Page 1 創価教育研究第3号 パネラー報告 3 ー牧口常三郎の国家観

創 価教育研究第3号
パ ネ ラー 報 告3
一 牧 ロ常 三 郎 の 国 家観 ・世 界 観 一
小
稔
出
『人 生 地 理 学 』 を初 めて 読 ん だ 時 に 、少 々 の 戸 惑 い と驚 き が あ りま した。 古 い 言 葉 で読 み に
くい とい うこ とは あ るの で す が 、 そ れ 以 上 に 、 牧 口先生 が使 われ て い る概 念 や 用 語 に違 和 感 を
覚 えま した 。 私 は1962年 生 ま れ の戦 後 世 代 で す 。 私 が受 け た い わ ゆ る戦 後 民 主 主 義 教 育 の 中 で
は、 平 和 とか 人 権 、 そ の他 、 社 会 の あ り方 を語 る時 は 、無 意 識 に 国 家 とい うも の を 、 人 間 の 自
由 と対 立 す る主 体 と して 捉 え る傾 向 が あ る と思 い ます 。 い わ ば 、認 識 の大 前 提 と して 、 国 家 は
悪 で あ る とい うよ うな。 そ の よ うな認 識 に慣 れ 親 しん で き た 自分 が 『人 生 地 理 学 』 を読 む と、
少 々 、牧 口先 生 の使 われ る言 葉 に対 して戸 惑 い を覚 えま した 。『人 生 地 理 学 』で 牧 口先 生 が社 会
や 人 間 生 活 の あ り方 を論 じる時 は 、 国 家 とい うもの を とて も大 き な 前提 に して い る。 牧 口先 生
は 、何 か国 家 の役 割 を積 極 的 に肯 定 して い る国 家 主 義者 な の で は な い か 、 と思 っ て しま い そ う
な箇 所 も率 直 に言 い ます と、 た く さん あ りま した 。 そ ん な 驚 き と戸 惑 い の連 続 で 、初 め て 『人
生 地理 学 』 を読 ん だ とき に は、 理 解 す る とい うよ りも、 疑 問 の 方 が 多 く出 て き て 、 あ わ て て も
う一 回読 み直 す 、 とい う感 じで した。
実 は 、牧 口先生 につ い て は 、言 われ て い る よ うな平 和 思 想 家 、運 動 家 で は な く、 国 家 とい う
もの に対 して 、大 変 迎 合 的 で あ っ た とい う よ うな論 文 を海 外 の研 究 者 が 出 した こ とが あ ります 。
結 論 か ら言 っ て しま え ば 、 これ は大 き な認 識 の誤 り、 誤 解 で あ る と思 い ます 。 けれ ど も、 牧 口
先 生 が 『人 生 地理 学』 を著 され た 当時 の社 会 問題 に対 す る一 般 的 な認 識 方 法 や叙 述 の 仕 方 を十
分 考 慮 に入 れ ず に 読 む と、そ の よ うな誤 解 は あ り うる と思 い ま す 。そ して 、創 価 大 学 と して も、
し っか りと牧 口先 生 の 思想 を研 究 して 、 そ うい う表 面 的 な 理 解 や 誤 解 に対 して は 、 し っか り と
反論 出 来 る成 果 を出 して いか な けれ ば な らな い と思 い ま した 。
先 に述 べ ま した よ うに、戦 後 の教 育 に慣 れ て い る と、 国 家 イ コー ル 権 力 、 そ して 権 力 イ コー
ル 悪 。 平 和運 動 は 悪 い 権力 と戦 うの だ か ら、 当然 国家 に対 して は批 判 的 な ス タ ンス を 取 るべ き
で あ る、 とい う三 段 論 法 的 な認 識 をす る こ とが 多 い と思 い ます 。 とこ ろが 、 牧 口先 生 の思 想 を
理 解 す る に 当 た って は 、 国 家 に対 す る 姿勢 とい わ ゆ る権 力 に対 す る姿 勢 、 これ を よ く注 意 して
分 けて 考 え るべ きで は ない か と思 い ます 。 牧 口先 生 は 国家 の役 割 とい うこ とにっ い て は 、具 体
