人間関係の自由
金銭的な自由
これらを手に入れることで、私のわがままが達成されるからです。
本当に最後
私のブログでは、ブラック企業につかまってしまった人や
自由に生きていきたい人、副業で少しでも収入を増やしたい。
そんな人たちを応援しながら、一緒に道を切り開いていけるように
有益な情報の提供を心掛け運営していきます。
メルマガも配信していきたいと考えていますので、
よろしければ購読してみて下さい。
もし、ネットビジネスや、労働関係で質問、相談など
ありましたら、ブログ内の「お問い合わせ」からメールで
送っていただくと、直通で私に届きます。
私の知識のかぎり、応えていきますので気軽にメールしてくださいね。
それでは、ここまで読み進めていただきありがとうございました.
ことも
ブログ:http://kotomo-01.com
Twitter:@kotomo1015
ありがとうございました。