的 に生 きて い る人 間 が 、 幸 せ にな るた め の環 境 を提 供 す る重 要 な機 関で あ る、 とい うよ うに位
置 付 け を され てい ま す 。
誤 解 を恐 れ ず に述 べ ます と、戦 後 の 民 主 主 義 教 育 の 中 の人 間像 は 、国 家 か ら 自由 な、い わ ば 、
宙 に浮 い た 、抽 象 的 な人 間 像 で あ る。 そ の よ うな人 間 の抽 象 的 理 想 像 を前 提 と して 、 権 力 か ら
干 渉 を受 け る べ き で は ない 人 間 の 根源 的 自 由、す な わ ち表 現 の 自由 、思 想 の 自 由 、良心 の 自由 、
信 教 の 自由等 々 の価 値 を訴 え る意 義 は確 か に あ ります 。 戦 前 に極 端 な 国家 主 義 を経 験 した 日本
が 、戦 後 に お い て そ の よ うな抽 象 的 人 間像 か ら出発 す る こ とに は十 分 な意 義 が あ る。 しか し、
MinoruKoide(創
価 大学 平 和 問題 研 究 所 助 教授/セ
ン ター 員)
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パ ネ ラー 報 告3一 牧 口常 三 郎 の 国 家観 ・世 界 観 一
そ の よ うな 抽 象 的 人 間 像 の 持 っ 意 義 を認 め た うえ で 、 理 念 として の 人 権 を 現 実 の 生 活 の 中 で 具
現 化 し よ う とす れ ば 、 や は り社 会 そ して 国 家 とい うもの が 重 要 に な る。社 会 で 生 き る個 々 人 の
思 想 、 信 条 、 良 心 、信 教 の 自由 を 守 ろ うとす れ ば 、 ま た 、 学 問 の 自由 を確 保 し よ う とす れ ば 、
さ ら にま た 、 人 か ら物 を盗 ま れ た りとか 、 自分 の 生命 や財 産 を脅 か され た り しな い で 、安 心 し
て 生 活 す るた め には 、 現 実 の 国 家 の役 割 や機 能 とい うもの を無 視 で き な い。 牧 口先 生 は そ の よ
うな 視 点 か ら、 国 家 とい うも の に対 して 、 大 変 に詳 細 な 分 析 を され て い ます 。
この よ うな牧 口先 生 の ア プ ロー チ を 戦後 民 主 主 義 の 立場 か ら見 る と、「人 間 の権 利 を考 え る に
当た って 国 家 とい うもの を 前提 に しす ぎ て い る」、 「人 権 は 国 家 に依 存 す る もの で は な く、 む し
ろ国 家 の 前 提 で あ るべ き だ 」、 さ らに は 「
牧 口 は 国家 主 義 者 で あ った 」な ど とい う批 判 が あ り得
る と思 い ま す 。 しか し、 これ は 牧 口先 生 の議 論 の 字 面 だ け をお っ た 、 浅薄 な 批判 で あ る と思 い
ま す 。 牧 口先 生 の 活躍 され た 当 時 、社 会 の あ り方 を議 論 す る際 に使 わ れ た認 識 や 用 語 を踏 ま え
た うえで 、 正 確 に 『人 生 地 理 学 』 を読 め ば 、 牧 口先 生 の 人 間 主義 的社 会観 や 国 家観 が理 解 で き
る と思 い ま す 。
『人 生 地 理 学 』 の 中 で 、 牧 口先 生 は 国 家 の 役 割 として 、4っ の 面 を挙 げ られ て い ます 。 これ
は今 日の国 家 観 で も、 大 体 国 家 の 役 割 は 、 この4つ の機 能 にま とめ られ る の で は な い か と思 い
ま す 。1っ
は 、内 憂 に 対 す る保護 的 活 動 。 す な わ ち、 国 内 の 治安 の 維 持 、安 定 した社 会 秩 序 を
もた らす とい う国 家 の機 能 で す 。2つ
目が 、 外 患 に対 す る保護 的活 動 。 これ は 要す るに 、他 の
国 か ら侵 略 され ず に、 国 の 独 立 を守 る国 家 の機 能 で す 。 この機 能 が ど うして も、牧 口先 生 の 時
代 に は、強 調 され る傾 向が あ りま した 。『人生 地理 学 』が 出版 され た の は1903年(明
治36年)で
す 。前 年 にイ ギ リス と 日英 同 盟 を結 ん で 、そ して 、続 く1904年 に は 日露戦 争 が あ っ た 時代 で す。
要 す る に1903年 とは 、 日本 の 国 中 が 、 い わ ば 国 運 を賭 した 大 戦争 に 向 か う時 代 で あ りま した 。
ヨー ロ ッパ に 目を転 じれ ば 、 イ ギ リス 、 フ ラ ンス 、 ドイ ツ 等 の い わ ゆ る列 強 諸 国 の 間 の 勢 力 争
い が 、植 民 地 獲 得 競 争 を通 じて 激 化 し、 そ うい う背 景 の 下 で 、 国 際社 会 が 、 い わ ば 生 き馬 の 目
を抜 く競 争 的 な時 代 だ っ た 、 とい う風 に言 え る と思 い ま す 。
また 、牧 口先 生 が 『人 生 地 理 学 』 を著 され た 時 に は、 社 会 科 学 の分 野 に於 い て も、 い わ ゆ る
生 物 学 で唱 え られ た ダ ー ウ ィ ンの 「
適者 生 存 」 とい う考 え方 、 す な わ ち 一番 環境 に 順応 出 来 た
者 が生 き残 っ てい く、 とい う考 え方 で す けれ ども、 これ が 社 会 科 学 の 分 野 に も適 用 され 、 進 歩
を も た らす 一 っ の考 え方 として 盛 ん に喧 伝 され て お りま した 。 今 日の 我 々 の 人権 感 覚 か らす る
と、「
適 者 生存 」 とい う法 則 に従 った 社 会 の進 歩 は 、非 人 道 的 な側 面 が 多 い と思 い ま す。 け れ ど
も、 当時 の学 問的 な風 潮 の 中で は 、 い わ ゆ る競 争 とい うも のが 、 肯 定 的 に捉 え られ て い た 側 面
が あ ります 。 国家 の間 で も、 競 争 が 強 調 され 、 そ の競 争 に負 け る国 には未 来 は 無 い とい う、 そ
うい う考 え が一 般 的 に 「
進 歩 的 」 と受 け入 れ られ 、 実 際 に国 際 政 治 の 中 で 実 践 され て い た 時 代
で した。 そ うい う環 境 にお か れ た 国 家 が 、 自国 民 の生 活 の 安 寧 を守 ろ うとす れ ば 、 必然 的 に外
国 との競 争 に負 けて はい け ない の だ と、 そ うい う発 想 か ら、 国 家 の2番
目の機 能 と して 外 患 に
対 して の保 護 的 活 動 が 挙 げ られ て い る の だ と思 い ます 。
た だ 、 実 際 に 『人 生 地理 学 』(文 庫 本)を 紐 解 く と、最 初 の 内 憂 に対 す る保 護 活 動 にっ い て
は わず か数 行 で議 論 を終 え、 ま た 次 の 外 憂 に対 す る保 護 活 動 につ い て も、せ いぜ い1ペ ー ジ が
割 かれ て い る だ けで す 。 つ ま り、 これ ら2つ の国 家 の機 能 につ い て は 、 牧 口先 生 は 極 め て 簡 単
に触 れ る に と どめて い る。 そ して 、 む し ろ残 る国 家 の2つ の機 能 に つ い て 、 約8ペ ー ジ の ス ペ
ー ス を割 い て牧 口先 生 は 議 論 され て お ります 。
牧 口先生 の指 摘 す る国 家 の3番
目の機 能 と は 、国 家 の個 人 に対 す る サ ー ビス とい う機 能 で す 。
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創価教育研究第3号
そ して 、最 後 の機 能 は 、国 民 の生 活 に対 して そ の幸 福 の増 進 を図 る活 動 、 と され て い ま す 。 国
家 の3番
目 と4番 目の機 能 は、 極 めて20世 紀 後 半 的 な機 能 で あ り、 目本 にお い て も第 二 次 世 界
大 戦 後 に 、 よ うや く、生 存 権 で あ る とか 、社 会 保 障 、社 会 福 祉 等 が 進 め られ る中 で実 現 して き
た も の です 。 牧 口先 生 は 、い わ ば50年 も時 代 を先 取 りして 、国 民 の た めの 国 家 とい う もの を追
及 して い た 、 そ の よ うに理 解 で き る と思 い ます 。
牧 口先 生 の生 き られ た 時 代 は、 現 実 問題 とし て弱 肉強 食 の側 面 も あ る国 際社 会 に 国 家 は 直 面
して い ま した。 そ の よ うな環 境 の下 で 、 国家 は互 い に競 争 をせ ざ る を得 な い 面 が あ りま した 。
け れ ど も牧 口先 生 は 、 国家 間 の生 存 競 争 に して も 、飽 くな き利 益 の追 求 、 そ の 結 果 の冷 徹 な 勝
者 ・敗 者 の決 定 とい うよ うな形 態 で は な く、 これ は有 名 な話 です けれ ど、 人道 的 競争 とい う形
式 を 、 い わ ば 国際 社 会 の 目指 す べ き一 つ の 目標 と して 、牧 口先 生 は 志 向 され て お られ ま した 。
この 人道 的競 争 にっ い て は 、 こ の あ と、塩 原 さん か ら詳 し くお 話 しが あ る よ うです の で 、 私
の 方 は 極 め て 簡 単 に ま とめ ます 。 人 道 的 競 争 とは 、独 立 した人 道 とい う分 野 で の 競争 とい うの
で は あ りませ ん。 軍事 や 政 治 、 さ らに は経 済 や 科 学 技 術 な どの個 々 の分 野 で 、 国 家 は 競 争 を繰
り広 げ て い ま す。あ る意 味 で 、人 間 の生 活 そ の も の が 、他 者 との競 争 とい う側 面 を含 ん で い る。
人 類 の 活 動 の あ らゆ る分 野 で 、競 争 とい う形 態 の活 動 が あ る こ とは否 定 出来 ない 。す な わ ち、
国 家 間 に お い て も、競 争 とい う関係 は 、否 定 で き な い現 実 で あ る。
しか し、 そ の 競争 とい うの は 、勝 て ば何 で も許 され る 、強 けれ ば全 て を得 られ る、 そ うい う
競 争 で あ っ て は な らな い。 自他 共 に利 益 を得 られ る よ うな 、 そ うい う競 争 に な ら ない か 、 と。
これ を牧 口先 生 は 人道 的競 争 と呼 び ま した。『人 生 地理 学 』 を著 され た 当 時 、牧 口先 生 は33歳 か
34歳 く らい で す か ら、 若 い 青年 と して 、 そ の よ うな 人道 的 な世 界 の 実現 を望 まれ て い た ので は
ない か と思 い ま す。
こ の人 道 的 競 争 を指 導 す る原 理 とい うもの を求 め る とい う こ とが 、 『人 生 地理 学 』 以 降 の牧
口先 生 の大 き な 学 問 的 な 関 心 ・テ ー マ とな って 行 った の で は な い か とも思 い ま す 。
『人 生 地 理 学 』 の 冒頭 の 「地 と人 との 関係 の 概観 」 とい う部 分 で 、牧 口先 生 は端 的 に ご 自身
の世 界 観 ・国 家観 を ま とめ られ て い ます 。『人 生 地 理 学 』を 読 ん だ こ との あ る方 は ご存 知 だ と思
い ます が 、 牧 口先 生 は 、 ご 自分 の 身 の 回 りを観 察 され 、 自分 の 周 囲 に あ る物 が実 は 、世 界 中 の
さ ま ざま な と こ ろ の産 品 で あ る こ と を指 摘 され ま す 。 そ れ らの 事 実 は 、 自分 が世 界 の 中 で色 ん
な人 の恩 恵 を受 けて 生 きて い る こ と を示 して い る。 っ ま り、 自分 は 世界 市 民 、 そ うい う言 葉 は
使 っ てい ま せ ん けれ ども、 世 界 とい う空 問 の 中で 生 きて い る一 人 だ 、 と牧 口先生 は述 べ られ ま
す。
しか し、だ か ら と言 って 、 何 か 漠 然 と 自分 は 世 界 の 中で 生 きて い る の だ と言 っ て も 、 それ で
は人 間 の生 活 の実 態 とい うもの を把 握 す る こ とは 出来 な い 。そ して 、よ り具 体 的 な 単位 と して 、
や は り国家 とい う枠 組 み の 中で 、 我 々 は具 体 的 な生 活 を営 み 、 社 会 的 な制 度 を 作 っ て い る。 そ
の意 味 で 、 自身 を取 り巻 く社 会 全 体 か ら受 け てい る恩 恵 とい うもの を忘 れ て は 、 や は り具 体 的
な 人 間 の 生 き 方 とい うも の は示 す こ とは 出来 ない 。そ して 、さ らに言 え ば 、国 家 とい う単位 も、
ま だ 大 き くて 、本 当 に人 と人 との 関係 、 自分 の人 生 の あ り方 等 を理 解 す るに 当 た っ て は 、 自分
が 生活 して い る 故郷 とい う言 葉 を使 われ てい ます が 、 ま さ に 自分 た ちが 生 き て い る現 場 で の さ
ま ざま な 人 間相 互 、 そ して社 会 と人 間 との 関 わ り方 を理 解 す べ きで はな い か 、 と牧 口先 生 の 議
論 は進 み ます 。
結 局 、 人 間 とそれ を取 り巻 く環 境 を不 可分 の もの と して 捉 え る牧 口先 生 の視 点 は 、 『人 生 地
理 学 』 とい うタイ トル 自体 に端 的 に示 され て い ます 。 国家 とい い、 世 界 とい い 、 そ れ らは 抽 象
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牧 口 常 三 郎 の 国 家 観 ・世 界 観 一
的 な 存 在 で は な くて 、 生 身 の 人 間 が 生 き て い る 空 間 と して 捉 え て こそ 意 味 が あ り、 ま た人 間 の
存 在 自体 も、 そ の よ うな環 境 と共 に理 解 して こそ 、 内 実 を 伴 う真 の 人 間像 が浮 か び上 が る。 っ
ま り、 国 家 や社 会 の あ り方 は 、 人 間 の あ り方 と不 可分 で あ り、 人 間 を観 察 して こ そ 、 国家 や社
会 の あ り方 は 導 か れ る 。 人 間 は 一 体何 な の か 、 人 間 とは 、 一 体何 の た め に生 き て い る の か 、 こ
の よ うな 問 い に 答 え る 哲 学 的基 盤 を持 っ て こ そ 、 人 間 が 生 き る空 間 と して の 国 家観 ・世 界 観 と
い うもの が 導 か れ る 、 と。 そ の よ うに牧 口先 生 は考 え られ て い た の で は ない か と思 い ます 。
そ う言 う意 味 で 、最 終 的 に 、牧 口先 生 の国 家 観 ・世 界 観 の研 究 は 、牧 口先 生 の 人 間観 そ の も
の に収 敏 して い く と思 い ま す。し か し、これ は 私 の 今 回 の発 表 の 守備 範 囲 を越 え て しま うの で 、
こ こで は 、 ご く簡 単 に 、 次 の牧 口先 生 の 『創 価 教 育 学 体 系 』 の 言葉 を紹 介 す る に と どめ ます 。
す な わ ち 、牧 口先 生 は最 終 的 に国 家 の 目的 は 、 「
個 人 の伸 び ん とす る と ころ 、個 人 の幸 福 と一 致
す べ きで あ る」 と、 結 論 づ け られ て い ま す。 簡 単 です が 、 以 上 で 私 の発 表 を 終 わ ります 。 あ り
が と うご ざい ま した。
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